声をあげられない人のつらさを科学的に明らかにする。それが研究するということ

中村 倫子さん  第29期生 修士(カウンセリング)

●わたしにとってのカウンセリングコース

タイトルは指導教授の言葉です。この言葉の通り、大学院は、自分の中にある問題意識をはっきりさせ、それを科学的に明らかにしていく場所でした。具体的には、統計、アカデミックライティング、論理的思考、教授陣、同期をフル活用して、修士論文という形で表現します。声を大にして叫んでも通じなかった思いは、科学的な手法を使って叫んでみると届くかもしれません。アカデミックな場所で、アカデミックな作法で叫んだら通じるかもしれません。さらに、そんな手法を使えない、声をあげることができない人の代弁ができるかもしれません。

日々の生活の中でふつふつとたぎる、「本当は違うのになぁ」「全然わかってもらえないんだよなぁ」、そんな愚痴を愚痴で終わらせない場所、わたしにとってカウンセリングコースはそんな場所でした。

●よかったこと

わたしの研究テーマは、性風俗関連特殊営業に従事する女性たちの意識です。今だから言えますが、受験の時に提出した研究計画とはまるで違うものになりました。テーマがいくつかあって絞り切れない中、同期に満場一致で推されたのがこれでした。人にこんなに興味を持ってもらえるならこれでいこうと決めて、以後、このテーマを深めていくのですが、「性風俗関連特殊営業とアカデミズムの世界をつなぐのは自分しかいない」という、妙な使命感もありました。

このテーマを引き受けてくださった指導教授には感謝しかありません。先生にとって未知すぎる世界であっただろう性風俗関連特殊営業の世界、それでも的確なご指導をいただき、ゼミの日は毎回、緊張と楽しみがありました。直接的な指導だけではなく、クライエントに対する敬意、研究に対する姿勢は先生の背中から学びました。
また、なんとか論文という形にまとめられた時、研究に協力してくださった方たちがとても喜んでくださいました。その時初めて、「研究で人を助けたり喜ばせたりすることができるんだな」と、2年間の意味がわかった気がしました。

●つらかったこと

まずは受験が大変でした。わたしは運良く1回で合格できましたが、2回3回とチャレンジしている方の話も聞きます。冷静になると、「誰に頼まれたわけでもない受験勉強でこんなに不安になって、自分はいったい何をやってるんだろう」となってしまうので、受験勉強中はとにかく冷静にならないようにしていました。

合格したら合格したで、やっていけるか不安でした。最後には「どうしても苦しかったら中退しよう、それも経験だ」と開き直りました。しかし、結論から言うと、「その人のペースでなんとかやっていける」と言えると思います。入学したものの様々なご事情で留年される方、家庭と仕事の両立を考えて、最低限の履修でよいと割り切られている方、いろいろなパターンの方がいました。さすが社会人大学院、考えられたカリキュラムになっていると感じます。そのカリキュラムをカスタマイズできる自由がありますので、そこは今思えば杞憂でした。

次に、日々の忙しさが大変でした。たくさんの授業がとりたくて、ハードモードで授業をカスタマイズしてしまったからなのですが、講義、期末のレポートや課題と、とにかく毎日時間がありませんでした。心身ともに一番きついのは、修士論文を書くため、実際に自分の研究テーマの概要や論文を書き、スライドを作成し、発表し、それを先生方にご指摘いただく「構想発表会」です。ついこの前まで普通の社会人だったわたしたちに、一流の教授陣たちから容赦ない学問的指摘が飛んできます。構想発表会は、愛をこめて「公開処刑」と呼ばれていましたが、大人になってから、こんなにバシバシ指摘されることもなかなか無い経験です。しかし、その手加減のなさが、先生方の真剣さと愛情だと思います。

そして、やはり一番大変だったのは修士論文です。 M2(修士2年生)の年末にかけて、とにかく時間との戦いになってきます。忘れもしない12月29日、指導教授に「進度の遅れが半端ない。死ぬ気でやって3月に卒業するか、6月まで延長するか選択せよ」と言われ、「同期みんなと卒業したい」という思いから「死ぬ気」を選択しました。

その日から、おおげさではなく、本当に死ぬ気で頑張りました。家族に、「今年の年末年始だけは自分のことに集中させて欲しい」とお願いし、睡眠時間も3~4時間しかとらなかったと思います。1分でも惜しく、右手はマウスを、目はPCを見ていられるよう、食事はパンばかり。仕事が始まった1月7日からは、信号待ちの間にウトウトしてしまう状態でした。その分、最後に謝辞を書いている時は泣けて泣けてしょうがありませんでした。間違いなく、人生で一番苦しく、焦燥にかられた日々でしたが、これを乗り越えた事実は大きな自信になった気がします。

のちに、指導教授に「あの時、本当にわたしはギリギリだったんですか?」と伺ってみたら、「ギリギリだったのもあるけど、その熱い思いをなんとか形にしてあげたかった」と言われ、ありがたさに、また泣けて泣けてしょうがありませんでした。

●最後に、入学をお考えの方へ

ここまでお読みいただいて、わたしが優秀なため、卒業もできたし修士論文も書き上げられたと思われるでしょうか?
残念ながら答えは「いいえ」です。支えてくれる人がいなければ挫折していたと思います。
そのくらい苛酷でした。しかし、それだけ苛酷なことも、先生方や同期、家族、研究協力者の方の存在で乗り切れることができました。最後の方は、ここまでわたしに力を注いでくれた人たちを裏切ることはできないという使命感と責任感で動いていた気がします。これはきっとわたしだけではないと思います。

そして、そんな思いまでして、どうしてやるのだと思われたでしょうか?
それは、これらの苦労が全部思い出と笑い話になってしまうほどの出会いと経験が得られたからです。筑波大学カウンセリングコースというホームとの出会い、先生方との出会い、同期との出会い、そして自分でも知らなかった底力を持つ未知なる自分との出会いがありました。

年を重ねてきて、仕事も生活もなんとなく経験と惰性でこなせるようになっていました。それはとても楽なことですが、それでいいのかとくすぶる思いが常にありました。そんなくすぶりを、大学院は奔流のようにひっくり返していきます。毎日が「?」と「!」と「?!」の連続です。受験さえクリアできたら後は独りではありません。パワフルな同期たちにひっぱってもらい、最高の先生たちに支えてもらい、大学のシステムにも助けられながら、なんとか奔流の中を泳ぐことができると思います。

入学してから、「人生変わるよ」という言葉を何度も耳にしました。事実、口頭試問を終えた2週間後、小さな小さな離島への赴任が決定しました。この決断を後押ししたのは、大学院生活で得た自信だったと思います。けれどわたしの研究生活はこれで終わりではなく、島での仕事をこなしながら、学会発表、研究を続けていくつもりです。

受験を考えていた当時のわたしに、「とても面白い方向に人生が変わっていくよ、筑波大学カウンセリングコースに入って本当によかったね」と伝えたいです。