吉田武男(よしだたけお)
のホームページに
よ・う・こ・そーーー!!
Ein herzliches Willkommen!!
あなたは
番目の訪問者です。
2009年6月16日より再出発
<2011年2月24日現在、8428回>
(2010年10月4日、アクセス数7,000回突破)
(過去延べ45,654回の歴史のうえに)

更新日2012年5月9日

(次回更新予定、2012年5月17日)

今年の3月21日、ドイツのStuttgartの中央駅から、シュタイナー学校に向かう途中の中央公園で、ドイツ人たちが原発反対ということで、テントを張っていました。その中に、こんな十字架を見つけました。そこには、折り紙のツルがかけられており、「日本との連帯」と書かれていました。
http://www.meteocentrale.ch/en/weather/weather-extra/weather-in-japan/weather-extra-japan-zoom.html ←スイス気象庁情報
これは、どうも民間の会社らしいですね。なんでもいいよ。とにかく、情報を伝えてくれたらと思っています。
ドイツ気象庁情報は、7月29日?に終了しました。
メールで延長をお願いしたのですが、私の要望は通りませんでした。残念でした(涙涙)
それに代わって、ヨーロッパでは唯一スイスがやってくれています。さすが、永世中立国!
納税してあげられないので、せめて、これから、お礼に、スイスの製品を積極的に買ってあげようと思っています。
(単純かな?)
http://atmc.jp/food/ ←もっと知りたければここ
http://gunma.zamurai.jp/pub/2011/18juneJG.jpg ←関東・東北地方のこれまでのわかりやすいデータなら
とくに、若い人は放射能を浴びない、少ないにこしたことはありません。「子どもは宝です」。未来の日本のために!
  
 ようこそ!! 
Willkommen!!!
奈良県出身(高知県経由)<大和発、土佐および常陸の国、そしてドイツ・ニュルンベルク経由、再び常陸の国へ>
吉田武男の
ホームページへ
Homepage von Takeo Yoshida
「自己実現願望」「新個人主義」
「心理(こころ)主義」を超えるために
(40才以後の道楽・趣味:少林寺拳法准拳士初段<いわゆる黒帯をはじめて着けた程度>、太極拳日中友好協会認定1級<24式ができる程度>、日本サッカー協会公認審判員3級<県大会主審、関東大会副審が許されている程度)
これらの運動系のものは、今は、 すべて休止中です。シュタイナーの発達段階説に基づくと、7年周期の8回、56歳を過ぎ、いよいよ9回目のステージに入ったので、新しいことを始めることにします。およそ、何を新しく始めるかは決めましたが、いまは内密にしておきます。「学ぶことを止めた人間は、教える資格はない」をモットーにしている私は、何かしなければならないのです。1年後くらいにお知らせします。
カウンセリング・ハラスメント(2003.11.6命名)の被害を現実に防ぐためにも!!

「なんでも相談室」の開設!!
<人間学系棟5F A508>
ついに、決断し、立ち上がりました!!!!
もう、こころイジリの心理主義の風潮をこのまま見過ごすことはできません。行動を起こします。「なんでも相談室」、別名、「大学かけ込み寺」を開設します。
現実の問題に対し、「大丈夫ですよ」的なメンタル・ケアでは、せいぜい、一時しのぎにしかなりません。根本的な解決にはまったくなりません。喩えて言えば、昼間の職場でいろいろあって、夜になって気晴らしにスナックに行ったら、そこママが話を聞いてくれて、「大丈夫ですよ」「さあ、今晩は昼間のことは忘れて飲みましょう」と、言って虚構の一時を送るようなもので、昼間の問題はまったく解決されていません。つまり、現実の問題<昼間の問題>がこころの問題<夜の問題>にすり替えられるだけです。もちろん、一時的な癒しも(解決ではなく、解消も)意味がないわけではありません。有効な場合があります。これも喩えて言えば、疲れたときには、イライラしたときには、温泉につかってホッとして英気を養うことも意味のあることです。しかし、たまには「大丈夫ですよ」的なものもよいでしょうが、温泉への入浴だって、昼間の仕事を忘れ、こちらのほうが気持ちがいいと思って温泉の頻度が増し習慣化し、さらに外に出るのがいやになって依存気味になると、ここが居心地がよいとして、ズッーと暖まっていたいと思い、温泉に入り続けることが現実の本務になったらどうなるのでしょうか。皮膚がブヨブヨになり、体もおかしくなります。温泉なら、まだ周囲に及ぼす被害は少ないでしょうが、それがスナック通いが習慣化したらどうでしょうか。本人のお金はなくなるし、またアルコールへの依存にもなるし、周囲を困らせます。第一、本人の一生が台無しです。「大丈夫ですよ」的なメンタル・ケアは、たまには効果があるでしょうが、頻度が増すと、依存症になってしまいます。節度を越えるとたいへんです。節制が大切です。そして、時間が来ると、温泉からあがるという、つまり温泉療法は終わりという、けじめが必要です。
無料で、時間のある限り、そして本務に支障のない限り、学生さんの相談・助言をいたします。
内容は、勉学・研究から日常生活までなんでもOKです。できる限りのアドバイスとサポートを研究室でいたします(あんなゴミ屋敷に、人が入れるのか、という声が聞こえてきますが、無視をしましょう)。なにしろ、ここ数年、自死する学生が目立ちすぎるからです。なにか、うわさによると、また学生が自死したようなので。もう、非常事態と思うからです!心理主義に依拠しているような「心の専門家」と自称している、おぼっちゃま、おじょうさま風の人たちに任せておけません。緊急事態です。
ただし、申し訳ありませんが、誰でもというわけにはいきません。私の本務に支障をきたしますし、それではおかしな宗教的な勧誘(宗教だけではありません。私の著作をお読みの方は、何を言いたいか、わかっているはずです)と、かわらなくなります。
そこで、条件をつけます。
これまでに私の授業を受講し、1単位以上、AまたはBの評価を与えた現役学生に限ります。
つまり、これまでにご縁のあったというか、私のつまらない授業に耐えて受講していただいた学生さんに、アフターケアーや追指導という意味で(私の心の中では感謝への気持ちと罪滅ぼしの意味で)、無料で相談・アドバイス・サポートなどを行おうという試みです。条件をつけた理由は、何事も節度と節制が大切で、終わりが必要だからです(そこに、おかしな宗教的な行為と明確に区別したいと思います)。それと同時に、そろそろ「めんどうみたあいてには、いつまでも責任があるんだ。まもらなけりゃならないんだよ」(『星の王子さま』より)を、私なりに部分的にでも形にしたいと思うのです。
<呼びかけ>
筑波大学の学生さんへ(第一報)
今年度も小学校教員認定試験の説明会
を開催しました。
日時:5月20日(水)11:30〜12:10
場所:2H201教室
約40名ぐらいの参加者でした。そのあと、
資料だけくださいという学生が現れます。
そのような学生さんにも対応していますが、
資料がなくなり次第終了します。
ほしい方は、お早い目に!!!
探して来られた方 わざわざありがとうございました
感謝感激です。「おおきに」!!!!!
何となく来てしまった方 よかったら見て行って下さい!
間違って来られた方 何かの縁があるかもしれません
お急ぎでないなら見て行って下さい!
常連の方 いつもありがとうございます。たくさん
のホームページの中からここを選んでい ただき、大々感謝。言葉が見つからないぐらい、感謝です!!!
気になる語録

「たがいに知りあうということは、たがいにすべてを知っているということではなくて、たがいに愛と信頼をもって、たがいに信じあうということでなければなりません。人は他人の本質のなかにおしいっていこうとしてはなりません。他人を分析することは─精神錯乱者をふたたび正常にもどすためでなければ─下品なしわざです。ただ肉体的な辱しさばかりでなく精神的な辱しさがありますので、私たちはそれを尊重しなければなりません。魂はとりのけることのできないおおいをもっているのです。私たちはこんなに親しいあいだであるから、私は君のあらゆる思いを知る権利があるということはだれ一人許されません。母親でさえわが子にこういう態度にでることは許されないのです。すべてこの種の要求は愚かなことで有害であります。」(波木居斉二訳『私の幼少年時代』新教出版社)
シュヴァイツアーの自叙伝より
(学生からの評判がよいため、長くなるがあえて掲載)
「確かに、あんたが道を踏み外したのは、あんただけのせいやないと思う。親も周囲も悪かったやろう。でもな、いつまでも立ち直ろうとしないのは、あんたのせいやで、甘えるな!」(大平光代『だから、あなたも生きぬいて』より)
私自身の将来は今この瞬間にある
今ここで頑張らずにいつ頑張る
(大平光代『だから、あなたも生きぬいて』より)
「めんどうみたあいてには、いつまでも責任があるんだ。まもらなけりゃならないんだよ」(『星の王子さま』より)
「人生は思い通りにならないからこそ価値がある」(飯田史彦氏のことばをいただきました)
「自分には、
なまけるな
おこるな
いばるな
くさるな
おごるな、
自戒自守」
(元東大寺管長の清水公照さんのことばを拝借<一部修正>)。
「己れこそ己れの寄るべ、己れを措きて誰によるべぞ、良く整えし己れこそ、まこと得がたき寄るべなり。自らが悪をなさば自ら汚れ、自ら悪をなさざれば自らが浄し、浄きも浄からざるも自らのことなり、他者に依りて浄むることを得ず。」
(少林寺拳法 聖句)
「人間は道徳によって人間となる」
(シュタイナーのことばをもとに、よしだが創作)
講演について
「高知大学時代からシュタイナー教育の講演(ただし、シュタイナー教育の信奉者のような、ただただシュタイナー教育を称賛し、その学校の建設運動に加担するものではありません。しかし、場合によっては、協力は惜しみません。私は、人智学協会会員ではありません)は、原則的に交通費の実費をいただくだけで、全国無料で講演しています。せめてもの社会への恩返しです。」それに加えて、カウンセリング偏重を批判し、もっと健全な教育を語る講演も、お引き受けすることにしました。あくまでも、これらの講演は本務に支障のない限りにおいて行うものですから、いつでもというわけにはいかないことをご了承ください。お問い合わせは、メールでお願いします。
joschida@human.tsukuba.ac.jp
<近況報告>
 
2012/5/9改訂版
1ヶ月ぶりの更新です。
何度も来ていただいた方、失礼いたしました。お許しくださいね。

ようやく、本の原稿の草稿ができあがりました。
それで、戒厳令を解除いたします。
忙しそうなので、連絡を控えていただいていた、心の優しい方もいらっしたと思うのですが、もう大丈夫なので、遠慮なくメールをお送りください。
この連休は、5月3日から6日まで、車で奈良に帰省しました。戻るときは、新東名で帰ってきました。確かに、できたてで、きれいでしたね。でも、どこのサービスエリアも混んでいましたね。
今日は、午前中に会議が三つ、昼間に授業を1時間やって、再び会議が三つ。そのあと、研究室のゼミ。もう、これじゃー、教育どころか、研究にも支障が出てきますね。こんな状況で、管理職の方々は、どのように教育と研究を両立するようにやってこられたのか、おたずねしたいですね。私のような凡人には、とてもできそうにありません。困ったことです。しかし、そうなると、、苦難があるゆえに、何とかしようとするのが、私の気性。こうなったら、意地でも、今年中に、単著を書いてやるぞ、と思う今日この頃です。「難儀」なことを、「悩み」という言葉にすり替えると、心の専門家の餌食になってしまうのです。苦難は試練と捉え、「悩み」に還元しないことが、吉田流の生き方です。だって、「難儀」を乗り越えないと、次の課題、「門」が見えてこない、というものですから。このあたりの話は、エンデの『はてしない物語』の中で、書かれていることです。
でも、まもなく昨年に書いた編著の編集・校正の仕事が来ます。でも、なんとかなるでしょう。その本も、今年中に刊行する予定です。
また、金曜日の夕方に関西、正確に言うと、午後9時頃に京都駅に出没して、土曜日に大阪で授業をして、日曜日に筑波に戻る予定です。帰りは、いつものように、ドイツで買って来たエコバックの中に、新鮮食品、特に牛乳と茸類・菜っ葉類を詰め込んで帰ってきます。実は、その合間をぬって、関西に行ったついでに、日曜日にある講習会に出席して、勉強して帰ります。今回は、車だったので、その種の食品のみならず、20リットルの水タンクを3個に、生駒山から出る湧水をいっぱいにして持って帰りました。だって、水道水は心配ですから。
ところで、最近、勉強を教える側にまわっていると、勉強する側になって、いろいろ質問するのは楽しいものですね。若い頃は、教えてもらうことなんか、いやだったのに、歳をとると、人間というのは、おかしな動物だなと思いますね。何を学んでいるか?それは、企業秘密です。関西に行くと、その機会に勉強して帰っております。1年後に、お知らせしましょう。おそらく、よほどの変わり者でない限り、大学教員が学ぶことではないものでしょう。でも、私は、変わり者の大学教員ですから、許されるでしょう。もちろん、そこでは、大学の教員であることは内緒で、普通の60歳前のおっさんで通そうとしていますが、指導する人が、「先生先生」と呼ぶので、何か教える先生だとは気づかれています。でも、できるかぎり、ばれないように、こっそり勉強させてもらおうと思っています。いまは、「学ぶことを止めた人間は、教える資格がない」をモットーに、がんばりたいと思っています。そのサークルのメンバーの大多数は、大学とは縁のなさそうな人が多そうな雰囲気で、研究者でない人との交流は、それはそれで気持ちのいいものですから。そうそう、研究者でない人で思い出しましたが、この忙しい合間をぬって、ふとした機会があって、文部科学省で平野文部科学大臣にも会ってきました。いつもテレビでしか見ませんが、会って話すると、普通に話できる人なんで、ほっとした。とにかく、普通の庶民の方や、いつもめったに出会わない大臣のような方と会ってお話しすると、世界が広くなった感じがします。いろいろな方とお会いするのも、なんでもかんでも、よい社会勉強だと思っています。最近は、駅のトイレ掃除される方と、「ご苦労様です」と言ったあとで、よく世間話をします。これも、勉強になり、目が開かれます。だって、人のいやがる仕事を、1時間1000円ぐらいの報酬でがんばっておられるのですから、ただ者ではないでしょう。頭が下がる思いですね。
このあいだは、建具屋さんの方にお世話になり、人間の見方がまた変わりました。実は、5月1日の真夜中、布団の中で寝ていると、足下で不審な雰囲気。思わず、電気をつけて見たら、私の足首の上を20センチくらの長さのムカデがいるではありませんか。思わず、驚いてふるい落とすと、ムカデさんも驚いて、布団の上を逃げるではありませんか。手で押さえるわけにもいかず、上布団で押さえて逃がさないようにしたとたん、バランスがくるって、サッシに寄りかかってしまい、ガラスをバキンと割ってしまいました。それでも、ムカデを逃がしてはいけないと思い、布団をめくって、本で押さえました。そして、割り箸でムカデをつかみ、ガスコンロで燃やして処刑しました。足は、強くはさされなかったので痛くはなかったのですが、数日間、赤く腫れていましたから、きっと毒針には触れたのでしょう。でも、もう何回もさされているので、免疫ができたのかも知れません。痛くもなく、そのまま当日は寝て、翌朝の2日、家族に事態を伝えて、ガラス修理に向かいました。なにしろ、3日に帰省するのに、縁側のガラスがバリバリでは物騒ですので、建具屋さんに直接にサッシをもっていって、事情を話して頼み込んで、1日で直してもらいました。それもなんと、90センチ四方の磨りガラスを、5千円で直してもらいました。職人の方の親切にほんとうに助かりました。頭が下がる思いでした。人間の在り方について、よい勉強になりました。でも、そのままでは気持ちが収まらないので、帰省の折に、おみやげに大仏まんじゅうを買って来て、お礼に差し上げました。そんなまんじゅうでも喜んでいただいたので、ほっとしました。ムカデに刺され、ガラスが割れて、とんでもない事件に巻き込まれましたが、よい人間関係ができました。また、何かあれば、その建具屋にお願いしようと思うと同時に、教育界では、「人間関係力の育成」とか、人間関係を目的語のように捉えて、「人間関係は作るものだ」と言っていますが、「人間関係はできるものだ」ということをおわかりでないようです。「できるもの」だから、いりいろな体験が大事なのに、「作るものだ」と信じて疑わないのいですから、困った教育界の思考パターンだと思います。
そんなことを、この1ヶ月の近況として思い巡らせてしまいましたが、でも、現実にもどって、研究室の中を見てみると、部屋が、書類で研究できる雰囲気にない、というのが困ったことです。いつか、時間を見て、片付けたいと思っているのですが。日常のこともできない困った研究者です。
まあ、とにかく元気にやっておりますので、ご安心ください。
2012/4/9改訂版
また、新学期早々、忙しくなり、更新が遅れてしまいました。いつのまにか、誕生日が過ぎていきました。
遅ればせながら、近況報告です。
金曜日あたりから急に多忙になりました。
その金曜日は、午前10時から1時間、学内の説明会に参加した後、大急ぎで、私のあまり好きでない文科省に行って、偉い方(秘密)を訪問し、再び大学に戻り、支度をしてから関西に向かいました。そして、夜に10時に大阪の枚方市に到着。翌日の土曜日、関西外国大学で授業をして、日曜日に、大阪である研修会に出席し、自宅に寄る10時に到着。翌日の月曜日の本日、午前9時から入学式に出席するために、大学会館にかけつけました。そのうえ、講堂の演壇の上で、教育学類長として、式の間、30分間、咳もあくびもできず、そのうえよそ見もしないで、静かに座っていました。終われば、新入生と記念撮影会やガイダンスに出席。やっと、解放されて、いま、更新しているところです。
そのうえ、これから、教育学類長としての仕事が出てきたところに、あるところから原稿の催促が来て、ますます大忙しです。そんなわけで、また、その原稿ができるまで、
戒厳令です。
2012/3/25改訂版(翌日、一部加筆)
お知らせ(第一報) 3月2日からイギリスとドイツに出張しておりましたが、無事、23日16時00分、帰国しました。
しばらく日本を離れていたので、ただいま山積みの仕事をするために、土曜日も、日曜日も出勤しています。
そんなわけで、ゆっくり近況を報告できるような時間がないので、折々、ドイツ滞在のお話をさせていただくことにして、今回はその一部だけを報告させていただきます。
今回は、無理をして、長く出張させてもらいました。理由は、これから、しばらくはこのような時間をとれないと思ったからです。
大きな理由は、二つです。
一つは、公的なことで、4月から「教育学類長」(一般の大学で言えば、実質的に学科長ぐらいに当たるものらしい)という役職に就くことになり、これからは長期間、海外出張できなくなるからです。
もう一つは、個人的なことで、私の親がほとんど完治しない病気になっていることがわかり、今後はいろいろな難題が起こりそうなのですが、とりあえず、高齢ということもあって、病魔の進行も数ヶ月でどうのこうのという段階にはならないということで、今の時期に行っておこうと思ったからです。
そんなわけで、同僚の先生方にはご迷惑をおかけしたと思うのですが、ここは許していただこうと思い、計画通り決行させてもらいました。
昨年は、大地震と津波の結果、原発が爆発を起こしているまっただ中にドイツに出かけたのですが、今回は、かなり普通の出国で助かりました。今回は、めずらしく、イギリスで研究資料を収集してから、いつものドイツのニュルンベルクに2週間あまり滞在していました。
去年は、異常な事態でしたが、今回はかなり落ち着いて滞在できました。昨年は、ほとんど毎日のように、日本の原発と津波の報道がテレビでされていましたが、今年は普通に戻っていました。しかし、昨年の余韻は、やはりちょうど1年後ということもあって、ありました。
確か、3月8日ぐらいだったと思うのですが、福島の報道がありました。昨年は、日本の放送とまったく違い、戸惑いましたが、それほどではなかったものの、やはり日本の放送内容とは違いました。昨年は、日本の放送では見たことがないシーンが繰り返し映っていて、驚きを超えていました。何しろ、あれから1年間、日本にいましたが、その日本の映像は一度も日本では見ることのないものでした。たとえば、人が津波にのまれていくシーン、2号機と3号機の原発がキノコ雲のようなものを吹き上げて爆発する瞬間のシーンなどです。それに比べると、大きな差はないにしても、やはり論調は明らかに違っていました。
ドイツの放送では、その後の処理について意見が分かれていて、なかなか順調にはことは進んでいないというものでした。あるレポーターが、日本では、政府やマスコミに対して「誠実さ」が失われている、という指摘をしていましたが、なかなかズシリと重いものでした。そんな指摘のある中で、日本政府が流しているのか、しばしばあちこちの番組のコマーシャルで、「みんな日本人はがんばっています。みなさんの援助を感謝しています」というコマーシャルが流れるのですが、ちょうど、震災直後の日本で流れていた、広告機構の「がんばれ日本」と同じような雰囲気で、なにか違和感を私は覚えましたが、今回のドイツ人向けのコマーシャルがドイツ人にとってはどうだったのかは聞きませんでしたが。
しかし、今回も感じたのですが、日本にいると、日本は成熟した民主主義の国だと思うのですが、ドイツにいると、日本は未成熟な社会主義の国に見えてしまうのです。理由はわかりませんが、立つ位置が違うと、同じものを見ていても、違う形に見えることと同じなのかなと思ってしまいます。今回は、空港の出来事でそんなことを思いました。ご存知のように、日本では、成田空港の反対者や不審者が空港に入らないように、ターミナルの入る前に厳重に警備をしています。日本にいると、その歴史的経緯を見れば、仕方がないのかなと思って見て納得しています。ところが、ドイツでは、フランクフルトの空港ターミナルの中で、「フランクフルト空港を閉鎖しろ」と、鳴り物を鳴らしながら数百人でデモ行進をしているのです。カウンターのすぐ横を行進しているのです。それをカウンターの従業員は見ているだけで、それより後ろに警察も見ているのですが、それだけなのです。また、デモ隊も、カウンターとビルの入り口の間をプラカードを掲げて騒いでいるだけで、1回、その場所を端から端までデモを行うと、出口から消えて行くのです。つまり、それ以上の妨害行為はいっさいしないのです。日本では、路上のデモでも、警官が張り付いて歩いて、なにかあるとすぐに検挙していますが、それとは対照的に、余りの寛容さに驚きました。最初は何かのコマーシャル活動かと思ったくらいで、看板を見て、空港反対デモであることがわかるぐらいでした。そのくらい寛容というか、警備する側もデモをする側も、節度を心得ているようでした。批判者に対しても主張をさせてあげる寛容さがあるのです。また、主張者も、それを節度のもとで行えば、調子に乗って暴走することもないのです。日本では、成田空港のビルの中で、デモが許可されるなどありえないことですし、もしそうなれば、またデモのなかの誰かがおかしなした暴走行為をしてしまい、空港の機能がマヒさせられてしまいそうです。だから、警察も成熟した大人なら、デモも成熟した大人という印象を受け、根本的に社会の成熟度が違うんだろうと思ってしまいました。
同じようなことは、何度も見ました。フランクフルトの欧州銀行の前に、ユーロ反対者が、テントを20以上張って、ユーロ廃止を訴えていましたが、警察はほとんどいませんでした。また、ニュルンベルクの町の広場でも、肉食反対で、動物虐待を200名ぐらいで訴えていましたが、警察は、数名で遠くから見ているだけでしたし、デモの方もなにやら拡声器で主張し、ビラを配ってどこかに消えて行きました。今回は、用事がなかったので、このホームページの最初に掲げた写真の場所であるシュトットガルトでは、原発反対のテントはどうなっているかわかりませんが、今は、その中央駅の改築をするか否かで、とてももめていると聞いています。でも、逮捕者が続々と出ているという話は聞いていません。
でも、そうは言うものの、ドイツは決して寛容で自由な国ではなく、ある場面になると、びっくりするくらい厳しくなります。ビザを収得するするときなんかは、ここまで厳しくやるかと思ったのは、5年前でした。その話は、ここではしませんが(私の喉元あたりには、「お前等はナチスか」「ドイツ人はホロコーストを忘れたのか」などという暴言が出る寸前まで来ていましたから)、空港の件で言うと、たとえば、飛行機に乗り込むチェックは、とてもここまでやるかというくらい厳しいです。日本の空港では、私は、そもそも、まず金属探知機で鳴ったことはありません。それに対して、ドイツでは、機械で鳴らないことは私はほとんどなく、鳴ると、股を開いて、全身チェックが待っています。体中、kピーピーなる機械だけでなく、手で触られます。今回は、絶対に鳴らないようにするために、ベルトを外し、コインを一枚もポケットに入れないで突破しようとしたのですが、非常にも「ブー」です。横に連れて行かれ、触られまくり、今回は靴まで脱がされる始末。結局、私の靴が反応しているらしく、靴だけをX線に掛けられ、それでようやく突破しました。散々でした。いま、履いている靴には、金属が埋め込まれているのでしょう。この靴は、もう外国には履いていかないようにします。
そんなわけで、散々なドイツ出国となりましたが、久しぶりに、日常のことを忘れ、ドイツで研究のことで専念できたことは、よい気分転換になりました。これでもかというくらい、ドイツのソーセージとパンを食べて来ました。ビールとグミ、そしてチョコレートは、思わず、重いけれど、持ち帰って来ました。気分がすぐれないときに、ドイツを思い出しながら、それを飲むかと思っています。それで、心の病気にならないだろう。絶対に「心の専門家」の餌食にはなるまいと、今日も「教育の専門家」は誓うのでした(笑)。
今、研究室にお土産のおかしが一部あります。早く、研究室に訪れた方には、少しお裾分けをいたしますよ。日本では、売られていないハリボーのグミが、今ならあります。無料で差し上げますよ。このグミを袋から出して、占いをすれば面白くて、「心の悩み」など、すぐに解消するかも。これは、「グミ占い」と言って、昨年から、芸能人の中では流行しているそうです。ウソと思う方は、「グミ占い」と検索してみてください。しかし、私の持ち買ったグミは、そんなクマのどこでも手に入るグミではなく、この季節(イースターの季節)の限定品なので、霊力は抜群かもしれませんよ(笑笑笑、冗談冗談)。笑って、心の悩みを癒しましょう!!! 笑いは、健康の第一歩。
「心の専門家」のように「内向き、下向き、後ろ向き」になるのではなく、どちらかと言うと、未来に向けて「外向き、上向き、前向き」に生きたいものです。
その意味では、筑波大学のキャッチフレーズを宣伝するわけではありませんが、
IMAGINE THE FUTURE
何よりも前向きで、いいではありませんか!!!!
2012/3/2改訂版
すいません。更新する時間がありません。
元気にやっておりますので、ご安心ください。
本日の昼間に、海外出張でロンドンに向かいます。その後、ドイツのニューロンベルクにまわって、3月23日の夕方に日本に戻る予定です。
その間、更新はできませんが、ご容赦ください。
なお、メールは海外でも読むことができますので、なにかあればご連絡ください。
行ってきます 
2012/2/7改訂版
もうだめだ!! 仕事が、ブッキングのブッキングだ!!!
戒厳令発令!!!(涙)
何としても、すべての仕事を済ませて、3月はドイツに出張しなくては!!!!!!!!
元気では生きております。
2012/2/3改訂版
最近、何という仕事をしているわけでもないのに、忙しくしております。
それで、このページの更新もついつい不定期になってしまいます。申しわけございません。
あれこれ忙しいことの一つの言い訳を許していただければ、明日のシンポジウムの参加があります。
はずかしいので、前日まで、私自身は内緒にしていましたが、まだ空席があるようなので、もしお暇で、出席してやろうかと思われる方は、東京の東洋大学の講堂へ足を運んでください。当日参加でも、大丈夫です。大学生に語る場面とは違うノリで、世のお父さんお母さん方に話してきます。私自身の語る時間は、おそらく15分もないと思いますが。
ただし、このポスターははずかしいので、数日後、削除される予定です。
今日の更新は、このお知らせだけにさせてください。
すいません。何度やってもうまく映像がスキャンできません。
ここまで、書いて申しわけございません。↓
お許しください。
内容は、13時から、東洋大学白山キャンパス井上円了ホールで、公開シンポジウムが行われて、13時から17時までです。参加料は1000円です。
2012/1/27改訂版
急用ができ、土日(28、29日)は関西に行ってきます。
論文を書かねばならない身なのですが・・・・。
(なるようにしかなりません)
両日とも、12時頃に京都駅を通過する予定です。
唯一の楽しみは、京都駅で安価な立ち食いうどんを食べることでーーーす。
          
元気に生きております。
2012/1/6改訂版
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
無事、31日に奈良に車で向かい、3日に無事故で筑波に戻ってきました。
往路は、中央道が混雑していなかったので、混んでいる東海道を避けました。
10時前に出発し、諏訪湖のサービスエリアで午後2時に到着し、そのまま南下して岐阜羽島ICで午後4時過ぎに下り、そこから桑名ICに向かい(探検を兼ねて多度神社を経由して行こうとしたが、神社を越えてから少し迷いまして)、奈良の実家には7時30分に到着しました。10時間近い旅でした。2日に、とりあえず午後0時に、信州に向かったのですが、やはり関西でたこやきを食べておく必要があったと思い、「あほや」という店で12個を買いました。それから亀山ICから四日市ICまで渋滞で、国道を走ることになりました。今度も、多度神社を目ざしたのですが、途中まで来たところで、初詣で混んでいるかもしれないと思い、道を変更したら、また迷いました。しかたがないので、関ヶ原ICに向かい、そこから一宮ICに向かったら45分の渋滞に引っかかりましたが、それ以外に渋滞もなく、大町市に午後7時30分に着きました。そこで一泊して、翌日の午後1時に出発して、豊科ICに向かっていたところ、穂高あたりで、車の上空を鳥がとびました。
思わず、シャッターを切りました。
これです↓
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そうです。白鳥の一団でした。その一団が降り立ったところに行くと、こんな感じで、何人もの人たちが白鳥を見に来ていました。


このあと、安曇野のどら焼きの店に向かいました。そこは、知る人ぞ知る、井戸水がわき出ていて、その水を20リットルのポリ缶に入れて筑波に午後3時30分豊科ICを経由して、その後、遠回りですが空いている、長野・軽井沢・伊勢原・宇都宮を経由して、益子ICで下りました。帰り道、ラーメンを食べてから自宅に戻ると、午後9時でした。
4日から、大学に来て、仕事をやっています。昨年からの仕事がたまっています。
ようやく、今日、筑波大学附属小学校の初等教育研究会の月刊誌『教育研究』3月号(2月10日発売)の校正が終了しました。次は、本の編集です。ほぼ3分の2の編集は終了したのですが、あとは残りの3分の1と、「はじめに」と「おわりに」の原稿を書かねばなりません。大震災のドサクサにまぎれて、半年以上、出版が遅れています。編集の方が、まもなく催促に来るでしょう。もう少しもう少しで2ヶ月待たせたので、3ヶ月で限界かと思っています。それが終わると、研究室紀要の原稿、そして、次の本の編集とその原稿と、2月一杯まで大忙しです。とにかく、これらを済ませて、それからドイツに出張しようかと思っております。がんばらねば。体の病気、こころの病気など、そんなことにつきあっておられない今日この頃です。放射能や消費税問題など、気にしている暇もなさそう。そうは言うものの、外国からの情報によると、ここで大きな地震でも来て、その拍子に、福島原発の4号機の1500本以上の燃料棒が落ちようものなら、臨界に達していよいよ危ないそうだから、すぐに逃げなくてはと思っていますが、まさか大丈夫だろうと思いつつ、これ以上、悪いことは日本に起こらないようにただただ祈っております。もう、災害はしばらくはけっこうです。
授業は、来週から始まります。
では、また。
2011/12/30改訂版
アッと言う間に、1年が過ぎました。今年は、3.11大震災で、自分でどんな研究上の仕事をしたのか、さっぱりわかりません。内向きになって、「本当の自分は?」「自尊感情がどうか」など、考えて過ごしている人の気がしれません。これほど、外的なことで、とんでもないことが起きてしまっては、私はとても内向きには生きられそうにはありません。なにしろ、これから何万年、何億年以上は、日本は低放射能時代を送らなければならない情況に陥ってしまったのですから(プルトニウム239の半減期<半分になる年数で、無くなる年数ではないですよ>は、2万4千年、ウラン238は45億年)。何しろ、子どもの代とか、孫の代とか、などの世界ではないのですから。そのうえ、お世話になった人や、知人が他界したりで、あっけに取られています。したがって、今年の最後に、どのような近況を記せばよいのか、さっぱりわからないのが現状です。それでも、今、頭の中をよぎっていることを記して、今年の締めくくりとします。
まずは、放射能のことです。現在の専門が教育学、特に道徳教育ですから、放射能関係は、まったく無縁の世界で生きています。それだけにまったく素人なんで、間違ったことを言うかも知れませんが、私の感覚では、放射能の汚染を駆除する、高圧の噴霧器みたいな物で除染作業がなされているのをしばしばニュースで見かけますが、あれはどれほどの放射性物質が取れているのだろうかと思ってしまいます。もちろん、いくらかは取れるというのもわかりますが、どうも私の感覚では、納得できないのです。素人が納得できなくても、それで綺麗になっておれば何の問題もないわけで、私の取り越し苦労の話で終わりですが。これは、もちろん道徳教育的な感ではなく、私の忘れかけている過去の経験から来る感なのです。どこかで書いたかもしれませんが、実は、私は、これまでこんな道徳教育とか、教育とかを、ずっと興味を持って来たわけではないのです。ここで過去を知らない人のために白状しておきますと、少年時代から悪ガキであまり勉強はしてこなかったのですが、中学校を卒業して国立工業高等専門学校で主に化学工学をやっていました。そこで、それがいやになって3年で中退するのですが、浪人して勉強をさせてもらえる環境でもないので、このままでは中卒の学歴になるので、とにかく入れそうな奈良教育大学に進学するのです。うまくギリギリ飛び込めたのですが、もともと勉強は嫌いだし、どちらかと言えば理系であったのに、ある綺麗な女の子がいるということで、社会科の日本史を専門にしました(何とお粗末な動機かなーーー)。しかし、もともとそんなものに興味もないし、しぶしび古代・中世・近世の書物を読んでいるだけでした。その結果、卒業研究で困ってしまいました。することもないまま、サッカー部で主将をやっていたのですが、そのときにたまたまサッカー部の部長であった物理学の市川米太先生に、卒論のテーマが決まらないのであれば、私の研究室に来ていっしょにやらないかと誘われました。先生は、物理学の先生でしたが、物理学の知見を生かして、古代の土器の年代測定や産地同定を研究されていました。そこで、形式だけは、日本史を遡ったら、考古学になってしまったことにして社会科に籍を置きながら、補助的に市川先生の指導を受けるというかたちになりました。もともと理系ですから、こちらのほうが文献を読むよりも向いていまして、年代測定や産地同定(成分を分析して、産地を特定すること)をやりました。たまたま、そのときに発掘されていた纏向遺跡(今や、邪馬台国の卑弥呼の墓ではないかとも言われている遺跡です)現場に行って、土器の破片を持ち帰り、産地を探る分析をやりました。そして、それを卒業論文にしました。そのころ、物理学教室の助教授であった長友恒人先生(現在の奈良教育大学の学長先生です)が、私の研究成果を発展させて、論文にされました。そのときに、私の名前を加えて、共同研究の形にしてくださいました。テーマは、「エネルギー分散型螢光X線分析による土器の産地同定の試み」でした。その証拠に、いまでもインターネットを検索すると、その論文名が出て、そこに、長友恒人、吉田武男、市川米太の執筆者の名前が出てきます。
http://near.nara-edu.ac.jp/bitstream/10105/352/3/kobunkazai6_1-7.pdf#search='市川米太 吉田武男'
ここに出てくる「吉田武男」は、同姓同名の別人ではなく、いまこそ道徳教育やらシュタイナー教育やらで、世間をお騒がせしている人物の過去なのです。この業績は、自分のその他の研究業績にカウントしたこともないのですが、いま、はじめて公表します。なぜ、公表したかと言うと、「螢光X線」でおわかりのように、私はいわゆる放射線を土器にあてる作業をしていたので、今こそ、放射線とは無縁ですが、過去は放射線を使った研究を1年間していたのです。そんなわけで、実は、若干は、その種の知識があるのです。もう、35年以上前ですので、ほとんど放射線の知識はないのですが、それを思い出しながら書くので間違っているかも知れないと思いつつ言うと、セシウムという元素は不安定で反応しやすかったのではなかったろうか。つまり、反応しやすいというのは、常温でも簡単に何かと反応して、化合物になって安定するものではなかったろうか。さらにいえば、単体では存在しにくく、すぐに化合物になるのですから、何かと出くわすと、反応・化合して、いわゆる物質に染みこむようなかたちになってしまうのではないだろうか。そこからイメージするのは、鉄に塩水が触れると、鉄がやがて酸化して錆びてしまうように、カリウムやナトリウムが鉄と反応してしまって、俗な言い方をすると塩が鉄に一体となってしまうことです。だから、明日、たぶん、正月は雪道の信州を通るわけですから、そうすると、凍結剤の塩分が車の車体にくっつくわけですが、その塩分が反応するまえに、つまりまだ車体にゴミのようにくっついているときに高圧洗浄機のようなもので取ってしまわないと、しばらくすると、鉄と搬送して錆びてしまい手遅れになります。したがって、私は筑波に戻り次第、翌日には車を洗車機に洗わせるのです。そんなイメージで考えると、もう9ヶ月も経ってしまったのですから、セシウムをはじめ、多くの放射性物質は、表面にこびりついていないで、もうすでに反応してしまったのではないか、もう物質に染み込んでしまって、表面を流しても遅くないのかなと、いう素人発想が過去の得る覚えの知識から導き出されてしまうのです。それが、私の感じの出所です。
もう一つ、世間では消費税論議が騒がしいですが、これも変な感じがしてしかたがありません。この感じの出典は、近年、ヨーロッパに出かけるようになった経験からです。何か、思考が狭く、「木を見て森を見ず」という印象が消えません(日本の道徳教育研究も同じです。日本の本来の特徴は、良い意味でも悪い意味でも、「木を見て森を見ず」だと思うのですが)。もっと、「森」を見て、一定の議論をしてほしいと願っています。その「森」について言うと、消費税の税率ばかりが表に出てきます。税を考えるのなら、所得税や法人税などとも総合的に考えてほしいですし、その消費税も単純化した税率だけを問題視しないでもらいたいと思って、いつもニュースを見ています。
ニュースを見ていると、消費税と言っても、いつも一般税率だけが問題になっています。スウェーデンは25%、アメリカ(ニューヨーク市)は8.38%、ドイツは、19%、イギリス17.5%、イタリアは20%、スペインは16%、カナダは6%などと言われ、日本の5%より高いという言い方です。この言い方は、誤りではありませんが、議論が狭いのです。たとえば、高福祉で教育無料のスウェーデンは、食料品については12%ですし、住宅にいたっては0%の非課税です。アメリカも、一般税率こそ8.38%ですが、住宅と食料品は0%の非課税です。ドイツだって、一般税率は19%ですが、住宅は0%ですし、食料品が7%です。イギリスも、一般税率は17.5%ですが、住宅と食料品は0%の非課税です。イタリアも、一般税率が20%ですが、住宅が4%で、食料品が10%で少し高いです。ところが、よくわかりませんが、農・海産物に関しては、4%となっています。スペインは、一般税率は16%ですが、住宅と食料品が7%で、生活必需品が4%です。カナダは、一般税率は6%ですが、住宅は、2.16%、食料品が0%の非課税です。それに対して、日本は、何でもかんでも5%です。
このような広い視野からの論議が不思議なほど日本ではないですね。これらを見ると、世界の動向として、日本のように、一般税率と住宅・食料品が同じという国は、異様に見えるのですが。諸外国を見ていると、一つの哲学があって、最低限の衣食住は守る、という感じがあるのですが。日本には、明確な哲学がないというのがいかんですね。
こういうところからも感じるのですが、日本の根幹というか、魂というか、なにか筋が通った物がないのですね。そこをきちんと見つけないと、日本の道徳教育にも、魂が入らない印象をもってしまいます。来年以降は、放射能や消費税の問題を越えたものとして、アメリカにはヤンキー魂があり、ドイツにゲルマン魂があるように、日本の魂は何であるかを考えながら、それこそを基底にした日本の道徳教育を研究をしたいと思います(もちろん、私はシュタイナーの言う多血質ですから、あれこれと他の物に手をだしますが)。これまでの研究から、大きく変えていこうと思います。いわゆる脱皮ですね。脱皮しないと、人間は健全に成長しませんから。いつまでも、過去のものにしがみついていると、成長はしませんから。蛙がいつめでもおたまじゃくしでいないように、蝉の幼虫が脱皮しないと空を飛べないように、蛇も脱皮して成長するように、生物は脱皮しないと先がないのですから。人間の体も、アカが出るというのも、脱皮の一種ではないでしょうか。だから、人間の知性も感性も、脱皮しないと腐るだけです。最近、近くの学生を見ていると、いつまでも脱皮できないで、過去の枠組みにしがみついている学生が目に付きます。学部学生で言うと、筑波大学に入学しているのに、不本意入学だったのか、燃えつけてしまったのか、わかりませんが、過去の高校生のままで脱皮できない学生がいます。このような学生は、まず伸びませんし、伸びないで済めばよいですが、もっと悪いケースになることが多々あります。どうして、早く脱皮しないのかと思います。私の経験から言うと、院生も似ています。いつまでも、過去の自分の研究にしがみついている学生がいます。間違いなく、伸びません。それでは、終わってしまいます。とにかく、一からがんばろうとする学生・院生・若手研究者は、多少の紆余曲折があっても伸びますね。
身近な実話をすると、私の研究室に、今年の3月に修士課程を修了して、研究者の道に進まなかった学生がいましたが、この学生は、心理学出身で、道徳教育などの研究ができるだろうかと思っていました。最初から、研究者を目ざすわけではなかったので、気楽に、2年間、勉強してどこかにいけばよいと思っていました。本人も、とにかく大学を卒業して、2年間のモラトリアムを過ごせばよいと思って来たのでしょう。それもありか、研究者養成だけが大学院でもないしと思って、院生の指導を受け取りました。やはり、1年間は、何をやっているか、さっぱり芽がでないようでした。たぶん、心理学から来て、教育学の研究に戸惑っていたのでしょう。しかし、1年も経ち、6月ぐらいになるとメキメキ頭角を現しだし、これで何とか修士レベルの研究論文ができるなと、私に思わせるようになりました。実際に、それからほとんど指導はしないで、小さなアドバイスをするだけでした。出来上がった論文は、このまま博士課程に進んで研究をすれば、確実に博士号の学位を取れるのにと思わせるだけのものでした。そのように可能性がある学生に限って、伸びているわけなので他の可能性も生まれるものですから、他の方向に行ってしまいました。少し、惜しかったですね。私のところでは、博士号を取れそうな学生に限って、修士で終わって就職をしていきます。このような学生に共通するのは、つまり伸びる学生は、過去のことを言わず、そして振り返ることもなく、目の前の課題にとにかく向かう姿勢です。その心理学出身の学生さんも、たぶん1年間、これまでの心理学の勉強とぜんぜん違ったので、戸惑い続けていたのでしょう。少し精神に異常をきたしていたかもしれません。それでも、戸惑う教育学に、前向きに2年で修了すべく、がんばって取り組んでいたのでしょう。入学試験の時に、道徳教育学や教育学にかかわって、付け焼き刃的に語っていた人名や概念や言い回しが、1年を過ぎたあたりから消え、2年後には、私の口から「あれはどうなったのか」、「出てこないなー」と、皮肉的に催促しない限り、その学生から語られることはなくなりました。たぶん、入学したときから進歩したので、自然と、その言葉が出なくなったのでしょう。たぶん、知性が脱皮していたのでしょう。一度も、心理学がどうとか、教育学がどうとか、一度も口走ることなく、自分の関心のある道徳教育のテーマについて勉強し、2年後に、結果的には他分野から来たわりには、りっぱな修論を仕上げて巣立っていきました(大震災で修了式がなかったことや、私がドイツに出張したこともあって、そして就職先の関係もあって、2月末ぐらいから顔を見ることもなく去っていきました)。その学生は、教育学の論文を書いたのですが、私に言わせればやっぱり心理学の勉強をしてきた部分は、隠しようもなく出ていました。しかし、何としても教育学の論文を涙ぐましく仕上げようと意識していることが、実は心理学の知識や経験が背後で無意識的に活きていたように思われます。それがよかったのだと思います。つまり、脱皮を果たそうとしたいたのがよかったのです。
学生のみなさん、脱皮が大切ですよ。ゲーテの言葉を借りれば、「変態」でしょう。私も、歳を取りましたが、過去の業績なんかを忘れて、新しく脱皮した研究を死ぬまで続けたいと思っています。
では、みんさん、良いお年をお迎えください。
私は、あす31日、東名高速の混雑を避けて中央道を抜けて奈良に向かいます。そして、信州経由で、3日に筑波に戻ります。4日に車を洗浄してから、大学に来ます。
    
それでは、また筑波で。大学で。
いつも以上に、十分に推考することなく、頭に浮かぶまま書きました。乱筆乱文、誤字脱字をお許しください。校正する時間がありません。いつものように、ご理解を。
2011/12/26改訂版
ご心配をおかけしていましたが、やっと、原稿が仕上がりました。当初は、15日と22日の締切で、何とか1週間のずれがあるので、何とかなるかと思ったのですが、最初の締切原稿が1週間延ばしてもらうと、次の原稿とブッキングを起こし、結局、二つともさらに原稿の締切を遅らせてもらってなんとか仕上げました。いやいやたいへんでした。それもつかの間、実は12月末の締切が迫ってきます。もちろん、この原稿も11月からまってもらっているものですが、1月にずれ込むのは確実な状勢です。すると、また1月末締切の原稿があるのに、それとブッキングすることになると、次は2月中旬締切の原稿がありという情況で、なかなか暇がみつかりません。それだけ、原稿依頼が来るのですから、ありがたく思わないと、バチが当たると思うようにしていますが、自分の書きたい原稿がまったく書けない状態が続くのは、なんとかしたいなと思っています。最初の15日締切だったのは、筑波大学附属小学校初等教育研究会の雑誌『教育研究』の4頁ものでした。次の物は、学内紀要で、共著です。これから挑むのは、編著の道徳教育の本で、その次も編著のものです。その次の2月は、研究室紀要に載せる論文です。最低、そこまではこなして、3月は昨年同様、ドイツに出張しようと考えています。
せめてもの良い話は、
http://www.meteocentrale.ch/en/weather/weather-extra/weather-in-japan/weather-extra-japan-zoom.html ←スイス気象庁情報
で確かめると、西風が強く、放射性拡散物は、すべて東の太平洋に放出されていて、数日間は、関東方面をはじめ日本本土に来ないからでーーーす。ハワイ方面に向かっているようです。私は、ハワイには行きませんから、安心です。何しろ、東電発表によると、11月中頃で毎時6000万ベクレルが出ているようで(東電が言うのですから、その立場を考えると、少なく言っても多く言うはずがないのですから、その考えるとゾッとします)、毎日、外に出ているのですから、安心できません。カナダの政府が出したらしい世界汚染まっぷによると、
http://blog.alexanderhiggins.com/2011/08/04/canada-government-covered-massive-amounts-radiation-canadian-air-49771/
やはりアメリカやカナダの方に広がっているようで、当事国の日本は少なくすんでいるようです。世界の国のみなさん、ごめんなさい。でも、アメリカに飛んでいくのは、もともとアメリカで開発した原発ですから、なんと因果なのかなと思ってしまいます。
しかし、 Neue Osnabrucker Zeitung といドイツの新聞に10月19日に掲載された、ドイツの小児科医トーマス・ロブ・コルツィリウス博士が言っていた次の言葉はきついですね。
「Strahlen vergisst der Koerper nicht」
翻訳すると、
「放射線を身体は決して忘れない」
心はカウンセリングで解消されても、あるいは記憶から忘れ去られても、身体は決して忘れないで、一生涯にわたって、総和のように蓄積されていくのです。
ずしりと来ませんか。ストレスにならない程度に、気をつけたいものです。
ところで、今日、日本の新聞を見ていると、臨床心理士が国家資格になる、というのが載っていました。ますます、日本の新聞を読みたくなくなりました、というよりもその政策が嫌になります。放射性物質が現実世界では毎日空中に飛んでいるときに、心の世界に感心を向けさせて何をしようとしているのだろうか。まったくそのような人とたちが必要ないとまでは言いませんが(最低人数おればよいのであって)、そんなことにうつつを抜かしている間に、日本の国力や国勢が外に向かず、ますますメルトダウンを起こすだけなのにと思うのです。「過剰な医師と薬は患者を増やす」という諺を忘れて、何に国会議員さんたちは取り組んでいるのかと言いたいです。彼らは、マスコミといっしょで、問題を構築しないと生きていけない人たちですから、、これからもどんどん患者を作っていくでしょう。悩みを喰らう人たちに、引きずられてはいけないと思うのですが、教育学者の動きは鈍いですね。これでは、政治家から、教育学者は相手にされないはずだ。
3.11をなぜ、考えないのだろうか。スピリチュアルの見方をすれば、意味のない現象は起こらないのです。東日本大震災がいま起こるのは、何か意味あることだと考えるのです。日本の最もきれいで自然な東北地方がやられたのは、どうしてなにかの啓示だと考えないのだろうか、となるのです。私には、最後の警告であって、これでもわからないと、とんでもない大都市が大災害に遭うのではないかと思えてなりません。その視点に立つと、今年の1月から2月にかけて、九州の新燃岳が噴火をし始めました。ここは、神話の世界で言えば、高天原という日本の原点で、そこがおかしくなっていたのです。その数週間後に、あの3.11大震災が来たのです。それ以降は、不思議なほど静かになっています。そこから、新燃岳の噴火を日本への啓示と読み取るわけです。これは、まったく科学的な視点からは相手にされません。南九州の噴火と東北地方の地震とが関連しているなんて言えば、科学ではバカにされます。でも、スピリチュアルの見方をする方々からは、ある程度の理解が得られるでしょう。科学と神話、難しい問題ですが。私は、そんな難しい問題に興味がありまして、日本の新聞の臨床心理士関係のものには空いた口がふさがりません。どこまで、ケアの大好きな、アメリカンカルチャーに影響されてと、呆れてしまいます。私は、もっと、日本の伝統文化や文明に目を今こそ向けるべきだと思っています。江戸時代に本居宣長という偉い人がいましたが、周知のように、この人は古事記を研究しました。日本の原点を調べようとしたのでしょう。おおざっぱに言えば、その時代は、唐(いまの中国)の影響を受けて、儒学的な唐の国のものに心が奪われる傾向があったのでしょうが、それを本居は「からごころ(漢意)」として批判し、「やまと心」を取り戻したかったのでしょう。私には、現代のケア文化というか、アメリカンカルチャーというか、それらが、本居が物事を虚飾によって飾りたて、様々な理屈によって事々しく事象を正当化したり、あるいは不都合なことを糊塗したりする、はからいの多い態度を「からごころ」と呼んだことと、写し絵のように思えてならないわけです。古代や中世もないアメリカという国の文化に、どこまで毒されたから気が済むのかというのが、私の最近の問題意識です。アメリカは、アメリカ文化であってよいのです。ドイツは、ドイツ文化でよいのです。問題なのは、長い間培われた日本の文化や伝統を忘れしまい、他国の文化に隷従する、誇りのない日本がいやなのです。しっかり、日本人の魂とは、最近の言葉で言えば日本人のDNAとは、何かをつかんでほしいのです。世界に向けてグローバルな世界に直面する今日、何で心を内向けにする政策をとるのか、まったく理解不能です。もっと、日本人はこれ以上内向きにならず、外向きに生きないと生きていけないと思うのですが。
何か、わけのわからないことを書いてしまいました。わけのわからないのは、私の頭が悪く、整理されていないためです。これを書けるようになったのが、近況報告と思ってください。
30日までは、筑波にいます。
* そうそう忘れていました。明るいニュースは、筑波大学のラグビー部が、大学選手権でベスト4に入ったようで、1月2日、国立競技場で対抗戦1位優勝候補の帝京大と当たります。たぶん、勝てないでしょうが、よくやったものです。ここまで来るには、明治大か、慶応大か、早稲田大のどれかを倒さないと勝ち進めませんが、あの明治大を僅差で破りました。たいしたものです。確かに、最近、体育学群の授業をしていても、不真面目なラグビー部員は減ったなーとは思っていましたが8一人だけ、授業をこっそり抜け出す、学生がいましたが)。この大学で授業していると、以外とつながっているなと思うのは、そこの部員の態度がよくなってきたなと思うと、不思議なほど、その部の成績も上がってくるのですね。最近では、5年ぐらい前から、女子バスケット部員の態度がよくなっています。今年は、関東では優勝しながら、全国大会で3位だったようですが、なかなかよいのです。5年から8年ぐらい前は、アメリカンフットボール部が悪かったですね。でも、最近は、悪いのが、良くなったとは言いませんが、かなり悪くは目立たなくなりました。たぶん、成績もよくなっているはずです。昔の面影がないのでは、男女とも、陸上の長距離です。昔は、良い学生が多く目立っていましたが、最近は、良いも悪いもなく、存在自体があまりないようになっています。がんばってほしいものです。以前は、私が敬服するような学生がけっこういましただけに、寂しいです。サッカー部(正式には、蹴球部)は、2年前あたりを底に、かなりよくなっていると思いますが、いまいちです。がんばってほしいものです。監督さんは、風間さんで、総監督が浅井さんで、両者とも知っているだけにがんばってほしいものです。このホームページでどこかで書いたと思いますが、風間さんは、私がはじめてドイツに出かけた時に、ドイツのプロリーグのレバクーゼンに日本人3人目として移籍されたときでしたが、練習を見学させてもらい、下宿にもおじゃましました。そのときにハンカチにサインしてもらったものがどこかに消えていましたが、3.11大震災で研究室がぐちゃぐちゃになったとき、片づけているうちに、そのハンカチが出てきました。浅井さんとは、筑波大の大学院時代に、当時の蹴球部監督の松本光弘先生に頼まれて、いっしょに竹園東小学校の少年サッカーの指導をやった仲です。だから、どこの部より応援はしたいのですが、とても多いこともあるのですが、部員さんがいまいちなのです。ただ、一人だけ、2年生の一人の選手だけ、輝きを放っていたのはわかりました。いまJリーグの名古屋グランパスにいる藤本選手よりも、FC東京の平山選手よりも、まだ輝きが強い気がします。たぶん、これまでの私の経験では、ユニバシアード日本代表、Jリーグには行くでしょうし、うまくいけばオリンピック代表あたりまで行くかもしれないですね。そろそろ、オリンピック代表のサブメンバーや候補選手になっても不思議はないと思うのですが。そんなことを言うものの、まだ、彼のプレーは見たことがないですが、授業中の態度で、以外と選手としての可能性が見えるのが、体育学群の学生のおもしろいところです。怪我をしないでがんばってほしいものです。この言い方と願いは、いま全日本の男子バレーボールに日本代表選手の石島くん、以来ですね。石島君よりは、2年生の時点では、輝きが少しないようにも見えますが、がんばってほしいものです。イニシャルだけでもここで公表してあげてもよいのですが、彼に迷惑になったらいけないので、黙っておきます。
スポーツ関係で残念なのは、今年も箱根駅伝に筑波大学が出られないことです。私に長距離の陸上部にかかわらせてもらったら、絶対に箱根駅伝につれて行ける自信はあるんだけどなーーーー。声がかからないからダメだが。陸上をやっていたのですか、という質問が来そうですが、ありません。私の念頭にあるのは、この大きな顔を活かして(笑)、いや人間関係の強さを活かして、全国の高校の教師たちに呼びかけて、毎年10名ぐらいずつ、埋もれた逸材を捜せば、何とかなるでしょうという目算だけですが。これは、単なる机上の空想と笑われるかもしれませんがね。
乱筆乱文、誤字脱字をお許しください。校正する時間がありません。いつものように、ご理解を。
2011/12/16改訂版
スイス気象庁の情報によると、今週末は北西からの風が強く、放射性物質が出ていても、太平洋に飛んでいくようなので、別に心配して逃げなくてもよいのですが、いつものように土曜日に関西で授業をしてきまーーーす。極力、北北東の風が吹かないことを祈っております。とにかく、今年3月の事故直後のように、太平洋に向かって向かって吹いてほしいものです。遅くても、日曜日には、つくばにもどります。今回も、生鮮食品を買って帰る予定です。最近は、淡路島のレタスがこちらのスーパーに売られているようなので、今回はレタスはやめておこうと思っています。定番の茸と卵は買ってこようと思っています。それから、前回は、京都のTソースを買ってきたので、今回は神戸のソースを買ってきたいものです(私は、ソーズ好きで、冷や奴以外のものはほとんどソースでOKなんです。家では、天ぷらにもソースをかけますので、冷たい目で見られていますが。だって、天つゆのようなものは小さい頃から実家にはなく、みんなソースをかけて食べていましたから。貧しい品のない暮らしぶりがばれてしまいますが)。
戒厳令を出しているのに、矛盾しています。実は、15日の締切に間に合わず、頼み込んで1週間、締切を延ばしてもらいました。いけませんね。関係者にご迷惑をかけてしまって。今回だけは、許してもらいたいと思っています。関西で原稿を書いています。
木曜日に追試を実施しましたので、採点もしなければいけません。
12月に、本の編集もしなければならないことを忘れていました!!! 関係出版社の社長、お許しください。
本当に、無事、正月を奈良で迎えられるでしょうか。心配になってきます。大学には、12月28日まで、平日はもちろん、休みの日も出勤していると思います。
日曜日に、私にとっては、ここ数十年、1年に一回だけ、テレビ観戦する唯一のサッカー試合があります。これだけは、原稿を書くのをやめて、日本選手やアジア選手には、足下にも及ばない1流プレーヤーが、真剣に(ここが大事なんです。親善試合では、手抜き、いや「足抜き」の試合ですから、みてもプロレス興行にしか見えないのです)、ぶつかり合いますから、まるで芸術的な活動に見えます。たぶん、順当に行けば、バルサの圧勝でしょう。でも、サッカーは、なでしこジャパンと同じで、弱い方が点を入れると、わけがわからなくなりますので、番狂わせも否定できませんが。気がかりなのは、下手な日本の審判の登場だけです。私が1年に一回しか見ないサッカーの芸術作品を、あなたのおかしな笛でつぶさないでもらいたいものです。外国語がわからない日本の審判は、情況が読めません!スペイン語がわかれば別ですが。
では、今日はここまでで失礼します。
師走です。お互いにいそがしいですが、がんばりましょう。
苦難を乗り越えることで人間は成長するのですから。
これまで何の関係もなかった人に相談しても、クラブのママさんにぼやいているようなもので、そのときの気分は晴れても、現実の解決につながりません。相談したいのであれば、常日頃から、そのような人材を自分のまわりに、面倒であっても(面倒がらずに話を聞いてあげていることです)、保険のように作っておくことでしょうね。それがお互い様です(「お互い様」とは、いい日本語ですね。日本の道徳教育では、西洋のおかしな道徳的価値を教えるのではなく、「お互い様」を教えればよいのです。次回の学習指導要領では、日本の価値、たとえば「お互い様」とか、「お陰様」とか、を内容項目に入れるべきです、と私は主張しようと思います。そんな主張をここで言っていてもしかたがないので、早速、来年の2月には、あるシンポジウムで、そのあたりを主張して行動に移す予定です。道徳教育の非主流、傍流、異端の私は、御用学者とは違った行動をしますから、お楽しみにしてください。もう少し、計画が固まるまで、お待ち下さい)。その面倒さを避けて、好きなように生きておきながら、都合の良いときにだけ、相談者を捜すような、自分勝手な生き方は避けるべきではないかと思うのですが。
2011/12/9改訂版
今日は雨がパラパラ降った寒い日でした。最近は、雨が降り出すと、ついついこのホームページに示されているスイス気象庁のホームページを見てしまいます。
http://www.meteocentrale.ch/en/weather/weather-extra/weather-in-japan/weather-extra-japan-zoom.html
つまり、放射能汚染の可能性の強い雨か否かを見るためです。あくまでも、予想に過ぎませんが、でも気になるのです。今日明日の状況は、太平洋に飛んでいったいるようで、日本にとってはたいへん喜ばしいことです。思わず、ずっと、この状態であればよいのですが。でも、これをアメリカの人たちが見ると、不安がったり、怒ったりするかもしれませんが。なにしろ、今年の東日本大震災後に、ドイツに滞在しているとき、このような拡散状況が現れてていて、当事国の日本は騒いでいないのに、アメリカの人たちがヨウ素剤を求めてパニクっているアメリカの映像をテレビで見たいたのを思い出すのです。お隣の中国は、なぜか食塩を買いあさられていたときです。そのとき、私は、まさに日本にとって神風だと思って、その拡散予想映像をテレビで見ていたことを思い出されます。それほど、似た方向に拡散していました。とりあえず、よかった、としておきましょう。これからは、北風が吹いてきて、いやな状況になるかと思いますので、良いときぐらいは素直に喜んでおきましょう。
報告です。
11月16日の改訂版で、次のようなことを書きました。
「いつも、人に話ばっかりして放電しているようなものなので、明日はノーベル賞受賞者の講演会に夕方行って、勉強してくることにします。」
この方について、誰かと言うことを伏せてきましたが、もう支障がないだろうと思いますので、この機会に報告しておきます。なぜ、その気になったかというと、今日、民放でこの方がテレビに出演していたので、ふと思い出して、報告しておくかと思っただけです。この方は、益川敏英氏です。実は、この日は講演会の後、益川さんと別室でお話ができる機会が、主催者の方からとっていただけるということでしたので、もうこんな機会はまずないだろうと思って出かけたのです。講演の後、5名ぐらいで2時間以上お話を刷る機会を得ました。いろいろと、疑問に思っていたことを質問させていただきました。原子力問題から教育問題まで、いろいろと話をさせてもらいました。その一つは、益川さんは、ノーベル賞の授賞式のときに、日本語で挨拶されたので、「小学生から、英語を学校で勉強するようになったのですが、どう思われますか」などと聞いてみました。ノーベル賞を取るような方は、なにか違うものがあるわな、と思わされた数時間でした。特に、益川さんに会いたかったのは、いつかホームページで書いたことがありましたっけ?最近、物忘れが多くなってしまったのですが、・・・・。実は、理由があるのです。益川さんとは、私のいとこを介して、遠縁に当たるようになっているからなんです。実は、一人のいとこの女性が、益川さんの息子さんの結婚相手というような、まだ顔も合わせていない遠縁の関係なんで、何か親近感を覚えて(相手は、ヘンな親戚が増えてご迷惑だなと思っているかもしれませんが)いつか好奇心で会いたいなーと思っていたのです。
昨日、2学期のテストの採点が終わり、事務に報告しました。評価に対して、質問のある学生は、ご遠慮なく言ってもらってけっこうです。調査をしますので。
筑波大学では、12月から3学期が始まりました。ますますいそがしそうになりそうです。とりあえず、12月15日締切の月刊誌の2月号の原稿を、仕事の合間をぬって仕上げます。そんなわけで、土日も、大学の研究室に来ております。
10日午後10時、空の月は月食で形を変えているのに、私の原稿は今日はいままで一文字も書けず、資料とコンピュータを睨みながら、頭をかいているだけです。キーボードの間に、フケがどんどんたまっていきます(もう、汚いなーーー)。このままでは、たいへんです。
ピンチです。
とにかく、これからキーボードを、「ああああああ」とか、何かの文字を打ちまーーーーーーーす。
文字が書けないので、気分転換に、お呪いを兼ねて、壁紙(バックの背景)を替えてみました。
数日の間、戒厳令発令!!!
つぶやき(11日)
でも、11日の日曜日、今日もがんばっているが、さっぱり進まない。ウルトラピンチでーーーす。
それこそ、テレビでサッカーを見ることなくがんばっているのですが。
何か、ワールドクラブ選手権で、柏がPK戦で勝ったという一報をインターネットで知りました。
この大会は、かつてのトヨタカップですね。ヨーロッパのクラブチームNO1と南米のクラブチームNO1が、中立国の日本で試合をやるものでした。
ところが、最近は、集客集めだろうが、他の地域の代表が選出されてカップ戦を行うようになった。でも、いろいろやっても、結局は、ヨーロッパのクラブチームNO1と南米のクラブチームNO1が決勝で当たることになるだけで、他の試合は大会を盛り上げるための前座の試合です。だから、私は、いっさい見ません。一度だけ、かつてガンバ大阪が3位決定戦に出て勝ったときの試合を、見てしまいました。すると、アナウンサーが監督に、「世界で3位ですよ」と、盛り上げているインタビューを視聴してしまったとき、「嘘を言って日本国民を騙すのはいいかげんにしろ」と思って、自国びいきで、不愉快な思いをしたことがあります。たまたま、この数チーム集まる大会で、他のチームよりも強かっただけで、ヨーロッパや南米には、日本のチームよりもはるかに強いチームが数え切れないくらいあるのに、何を言っているのかと日本のテレビ放送に呆れてしまいました。だって、この大会に、ドイツリーグで優勝したチームも、ヨーロッパ代表でほとんど来ません。だって、ヨーロッパでは、ドイツのリーグが1流半で、イングランドとスペインとイタリアのリーグが図抜けているのですから、ドイツで強豪のバイエルンミュンヘンも来ることはありません。ヨーロッパだけでも、とんでもないくらい強いチームがあるのですから。私が見るのは、この大会で言えば、決勝戦だけです。いや、見ると言っても、絶対に見ます。実を言うと、何度かこのホームページで書いたかもしれませんが、私が日本のサッカーの試合で真剣にテレビ放送で見るのは、トヨタカップと呼ばれていた時代から、1年に1回、ヨーロッパのクラブチームNO1と南米のクラブチームNO1とが真剣に激突するこの大会の試合だけです。今で言えば、Jリーグも、元旦の天皇杯決勝も、Wカップアジア予選も、オリンピックアジア予選も、キリンカップなどの日本代表の試合も、ほとんど見ません。テレビで誰かがこのチャンネルを選んでいたら、無理に替えたりはしませんが、熱中して見ることはまずありません。だって、この試合に比べたら、他の試合は、まるで興業試合か、二軍の試合、練習試合にしか見えないのです。そのくらい、この試合はレベルの高い芸術作品に近いものに見えます。私が、年に一度しかテレビで観戦しない18日の試合、そんな目で見てください。もし、Jリーグやアジア予選の試合と同じようにしか見えないのであれば、私がピアノで喩えれば、ドの音を聞いても、ミの音を聞いても同じにしか聞こえない、私の音楽感覚みたいなものですよ。間違いなく、日本で行われる最高のレベルの試合です。この試合のレベルより質の高い試合が日本で行われるとすれば、数十年後に、再び日本でワールドカップが開催される時以外にあり得ません。それほど、すごいレベルです。そんな目で、よく試合を見てください。
あっっっ、しまった!!そんな時間はなかったのに。
こんな文章はすぐにでも書けるのに、論文の原稿が書けない!!!!!
ううううううう。
書けないときに、つぶやきでした。(誤字・脱字等がいつも以上にあるかもしれませんが、お許しください)
では、失礼>>>>>
2011/12/2改訂版
今週末は、放射線量が関西の2倍である筑波にいます。今は、筑波大学の2学期末の試験採点で、大忙しの時なのですが、なかなかやる気が起きません。
そこで、せめて、バックだけでも明るくしました!1週間、がまんしてください!!!
ここから、明るい「気」を出したいと思いまーーーーーす。
12月15日に、月刊誌の締切があるというのに・・・・。やる気がでないと言って、悩みの相談所や病院に行けば、「ストレスですね」「うつですね」などとラベリングされてしまうんだろうなと思ってしまいます。「うつ気味ですね」「うつ的な症状が出ていますね」ぐらいならマシでしょうが、「うつ病」なんて、精神病と診断されたら、もう一生涯にわたって完治したといわれないそうですから、もう完全に治るというのは生涯ないそうですから、残酷すぎますね。そう言われてみれば、「精神病が全快した」「精神病が治癒した」と聞きませんしね。もう、一生涯消えないレッテルなんて、避けられるものなら避けたいものです。簡単に精神の病気名を付けてもらっていたら、たいへんですね。本当にそうなってしまった人はどうしようもないのでしょうが、そうでない人、境界線にいる人なら、精神の避けたいものです。では、まったく緩和・改善しないのかというわけではなく、完全に治らないということらしいですね。かなり改善すると、「完治」とはいわず、「寛快」というそうですね。このあいだ、精神科関係の人から聞いた話です。知ってました??「寛快」という言葉も、はじめて知りました。私も、わかったことですが、知識不足ですね。
でも、ここで批判的思考をすれば、そもそも精神が病むというのはあるのだろうかと思ってしまいます。病むのは、体であって、精神は病まないのではないか、と考えられないのでしょうか。そう考えた人のひとりに、ルドルフ・シュタイナーがいるのです。だって、シュタイナーによれば、精神は、死んでも不滅なんですから、現世で病気になったり、病んだりするはずがないのです(笑)。精神病それ自体を疑いたくなってしまうのは、シュタイナーのオペレーションシステムが包含されてしまった私ですから、しかたのない結論だと、精神科関係の方、心理家の方もあきらめてください。あきれてくださってもけっこうですが。特に、教育関係者は、精神分析や心理分析的なものを妄信してはならないと思います。過大評価はいけません。
そこで、この話題に終止符を打つために、シュタイナーの言葉を引用します。シュタイナーは、こんなことを言っているのです。
「分析心理学あるいは精神分析(心理分析)は、不十分な認識手段によって心の領域についての認識を得ようとする試みです」
「精神分析医は教育にも関わろうとしています。精神分析を教育活動の基盤にしようとしているのです。単なる理論的論争ではないので、精神分析という『四分の一の真理』に潜む危険を示唆する必要があるのです」
「完全な誤謬よりも、部分的な真理のほうが害が多いことがあるのです」
ドイツに出張してきた同僚が、土産をたくさんもって帰ってくれました。私のメールが届いたようで、ドイツでクリスマスの時期に食べるシュトーレンを買って来てくれました。有機関係の、ドイツ語ではBioというのですが、クッキーの粉なども買ってきてくれました。ところが、私がお願いした、紫色の袋に白色で牛の絵の描いてあるチョコレートを頼んだのですが、これは安価でおいしいのです。しかし、気を使ってBioの高級なチョコレートを買って来てくれました。理由を聞くと、私のために、あえてこのチョコというのを土産に買ってしまったあとで、メールを読んでしまったらしいのです。それで、ドイツで大笑いをしていたというのです。その同僚によると、ドイツ人の友だちと日本へのお土産をいっしょに買いに行ったとき、その同僚は、私のことを、日本にシュタイナー教授と呼び、私にお土産を買うと言って物色していたら、シュタイナー教授なら、人智学者だから、人智学系のこの会社のチョコしか食べないはずだから、これでないとダメですよ、と強く特別なチョコを勧められてそうです。それを買ってから、私のメールを見て、きわめて大衆的なチョコを買ってきてほしいという希望を聞いて、大笑いしていたそうです。きっと、その友人は、おかしな人智学の教授だと思ったそうです。日本のシュタイナー教授は、庶民の味が好きなんです、とその同僚に伝えておいてほしいと言っておきました。そうそう、そのチョコでも食べて、今日は家でがんばるかという気持ちになった今でした。
そんなわけで、土日の大学に来ています。もちろん、その次の月曜日からずっと毎日、大学に来ております。国内・海外出張はありません。
それだけに、関東では、特に低放射能時代の「毒食」「複合汚染」に気をつけなければなりませんが。
関西から何を買って来たのですか、という問い合わせがあったので、一応、回答しておきます。
卵(広島産) 20個
キャベツ(愛知産) 1個
レタス(淡路島産) 1個
ピーマン(鹿児島産) 2袋
しいたけ(徳島産) 1パック
牛乳(滋賀県産) 1パック
ソース(京都産) 500ミリリットル
『世の中に訴へても感じないと云ふのは、
一つは此の問題が無経験問題であり
又目に見えないからと云ふ不幸もございませう』
『真の文明は
山を荒らさず
川を荒らさず
村を破らず
人を殺さざるべし』
(田中正造)
2011/11/24改訂版
明日の夕方から、放射線量が筑波の半分になっている関西に行って来ます。土曜日に授業をして、次の日曜日に両手に関西以西の食料を持って帰ってきます。たぶん、卵と牛乳と椎茸は絶対に持って帰る予定です。本当は、無洗米の米も持って帰りたいのですが、米は重くてたいへんなのです。だから、いつも諦めていますが、最近、スーパーに行っても、いつも買っていた関西で精米された富山のコシヒカリの無洗米が、店頭から消えるようになったので、なんとかしたいのですが。それから、これまで容易に買えた、関西で製造されたソースも、最近なかなか見つからなくなってきています。それだけに、ソースも今回は買って帰ろうと思います。最近のこちらでは、放射能云々はあまり聞かないようになりましたが、口にはしないで誰かが関西以西のものを何かこっそり買っているように思えてなりません。放射能については、何か自分の宗教を語るようになってしまい、意見が合わないと、お互いが嫌な気持ちになってしまいがちです。そんな雰囲気なので、放射能汚染については語らないで、個々人で何か信念・信仰のように、行動しているように見えます。私もそれに近いですが。ほんとうに、3月11日の地震と津波で終わっていればまだなんとかなったのですが、やっかいなものがまき散らされ、日本も放射能時代を迎えてしまいました。でも、これも原子力発電所やその関係機関を批判しても、今さら何も問題が解決されませんから、日本の宿命と思って生きていくしかないだろうと思っています。これでも、不幸中の幸いであったのですから。大難が小難になったと思って、感謝しなければならないぐらいですから。だって、あのとき、日本の報道によると、原子力発電所の方々の一部が、もう爆発すると思って逃げだそうとしていたところを、なんとか留まって決死の努力をして大爆発が回避されたのですから。日本では、3キロの避難からはじまり、10キロ、20キロ、30キロと、チビチビ避難区域を広げていたとき、アメリカがまず80キロ退避を言い、フランスや台湾が自国民救出の飛行機を飛ばせたり、ドイツが関東地方からの待避を命令したり、ドイツの新聞で「東京は終わった」という見出しが躍っていたのは、爆発するかもしれないというリスクに反応していたわけですから。本当に爆発していたら、30キロどころではなく、とんでもない地域が放射能で汚染されていたわけですから、本当に日本国土の5分の1ぐらい、人間が住めなくなるところでした。そのうえ、水素爆発を起こしていた頃は、南西の風が吹いており、放射性物質の多くは太平洋に向かって拡散していましたから(私は、当時、ドイツでその映像をテレビで何度も見ていましたし、世界でも見られていたので、アメリカの人々がパニックになってヨウ素剤を買い求めていました。中国では、なぜか塩を買い占めるというおかしな行動が見られましたが、ほとんど知らされなかったのは、奇妙なことに、パニックを恐れたという理由だったそうですが、当事国の国民だけでしたね。もし大爆発を起こしていたらと思うと、身が凍ってしまいます)、本当に不幸中の幸いでした。万の神様が日本を救ってくれたと思っています。ここは、救ってもらったことを感謝し、そこから大震災の何かの意味を見つけないといけないと思うのですが。。。。。個人的には、その意味について、『21世紀は日本の出番』(学文社)という本で考えてみたのですが,本当のところはわかりません。
昨日、オランダのアムステルダム経由で、ドイツに向かった同僚からメールがきました。アムステルダムから飛行機が天候不良で飛ばないので、列車で向かうというものでした。思わず、吉田先生をいっしょに連れて行ったあげようという心がけがないから、そんなことになるのだ、という思いの返答してみました。きっと、人の不幸を喜んで!というお叱りが来そうです。来たら、「人の不幸は蜜の味」というではないですか、とメールを送ったら、怒りが心頭されることになり、私のお願いしたシュトーレンというドイツのクリスマスのお菓子を買ってきてくれないだろうから、言わないでおこうと思っています。でも、今日、お菓子屋で、200グラムのシュトーレンが450円程度、500グラムのものが850円程度で売っていたから、自分で買って来て、ドイツに行った気分を味わおうとするのもいいかなと思っています。実は、日曜日に武蔵野大学に学会に出席した帰り、吉祥寺でドイツのパンを売っているお店で、3000円もパンを買ってきて、ドイツに行けなかった代わりに、食べまくっています。なにしろ、プリッツェルというおやつのパンを8個も買って来ましたから。そのうえ、ドイツでは朝食によく食べるカイザーというパンを5つも買って、家族でパクパク食べていました。日本で買うと、現地よりも5倍くらいの値段がするので、ばかばかしいのですが、もう我慢が出来なくなり、衝動買いと衝動食いをやってしまいました。つくばをはじめ、あちこちでドイツパンを売っているところがありますが、わたしにとっては、一番ドイツパンとしては値段的にもリーズナブルで一番おししいと思っています。でもでも、私がいつもドイツのニュルンベルク駅前(正確に言うと、駅構内の地下)で売られているプリッツェルに比べたら、足下にも及びませんが。1個60円ぐらいで、日本のものより2倍くらい大きいですから。

あの、Kolbeというパン屋の売店のおばさん、元気かなーーー。
いつも、私が通りと手を振ってくれて、「今度はいつまでいるのだ?」と聞いてくれます。今日は、私の知り合いがだれが亡くなった(あるいは、意識不明になられた)ようで、カラスが教えてくれました(私は、カラスとインスピレーションし合うのです<笑>。まだ、修業が足りないので、固有名詞がわかるところには到達していないのですが、今回は、それほど親しい人ではないようだというところまではわかるのですが)。一種の超能力でしょうかね?!でも、何らかのそんな能力に心当たりが実感として自分になければ、あのシュタイナーを30年間も、追い求めるわけがないことぐらい、容易にわかるでしょう(学者の世界に身を置いているため、その種のことはあまり自分では語りませんが)。間違いなく、あのおばさんでないだろうから、よいとしておきましょう。
追試の学生さん、また後日、日時をお知らせします。
とりあえず、近況はここまで。また、時間があれば、あす追加します。
2011/11/16改訂版
特に何が忙しいというわけではないのですが、何か忙しくて、更新が遅れてしまいました。
何度も来ていただきながら、予定通り更新されなかったために不愉快な思いをされた訪問者の方々、深くお詫び申しあげます。
12日も、関西で授業をして、放射線量、筑波よりも二分の一程度は低い関西で、関西および関西以西のワンサカ生鮮食品を買って持って帰りました。まるで、行商人のようで、あまり大学の先生には見えないかもしれません(もともと、そうですから、しかたがありません)。行商人が新幹線に乗るのもあまり似合わないので、他の方はどう思われているのかわかりませんが。買って帰る定番は、卵20個、牛乳2本、しいたけ1パック、それに季節の野菜を持てるだけ持って帰ります。特に、卵と牛乳は、こちらではほとんど関東産、東北産、北海道産なのですから。とにかく、今は、できる範囲で、できるだけ以西の物を食べるようにしています。でも、関東に住んでいると、すべての物がそのような物にはできませんが、できる範囲ということです。どれほど効果があるのかどうかわかりませんが、できる範囲でやっておけば、精神的に楽だからです。なにしろ、これからたとえ低い放射線量でも、日本は完全に放射能時代に入ってしまったのですから、天に文句を言っても、海に文句を言っても、その他原子力発電関係の方に文句を言っても、放出されたいまある放射能汚染はどうしようもないのです。日本にいる以上、仕方がないことだと思いますので。一つの日本人の業(ごう)ですから。
そんな業の中、よくぞ今年度は関西に無料で行ける機会を作ってくれた運命に感謝しなければなりません。当初は、こんな話を引き受けてしまって困ったなと思っていたのですが、まさか放射能が漏れるような事故なんか起きて、あたりにまき散らかされるなんて考えてもいなかったので、関西への非常勤講師は本当によかったです。頼まれごとをしんどいけれど、義理で引き受けたことが、大きな副産物を生み出してくれています。何しろ、関西への交通費全額が相手方の大学持ちなのですから。
でも、反面、その関西遠征は間違いなく私を多忙にしていますが、何かメリットがあれば、どこかでデメリットがあって、バランスが取れるのは、精神世界の法則ですから、しかたがありません。
11月末までに、一冊の本の編集作業をして、12月中旬までに、雑誌の原稿を一つ書かねばなりません。そして、2月までには、もう1冊の本の編集と原稿執筆をしなくてはなりません。そうそう3月には、研究室の紀要の原稿も作らねばならない。いやいや、日頃の業務もあれば、入試の仕事も入ると思うと、考えるとぞっとするので、あまり考えずに、目の前の仕事をこなして行こうと思います。できれば、その間をぬって、ドイツに出張しなければならないし。。。。。今年も、残り1ヶ月半となりましたが、ここは人生の正念場と思い、毎日がんばろうと思っています。
そんなわけで、いつものように大学に来ておりますので、何かあればご連絡ください。
いつも、人に話ばっかりして放電しているようなものなので、明日はノーベル賞受賞者の講演会に夕方行って、勉強してくることにします。
では、また。とにかく元気にやっております。
2011/11/3改訂版
お約束の測定結果を報告します。
定価14万8千円の日本製の放射線量測定器で測りました。地上50センチの高さで測定しました(一般に、高くなれば減ります。以前、しばらくにあいだ、関東では数十メートルの上で測定していたところがありました。低く出ます。本来、人間は数十メートル上の空中でいるはずないのですから、何の意味もありません。低い数値を出すために意識的にやっていたならば、きわめて悪質で、知識のない日本国民を愚弄していることになります。そうでないと、信じたいですが)。場所は、その駅のプラットホームです(地下駅の場合は、その地上部で測定しました)。
単位は、1時間あたりの放射線量(マイクロシーベルト)で、1日に換算するためには、24を掛けて、さらに365日を掛けると、年間の総量が、マイクロシーベルトででます。我が国では、原発事故の前までは、原子力作業員の安全のためには、年間、1ミリシーベルト、つまり1000マイクロシーベルト以下にするように目安として言われていました。これを1時間の放射線量に換算すると、0.114マイクロシーベルトとなります。この数字を頭に入れて、後の測定結果を見て、みなさんで危険度・安全度については考えてください。
時間あたり(平均)
つくば駅(つくばセンター) 0.121マイクロシーベルト ← なんと困ったことに、少しだけですが、0.114を超えてしまいます (涙) 10月28日
東京駅 0.082マイクロシーベルト ← 年間で718マイクロシーベルト、つまり0.718で、0.114より低くい数値が出てうらやましい 同日
京都駅 0.055マイクロシーベルト ← もっとうらやましい 同日
大阪駅 0.068マイクロシーベルト 10月29日
神戸駅 0.059マイクロシーベルト 10月29日
奈良駅 0.054マイクロシーベルト 10月29日
名古屋駅 0.055マイクロシーベルト 10月30日
番外編
筑波大学サッカー場 センターサークル 0.113マイクロシーベルト 10月28日
筑波大学人間系吉田研究室 0.078マイクロシーベルト ← 関西の野外より高いよ(涙・涙・涙!!!)
つくば市内のある幼稚園の正門入り口横の花壇付近 0.201 ← 園児があまり近づかないことを祈りたい!
吉田家自宅の玄関横2メートル付近 0.584 ← 以前にこのホームページで報告済み 明日、明後日に除去作業の予定。
その除去した土をどこに破棄するか。それが問題です。
気分の悪い人の自宅の玄関にまいておくわけには道徳教育者としていきませんし(苦・苦・苦・苦)
以上です。解釈等は、みなさんにお任せします。事実だけ、お知らせしました。
<付記> 11月4日
マスコミでは、今日、東京都の瓦礫受入について何か騒いでいますね。
新聞報道によると、写真の記事で、0.022マイクロシーベルト程度、とかいう数値が出ていますね。
上記の私のデータから言うと、東京都民で苦情を言っている人に向けては、ほとんど懸念する必要はないと言ってやりたい気分になります。なぜなら、その数値は、貴方たちの住んでいる生活空間より、はるかに小さいからです。だって、東京駅で、0.082マイクロシーベルトであったのに、0.022の瓦礫に対して汚染されると騒ぐはおかしいですよね。だって、自分たちの住んでいる地域の方がはるかに瓦礫より汚染されているのですから。しかし、別な見方からすると、その瓦礫の汚染数値がおかしいなとも思うのです。何か、単位の相違とか、基準としているものが違っているのかなとも思ってしまいます。なぜなら、東北地方の瓦礫が東京都の汚染の4分の1程度というのが、どうも説明・解釈がつきません。さらにいえば、遠く離れた関西よりも、2分の1の汚染なわけですから、8月の送り火のときに東北地方の木を燃やすと汚染すると騒いでいたことと、どうも話の整合性がとれません。信じられないほど、0.022という数値は低いのです。そんな低い数値は、今回の測定ではまったくあり得なかった数値だったからです。でも、実を言うと、今回の計測器で、そのような0.02台の数値が出たところがあります。理由はもちろん不明ですが、新幹線の中で、そのような数値が出ました。どなたか、こうした件に関して、説明のつく方は、お知らせください。わたしにとっては、謎です。
2011/11/1改訂版
金曜日の夕方から関西に向かい、日曜日に筑波にもどりました。月曜日に共同執筆の原稿を仕上げ、火曜日は早稲田大で夕方から講義です。そんなわけで、バタバタしておりますが、元気にやっております。
その中で、今回は、皆様に放射線量の情報をお伝えします。実は、今回、入手した放射線測定器を持って、関西まで行き、各地で測定して帰ってきました。ほとんどの日本の新聞は、西は関東甲信越地方までしか、測定結果を出していません。目的は、「関西は安全か」、を探ることです。そんな中で、つくば駅で測定してから、東京駅、名古屋駅、京都駅、大阪駅、神戸駅、奈良駅で測定してきました。おそらく、このような広範囲の測定データーは、ほとんど初公開ではないでしょうか。解釈や説明は抜きにして、事実(真実)だけをお伝えしたいと思います。ついでに、筑波大学のグランドも、学生さんに安心してもらえるように、測定しました。
いま、時間がありません。
すいませんが、あす2日の夜に、きちんと報告しますので、いましばらくお待ちください。
では、筑波よりも20%程度放射線量の低い東京に行って来まーーーす。
2011/10/24改訂版
先週末から関西外国語大学で授業をして、火曜日には早稲田大学で講義して、その合間に筑波大学で講義して、この土曜日に日本教材学会で発表をすませ、ほっと一息ついたところです。でも、また火曜日に早稲田大学、月曜、水曜、木曜と筑波大学で講義して、金曜日の夕方、関西外国語大学で土曜日に講義をするために、関西に移動です。その合間に、火曜日の午前中は、茨城県筑西市の幼稚園で講演が入っていて、行かねばならないので、火曜日はまるでダブルヘッダーで大忙しです。本当は、この火曜日は、ドイツ大統領が筑波大学を訪問し、特別講演をされるので聴きたかったのですが、このダブルヘッダーではいかんともしがたいです。大統領には、またドイツでお会いすることにしておきましょう(笑)。
そんなわけで、まだ忙しい日々が続きそうです。でも、ほんの一時、つまり日曜日に時間がありましたので、ひまわり畑(実際は、ひまわりも枯れて雑草畑)の草刈に励みながら、ようやく入手した放射線測定器(Mr.Gamma、日本製、定価約14万円)で、家の中、家のまわり、そして畑を測定しました。以前から、知人に日曜日に測定すると言っていたので、今も、その一人の知人から「どうだった」というお尋ねがあったところです。そんなわけで、結果を、ここで報告をして近況にかえさせていただきます。
まず、予備調査で、大学の研究室で測定をしました。すべて1時間あたりのマイクロシーベルトの単位です。ちなみに、1000マイクロシーベルトが、1ミリシーベルトです。この1ミリシーベルトを年間超えると、環境庁のいう除染地域になっています。
研究室は、0.085マイクロシーベルトでした。だから、24時間を掛けて、365日をさらに掛けると、745マイクロシーベルト、すなわち、0.745ミリシーベルトということになり、1ミリシーベルト以下なので、何とかセイフでした。でも、セイフと言っても、もう少しで危険ゾーンに来ますので、内部被ばくを極力減らさねばならないのだろうと思いました。
続いて、自宅を測定しました。 部屋によって差がありましたが、だいたい平均で0.078でした。だから、年間は、683マイクロシーベルト、つまり、0.683なので、セーフでした。
自宅の外を図りました。すると、道路・通路は0.147〜0.157でした。年間だと、1288〜1375マイクロシーベルト、つまり、0.1288〜0.1375ミリシーベルトなので、アウトでした。すなわち、喩えて言えば、原発の作業員が平時は超えてはならない数値を、私の家の前で365日立っていると超えてしまうわけです。まあ。365日、家の外にいる人はいないでしょうが、そんな喩えになります。寒気がしますね。
さらに、外の芝生や畑などの土が出ているところを計ると、およそ0.164でした。同じ計算をすると、1.437ミリシーベルトで、アウトでした。
ということは、外に出るときは気をつけなければならない地域に住んでいるのだということがわかりました。そこで、文科省が公表している放射線量等の分布地図を見てみると、
http://ramap.jaea.go.jp/map/mapdf/index.html
この地域は、1時間0.1〜0.2マイクロシーベルト地域となっており、見事に私の計測数字と符合します。つまり、この点については、文科省は正しい数値を公表していることが裏打ちできました。さすが、日本の文科省だ!!! あまり、私は文科省を褒めないので、ここは大いに褒めておきましょう。だから、この数字は、他の地域を含めて、ある程度信用してよいのではないかと、私は自分の調査結果から言えます。
それから、ドイツの滞在経験で得た知識では雨に注意ということと、、また日本の報道でも雨水がたまるところで数値が高くなると言われていたので、家の玄関の横にある管(天井の雨水を下水に流すところ)が割れており、そこからいつも水が溢れているところがありましす。そこは、きっと我が家のホットスポットであろうと思い、その土を測定しました。すると、0.584マイクロシーベルトという高い数値が表示されました。年間だと、
5.116シーベルトでした。規制値の5倍を示しました。さらに、漏れてくるパイプに向けて測定すると、なんと、
2.012マイクロシーベルトという数字、年間に換算すると、
17.625シーベルトでした。何度も繰り返しますが、年間1ミリシーベルトが規制値ですから、その17.6倍の高濃度の放射線量が出たのですから、困ったものです。我が家にとっては、大事件です。とにかく、成人より敏感と言われる子どもたちには、この近くに来ないように伝え、後日、土の入れ替えとか、割れた管を水が漏れないようにしなくてはいけないなと思いました。とんでもない、一時の日曜日になってしまいました。とんでもない課題が突きつけられた日曜日でした(涙) 。
今日は、放射能事件でこれで終わろうと思ったとき、トルコで地震が起きたということを知りました。実は、数日前に、以下の奇妙な雲を見ていたので、やっぱりと思ってしまいました。これは、10月19日の夕方の空だったのですが、異様に見えました。だから、写真に撮っておきました。普通の夕焼けのようですが、これが西の空ならそれほど驚かないのですが、実は東の空なのです。いつまで、地球の「禊ぎ(みそぎ)」が続くのだろうと思ってしまいました。もし、大きな被害が出ているのなら、日本は早急(早朝)に救援隊を送り、トルコに友好の証を示してほしいものです。世界で一番に駆けつけてほしいものです。「二番ではいけないのですか」(こんなフレーズがどこかであったな)と、言っている暇はないのです。これで、よりによって、アジアの中で、中国や韓国に遅れを取るようなことがあったなら、日本政府は万死に値すると言えるでしょう。歴史に残る、大恥ものだ!!すばらしい行為を政府が示すから、この国の誇りが日本人に生まれるのです。そんなことができないのなら、政治家たちは、偉そうに「国を愛する心」(愛国心)を日本の子どもたちに強要しないでもらいたいものです。愛する国に値しない行為をする国に、人々は愛を持てません。「国を愛する心」を子どもに道徳教育で伝えたいのならば、いや国家は絶対に国民に伝えなければならないでしょうが、「国を愛する心」を強要されるのではなく、進んで言われなくても持てる気持ちにさせる行為を政府が率先して示してほしいものです。それこそが、日本の道徳教育に良い影響を及ぼすはずです。道徳教育に必要なものは、「規範」です!!政府関係者、、文教族の議員さんに言いたいです。「規範のないところに規律は生まれません!!!!」と。
いまこそ、日本人の「義」を示すときです!!! 何しろ、外ならぬトルコですから、「日本人の出番」ですよ。汚名(名誉)挽回(のときです。何しろ、イラン・イラク戦争の時に、1980年3月20日に、日本政府に見捨てられてしまったイランに取り残された日本人215人を、危機一髪のところでトルコ航空が救出してくれました。それを日本の朝日新聞は、ODAのお礼、つまりお金で援助してあげたから助けてくれたという趣旨の報道をする始末。実は、1890年6月、エルトゥルル号の遭難の時に、生き残った70名ほどのトルコ人を救助・看護してしてもらった90年前の恩返しを、よりによってお金の返礼という理由しか浮かばなかった、新聞社やそれで納得した政府や国民の汚名を、少しでも挽回してほしいものです。トルコ人の一番好きで尊敬する国の勇姿や「義」(ちなみに、「心の専門家はいらない」―こんな本もあったな)をトルコ人に見せてあげてほしいものです。あなたたちの尊敬する日本は、震災を受けても、これくらいすごいんだということを。いまから120年前の明治時代の日本は、善意の気持ちを行動でしめしました(和歌山の大島の漁民は、自分たちの衣服や食料を拠出し、それを知った日本人が、義援金を集め、明治政府は、最新の軍艦で、トルコ人70名をトルコまで送り届けました)。
今の政府は、明治政府よりも品格や品性があるか否かは、これからの行動でわかるでしょう。
まさに、今こそ、「日本人の出番だ」(少し、本の宣伝をしてしまいました )、と私は思うのですが。。。。

「エゴ神」の信仰を促す心偏重主義
12歳の少年が幼児誘拐殺人を引き起こす。38歳の女性が通り魔強盗殺人容
疑で逮捕される。52歳の男性がビルに立てこもり爆発させる。年齢・性別に
関係なく、昨今、おぞましい事件がマスコミをにぎやわせている。また、報
道によると、手塩に掛けて育てた農作物の盗難が後を絶たないという。
私の身近なところに目を移すと、ところ構わず携帯電話が使用される。電
車やバスの中、さらには車を運転しながらの人々も少なくない。ご近所に目
をやると、ある住民は、「私は自然や緑を楽しみにしている」と言って、通行
人や近隣の人々の安全も考えることなく、外灯やカーブミラーを覆い隠す枝
や生け垣の剪定にも反対し続けている。
このような凶行や日常の思いやりのなさに通底する原理は何か。私は、「自
分勝手」という「教え」ではないかと思えてならない。その「教え」を支える
のは、個々人の気分・感情のあり方にことさら重きを置く心偏重主義であり、
さらにそれを下支えしているのは、荒ぶる「エゴ」の育成ではないかと。
ところが、「心の時代」や「個性の尊重」という甘いキャッチフレーズが、
「エゴ」という怪物を成長させながら、世間を風靡している。その結果、個
人の心の内面が着目され、現実の問題が生じると、動機や幼少期の「心の傷」
をはじめ、○×症候群や□△依存症などが連呼される。そこでは、行動の拠
り所は、「エゴ」という怪物が憑依した個人の心、特に感情になってしまう。
皮肉的に言えば、「エゴ」と奉る「エゴ神」の信仰という、新々宗教が個人
の中で誕生する。まさに「エゴ」が神の座に着くことになる。「エゴ」に突
き刺さる絶対的な神を信じる人々が少ない我が国のような文化風土では、他
において起こりえない危険性が心偏重主義から生じてしまう。
そろそろ、教育界でも、「心の教育」をはじめ、知性よりも関心や意欲の
ような情意的側面を重視する評価、さらには個人の感情のあり方に焦点化す
るカウンセリングも、冷静に再考すべき時期に来ているのではないか。特に、
スクールカウンセラーが子どもや教師の救世主として神とすり替わり、学校
生活や地域とのかかわりの中で教師と子どもとが学び合うという、我が国特
有な学級・学校文化が、根こそぎ破壊されないうちに。
『週刊 教育資料』NO.820号 203年10月13日号 38頁
編集:日本教育新聞社
発行:教育公論社
教育委員だより No.79
平成16年2月25日
教育長 副島孝
『カウンセラーは学校を救えるか』を読む
事件などが起きたとき、教育委員会がスクールカウンセラーを学校に送り込むと報道されることが多くなりました。このことに、マスコミも市民も教育関係者も、疑問を抱くことはほとんどありません。しかし、それは「こころの専門家」に預けて責任を免れようとする無責任な姿勢の現れだと指摘するのが、この刺激的なタイトルの本『カウンセラーは学校を救えるか』(昭和堂)です。著者は、吉田武男・中井孝章という二人の教育学者です。吉田氏は、小学校教師の経験もある方です。サブタイトルの「『心理主義化する学校』の病理と改革」が、著者らの立場を雄弁に物語っています。つまり、いじめや不登校、少年犯罪などの問題を、「心のケア」によって対処すべき心理学的問題に矮小化し、スクール・カウンセラーの導入が特効薬であるかのような幻想が社会全般に普及していることに、異議を申し立てているのです。同時に、学校現場で支持を集めている、構成的グループエンカウンターにも、著者らはかなり否定的です。
確かに、扱いの難しい子はカウンセラーに、専門家に、専門機関にという傾向が、現在の学校や社会の中にないとは言い切れません。著者らは、それに対して警告を発します。心理学用語、例えば「居場所」「癒し」「こころのケア」、また新しい概念として、「トラウマ」「アダルト・チルドレン」「外傷性ストレス障害(PTSD)」など、「こころの言葉」が氾濫しすぎている、新たな用語、概念が生み出されることで、適切な対応が可能になればよいのだが、実はレッテル貼りをすることにより、当の子供たちは「まるごと」としての存在から、カウンセラーを必要とするひ弱なクライエント(顧客)にされてしまっていると。カウンセラーのやっていることはマッチポンプだ、とまで言い切ります。
限られた時間で、ただ人の話を聴くことで問題が解決するはずはない、日常生活に寄り添いながら自ら範を示す教師の「生き方」の指導こそが、そのような子供たちに必要とされていると、著者らは言うのです。「こころの専門家」としてのスクールカウンセラーに手のかかる子ども預けてしまうようになった結果、学校や教師集団の自助作用が弱められ、ひいては学校や教師の社会的権威と信用が加速度的に低下させられてしまった。また、さまざまな心理学関係資格のなかでも、臨床心理士だけが異常に強調されていると指摘します。確かに、認定臨床心理士会に偏重しているとの批判は、以前から一部では指摘されていました。
しかし、批判がすべて的を射ているとは言い切れません。カウンセラー導入の結果、教師が指導の方向と方法に自信を持って取り組めるようになるという、望ましい協力関係ができてきた学校も少なくありません(もちろんカウンセラーに過度の期待を抱く結果、思うような成果がでないと不満を持つ学校もあります)。本書で著者らから改革案として提案されているものは、学級及び学級担任制の重視、補助教員等のサポート、スクールソーシャルワーカーの導入、そして教員のライセンス制や免許更新制と年俸制への移行などです。ひとつの考え方ではありますが、実現性や有効性には疑問を抱かざるを得ません。むしろ、教育学の現状はどうなんだと、突っ込みを入れたい気もするほどです。
本書から学ぶものは、まず何でも原因を「トラウマ」「アダルト・チルドレン」「外傷性ストレス障害(PTSD)」などと「こころの言葉」に寄りかかったり、LDだADHDだとレッテル貼りをして、自分の守備範囲外だとするのではなく、教育の専門家としての教師(町医者という表現が使われているが、言いえています)の自覚を再確認することと、カウンセリングが万能ではないという意識を持って、有効なカウンセラーとの協力関係を築き上げることではないでしょうか。
ある大阪の男性のホームページから
カウンセラーは学校を救えるか
「心理主義化する学校」の病理と変革
短評 人類が経験したことの無い「心理ファッショ」の時代が到来か。自分の子供をこいつらに食い物にされないように監視しないとな。
ジャンル 心理・教育
著者 吉田武男 中井孝章
出版社 昭和堂
初版 2003.11.20
定価 1900円
読了日 2003.12.11
借りた場所 京橋図書館
評価 ★★★★
2001年度から5年間で全中学校1万校にスクールカウンセラーを配置されることになった。
その役割は2つ。
一つは生徒の相談相手及びこころのケア。もう一つは教職員・保護者への助言・指示である。
著者はこれに対して危惧を抱く。
地域に応じた特色ある実践が求められるときに、全国画一的に、バーチャル世界で生きることを得意とする「こころの専門家」が、十分な知識と体験の無いままに全国に配置されるのだ。
そこには、教育の諸問題は、心理レベルだけではなく、生物的・生態的レベル、さらにはその背後にある社会的・政治的な状況の複雑な絡み合いのなかで生じているにも関らず、あたかも心理的な視点だけで理解・解決できるのではないか、という誤解が横たわっているとする。
また、全ての生徒や教師をカウンセリングの対象とするような画一的な取り組みは、心理主義ファシズムである。
カウンセリングによる吹込みがなされると何も無かった子供までが何かこころの不安を自覚しなければならないのではないかと感じてしまいうという「偽記憶症候群」を招来する危険さえある
マスメディアも、少年による凶悪犯罪が起きても社会的背景に目を向けること無く、直ちに加害者のこころだけが切り離され、動機という心理的背景がもっぱら注目される。
個人の心理的メカニズムだけが分析されても現実の世界では何の意味ももたない。というのも現実の事件は社会的背景や心理的背景をはじめ、さまざまな要因の複雑な絡み合いの中で起こっており、真相は心理学や精神医学によって解明されるわけではない。
それに対して著者が描く方策としては、「ナラティブセラピー」の手法である。
これは「サイコセラピー(カウンセリング)」による心理学の現実化を解除する社会学的な臨床実践の方法である。
徹底的な「脱心理学化」を目指すのである。
「ナラティブセラピー」とはセラピストとクライエントの関係が「共著者」であり、対等な立場で会話を重ねていくのである。
セラピストが専門的な知識や技術によってクライエントを診断し、治療する、言い換えると一段高い立場から患者を導くというスタイルであるのに対して、ナラティブセラピーは特定のアプローチに依拠はしない。
サイコセラピーは内面に向けて自らを閉ざしていくのに対して、ナラティブセラピーは外に向けて言葉を使うことにより辞図からを仲間や社会に開いて行くのである。
<感想>
長崎の幼児殺害事件後、全ての生徒や関係者にカウンセラーがカウンセリングをしたそうな。
しかし、それに対してメディアは何の疑問も差し挟まなかった。これは恐ろしいことだ。カウンセラーというのは万能の神か?
これでは思想警察みたいなものではないか。
大体、息子が家庭内暴力を振るうとしてカウンセラーに相談した父親に対して、息子に「絶対服従」を命じた結果、暴力はエスカレートし、父親は息子を殺害したという事件があったが、このときはその著名なカウンセラーは何一つ批判されなかった。
まだ時間のある方は、次のページにどうぞ!!!
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