カウンセリングコースでの二年間

趙 丹寧さん  第27期生 修士(カウンセリング)

私が社会人大学院に入ろうとしたのは,中年期を目の前にして将来への不安が募り,また少女時代の心理学者になりたいという夢を思い出していた頃でした。そして実際に入ってみると,カウンセリングコースでの二年間は,とても充実しつつ,ものすごい速さで過ぎ去りました。修了から一か月経った今,目まぐるしく進んだ日々は,沢山のものをもたらしてくれたと感じています。以下,カウンセリングコースがもたらしてくれたものを振り返ってみます。

まずは,講義から得たものです。一年目は幅広く講義を受けました。カウンセリングコースの講義は,主にカウンセリング知識・実習,データ分析の手法,および学校心理学・産業心理学・社会福祉心理学に関するものでした。環境と体力の許す限り,なるべく多くの講義に参加しました。その時,のちに指導教員になって下さった先生に「豊かな研究は一本の線(分野)ではなく,縦と横の線で構成される」とお聞きしました。自分の研究テーマと全く関係が見えない講義(私の場合はリハビリテーションコースの講義など)にも,研究のヒントが隠されていると気づき,先生のお話に納得がいきました。さらに,講義を通して社会に生きる様々な人々,特に援助を必要とする人々の状況について理解し,想像力が身につきました。社会の一員として,他人を「援助」すべきだと痛感するようになりました。

次に,研究から得たものです。一年目は三回の修士論文構想発表会がありました。一回目の発表会ではショックを受けました。7分間以内に話を終えることができず,さらに構想内容についても,「このような調査は既に十分になされている」と厳しい意見を頂きました。とても落ち込みましたが,それをきっかけとして,研究の方向は実験へと転換しました。また,発表では必ず事前準備を十分にして,時間厳守するようになりました。二年間経った今思い出すと,「良薬は口苦し」と感謝しています。二年目になると,ほぼ毎週続くゼミが始まりました。指導教員と私は二カ国での調査と実験を行う計画を立てた後,指導教員の巧みな時間管理のもとで目標に向けて進みました。ゼミは常に自由で愉快で刺激に満ちたものでした。そしてゼミ生のみんな,指導教員の優しい人柄に癒されていました。研究は現実感(結果が出る可能性の高いこと)を必要とする一方,功利や効率に縛られずに,勇気をもって高い理想を求め,時には賭けてみる精神をもっと大事にすること。謙虚な気持ちで先行研究を勉強すると同時に,常に批判的な精神を持つこと。しっかりと時間のスケジュールを立て,常に前倒しで任務をクリアし余裕を持つこと。どんな時でも(例え背中に火がついても)「大丈夫,大丈夫」と言いながら落ち着いて消火することなどなど,研究の知識や具体的な方法以外にも,指導教員から学んだものが多くありました。

そして,カウンセリングコースでの出会いから得たものです。講義やそれ以外の時間で,コースの各先生方に指導して頂き,時には人生相談までして頂きました。同級生や先輩,後輩達も,援助意識の高い人達ばかりでした。彼らから沢山の感銘を受け,多くの忘れがたい思い出が残りました。

最後に,カウンセリングコースで過ごした二年の間,職場,家庭と友人たちからも多くのものを得ました。私は留学生相談をしている職場の人達,特に上司は私の勉強に支持的でした。アンケート調査の協力や休暇の配慮などをしていただきました。家庭では,小学生の子供がいるので,夜家をあけて大学に行くのが無理だと感じたことがあります。ところが「生むが易し」で,そのような悩みを打ち明けたところ,家族や近くに住む友人たちは,進んで手を差し伸べて下さいました。困難な時こそ,人の好意を頂けて,人の有難みを感じる機会だと思いました。そして,自分は実に良い人々に恵まれていると気づき,考えさせられました。

カウンセリングコースでの二年間の生活は,以上のように多くのものを私にもたらしてくれました。それらを基礎として,私は博士課程への進学を考えています。将来についての不安は相変わらず存在しますが,二年前よりは,対処する自信が今までになく増えました。心理学の勉強およびその間の生活は――雪が解けて小川が流れ始めた春景色が,冬眠から目が覚めた動物に奇跡を覚えさせ;暗夜に開いてくれたドアの後ろで一面に輝く燈火が,流浪者に希望を与え;温かくて柔らかい手が,狂騒或は抑うつの心の皺を伸ばす――といった不思議なことを体験するようなものでした。おかげさまで,自分はすでに春景色と燈火の中で生きており,沢山の手にも支えられていることを意識するようになりました。人身は受け難し,今既に受く。真理聞き難し,今既に聴く。今後はカウンセリング実践と研究の両方を通して,頂いたものを多くの人々に分けようと,強く思います。