外国教育史
 歴史の、しかも外国の勉強となると、「これはもう」といったため息がきかれるのも、とうぜんの時代なのでしょう。あまりに多忙な日常で過去のことなどふりかえるゆとりなどないからなのかもしれません。そうはいうものの、いっぽうでは空前の歴史ブームがつづいていて、とくに考古学、そして世紀末ということもあるのでしょうか、20世紀とはいったいどんな時代だったのかといった書物が書店の一角をおおきく占めています。ひとは、さきゆきの見通しがうまく定まらないようなときには、どうやら歴史にその援助をもとめるのが常のようです。そのようなことを考えていると、100年まえも、さらに200年まえの世紀末のひとびともそうだったのではないかなどと、ふと気づくことにもなります。そして、世紀末ということではなくとも、たとえばいまから10年ほどまえのフランス革命200年の1989年には、これを機会に、近代社会における国家、そしてそこでの人間や市民のありかたが問われたのでした。たまたま東ヨーロッパの社会主義体制の崩壊という事態とも重なり、その影響は、その前後から社会史への関心の極端な傾斜によっておおきな変貌が生じていた教育史の世界にも強烈な衝撃を与えました。そのような関心の重点変化は、たまたま何100年の記念などに合わせたというだけのものではなく、また懐古趣味でもなく、それまでともかく順調に展開してきた近代社会の歩みを思想のうえでいったん止めてみて、それをふりかえりの対象としたということにその意義がありました。教育史もふくめておおくの関係資料が整理され、それを用いて、おもに政治的な事件とそのイデオロギーの両極端でのみ扱われてきたフランス革命がその総体において関心をもたれるようになってきたというわけです。このようにして、私たちは、そのときどきの問題関心におうじて、あるときはその直前の100年をふりかえり、またあるときには、それでは足りなくなって200年、300年、さらにはとうとう古代のローマやギリシアにまでさかのぼり、その足取りを確認したくなる動機を対象化させてきたのですが、それは、前世紀末から今世紀にかけて歴史研究を画期的に進展させたブルクハルトのギリシアやマイネッケのゲルマン世界といった壮大なドラマトォロギーにおいて十分確認できます。ここでは、主として、「学問」としての西洋教育史研究のありかたを、将来この道に専門に進まれるかたの多少ともあることを願い、ごく簡単に述べておきたいと思います。

 ヨーロッパ本国の教育史研究は、そのように時代に対する十分なスタンスはとりつつも、きわめて地道におこなわれきました。その中心はなんといってもドイツなのですが、すでに前世紀の末、『ゲルマン教育学記念資料(monumenta germaniae paedagogica)』の膨大な叢書が刊行されていました。その内容はそれまでの何世紀にもわたる教育関係資料とその解読が中心なのですが、その計画の進行と平行して、その研究グループは年報も刊行していました。これにも、それまでまったく活字にもなったことのない資料が豊富に紹介されています。また、その前世紀末には、中世の教会や都市の教育関係資料、さらにははじめての義務教育規程として有名なゴータ学校令の収集成果も公刊され、さらには、いくつかの教育思想古典の叢書、さらにはヘルバルト、そしてペスタロッチの全集や選集も刊行されはじめます。そのとりまとめにあたったのはもちろん大学に籍をおくひとびとでしたが、驚くことに、それらを実際に担ったかなりのひとびとが大学人ではない、ギムナジウムなどの中等学校の教師たちでした。大学での教育史研究は、どちらかというと自分ひとりで単著をものするばあいが一般的だったのです。教育の歴史的な総括が必要との認識が教育界に浸透するに及び、教育を歴史的にふりかえり、自分たちの履歴を確認することは、それは、教師の責任として、あるいはその教養の中核として、その学問的な意義を問われていたのでした。教養とはいえ、この教育史は、史料のきわめて厳密な考証や批判にうらづけられており、そこには一種の職人的なこだわりと情熱すら感ぜられます。そのことは、この前世紀末にいくつもの学校史が精力的に編纂されていることにもしめされています。問題関心はとうぜんのことながら変化はしていますが、その伝統は現代にまで受け継がれ、ときおり出現する重厚な個別研究や組織の集中力を感じさせる叢書が私たちを驚かせてくれます。

 ところで、教育史の研究と叙述への関心は、なにもドイツ語圏にかぎったものでもありませんでした。前世紀末のドイツでは、たまたま教育を国民文化の総路線において考え直そうとしていた時期とも重なって、それが教育の歴史研究を必要としていたのですが、その事情はおおかれすくなかれほかのヨーロッパの国々にも共通していました。史料の厳密な考証や批判ということではランケいらいの実証史学の伝統がドイツの教育史研究を際立たせてはいましたが、いっぽうフランスにおいては、国家の事業としておこなわれた第三共和制のフランスでの革命期の教育関係資料の整備が、そして啓蒙期の前後を彩る偉大な思想家たち、モンテーニュ、フェヌロン、ディドロ、エルヴェシウス、そしてルソーが豊富な研究対象を提供しつつあり、また、コンペーレやデュルケムは、教育の社会的規範の形成機能に着目した新しい教育史叙述の可能性をしめしていました。家族や学校、そして子どもの社会史がその主流となっても、その伝統はこのなかに確実に受け継がれています。しかしながら、イギリスでの教育史研究の事情は、すこしばかり位相を異にしているようにも思われます。イギリスでの教育史研究は、ロックの『教育論』などへの初歩的な関心もありはしましたが、今世紀のなかばまでは主として学校史、それもグラマー・スクールやオクス・ブリッジのルーツの歴史叙述に精力が注がれてきました。最近では、ことに教員養成の基礎教養として、庶民教育、ことに産業革命期のそれが、そしてさらに学校の社会史が実践との関係で強い関心をよんでいましたが、その部門のリストラでそれも下火となった現在、いぜんとしてオクス・ブリッジの壮大な歴史編纂の過程にみられるその伝統だけは今日に確実に継承されています。

 わが国の西洋教育史の研究は、本学の前身、東京高等師範学校、東京文理科大学、さらに東京教育大学を中心として専一的に進められてきました。いま、上述の『ゲルマン教育学記念資料』など幾多の貴重書を含む世界屈指の蔵書をはじめ、すぐれた研究環境に恵まれ、こうして、はからずもその学統に連なっていることを、私たちはかぎりなく誇りに思っています。東京文理科大学第2代学長 大瀬甚太郎博士にはじまるその学統は、西洋教育思想史、教育学説史の研究を基礎として、梅根 悟、長尾 十三二両博士のもとで、教育政策史や教育制度史にまで、研究の幅を拡大させました。梅根博士の『世界教育史』(1955)は洛陽の紙価を高めた名著、さらに博士を監修者とする『世界教育史大系』全40巻(1972〜)は、わが国の教育史学界の金字塔です。筑波大学となってからは、フランス革命期の教育を丹念に跡づけた松島 鈞博士、そして現在の体制のもとで、すでに20名近くの若き西洋教育史研究者が学窓を巣立っていきました。彼らの研究テーマは実に多彩で、それぞれにその個性を発揮しています。課程修了によって学位を得たひとたちもかなりでています。教育大学の時代から通算すると、現在そのほとんどが国立大学で教鞭をとっている出身者が40数名、そして最も多く学位授与にかかわった分野ということにもなるでしょう。現在のスタッフは、ヨーロッパ教育史・教育思想史専攻の山内 芳文(教授)、それに現在1名の欠員があり、大学院には、1名が本年4月大学教員としてスタートをきった現在、古代ギリシア教育思想史専攻の武田安史が在籍しています。一昨年9月まで助手として教育学系に在籍していた山内 規嗣(平成5年、人間学類卒.現、広島大学教育学部講師)は、ドイツ啓蒙主義の教育思想研究で学界の注目を集めています。教育学主専攻4年生の卒論生は4名、シラーの『美的教育に関する書簡』、アメリカにおける教養論、都市文化とフレーベル主義、さらにモンテーニュにおけるエラスムスの影響がそのテーマです。

 ここで、これまでの研究動向を総括して、どのようにして、教育史研究の問題は構成され、解決されるのか、その技法について試みに考えてみたいと思っています。与えられた紙幅の関係で、その例の一、二をあげておきます。1.図像の解読による教育史研究 2.テクストの解釈による教育史研究 3.通説の批判としての教育史研究。このような研究の技法については、その詳細を、博士課程教育学研究科のおこなった「遠隔教育」の実験プログラムにおいて、すでにしめしています。

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