教師生活25年、新たに学ぶことを決めたのは・・・

辰巳 豊さん  小学校教員 第15期生 修士(カウンセリング)

現場の小学校教員として25年目。もう、職場ではすっかりベテランの部類に入る。
でも、この頃どうも子どもの心がわからない。かつてと社会情勢や子どもを巡る環境が変わってきたのが原因だろうが、我々教員の悪いところで一旦職場にどっぷり浸かるとなかなか他の世界は見えにくくなってしまう。
そんな想いが、もう一度違った角度から勉強をしてみようと思い立ったきっかけ。

あと、数年で勤めを全うするのに、何でいまさらって忠告してくれる同僚や友人もいたが、何か、もやもやしたままで仕事の終わりを迎えたくなかった。
学んで何が変わるという保証は何もなかったし、今更変わらないかもしれない。でも、何かが得られるかもしれない、そんな気持ちで願書を受け取りに行った。カウンセリングに特別の知識や経験があった訳ではない。むしろ、自分は美術教育を究めようと教科教育の道をまっしぐらに進んでいた。

 何でカウンセリングコースを選んだかというと、最初に書いたように、子どもの心がわからないというベテランの壁にぶち当たっていたのがひとつ、また持論として違う物差しをもつ大切さをいつも人に説いているので、それを自ら実行したかったから。
受験に際して、過去の問題集を取り寄せてびっくり。ほとんど専門外の私にはわからない。試験までは時間も限られている。職場が大学つながりなのを幸いと、短期集中で疑問点を若い大学院生に教わる。試験は現場の経験を問う小論文もあったのでそれは自信をもって体験に基づき書けた。あとは無我夢中。合格届けを頂いた時は嬉しくて飛び上がったことを思い出す。

 晴れてオリエンテーション。色々な職種、年齢、多様な経験の方と同級生に。2年間の学生生活は苦しくも、様々な出会いがあり大きな収穫だった。
1年目は様々な講義。仕事を終えてから授業に出て、家に帰りつくと11時を回る。これがほぼ毎日。土曜日は昼から夜まで。なかなか仲間と交流する時間もない。
それでも、楽しいパーティーなどには進んで参加した。共に学ぶ楽しさ。先生方ともたくさん有意義な話ができたと思う。

 2年目はいよいよゼミが始まり修論を書く。初めての経験で右往左往。でも、先生や仲間にどれだけ励まされたか。修論ではデータを取り、統計的な解析が欠かせない。これがなかなか曲者。SPSSという統計ソフトと仲良くなるまでが、一苦労。いや最後は仲間に助けられなんとか、といった具合。終盤は寝る間どころか食事を採るのもやっとの追い込み。これは最後に積み残しをしてしまう甘い性格が災いしたのか。
しかし、困ると誰かが助けてくれるもので、私も神に見放されずに無事に修了の時を迎えた。

 また、子どもと過ごす変わらぬ毎日。何が変わったのだろうか。日々の雑務や葛藤の中で、つい見失いがちになるもの。そんなものの大切さを大学院の2年間で得たような気がする。そして苦しかったけれど、働きながら学んだことは貴重な経験だったと思える。
日々の講義や、ゼミで学んだことが着実に今の職場に還元できていることを実感した時に苦しみは大きな喜びに変わった。