カウンセリングコースでの学生生活

佐藤左千子さん 産業保健師 第24期生 修士(カウンセリング)

 小学生と高校生の2児の母です。子供達が成長し、仕事と子育てに追われる毎日から少し解放されてきて、自分の為に何かしたいな・・・と考え始めていました。仕事的には入社20年、企業の健康管理センターで産業保健師として、それなりに頑張ってきましたが、自身の産業保健活動にマンネリ感が漂ってきていると感じ始めていた頃でもありました。もう一度きちんと勉強し直して、活動の質を上げたいな・・・と。そんな時、筑波大学社会人大学院カウンセリングコースの存在を知りました。

 カウンセリングコースには、自分の業務・活動に直結するようなカリキュラムが満載であったこと、「現場」「実践」の視点をもった研究を大事にしてくれることがわかり、即受験を決意しました。受験までは、少々熱に浮かされていた感じで、勢いで進んでいた感じでしたが、いざ合格をいただくと、気持ちが現実に戻り、仕事・家事・育児・そして大学院、いくつもの役割を両立させられるのか、かなり不安になっていました。

 いざ思い切って入学してしまうと、不安な気持ちは直ぐ吹っ飛びました。それどころか、同じ志をもった同級生達と学ぶ事は本当に楽しく、刺激に満ちた充実した毎日でした。久しぶりに書くレポートや講義の準備は大変でしたが、ワクワクする妙な感覚でしたし、20代の学生の頃とは違い、業務での経験や現場の現象になぞらえて理論を理解することがこんなに楽しいのかと思いました。毎朝、早起きし子供の弁当づくり、夕食づくりを済ませ、出社し、仕事をしてから大学へ向い、帰宅後も家事や子供のことやレポート作成と、息つく暇もなく、睡眠を削る毎日でした。2年目の修論作成は、時間確保との戦いでもありました。しかし、常に学ぶ楽しさが、苦しさに勝っていたから、やり通せたのだと思っています。

【修論作成の思い出】
 1年目には3回の論文構想発表会があります。論文構想発表会は、業務や活動から生じた疑問や問題意識、興味ある研究テーマを、漠然とした段階から形づくっていくステップです。しかし、先行研究の読み込みも浅く、リサーチクエスチョンも定まっていない、お世辞にも構想とはいえない状態のものも多く、俗に「妄想発表会」とも呼ばれています。そんな学生に対し、どの先生も真摯に的確なアドバイス(時には凹みましたが・・・)を下さいます。私も「何を明らかにしたいのか?」「文献に溺れている!」「自分の研究のどこがオリジナリティか、突き詰めていくように」等々、ご指導を頂きました。振り返ると、研究に大切な基礎的なことを教えていただける大切な機会でした。この時のご指導は、実は2年目の論文作成の最中もずっと私を導いてくれるものとなりました。

 3回目の構想発表会の後、ゼミが決まり、2年目にはいると修論作成中心の日々がスタートします。私の場合、はじめに指導教員と修論作成のスケジュールを決めました。1月に修論を書き終えている自分の姿がどうしても想像できず、心が重くなったことを思い出します。幸いその後、指導教員の巧みなスケジュール管理により(当時は管理されているとは思っていませんでしたが)、ほぼ予定通りの進捗だったのは奇跡としか言いようがないと今でも思っています。(先生、本当にありがとうございました!)

 2年目は、実際大変なことが多かったのですが、中でも苦しく大変だったことを2つ紹介します。1つは、社内で質問紙調査をする許可を得るのに、思いのほか時間がかかった事です。組織の責任者や関係者に理解を求めていくことは想像以上に大変なことでした。「これじゃ間に合わない!」と焦り、「1月に提出できない・・」と暗くなりました。予定より遅れましたが、実施に漕ぎ着けられたときは、本当に涙が出そうでした。2つめは、データ解析が一段落し、文章を書き始めた12月あたりに、自分の言いたいことが言葉にならない・・・というアリ地獄にはまった時でした。仕事も多忙な時期で身体もきつかったし、睡眠不足で頭も回らずという状態の時でもありました。アリ地獄を抜け出す切り札はなく、「自分は何が言いたいのか?」「この研究の目的は?」ということを、地道に考えるしかありませんでした。本当に苦しかったです。修論の書き方についてはきめ細やかにアドバイスをくださる指導教員も、「これはあなたの研究です。私の顔をみても何もでてきません。」と。そこはしっかりと修行をさせて頂いたと思っています。

 修論作成を通し、問題意識を形にする術を学び、印象ではなく、根拠をもって物が言える方法を身につけることができたことは、私にとって大きな収穫でした。自身の仕事に役立てていきたいと思っています。ご指導いただいた先生方には感謝の気持ちで一杯です。2年間楽しさと刺激をくれた同級生にも感謝です。筑波大学大学院で学ぶことができて、心から良かったと思っています。