私からのメッセージ

ただいま工事中


2011/10/17改訂版

 無事、10月9日の講演会も、なんとか盛況のうちに終わりました。満席にできなかったことと、若者が少なかったことは残念でしたが、最初と思えば、これでよしとするかと、自分で慰めております。わざわざ、遠くからいらっしゃった方もあって、うれしい限りです。
 その副産物としての本も無事完成して、その折りに販売するまでにこぎ着けて何よりでした。できあがりを見ると、以下のように少し表紙が変わっていました。



目次は、見にくいですが、次の通りです。






 私の書いたところを読んでくれた方々からは、みんな申し合わせたように、「なでしこジャパン」のところがおもしろかったと言われました。そこあたりは急いでいたので、数時間で書き上げたところなんですが、印象に残ったそうです。

 金曜日から日曜日までは、関西に行って来ました。新幹線のなかでいろいろあったのですが、報告するのことはやめておきます。
 関西からの帰りは、食料品を4000円くらい分、買って来ました。今回は、卵の30個が疲れましたが、椎茸、ホウレン草、ネギ、サツマイモ、ジャコ天(宇和島産)、などを両手一杯にしてもどって来ました。まるで、行商人ですね。いくら日本のマスコミが「安全、安心」と言っても、一度、嘘を言った人間は、あとでいくら正しいことを言っても信じられないのと同じで、どうも私の感情としては、信用ができませんからね。だって、一度、騙された人にまた騙されたとなれば、関西弁で言えば「度アホ」と言われますからね。マイペースで、賢明なかたちで放射能汚染に心配しようと思っています。
 とにかく、筑波大学を辞めたら、とにかく西に避難するつもりです。だから、関東地方では、自宅やマンションの購入はしません。そんなお金があるなら、今のうちに(円高のうちに)、それこそドイツやスイスに家付きの土地(別荘)でも買いますよ。長期休みは、海外で過ごせるように(だから、日本の不動産会社のかた、勧誘に電話しないでください)。私は、もう60歳に近づいてきて、そんなに問題はないと思いますが、子どもが心配ですね。正しく言えば、子どもとともに、その子どもの子どもが心配ですから。そんな簡単に除染ができるものなのか、大いに疑問です。福島原発から170キロ離れているので、緊急に避難・疎開しないでよいこととしても、少し長いスパーンで見れば、ここは何も危険を冒して関東に住み続ける義理はないので、年単位で吉田家は疎開することにしています。いまは、子ども二人が大学生なので、そう急いで疎開もできませんが。とにかく長期的な疎開モードには入っています。だって、戦争中だって、爆弾が落とされるか落とされないかわかりませんが、昔の賢明な日本人は、自分たちの次の世代を守るべく田舎に子どもを疎開させたように、本当に危険かどうかわかりませんが、ここは念のため、長期的には疎開ということに吉田家は歴史から学んで決めております。それまで、神経質になりすぎない範囲で、食料は気にできることだけ気にしていく予定なのです。でも、気にしないで住み続ける人はそれはそれでよいでしょう。何も責めることはできません。他人に自分の価値ないしは教義を教え込んではいけません。ここは、価値観の問題で、一つの宗教的な価値判断なのかなと思ったりしています。自分で信じることを、自分の判断で、他人に迷惑をかけないように責任ある行動すればよいのだと思います。



2011/10/4改訂版

10月1日、立教大学に行ってきました。今回は、我が家の愚妻も付いてきてしまうやら、到着が遅れるやらでたいへんでした。席は空いているだろうと、立教大学の濁川先生に言われていたので、安心して行ったら、座れず、立ち見状態でした。そこで、ふと濁川先生のメールを思い出し、そこにもし席がなかったら、関係者の席を用意していますから、という一文がよぎりました。そこで、厚かましく、その旨を関係者にお話をして、厚かましく最前列に大きな頭の私が陣取ってしまいました。飯田先生のファンの方、見苦しい頭が前に座りまして、失礼しました。おかげサメで、愚妻共々、楽しませてもらいました。公演が終わった後で、その濁川先生にお礼を申し上げたら、飯田先生とお会いされていないのならば、控え室に案内しますよと言われ、飯田先生ともお話をする機会を得ました。そのときに、席にはってあったものを記念に持ち帰りました。それが、次のものです。



 その控え室の会話の中で、以下のようなチラシで示された本で、飯田先生から、「実は震災後に、もちろん名前を伏せた状態で、ドイツにいた先生からいただいたメールを無断で掲載してしてしまいました」、と話されました。思わず、「そうですか。けっこうですよ。でも、実名でもよかったのに」と、申し上げておきました。あのメール、どんな場面で登場するのか楽しみです。実話ですから。でも、実は、私の出版する本にも、そのメールが登場するのですが(笑)。
 なんと、飯田先生より、昨日にメールが来て、「まだギリギリ間に合いましたので、「国立大学教授」を、「筑波大学の吉田武男教授」に、実名で修正させていただきました」と書かれていました。というわけで、今度の飯田先生の『生きがいの創造W』では、私の名前が実名で登場するそうです。ますますどんな文脈で登場するのが楽しみになって来ました。





 時間がありません。そんなわけで、これから東京に向かいます!!

 付記
 道徳教育Tの追試は、木曜日の6時限目です。関係のある方は、掲示で確認してください。


2011/9/26改訂版

 ついに、他大学もいわゆる後期(秋学期)がはじまるようで、今年は2校に講義に行かなければならないので、バタバタしてきました。明日は、早稲田大学教育学部で初めての講義です。様子がわからないので、どうなることやら。不安がないわけではありませんが、こんなものは、心の持ち方一つで「ある」「なし」で決まるのですから、「ない」にしておいたほうが有効なので、そうしておきましょう。

 筑波大学の授業は、今週は予定通り行います。なお、今週末は、立教大学に出没します。土曜日に、飯田史彦先生の講演を聴きに行くかと思っています。見かけたら、お声をおかけくださいね。

 そんなわけで、今日の近況報告としては、今度出版される本の表紙を、ゲラの段階のものを、世の中に初紹介しておきます。センスがよいですかね。これも、「悪い」と思い出すと、気分が悪くなるわけで、決して得策でないので、「良い」ことにしておきましょう。悩みを創っても、心の専門家を喜ばせるだけですから(笑)。ちなみに、140頁あまりになったようで、本体価格は1300円だと聞いています。
140






2011/9/18改訂版(臨時)

 原子力発電問題について、友だちから連絡が来たので、臨時更新しました。

 どうも友だちの友だちが、ドイツで発行されている『原発に反対する100の理由』(原著:100 gute Grunde gegen Atomkraft)
という本を、翻訳しているということで、一部訳した部分の要約をすでにインターネット上で公開しているとのことでした。
             http://100-gute-gruende.de/pdf/g100rs_jp.pdf

 早く全訳した本を読んで、その内容を吟味咀嚼したいものです。でも、そうなると、原典を横に置いてみなければならないのか、取り寄せなければならないかなと思っています。でも、私の、辞書の引き引きの語学力では、なかなか理解ができないだろうな。やはり、語学が出来る出来ないは、大きな実力差が出てくるなー、と思い知る今日でした。もっと、学生の時にやっておくべきでした(涙)(涙)。


2011/9/17改訂版

 厳戒令を解除して、ゆったりとした1週間になると思ったら大間違いで、それ以上に忙しい1週間を過ごしていました。大学の仕事が押し寄せてきたうえに、自分の個人的な仕事があって、超多忙でした。なぜ、自分だけこんなに忙しいのだ、日本の大学の先生方の中には、まるで非常勤講師のように授業を教えてそこに定例会議だけ出て終わりという感じの方もいるのではないかと思い始めると、怒りをどこかにぶつけないと、ストレスという「心の病」に陥ってしまう心境でした。よほど、私の前世は、ノンビリした時間を過ごしてしたのですかねーーと思ってしまいます。

 昨日は、茨城県立竜ヶ崎第一高等学校で、「出前授業」をしてきました。みんな静かに聴講してくれて、ホッとしました。何しろ、忙しくて、十分な予習はできず、出たとこ勝負でやってきました。だから、まとまりのない授業になってしまいました。帰るときには、「まとまりのない授業をしてしまって申し訳なかった」と言いますと、担当の先生から、「何をおっしゃるのですか。先生の授業だけは職員室でも話題になっていて、何人もの先生が自分の授業がなかったらぜひ聴きたいという先生がおられたのですよ」と、うれしい話を聞かせてもらってきました。免許更新講習会の影響かしら、まあ、どうであれ悪い噂でなければいいか、と思いながら、戻ってまいりました。

 今日は、一段落なので、研究室の掃除をするかと思っていたら、何やらこやらで、また1日が終わってしまいそうです。また、明日も掃除をするかと思っています。何しろ、原稿を一つ仕上げるという個人的な仕事が終わったもんですから、机のまわりは本だらけで、探さなければならないものが二つあるので、掃除をせざる得ない状況なのです。すぐに、次の本の出版が待っています。出版社から、催促の連絡が来ていますので。何しろ、5月中に仕上げるという約束をもう、4ヶ月遅れているのですから、催促されても仕方がないのです。これは、10名くらいで書く、道徳教育関係の大学のテキストなのです。編集が私なのです。最近、どうもこの種の仕事はやる気が起こらないで、困ったちゃんの私です。期待されて仕事が来るだけでも、感謝しなければならないのに、いかんですね・・・・。もっと謙虚にならなければバチがあたりますね。

 そうそう、その本よりも優先して、10月9日までに仕上げようとした本のことを報告しておきます。前回の更新でも触れましたし、何人かの人には、お知らせしたこともあって、そろそろ解禁してよいかと思うので。それは、以下のタイトルの本です。何しろ、8月19日に、日本特別活動学会のときに、そこに他の用事で来られていた出版社の社長さんに、10月9日までに、教育学書ではない、少しおかしな本を出版してもらいたい、原稿は9月初旬に仕上げるので、ということで、無理矢理お願いしたものですから、大忙しで、引くに引けない状態で進めたものです。したがって、どんな表紙になるか、時間がないためになにもかも出版社に任せて、定価も1500円以下で、出来る限り1000円に近い値段でとお願いしてあるだけです。とにかく、10月9日までに仕上げるのです。
 
 なぜ、10月9日までか、その日にこだわっているか、およそこのホームページを見られている方はおわかりだと思います。そうです。「日本人の精神性研究会」主催の講演会に間に合わせたいのです。この研究会の立ち上げを祝して、講演会をやろうとしているわけですから、そのいわば「花火の打ち上げ」に並行して、本を刊行したかったのです。そんなことをやるなら、早く準備をしておけばよいことなのですが、突然にその講演会を企画しているうちに、私の中で閃い(ひらめい)たわけです。その本は、3人で書きました。以下のものです。よかったら、読んでやってください。お知り合いにも教えてあげてください。


   村上和雄・吉田武男・一二三朋子著 『21世紀は日本人の出番―震災後の日本を支える君たちへ―』学文社

   少し、内容を紹介しておきます。
    私の書いた第1章は、「日本人の生き方を再考する: 震災直後のドイツ滞在によって気づかされたこと」です。
   一二三先生の第2章は、「
新しい日本の出発のために:天のメッセージから何を学ぶのか」です。
    村上先生はの第3章は、「日本文明は世界を救う」です。
    その他のプロローグとエピローグは、私が書きました。
    130ページあまりの小冊子です。

   ちなみに、私以外の執筆者の紹介を、本の奥付から、コピーしておきます。

  村上和雄先生
  奈良県生まれ。筑波大学名誉教授、国際科学振興財団バイオ研究所長。農学博士。
   [著書]『生命(いのち)の暗号―あなたの遺伝子が目覚めるとき―』サンマーク出版。
       『アホは神の望み』サンマーク出版。
       『奇跡を呼ぶ100万回の祈り―』ソフトバンククリエイティブ。

   一二三朋子先生
  東京都生まれ。筑波大学大学院人文社会科学研究科准教授。博士(人文科学)。
   [著書]『接触場面における共生的学習の可能性―意識面と発話内容面からの考察―』風間書房。
   [論文]「多言語・多文化社会での共生的学習とその促進要因の検討―日本におけるアジア系
       留学生を対象に―」(日本語教育学会編『日本語教育』146号)。




2011/9/10改訂版

戒厳令終了!!!!

 今日、出版社に原稿を送りました。1ヶ月で、本にしてくれるよう依頼しています。大急ぎです。何としても、10月9日までに発行したいです。
 忙しくて、ひまわり畑はどうなっていることやら。たぶん、枯れて倒れているかなーーーーー。風も強かったし。見るのが怖い心境です。
 学類の授業は、12日月曜日から予定通り開講します。人気のある(エッヘン)、3、4時限目の「道徳教育論」の授業は、今回だけ、2H201教室で行います。
 シュタイナー学校のビデオを見せます。


 そうそう、すっかり重大発表を忘れていました。
 お待たせしました。
 以下の企画を行います。
 興味のある方は、来てください。私の人気のある「道徳教育論」の授業より、人数が増えるでしょう。
 これです 
  ↓

   道徳教育。あっ、まちがった!!
   ↓
  
        ↓
     ↓
      ↓
       ↓
         
                                

                      パンパカパーーーーーーーン



                               













 著名なお二人(村上和雄先生と竹田恒泰先生)の講演と対談ですので、かなり多くの方が来られると思います。席は、固定イスで350です。お早くお越しくださいね。








2011/9/5改訂版

10月出版の共著の原稿が書けなーーーーーーーい!!!!
えらいことになってしまった。
そこで、ついに、
戒厳令発令!


まもなく、重大発表を行います。

次の更新をお待ちください。

学類の授業は、12日月曜日から予定通り開講します。

では、今日は時間がないので、(涙、涙、涙)




2011/8/30改訂版
 
すいません。原稿締め切りに追われ、ゆっくり近況を報告できません。
 とにかく、元気にはやっておりまーーーす。


2011/8/18改訂版


 昨日、無事、長い長い道を走って帰省して戻ってまいりました。今回は、一部分は、東京を回らずに、遠回りでも北関東道路を使いました。被災者証明があるので、全部とまではいけませんが、かなり無料パスを使わせてもらいました。申し訳ないなと思いつつも、それだけ被害もあっているし、それこそ、放射能のことも気にしながら暮らさなければならないのですから、バチは当たらんなと思って活用しました。そのおかげで、遠回りでたいへんでした。でも、通行料で○万円分、うかせたので文句は言えません。
 今日は、大学ではクーラーが入らず、午前11時に来てみると、部屋の温度計は39度でした。これでは、熱中症になると思い、自宅に退散しました。
 自宅ではクーラーを入れて、本を読んでいました。外は暑くてとても出られませんでした。これで電力不足とか言って、停電になったら、怒りは爆発するでー、と一人でブツブツ言っていました。だって、世界でもトップレベルの高さの電気料金を払わせて、あげくにはてには私の家や畑の上に放射能をまき散らし、庶民がクーラーも入れられないなんて、許せないでしょう。そんなことを思いながら自宅にいると、、私の自宅のすぐそばに、(100メートルぐらいかな)、サイレンを鳴らして消防車、、パトカー、救急車が来て止まったのですが、暑くて野次馬に出る気もしませんでした。火が来たら、立ち上がるかと、のんきなことを考えていました。やがて、子どもが帰ってきて、「そば屋の前に消防車とかいっぱい来てるで」と言うものだから、「近くに止まったのはわかっていたんだけどな。よし、銀行にお金を引き出すついでもあるから、ちょっと話の種に見てくるか」と、立ち上がって見に行きました。そのときには、もう作業が済んだようで、帰るところでした。大火事にはならなかったようで、よかったです。ますます、家が暑くなるところでした。

 日が暮れ夜9時になったので少しはよくなっかと思い温度計を見たら、38度でした。これは我慢できないと思い、最低限の仕事を済ませ、これから帰宅します。
 明日は、クーラーが入らなくても、朝から宇都宮大学で開催される日本特別活動学会に行きます。翌日もです。
 では、そんな近況をお話しして、更新は終わります。

 皆さん、熱中症に気をつけてお過ごしください。



2011/8/11改訂版

 更新が遅れ失礼しました。
 なぜか私の畑のひまわりも、頭を下げて謝っておりますので、ひまわりに免じてお許しください。





 いろいろ用事があって、そうなっておりますが、元気であることは間違いありませんので、ご安心ください。
 明日12日から17日まで、筑波を離れます。1200キロの旅に出かけます。たぶん、東海道で奈良に行って、帰りは中央道経由です。
 メールは、旅先で見ることができますので、何かあれば送っておいてください。

 また、戻ってきても、19日と20日は、宇都宮大学に日本特別活動学会への参加、24日と25日は大学院入試、26日は千葉大に日本教育学会への参加、とバタバタしております。その間に、日本教材学会の発表要旨の作成と、新しい共著の原稿作成と,バタバタして、無事9月が迎えられるか心配です。9月末になると、また関西に土曜日に授業に行かなければならなくなるし、火曜日は、今年からはじめて行う早稲田大学での道徳教育の講義、と考えただけでも、どうなるかという忙しさです。

放射能を心配している時間もないという状況です。日本のマスコミは騒ぎませんが、何かこの件に関しては日本は昔の社会主義の国のように思えてしかたがないです。過去のチェルノブイリ原発事故後のドイツでは、最も近い(近いと言っても、1000キロ以上離れているのですが。福島と筑波とは170キロしか離れていないのに、遠いと思わされているのですから)バイエルン地方では、事故直後の農作物は安全云々言うまでにすべて破棄、乳製品もすべて破棄をして、住民の健康を守ろうとしていただけに、それがヒステリックかもしれませんが、あまりにも政策が違うもので、気になって仕方がないのですが。特に、なぜ日本では、不思議なことに牛乳が問題視されないのですが、大丈夫かなと思っています。大丈夫であれば,何も問題はないのですが。日本では、3月頃は、チェルノブイリ原発事故と比べてたいしたことがないレベル4と言っていましたが、同じ時期にドイツではチェルノブイリ原発事故並みのレベル7と報道されていました。数ヶ月経って日本でもようやくレベル7と発表されたが、そのときにはドイツでは、1号機がレベル7、2号機と3号機もレベル7、4号機だけがレベル3ということで、合計が「レベル24」だと言われているそうですから、いやいや、何が真実かなかなかわかりません。そんなときに、放射能を気にしないで過ごすことも健康に危険だし、そんなことばかり気にして生きているのもストレスをためるもとで、それも健康によくないし、教育と同じで、節度をもっていきたいものです。




 そのうえ、6月12日改訂版で、次のことをお知らせしました。

 いま、大学人の端くれとしてできるのは、イベントを開催することではないかと思っています。そこで、この秋に、そのイベント、講演会やシンポジウムなどを考えています。現在、水面下で調整中です。もうしばらく公にすることを控えさせてください。必ず、この秋に、正確には10月に、何人の聴衆が集まってくれるかわかりませんが、

   
必ずやります
 
結果は、どうなるかわかりませんが、やってみましょう。これが、私の使命の一つのような気になってきました。

  それは、何でしょう。いまは、秘密です。


 
 実は、その準備もあるのです。もう、そろそろ公にしてもよいかなと思います。まだ、予定の段階ですが、他の協力者に許可も得ず公表するのはまずいかもしれませんが、まあ、許してもらいましょう。
 せっかく、ホームページの更新が遅れているにもかかわらず、何回もたずねてきていただいている訪問者がおられるので。
 少しだけですよ。

 実は、東日本大震災を受けて、それをどのように受けとめて、日本人として再出発をどのように図っていけばよいか、若者にメッセージを発信することにしました。
 その時期は、筑波大学の学園祭のときです。
 10月9日 (日) の午後13時から。  筑波大学第一エリアの某教室です。入場は、企画者が自腹を切ってお招きする(講演者もほとんどボランティアで来てもらいます)ので、無料です。
 内容は、有名人の先生方の講演と、シンポジウムです。
 有名人のお一人が、筑波大学名誉教授で、分子生物学者の村上和雄先生です。
 もう一人も、高名な方です。私の知り合いではないので、今は氏名は伏しておきます。現在、アマゾンの本の売れ行きを見ると、近著がベスト400位程度をつけているぐらいですから、その道ではなかなかの方です。この方は、筑波大関係者ではないので、許可を得てから紹介することにします。
 また、進行役(司会者)が、すごいんです。有名でない吉田先生でーーーーす。そこが大きなミソです。
 テーマは、原案では、以下の通りです。
 

「震災後の日本を支える君たちへ」


 テレビで中継してもよいくらいの内容にしたいと思っています。
 また、時期が迫った来たら、お知らせします。





2011/7/29改訂版

 明日は、研究室に危険なものが置かれていないかなど、事務の担当の方が13時30分から査察にきます。昨年も私の不在の時に来たようで、問題の部屋として、写真を撮られ、注意をされました。今年もまた注意を受けるだろうが、注意されても、小さい頃から悪ガキで、注意や怒られるのはいつものことなったので、ぜんぜんおかしな免疫力ができてしまっているのです。それでも、あまりにもこのゴミ屋敷はひどいかなと思って、真夜中に片づけています。いくらがんばってもあまりきれいにならないので、息抜きがてら、いま、近況を書いております。

 どうも、今日は、あの熊谷さんが筑波大学に来ていたようで、ニュースで学長先生といっしょに記念撮影しているがテレビで映っていましたね。でも、吉田先生のところには、、優勝報告に来ませんでした。けしからんなと思いましたが、よく考えたら、それはそうだわなと思って、納得しました。でも、いつかドイツで会うことがあったら、「この、恩知らず」と苦情を言ってやらねばと思っています(笑)。
 そのテレビを見ていたら、続けて女子柔道48キロ級の福見さんが出てましたね。年齢が26才とテロップで出ていたので、私が彼女を授業で教えていたのは6年前だったのかと思い、時の経つのは早いなと、思ってしまいました。日本に強敵がいるようで、たいへんですが、がんばってロンドンオリンピックに行ってほしいなと思っています。過去に、このホームページにも書いた事があったのですが、選考試合の決勝で谷選手を倒したのに、選考で谷選手が代表に選ばれてしまいました。たいへん腑に落ちない選考だなと思っていました。結局は谷選手は銅メダルに終わるのですが、彼女が出ていたら、もっと良い成績を残していた可能性もあっただけに、人情的にオリンピックに行ってほしいなと思ってしまうのです。
 
 じゃー、まだまだゴミ屋敷なので、これから片づけまーーーす。
 そんあわけで、明日も来ますが、とにかく4日の免許更新制講習まで忙しく大学におります。何かあれば、ご連絡を!
 今年は帰省で、どうも8月12日から8月17日まで不在になりそうです。


 今日、放射能汚染のため、野菜作りをやめた畑は、ついに雑草とともに、ヒマワリ畑になりました。
 放射能汚染されているかもしれませんが、ほしい方は自由にお持ち帰りください。
 別に今年もジャガイモを作ってもよかったのですが、家族、子どもが食べることになるので、やめただけです。私みたいな年寄りは食べても、放射能の害が身体にまわる前に、どこかがおかしくなってしまうのでよいとしても、子どもが問題ですので。汚染牛肉が棄てられようとしていますが、本当にモッタイナイですね。私の考えでは、東電が従来程度の価格で買い取って、東電が東京で放射能の数値をはり付けてそれこそ、通常の3割ぐらいで売るわけにいかないのかなと思います。汚染を納得した上で、私のような年寄りが安く買って、食べてあげるのですが。何か法律で汚染されたモノは食べてはいけないのかな。私のような年寄りは、もう人生を十分に生きてきたので、余生は日本のためになるなら、少しぐらい我慢して汚染牛をたべてあげるのになあ。 少しぐらい悪いことでも、これで東電を助け、生産者。その関係者を助けるのでしたら、それが日本を持続可能な国家として救うことになるなら、安いことですよ。だって、身体に悪い事なんて、この年までほかでもやって暮らしているのですから。お年寄りの方は、そんなことを考えないのでしょうかね。若者のために自分が犠牲になるという発想がでてこないのですかね。まだ、1日でも自分のためだけに長生きしたいのですかね。象の群れだって、肉食動物に襲われたら、子象を中に挟んで、お年寄りが犠牲になることを覚悟で外に位置して逃げようとしますから。決して、年取った象がど真ん中で守られません。それが、持続可能な種族のパターンだと思うのです。いつの間に、象以下のヒト、日本人になったのかと思いますが、私の考えはおかしいのかな。。。。思わず、写真を貼り付ける作業の時に、余計なことをつぶやいてしまいました。失礼しました。さあ、できる限り、掃除掃除。
                                               
  


2011/7/22改訂版
 
「なでしこジャパン」の奇蹟から、だんだん放射性物質が私の頭の上を飛び交っているという予報を聞かされると、だんだん現実に引き戻されます。特に、政治家さんへの表敬訪問の映像を見る度に、なさけなくなってきています。そんな時間があるくらいなら、サッカー協会の重鎮になられた(でも、太くなられましたね。ちょっと筑波大で見なくなったとたんに。でも、人のことは言えません。私もそうなので。失礼)田嶋幸三さんが、成田で一番先頭で出てくる選手に握手をされていましたが、政治家への訪問はいつでもできるのですから、どうして国立競技場のまわりでもどこでもよいから、提灯行列でも、せめてパレードでも、企画されたらよかったのにと思いました。「やりました」と政治家に言うよりも、国民に向かって「やりました。応援ありがとう」とやったほうがよかったのにと思いました。いつか、もう偉くなられたのでお会いする機会もないかもしれませんが、田嶋さんに会うことがあったら、言ってあげたい気分です。また、最近は熊谷さんも、よくテレビに出ていますが、もう顔がすっかりダメですね(失礼!また、口がすべってしまいました。お許しを熊谷さん)。私の授業を昨年受講し、欠席届を私の研究室に持ってきていた頃の普通の体育学群の学生さんにもどってしまいましたね。もう、それが自然なのかしれませんね。彼女がすごくきれいに輝いていたのは、優勝を決めるペナルティーキックを蹴る前に、テレビでドアップに映ったときでした。まるで、いつも見ていた熊谷さんとは別人のようにきれいに輝いて見えました(またまた、失礼。「いつもきれいです」ハイ)。たぶん彼女自身が集中して、これから何かをなしとげようとする場面でしたから、すばらしい顔つきになるのでしょう。人間は、環境が違えば、こんなに変わるのだと思いました。環境次第で人間は育つんだと、教育に引きつけて考えていました。しかし、それと同時に、彼女の顔が、まるでオーラに包まれているような、別の古い言い方で喩えれば、天照大神が彼女に乗り移ったような、まるで天照大神の化身のようにすら見えました。なぜ、そんな神話的な見方をするのかと言われそうですが、私がテレビで見た時間は20分程度でしたが、なにか選手たちが輝いていたし、ダメだと思ったときは、いつも何かの偶然が日本チームを救っているように見えました(もちろん、へデングで入れられたときだけは、やっぱりダメだと思いましたが)。実際に、あとでハイライトシーンをみても、けっこうありましたね。世界のニュースでも、実力は圧倒的にアメリカだけれども、何かの力が日本には働いていて、勝負は意外とわからないかもしれないという論調が出てきていました。たぶん、ドイツとスウェーデンに勝ったときに、そんな何かの力が日本に働いていると感じだしていたのではないでしょうか。だって、だれが見ても、優勝する実力はとても日本にはなかったのですから。たぶん、アテネはダメでしょう。でも、あのWカップのときは、違っていたと思います。
 現在、東日本震災の復興に向けて、「勇気をくれた」「鎮魂になる」などというような報道が出るでしょう。きっと、少なからず、政治的・社会的に利用されることでしょう。しかし、私は、彼女らが勇気を与えるのではなく、彼女らに、何万人もの亡くなられた日本人の霊魂が乗り移っていたように思えてなりませんでした。そう考えると、私は熊谷さんの顔といい、日本のチームの運の良さといい、納得がいくのです。たとえば、相手のすばらしいシュートはゴールのバーではじかれました。アメリカには2点入れられましたが、これらは熊谷さんがきちんとやっておれば防げた点で、彼女もしまったなと思っていると思うのですが(1点目だって、相手にパスが入った瞬間、遅れてダメかなと思ったら、卑怯といわれようが、そこは相手にのしかかったり、足をかけたり、ジャージをひっぱんたりすれば、警告程度の反則で止まりましたし、2点目も、自分のマークを見ないでボールばかり見ていたから、ポジショニングで負けたのですから)、でも、そんなことはすべて消し去るようなかたちで試合が進行し、彼女に最高のPKの場面がおとずれるのですから。また、延長の最後に、監督がPK狙いの時間稼ぎのために選手を交代しました。これは監督として間違った采配ではありませんが、そのおかげで、一瞬、時間の空白が出来てしまい、すばらしいロングパスを決められてしまうという皮肉な場面が出現しました。そのときも、あの退場になる岩清水のすばらしい判断で、監督の采配の(結果的な)失敗が、相手のフリーキックのミスで無得点に終わりました。何か、見えざる手が動いているのではないかと、思わせるに十分な展開でした。私は、ひねくれてそんな見方をしています。そうでないと、小柄なミツバチの日本が、どう猛なクマバチのアメリカを倒せるとは思えないのです。

 ところで、あの熊谷さんは、これからドイツに移籍するそうですね。晴れ姿は、またドイツで見せてもらいましょう。でも、行く前に、吉田先生のところに、金メダルを持って「勝ちました」と表敬訪問にきてくれないかな、と願いたい気分です。それこそ、きたないゴミ屋敷の研究室で、記念写真を撮りたいな、と思わずミーハーなことを思う今日この頃でした。

 私は、熊谷さんのようにあちらこちらと引っ張りだこではないので(事実、8月の北海道への出張は、もう来なくてよいと先方から言われてしまったぐらいですから)、夏休みですが、毎日、大学に来ています。8月4日の免許更新」講習会の準備もしなくてはならないし。そのあと、8月10日あたりから、休暇を取って、信州と奈良への里帰りでもする予定です。でも、18日に宇都宮大学で開催される日本特別活動学会には、出席しなければならないので、17日までには筑波にもどっていると思います。今後の予定はそんな感じです。


2011/7/20改訂版

 放射能注意報発令中(よしだ研究室命名)
 ドイツ気象庁の情報によると、今日と明日は関東から西はすっぽり放射能拡散領域に入ってしまいます。もう逃げようがありません。特に、降り始めの雨に気をつけながら、外出は必要最小限にしたほうがよいようです。ちなみに、私は水曜日も会議のため、大学に来ますが、不必要な外出は避けようと思います。用心にこしたことはないでしょうから。ご注意、ご用心をお知らせしておきます。
 詳しくは、こちらを↓

  http://atmc.jp/food/




2011/7/18改訂版

 奇蹟の奇蹟が起こりましたね。3月11日がとんでもない日であっただけに、私の予想がはずれるのも、めでたいめでたいでーーーーーーす。神がかり的と言おうか、何かに取り憑かれたようなゲームでしたね。すべてを見ていないので、あまりコメントもできませんが。少し見ただけですが、そんな気持ちでテレビを見ていました。「テレビを見ないで寝ると言っていたではないか」、「嘘つき」という声が聞こえて来そうですが。正直に言うと、本当に寝たんです。私の魂をドイツのフランクフルトに送り出していたのです(笑)。シュタイナー用語で言えば、アストラル体と自我体のセットになったものです(笑笑)。朝5時40分に、魂が私を起こしたのです。魂が帰ってきたのかと思って、テレビを見たら延長の前半で、押されている場面でした。こんな押されているのに、よく1−1でがんばっているなと思ってみていました。しかし、時間の問題かなと思っていたら、あの熊谷さんが、他の日本選手と同じようにボールにつられたと思った瞬間、へデングで入れられて思わず、「ああー、やられた」と声を出しました。しかし、追いついたコーナーキックは、同じ事を2度やれと思ってもやれないような、ピンポイントのサインプレーが決まりましたね。これで、PK戦かと思ったら、よいボールが敵に出て、やられた、と思って、これは反則で止めるしかないと思った瞬間、石清水選手が見事に反則で止めてくれました。もちろん、一発退場ですが、見事だったですね。このようなプレーは女子では無理かと思っていただけに(スウエーデン戦に、澤がミスしてボールをカットされたとき、ここは反則しかないというところで、反則できなくて1点取られたシーンがあっただけに)、びっくりしました。銀メダルを金メダルに変えた、見事な判断の反則でした。一瞬でも躊躇すれば、相手はペナルティーエリアの中でしたから。たぶん、誰もあの反則をテレビ解説者は褒めないでしょうが、あそこにこそ、女子サッカーのレベルが高くなったのを私は見ました。PK戦は、実力のある方が焦るので、日本に勝利が来るのは、ここは奇蹟ではないですね(今日も、南アメリカでブラジルがPK戦で負けたように)。それまでが、奇蹟ですね。勝つことはさすがに実力差から見て不可能だと思ったけれど、延長戦までやって引き分けは、神がかり的としか言えないほどの奇蹟だと思います。たいしたものだと思います。失点はしかたないと思いますが、相手のミスがあっても、そこまで焦らせたのですから、アメリカに対して2点取ったのが、すごいと言えるでしょうね。PK戦は、勝利を決定づけるキッカーに、熊谷さんが出てきたのにはびっくりしましたね。一番、年齢の若い選手が選出されるとは思いませんでしたが、それも見せ場に出てきた運の強さにもびっくりしました。蹴るときも落ち着いていたし、蹴った場所も、キーパーには絶対に取れないところだけで、よくもあの斜め上にインステップキックでよく蹴ったね、怖いもの知らずの強さを感じました。若さですね。男性選手の上手いキッカーでも、ボールを浮かないように、低く蹴るのですが、それもサイドキックでしか蹴れないところ(あのフリーキックの上手い中村選手でも遠藤選手でも、ほとんどサイドキックで低いボールですから)を、インステップであそこに蹴るなんて、蹴るも蹴ったりというところですね。2点の失点も、すべて彼女がらみでした。彼女が止めておれば点は入っていない場面でしたが、これからまた上手くなるでしょう。ミスとも言えないような場面でしたが、たぶん負けていたら、本人はとても悔やんだでしょう。ども、その試合で、PK戦で最高の場面が訪れて、そんなことを帳消しにしてしまう、彼女の運の強さにもびっくりです。報道によると、筑波大学を休学して、ドイツのフランクフルトのチームに所属するとか(なぜ、休学するのかわからないのですが。まずは在籍して、欠席しておればよいのにと思うのですが)。いつかドイツに行ったときは、彼女のプレーを見たいものですね。試合後に、道徳教育の補習授業をしたやりたいですね(笑)。「有名になっても、吉田先生のこと、忘れんといてな!」と言いたいところです。
 今日は、うれしい話だけで終わりましょう。実は、ショックな放射能情報を、たまたまドイツのヤフーを見ていたら、見つけてしまいました。それは、また、いつか書きましょう。今日ぐらいは、そのことは忘れて、めでたく、「なでしこジャパーン、優勝おめでとう」「筑波大学関係の熊谷さん、安藤さん、おめでとう」で、終わります。



2011/7/14改訂版

 サッカーの予想がはずれてしまって失礼しました。でも、喜ばしいことですが。特に、ドイツだけでも十分、いや十二分だったのに、スウェーデンまで勝って、もう十二分の2倍くら十分だと思います。運も良かったし、うまく実力がはっきされたのでしょう。ちなみに、私は、試合には負けるだろうと思って、テレビ放送はまったく見ておりません。スウェーデンも朝のニュースで知りました。結果から言うと、ドイツ戦は、強うチームが弱いチームに負けるパターンですね。サッカーは、判定の勝ち負けはありません。枠にいくつボールが入るかですから。特に、その枠に1点がなかなか入らないスポーツですから、バスケットやハンドボールのように、強いチームが必ず勝つとは限りませんから、奇跡のようなことが起こりやすいスポーツです。だから、人々が熱狂するのでしょう。特に、3.11以降、日本には明るいニュースがなかったのですから、これくらいのことがあっても、バチは当たらない気がします。何しろ、あれからというもの、放射能で散々なのですから。しかも、これからも数十年、いや今世紀はこの原発のせいで、日本は苦しめられるられるのですから。とんでもない業ですね。それだけに、少しぐらいは明かるい出来事が神様から、仏様からあってもよいのです。バランスを取る意味で。それは、スピリチュアルな世界観から言えば、当然の法則です。
 
 ドイツに20年以上住む、ドイツ人と結婚されている知り合いの日本人から、次のようなメールが来ました。一部紹介します。

 
日本女子サッカーチーム、物凄い勢いの闘いぶりでしたね!

奥ゆかしい日本人女性のイメージどころか、大和魂剥き出しの

女侍陣と言った感じでしたね。イエローカードも全く無視。

私は見てて快感でしたが、、サッカーに厳しい先生は、如何に?


ドイツの女子サッカーチームは最近少々思いあがった傾向あり、

だったので、良い薬になったようです。

日本選手への好感度は相変わらず高いですよ。
福島原発のエピソードや選手達の苦労話が涙をそそり、でしょうか。


 それを受けて、メールでは次のような内容で返事をしておきました。

 両チームの実力は、一般に、シュートの数とコーナーキックの数を見ておれば、すぐわかります。たとえば、ドイツと日本のシュート数は23対9(確かこのあたりの数ではなかったか)?だから、それが実力差でしょう。つまり、何回も、いや2回試合すれば、2試合とも、日本が勝つことはあり得ない実力差です。でも、1回勝負なら、先ほども言いましたように、サッカーは素直に実力と勝敗が結びつかないから、おかしな結果が出ますと。




しかし、実力差もある程度、接近しないとやはりそういうことも起こらないでしょうから、それなりに実力も接近していたのでしょうが。きっと、ドイツも簡単に日本に勝てると思っていたのでしょうが、おそらく決勝戦までの2試合は楽勝とうぬぼれていたのでしょう。前半に1点でも先にドイツが入れていたら、圧倒的な力の差が出たのでしょうが。勝負事は、サッカーにかかわらず、怖いものですね。スウェーデン戦は、シュート数がどうだったのかわかりませんが、勢いだったのでしょうかね。何しろ、点数の入るところしか、ニュースは放映しないので、よくわかりませんが。

 今日は、大学の事務職員の方とも話をしていて、決勝はどうなるでしょうか?という話題になりました。その事務職員の方は、なんと今日の生放送を見て、応援していたと言っておられました。熊谷選手が筑波大の3年生だと教えてあげていたので、注意して見ていたそうです。教えてあげた本人は、今日の夜中に試合があるんだったっけ、と思いつつ、確かめもしないで、さっさと2時過ぎに寝ていました。その方は、今回は3対1だから、かなり日本は強いので、優勝するのではと私に話されました。私は、その問に対しては、知性的に判断すれば、ドイツに90%負けるというところから言うと、今度は99%負けるとしか、言いようがないと言いました。でも、感性的に言えば、100%勝ってほしいのです。だから、私の中では、分裂を起こしていますと答えました。現実と願望の乖離ですかね、と言いました。その方は、サッカーの素人だからサッカーで3点取るというのはすごいんだ、実力差が2点と思っておられました。しかし、私は、サッカーのトーナメント戦で、1対2で負けていたら、後半の残り時間がなくなってきたら、少しぐらい危険をおかしてでも、前がかりに攻めますから、思わぬところで、負けるときはさらに点を取られることは試合終了前はしばしばあることを知っていますので、その方のように単純には点差を実力差とは思えないのです。その方もあまりサッカーをご存じない方なので、それ以上言いませんでしたが、スウェーデン戦のゴールシーンをニュースで見ましたが、私に言わせれば0対0で90分終了、延長戦という内容でしたね。もし、男性のサッカーならそうなったでしょう。つまり、相手に入れられたのは、アナウンサーや本人も認めているように、澤のミスです。あのゆるいバックスパースは。でも、男性ならば、パスカットされた時点で、敵にボールが渡った瞬間に、警告かくごで足を払いにいかなければならないシーンでした。まあ、女性のサッカーだから、しかたがないところでしょう。それに対して、日本の1点目から3点目までは、すべて相手ゴールキーパーのミス(下手くそ)ですね。1点目は、ゴールエリアの中に来るボールですから、また相手が味方の選手よりも前に抜け出ているのですから、キーパーが飛び出たら終わっていたシーンです。もし、ボールがこぼれても、キーパーは、ゴールエリアの中で保護されますから、勇気はいりますが、キーパーとぶつかった時点でキーパーチャージで、止まっていました。2点目も同じ。ゴールエリアのセンターリングですから、簡単にキャッチできました。おそらくこのゴールキーパーは、とびでるプレーが苦手なんでしょう。ここでも、高いボールでもないのに、お粗末なパンチングをして、こぼれ球を澤がヘッドで押し込んでいます。三点目も、早く1点を取らねばならないので上がり気味のところ、バックスとキーパーの間にボールが出され、それを蹴りに行って、そのクリアを横に蹴り出せばよいものを。時間がないために、攻撃になるようなキックをして、日本選手の前に蹴ってしまい、無人のゴールにボールが入ったわけです。つまり、スウェーデンの側に立てば、3点とも、キーパーミスでした。だから、うまいキーパーなら、日本のミスがあるなしにかかわらず、1点も入っていなかったでしょう。しかし、あのキーパーは、とびでるのが下手で、バックスのウラで、ゴールエリア付近を狙えばチャンスがあるということをわかっていたのならば、作戦勝ちというものでしょう。3点とも、根っこは同じプレーですから。そして、見事に、普通はキーパーのミスによく見ないと見えませんが、見事にそれを誘うボールが出ています。偶然なのか、ベンチの作戦勝ちなのか、わかりませんが。もし、ニュースでそのシーンが出たら、その問題意識で見てください。ミスに一見見えないが、実はミスだと見えてくると思います。とびでるプレーは、キーパーとしては難しいのですが、キーパーの実力が意外と出るところです。昔のホームページには、よく書きましたが、男性の日本代表のサッカーなら、よく私が川口選手を批判していたことと同じ事です。ミスに見えないが、実は大きなミスなのです。でも、私は、あのキーパーの弱点を、日本のコーチの誰かが見抜いていたと思っています。その作戦を実行したら、見事に当たったと見ています(はずれていたらごめんなさい)。
 それで、アメリカ戦ですが、先ほど述べたとおりです。1%の可能性が実現するためには、シュート数やコーナーキックはどんなに多くても、枠の中さえ入らなければよいと思い、徹底的に守り、焦って前がかりになったところを、カウンターで1点入れて守りきる、あるいは0対0で、PKで勝つぐらいでしょうか。どうして、そんなに日本に冷たいんだと言われそうですが、知的に考えると、そうしか結論に至らないのですから。しかたがないでしょう。でも、気持ちとしては、昨年、授業で教えていた熊谷さんが出ているわけで、弱いチームが強いチームに勝つときは、バックスが耐えて勝つしかないのですから、勝つと言うことは、一番後ろを守る熊谷さんががんばることですから、気持ち的には応援しています。昨年は、「来年、ドイツに応援に行くわ」と言いながら、ここ日本でいるわけですから、気持ちだけの念を送りますか!よし、昨年の彼女の書いた答案が研究室に保管してあるので、それを見ながら、「サキ」ちゃんに念を送りますか!!!!

 サッカーの話題はそこまでとして。

 今週も来週も、どこにも出張しないで、毎日、大学に来ています。授業はないのですが、いまテストの採点で大忙しです。今日は、まわりの先生方はだれもおられないようですが。また、何人かの先生は、海外出張でけっこうどこかへ行かれたようですが、私は仕事があるため、毎日、大学に来ています。何かあれば、ご連絡ください。8月4日の教員免許更新講習が終わるまでは、動けないのです。ちなみに、その講習会は40名定員なんですが、なんと90人を超える希望者がおられるようで、びっくりです。遠いところから、わざわざ私の講習に来ていただける先生がおられるようで、事務の方には、せっかく希望されているのですから、何人でもウエルカムですから、認めてあげてくださいと言っておきましたら、この結果です。ありがたいことです。期待にそえるように、がんばりまーーーす。私のこの程度の知識で、教育現場の先生に何らかの寄与ができるなら、夏の暑さも、放射能もへっちゃらだと、思おうとしています。

 サッカーの話題を加筆(7月16日)

 1%の戦術は何かあるか、という問い合わせがあったので、回答します。

 おそらく、繰り返しになりますが、ドイツ戦が90%不可能なら、今度は99%不可能です。でも、感情的には200%勝ってもらいたい気分です(個人的に言うと、アメリカ人が嫌いだというわけではなく、アメリカという国が大嫌いなのです。だって、これまで私は30カ国以上の国に出かけていますが、アメリカだけは行ったことはなく、最後まで行きたくない国の一つです。個人的な理由を告白しておくと、みなさん笑うかもしれませんが、原子爆弾を落としても謝罪の気持ちも示さない国は、嫌いなのです。長崎だって、広島だって、そこには軍人よりも、何も知らないで暮らしていた子どもや女性がいたのに、そのうえからそんな爆弾を落とせばどうなるぐらいわかるではありませんか。それなのに、落としておいて、謝りもしない、そんな一神教の国を応援できますか。そんなわけですから、思わずその思いをかぶせてしまって、かんぷなきまでに、やってつけてほしいと思ってしまいます。また、そんな国の教育システムを研究したいと思いますか。カウンセリングやその影響を受けた道徳教育理論を批判する根本の一つは、ここにあるかもしれませんね。カウンセリングのルーツは、告白や懺悔ですから。原罪を犯した子孫の人間は、罪深く、定期的に恥ずかし下もなく告白させられるのです。クリスチャンなら、敬愛と信頼のよせる神父様に苦悩を打ち明けてい意識化すれば救われても、職業化したエセ神父に心を裸にさせられるわけですから、しかもそのエセ神父が人の心の中をのぞき込むことを趣味とする人間でない保証はどこにあるのでしょうか。恐ろしいキリスト文化の派生物です。それに対して、日本の文化では、八百万の神でして、人の心の中を見せてほしがるような神もいないでしょうに。人間と神との関係性が根本的に違います。そんな幼稚な思いが、実はドイツ研究と、地下水脈でつながっていることは確かだと思いますね。少し横道に逸れました。すいません)


 しかし、競技、特に手を使わないサッカーですから、勝負は下駄を履くまで何があるかもしれません。たとえば、あまりか選手が退場処分を受けたら一気に事態がかわるように。まあ、とにかく、実力差は歴然としていますから(試合のシュートの数とコーナーキックの数は日本の3倍以上でしょう。でも、サッカーは実力差があっても、ゴールが入らない限り大丈夫ですし、ましてやPK戦なんかになると、まったく実力差は関係ありませんから。それだけに、この間のドイツ戦のように、あれよあれよと思う間に、時間だけが経過し、引き分けだと。強いチームが焦りだし、墓穴をほりやすのです)。だから、まず、
大前提は、ゴールポストとバーに味方になってもらわなければなりません。敵の当たったボールは、すべてゴールにならないこと。そのうえで、戦術は、体格差があるので、ボールを止めてあまり一人がもたないこと。専門用語で言えば、ワンタッチか、ツータッチぐらいでボールを扱う。持ってしまうと、接近戦になると、体格の差が出てきてしまいます。要するに、相手とぶつかるまでに、さっさとボールを離す。それを基本にしつつ、相手ゴールのペナルティーラインの角の内側ならば、禁じ手であるドリブル突破をしかけることです。選手の中で一番強い大野選手に特に期待したいです。これまで、パスサッカーをしていて、急にボールを持ちますから、相手も不意を喰らわされてうまく突破できるかもしれませんし、できなくても、体格の大きな選手がつぶしにきますから、ファール(反則)を取ってもらいやすいです。そこで、直接フリーキックを取れば、宮前選手のフリーキックにかけることです。ペナルティエリアのすぐ外ならば、彼女ならば、3回チャンスがあれば、1点の可能性は大だと思います。フリーキックは体格差の影響はないし、以前に言いましたように、あのゴールは女性には大きすぎて(イギリス男性に手頃な大きさとなっていますから)、キーパーはとても守れません(横7.32メートル、高さ2,44メートル)。キーパーの取れない範囲がかなりあるのです。特に、両サイドの上は、女性のキーパーの身長ではとてもとどきません)。よい場所に蹴れば、点数になるのです。あとは、局面が開けないときは、スウエーデンとの時と同じで、バックスの裏で、ゴールエリアに近いところにクロスボールをあげることです。この攻撃は、一定の能力のあるキーパーなら無駄な攻めなのですが、キーパーが弱いと効果は抜群です。ボールは丸いですから、どこにポロリとボールがこぼれるかもしれませんから(このあいだのスエーデン戦の澤がヘッドで押し込んだ2点目ような)。アメリカのゴールキーパーも、それほど上手いようには見えなかったし、何度も繰り返しますが、ゴールの大きさが男性のものと同じですから、女性のゴールキーパーには大きすぎるのです。それ以外の、攻撃上の秘策のようなものはありません。ただ、あとは、ひたすら守るだけです。以上が、私の考える1%の可能性にかける戦術です。戦術以外にもう一つプラス材料があります。日本のマスコミはわかっていないのでしょうか、たぶん、ドイツ人の観客のほとんどは、日本チームを応援してくれると思います。私を知っているドイツ人みんなは(いつもニュルンベルクで泊めてもらうクーンご夫妻、ニュルンベルク駅でプリッツェルのパンを売っているおばさんなど)、日本を必ず応援してくれているはずです。ドイツ人は、日本とアメリカとどちらが好きかたずねられたら、きっと日本を選んでくれるからです。これも、実は、私のアメリカ嫌いと通じていて、あの第二次大戦の影響だと思いますね。だから、外国であって、ホームでやるような雰囲気があると思います。きっと、アメリカに有利な判定が出ると、きっと大きな声でドイツ人はブーイングをして、審判に圧力をかけてくれると思います。これは、日本にとって大きな戦力です。選手が1人多いぐらいの有利さかもしれません。

 でも、あの180センチも超えるアメリカのFWのエース、いま、全盛期のあの選手と我が日本で、一番身長のある171センチの熊谷さんがマークするのでしょうが、可哀想すぎますね。思わず、反則ですよと言いたい気分です。彼女を封じなければ日本の勝利はないのですから、熊谷さん、がんばってください。でも、昨年まで欠席届をしばしば私の研究室まで持ってきていた女子学生さんだけに、思わず、「ケガだけはするなよ」、と親心的に言ってあげたくなる気分です。でも、彼女は、きっと、こんなチャンスは生涯でそうそうあるチャンスではないので、ケガの一つや二つのつもりでやるに決まっていますが。そのくらいの強さがないと、ここまで強くはならないだろうと思いつつも、ついつい親心で、「ケガをするな」と言ってしまう私がいます。それから、もう一人の卒業生の安藤さんもがんばってください。ヒーローにはなっていませんが、攻撃の陰の力持ち役をやっているのは、サッカーのわかる人は評価していますから(実は、大きな声では言えませんが、澤選手は年齢的にピークはもうとっくに過ぎているだけに、周りがそっと助けてあげないとダメなんです。でも、日本のマスコミは、絶対に澤選手の批判は言いませんが。確かに精神的支柱になっていますから、悪口は言う必要はありませんが、クールに言うと、やはり体力が持ちません。そうであっても、澤選手がいなくなると、チームがガタガタとくるでしょう。やっぱり、実力以上の、オーラと言いますか、人望というか、なにかを彼女はチームの中で持っているのでしょうね)。本当に、サッカーの質だけなら、日本の方がアメリカよりも上だと思います。技術は、日本は世界一でしょう。技が力を封じてもらいたいのだが、サッカーは格闘技という側面があるので、つぶされて負けてしまうのかなというのが正直なところです。柔道で言えば、軽量級の選手が重量級の選手に挑戦するようなもので、軽量級の技が押しつぶされるようなものです。本当に相手が真剣に勝つ気でくれば、試合早々から日本選手の足下に、イエロー覚悟で、サッカー用語で言えば、「削り」にくるでしょう。男性の場合、韓国の選手は必ずと行ってよいくらい、試合開始の頃から、最も上手い選手に、ハードチャージをかけてくるでしょう。私がアメリカの監督なら、確実に勝つためにそうさせてから、ゴールを狙いに行かせるでしょう。それは、戦術ですが、サッカーは、よきある話です。
 以上、復習すると、知的には99%負けると思いつつ、1%の勝利を期待して、200%感情的にはかってもらいたいので、テレビで応援しますと言いたいところですが、でも布団の中で寝ているでしょう。寝ていると、きっと以外と、魂だけは10000キロ離れたドイツのフランクフルトに飛んでいっているかもしれませんし。スタジアムは、フランクフルト空港で飛行機からを降りて荷物を受け取ったら、長い高架橋のようなところを渡らないで、すぐに地下に降りて、近郊列車(Sバーン)で1駅で、歩いて5〜10分だから、寝ていても、目をつぶったままでも、迷わずに私の魂は到着できるでしょう!!(笑)そのときは、あいかわらず貧乏性がついつい出てしまって、きっと格安の見にくいゴールの斜め後ろで見ているでしょう(笑笑笑)。
 もうすでに奇蹟が起こっているのですから、勝てるはずがないと思っていても、もう一つ奇蹟を起こしてほしいと祈りつつ、「幸運を祈る!」をドイツ語で言います
「Alles Gute!」

 こんなめでたい話題に、一つだけ、懸念があります。小さい字で書いておきます。
 この女子サッカーの活躍が、放射能汚染問題に利用されないかと。電力会社と日本サッカー協会という組織間の関係が懸念されます!女子選手が利用されることを。サッカーに少し詳しい人ならわかると思いますが、電力会社と日本サッカー協会が福島県という場所で点と点がつながることを。取り越し苦労で終わることを、これも祈りますが。



2011/7/7改訂版

  暑いですね。1日1日があっという間に、過ぎていきます。
 そんな折りに、研究室の近くにこんなものが・・・・・。




何と、私の研究室の下に、スズメバチの巣ができていたのです。
何か、スズメバチがブンブン数匹が窓の外を飛んでいるなとは思っていたのですが、まさか窓の下とはわかりませんでした。早速、事務の方が市役所に連絡してもらったようで、まもなく撤去していただけることになりました。調子に乗って、窓から顔を出して様子をうかがうものなら、顔に襲撃を受けていたかもしれません。スズメバチは、少林寺拳法では受けきれませんから(笑)。クワバラクワバラ。


次に畑の報告。
今はこんな感じです。



 この暑さで、10日あまりで、ヒマワリはこれだけ大きくなりました。100本以上のヒマワリが咲き誇ることになるでしょう。咲いたら、ほしい方は、どうぞご自由にお持ちください。
 本当は、今頃は、新ジャガが収穫できる頃なのに。「原発のヤロー、責任取れ!弁償しろー!」と騒ぎたいところですが、災難に遭われて避難されている農業の方、酪農の方、漁師の方、その他住民の方に比べたら、ぜんぜん小さな事柄ですから、私レベルで文句を言っていたら申し訳ないので、我慢しておきます。でも、自宅では、しばらく停電や断水などで被害に遭ったのは事実ですから、市役所で「被災証明書」を取ってきました。これで、水戸より以北に行くときは、高速道路は1年間無料になるそうです(まだ、試していませんが)。タダでは起きない関西人ですね、と言われそうですが。あたりまえでしょう。私の辞書に「泣き寝入り」はありませんから。だから、心の病もストレスもないのでしょう(笑)。

精神病のお医者さんと薬屋さん(心療内科のお医者さんが増え、すごい量の精神薬が毎日オートメーションで製造さられているようですが)、儲けささないで(利用しないで)、すいません。



 それから、今年、交換留学生で来ている中国の大学院生が8月3日に帰国しました。また、9月上旬に日本に戻るそうですが。私は、もう筑波大に12年間いますが、はじめて留学生を引き受けました。多くの中国留学生は、日本語科専攻なので、かなり日常会話ができるのですが、私のところに来た中国人は、めずらしく教育学専攻なので、日本語がいまいちできません。それで手のかかることかかること。こちらも可哀想に思って、ついつい親切にしてあげるものですから、キリがありません。来日してすぐに市役所に手続きにいっしょに行ってあげたのがケチのつき始めで、スーパー、ディスカウントストアー、ファーストフード店、などなど。そこへ行って、「安い」という概念を教えてあげました(笑)。それから、日本語が読めないと教えてあげたり、とても教育学の先生としてではなく、まるで日本語の先生、生活指導の先生、タクシーの運転手、銀行員、郵便局員などなど・・・・・。奨学金ももらっていないので、またお金がないというので、生活のための食器一式(包丁まで)。。。。。。いつも、たどたどしい日本語で、「先生お願いします。迷子になってしまいます。先生お願いします」など言ってと何度も頭を下げるので、ついつい言うことを聞いてあげています。そんなことをしてもらった話を中国の留学生にしたところ、「あなたの先生は暇なのですね」と言われたそうです。それを聞いた私は、そのときには、「りっぱな、本当の道徳教育の先生だからと言ってあげなさい」と言い聞かせました。この子が頼むとというか、困っていたら、助けざる得ない、助けてあげたい雰囲気(人間性)を醸し出しているのです(私もドイツに行ったら、言葉が通じないで、いろいろとご面倒をかけているのですから、その分を他の国の人であっても返してもよいのではないかと考えています。でも、インスピレーション的に言うと、何かこの人ではないのだけれど、この人の背後にいる人(祖先・親族)に、何か恩義を返さなければならないものがあるような気がするのです。昔の満州国出身だから、たとえば、私の親族が過去にこの人の背後にいる人に助けてもらったとか、など、何かあったような気がするのですね。もちろん、気のせいかもしれませんが。そう思っても、本人をはじめ、誰にも迷惑をかけないのですから)。私の研究室の隣の同僚の先生も、同じようなことを言っています。その先生も、留学生センターへの道を教えてあげたが、何かそのままさせるのも心配だと思い、食事の時間を削って片道10分の道程を一生に行き、そこで用事を済ませていっしょにもどってきたそうで、私と同じ被害経験を持ったようでした。そんな学生がいったん帰国したので、今のうちに仕事だと思っているのですが、暑いのと、時間が経つのが早いのとで、困っていますが。
毎日、大学に来ております。今週は土日も来ております。

 付記
 現在、ドイツで女子サッカーのワールドカップが始まっています。本当は、視察に行くはずだったのですが。私が言って、DFの熊谷選手に指示をしてあげれば(彼女には、昨年の11月にチケットを確保しておくように言っていたので。本当ですよ。本当!間違いなく言いました。ほんま者の道徳教育の先生ですから、ウソはつきません。でも、彼女は、真剣に切っていなかったと思いますがね。彼女は現在筑波大学の3年生に在籍し、昨年度に道徳教育の授業を教えました)、イングランドにもう少しいい試合ができたかもしれないので残念です(冗談ですよ!(笑))。何もコメントがないのも寂しいもので、いつものひねくれた視点から言っておきます。何か、学生さんの中で、私のサッカーのコメントを聞きたいという希望があるので。
 マスコミは、北京オリンピックでベスト4だから、「今度は金メダルだ」、「最低メダルだ」と騒いでいましたが、そんなことはあり得ないと思っていたので、あきれていました。最近の日本の社会事象の報道を見ていたらわかるように、とても信頼できません。やはり、道徳教育といっしょうで、心情主義ではダメで、もっと客観的事実を認識した上で、願望を込めて語ってほしいと思っていました。マスコミも、イングランドに負けて、ようやくこれではまずいと思ったのが、急にトーンが落ちましたね。はっきり、申しあげて日本は予選リーグを勝ち抜くのが精一杯の実力でしょう。ニュージーランドにも勝てて、予選リーグを勝ち抜いたのですから、それでよしとしてあげるのが、順当なところでしょう。男子の岡田監督のベスト4と同じで、ホラもほどほどにしておきなさい、ということです。
なぜか。過去の歴史を冷静に思い出してください。マスコミの根拠は、北京オリンピックのベスト4でしょう。しかし、あのときは、12チームで、4チームごとに3ブロックに分けて予選が行われました。日本の予選リーグは、ニュージーランドと引き分け、アメリカに負け、第3試合に、すでにニュージーランドとアメリカに勝って、決勝トーナメントを決めており、負けてもまったく問題ないので、疲れた主力を休ましたノルウェーが、日本と対戦したのです。そのときに、日本は1点を取られたのに、5点を取り返してかって、1勝1敗1分けとなり、2勝していたアメリカとノルウェーが決勝トーナメントに進出しました。それで、各リーグで3位で、得失点差で、やる気を喪失していたノルウェーから5点を取ったことが効いて、カナダと日本が、3位であるのに、いわばアメリカ大リーグのワイルドカードのようなもので、決勝トーナメントに進めたのでした。そこで、対戦したのが、体格差のあまりない中国でした。ところが、このオリンピックの組み合わせが実にうまくできていて、中国がなぜか強豪のいない(ベスト4には絶対に行かないような国々の)ブロックになっており、そこで1位になりえるように、悪く行っても2位通過するようになっていたのです。そこで、うまく1位になって通過し、決勝トーナメントでは、弱い3位でも進んでくるチームと当たるようになっていました。中国としてはその弱いチームに勝ってベスト4に入れるようになっていました。そして、うまく決勝に行ければよいが、おそらく実力で負けても、3位決定戦の試合で、うまくいけば決勝に行けなくて戦意を失いかけているチームに、いわゆるホーム試合(審判の判定と観衆の応援)で、銅メダルを取ろうとしていたのでしょう。しかし、その弱いチームに日本が来てしまい、体格の劣る欧米には弱くても、体格の違わないアジアには、日本の技術が生かされて、日本が番狂わせで勝ってしまったのです。何事も策略は必ず最後は負けるように、いわば、トンビに油揚を浚われたのが、中国だったのです。そのトンビになった日本は、もちろん次の準決勝では予選に負けていたアメリカに当然のごとく負け、3位決定戦にまわるのですが、そこではドイツが来るのですが、中国のようなホーム試合ではないので、実力通り負けるわけです。そのときに、マスコミは、メダルを逃がした惜しかった、もう一歩だった、ベスト4だ、と賞賛したのです。そこで、冷静に考えてください。日本は、予選リーグ1勝1敗1分けで1勝しかしていません。決勝トーナメントでは、2試合して2敗ですから、オリンピック全体で5試合して1勝しかしていないのです。しかも、その1勝も、その予選リーグで2勝していて、勝負に関係なかって戦意の弱まったノルウェー戦(真剣なガチンコ勝負ではないに勝っただけです。元来、ノルウェーは、日本が5点も入れて勝てるような相手ではありません。第一試合で、アメリカに2対0で勝ったチームですから、ガチンコでぶつかれば、5点どころか、勝てるわけがないのです。普通なら、2敗1分けで、同じ勝率でニュージーランドとともに、敗退する程度だったのです。そんなチーム相手に5点入れさせてもらって、得失点差で決勝トーナメントに進出したのですから、きわめて運がよかったし(それこそ、何か裏にあるのではないかとも思いたくなります。ちなみに、そのお陰で、ワリを食ったが北朝鮮ですが。もし、ノルウェーがおかしな負け方をしなければ、日本に代わって北朝鮮がコマを進めていたのです)、また決勝トーナメントでは、出場チームとしては日本と同じくらい弱いチームの中国にあたるという幸運があったからの、ベスト4なのです。そもそも、12チームが出場して、1勝しかできないチームが、ベスト4になるのは、どう考えても不自然でしょう!組み合わせになにかおかしさがあるのです。そのおかしさを、日本は中国に勝って狂わせてしまたのです。中国の策略がやぶれ、よりにもよって、その恩恵が敵国の日本に行ってしまったのですから、しくんだ策略家はさぞかし無念でしょう。世の中、やはりお天道様が見ているのですよ。人間の目はごまかせても、お天道様は見ているのですよ。結局、日本戦を甘く見て、おかしな戦いをしたノルウエーは調子を崩して決勝トーナメントですぐに負けてしまい、予選リーグの第一試合にノルウェーに負けたアメリカは、弱い日本とニュージーランドに勝って1位通過して、準決勝では予選リーグで調子を取り戻させてくれた日本と再び当たるという幸運に恵まれ、優勝してしまったわけです。この大会から、策におぼれ国から、人生訓を学べますが、日本の実力もはっきり見えるはずです。だから、今回、ニュージーランドに勝って決勝トーナメントを、以前のような運良く突破したのと比べれば進歩で、そこだけでも一歩前進でよかったのです。人間は、欲はほどほどがよいのと同じです。これで、よかったのです。あとは、付録と考えるべきなのです。
 それが客観的見方です。しかし、そのうえで、できれば次の試合にがんばってもらいたいというのは、心情の世界で、願望です。おそらく、勝負にならないと思います。それでも、願望としては、そうとわかっていても、昨年に、道徳教育を教えた熊谷さんが、DFの真ん中、いちばんの中心選手として、強豪チームの攻撃を受けるのですから、「がんばれよ」と言ってあげたいものです。昨年の東アジア女子サッカー選手権に中国に出かけるときに、「監督やコーチは目の前の試合に勝たなければクビがかかるから激しく当たれというけれど、君はこれから先もあるから、大きなケガをする可能性のあるようなときには、監督やコーチに怒られても、「すいません」と謝ればよいのであって、とにかくこんなアジアの大会でケガをしたら何もならないぞ。これから、来年のドイツ、そしてロンドンオリンピックへと行くのだから、自分の身体を大事にして、ケガをするんじゃないぞ」と言いました。そのときに、「ドイツのときはチケットを頼むぞ」と言っていたのです(本人は忘れているかもしれないが)。今度会ったら、「ロンドンのチケット頼むぞ」と言ってやろう、と思っているだけに(でも、期待はまったくしていませんが)、活躍を祈りたいが。彼女が活躍するということが、日本の絶対条件なのだから。女子の場合は、ゴールキーパーは大きな影響を及ぼしません(ミスはもちろん響きますが)。ほとんどが、センターのDF勝負です。なぜかというと、ゴールの大きさは男子と同じなので、女子のキーパーでは、ある枠の範囲にボールが飛べば、止められないから、そこに目がけて打たれたらおしまいなのです。私自身は、負けてもよいから、彼女にはケガだけはしてほしくないという気持です。だって、彼女は来年のロンドンオリンピックで22歳ですから、あと10年くらい日本代表として、欧米の大柄の選手と戦ってもらいたいですから、大きなケガだけはしないでもらいたいのです。その意味では、これから10年、なでしこジャパン背負って、やがてはキャプテンとしてがんばってもらわないといけないのですから。
 「ケガのないように、がんばりやー、熊谷さん」
  「勝敗は、奇跡を祈りたいが、二の次三の次だよ」 
  でも、「武運を祈る」
(熊谷さんは、ドイツにいるから聞こえるようにドイツ語で言ってみますか。あれえー、熊谷さんは、ドイツ語を第二外国語で受講していたかどうかわかりませんが<笑>)
  
  Alles Gute !!!  Saki !!!!!!!!!!!!!!




 ところが、熊谷さんは、私が恐れていたケガをしてしまったのです。あれだけ、私が注意したのに!!!!実に残念だ。
 でも、時間が経てば、完全にプレーに影響ないところではあるのですが。。。。。
 
 こんな記事を見つけました。
 喜んでよいのやら、悲しんでよいのやら、複雑でーーーーす。

 女子W杯の対ニュージーランド戦で、頭に包帯を巻いた状態でフル出場したなでしこジャパンのDF熊谷紗希が、
ドイツ紙ビルトの電子版に「なんと勇敢な日本人女性か!」と写真つきで賞賛されている。
  >
熊谷は10日前のテストマッチで頭部を負傷。5針を縫う怪我を負いながら、
ヘディングでの競り合いにもまったく恐れるそぶりを見せず、勝ち点3獲得に貢献した。
  >
ビルトは、1982年のドイツ杯決勝(男子)で、試合中に頭部に大怪我を負いながらプレーを続けた元西ドイツ代表の名手、
ディーター・ヘーネスを引き合いに出し、熊谷を「女版ヘーネス」と呼び、「12,538人の観客は彼女の忍耐力に感服した」と報じた。
  >
熊谷は今夏、ドイツのフランクフルトへ移籍することが決まっている。 」





 



2011/6/30改訂版
(翌日、一部加筆)
 苦情は言ってみるものですね。東京電力も、苦情を受けるだけでなく、こんな壊れる原発をアメリカが売ったのですから、ダメもとで、アメリカに苦情を言ったらよいのではないかと思いますが、間違っていますかね。少しぐらい、責任を感じて、賠償金をくれるかもしれないのにと思ったりするのは、汚いですかね。こんなことを言うと、関西人は、金にうるさいなーと言われそうですが、泣き寝入りは寂しいと思うのですが。なにしろ、私の辞書には、「泣き寝入り」というのはないものですから、ついつい、文句を言いたくなる性分なのです。
 そうなんです。このホームページを見られたH先生が、オーストライアのグミと、飴のようなもの(オーストラリアなのに、右上に中国語が書かれているのだが。金宝楽? 杏仁緑茶軟?糖などと)を持ってきてくれました。人間、厚かましく言ってみるものですね(笑)。ありがとうございました。早速、賞味させていただきます。体内被曝の心配がないので、今のような日本では、助かります。





  日本では、情報過多というような状態なのに、放射能情報はきわめて少ないですね。洗濯情報、花粉情報、「でんき予報」のようなものでもテレビで放送されるのですから、「放射能情報」もお願いしたいものです。情報と言っても、予想のものであるため、はずれるでしょうが、それでもよいと思います。天気予報みたいなものですから。でも、日本の新聞も肝心なこと(わかりやすい「でんき予報」を言うなら、わかりやすい「放射能予報」も併せて掲載すればよいこと)は教えてくれないので、我が家では、ついに新聞の購読をやめました。家族からは苦情が出ておりますが、そこか家長の権威、「ダメなモノはダメ」、「ならぬことはならぬものなのです」(福島県の日新館の教えです)。せめてもの抗議です。しかし、私の日頃から気にしている次の5点の疑問に答えてくれたら、日本の新聞も考え直してもよいですが。
 1.なぜ、放射能拡散予想(放射能予想)を天気予報や花粉情報やでんき予報の横にでも掲載しないのか?
 2.なぜ、日本では、沖縄に原発がないのか?
 3.なぜ原発は津波に襲われる海岸線にあるのか(フランスやドイツでは、平地のど真ん中にも原発があるのに、なぜ日本は海岸線にいつも置かれるのか)?
 4.なぜ、公表される放射能の総蓄積量が3月23日以降からのもので、3月12日からのほぼ10日間が出てこないのに、どうして疑問をぶつけないのか?もう、今ならパニックの心配もないのに。
 5.なぜ、電力が足りないという報道はあっても、供給量が危ないから、火力・水力・ガスなどの発電をフル稼働させて、急場をしのいでいる(努力をしていない)という記事がでないのか。

 でも、暑いですね。でもでも、風は東南東の風ですから、放射能は太平洋に向けて、やがてはアメリカの方向へ流れているので、何よりも安全です。安全には安全でよいのです。こんな放射能とギリギリの関係でおつき合いしたくないですから。



 筑波大学は、もう試験期間に入りました。これから、採点がたいへんです。
 試験のことで何か質問等がありましたら、学生さんは、いつでもメールでご連絡ください。

 学生の皆さんへ
 7月4日(月)6限目の「道徳教育」の定期試験は、どんなに暑くても寒くても(寒いはずはないですよね。言葉の勢いで書いてしまいました)、予定通り実施します。
 テキストとノート持ち込み可です。電子辞書で足りなければ、道徳教育の参考書でも百科事典でもOKです。



 では、元気にやっておりますので、ご安心ください。
 暑い中、たいへんでしょうが、暑いときは放射能が吹いてこないということで、関東。中部の皆さんは喜びましょう。そんなんことを考えたら、少しでも、暑くてもありがたいなーと思えるかもしれませんよ。
 お元気で。がんばって、この夏を乗り切りましょう。災害を含め、これも日本の業なのでしょうか?! 世の中は、万事、「因果応報」といいますから。でも、日本はいつそんな悪いことをしたのか、という疑問が出てくるのですが。きっと、凡人にはわからない「謎」があるのでしょう。あまり文句は言わないで、特に特定の他人に文句を言わないようにして(他人に文句を言っていると、福が手から逃げるだけでなく、ここでは詳しく申しあげられませんが、シュタイナーが言うには、とんでもない被害を違う形でくらうそうですから、クワバラクワバラ)、達観して日々がんばりましょう。ではでは。
                                                                                                      




2011/6/25改訂版
 地震雲
 の発見後、2日目?でしたっけ、島根県あたりで震度3程度の地震があり、それから1週間ぐらい経って、23日午前6時51分に青森県あたりで震度5弱の地震があっったようですが、大きな被害もなく、何よりでした。吉田予言が当たったかどうかについては賛否両論があるかもしれませんが、まあ、特に治療に伴う副作用のようなものもそれほどないのですから、「ほんとかいな?」と頭の隅の隅にでも置いておいたらよいのではと思っています。それほど、当たるものではありませんし、特別な研究費ももらっていませんが、それに比べて○×大学や△□研究所が莫大な何億、何百億という税金を受け取って研究しているわりに、3月11日のM9のあんな大きな地震の発生も予測できなかったのですから、中型程度の予測はできないでしょうから、私の予想のズレ程度は許される範囲でしょう(笑い)。

 危険を知らせる予想でふと連想したので、今日、更新したのです。
 実は、今日の土曜日は、関東地方は昨日や数日前に比べたら、風が吹いて過ごしやすい1日になっています。それで、皆さんが安心して過ごしているのではないかと思ったので、ここはひねくれ者の私は警告をしたくなりました、そうです。放射能でーーーーす。ドイツ情報によると、今週は、夏型で、南西の風が吹いて、太平洋側に放射能が拡散していたので、安心していたのです。それこそ、アメリカで開発した原発が壊れたので、アメリカに向かって放射能が戻っていくのは「因果応報」だわなと、おかしな理屈をつけて情報を見ていました。ところが、今日は、関東の皆さん、東からの風が強いですよね。南風が吹かないので涼しいのですが、人間の世界とはよくしたものですね。過ごしやすいと思ったら、実はその東風は、1週間にわたって東に飛んで行っていた放射能が、逆に風が吹いて、戻ってきているのです。つまり、過ごしやすい風と思いますが、実は怖い風なんですね。日本は、たとえ猛暑であろうが、南西から風が吹いている限りは、放射能に関しては安全なのです。今日は過ごしやすいと思いっていたら、まるで「知らぬが仏」の喩えの状態なのです。
 「ドイツの情報なんか信じられるか」と思われる方に、日本を含めたあちこちの放射能情報がわかるサイトを紹介しましょう。ドイツだけでなく、オーストリアやノルウェーや台湾などの他国の情報を見てください。言っている意味がおわかりになるでしょう。今日は、関東全域は包まれてしまっています。

    http://atmc.jp/food/


 我が吉田家では、家族全員が家から今日は出ているのですが、「できるだけ外に長く出ない屋内にいて、今日の雨には濡れるな」という指示を出しています。神経質かもしれませんが、放射能は浴びないにこしたことはないのですから。テレビから流れる「安心」(虚構の世界)は、「安全」(現実の世界)ではないのですから。「直ちに危険はない」は、「後には危険」と解釈できそうで、嘘ではないでしょうし。そのように「安心」や「直ちに危険はない」とおっしゃる方に、もし突っ込みを入れさせていただけるなら、「3月12日から3月末まで、奥様やご家族はどこにおられましたか。まさか、伊豆や箱根や関西などの西の方に疎開していたわけではないでしょうね」と尋ねてみたいですね。口は何とでも言えるが、自分の肉親には本当のことをするからです。マスコミが、マスコミ根性の欠片でも持っていたら、ぜひ調べていただきたいもので、もし逃げておられないのなら、言葉の信憑性が高まって国民は安心するのですから。問題なのは、言っていることと、裏でやっていることとの乖離が問題なんです。そこが、教育、特に道徳教育にとって、とても大事なところなんですね。日本の指導的な道徳教育の関係者に、この乖離した人物をよく見ますので、私はどうも共同研究をする気をなくすばかりか、欺瞞者として避けたくなるのです。話はどんどん逸れて行きますが、私が異常なほど臨床心理の方々を嫌うのもそこにあるのです。人を助ける顔を表向きはしながら、隠した私生活ではとんでもないことを平気でやるような乖離した人物を有名・著名な方々で多く知っているからです。道徳教育も臨床心理もそうですが、善意な表の顔と、隠された裏の悪意の顔が、あまりにも違い過ぎる方が多いのです。人間はみんなそのような乖離の側面を持っていますが、職業柄、どうしても道徳教育や臨床心理の関係者は表向きに善の顔をしなければいけない境遇に置かれるので、その乖離が大きいのでしょう。さらにいえば、子どもの教育にかかわる教師にも、また教育現象を対象にする研究者・院生にも、そのような人間がおります。いつも、子どもや教育を生活の糧にするなよ、教育事象を自分の研究者になりたい野望・欲望のために利用するなよ、と言いたくなります。特に特にその面が見えるのが、臨床心理の方々なので、私はついつい批判を浴びせたくなるのです。もちろん、そのような関係者の中でも、そのようでない、つまり乖離のない、すばらしい頭の下がる人も多くおられます。そのような方に出会うと、ほんとうに自分の愚かさが白日の下にさらされている気分になり、穴があったら入りたい気分になりますが。私自身は、ちまたに溢れている子どもや教育を取り囲む欺瞞者たちを批判し続け、教育界において 「他人の不幸」をダシに、「善意の押し売りゴッコ」に歓喜しないようにしたいと思っています。だからこそ、東北大震災に対する国民総動員の「善意の押し売りゴッコ」には厳しい視線を注ぎ、野次馬や傍観者、さらには何も文脈を読めないで利用されているスポーツマンたちの「頑張ろう、日本」の合唱で自己満足してしまって、この善意の大合唱に隠蔽されている自己欺瞞の構造を暴き出すことを、研究者の端くれとして、いつも注意していきたいと思っています。それが、社会の有機ゴミとしての大学人の務めではないかと思う今日この頃です。

 今日で思い出した。今日、朝から、放射能汚染を警戒し、今年はひまわりを植えまくった畑に行って来ました。高知から種を持ってきたビワも大きく育ち、今年はたくさんの実をつけています。残念ながら、気色悪いので、今年は食べません。内部被曝が気になるからです。だって、放射能を浴びるのは、基準以下だから大丈夫と言われても、また農作物が基準値以下だから大丈夫だと言われても、被ばくは、どう考えても、空中から浴びる量と、汚染されたモノを口に入れる量と、そして身体の接触して汚染される量の総計ですから、個々の部分で基準値以下でも、三つ集まればそれなりになって基準値を超えてしまうこともありますから。また、放射能の話に戻りますが、私の現在の考えでは、放射能を浴びて「安全」という人の発言は、どこそこの有名大学の教授や研究所の研究員であろうが、信じられません。また、ヒステリックに、放射能と聞くだけで過剰反応する方の発言も信じられません。そうではなくて、たとえば1ミリシーベルト(単位はでたらめの可能性ありということでお聞き流しください)を浴びると、1億人の人から5千人の人が癌で死ぬとすれば、20倍の20ミリシーベルト浴びると、2倍の10万人が癌になって死ぬという確率になるということと、理解しています。つまり、絶対に安全、危険ではなく、確率の問題ではないかと思うのです。5千人でも危険だと思う人もおれば、10万人程度でも安全ではないかという人もいるわけだから、そのあたりは人それぞれということではないかと思うのですが、どうでしょうか? したがって、放射能に関しては、国は、正確なデーターだけを敏速に正しく出せばそれでよいのであって(せいぜい、その危険性と安全性の関して、確率を教えてあげればよいのであって)、あとはそれぞれの人が悔いのないように自己責任で判断をすればよいと思うのですが。ボランティアに行く人も、そのデータをわきまえて、自己責任で思いを叶えればよいことでしょう。ムードや呼びかけに流されずに、しっかり思考することが忘れられてはならないでしょう。日本人は、どうも心情的な雰囲気に流されすぎると思うのです。しっかり考えてください。間違っていますかねーー。いずれにせよ、このビワが安全だと思う人は、どうぞ畑に入って、自由に持って行ってください。吉田家としては、筑波に住んでいる以上、空中からの被ばく、農作物や水などからの内部被ばくというように、接触被ばくの3つのルートから受けていると思うので、汚染の恐れのあるビワを、何も積極的に食べる必要もないのではないかと考えているだけですから。

 しかし、食べられないのも、これは被災ですね。自宅でも、地震で皿も割れたし、市役所に行って被災証明書でももらいに行って来ますかね。そうしたら、高速道路も無料になるかも」しれないし。十分に、自分自身も被災者気分になってきました。本当だったら、今頃は、ジャガイモを収穫しているのに・・・・・・・。。。電力会社には、「業務上過失迷惑罪」(私が勝手に作った罪名<笑>)で取り調べを受けないのだろうか?だって、車をどんなに注意をしてハンドル操作をしていても、何か事故を起こせば、すぐに「業務上過失傷害」などと、すぐに取り調べられるのに。そんなことを考えてはいけないのだろうか??ここまで考えているうちに、よくわからなくなってきたので、今日はこれまでとします。
しばらくは、日本にいます。
8月9日から12日までは、北海道に行きますが。


臨時更新部分

 そんなわけで、放射能にも、放射線にも負けず、原稿を書いていたら大学の同僚から、5枚の添付写真とともにメールが来ました。5枚見ると、場所がわかると書いて!

 

「ここ1年の楽しみは,こうして吉田さんに写真付きメールを送ることです。他

になし。うひひ。そっちは暑いようですねえー。こっちは半袖の人もいますが,

ジャケットで丁度いいかんじです。」

 しばらく、大学で見ないなーと思ったら、これですから。


 1枚目は、これです。

  (なぜか、写真が掲載できません。しばらくお待ちを!)

 うまく、掲載できません。非常手段にでました。
 仕方がないので、写りは悪くなりましたが、これでご容赦を!
私の技術ではうまく掲載できないので、とりあえず、いったん、紙に印刷して、それをスキャンして載せました。私の能力では、これが限界でーーーす。
余白を削除する方法も私にはできません。がまんをお願いします。





 



 空港のようだが、私の知っている、ドイツ、フランス、イギリス、スイス、オランダ、シンガポール、韓国、香港では、なさそうだし。ウムムム・・・・。車が右側通行だから、イギリスでないことは間違いないことが判明。

 次は、自分撮りといやつで、自分の顔のアップ写真が。見られたものではないのだが。だから、ここにはアップしない。

 その次の3枚目は、私が外国に行くと、困ったときは、このホテルチェーンだと、安くて安全だというお薦めのホテルの写真と、そして4枚目の写真はこれ。



 こんな川があって、観覧車のある風景は知りません。きっと、有名な風景なのでしょう。となると、この近代的な、泥臭くない風景あたりでおよそ、長い文化というか、中世の重厚な文化を有しない国だなー、と見当をつけました。すなわち、北アメリカか、オーストラリアかなーーー。そして、最後の5枚目の写真を見ると、ポスターに都市の地名が書かれていて、オーストラリアとわかることになっていました。

 本当に、日本にいる私をあざ笑うかのようなメール。けしからんですね。
 でも、きっと、学内外でストレスでも溜めていて、このメールでスキッとしていただけるのならば、これも私の社会貢献の一つですかね・・・・・。

 明日、早朝に帰国だそうですから、せめてお菓子でも土産に持ってきてほしいものだと期待している今日でした。
 いつも、ドイツのクマのグミをあげているから(最近、日本でも芸能人のなかでグミ占いで人気上昇中とか)、信じてますよ!!!!
 H先生!



2011/6/15改訂版(翌日、一部修正)

 暇になったわけではありません。
 忙しくておかしくなったわけではありません。
 もちろん、気まぐれでもありません。

 
じゃー、なんで更新したのだ!?

 という、おしかりが聞こえて来そうです。

 実は、今日、夕方7時ころに、なかよしの心理学の先生(「心理学の先生は嫌いなのに嘘をつかないで」という声が聞こえてきそうですが、私は学問の専門で好き嫌いはないのです。誤解のないように。その人間性で決まるのです。ハイ)のところにダベリに行く際に、筑波大学構内を歩いていると、下のような空を見てしまったので、臨時に更新しました。





 これは、第2エリアの建物から第3エリアに向かって撮った写真です。

 最初は奇妙な明るい、めずらしい空だなーと思っていたのですが。雲を見て、おもわずシャッターを切りました。

 そうです。これは、私の知る限りでは、特別な雲だったのです。

 それは何か。

 世に巷で聞く、
「地震雲」なのです。しかも、異様に空が赤く光っていました。

 これが出ると、数日以内(最大で1週間)に、どこかで比較的大きな地震が起きるやすいとされています(もちろん、俗説です)。

 こんな時期に、被害がさらに日本で起きると困るのですが。

 そして、そのようなことが起きないことを祈っています。つまり、地震雲の予想が外れることを願っていますが。

 でも、念のため、地震にお気をつけください。私は、とりあえず、いまから大きな地震があったら、落ちて困りそうなものだけ、撤去しておきます。

 外れたら恥ずかしいのですが、でも、もう地震はこりごりなので、外れてほしいのです。とにかく、東北・関東地方はやめてほしいと思うのですが。

 でもでも、みなさまに近況報告を兼ねて、吉田気象庁から、
地震注意報を発令しておきます。

 ついでのついでに、吉田気象庁からドイツ気象庁から得た情報によると、

 http://www.dwd.de/wundk/spezial/Sonderbericht_loop.gif

放射能
は仙台方面に濃いものが飛んでいるようですが、どうも日本時間の土曜日には筑波というか、関東地方に放射能が飛んできそうな雰囲気です。どうぞ、土曜日までに、風向きが変わって、放射能予報が間違ってしまうことを祈りたい気分です。土曜日に外出して、筑波大学附属小学校で講演をする予定なので、困るからです。放射能はかからないにこしたことはないのですから。いつもかかっていると、ノーベル賞を2回とったキューリー夫人のように(ラジウムなどの放射線を研究していたのですから、自業自得の側面もあるでしょうが)、なってしまったらたいへんですから。

まあ、どちらにしても、地震や放射能に対して異常なほど過敏にならないでよいと思うのですが、念のため、ご用心を!!!




2011/6/12改訂版

 
とにかく、放射能に負けず、生きております。ご安心ください。

 もう、死にたいなと思っている学生さん、いませんか!
 死んでも何もなりませんからね。モッタイナイだけでーーーーす。
いやなことや苦しいことを
悩みだと思って悩みの相談に行くだけが能ではありませんよ。悩みは苦難、そして試練と思って見てください。きっと、明るい未来が拓けてきますから。吉田センセイ、嘘イワナイ!!!
 私の言うことなど、聞いてられないと思っている方、それじゃ、私の言うことをこれだけ聞いてください!

  
  
「死にたくなったら図書館に行け」

 
この言葉を忘れないでください!!!!!!!!

 
このまま、ホームページを放置すると、いつまで経っても更新できない状態が続きそうなので、日曜日に大学に来て、更新した次第です。その更新の出足は、こんなところからはじまります。少し、おつき合いください。

 いそがしいというだけ仕事があるだけで、ないことに比べたらどれほどよいかと思い、ここは「試練」と思い、がんばっております。だって、もうあと数年経てば、否応なく筑波大学を退職するのですから、仕事もぐっと減るかもしれませんから。あるうちが花だと思って、がんばります。いや、数年どころか、福島原発の3号機に異変が起これば、すぐに関西に逃げ帰り、そのまま年休そして休職やがては退職して、関西で再就職に努力する予定ですから。精神力だけでは、放射能に勝てませんから。
そんな悪いケースを想定するなら、いまのうちに、急いでやるべきことはやっておかねばと思っています。もちろん、そんな悪いケースが起こらないことを祈っていますが。
 昨日の土曜日は、教員免許更新講習の講師を務め、一つ山を越えたところです。来週の土曜日は、附属小学校の研修会で講演をしなければならないので、とても週休2日制は私には関係ないシステムです。日曜日は、買い物の運転手と畑の草刈で半日はつぶれてしまいます。とても、締め切りをとっくに越えている原稿がとても書けそうにありません。困ったことです。
 しかし、その原稿は、震災のおかげで、なかなか落ち着いて書けません。原因は、放射能です。これが気になって、どうも宇宙からの信号が頭に入らず、手が動きません。あのドイツがいけなかった。放射能に過敏にさせられてしまいました。その頭が抜けきれません。心の専門家の方、PTSDでしょうか!それとも、トラウマでしょうか!100人の心の専門家にたずねたら、きっとそうだと言う方もおれば、そうでないという方もいるだろうし、別の病名か障害名かを付ける方もいるでしょう。100人とも、一致した見解はでないでしょう。そうすると、たまたま誰か一人に「あなたは○△障害」と言われて、そうだと信じてしまったら、たいへんなことになりますね。いくらでも一人の心の専門家の恣意的な判断で、おかしな信じ込みが発生してしまいます。一つの学校にやってくるのは、一人のカウンセラー。どのカウンセラーに当たるかで、一生涯、とんでもないレッテルに振り回されることになります。体のケガなら、中学生の時に捻挫や骨折というケガ、あるいはインフルエンザという病気にかかっても、完治してしまったら忘れてしまいます。しかし、中学校の時に、PTSDになった、というレッテルは、ケガや病気のように忘れて消えてしまうことが不可能です。いつ、その後の人生でフラッシュバックがいつ起こるかもしれないと思うと、一生涯付いてまわってしまいかねません。おそろしいレッテルはりです。
 でも、そんなレッテルよりも恐ろしいのは放射能です。人間、過去のあのときに、あのようにしていたら助かっていたのに、とついつい思って悔やむものですが、実は、私も悔やんでいるのです。
 ご存知の(以前にもこのホームページに記した)ように、震災の2日後に、私はドイツに出張しました。ちょうど、水蒸気爆発を起こしているときに、飛行機でまるで放射能から逃げるように。そのときに、どうして家族全員をいっしょに連れて行かなかったのかと思うと、残念でしかたがないのです。一番下の子どもの学校があったもので、前もって予定を入れる決断ができなかったのですね。以前にもホームページに書きましたように、ドイツでは、東京、いや関東平野まで放射能が拡散しているという情報が流れていたので、「早くそこから逃げろ」と言ったが、列車が動かず、家族は脱出できませんでした。それなら、「とにかく、外出はするな。家から出るな。雨には絶対に濡れるな。列車が動き次第、筑波を脱出しろ!」と、ドイツから電話で叫んでいました。オレの言うことを聞かないと、絶対に許さないぞ、という勢いで言っていました。その1日後に、列車が数時間動いたので、東京に脱出して、新宿から夜行バスで信州に逃げました。あとで公表されることになりますが、やっぱりかなりの放射能が飛び散っていたようです。実際に、東京都の水瓶で放射能、野菜に放射能、という報道がのちに出ることになりますが、それは明らかに放射能の拡散の証左の一つでしょう。その意味で、家族に指示したことは、そのときにできることはしたものの(今でもその判断は正しかったと思っていますが)、やはり普通にしていたよりも、我が家族は放射能をあまり被っていないとは思いますが、被った事実は間違いなくあります。量が少ないと言っても、肉親としては、残念でならないのです。おそらく、津波で家族を亡くされた方は、もっと「あのようにしておれば助かったかもしれない」と、思っておられることでしょう。私のこの程度のことでも悔やんでいるのですから、被災者の無念さなど、とても思いが至りません。それに比べたら、私の後悔など、しれたものかもしれませんが、私にとっては、やはり後悔が残ります。妻はどうでもよいと言ったら怒られますが、子どもにまずいことをしてしまった、いや「命のバトン」をつないでいく子孫にわるいことをしたと思ってしまうのです。古い考えでしょうが、私に「命のバトン」をつないでくれたご先祖さまに、申し訳ないと思うのです。ご先祖様の子孫に、結局、とんでもない重荷を背負わせたと思うのです。それは、心の専門家による迷惑なレッテルはり以上に罪が深いと考えるのです。なぜなら、彼らの罪は、それにかかわってしまった人の一生だけで済みます。私の悔やんでいるのは、その人の一生で取り返しがつかないことです。
 何を放射能の素人が考えているのかと思われるでしょう。長くなるので、できるだけ、簡単に書きます。放射能の被ばくを一定量受けた子どもがいます。小さい子どもほど、その子どもにダメージが大きくなります。それだけでも、十分にまずいです。その子の一生のうちに、病気等の何かの問題が生じるかもしれません。もし、起きなければ、その子どもはそれでよかったで、一生が終わるでしょう。しかし、その子どもに病気としては問題が出なくても、放射能の被ばくは基本的に蓄積ですから、確実にその子どもの子どもに引き継がれます。その子どもの子どもが、同じように同じ量を被ばくした子どもと結婚して生まれた子どもとするならば、そした次の世代の子どもは、2倍のリスクを負うことになります。その世代の子どもにそのリスクが顕在化しなくても、次の世代の子どもには、同じようにリスクを持った人の間で結婚するとなれば、次次世代は、4倍のリスクを持った子どもが生まれることになります。そして、同じように考えると、次次次世代、つまり3代先になると、8倍のリスクを持った子どもが生まれることになる。そして、この現象が繰り返されると、このリスクはどんどん増すわけですからいつか生まれる子どもに顕在化するかたちになるかと思うと、もちろん私は死んでこの世にいないけれど、子孫に悪いことをしてしまったと思うのです。ややこしい話でよくわからないかもしれませんが。考えすぎではないかと言われるでしょうが、自分が失敗したことが自分にはね返るのは、「自業自得」「因果応報」でよいとしても、自分の子孫に罪をかぶせてしまうことが、どうにもならないだけに、悔しいのです。そう考えると、この放射能というやつは、その人間の子孫に罪を負わせるだけでなく、祖先代々引き継がれてきた土地に住めなくしてしまうのですから、ほんとうにやっかいなモノだと思うし、人類はとんでもないやつとつきあうことになってしまったんだな、科学はとんでもないものを生み出してしまったんだな、科学者はとんでもないモノを発見してしまったんだな、と思うしかないですね。
 
 いやいや、スリーマイル島の事故は10日もすれば、チェルノブイリでも1ヶ月で外に放射能が出なくなったのに、日本は少量といえども3ヶ月経ってもまだ止まらないで、止まるめどがまだ見えないという。日本は、なんという業を持った国なんだろうか。物事には偶然はないと考えると、なぜこんな災害を日本は受ける必然性があるのだろうか。それも、津波も含めた大災害を。

 ここで、嘆いているだけでは、私らしくない。そろそろ、この大災害の影響に反撃をしようと思うのです。ただでは起きない関西人の出番です。そこで、考えました。

その理由は、従来の科学ではとても説明できないだろう。それならば、やっぱり、シュタイナーの言う精神科学の出番か!それとも、スピリチュァリティの出番か!いずれにせよ、従来の科学や学問の枠を越えて考えることにしてはどうだろうか!飯田史彦氏の情報によると、そろそろ、大震災から、何を学んで、どう生きていくか、という本も出だしたようだし。私も、微力ながら活動するかと思いっています。私は、なぜ日本で起きるのか、という意味で特に日本にこだわってみたいのです。
 そこで、同志の力を借りて、いや同志を募って、いや同志から呼びかけがあって、私も世に打って出ようと決断しました。この忙しい折に。いや、忙しいついでに。
 いま、大学人の端くれとしてできるのは、イベントを開催することではないかと思っています。そこで、この秋に、そのイベント、講演会やシンポジウムなどを考えています。現在、水面下で調整中です。もうしばらく公にすることを控えさせてください。必ず、この秋に、正確には10月に、何人の聴衆が集まってくれるかわかりませんが、

   
必ずやります
 
結果は、どうなるかわかりませんが、やってみましょう。これが、私の使命の一つのような気になってきました。

  
それは、何でしょう。いまは、秘密です。
  奇しくも偶然か(偶然はないと思われますから必然なのでしょうが)、先に名前を出した飯田史彦氏も、10月に立教大学で何かなされるようですが、それとはまったく関係しません。たぶん、濁川孝志先生がらみでしょう。私も、興味があるので、ぜひ一聴衆者として行きたいぐらいです。

 
でも、こちらは、こちらです。

   楽しみにお待ちください。何が出るのやら???

 実は、私もまだよくわかりません。神のみぞ知るというところでしょうか!



2011/5/23改訂版

 
今日はこれから職務の関係で、文科省に出かけます。
 しかし、今日は、ちまたでは「肌寒いけど節電」とのんきなことを言っていますが、そんなあまい状況ではありません。寒いと言うことは、北から風が吹いています。したがって、今日は放射能は空中で南下してきます。ドイツ放射能情報ではかなり要注意です。つまり、「肌寒いと放射能」と言うべきなのが、関東の合い言葉でしょう。私の家では、それをもじって、
「今日は放射能が飛んでいるから寒い」と朝から私が言っていました。
 以下の情報を見られたらわかるように、注意です。

 http://www.dwd.de/wundk/spezial/Sonderbericht_loop.gif
 
吉田家では、今日は「放射能警報」ではないが、「放射能注意報」を発令し、やむを得ない外出以外は控えるように通達を出しました。なにしろ、天気も雨ですから。天気が崩れなかったら、よいのですが、どうもそうではなさそうですし。

 あまり、神経質になるのもいかがかと思いますが、少し気にとめておいてもよいと思います。ちなみに、明日も明後日も、要注意です。。ちなみに、どこかへ国内で避難しようと思っても、上のホームページを見られたらわかるように、残念ながら、日本全土はみごとに覆われてしまっており、逃げようがありません。放射能の問題は、福島県やその近辺の問題ではなく、日本の問題になっていることに気づかされることでしょう。関西の人も、他人事ではないのですよ。しかし今回は、それほどではないと信じておりますが、用心するにこしたことはありませんから。若い女性の方および小さな子どもたちは。

 
 では、文科省の玄関で15時30分集合なので、気をつけて出かけまーす(気をつけようもないのですが、<涙>)。でも、成長期をとっくに終えている中年の私は、それほど影響もないだろうと信じつつ。



2011/5/19改訂版


 更新が遅れ、失礼しました。原因は、ただの忙しさですので、ご安心ください。
 明日も午後5時まで会議で、終わり次第、関西外国語大学の宿舎に急行しなければならず、また明日も忙しいので。本日、更新しました。そのうえ、土曜日の午後に筑波にもどり、翌日は、立川にある、NPO法人の自由ヴァルドルフ学校主催のシンポジウムがあって、そこの講演会が9時半からあり、車で行かなければなりません。昨年にドイツのシュタイナー学校を訪問したとき、いろいろと説明をしてくれたシュタインマン先生(日本でも春秋社から、『おとながこどもにできること』という本が出版されている方)なので、今年の訪問の時には家族旅行で不在だったこともあり、ぜひ会いたいなと思っています。そんなわけで、忙しさは続きます。まあ、ドイツ気象庁の予報では、土曜日までは太平洋に向かって放射能が拡散しているので、日本国民としては、どこの地方の方にもよいことなので、ほっとしております。ただ、日曜日は、関東平野に向けてあやしい動きが気になりますが、そのうち、風向きが変わることを信じています。
 でも、どうして日本では、放射能情報を知らせないのでしょうか。ドイツをはじめ、他の諸国が情報を発信しているのに、当事者の、他国より決してすぐれてはいても劣った物でない、多額の国民の税金でつくった情報が、なぜ政府の中で止められるのあろうか。正確性がないというなら、他のことはすべて正確性があるというのだろうか。いつもテレビでは、「洗濯情報」「紫外線情報」「花粉情報」「スギ花粉情報」「海水浴情報」等など、さまざまな情報らしきものが垂れ流しされているのですから、よほど国民の健康にかかわる無色無臭の放射能の拡散情報がテレビで流れないのでしょうか。テレビでは、「日本は一つ」「「がんばれ日本」などと、耳にタコができるくらい垂れ流しされているではないですか。もっと代わったフレーズで流してもらえないものだろうか。第二次世界大戦中の修身科(いまの道徳にあたる)の教科書では、「日本の国は世界で一番尊い国」と、書いています。もっと、正面から、堂々と言えばよいのにと思ったりしましたが、やっぱりダメですね。だって、国民のために、洗濯情報、紫外線情報、花粉情報、スギ花粉情報などの情報は出ますが、放射能情報は出ないのですから、「世界で一番ヘンな国」と揶揄されてはいけませんね。

 そこで、思い出しました。

 「放射能過剰反応症」という不適応症を発見したと思ったとたん、私に対抗して、精神科医の有名な女性のかたは、「原発鬱」という命名をして、世に流布していますね。私のホームページを見て参考にしたかな(笑)。なんでもネーミングをして、不適応症を社会に伝染病のように広げていく心理主義の風潮は本当に困ったものです。「放射能過剰反応症」「原発鬱」、どこが違うのでしょうか。精神科医が言うと正しくて、教育学者が言うとインチキなのでしょうか。たしかに、「放射能過剰反応症」はインチキだと命名者自身が認めますが、それがインチキだとすれば、「原発鬱」もインチキに近い概念というようにならないのでしょうか。精神科医や臨床心理家が命名すると、真実なのでしょうか? それなら、特定な職域の方が、「言ったもん勝ち」ではありませんか。これで、『原発鬱の恐怖』とかいうような危機を煽る本を出版して、そのあと『原発鬱を癒すカウンセリング』という救済書を出版して、印税を稼いではいけませんよ。それを「マッチにポンプ」というのです。このおかしさに、早く多くの人が気づいてもらいたいでーーーーーす。「心の病気」というのがあるのか否か。
         私は、そんな「心の病気」は、存在しないと思っています。俗な言葉で言えば、「気のせいです」。
   病気は、体という物に起きる現象です。

 もう少し学問的に言いましょう。心を物象化することで言えることで、心を物象化して見なければ、心の存在が不確定である以上、病気があるとは言えないないのです。つまり、心を物として見るという前提それ自体を疑えば、「心の病気」の存在も疑えるのです。心を物だと信じる人は、その前提のもとに、「心の病気」を信じていただければよいわけです。信じる世界が最初にあるのです。それを信じたい人は、どうぞ心理教を信じて、生きていただければよいことです。きっと、その方は、いわゆる無神論者でしょうから、無神論者は日頃から神や仏に信心をしていないわけですから、何か神や仏に代わる宗教として、臨床心理学という心理教にすがらなければならないのでしょう。神父や牧師や僧などの代わりに、カウンセラーにすがるのでしょう。話を戻して、もし、物だと言うなら、どんな色ですか、大きさはどのくらい、形はどうなの。そもそも、人間が死んだら、その人の心は無くなるのですか、どこにあるのですか?心を物だと言うなら、これらの問いに簡単に答えられるはずですよ!!!答えられないでしょう。それじゃ、心は物ではないのではないか、とどうして考えないのだろうか。むしろ、心を物ではなく、作用や機能ととらえれば、心の病気は存在しないのです。だから、「心の専門家」という人は、いかにうさんくさいか、すぐわかるのではないですか。そのうさんくさい人材を学校のみならず、被災地に派遣してどうするのですか。うさんくさい人が、うさんくさいことをするのが関の山でしょう。心のケアというのは、体を気遣う看護師や保健師がどれけの貢献を被災地でしているかを考えると、心はただの単独の物ではない、ということになぜ気づかないのだろうか。原発から今日も漏れ出す放射能と同様に、困った現象です。

 放射能で私の畑は壊滅です。今年は、ひまわり畑にすべく、草刈をしました。疲れました。そして、一部分、耕したところに、ひまわりの種を蒔きました。無事、成長しましたら、放射能を含んでいる可能性が大ですが、希望者のある方は無料で差し上げます(でも、放射能で被ばくされても責任は負いかねます)。

 

 そんなこんなで原発で話が近況になってしまいました。まあ、ついでにさらに原発事故についていえば、「何号機が冷えた」、「何号機が水漏れした」などとマスコミは報道していますが、ドイツに洗脳されてしまった私は、まったく馬耳東風の状態です。そんな情報はどうでもよいのです。問題のごまかしにしか、思えません。ズバリ、気にしなければならないのは、3号機の状況です。ほかは、もう今となれば、どうでもよいのです。もう、済んでしまったことですから。3号機に問題が起これば、済んでしまったでは済まされないことが起こります。その悪いケースは、このホームページで書くと、混乱を起こすかもしれませんので、書きません。ただ、3号機だけ、注意するようにアドバイスしたいし、私も注視していますし、大きな問題にならないことを祈り願っております。

 そうしたなかで、ニュースを見ていたら、どこかの首長が、入学式や卒業式の国歌の斉唱時に起立しない学校の教員を免職する処分基準を定めた条例を議会に提案する考えを 示した、という。困ったことが報道されるなと思いました。何が困ったと思ったかと言うと、国歌の斉唱時に起立しない云々ということではなく、何かそう思うのであれば、粛々とやればよいのであって、ニュースでそんなことが取りあげられると、ますます教師の威厳や権威が失墜するだけです。そこがまずいのです。それらの失墜が、いまの教育現場をダメにしていることに気づかないのだろうか。学校規範を低下させる学級崩壊を防ぐように免疫的に働く教師の権威を低下させてどうする気だろうか。子どもが自分の教師を尊敬信頼しているところでは、道徳規範の低下が防げるのです。特に、小中学校では。教師の権威を失墜させては、ますます規律規範が乱れます。この首長さんのところでは、教師の権威が低下しますから、ますます学校の道徳的雰囲気が崩壊し、規律規範が落ちかねないのではないでしょうか。この首長さんが、道徳教育なんかどうでもよいとお考えならばよいでしょうが、むしろ気にされる方なら、今度は規範が低下して、道徳教育の強化が叫ばれては、学校がダメになってしまいます。わかりやすく喩えれば、免疫作用を弱体化させる発がん物質を飲ませながら、抗がん剤をあとで飲ませるようなことで、その人間の体が衰退するだけです。マスコミでは、先生の権威が高まるようなことを報道してもらいたいものです。そのためには、先生の悪口よりも、先生のよいところを讃えてあげてほしいものです。たとえば、この大震災の中、1名の死者も学校の中で出さず、地震と津波から守った教師や教師集団、そしてその指示にしたがって規律正しく避難した子どもたちを、どうしてもっとマスコミで褒め称えないのだろうか。こんなすばらしい実践をやりとげた教師をいくら褒めても褒めたりないのではないか。マスコミは、問題化、つまり問題を構築することで生きているという宿命を持っているなら、その特徴は、良いこと、素晴らしいことを問題化してほしいものです。きっと、ここの子どもたちは先生に感謝し、信頼をよせるでしょうから、教師の権威と威厳が高まっているでしょうから、この不幸な地震と津波によって大きな被害を受けたでしょうが、かけがえのないすばらしいものを得たはずです。この体験のあとで、どれだけのイジメ問題がこれから起きるでしょうか?モンスターペアレントが、どんな顔をして先生に苦情を言いに行くでしょうか?学級崩壊が起きますか?子どもは、先生の指示に逆らいますか?子どもは、そんな命を救ってくれた先生に困ったことがあったら、相談をしないで、これまで何のつながりもなかった心の専門家のもとに行きますか?そんな命を救ってくれた先生の授業を子どもは不真面目に受けますか?そこから、教育や学校は、小手先の技術や技法でよくなるわけがないことに、早く教育関係者は気づいてもらいたいものです。教師への信頼と教師の権威は、とっても大事ではないでしょうか。

 ここで、筑波大学の学生さんにお知らせです。
 今年も、小学校教員認定試験の講習会を開催します。6月1日11時30分から、2H201教室です。詳細は、学内の掲示板又は大学の教職の公式ホームページをご覧ください。




2011/5/5改訂版



2泊三日の奈良帰省での片道12時間(往復24時間)の運転は、さすがにきつく、体がまだ揺れています。そんなわけで、更新は数日遅れますが、無事、平常時の2、3倍の放射能が拡散している筑波に帰っております!!!
 最近、いつも公式発表の放射性物質の拡散状況をみるのですが、関東地方では、なぜか茨城県およびつくば市が他地域の2倍くらいの数値がでているのです。確か、0.01とかいう値です。東京や千葉や神奈川よりも、福島に近いのでしかたないとしても、宇都宮や群馬よりも2倍多いというのが納得できません。事実がそうならば、しかたないのですが。ついつい、つくば市のどこかの研究所で実は漏れている、というようなことはないよな、とついつい思ってしまいます。困ったものです。どうも放射能過剰反応症という病気にかかってしまったのかと思ってしまいます(涙)。

 ご存知のように、私は、心理を学問研究する人たちには特に非難めいたことは言わないのですが(本当ですよ!本当)、臨床系の心理学者には、いつも厳しく批判しています。そこには、優しそうな顔の裏に、腹汚さが見えてしかたがないのです。人の不安につけいって、自分の存在を相談者に対して上座の位置で善人ぶって確認し、お金を稼ぎ職域を拡大する不誠意なところに、そして研究者ならば、それを学会や論文で発表して自分の業績にしているところに、道徳教育の指導者にしばしば見られる偽善と重ねてしまうのです。喩えて汚く言えば、人間社会のハイエナです。しかし、今回、東日本大震災に際してマスコミに登場する、原子力関係の学者たちにも、不誠意さや偽善を感じざるを得なくなりました。よくも、あれだけ「安全だ」と言い続けられるなと思いました。まさに現代産業社会のハイエナに思えてきました。そんなにその数値まで安全だと言い続けるなら、思わず関西流の突っ込みをテレビを見ながら入れていました。
「そんなに何とかシーベルトまで安全だと言うなら、あなただけでなく、あなたのご家族全員が何とかシーベルトの放射能を全身に浴びながら、暫定基準値以下の野菜を毎日食べているというなら、安全を信じてあげようじゃないか」と。特に、私生活を隠して相談相手に接する臨床心理家たちには、他人の子どもを平気な顔をして「○×症候群」「広汎性▲●症」とかラベリングして「心の病気」にしているならば、自分自身の子どもに少しでも平均から外れたおかしいなところがあれば、どんどん子どものために病名もどきを付けてもらいたいものです。そんな怒りを臨床心理家やテレビ出演の御用原子力学者に向けているあいだに、ふとその非難を教育学者に向けてみると、あら、我々にも決して無縁ではないと思うようになりました。だって、偉そうに子どもの成長を願うようなことを学問のネタにして生計を立てているくせに、何も行動できていないではないか、何か子どものためになるような発言を世の中に対してしているのか、と考えているうちに、何と教育学者はだらしないのかと自問するようになりました。東北の子どもたちが難儀な状態に陥っているのに、教育学や教育学者は何も社会に果たし得ないのか。臨床心理家なら、心から思っていなくても、たとえ一時しのぎの虚構であっても、「大丈夫ですよ」的な声かけができますが、教育学者や教育育関係者は、方法を持たないためか、何もできないではないか。これでは、ただ現代社会に、未成熟な子どもが次々に生まれてくることに、寄生虫のように生活の糧にして生きるハイエナ、いやハイエナ以下ではないかと思うようになりました。情けないの一言です(涙涙)。子どもが危機的な状態に陥っているのに、何もできない職業に、いやになっているところです。教育学者はいま何をできるか、考えてみたいと思います。そんな状態なので、院生まで、おかしな学生が増えだしかねません。つまり、このままでは、教育や教育学を学んでみたいのではなく、大学教員や研究者になることが何よりの目的(野心)で、まだそれならましで、とにかく次の職場への場つなぎに教育学を手段として学んでいるとしか思えないような学生が増えてしまうかもしれません。それは、まさに教育や教育学への冒涜だし、ハイエナそのものです。でも、これもそれも、自分を含めた、教育学者の自業自得かもしれないなと思いますが、猛省する必要が教育学者にあるように私には思えてなりません。
 そんな折に、福島県で、子どもが浴びてよい放射線量?(正確な表現はわかりません)ですか、年間20ミリシーベルトまでOKということで、一人の学者が辞任したとか、テレビ放送がされていました(実は、この震災関係については、あまり日本のマスコミ情報は信じられない気持ちになっていて、真剣に見ていないのです。あまりにも、国際基準とかけ離れた放送が垂れ流しされていて、乖離しているからです。たとえば、米タイム誌が21日の特別号で発表した今年の「世界で最も影響力のある100人」の中に、東日本大震災による原発事故で警戒区域に一部が含まれている福島県南相馬市の桜井勝延市長が、世界の政治家や著名人らと並んで選ばれたいることなど、日本の放送を見ている国民には、想像できないはずです。だって、世界で衝撃を与えている放送が日本ではほとんど流されないのですから)。放射線や放射能や放射性物質など、正確な言語の使い方もわからない門外漢の私ですが、
放射線や放射能や放射性物質などは、浴びなければ浴びないほど健康によいことだけはわかりますから、ここまでなら絶対に安全という「まじきり」は存在しないと思うのです。少なければ少ないほど、それによる健康被害はないはずです。そんなことを思いながら、何かのデータを見ていると、20ミリシーベルトは、放射能にかかわる職業人がこれ以上浴びてはいけない数字だそうで、より敏感な子どもはかなり体に悪影響を及ぼすということです。はっきりした数字は忘れましたが、この数字ぐらい10歳程度の子どもが浴びると、25人に一人が癌になると言っていたような。その数字はどれほど確かなものかわかりませんが、常識で言えることは、浴びる量が増えれば増えるほど、学級の子どもが癌になる確率が増えるということだけは確かでしょう。そうならば、子どもの学習環境云々という教育学者は、子どもの身の周りの環境が良くなるよう、せめて、子どもを放射能にできるだけ浴びないように、声だけでもあげるべきではないかと思えてきたところです。そこで、無力かもしれませんが、今日のこどもの日に、これからの日本を支えていく子どもを救うために、
「子どもに放射能を浴びせるな!」

と、このホームページで叫ぶことにしました(私のような大人は、原子力によって贅沢な暮らしを享受してきたのですから自業自得というものです。子どもには、何の罪もないのですから)。これを基本的なコンセプトにしてもらって、さまざまな教育的方策を、教育学者を含めた教育関係者たちは考えてもらいたいと願っています(私は頭があまりよくないので浮かびません)。そうでないと、日本の国土に、日本の大企業は繁栄しても、日本人がいなくなってしまっては、笑い話ではすみません。そのためには、日本のマスコミは、感傷的(心理主義的)な感動物語や悲惨物語を視野狭窄気味に流すのではなく、正確な情報をむしろ垂れ流ししてもらいたいものです。たとえば、過去の地震や津波よりも、いま現在も、これから数ヶ月、場合によっては何年も出続ける放射能の量と方向性を国民に淡々と知らせてほしいものです。野菜についても同じです。「安全」「出荷停止」などといわずに、放射能は何マイクロシーベルトと表示してもらって、その数字を見て買う人は買う、買い控える人は買い控えるのですから。そのくらいの放射線量ならば、納得づくで被災農業者のために食べる人も出てくるはずです。母乳で育てている婦人は避けるかもしれません。とにかく、それを知って、国民はどうするか、それこそ自己責任で自分の行動を決めるでしょうから。多くに日本人は、そんなに無知ではないはずです。パニックなど起こしません。バカにしないでもらいたいものです。正しい情報を与えないから、ますます無知になるのですから。おかしな風評が出るのですから。そういう判断ができるように、国(文科省)は国民を教育してきたのではないですか。「生きる力」を育成してきたのではないですか。もし、そのような思考をできないように、つまり「生きる力」を育成できないような教育行政を促進してきたのなら、この機会に大反省して、発想の大転換をして、大改革をすればよいことですから。

 今年は、私の知識量の不足のため(畑の土が安全か否かがわからず)、野菜作り(ジャガイモ、ホウレン草、サツマイモ、ピーマン、カボチャなど)の決断ができず、ついに春夏野菜の栽培をあきらめました(涙涙涙)。東京電力さん、私にも弁償してくださいよ!償いもしないで、電力料金を上げると言わないでくださいよ。弱い者を泣き寝入りにさせたうえに、料金値上げでは、「泣きっ面に蜂」ですよ。そう言いたいところですが、言っても後ろ向きの人生だからやめました。そこで、放っておくと、それでなくても雑草が生えるわけですから、何かを植えるといことで、前向きに決断しました。3日に、草刈機で一気に雑草と野菜(冬を生き抜いてきたのに)を刈りました。来週には、少し耕すかなと思っています。そのうえで、
今年は、ひまわり畑にすることにしました。ひまわり、それも大きなロシアひまわ
だけでは寂しいから、その周りにコスモスもまくとにしました。

 どんなことになるやら、楽しみができました。これで、怒りの心も癒されるでしょう。これを名付けて、「栽培療法」と言います。





2011/4/29改訂版

ドイツ気象庁情報によると、風向きも筑波にとって少しだけ良くなく、金曜日は放射能が空中でつくばや東京で飛ぶようです。いくら飛ぼうが、落ちなければよいのですが。
単なる予想ですが。

 http://www.dwd.de/wundk/spezial/Sonderbericht_loop.gif

でも、ここは、連休だし、高速道路はまだ土日割引があるので、家族全員で2泊3日で関西に帰ってきます。
そして、野菜と果物を大量に積んで帰ってきます。放射能汚染は、基準値以下だろうが、放射能にかかっていない、あるいは少ないにことにこしたことはないのですから、そうします。だって、日本の安全宣言は、なにか違和感があるのですね。ただ、基準値を超えた否かとか、それも「暫定基準値」とかいって、勝手にそのときだけ「暫定」ということにして、基準を高くしたりしておいて「安全だ」と表現しても、何かしっくりしないのですね。それに比べて、またドイツびいきをするようですが、ドイツ放射線防護委員会(Gesellschaft fur Strahlenschutz)がすでに3月20日付で「日本における放射線リスク最小化のための提言」日本住民向けの提言書が出ており、そのように細かく明示されれば、納得がまだかなり進むのですが。また、風評被害も防げると思うのですが。それが正しいかどうかわかりませんが、何か人を助ける良心や誠意や道徳性(倫理性)のようなものを私は感じるのですが。どうでしょう?それの翻訳が以下のところで見られます。見て、日本のものと比べてください。やはり、災害対策としては住民に警告を出すことと、正確な情報を提供するしか援助方法はない、と思いますがどうでしょう。

私は、それが情報を発信する側の情報モラルというものだと考えています。

 http://www.witheyesclosed.net/post/4344039933/gs





2011/4/18改訂版

更新疲れのため、あきれ果てたため、数日遅れていました!

何にあきれたかって?
日本国の報道にです。
何を今さらレベル7だって報道。そんなこと、ドイツの新聞には3月14日に報道され、フランスやアメリカでも15日には表明されていたことではないか!!

小学校学習指導要領の1学年及び2学年の「道徳の内容」に、
「うそをついたりごまかしをしたりしないで、率直に伸び伸びと生活する」
ことが記されています。
これじゃー、小学校1年生以下の道徳性かと思うと、あきれてしまったのです。
この報道にかかわったマスメディアの人たちは、絶対に「今の子どもたちの道徳はなっていない」とは言う資格はないと思います。

 でも、まだ気が重いです。

「ちょうど、ドイツの気象庁が日曜日からあまりつくばにとってよい放射能情報を提示してくれていないこともあって、関西に避難します。でも、関西でも今回は薄くなるだけで、逃げ切れない予想です」と思っていたら、今週も、悪い予想が週の中頃あたりのようで(涙涙)。
ご覧のとおりです。


ドイツ気象庁発表の放射性物質の拡散予想(シュミレーション)です。
http://www.dwd.de/wundk/spezial/Sonderbericht_loop.gif


 このようにならないことを祈るとともに、もちろん予報がはずれてほしいと願っています。だって、あくまでも予想ですし、実際に放射能を被るか否かわかりませんが、自分の住んでいる場所が地図上で指定されると、あまり気持ちがよいものではないですから。特に、そのときに雨だけは降るなよと、祈るばかりです。


 日本のマスコミに求めるのは、災害の悲惨さや、そこでの心温まる話ではなく、つまり心の世界ではなく、いまも放射能はどのくらい空中に拡散しているのか止まったのか、そして汚染水はいまも海に流れているのか否かの情報、つまり現実の世界のことを教えてもらうことです。なにか、感動や同情を誘うような、ドラマを過剰に演出しようとしないでもらいたいです。そういう演出が見えると、本当の深刻さを隠すためにやっているのかと、ついつい勘ぐってしまうからです。ひねくれ者の私に、疑心を起こさせないようにしてもらいたいです。そのためには、
ドイツ内務省の1990年の結論、

放射能が非常に早く放出された場合は、災害対策としては住民に警告を出すことと、正確な情報を提供するしか援助方法はない

をお願いしたいものです。

 ところで、実は、土曜日には、関西外国語大学に行って、授業をしてきました。毎週、出かけるのは疲れるのですが、大学の教員への道を作ってくれたのは、この大学なので、必要とされるのならば、お金や疲れの問題ではなく、ご恩返しだと思っています。特に、昨年亡くなられた前学長は、いまから20数年前に、大学院生であった私を講師で採用して、大学教員の道をつけてもらいました。それから数年、そこで勤務をしていたら、直ぐに何か認めていただき、准教授(当時は助教授と呼んでいた)に昇格させてもらいました。その昇格の数ヶ月後に、高知大学の転出の話が浮上することになり、当時の学長はかなりお怒りであったように思います。恩をアザで返すようになってしまい、本当に心苦しく退職させていただきました。その高知では、このホームページのあちこちで書いているように、サッカーでインカレ全国3位という経験も指導者としてさせてもらうなど、思いっきり、第2の青春を謳歌させてもらいました。その後、再び、後ろ髪を引かれる思いで筑波大学に転勤してきたのですが、関西外国語大学のことは気になっていました。すると、今回、とにかく私が授業をすれば助かる、という話が現学長から直接きたため、ここは少し関西で非常勤講師をするには遠いが、「恩返し」と思い、お話しを受けることにしたのです。放射能のこともあるので、ついつい関西で多量に野菜や果物を買い、宅配便で送ったり、持ち帰ったりしました。まるで、行商人のようなことをしたので、よけいに疲れました。よかったのは、久々に、思いっきり、関西弁で授業できたことでした。

 今日も、大学院の授業をやり、学群の教職の授業もやり、あっという間に1日が過ぎました。
 実は、このホームページにはその影響は出ていませんが、このように更新できるのも、ある心理学の先生のおかげなのです(「先生は、心理学や心理学者は嫌いじゃないのですか」という声が聞こえて来そうですが、心理学と心理学者とは違いますし、私が嫌うのは、臨床心理学系の先生で、それもその専門の先生をすべて嫌っているのではなく、自分の専門分野に過剰に依存して(依存ししかできず)、悩んでいる人をケアするかたちで自分のアイデンティティの確認と売名行為、そして職域を拡大しょうとする方(道徳教育の分野にもよくいます、モラルを喰らういわゆる「偽善者」です。そのようなことを嫌うと言うことは、私自身もその傾向があるということの裏返しですから、私も気をつけなければなりません)であって、臨床心理学系の専門でも、きちんとされている本当に篤信的な人には親しくさせてもらっていますし、尊敬もしております。誤解しないようにお願いします。ましてや、特定の専門分野と人間とは別ですから)。実は、ホームページがうまく更新できなくなっていたのですが、その先生が2時間もかけて復旧させてもらったのです。感謝感謝です。心理学の先生、ありがとう。

 そんなわけで、金曜日まで筑波大学にいますので、何かあればご連絡ください。したがって、今週の授業では、休講はありません。



2011/4/8改訂版

 ドイツと日本のギャップを気にしていると、ついに原発の紹介について、ここまで違ったコマーシャルのようなものを作るかと、言葉が続きません。まるで、この二国間は、両極端過ぎます。
 ドイツは、原発事故が起こったときにシミュレーションです。こんなに町は変わると言っています。
 http://www.youtube.com/watch?v=Tl-FVTsUorA&feature=related

 そこでの、最後のメッセージは、次のようになっている。
 「1990年に行われたドイツ内務省の研究会では、放射能が非常に早く放出された場合は、災害対策としては住民に警告を出すことと、正確な情報を提供するしか援助方法はないと結論されている」
 

 それに対して、日本は、頼れる仲間プルト君―プルトニウム物語
 http://www.youtube.com/watch?v=bJlul0lTroY

 この二つの映像を見たら、この福島の事故に対して、まったく違った反応も当然だ、と思わず納得した私でした。それと同時に、情報教育、情報モラル教育の難しさを実感しました。

 では、信州に行って来まーーーーーーーーーーす!

2011/4/7改訂版

 最近、日本とドイツのマスコミ・ギャップ、つまり報道内容の乖離についていけなかった私ですが、今度jは風潮にもついて行けなくなってきました。日本では、風評被害があってはならないと、どこかの県の農作物は安全だから、とにかく食べましょうという雰囲気が醸し出されています。そこには、生産者の生活を守ろうとする善意の道徳的価値(道徳性)が接着剤役を果たしています。そして、科学的根拠のように、「この○○は、1年間食べても大丈夫」の決まったフレーズが連呼されます。だから、復興を助けるためには、そこの風評被害に負けないで食べましょうということになります。それに対して、ドイツでは、チェルノブイリの原発事故の際、1000キロ以上も離れているのに、ドイツ政府は、科学的に言えばたいした悪い数値でもないのに、事故当時に畑で生産されていた多くの農作物のみならず、乳製品のほとんどを「食べても飲んで直ちに健康被害はない」などと科学的な論拠を持ち出すこともなく、風評被害という言葉が出ないうちに問答無用で棄ててしまったという。あやしい物は国民の口には絶対に届けないという姿勢が見られます。少し過剰な反応だと、日本では言われるでしょう。何しろ、3月18日に、ドイツ大使館は閉鎖して、大阪に移転する国ですから、そして成田から3月13日にドイツにルフトハンザ機で飛び立った私を、成田は汚染されているからといって名古屋にしか送り届けない国ですから、そして文句を言うと、他の航空会社の全日空で自分たちが費用をもっても送り届けさせる国ですから、尋常ではありません。どっちが、どうなんだろうか。私には、わかりません。とにかく、この国の差について行けません。。。。。。!!!!!
 そうこう思っているうちに、例のドイツ気象庁の予報では、この土日は、いままで北東に飛ぶと予想されている放射性物質の散乱が、それもかなり濃厚なもの、つまり濃度がほとんど薄まっていないもの(ドイツ語では、Konzentration wenig verduennt)がつくばや水戸や千葉や東京の方向、つまり、南南西ないしは南西の方向に来るではありませんか!!!!!!!!!!しかも、天気は雨!!!!まずい!!!

  http://www.dwd.de/

どこまで、人体に影響がるかわかりませんが、たまたま土日で勤務がありませんので、いつも土日も大学に来ているのですが、ここは「君子危うきに近寄らず」の方針で、休暇と、水や野菜の補給をかねて、
奈良は少し遠いので、再びまたアルプスのふもとに車で避難しまーーーーす。

ご用にある方は、金曜日までにご連絡ください。よほどのことがない限り、大学院の授業がはじまりますので、月曜日には来る予定です。
どうしても土日は関東にいなければならない方、特に小さなお子様や妊婦さんなどは、念のため、どうぞそれなりの用心をされることを、ドイツ気象庁の情報に振り回される者からは、お勧めします。





2011/4/6改訂版

 今日はよい天気で、朝から例のドイツ気象庁のホームページを見たら、放射性物質はしばらくは北または北東に向かっていて、一安心したところです。今日、ついにこの種の情報が日本の新聞に公開されました。でも、白黒の動かない写真では、臨場感はなかったですね。しかも、数日後の予報も、少なくとも毎日新聞にはありませんでした。ドイツ気象庁のホームページには、天気予報のように、数日後まであります。それを見て、私は昨日と違って安心したのですが、全体を見ると仙台の方に高濃度のものが飛び、岩手沿岸や北海道の南東部に向かっています。仙台や岩手には、地震と津波の後、復興に向けて被災者のみならず、志のあるボランティアの人たちが活動されています。そう考えると、自分たちは助かったけれど、そのような人たちにはとんでもない風向きになってしまっていることに気づきました。春夏の風向きは、南風でしょうから、多くは北の方向に散布されてしまうのではないでしょうか。それらの人たち、特にボランティアの人たちも放射性物質を、人体に影響を与える濃度なのかどうかわかりませんが(でも、放射能は、微量であっても受けないにこしたことはないのですから。だって、これらは、計算で言えば、つねにプラス扱いで、いろいろな被り方の総和になって人体に影響を及ぼしていくのですから。たとえば、それだけが口から入っても直ちには健康には問題なくても、現実には、鼻からはいるもの、髪の毛や皮膚からのもの、そして水からも、さらにはこれまで被ってきた量などの総和になるのですから)、被っているのです(ドイツの情報を信じればという仮説のうえですが)。そのことをボランティアの人たちは承知して言っているのだろうか。承知のうえ、覚悟のうえならばよいでしょうが、もし福島の原発から30キロどころか、100キロも離れているから放射能汚染など関係ないと思われていたら、悲劇だなと思ってしまいました。いや、それが被害となるようなら、2次被害、3次被害の人災だと思います。そんな被害になっていないことを祈るばかりですが、そんな危険もあるのだから、私は、被災者、特に子どもたちだけでも、そして善良なボランティアの方が少しでも放射能を浴びない(極力少ない)ためにも、放射能の危険を防ぐ意味で、できるだけ西あるいは西南の方向に疎開を進めたいと思います。もう、1学期がはじまります。それこそ、つくばや茨城県にでも疎開されたら(たとえば、学校の統廃合の中で使われていない学校があるのではないかと思うのですが。特に、物資を被災地におくるだけでなく、特に過疎気味の地域で受け入れるという方策をもっと考えてほしいものです)、時間のあるときに、私も、微力ながら家庭学習の補助のようなことをしに出かけることもできます。そうならないかなと思っているうちに、ホームページに書いてしまった次第です。
 
 大学は、なぜかまだ静かな様子で、いつもの新学期の活気がありません。もう、新学期のガイダンスが始まっていると思うのですが。特に、中国からの留学生の姿があまり見えないようですね。まだ、帰国されていないのかなと思っています。はやく活気が大学に戻ることを祈りつつ、またあすも研究室の片づけでもしようと思っています。
                    
 そんなことを書いていると、地震がまた来ました。北茨城で震度4という速報が流れました。最近は、この程度では、驚かなくなっています。でも、以前のことがあったので、思わず、机の上のものを押せました。そんなわけで、ここで中断して、帰宅しまーーーーーす



2011/4/4改訂版

 無事、西の避難先(奈良と長野)からつくばに戻ってきました。
 
 しかし、まだマスコミ・ギャップと言いましょうか、ドイツと日本のマスコミの乖離に戸惑いながら暮らしております。何が真実なのか、どのあたりが真実なのか、なかなかわかりずらいですね。まだ、ドイツでの滞在から頭が切り換えられず。ついついドイツの情報を見てしまいます。実は、けっこう日本でも知られているようで、ドイツのみならず、ノルゥエーやオーストリアでも日本の放射能汚染予報が出ています。私は、もちろんドイツのものを見るのですが、実は、ここ数日は危険な日が続き、今日から明日の午前中がけっこう危ないのです。どこまで信じたらよいかわからないのですが、それを知ってしまっているので、ここ数日、できる限り外出は控え、今日は勤務日なので、やむなく大学に来ました。しかし、今日と明日だけは、外出するときには、マスクをかけるとともに、できるだけ、屋内にいることにしています。

なぜか。だって、次のドイツの気象庁のページを見てください。

http://www.dwd.de/bvbw/appmanager/bvbw/dwdwwwDesktop?_nfpb=true&_windowLabel=dwdwww_main_book&T3200029671164966377985gsbDocumentPath=&switchLang=en&_pageLabel=dwdwww_start

 (すいません。うまくリンクがはれません。これをコピーそしてペーストして、ページの更新をかけてください)

このページを開いて、下の方を見ていくと、三つの日本地図が出ています。そのなかの、一番下(うすくLoopと見えるもの)をクリックすれば。これからの予想が、現時点の情報がでるはずです。
これを見れば明らかなように、北の方向から風が吹き、つくばは完全に助かりません(涙涙)。しかも、東京および関東全域を含め、今度ばかりは西に逃げても、この範囲から逃れることができません。そんな状況なので、逃げることはあきらめ、できるだけ、今日は防御しようとしているわけです。気休めかもしれませんが、とにかく、家族にもそのように告げ、「吉田家では、今日明日は放射能汚染注意報」を発令し、できるだけ今日明日は気をつけるようにしています(でも、いま、外では北風がビュービュー吹いており、二人の子どもは用事で外出しているはずですから、少々心配しております)。



 
この長ったらしいもの、なんとかならないのかという苦情がありましたので、短いのを見つけました!これで、ご満足いただけるでしょうか。
     
http://www.dwd.de/

 ついでに、お詫びのしるしに、ドイツのもっとも有名な週刊誌の記事で言うと、ここになります。自動翻訳機にかけて、見てください。だいたいのことは、わかります。
     
http://www.spiegel.de/panorama/0,1518,751072,00.html

最初のところだけ、文字部分を英語版でペーストすると、こんな調子なのです。私は、もしこの部分が事実ならば、これだけを読んでも、とんでもない国に住んでいるのだと思ってしまいます。
ドイツ気象庁の研究者が本当のことを伝えているのか、あるいはデマをとばしているのか、どうかわかりません。また、何も言わない日本の気象学関係の研究者は、あまり積極的なデータを示していないように思いますが、どうなっているのでしょうか。私には、どちらの研究者が、現実社会に対して正しい行動をしているのか、わかりません。ただ、この相違から垣間見えるのは、どちらかの研究者には、知性と道徳性(良心)が明らかに欠如いている(研究者の気概と勇気というか、魂を棄てている「最低な人間」だ)ということでしょうね。それだけは、言えるような気がします。もちろん、日本の側でないことを信じたいです。どちらにせよ、教育関係の事象に対しては、私は、「最低の人間」と同根と言われないようにしたいと思っています。

Nuclear reactor incidents in Japan

Information notice by the Deutscher Wetterdienst (DWD)

Following the massive earthquake in Japan, a number of serious reactor incidents resulting in radiation leaks have occurred at several nuclear plants northeast of Tokyo. This page will inform you of the latest meteorological situation in Japan and the dispersion calculations as established by the Deutscher Wetterdienst (see below 'Weather and migration conditions in Japan').


 
仮に、ドイツの気象庁の発表側の立場に立てれば、日本の新聞紙上で毎日出ているあと、危険地域を示した、あの静止的で単純な10キロの円、20キロの円、30キロの円の図は、まったく子供だましの絵だ、ということになってしまうのですが。だって、放射生物質の拡散は、日々、天候によって流動的に変化している、ということを示しているからです。

 どうも、このあたりのことについて、昨日、読売新聞が記事にしていましたね。ようやく、このことを知ったのかな(いや、隠していたが、隠しきれないと思ったのかな?)。どうも、今日は、テレビでも指摘されていたという話を知人から聞きました。

 でも、こんなドイツの情報が正しいとすれば、昨日に書きましたように、もうつくばや関東から逃げても無駄なんです。もう、手遅れなのです。ここ数日、風向きが変わる関係で、日本上空で渦巻きのようになって拡散しそうな雰囲気で、名古屋も関西も、四国、九州も拡散地域に入り、しかも、韓国や中国沿岸まで入り、逃れられるのは不可能なのです。日本の安全地帯は、沖縄や北海道などであって、もうダメなのです。どうして、スリーマイル島でも、数十時間で放射能の拡散は終わり、史上最悪のチェルノブイリでさえ、1週間で一基だったのに、日本は3週間も経ちまだ止まりそうにないうえに、しかも4基ですから。こうなったら、あきらめて、目隠しして横断歩道をみんなで渡れば怖くない気分で、日本人はいくしかないなと思っています。ドイツの情報は外れることを祈りつつ。




 一昨日は、そのあいまをぬって、畑に行き、成長しているホウレン草、ニンニクなどを刈り取ってきました。別に安全かもしれませんが、化学肥料も使わず、安全第一で農作物を育てているのに、危険かもしれないと思うと、とても食べられません。少しぐらいの放射能汚染は「直ちに健康に問題ない、大丈夫だよ」と思われるかもしれませんが、数値的にどうのこうのではなく、放射能汚染はないに越したことはないのですから、危ないかもしれないものと、危なくないものがあればどちらを取るかとなれば、後者を選ぶのが常識でしょう。それも自分たちの健康を考えて手間暇をかけているのですから。そんなことを思いながら、クワで「くそー」と思いながら、すべて放棄してしまいました。私のような真似事の百姓でも辛い思いをするのですから、他の茨城県や福島県などで、市場に出せないで生産物を棄てざる得ない農業関係者の思いを考えると、情けなく思います。私でも、これは弁償してもらいたいと思うぐらいですから(日本の専売特許、幹部が頭を下げただけで済ます日本社会の風土にも、やるせなさを感じますね。謝って済むなら、警察も裁判も、いらないわ。個人だって、悪気が無くても、何か他人のものを壊したら弁償するのは、人間の常識だし、法律でもそうなっているではないかと)。汚染されたと言われてしまった農業関係者(酪農関係者)に、せめてお金だけでも早く償ってあげてもらいたいものです。せめて、私にも、何の落ち度もなく被害を受けたのですから、せめて種と肥料代、しめて1000円ぐらい、弁償してもらいたいぐらいです。しかし、そんな請求はできないだろうし、多くの人たちの保障のために、電気代が値上げされるなると、私は野菜をダメにされるわ、電気料料金は高く払わせられるわ、となると、「泣きっ面に蜂」の気分です。情けなくなってしまいます。そして、いま、植えなければならないジャガイモ(もう遅いぐらいなのですが)、土壌が汚染されているとなると、なかなか植える気になりません。困った困った。しばらく、どうするか考えてみます。

 しかし、最近のテレビコマーシャル、何とかならないものかと思います。「がんばれ日本」「信じろ」などの精神主義、情緒主義、心理主義を煽るところが情けなくなっていまいます。ちょうど、道徳教育で、よいことであっても、何度もしつこく言われると、反発したくなってくる、あの気持ちですかね。子ども時代で言えば、親が「勉強しろ、勉強しろ」と言っていたことと、重なってしまって「わかってる。うるさいなー」と、言い返したくなります、あの気分です。私なんかは、この精神主義、情緒主義、心理主義にイライラしています。たぶん、これから「こころのケア」も叫ばれるのでしょう。なんで、日本はそうなるのかと言いたい気分です。どうして、もっといまの状況を知性と理性でしっかり把握し、それらを使って、いま自分はどうするか、どうすべきかを考え、実行するという方向に行かないのだろうか。こんなときに、知性や理性ではなく、情緒や感性だけに依存してしまうのだろうか。いまこそ、理性と知性が求められる時期なのに。だから、直接的な被災者ではない(でも、間接的な被災者であるし、今後、放射能汚染がおさまらないと十分に被災者に入ると思いますが)私も、いま目下、何を具体的にすべきかと理性的し・知性的に考えて、行動したいと思っています。そのうちに、こころのやるせなさのようなものも、解決できていくような気がするこの頃です。それでも、ダメなときは、こころの専門家に、カウンセリングでもお願いします(笑)。それでもそれでもダメなときは、こころを超えて、魂のカウンセリング、すなわちスピリチュァリティ・カウンセリングを飯田史彦先生にお願いすればよいことですし。

そんなこんなでいるときに、あすは来てもらいたくない、忌まわしい満57歳の誕生日が来ます(涙涙涙)。あすは、悲しい日になります。でも、吉田家にとっては、悲しい部分が半分と、息子が大学の入学式というおめでたい日でもあるので、差し引きゼロかというところですか。神か仏か宇宙か自然かわからないが、何かのせいで、いつも必ず、明日という一日をとってみても、うまくバランスが取れるようになっているものだと思います。


今週は、毎日、大学に来ております。何かあれば。メールください。




2011/3/25改訂版(ほぼ1ヶ月ぶり)

 予定通り、ドイツに13日に行き、24日に日本に帰国しました。あの地震さえなければ、前日に遅れていた更新をやって出かける予定でしたが、とんでもない地震で、研究室が足の踏み場もなく散乱するだけでなく(もともと平時から散乱していたのですが)、大学の電源も切れてしまい、いかんともしがたい状態でした。あまりの更新の遅さに、安否をたずねるメールも複数の方からいただきました。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。

 少し時間をもどして、お詫びの印に、近況を詳しくお知らせしておきます。
 地震の瞬間は、実は遅い昼ご飯を食べに外に出かけ、そのついでに、おかげさまで子どもが前期試験で大学に合格したので、海外出張の前に入学手続きをしに銀行に行って、大学にもどる途中でした。あと10分後には大学に到着できるなと、快調に車を60キロぐらいのスピードで走っていると、ハンドルが急に左右に揺れ出し蛇行しました。パンクかなと思いつつも、左右にハンドルが取られるとは、左右のタイヤが前後ろで同時にパンクになったのかと思いつつ、とにかく路肩に寄せて止まりました。前方から来た車も路肩に寄って止まって、私の方をじっと運転手が見ているので、よっぽど私の車がとんでもないことになっているので見ているのかと一瞬思いました。しかし、車が止まっても車は左右に動くので、とんでもない異変が車に起きたと思い、車から降りました。すると揺れているのは私の車だけでなく、電柱も木も。そして地面も動いていることで地震だとやっと気づきました。その後、地震がおさまってから、大学に向かいました。すると、多くの学生が建物の外の空き地に集まっていました。私は、その人たちから大きな地震だったと聞かされ、自分の目で確かめたく研究室に急ぎました。すると、廊下には明かりがなく、研究室のドアも何かに押されてなかなか開きませんでした。しかし、たぶん本か箱が邪魔しているのだろうと思い、無理矢理開けて中に入りました。するとこれまで、かなり普段から床に散乱していたが、今回は、一面に散乱していました。それに対して、本来、棚にあるべきプリンターはなく、机の上にあった本もほとんどなくなり、コンピュータのモニターも机から消えていました。とにかく、2日後にドイツに出発しなければならないので、日が暮れるまで片付け。翌日も陽が昇っているあいだに、ある程度、電源が入っても漏電を起こさないようにしたのを見とどけて、日曜日に成田に車で向かいました。

 すると、空港は出国ラッシュでたいへんな混雑で、チェックインまで2時間かかり、飛行機の出発も1時間遅れるアナウンスがありました。機内に入っても、お客さんの乗り継ぎを待つということで、40分待たされ、最終的に2時間遅れで出発しました。もちろん、機内は満席でした。たまたま隣に座ったドイツ人が親切そうなので、話をしながら機内で時を過ごしました。ドイツの自動車会社の社員で、たまたま日本に出張していたらこの地震に遭い、急遽帰るんだということでした。そんな人がたくさんいるようでした。機内のアナウンスも、私の語学力ではよく聞き取れず、十分にわからなかったのですが、この飛行機がドイツへの最終便なので、お客さんを待っていたと言っておりました。何か雰囲気が切迫感を醸し出していました。私は、何十年に一度は日本では地震災害があるので、大きな人的物的被害が出るが、その中でも大きなものだったし、自分自身も、これほど大きな地震を体験した事はない、程度の認識で、ドイツ人にもそのように離していました。地震と津波で多くの人が亡くなったし、不明者がいる、そして、原子量発電所も被害を受けたらしいが、被害レベルは2か3程度で、大きな被害にはなっていないし、本体が爆発していないのであるから、大丈夫だ、と有名大学の名誉教授の方がそんな趣旨のコメントしていたので、大きい被害といえども、程度が大きいぐらいの認識でした。ドイツ人は、地震を知らないから、さぞかしびっくりしたのだろうと思っていました。ところが、ドイツに到着すると、出口にはテレビカメラが何台も待ち受け、ドイツ人にインタビューをしていました。そのときも、大きな地震ぐらいで何を言っているのだろうと思い、その隣のドイツ人ともそこで挨拶をして別れました。すると、そのドイツ人家族が迎えに来ていて、涙を浮かべて抱き合っていました(あの最終便というアナウンスは、単なる今日の最終便という意味ではなかったのかも知りませんが、詳しいことはわかりません)。しかし、ドイツ人は大げさだなと、横目で見つつも、2時間遅れなので、ニュルンベルクまで行くと夜中になるため、急いで列車に向かいました。

 夜10時半に、いつもお世話になる個人経営のペンションに着くと、そこのご夫婦も心配してくれて涙をためてよく来れたなと、いつも以上に感激して手を握って迎えてくれました。そして、しばらくしてニュースをテレビで見ていると、ずっと日本の地震を報道していました。昨年まで、テレビで日本が報道されることはあまりなく、アジアfが取りあげられても、インドや中国が中心でした。それが、今回は異常なほど、日本を取れあげていました。でも、もうその日は、疲れているので直ぐに寝たのですが、明くる日になっても日本の話しばかりが続き、ドイツではないようでした。そのあたりから、何か私の認識がおかしいのではないかと気付き始めました。

 そこからの話をし出すと、まだまだ話が続いてしまうので、途中はいつか機会があったらお話しするとして、先を急ぎます

 要するに、マスコミの報道の温度差が、日本とドイツでは、同じ事象を扱っていると思えないほど、でかいのです。でかいという程度の問題ではなく、まったく次元が異なった捉え方をしていることに気づかされるようになりました。つまり、今回の被害のポイントは、ドイツ人には原発の問題だったのです。ドイツでは、日本ではたいした問題ではなく、放射線もそれほど漏れていない、副次的な軽微な事項という扱いに対し、当初からチェリノブイリ事故と比肩するぐらいの深刻な事故だと放送していました。だから、広範囲に放射能が広がると言い、ドイツ人には即刻、関東地方から待避するするように政府は言ってようでした。そのうえ、この指示に従わないで甲状腺癌になっても、保険は効かないとまで脅していました。特派員も、それに従ったように、生中継も、東京や川崎ではなく、大阪から報告するようになりました。さらに、天気予報士らしき人が、日本地図を出して、数日後に北風が東京に吹き込む雨の時が危険だと話していました。そのうえ、一方で、日本人は大きなパニックも起こさず、助け合って親切な国民だと感心する評がありながら、他方では、なぜ危険な場所から逃げようとしないのか日本人の心(原語ではメンタルと言っていました)がわからない、日本のマスコミが真実を伝えていない、日本人は外国語ができないので残念ながら日本のマスコミ情報を信じざるを得ない可哀想な国民だ、などとコメンテーターや解説者やアナウンサーらは、好きなように言っていました。駅前の新聞の見出しをみても、「恐怖」や「日本は終わった」ような活字がおどっていました。しかし、私の語学力もたいしたことはないので、あまりのニュースの違いに、20年以上、ニュルンベルクに住んでいる日本人に、私の耳や目や理解力が悪いのか、上記のように報道しているように思えてならないのだが、間違っていますか、と確認の電話を二人に入れました。すると、その二人から、私の理解は大筋間違っていないし、どちらが正しいのかわからないが、両国のマスコミの論調はぜんぜん真逆なのですよ、と教えてもらいました。自分の理解は大きくは間違っていないと思ってさらにドイツの動きを客観的に見ていると、ドイツの救援隊は日本に到着するやいなや、救援どころか、これはとても危険な状況だと判断し、すぐにドイツに引っ返した。日本のマスコミは、ドイツの救援隊が来るというのは盛んに放送していたが、引っ返した話はほとんどしていないことにも気づかされました。
 そして、毎日、深刻な問題だとドイツで聞かされ続け、まるで洗脳をされてしまった気分でした。でも、ドイツでは、騒ぎすぎではないか、虚言ではないかと思いつつも、もしこちらの記事が正しければ、日本に残した家族に、危険だと知りつつ知らぬ顔をしていては、家長としての見識が疑われると思い、外れていたらそれはそれで喜べばよいし、私が恥をかけば済む話と決断し、家族に「乗り物が動いておれば、学校を休んでよいから、実家にもどれ」と指示を出しました。我が家は、それに従い、夕方につくばエキスプレスが動いたときに東京に行き、そこから夜行バスで故郷に避難しました。

 その後、とりあえずこれで虚言に騙された結果になるかもしれないが、家族の心配もなくなり安心し、出張の目的であるドイツの調査を済ませていよいよ帰国かと思ったら、ルフトハンザ機は安全のために成田では発着しないという情報が入り、中部国際空港に帰るハメになりました。そこで、「泣き寝入りという言葉は私の辞書にない」ので、フランクフルトのカウンターで交渉し、中部国際空港から成田までは全日空にルフトハンザ航空の費用で、つまり無料で運んでもらい、昨日の夕方に自宅に戻った次第です。しかし、その中部国際空港行きの飛行機は、ソウルに降りて乗務員が交代するとともに、燃料と機内食が持ち込まれ、そこまで日本の状況を危険視しているのかと、思わされた場面でした。

 しかし、日本に帰って改めてニュースを見ても、「問題ない」「明るい方向に進んでいる」の論調。ドイツは、まだまだ深刻な問題が進んでいるという論調。

 たとえば、論より証拠で、新聞を示しましょう。
 帰国するときに、日本の読売新聞と、ドイツの最大の、最も信用度の高い全国紙の新聞、フランクフルトアルゲマイネを飛行機に乗る前に取って、読んでいました。

 読売新聞には、次のような記事がありました。
 少し歪んでいますが、明らかに3号機と4号機の「明るい方向」を示唆するものです。





 ところが、同日のドイツの新聞には、次のように記されていました。

 

 最初の部分に結論が出ており、そこだけを訳すと、見出しが、「福島原発の上に煙り」となっており、「福島原発の状況は、火曜日に再び悪化した。2号と3号の原子炉から、煙の雲と水蒸気が立ちのぼった。・・・」となる。明らかに「暗い方向」を示しています。


 つまり、ここ2週間、一貫して、ドイツと日本の論調が大きく違っていることの一端がわかると思います。道徳教育の分野でも、時流に乗って、偉そうに情報モラル教育の重要性を言う人たちがいますが、こういう場合、どのように子どもたちに教えるのか聞きたい気分になります。「事は簡単ではない」ことに、このような生きた教材から気づかされてしまった。つまり、しらじらしい道徳的な見方だけでは、「泣いた赤鬼」のような物語で「本当の友情とは何か」程度の心の持ち方の解釈では、この現実の問題に、どう感じ、どう判断し、どう行動するか、は出てこない。でも、道徳の問題なしに、この状況に適切な対処は不可能だろう。資料の批判的な読み方、そしてさまざまな知識(語学力を含めて)、そして視野の広さと洞察力の深さ、それを支える関心・興味などの好奇心や感受性、そして行動力などが、総合的に問われるのであろう。そこに、、必ず道徳はかかわっているのだ。だから、道徳だけを取り出した道徳教育では、何ら、これからの変動する社会の中で子どもたちは行き抜けさせることはできないのではないだろうかと、思ったドイツ出張の副産物的なお話でした。

 そんな経験をして、4月から、学生への教育と自分の研究に生かせればなと思っています。
 次回は、もう来てもらいたくないと願い続ける、誕生日の前日に更新する予定です。

 また、そんなこんな状況ですが、4月から、新たな気持ちでがんばりますので、何かあれば、研究室につめていますので、学生の皆さん、ご連絡ください。

 <数時間後の加筆>

 やっぱり、ボーとテレビを見ていると、ドイツで洗脳されたせいか、何か日本の感覚がおかしいと思わざるを得なくなったのです。だって、テレビでは、「問題はない」「デマに流されるな」とともに、コマーシャル的に、「元気を出そう」、「日本を信じよう」「世界が応援している」などの放送が繰り返し流されている。確かに、そのように言うことはおかしくない。ヨーロッパのサッカーでも、喪章を付けたり、黙祷したりして、日本のことを考えてくれていました。「世界が応援している」というのも、ウソではない。しかし、それは一面であっても、すべてではないことを、外国のテレビで見てしまった。ドイツのリーグで活躍する選手が、ドイツ人の思いをコマーシャルの中で伝えている。しかし、数時間前に書いたように、外国語ができない国民で可哀想な人たちだ、だから国内のマスコミに操作されているなどのドイツ人の発言をテレビで見たし、メルケル首相が、おそらくドイツ救援隊の即刻引き揚げについてコメントしていたと思うが、「ドイツ人は、友好国の日本人を助けたいと思う。しかし、ドイツ人の命も大事だ。どちらも大事なので苦渋の決断をし、やはりドイツ人の命を守る選択をした」、つまり日本人を見捨てざる得なかった旨を語っていた。それを見ていて、その選択肢ならば、自国民の命を守らざる得なかったと弁明する首相の気持ちもわかるなと思っていました。
 とにかく、ドイツは現実の社会問題と捉えるのに対し、日本はなぜか「がんばれ」「信じろ」「現地でがんばっている人がいるので、みんながんばろう」「逃げ出さずに、いまの場所で助け合おう」的な虚構の心の問題に寄っている、いやそれどころか、戦前は私はしらないが、大本営発表を信じさせ、理性的な判断を失わせ、こんな感じで戦争の道に国民を以前に導いていったと思わせるぐらいの精神主義に通底しているのではないか、と思えてくることすらもあります(考え過ぎかもしれませんが)。現実主義ではなく、心情主義ないしは精神主義に偏っているということです。このことについては、またいつかの更新の時にまた語りましょう。とにかく、どちらの論調が正しいのかわかりませんが、

欧米のマスコミと日本のマスコミの違いに、恐ろしさと恐怖を感じざるを得ません!!!! 地震も津波の放射線も怖いが、これだけ違うと、正直、マスコミの相違も怖いです。

 現時点で、どうすべきかにつて、いまは考えてみましょう。私は、放射能の問題もあるので、どこまでどこの情報を信じたらよいかわかりませんが、学生諸君には、特につくば近辺にいる必要がない人には、いまは春期休業ですので、この機会に、福島から遠ざかることのできる人は、心配している親や親戚に顔を見せるなど、そうしたほうがよいのではないかと思っています。そうできない学生さんは、遠ざかることのできる友人宅や知り合いの人たちのところで、あるいはこの機会に格安旅行を以西のほうでするとか、事態が落ち着くまで西の方で過ごしたらどうだろうかと思います。基本的に、「西に移動」をしたらと思います。いまは、インターネットがあるので、どこでも筑波大学のホームページにアクセスができ、地理的に離れていても動向はわかるのですから。
 そして、もう少し対象を拡大して社会的なことを提言するとすれば、いろいろな事情でその地を離れらない人は十分に気をつけて滞在してもらうとしても、離れられる人は、交通機関も動いていますから、できるかぎり、西に移ったらどうなのでしょうか。ドイツでの見方に影響を受けつつ、日本の見方も入れながら言うと、この機会に、遠くの親戚や友人を頼ったらどうなのでしょうか。日本のいまの風潮は、被害者住民を基本的にその地域に滞在して、物資等を交通網を復活して援助しようとしています。ボランティアも、そういうことで現地に行こうとします。それも、もちろんよいでしょう。動きたくても移動できない人たちがいるのですから。でも、その一方で移動できる人は、西に移動したらよいと思います。また、また地方の行政機関やボランティアも、物資をただ送るだけではなく、それと同時に、受け入れることをやったらどうなのでしょうか。そうすれば、送る物資も減らすことができるし、それこそ日本全土で助け合っている雰囲気が出ると思うのです。たとえば、空いている公営の住宅を無料で被害者に提供するなどです。特に、人口が減っている地域には、その地域も活性化すると思うのです。そうすれば、被害者の人たちに対して、たとえば八百屋さんなどは、「困ったときはお互い様だから、これ余っているから持って行きなよ」というかたちになり、ぎょうぎょうしくならないで、生活に根づいたjかたちでボランティア精神が発揮されるのではないでしょうか。
 それを教育行政的に言えば、よい機会だから、山村留学のようなことを子どもたちにさせてはどうだろうか。そうすれば、山村も活気づくし、何よりも、日本全体がつながって助け合っている現実が生まれる気がするのですが。それこそが、日本の輪、そして和と考えます。たとえば、私が以前に住んでいた高知県の山村に、東北の子どもたちが数ヶ月でもその地域の子どもたちと交流すれば、めったにできない温暖の地のよい経験になり、視野が広がると思うのです。それこそ、もうセーターの要らない気象条件で、見るもの聞くものがまったく違う異文化の体験は、つらい経験の中にあって、光明の体験となるはずです。また、その地域の子どもたちも、ぜんぜん違ったところで育ってきた子どもと知り合い、被害のことも実感できるし、よい経験になると思うのです。そして、その後、被害者の子どもたちが郷土に戻っていっても、その交流は続けば、人生の強力な絆になると思うのです。作為的な、うさんくさい心理的なエンカウンターグループの出会いと違い、現実生活に根づいた貴重な本当の出会いができ、生涯その関係は続くのです。そしてなによりも、我々大人と違い、放射能の影響が出やすい年少の子どもたちが安全な場所で、きれいな空気と水のもとで、サンサンと照りつける太陽の下で、一時を過ごさせたいと思うのです。被害地域も、復興に全力をあげ、子どもたちが帰ってくるときには、少しでもよい環境を取り戻せるのではないのでしょうか。

 そんな大きな、偉そうに、天下国家の政策を考えたので、加筆しました。
 そして、偉そうに言う以上は、自分にも返ってくるのですが、人に「西へ」という以上、自分も少し時間を空けられるので、正式に月曜日からしばらく年休を取って、西に移動することにしました。そして、2週間ぶりに、すでに西に移動させている家族と合流します。これで、言ったことと、自分の行いが一致して、一貫します。この更新を終えたら、自宅に戻り、荷物を積んで西に移動します。

 そんなことを書いていたら、いま、帰国の途中で空港に向かう列車で、知り合いになった中国の大学院生からメールが来ました。彼女も、「これから日本に帰る」と言ったら、驚いた顔をしていたので、英語しかできない彼女に「コミッシュか」と言ったら、「変だ」と言っていた彼女でした。2時間、いろいろな話をして、楽しい時間を過ごしました。彼女のメールには、次のように書かれていました。

 

吉田先生,

?好!

我是??,我?在コ国的火?上??的。相信??在已?回到日本了。我祝福?和?的家人朋友早日度???,重建美好家?。

 祝幸福平安!

??

 (?は、中国の文字なので、文字化けして?と出ています)

Dear Mr.Dr. Takeo YOSHIDA,

How are you?

I am ??。 We met on the train in Germany. I think you are in Japan now. I don't know what about the situation in your hometown now. I wish you and your family can pass the disaster and rebuild the beautiful home as soon as possible.

 Best wishes,


 それを受けて、日本語がわからないので、英語にするには私の力もないので、
自分が勝手に作った吉田の勝手な中国語(これ、中国語ではないと言われるでしょうが、中国語の知らない私が、漢文の知識を思い出しながら、そして相手のメールを参考にしながら、こんな感じではないかと創作してした言い回しです)で、返答しました。伝わったかな。漢字だから、ここで第三国の言語である英語を使うより、気持ちは伝わるだろうと思って。

  

??

 From  吉田(yoshida)

深謝E-mail. 

無事帰国。

幸福平安

我願再会。



 
 奈良の春日大社と茨城の鹿島神宮の交通安全ステッカーが付いたノアを見かけたら、お声をおかけください(笑)!
 では、みなさま、お元気で。






2011/2/24改訂版

 更新が遅れてすいません。元気にはやっていますので、ご安心ください。

 明日は筑波大学でも前期試験のため、大学は休業日ですが、用務のため、大学に来ます。なかなか、ゆったり休ませてはもらえないようです。

 我が家でも、明日は息子が入試のため、入試モードになっているのではないかと思っております。我が家では、予備校の直前講座にお金を支出してしまったので、予想外の出費だったのです。だから、もう節約のため、すべての私立大学に受験料などももったいないので、受験せず、国立の前期後期の入試に絞っているだけに、一気に受験モードだと思います。試験する側にいると、なかなか、自分の身内が試験を受ける側の気持ちにはなりませんが、最近は、数年おきに、普通の親の役回りを演じているところです。実は、昨年末にドイツのウルムに出かけた同僚に、日本で手に入らない健康栄養食品のエキスを息子のために買ってきてほしいと、お金をわたしました(息子は誰に似たのか小心者で、入試の前になると緊張して腹がおかしくなるのです)。瓶に入って思いので、郵送してもかまわないからと伝えてありました。やはり重かったので、郵送してもらいました。ドイツでは、2キロ以下の荷物は安く、1500円程度で遅れます。ところが、なぜか、時々、航空便で行くはずなので、いつのまにか船便になり、最高90日ぐらいになることがあります。今回も、年末に郵便局から送ってもらったのですが、まったく到着しませんでした。そうなると、船便になったということで、1ヶ月半くらいかかるだろうと思っていましたが、まさか前期入試には間に合うだろうと思っていました。しかし、よりにもよって、今回は1ヶ月半を超えてしまった、もうだめかと思っていましたら、今日、昼に小包が届いたという連絡を自宅から受けました。前日にはかったように到着しました。その話を聞いて、「これで合格した。決まりだ。助かった」と、直感してしまいました(実は、受験する大学の紋章が私の家の家紋と基本的に同じあったし、その大学にいる先生にシュタイナーのことでぜひ会って質問したい方がいるので、何かの縁は感じていただけに)。この偶然ははかったように今日起きましたので、思わず神からの啓示ではないか、将来を象徴的に暗示していると感じました。いや、そのように思うことにしました。そうすれば、そうなるのだからと思ったのです。その根拠のスピリチュアル的原理を言うと、「意識は現象に先行する」となります。そう思うと急に安心してしまいました。わかりやすくいうと、意識していたら、事もそうなる、ということです。そこの延長上にある言葉が「願えば必ず叶う」なのです。

 そうそう「願えば必ず叶う」で思い出した。私の拙著『シュタイナーの名言100選』という本のあとがきにも、またこのホームページにも数年前に書いた、高知大の教え子のMさんが、この言葉をいつも口癖のように言っていました。彼女に言わせると、私が高知に来たのも、「私がシュタイナーを勉強したいと願っていたから、先生は来たのです。先生は、そういう運命です」などと言っていました。その彼女は私の下で論文を書いて、いなかの高知の中学校の先生になりました。生徒にも、私との出会いをいつも「願えば必ず叶う」の例に出していたそうです。その彼女が、数年前に、高知でかかりつけの歯科医行くと、そこで偶然、京都に転勤した高知大時代の同僚の先生がわざわざ高知まで来て歯の治療に来られていたところでばったり遭遇し、共通の話題に私の話が出て、私が最近ドイツにしばしば出かけている話を聞いて、彼女はまた運命を感じたようで、電話番号をその先生から聞いて、電話をしてきました。そこでは、やっぱり私は本当にシュタイナー教育を直に勉強したいし、このままでは人生に悔いがのこる、ということでした。中学校を退職して学びに行きたいということで、シュタイナー学校教員養成所のことを知りたいということでした。そして、それを聞いて、数ヶ月後に退職し、4月からドイツ語の勉強に入りました。そして、その7月にニュルンベルク・シュタイナー学校にいるときに、そこまでやってきました。高知で別れて、10年ぶりに、そこで再会しました。彼女に私の知っている情報を伝え、彼女はそのままドイツに残り、勉強することになりました。昨年の3月に、彼女が勉強しているシュトゥッツガルト・シュタイナー学校を訪問したときに、会いました。この1月に、日本で教育実習をするという連絡を受けていましたが、また私が3月にドイツに出張するので、またそこで会うかと思っていて、メールを送ったが返事が無く、どうしたんだろうと思っていたら、もうこのまま日本に残って、日本のシュタイナー学校に就職が決まったとのこと。せっかく、またシュトゥッツガルトで会えるかな、ドイツ語も私よりうまく操れるようになったので、通訳になると思っていたのに、残念ですが、彼女にとっては、20年かかって果たした夢が実現するのですから、喜んでやらねばと思っています。これで4月から近くに来るので、また会えるかなと思っています。よかったよかったです。

 そんなこんなの状況ですが、いま、上にも書きましたが、3月にドイツに出張します。3月13日から23日まで、ベルリン、ニュルンベルクなどのシュタイナー学校に訪問してきます。
 その準備もあるので、気ぜわしくなってきた今日この頃ですが、1年ぶりのドイツで、楽しみにしています。しっかり、やりたい研究をしてきたいと思っています。

 では、では。






2011/2/5改訂版

 何かといそがしくて、更新できず、申し訳ありませんでした。元気には、やっておりますので、ご安心ください。



先日のサッカーのアジアカップ戦は、原則的に日本代表のものは見ないことにしているのですが、準決勝と決勝を不本意ながらついつい見てしまいました。原因は、放送時間にもありました。おそらく、夜の12時までなら、見なかったと思います。だから、準決勝の韓国戦も、途中からでした。なぜなら、関東地方に住んでいて一番いやなことなんですが、夜の11時過ぎあたりから、見たい民放のテレビ番組が無くなってしまうので、ついついその日も無く、サッカーしか見るしかなかったからです(関東では、その時間あたりから、東京の芸能人が何の芸を見せるわけでもなく、自らゲラゲラ笑っている姿しか見せないようなバレエティー番組が激増するのです。それが、声を聞くだけでもイライラしてくるのです。視聴者を笑わせるまえに、自分たちが笑っているのは許し難いのです。そんなことを言うと、関西でも同じではないかと言われるでしょう。そうなんです。関西も同じなんです。でも、関西のローカル番組は許せるどころか、見ていても楽しいのです。たぶん、関西で育った私の個人的な感覚の問題で、関東の番組が悪いわけでもないと思います。まったく自分勝手な感覚の問題なんですが、困ったもんです)。
 ご存じのように劇的なフィナーレとなりましたが、大会前にこのホームページでぼやきましたが、まずおもしろくないのは、審判のレベルです。日本をはじめ、アジアの審判レベルは、試合を台なしにしまう。準決勝の韓国戦でも、信じられないようなペナルティーキックの判定がありました。せっかくの試合が、おかしな判定でむちゃくちゃになってしまうのです。しかし、たまたま両チームに、公平に誤ったペナルティーキックが与えられて、両チームにとって公平に得点に結びついたからよかったものの、本当に困ったことです。思わず、「主審が、試合の主役になって、どうするんだ!」と思ってしまいました。最近の臨床心理家やスクールカウンセラーと同じで、日陰で支える人であってよいのに、表舞台に出てきてどうするんだ、節度と節制をわきまえろ、と思ってしまいました。
 それから印象に残ったのは、監督と選手の関係でした。ワールドカップのときは、点を取っても、試合に勝っても、選手と監督が抱擁する場面はほとんど見られなかった。おそらく、昨年のワールドカップで、選手は、表向きは大人になって監督をバカにする発言はなかったけれど、本音は相手にしてなかったのだろう。興奮して冷静になれなかったときには、ついつい本音が出るものです。あのときは、出場選手と控え選手が抱擁し合ってて、だれも監督のところに近づかなかったが、今回は、選手たちが監督やコーチに進んで近寄り抱擁し合っていました。みんな正直だな、と思った場面でした。
 いつものように、偉そうに批評させていただければ、本田や長谷部や香川も、それほど調子がよくなかったですね。何かケガでもしているのかなと思ってみていました。やはり、アジアで一番うまい選手は、韓国の朴選手ですね。イングランドのマンチェスターUの選手らしく、レベルが抜けていましたね。一流という感じでした。一流の選手は、自分の感情を自制していて態度も違うと思いました。日本の褒め言葉で言えば、まさに「さむらい」でした。試合に負けても、、悪びれずに、日本選手と握手していましたね。一流は、技術だけでなく、心技体が整っているんだと思いました。敵ながら、立派だと言わざる得なかった。それに対して、真逆な選手は、名前は忘れましたが、PKを蹴った、1流半のスコットランドリーグにいた選手でした。PKを入れて、パフォーマンスで、テレビカメラに向かって猿の顔を見せていた選手です。これは、ヨーロッパ人がアジア人を侮蔑する態度で、明らかな人種差別の態度です。日本人を猿に喩えたのです。思わず、どうして同じ韓国人で、こんな違いが出てしまうのだろうと考えてしまいました。確かに人によって違うということでよいのでしょうが、それではなにかつまらない説明だなと思いました。そこからまた思ったのは、やはり1流と1流半の違いが見事に出た、ということでした。そう思うと、自分にとってよい人生訓を、サッカーの試合から見出してしまいました。

 <ちょっとしたお知らせ>

 2月18日(金)は、筑波大学附属小学校の研究発表会に、あまり行きたくないのですが、大学の教員としての責務上、ひさしぶりに講演に行きます。5000人以上の教員が全国から集まる、大きな研究発表会です。道徳部会での講演なのですが、数百人は集まるでしょう。詳細は、以下のサイトを見てください。

 http://www.elementary-s.tsukuba.ac.jp/pdf/kenkyu201102.pdf

 5,6時間目に、教育学類の専門科目「道徳教育論」があるのですが、授業をやめます。しかし、休講はしませんので、ご注意ください。その代わり、シュタイナー教育のビデオ鑑賞の時間にします。したがって、場所は2H101に変更します。
 そこでは、日本では、シュタイナー教育に関するビデオは、1本60分のものが5巻あるだけで、他に存在しません。その秘蔵ビデオのうちの2本を上映します。
 貴重なビデオで、しかも上映する教室は300人収容できるところなので、この時間はオープンにして、シュタイナー教育に関心のある人であれば、この授業を受講していなくても参加を許可したいと思います。希望者(もう一度みたい人も含めて)は、私のところに事前にメールでお知らせください。




アドレスは、joschida@human.tsukuba.ac.jp です。





2011/1/22改訂版
 ただいま、執筆の仕事がブッキングを起こしすぎ、ついに何から手をつけたらよいかわからない状態で、仕事が静止しています。

 そんな中、昨日はコンピュータに向かっていたら、夜中にインターネット情報が騒がしくなり、ついついテレビでサッカーの試合の後半を見るはめになっていまいました。一言でいえば、香川選手で勝った試合でしたね。最後の3点目も、実質的に香川選手の功績でしょう。あれだけゴールに向かって切り込める選手は、日本にはいなかったですね。かつていた中村選手ならば、切り込む振りをしてパスだったでしょうから、たぶん点にはなっていなかったでしょう。ドイツで実力をつけたのか、ワールドカップに選ばれなかって奮起したのかわかりませんが、りっぱなものですね。それに比べて、アナウンサーや解説者は貶しませんでしたが、本田選手、遠藤選手、GKの川島選手は下手でしたね。あのワールドカップの時がピークだったのか、それともケガをしているかのどちらかでしょうが、この3人は要らなかったですね。特に、GK川島選手は、筑波大学蹴球部のGKとかわらない感じでしたね(筑波大学蹴球部のGKの方、こんなところで比較してしまってすいません。日本代表選手と遜色ないという意味で、ほめ言葉と解釈してくださいねねねー)。退場になった試合もそうでしたが、ボールへの反応が遅いです。GK楢崎選手がいたときのように、実力の接近するGKがいないから、思いっきりがなくなるのかな。この実力じゃ、まもなく、ベルギーのような2流のリーグ戦でも、まもなく残念ながら解雇になるような気がします。調子が上がらないようなら、この大会は、控えのGKを使ったようがよいかもしれませんね。まだ若いし、これからがんばってもらえばよいことですから。ハイ。でも、日本のアナウンサーや解説者は、いつも特定な選手に甘いのでしょうか。スポーツは、厳しい世界で、今の実力ですから。過去の名前や業績は関係ないと思うのですが・・・。そんなことを、テレビを見てしまったので、私の見立てを書いてしまいました。一言のつもりが、長いものになってしまいました。失礼しました。

 我が家では、センター試験が終わり、一山、越えたところです。ところが、越えるやいなや、下の中二の子どもが熱っぽくなり、インフルエンザに感染してしまいました。あと、二日、感染が早かったら、受験生を抱えていただけに、我が家は、たいへんな騒動になっていたところでした。危機一髪でした。受験生は、おかげさまで、プレの模試よりも点数がよかったようで、今日から、東京の予備校に「直前ゼミ」の講座を受講するようで、朝から出て行きました。そうです。先週のホームページに書いた、あの、私を牛丼の昼食に3日間引き込んだ、高額の予備校です(涙涙)。

 また、今日は朝から久々に畑に行ってきました。11月に植えた、キャベツとハクサイは、寒さのため、苗が全滅しました(涙涙涙)。最初のキャベツとハクサイ作りは、失敗に終わりました。また、来年、チャレンジです。ホウレン草も元気がありませんでした。大根もそうでした。せっかくなので、食べられそうな大きな大根を3本、抜いてきました。でも、この寒さでも、小松菜は強いですね。元気に生きていました。

 そんなこんなで、来週も特に出張もないので、毎日、大学に来ています。なにかあれば、ご連絡を。


2011/1/15改訂版

 今日はセンター入試ですが、監督に当たっていませんので、大学に来て、原稿を書こうとしているところです。今年は、息子が受験のため、監督をはずれているのです(受験場で、子どもの監督をすることになったら、何も不正はしないでしょうが、疑わしく思われるので、最初からはずれているのです)。その息子が受験のため、親として、子どもを受験場の筑波大学に送ってきて、そのまま研究室に籠もっているのです。今は、たぶん国語の時間でしょうが、どうしてあげようもありませんから、父親としては、うまく行ってくれることを祈りつつ、そのことは忘れ、自分の原稿を書こうとしているところなんです。親としては神頼みでお守りはもらってきたし、祈祷をあげてもらったし、してあげられることはやってあげたので、これで放免していただきたい気分です。
 してあげたらで、思い出しましたが、その子どもがやはり心配になってきたのか、これまで拒否続けていた予備校に行く気になり、直前講習を申し込んできました。それで、お金を振り込むことになって、一昨日締め切りなので、10万円も振り込んで来ました。日本の教育費の私的負担の高さに驚きました。これでは、格差社会を肌で感じました。だって、こんなお金は正式な高校や大学の授業料ではないのですから。私が大学教員なので、なんとか支払えますが、普通の日本平均収入では、とてもきついなと思いました。それでも、我が子を皆さんは入学・大学を卒業させるために、生活費を切り詰めて暮らしておられると思うと、頭が下がります。そう思うと同時に、やっぱり日本の世の中がおかしいことも間違いないと思います。だって、世界の先進諸国というか、OECD加盟33カ国のうち、約半数の国は、ドイツも含めて、原則無償です。大学の授業料無償が、世界の先進諸国の常識なのです。イギリスだって、上限が60万円程度ですし、そもそも学生の4割は授業料免除されています。アメリカだって、私立は高いが、7割以上の学生が進学する州立大学の授業料は、60万円程度です。希望すれば大多数の学生は奨学金が借りられます。そんなわけで、高等教育に対する学生の私的負担率は、世界でもトップレベルなのです(こんなことがトップで、どうするのですかと、突っ込みを入れたいところですが、日本国民は我慢強いですね。消費税をあげるなら、他の国のように、大学の授業料こそ、無償にすべきでしょうが、そんな話題はぜんぜん出ませんね。やっぱりおかしいです。国民総生産(GDP)に対する公財政教育支出が、2008年にはOECD調べで先進国で最低というだけありますね。さすが教育国の日本のすることが違いますね!(超皮肉の笑)。現在から未来にかけての日本を考えたとき、未来に投資するか、過去に投資するか、どちらに比重をおいたらよいのでしょうか?実際に、高度成長期のようにお金が余っておればよいが、限られたお金の予算しかないのならば、将来の日本国と日本国民を思うとき、これから大きくなろうとする植物に未来を託して養分をやることと、そろそろ失礼ながら枯れてきた木に養分を制限してしまうのと、どちらが日本の未来に対して重要かと究極の二者択一の選択を考えれば、すぐに答えは出るような気がするのです。私は、ヘンなのでしょうかねーーー。だって、象だって、肉食動物に襲われたとき、子象を群れの真ん中に入れて守ろうとし、外側に年老いた象が位置し、できるだけ戦おうとするのが普通です。子孫のために、長く生きた象が犠牲になって、次の世代を本能的に守ろうとするではありませんか。その意味では、「年金年金年金・・・」と、日本は、持続発展社会どころか、動物世界以下になってしまった、と考えたくなってしまいます)。
 ところで、実際、日本の大学教員もそんなに高額のお給料をもらっているわけでは決してありません。国立大学の教授は、それこそ高額をもらっていると思われるかもしれませんが、確かに平均以上でしょうが、金額は、たとえば私の同年齢の公立の小中学校の教頭・校長職とおよそ同じです。したがって、そんなに高額ではないが、そんなに贅沢をしなければ衣食住には困っていません。でも、一気に10万円は痛く、私の財布の中が寂しくなりました。それで、節約のため、子どもには私立大学の受験料1校3万円5千円程度、入学一時金のようなお金30万円程度はとても払えないので、国立大以外の受験を禁止するを決断するとともに、日々の生活に気をつけることにし、今週はその一歩として、木曜日は、どこの牛丼店も安くなっているので、A屋に行って食べてきました。翌日も、節約のため、別のB店で牛丼を食べてきました。月曜日はC屋に。そこでふと思ったのですが、何かこれはどこかヘンと。子どもの塾には10万円をたかが数日のために支出し、その傍らで250円程度の牛丼を父親が食べている。あまりにも、お金のケタが違いすぎるというか、お金の価値が違うのではないかと思ってしまいました。つまり、子どもの教育費のお金と、自分が使う日常的な牛丼のお金と、何かお金の価値が違うのではないかということです。以前に、シュタイナー学校の卒業生で、『モモ』や『はてしない物語』を書いたミヒャアエル・エンデも、「カジノのお金とパン屋のお金は違う」と、いうようなことをどこかで言っていましたね。また、暇になったら、考えてみます。

 サッカーのアジアカップが開催されているようですね。もちろん、見ません。知り合いでも出ていたら、応援がてら見たいのですが、そのような選手もいないので、サッカーの試合自体は、あまり時間を割いてまで見るに値しないというのが、私の見方です。ザック監督には悪いですが、所詮、アジアのレベルですから。そんな偉そうなことを言うと、ワールドカップでベスト16位に入ったではないかと反論されそうですが、それは相手がなめてくれて、守るだけのアナグマ戦法のような、勝てばよい式のサッカーがたまたまあっただけで、実力はそれほどないでしょう。日本ファンが買いかぶりすぎているだけに、ザック監督も可哀想ですね。決勝か準決勝ぐらいで、韓国か、オーストラリアかにあたったときに、時間があれば、見させてもらったらとは思っていますが、見ても数十分程度かな。なぜなら、韓国もオーストラリアもベストメンバーでないので、ガチンコ勝負に見えないし、審判のレベルもあって、よい試合にならないからです。

 それから、知人に頼まれて、他の専攻の先生にたずねてくれと言われたので、その学生で大学院あるいは研究生は可能かと書類を持って聞きに来ました。すると、翌日、同じ専門の先生同士で相談してくれて、返事がすぐに返ってきました。

 お手紙および資料、拝見いたしました。
 申し訳ありませんが、今回の件について、ご希望に添えそうもありません。・・・・
ご存知の通り、大学院の研究においては好き嫌いよりも適性が重要になってきます。・・・・ このたびは折角お声をおかけいただきましたのに、お役にたつことができず、お詫びいたします。
  ○○さんがよりよき人生を送ることができますよう、お祈り申し上げます。


 きびしい回答でしたが、私にはそこまでなかなか言えません。自分の専門に自信と誇りを持っている研究者というのは、このくらいのことまで言えないとダメなのかと思い、久々に人ごとながら身の引き締まる思いになりました。それと同時に、そこまで言えない私は、学問のきびしさを理解できない、(前から実感はしていましたが)ダメ研究者なのかもしれない、と改めて反省した今日この頃でした。

 3月のドイツ出張まで、気合いを入れて仕事をこなしていきたいと思っています。それまでは、ほとんど、大学に来ていますから、何かあれば、連絡をください。



2011/1/7改訂版(2011年最初の更新)

 明けましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたします。

 予定通り、元旦に二人の子どもを筑波に残し奈良に帰省しました。そして2日に初詣をして、3日に戻ってきました。往きは、東京が混んでいたので、浦安の方に迂回し、さらに横浜の保土ヶ谷を経由して、厚木ICから東名高速に乗り、およそ所要時間8時間45分で到着しました。帰りは、東名阪道路が亀山から鈴鹿まで事故渋滞で混んでいたので、下の道で迂回し、鈴鹿ICから乗り、それから東名高速道路が混んでいたので、豊田から中央高速を経由して、混雑に巻き込まれることなく帰宅しました。所用時間は往きとまったく同じでした。まあ、大きな渋滞にも巻き込まれず運転できましたので、助かりました。

 今年は、神様の啓示があって(本当かいな!)、戦いの年になりそうです。今まで、AB型の二重人格のせいか、優しい方の自分が出ていましたが、怖い(きつい)方の自分が出なればならないのかな、ついに節目がきたかなと思っています。もう57歳ですから、人生の戦いの時期が来た感じです。戦いかどうかわかりませんが、シュタイナー理論に基づけば、節目になることだけは間違いないです。なぜなら、シュタイナーによれば、7年周期説ですから。およそ63歳まで続く時期です。このまま、一定の社会的な地位を得たから、このまま組織人として無難に役職をこなして守って過ごすか、この地位を足場に最後の一踏ん張りで攻撃に打って出るか、どちらかではないかと思います。私の気質・性格から言って、後者を取るのが私の人生ですから。後者を取るといろいろ襲われるかもしれませんが、それこそ一命をかけてやる場面があるかもしれません。人生は、なかなか安住の場所を用意してくれません。何か、いい意味で、士族の血がさわぐのでしょうか(武男の武は、武士の血を引くという意味でつけられたと聞いています。私のルーツは、北陸の前田藩の家臣らしい。だから家紋は、前田藩と同じ、梅鉢です。私の生まれた頃は、祖父がその誇りを持っていたらしく、「士族」という表札が玄関に付けてあったそうだが、私の母親が時代遅れだと言って取り外して棄ててしまったと聞いている)。それが自分の運命というか業なのかなと思った正月でした。
 どのように戦うことになるか、それは私にはわかりません。きっと、運命がそれを用意するでしょう。これまでの人との出会いのように。

 でも、本当に戦っている暇があるのだろうかと思うぐらい、原稿を書く仕事などが目の前にたまってきました。原稿は夏までに3冊、その間に論文を1編、その間に、高校の教科書の修正作業があるうえに、昨年はお茶の水女子大だけだったのですが、今年は非常勤講師の依頼がわんさか来ています。北海道で夏に集中講義が入りそうですが、まだ確定ではありません。確定しているところでは、前前任校の関西外国語大学から、隔週土曜日に1年間、および夏休み春休みに集中講義で特別活動と道徳教育の授業を依頼されています。私が行ってあげないと、文科省からの認可が下りないということなのです。いわば、大学院を終えた、どんなものかもわからない私を、とにかく大学人への道をつけてくれた大学なので、その恩義には応えるしかないかと思っています。現世の恩義は、現世で果たさねばと思っています。移動で時間が取られ、疲れるのですが、実家にも立ち寄りやすくなるし、これも運命が用意したかなと思っています。またさらに、決まっていることですが、後期から半年は、早稲田大学で道徳教育を講義する予定です。

 そんな予定が入っていますが、そのあい間をぬって、3月中旬にはドイツに出張します。できれば、7月もドイツに出張する予定です。そのうえ、これまで鎖国でこれまでがんばってきたのですが、今年は中国から交換留学生が私のところに来ます。1年間、指導して様子をみれば、伸びるか否かは、これまでの経験と直感でわかるでしょうから、やってみましょう。ダメなときは、私と縁を切って、おとなしく帰国していただきましょう。ここは義務教育ではなく大学院なのですから、きびしいようですが、才能とセンス、そして努力が問われます。そうは言うものの、成長することを祈念しますが。

 まだ、その合間に、いろいろな団体や学会とのおつき合いがあるので、バタバタして、本当に戦う時間など、ないかもしれません。

 そんなこんなで、バタバタし続ける今年になりそうですが、最近はどこにいても(ドイツでも)メールが読めるようになりましたので、何か連絡したいことがあれば、メールでください。

 それでは、お互いに、死んでからゆっくり休むことにして、生きている限り、今年もがんばりましょう。
 では、明日から、通常通り、授業を行います。休講の予定はありません。休講は、2月18日(金)です。筑波大学附属小学校の研究発表会に、4年ぶりに道徳部門の講師に行かなければいけないのです。信条的には、この学校の道徳教育は私の考えているようなこととはかけ離れているので行きたくないのですが、附属校と大学教員という社会的・組織的な関係から行くのです。でも、もう戦いの時期に入ったので、今年、自分の信念・信条をぶちまけて、最後にするかもしれませんね(笑)。あっつ、ここまで書いて健忘症の私が思い出した。この発表要旨の原稿を書くのを忘れていた!!!!





2010/12/30改訂版(2010年最後の更新)

 
12月26日(日)、朝起きると居ても立ってもおれなくなり、第54回大学選手権のサッカー準決勝を観戦に平塚競技場に向かいました。ご存じの方もおられると思いますが、私の期待と真逆な結果になってしまいました。第1試合の筑波大は、前半は1対0でリードしていたのですが、後半に2点取られ、1対2の逆転負け。これで、夢の決勝戦対決が見られなくなったと思って、第2試合の高知大戦を見ていたら、前半は1対0でリードして終わったのでよかったなと思っていたら、第1試合とまったく同じで、後半に2点取られ、1対2の逆転負けでした。残念でした。第2試合の高知大戦をスタンドから観戦していると、15年前が走馬燈のように、国立西が丘サッカー場での早大戦が、思い出されていました。スタンドから、15年前は、あの高知大のベンチの右端に私が座っていたんだなと思っていると、あのときの試合が昨日のように思い出されてきました。前半は押されて、とても得点できそうな雰囲気はなかったが、とにかく0対0だった。でも、後半5分で、いま愛媛県選出の国会議員をやっている選手に、スローインからのボールをいきなりゴールにたたき込まれたな−。この選手は、チョコチョコ動くので注意しろ、と筑波大監督の松本先生から注意を受けていただけに、選手には伝えておいたのですが、もっと徹底しておけばよかったと、心の中で悔いていました。その後、追いつくために危険をおかして攻めに行っていたら、逆襲にあい、左サイドバックの佐藤君(この学生は、卒業後、ガンバ大阪の選手になりました)がタックルに行ったら、一発でレッドカードが出て退場になり(今でも、あの審判の判定はおかしいと思っているのですが、いつも関東チーム有利の笛が鳴るようにいつも思っていましたが、このときもやっぱりなという思いでした)、あとは10人しかいないので、ぼろぼろになってしまい0対5で負けてしまったな。でも、今年は、1−0で前半はリードしていたので、きっと15年前を乗り越えてくれると信じていたのに、残念でした。メダルの色は、あのときと同じ銅でしたここまで書いて思わず、今、研究室にあるそのときの銅メダルを手にとって裏を見たら、「第45回大会全日本大学選手権大会 第3位 1996年」とありましたから、正確に言えば、14年前の出来事だったんだとわかりました



 
応援してくれた人たちへのキャプテンの挨拶
  (左端が野地監督、一人おいてトレーナーの森岡さん。
1994-1998年はいっしょに喜んだり、悔しかったりしたことが懐かしいです。お二人とも、いつまでもお元気で。また、来年、予選を勝ち抜いて来てください。元高知大サッカー部部長・コーチが関東で楽しみに待っていますよ!!
  
 
 (女子マネージャーの赤のジャージは昔といっしょだなー。おそらくスタンドのマネージャーは後輩で、グランドに出ているマネージャーが4年生だろう。来年は、君たちがグランドに降りる番だ。しっかり、選手をサポートしてやってくれよ)
  
(この後、ロッカールームで、最後の試合となった4年生がみんなに涙ぐみながら挨拶をしただろうが、負けてかわいそうだなと思う反面、あんな場面は自分にはなかっただけに、感動的で羨ましいなと、いつも横で見ていた4年間だった)



 
「高知大学」のぼりを片付ける高知大学のサッカー部たち
 
 (私がいたときは、こんなのはなかった)

 試合終了後、スタンドの外で高知大の野地監督が出てこられるのを待っていて、出てこられたので、近づいて「ご苦労様でした。おしかったですね。15年前に比べたら、ずっと強くなっていますよ」と声をかけました。すると野地先生は、「筑波が負けてくれるから、あそこで調子が狂ってしまったよ」と、苦笑いされていました。きっと、国立競技場で、決勝戦で、自分の母校である筑波大と対戦することを夢見ておられたのだと思います。高知大にいたときに、そのようなことを伺った気がします。本当に残念でした。また、がんばって、全国大会に来ることを楽しみにしています。今年のチームなら、優勝できても不思議でないくらい実力は接近していたと思います。ちょっとした勝負のアヤだと思います。野地先生がお留守の時の3位は、とても決勝に進む早大や別ブロックの駒沢大に比べて、明らかに力の差を感じましたが、今回は、ほとんど差を感じなかったです。それだけに、今後を期待したいと思うと同時に、苦言を申し上げれば、筑波大はあれだけの実力の選手がそろっているのに勝てないのはちょっと反省してもらいたいと思いました。高知大の個々の選手は、実力的に筑波大のベンチ入りのサブメンバーまたはベンチに入れない登録メンバーレベルなのですから、高知大が集団の力でここまで戦ってきたのですから、筑波大はもっとがんばってほしいと思いました。


 それから、畑の件。
 ようやく、今日、ジャガイモを収穫しました。今日は、二人の娘を連れて、「収穫の体験学習だ」と言って、作業をさせました。約180時間ぶりの本格的な会話でした。

 畑の収穫は、こんな感じでした。↓




 イモは、これの約10倍くらいあります。
 ダイコンが、なぜか私の足のように短いのです。


 
明日、大晦日も筑波にいることになりました。しかし、元旦には、やはり正月はいつものようにいつものところに神様参りをしないと気が済まないので、車で奈良に帰ることにしました。31日と違って、空いているはず。スタッドレスタイアに履き替えたので、これで雪が降ろうが大丈夫で、東海道が込んでいたら、雪の中央道を抜けて帰ってきます。おそらく、3日には、混んでいるかと思いますが、奈良を出発して、筑波に向かいます。ただし、受験生の息子がいるので、大学生の娘とともに残し、下の娘だけを連れて帰省する予定です。4日には、何時になるかわかりませんが、研究室に来るかと思います。

 では、みなさま、よいお年をお互いに迎えましょう!!





2010/12/24改訂版

 今日の午後6時まで、授業しました。これで、やっと今年も授業が終わりました。最後は、お得意のシュタイナーに関する講義だったので、救いでした。さすがに、クリスマスイブということもあって、午前中の2時間目の授業も含めて、出席はいつもより悪かったですが。今日もまじめに出席する学生も多かったので、授業の終わりに、ちょっとポケットマネーで、ベルギーのクッキーやドイツのグミをクリスマスプレゼントとしてあげたら、たいへん喜んでいました。何しろ、90人授業と40人授業なので、そんなに値のはるものもあげられないのですが、予想以上に喜ばれました。思わず、女子学生に対しては、「こんなもので吉田先生はいい先生だと思っているようでは、悪い男にひっかかるでー」と、皮肉を言ってしまいました(笑)。

 しかし、最近は、授業でも研究指導でも、「愚にして賢と心得ている程片腹痛い事はない」という夏目漱石の言葉があてはまるケースが目立つようになりました。どうして自分が賢いと思ってしまうのでしょう。表向きの言葉や態度は謙虚に見せても、思考の中で思い上がりがあるのですね。心のひ弱な者も困りますが、頭の思い上がりも困ったものです。どうして、自分は頭が悪いなと実感しないのでしょう。話していて、この人、悔しいけれど自分よりも頭がいいな、と自分はいつも感じているので、びっくりします。いつも感じているから、自分の人生訓で、「人の3倍やれば、勝負になる」ということで、できの悪い頭で奮闘しているのですから。

 先日、寒さでジャガイモの茎がしおれてしまったので、全体の4分の1だけ、掘ってジャガイモを収穫しました。また、土日にでも、残りを掘ってみます。大きさも小さく、量も少なかったですが、赤いものジャガイモのほうが男爵イモよりも、よくできていました。小さく、美味しくないかもしれませんが、完全無農薬で、安全性だけが誇りの吉田農園のジャガイモです。ほしい人いますかね?

 以前にも書きましたが、息子が大学受験で、ようやく重い腰をあげ、東京の予備校に行くことになり、その年末の最終日が29日午後八時、新年が1月2日の昼からというものですから、今年の帰省はどうなるかわかりません。そんなことなので、28日に歯医者の予約を入れたので、これからも、授業がなくても、大学の研究室に来ていると思います。何かあれば、ご連絡下さい。

 ドイツでは、そろそろお店が閉まってクリスマスイブに備えていることでしょう。これから、メールで、クリスマスカードでも送ってみますか。しかし、同僚の一人は、ドイツに行っているので、しゃくにさわるなー。教会の前の広場は、さぞかし綺麗なことだろう。

 それから、ついに気分の悪いあの娘どもには、ついに140時間、顔を会わせておりません。


 それから、それから、今日新聞で、前任校の高知大学のサッカー部は、大学選手権で準々決勝で、昨年の優勝校で、関東地区1位の明治大学を2対0で勝ったということを知りました。早速、高知大のサッカー部のホームページをみると、日曜日に平塚で中京大学と対戦するとのこと。思わず、応援に行きたいなと思いました。別ブロックでは、風間八宏監督の筑波大学も対戦するのですから(私のことは忘れられたかもしれませんが、風間監督とは、今から26年前、ドイツのブンデスリーグに日本人3人目の海外選手になられたレバクーゼンの選手の時に、練習試合を見に行き、明くる日に下宿先を訪問して以来会っていませんから、そろそろお会いしたいなと思っていたのですが。)。スタッフをみると、私がいたころとほとんど同じでした。野地監督には数年前に会いましたが、他の方にはまったくお会いしていないしなー。もし、この筑波大学に転任しなければ、部長という名前で私の名前があり、部長としてベンチに野地監督の横に座っていただろうにと思うと、ちょっぴり残念な気持ちになります。ついでに、そのホームページで、過去の戦績で、監督がイングランド留学のためにお留守で、部長兼監督代行となって、大学選手権3位になったのは、1996年だったのかと知ってしまいました。1回戦に、関西地区優勝の阪南大を江戸川競技場で5対0で倒し、準々決勝で、静岡大を国立西が丘サッカー場で3対1で破ったことを、はっきり覚えています。選手たちが大喜びでいたときに、まさかここまで勝つとは思っていなかったので、明日からの宿泊先がなく、かつその日の最終便で高知に戻らなければ明日の授業ができなくなるという切羽つまった状況で、役員の本部席を見上げたら、そこに筑波大蹴球部監督の松本先生を見つけ、何とか明日から1週間泊まるホテルと練習場を探してほしいと窮状を訴えたら、留守の野地監督の大学時代の先輩にあたる松本先生が、「野地の頼みだったら聞かないけれど」と冗談を言いながら、筑波大学の近辺のホテル「鷹」に予約を入れてもらい、そのうえ筑波大学でのグランド使用を認めていただきました。それを確認して、当時2歳の息子を抱きかかえて、羽田に向かったことを覚えています。羽田に着くと、あと20分で離陸するので、私に名前を係員が叫んで探しているところに遭遇し、息子を抱きかかえて通路を走って飛び乗ったことを、なつかしく覚えています(私のせいで、出発が10分遅れました)。3歳未満は無料だったので、息子が飛行機を乗りたいと言って、ついてきていたのです。ハーフタイムのときに、選手たちに指示を伝えるために控え室に行っていたら、観客席で「お父さんがいない」と大泣きしていました息子も、今年は大学受験生。時の経つのは、早いですね。もし、これまでの大学選手権戦績で、あのときの3位が最高で、それ以上の成績が残っていないのですが、今回、私の時に越えられなかった3位を越えてくれて、もう一つのブロックで筑波大学が勝ってくれれば、決勝戦をサッカーの聖地国立競技場に見に行きたいと思っているのですが(しまった。その日は会議があった。私が委員長だ。この際、便利な「心の病気」になろうかな。「私は心の病気だ」と言ったら、病気にならないかなーー。言った者勝ちではないのかなーーー。私が心の病気になるなんて、すぐ嘘だとばれるわなーー。あーーーあ)。その可能性は、十分にあると思います。対戦相手は、東海地区の代表だし、あのときは、同じ地区代表の静岡大相手に完勝していますし、何と言っても、関東地区リーグ優勝の明治大学を倒しており、また筑波大学は関東大会2位で、関東地区1位はいないわけですから、十分に可能性があります。むしろ、どちらも油断せずに行けば、十分に勝ち抜くでしょう。どちらかというと、高知大が優勝候補を食ったために、気が抜けてしまうことが心配ですが。でも、高知大には、先日のアジア大会で、男女とも優勝しましたが、あのときの決勝戦でゴールを決めた實藤友紀選手も健在ですから、やれるんじゃないかな。
 こんなことを考えていると、高知大学にいたら、きっと別の人生があっただろうに。臨床心理系や心理主義のことなんか、まったく考えの外で、グランドで選手たちと、楽しくやっていただろうに。そうなると、『カウンセラーは学校を救えるか』、『カウンセリング依存症』などは、世の中には存在しなかっただろう。人生は、二つはないんですよね。自分が、高知大にいたときは、どのようにしていたか、体験できることならしたいものです。野地監督にお別れ会の時に、「これからも日本一を目指してがんばるから、ここを出て行くからにはあなたも日本一の教育学者にむかってがんばれ」と、最後に私に言われてことを(実力から言ってかなり苦しいのだけれど)、高知大学サッカー部の躍進によって、日本一は絶対にあり得ないとしてもそのくらいの気持ちでアホで愚な私は(人の3倍)がんばらねばと、肝に銘じたクリスマスイブの夜でした。もう、高知大学サッカー部とは違った道を自分が選んだのですから、違った道でがんばるしかないという思いを確認させてくれた高知大学サッカー部の躍進。



   がんばれ!高知大学サッカー部!!
                   
(オレも負けへんで!)



2010/12/20改訂版
 臨時更新(翌日そしてその翌日も一部加筆修正)

 本日、ご心配をおかけしました、メール・トラブルが解消しました。ようやく、ほっとしました。それまでの数日は、いろいろとバタバタしていて、イライラしていたときに、あの取手事件で、その対処の仕方を見ていて、犯人だけでなく、学校の対処法に対してもますます怒りがこみあげていました。だって、いつものように、あいかわらず、何かの一つ覚えのように、全校集会、そして自宅に帰宅させ、翌日からカウンセラーの常駐による相談を行うと、報道されているではありませんか。
 全校集会はよいでしょう。問題を共有する意味で。しかし、どうしてすぐに帰宅させるのですか。多くの生徒は、その事件と関係ない場所を通って来ているのですから、知らせないかぎり知らないのです。学校に登校してきて、その事件を聞かされて、自宅に帰らされて何をしろと言うのでしょうか。事件を過剰(センセーショナル)に放送するワイドショーを見せて、当事者意識を高めて、どんな教育的意図があるのでしょう。なにか子どもに良い影響を及ぼすのでしょうか。親が働きに行って不在の自宅で、子どもに不安にさせるのが教師のすることでしょうか。心のケアを必要な生徒を増産しているのではありませんか。ましてや、何人かの子どもたちは、血が飛び散った事件現場をまた通って帰るのです。どんな効果があるというのでしょうか。同窓の子どもの血を見せて、何をしたいのであろうか。よほど、子どもの心にショックを与える行為ではないでしょうか。学校が危険ではないのですから、いつものように学校に子どもを留め置き、それから返せば、警察の実況検分も終わり、できるかぎりきれいにしてくれてある事件現場を、そんな事件があったのだろうか、と思われるような平常の状態にもどった事件現場を通らせて帰宅させてあげるほうが、はるかに子どもの心のケアになるのではないのでしょうか。さらにいえば、そのような不幸な事件が起こってしまった以上、今度はそれを糧にするように、その事件をもっていくのが学校や教師の任務ではないでしょうか。そのような事件があったのですから、平常どおりの授業をする必要はないでしょう。それこそ、日本独自に発展した、我が国の誇る特別活動、特に学級活動があるのですから、その時間に切り替えて、いのちや安全などについて真剣に話し合って考えて見たらどうなんでしょうか。たまたま被害に遭わなかった子どもたちは、被害にあった子どもにどのように接したらよいのか、どうしたら学級・学校みんなで乗り越えていけるのか、どうして考えないのだろうか。それこそが、生徒指導であり、道徳教育の場面ではないのだろうか。たとえば、論語を読んでいるような道徳教育を超える、格好のチャンスに不幸な事件を転換できるのに、何を考えているのであろうか。何も考えていないのであろう。それこそ、卒業式の時に、みんなで辛いことを共有し、乗り越えたね、と喜べる場にすることこそが教育者の使命であるのに、心のケアを必要な子どもを作って、そんなにカウンセラーや精神科医の患者にしたいのだろうか。おかしなケアをするよりも、全校集会で、最後に元気の出る歌でも歌えばよいのです。それこそ、被害にあったこどもの回復を祈るとともに、自分の学校の歌、校歌を歌えばよいのです大きな声で、何度も。どんな校歌かしれませんが、いつも歌っているその学校の生徒にとっては、その校歌できっと勇気と元気が湧いて、愛校心も高まるのではないでしょうか(そんなときに、個別の心理療法、音楽療法、絵画療法などをやっているようでは愚の骨頂と言わざるを得ない)。きっと、「災い転じて福となす」という、そんなすばらしいチャンスを学校は自ら放棄したのではないでしょうか。「災い転じて福となす力」こそが、教育者に求められる能力だとどうしてどこの学校でも考えられないのだろうか。また、マスゴミも、「柏駅でやろうとした」「守谷駅も考えていた」「人の多いところを狙った」などの加害者の欲望ばかりを、心理主義的に報道するのでしょうか。「心の闇は怖いですねーーー」と言いたいのであろうか。最近のマスコミは、マスゴミでしかないように思えます。本来のマスコミは、社会派ですから、社会的背景をえぐって、社会問題としてなぜとらえないのでしょうか。たとえば、「失業者が増えると、おぞましい事件が多発しやすい」とか、「おぞましい事件は新興住宅街ないしはその住民によって起こりやすい」(たとえば、これまで起きた神戸市、長崎市、佐賀市、奈良市などを思い出してほしい)などととらえれば、それは個人の心の問題ではなく、生活の問題、社会問題、政治問題であると、見えてくるでしょう。そうすると、国民みんなで、問題の解決策を考えられて、社会も国も良くなるのに。そんなことを思っていると、ますます腹が立ってきたのです。     
                                



 そのうえ、昨日は、めずらしく午後9時には帰宅して食事し、別室で本を読んでいると、家の女性どもが寝転んでテレビで(私に言わせればくだらない)漫画映画を長々と見ているではないか。「おまえらいいかげんいにしとけ。バカ女ども!」と言っても聞きません。聞かないどころか、「お父さん、学校へ行って勉強してきな」と言う始末。そうなると、私も黙って泣き寝入りはしませんから、「人間の屑め」と言い返していました。最後まで見終わると、今度は、寝るから「その部屋を空けて」というのです。そうなると、頭に来て、「なめてんのかーーーー、こらーーー」と関西弁丸出しで、近くにあったマウスを床に叩きつけ、怒鳴りました(あまりに汚い用語なので、ここでは書けません)。たぶん、いろいろなイライラに、この3人の女性のくつろいでいる態度が腹が立ったのですね。特に、もう一人の息子が別室で、塾も予備校も行かず、ある大学(はっきり言うと筑波大学なんですが)の推薦入試を断り、別の大学に入学するために、必死になって勉強している姿を想像するとき、この3人の女性の姿が、何も勉強しろと言わないが、なにか堕落したいやな雰囲気(中国風に言えば、「邪気」と言うのでしょうが)、「おまえら何様だ」と感じたのです。
 実を言うと、私は、自分と妻のあまり名の知れない出身大学から言っても、自分の子どもが筑波大学に入れるなら親としては300%十分で、勧めたのですが、どうしても聞き入れてくれません。先日の高校面談でも、うちの子どもは推薦でよかったのに、他大学へと学校でそそのかされてしまい親として怒っていると伝えてきました。確かに一面では怒ってはいるのですが、他面では、幼児の頃から気が優しくて頼りなくて、テントウ虫や蝶蝶も触れない弱虫で(少林寺拳法を子ども全員に課したのは、実はこの子どものためで、姉の三段、妹の初段、私の初段はその余波・付録なのですから)、両親や他の姉妹と違い記憶力・学力・素行が良く、しかも顔も似ていないから、病院で間違えられたのではないかと思っていたぐらいなので、ようやく親のいうことをさっぱり聞かなくなって歪んでいる(たとえば、「筑波大の推薦を蹴るなら、日本で最難関の○○大学にでも通ってみろよ」と言っても、「オレは、そんな大学に行ってもますますやることがわからなくなって、ただ卒業しただけの人間になるだけだから行かない」と反発する)ところこそは、やっぱりオレのDNAを持っていたという確信が持てて腹の底では喜んでいるところでもあります。特に、実を言うと、反骨的な自分の信条というか生き方がDNAや子育てを通じて伝わっていた思うと、思わずニャとしているのです。それは、「道に迷ったときは、楽な方を選ばないで苦しい方を取れ」(通常は短く、「迷ったときは苦しい方」と言っている)という自分の人生訓にあてはまるからです。
 そんなわけで、今日は自宅に居づらくなり、逃げるように畑に行き、それから大学に籠もっています。家に帰りたくない、研究室に引き籠もっています。みんな寝てからしか、今日(正確に言うと0時を過ぎた明日になってからなのですが)は私は自宅に戻る気になりません(実際に帰宅したのは、家族が寝静まった午前1時でした。実はその翌日も午前1時でした。そんなわけで、もう50時間以上、ついに今日で70時間も、そしてそして今日でいよいよ100時間近く、同居の家族(特に子ども)と顔を合わせないで、同居しているという奇妙な行き違い家族になってしまいました)。このようなことを、「学校拒否」や「不登校」といわず、何というのだろうか。「帰宅拒否」や「不帰宅」というのでしょうか(笑)。学校で居場所のない人の気持ちがわかりつつあります(涙涙)。

 そんなわけで、今日は(そしてその翌日も、またその翌日も、その次の日も、またその次の日も)帰りたくないの一念で、やけくそで原稿を書いています。その合間に、ついつい更新・修正してしまいました。

近況報告でした。

そんなわけで、このままでは、大部分の時間、今週は研究室を中心に、大学にいることになりそうです(涙涙涙、そしてちっと笑)。その笑いの意味は、「神は私に原稿を書くように、その機会を与えた」と、思えるからです。




2010/12/17改訂版

 同僚が昨日、ドイツに旅立ちました。飛行機代が高くならないうちに行ったのです。いまごろ、あのアインシュタインが生活していたウルムという都市にいると思うと、ムカムカ来まーーーーす。ドナウ川が流れる町で、その川越しにドイツで最も高い、いや世界で最も高い教会(ウルム大聖堂)の塔が見えるところが、ビューポイントなんですね。悔しいから、ホームページで、「ウルム」「クリスマス市」というキーワードを入れると、いくつもの写真が出るではないか。もう、うらやましいな。そんなことを思っていると、4年前にウルムの観光案内所でもらった、汚れた日本語のパンフレットが本棚にあるではないか。この教会広場の前で、クリスマス市が開かれているかと思うと、ますます残念な気持ちになった金曜日でした。

   

    すいません。うまく掲載できません↑

         
できました

 そんなことを思っていると、どうも今日、茨城県取手市で、また無差別な卑劣な犯行があったようですね。女子中学生・高校生が顔面をナイフで切られて、本当に腹立たしいですね。これからお化粧をする年頃なのに、とにかく、最近は、正々堂々と決闘するのではなく、無防備な、つまり報復がこない弱者相手に襲いかかる、卑怯な加害者がいるのですね。何の罪もない、女性や子どもに危害を加える卑怯者の中の卑怯者ですね。このような卑怯な日本男児が出没しだしたのは、私ぐらいの年代からではないかと思えてしかたがないです。つまり、怒ることもしなくなった三無主義という言葉が出始めた、学生運動の最後の年代あたり、つまり外に怒りを表さなくなり、内に籠もりだした、それまで日陰のカウンセリングが表通りに出だした(心理主義の広まり)頃のような気がします。それまでは、女性や子どもといった、かたぎの皆さんには危害を加えないというのが、道をはずした人でも、掟のように人としてのモラルを守っていたような。任侠の世界でも、それに近かったようなように思います。ところが、それ以降、平気で弱者を襲い、なにやら自分の「欲望」の言い訳、マスゴミ用語で言えば、「動機」で、あたかもその犯行を正当化するような発想が世間で認められるようになったような気がします。理由は、社会や他人のせいにした抑圧の暴発というようなたぐいです。きっと、マスゴミも、今日からその「動機」とかを騒ぐでしょう。また、テレビを見ながら、私は「動機があれば何をやってもよいのか!」と突っ込みを入れたくなります。そんな動機についてマスゴミが語れば語るほど(「死にたかったので、・・・・」などは最悪。「死にたければ、最低限、人を道連れにしないで一人でどうぞ」とコメンテーターは言ってもよいのでは)、自分の動機を語れるのであれば自分もやってやろうという卑怯者が出現し、またその病原菌が日本各地に感染していくのに。マスゴミは、結局、話題性があれば視聴率が上がるのですから、本当に無くそうという発想で放送しないでしょう。マスゴミは、構築主義、わかりやすく言えば、「問題だ」を叫ぶことで、問題になって、一般の人は興味を持つのですから。本当に二度と起こらせないと思うなら、「最低の卑怯な男」「日本男児の恥さらし」などというメッセージを流し続ければ、よほど効果があると思うのですが。道徳教育で、愛や友情だけでなく、ましてや、きれい事の徳目を日本のように80個も小中学生に教えようとしないで、「卑怯」という徳目を、生きている限り、特に日本男児には、骨の髄まで浸透するように注入すべきだと思うのですが、どうでしょう!少し過激ですかね。武士道というか、なにか誇りのようなことと恥さらしを教えたいなーー。私の年齢の少し上あたりから、悪いことをしても言い訳をする、心理用語で言えば「合理化する」、卑怯者の日本男児が出てきたと、感じますね。さしで、決闘のような喧嘩をしたことがないのでは。私のまわりの人たちは、あの夏目漱石の『ぼっちゃん』に出てくるような、決闘するような雰囲気がまだあったですが。昔は、ベルトのかわりに、自転車のチェーンを腰に巻いて、息巻いている人たちがいて、これから決闘だと騒いでいたものですが。時代が変わったのかなーーー。しかし、卑怯な男だ!!!

 
 
 あいかわらず、多忙なので、いつも大学に来ています。明日は、同僚の車がバッテリーがあがって動かないというから、明日は吉田自動車の従業員になって、バッテリーの交換をやってあげる用事があります。昔、国立高専の機械工学科だったので、昔の杵柄でやってあげます。しかし、その人も恐縮しているので、「昼飯をおごれ」という約束で、やってきます。

 では、来週は、24日のクリスマスイブの日も、午後6時まで授業をやります。学生さん、休講ではないですよ。通常どおり、2限目、5限目、6限目の授業をしまーーーーーす。




2010/12/10改訂版

 寒くなってきましたね。もう少し暑い日が続いてくれないと、ダイコンとホウレン草は特に問題がないのですが、畑のジャガイモが大きくならないうちに枯れてしまいそうで、残念です。このままでいくと、サツマイモといい、冬のジャガイモといい、散々な年になりそうです。人生といっしょで、こういう年もあるかと、あきらめねばならないのかなと思っています。でも、作物の育成をやっていると、ついつい教育の現象と連想しあって考えていると、いろいろ気づくことがあります。特に、今年はサツマイモ事件から改めて「経験」と「臨界期」の重要性を学びました。
 「経験」については、百姓をする親から、「夏にサツマイモのツルが大きく伸びなかったら、根がダメだから、もうイモは成らないので、あきらめて、秋の野菜を育てろ」という忠告があったのですが、9月の大雨を受けて、10月にツルが一気に伸びたので、「きっとイモはできる」と信じていました。だから、10月19日の更新でも、イモのツルが伸びてきた写真を掲載しました。ところが、やはり50年以上も百姓をやってきた親の言うとおりで、ツルだけが伸びても、そこにイモがあまりありませんでした。そこから、見た目よりも、「経験」は強いと実感しました。やはり、教育には経験は不可欠だと思いました。もう一つは、その時期に何かをはずすと、あとでいくらがんばっても、残酷なようですが、実はならないということです。音楽で言えば、乳幼児期に絶対音感ができなければ、あとでいくら努力しても身につかない、ということです。教育でも、ある時期に、ある能力が身につかなければ、あとでどんなにがんばっても臨界期があってダメだということです。作物ならば、また「来年がまたあるさ」と思いますが、人間の場合、この世ではもうダメだということになり、取り返しがつきません。それだけに、人間の発達に即した教育の重要性を決しておろそかにしてはならないと思いました。もちろん成人教育も大事でしょうが、幼児期や児童期の教育はもっと大事ではないかと思いました。そう言われてみれば、シュタイナーも「もし子どもが7歳までの時期に怠ったことは、決して後になってからは取り戻せない」と言っていた言葉がズシリと響きます。その時にやるべきことを人生ではずしてしまうと、なかなか修正が効かないとなると、その時代にやるべきことはきちんとやらねばと思いつつ、シュタイナーのように、7歳までに失敗すると、人生の晩年(63-70歳)に、リューマチによって苦しめられると言われても、「いまさらどうしようもないではないか。そんな取り返しのつかないようなことを言わないでよ!」と、シュタイナーさんが生きていたら、言いたくなりますね(笑)。

 いまは、2学期の成績付けが終わらず、また原稿が重なり、忙しくしているため、「月月火水木金金」の状態で、土日なく、毎日、大学に来ていますので、何かありましたら、メールでご連絡ください。

 そんなわけで、しばらく、講演活動もお引き受けできません。
 今のところ、大学以外で人前でしゃべるのは、筑波大学附属小学校の研究大会で、2月18日(金)の午後に、道徳部会のときだけに、する予定です。人前でしゃべれるほどの蓄積がなくなりました。はやく、いわゆる充電をしなくては。

 でも、全部済ませたら、いや済まなくても、3月に入れば、時期を見てドイツに10日くらいは研究のために出張することを夢見て、いま、やるべきことはやらねばと思っている今日この頃です。

 最後に、最近、インフルエンザ云々という報道が聞かれるようになりましたが、昨年に、地域のミニコミ誌に連載していた「ドイツと日本、どっちがヘン」の、インフルエンザ関連記事を掲載しておきます。過去に掲載したかな???最近、健忘症がひどくて。まあ、そのときはお許しを。


 インターネットでニュースを見ていると、両国とも新型インフルエンザのワクチンの話題が大きいようです。しかし、そこでの話題の内容が、両国ではかなり異なっています。
 日本では、「ワクチンの不足」、「ワクチン接種の優先順位」、「接種の回数と費用」などが話題です。そこでは、新型インフルエンザに対してはワクチン接種を行うのは最善の方法だ、という風潮が広がっています。それゆえに、予防接種法に基づいて接種を強制しよう、という話も一部から出てきているぐらいです。
 ところが、ドイツでは、事情が全く違います。もちろん、従来からインフルエンザに対して予防接種は行われていますが、国民の多くはあまり接種しないのです。今回の新型インフルエンザに対しても、その傾向は変わっていません。各地の世論調査でも、60%から70%の人たちは、接種しないと回答しています。特に、特別な疾患を持たない健康な人(子どもを含む)は積極的に接種しないために、ワクチンの集団接種という発想はとても考えられません。
 とりわけ今回は、新型インフルエンザのワクチンに関して、副作用が大きな話題になっています。たとえば、「政府関係者には、安全なワクチンが接種され、一般国民には副作用の大きい○△製のワクチンが接種される」、「危険な添加物の混入した○△製のワクチンを接種するな」などという声が高まり、メルケル首相は、「私は○△製のワクチンを接種する」と言って沈静化を図ったそうです。そのメルケル首相は、「国民が必要とするワクチンは責任を持って確保する」と表明したようですが、日本と違いドイツでは、もともとあまり接種しないのですから、「国民が必要とする」量を確保するのは、難しくないでしょう。日本では、多くの国民は、ワクチンが供給されれば、喜び勇んで接種するという想定のもとに、その○△製のワクチンが数千万人分、輸入される予定だそうです。
 ワクチン接種の効果を信頼して、あまり抵抗感を示さない日本。ワクチンの副作用による危険性を気にして、慎重に対処しようとするドイツ。どっちがヘンなのか。



 私「参考になりましたか?」
 誰か「ならない!」
 私「すいません」

 では、また来週まで。お元気で。

2010/12/3改訂版

 いまから30年前になぜ教師を辞めたのだろうか?
 当たり障りのない回答は、もっと勉強したくなった、というものだろう。少なくとも、奈良県教育委員会の人事課長に思いとどまるように説得されたときは、そう答えたような。だから、回答の一つには確実になると思います。でも、それは本音ではないですね。あまり勉強が好きでなかった私が、急にそんな気になるのは不自然ですから。勤めているうちに、つまり職場の先生方を見ているうちに、何か歯がゆくて悔しかったことも事実なんですよね。しかし、勤める前から、何か採用試験を受けて、小学校教師になってしまうことに、なにか不満があったのですね。だから一生懸命、試験勉強もしなかったし、試験会場でも、ふてぶてしい態度をとっていましたね。地元の大学を出て、小学校の教師になると、大きな問題がない限り、いずれは教頭・校長になるのは見えていたと思うのです。先が見えてしまったことに寂しさを無意識的に感じたのかな、と精神分析に言ったりできるけれど。教師を1年で辞めると決めたときには、大学院でしっかり武器を身に付けて、教育現場にもどって、奈良県の教育界に一石を投じたいという気持ちになっていましたが。よくわかりません。

 それで思い出したけれど、大学の同級生は、けっこう校長先生をやっているなーー。私も大学院に来なければ小学校の校長をしていたのかなーー。でも、私には、とても向いていない、不釣り合いですね。一匹オオカミ的な大学の教員がいちばんよかったのかもしれませんね。組織の長は私には一番向かないと思いますので。役職のない、比較的自由な大学教員が私には最適です。

 明日は、畑仕事です。サツマイモは、今年はやっぱりいつもの3分の1程度の収穫でした。夏に水不足になると、あとでいくらがんばってもダメだということを実体験しました。特に、収穫量が少ないうえに、美味しいのが出来たと思って掘ってみると、けっこうモグラがかじっていて、散々でした。モグラ君もそんなにおなかが減ったのならば少しぐらい食べてもらってもよいですが、一つのイモをほとんど食べるのではなく、少しずつあちこちのサツマイモを食べ散らかすので、困ったものなのです。ダイコンはモグラ君はあまり好きではなさそうで、食べないでいてくれるので、あすはダイコンと、そしてホウレン草でも収穫するかと思っています。

 でも、今は2学期末テストの採点で大忙しです。きっと、土日も、畑仕事さえ済ませば、大学で採点をしているでしょう。そのうえ、原稿もたまっているので、しばらくデスクワークの時間が、家の受験生の息子に負けないくらい続くでしょう。そろそろ、昨年のように、厳戒令の日が近づいてきているようです。いまごろ、ドイツのニュルンベルクは、さぞかしきれいなクリスマス市をやっているのだろうな・・・・。
同僚の一人の先生は、16日から、私の代わりに見てきてくれるそうで、旅立たれます。
くやしいなーー。
今年もいけないやー。
しかたがないので、インターネットでもニュルンベルク市の公的なパンフレットを見て、行ったきもちになることにしまーーーーーーーーす。よかったら、いっしょに見てやってください。日本語バージョンです

http://www.christkindlesmarkt.de/admin/uploads/files/prospekt2010_j.pdf

マーケットの様子は。ドイツ語になりますが。
http://www.christkindlesmarkt.de/index.php?navi=1&rid=1



今年のキリストキント(「キリストの子ども」と訳すのでしょうか、毎年選ばれるのです)は、少しぽちゃっとしたきれいな女性だなーーー。
以下はドイツ語ページになりますが。

http://www.christkindlesmarkt.de/index.php?navi=1&rid=3

http://www.christkindlesmarkt.de/index.php?navi=1&rid=30


英語ならば楽しめる方なら、こちらをどうぞ。

http://www.christkindlesmarkt.de/english/index.php?navi=1&rid=2

行った気持ちになって、さー、仕事をします。
(でも、でも、やっぱり現地に行きたいなー。駅の売店のおばさん、元気かな)



2010/11/26改訂版

 今日から3日間は、世にも珍しい秋休みです。昨日で2学期の期末テスト週間が終わり、3学期が、12月からはじまります。そのために今は息抜きの期間なのですが、でも、採点で、大忙しでーーーす。そのうえ、この大学には、けっこうトップレベルのスポーツ選手がおり、各種目の全国大会がこの時期に開催されるため、追試験をしなければならないのです。私の追試は、すべて一括して12月2日午前16時45分から第二エリア2階A棟です。アジア大会組については、柔道や女子サッカーなどもかなり戻ってきているので、それほど人数はないはずですが。昨日は、金メダルの「なでしこジャパーン」の女子サッカー選手のKさんも受験していましたね。彼女には、「点数が入れられても先があるから、ケガをしないように帰ってきーーーや。銅メダルだったら、気分悪いだろうから、私がもらってあげるよ」と話していましたら、「はい」と言って中国に出かけていきました。しかし、ご存じのように金メダルを取ってきたので、私の希望はかなえられず、彼女に「もう、金メダルだからもらえなくなったじゃないか」と言ってやったら、彼女は笑っていました。私からのひねくれた「おめでとう」のメッセージでした。


 最近、飛行機が上空を飛んで、うるさいというほどではないけれども、これまでにないほど音が聞こえます。たぶん、羽田空港に国際便が発着するようになってからだと思います。このくらいは、自分も飛行機に乗るから、我慢しなければならないだろうと思っていますが、気になるこの頃です。

 教師をやめた理由を思い出す宿題は、今のところ延期させていただきます。いそがしいので、すいません。明日から、1泊2日で、信州に行ってきます。中央道で行くか、上信越道でいくか、明日の交通状況次第です。奈良の春日大社の交通安全ステッカーを車の後に、茨城の鹿島神宮の交通安全ステッカーを前に貼り、走行しているのが私の車です。見つけたら、手を振ってください(笑い)。旅の安全は、自分の注意だけではとても無理で、努力してあとは、神頼みでーーーす。ちなみに、春日大社と鹿島神宮、そして交通安全は、関係あるから、そのようなステッカーをはっているのでーーーす。知ってますか?どちらも鹿がいますしね。つながりがあるので−−−−す。
 両方の神社に提案したいですね。両方のステッカーをペアで売り出せばよいと思いますが、どちらも由緒ある神社だからそのような商売をしなくてもよいのでしょう。でも、日本の文明や文化を自覚する意味でも、いいと思うのですがねーーー。特に、観光宣伝の決してうまくない茨城県としては、奈良県とつながると活性化するのになと思いますし、奈良県も、今年こそ遷都1300年で注目されていますが、修学旅行による宿泊も激減しているのですから、いいと思うのですが。
 「鹿島神宮と春日大社で交通安全」というキャッチフレーズで。そのついでに、「鹿島立ち」という言葉の、日本の礎の歴史的意味とともに。





2010/11/16改訂版

 あれから、原稿がさっぱり書けず、散々な状況で、更新できませんでした。アッという間に、1週間が去ってしまう感じです。いま、筑波大は、3学期制を採っているものですから、2学期のテスト週間に入ってしまい、延べ350人程度分の成績を出さねばなりません。そんな中にあって、これからまた、東京で日本家庭教育学会の理事会です。明日は、茨城県の少林寺拳法の大会があって、真ん中の受験生を残して、上下二人が出場するものですから、朝から水戸の体育館へ送迎しなければなりません。先週は、下の娘が初段の試験に受かり、私に並んでしまいました。これで、すべての子どもが私と並び、あるいは追い抜いて行ったわけで(一番上は3段の娘)、踏み越えられる役回りの親役も終了したかな思っています。とにかく、すべての子どもには、どんな仕事に就くにしろ、口だけでは駄目で、使う必要はないが、あるいはそんな状況になる必要はないが、ちょっとしたこと暴力的な悪に対して自分の力で自分の身を守る術をつけておきたかったのです。とりわけ、真ん中の気の良さそうな息子(その部分は、私の気の悪そうな遺伝子を継承していないように見えていた)には、「いじめ」から身を守るために(日常的に喧嘩をしていた自分の体験からいって、「いじめ」や喧嘩は、いじめても報復が来ないという保障・確信があるからやれるという性格を有しているのではないかと、感じていました。娘には、外国から輸入されていたCAPのような暴力防止プログラムでは、とても本当の護身術にならないと思っていたので、ちょうど良いかと思ったわけです。特に、いずれどの子どもも外国に行くことがあったら、単なる語学力だけでなく、大きな外国人に対して、いざというときには自分には防御するだけの術(技法)を身に付けておかないと駄目ではないかと思ったのです。その意味で、柔道であっても、空手であっても、合気道であっても、何でも良かったが、とにかく日本人の誇りにもなるので、何か武道をやらせたかったのです。自分のやってきたサッカーでは、他国の人とよいコミュニケーションにはなっても、誇りというか、アイデンティティが出てこないんですね。そのうえ、いつも善良な外国人だけではないのが世界ですから。

 ところで、前回に小学校教師の話をしたところ、なぜ教師を辞めたのですか、という問い合わせがきます。そう言われても、様々な「成り行き」としか答えようがないですね。今になって、思い出して、「あの頃のわたしは、・・・・・・・」というように精神分析をするように言っても、所詮、今の自分から思い出した過去であってというか、いまの自分と整合性をあわせるような思い出し方をするだけで、それが本当に真実かどうかわかりません。そして、ここでまとめて告白すると、告白した内容が過去の真実とみなされてしまうかもしれません。そこに、誤った思い出し方をして、さらに自分を苦しめている、カウンセリング依存症のクライエント(患者)と同じになってしまうかもしれません。そうなると、本当の過去ではなく、思い出した過去にこれからの現在・未来が拘束されてしまうかもしれません。つまり、思い出した過去の奴隷になるかもしれません。私の場合には、そんな大げさなことにはなりませんが、とにかく今回は、述べることは控えさせてもらいます。次回まで、頭の中で整理しておきます。

 では、もう時間がありません。とにかく元気にやっております。したがって、テストも予定通り実施します。事情があって受験できなかった人のための追試(たとえば、アジア大会に出場している柔道や女子サッカーの選手など、あるいはバスケットボールなどのインカレ出場選手など)は、12月2日にあります。掲示を見てください。

 では、寒くなってきました。お元気で。



2010/11/9改訂版

 やっと、高校の教科書の原稿ができました。これから書き直しがあるでしょうが、とにかく一件、落着でーーーす。さあ、次の原稿だーーーー。でも、放電ばかりではなく、じっくり充電したいのですが、なかなかできそうにない現実です。なにしろ、研究室が、かたづきません。

 そんな折、耐震工事が研究室であり、それでなくても収集ができないところに、本棚やロッカーを壁に金具等でつけるために、資料を移動していたので、よりいっそうゴミ屋敷になっています。いろいろなものを移動しているうちに、とんでもない写真が出てきました。なんと、大学を卒業して1年目で、小学校4年生を担任をしたときに、二度と小学校の教壇に立つことがないかもしれないと思って、記念に撮ったものです。
 


          


 上の写真は、最後の授業を終えた直後の板書です。きたない字で、子どもたちに教えていたのですね。はずかしい限りです。
 よく見えないでしょうが、右端に、赤のチョークで「最後の授業」と書いてあります。社会科をやったようですね。また最後に、なぜか、道徳臭く、「努力」という文字が赤いチョークで書いています。
そのうえ、黒板の上の小さな黒板が横にあって、そこには、「きょうからがんばろう。まだ決しておそくない」と書いてあります。これも道徳臭いですね。
でも、こんなことは、いっさい、記憶はないです。

 下の写真は、終業式のときに、最後の終わり会をした後です。黒板には、「む」というひらがなが書いています。これは、クラスのみんなにさよならを言おうとしたときに、子どもたちの中から、「もういちど、あの『む』を書いて」という声があがりました。それで、「これか」と言って下に書くと、子どもたちが、「もっと大きな『む』を書いて」と叫ぶものですから、黒板一面に書いたものです。私のきたない字の中でも、私の「む」がよほどおかしく見えたらしいのです。どうも、「む」の縦線を下ろしたところで左に○を書きますが、そのあと、縦線がもう一度下がってから右に行くところを、私のは、○を書いてすぐに右の線が横に行くのがおかしかった、そうなんです。子どもは、おかしなところを見ていたんですね。だから、子どもは、最後にもう一度、「あの『む』」と、教室のみんなが騒いだのでした。それで、子どもの声にしたがって、この「む」を書いて、「みんな、さようなら、元気でな!吉田教室、これで解散!!!」と言ってわかれました。

 終業式が終わってからも、小学校には残務整理で3月末まで行っておりました。すると、私がまだ学校にいるということを知って、何人かの子どもが遊びに来ました。そのときに撮った記念写真が次のものです。35年前の私も若かったなー。こんな時代もあったんだ。
(このときは、翌年に筑波大学大学院に進学し、恩師長谷川榮先生に出会い、そして関西外国語大学での佐伯正一先生との出会い、その後の高知大学での野地照樹サッカー部監督との出会い<野地監督のイングランド留学中、部長兼監督代行でインカレに出場してただベンチで「がんばれ」と言っているだけで、全国3位になったこと>、そして再び筑波大学に教員として戻って12年、そんな未来が用意されていたとは、何も知らないで小さな小学校で子どもとたちと過ごしていたんだなー。いま思うと、人生万歳と叫びたい気分ですし、これから残された人生、どんな謎の出会いが待っているか、楽しみたいで−−−す)



 そんなわけで、今日はまた仕事が進みませんでしたが、耐震工事のおかげで、思わぬお宝が出てきました。この子どもたちも、もう40歳ぐらいのよいおじさん、おばさんになっていることでしょう。今、自分の子どもをこの学校に通学させている子どももいるんじゃないかなーー。なつかしい気分にしてくれたと同時に、私の忘れかけていた教育観のルーツの一つを思い出させてくれました。新たな気持ちで、明日からがんばれそうです。それから、おかしな縁で、おかしな新卒の教員に習った吉田教室の子どもたちみんなが、おかしくならないで、元気でやってくれていることをただただ祈るだけです。どんなかたちでも子どもたちにいつか会えることを願いつつ。
蛇足:「こんな気持ちには、カウンセラーは絶対になれないだろう」と、言ってやりたい気分です。
スッとした!!


2010/11/4改訂版

 高校の教科書の締め切りが4日過ぎ、いつ出版社から催促のメールと電話が来るのかと、ドキドキしています。来たら、まもなく仕上げると言うしかありません。昔だったら、「もう郵便で送りましたが、まだ着いていないのですか」と言うところなんですが、最近は便利なメールができたので、その言い訳ができず、困りものです(笑)。

 先にも書きましたが、体重が80キロ超級になってしまい、今日からダイエット生活です。困ったものです。今日は、午前中は草刈作業。午後からは体芸棟まで1キロ歩いて行って、教えてきました。研究室に戻ると、忘れ物をしたことに気づき、「ああー、お天道様は歩かせるように、忘れ物をさせたのか」とブツブツ独り言を言いながら、また体芸棟に行って戻ってきました。少しぐらい痩せればよいのですが。

 最近は、以前にも書きましたが、私も人の親で、高三の息子の受験が気になって仕方がありません。今日も、草を刈りながら、体芸棟と人間系棟を行き来しながら、いらいらしていました。この息子、他の私の子どもの脳味噌を三分の一ずつもらっているのかと思っているのですが(他の二人はもう一つなので)、私とも違い、自分の子どもではないのではないかと思ってしまうぐらい、自慢に聞こえてしまいますが、学校の成績は意外とよいのです。ある国立大の医学部の推薦入試を受ければかなりの確率で合格できるのです。でも、出願を拒否したのです。親としては、厳しい受験勉強で神経をすり減らさないで、楽に大学に入学してからがんばったほうが生産的だと思うのですが、子どもには親の小ずるい巧みな考え方は伝わりません。「親の心子知らず」とはこのことだと、実感し続けています。
 ところが、今日はふと思ったのは、
 この光景はどこかで過去にあったような、と思えてきました。
 そうーーーーーーーーーーーーなんです。私の40年近く前、
細かな状況は違いますが、何かきわめて似た図式であることに、今日気づきました。
 私は、国立奈良工業高等専門学校で、あとはサッカーでもしながら学生時代を過ごし、どこかの大企業の中堅エンジニアとして働く予定であった40年前、「これはオレの進む道ではない」と感じ、親をはじめ周囲の人の声にも耳を傾けず、3年で退学して、大学進学を目指したのです。職業高校で受験科目に関係ある勉強もほとんど教えてもらえない毎日なのに、予備校や塾に行かず(行けず)、参考書と問題集だけで独学していた。特に英語ができないので、3年生から習い始めたドイツ語で勝負するという奇策をとりました。模擬試験もまったく受けていません。そんな状況から、今考えると、とんでもないことに挑戦しようとしていることだとわかるのですが、その当時はまったくわからず、ただ独学で、どんなレベルの低いところでも、とにかく国立大学に入学してみせると思って勉強していました。実は、家が貧乏で、私立は高校から絶対に行かせられないということだったので、大学も絶対に国公立でしか駄目だったのです(当時の国立大学の授業料は、年間1万2000円<1ヶ月1000円>で、私立の数十分の一でしたから、その差額は現在の比ではなかったのです)。私立大は最初から眼中になかったから、退路を断つ意味で、国立しか認められないドイツ語受験にしました。「偉そうに言って退学して受験したけれど、やぱり不合格だったか」、と同級生に言われるのが悔しくて(だいたい、その種の人はどこでも身近にいるものです)、やけくそで勉強したことを思い出しました。そのドイツ語が、将来の研究者への道(大学院の受験と研究テーマ、そしてライフワークの研究)を開くことになるなど、ドイツ語は英語の代替でしかなかった当時は思いもしませんでした(だれが、導いてくれたのだろうか。やはり、神様か、仏様か、お天道様かなーー。スピリチァル的に言うと、生まれる前に自分が仕掛けておいた謎となるのかな)
 今、息子は、いっさいの予備校通いを拒否し3年間の運動部を続け、独学でやって県立高校から国立大学の医学部に現役入学しようとしている姿は、無謀な自分の40年前の姿にそっくりだと思えて来たのです。きっと、あのとき、小学校しか卒業していない自分の両親が、当時はエリートと呼ばれた国立高専(今はそれほどではないと聞いていますが、高度成長期の設立当時、一人の卒業生に、大企業が10 社くらい誘いが来る、というとんでもない売り手市場であった)に入学して安心していたのに、退学書に捺印してくれと言ったとき、どんなつもりで同意したのかと思うとき、立場が変わった40年後に、自分のすべきことは、子どものすることを、見守るしかないのだろうと思い始めました。小学校の学歴しかない両親ができたことを、大学院まで出た教育学者の私ができないようでは、何をしているのか、何の学問を研究しているのか恥を知れとなるのだろう。当時、家の家賃を払って明日のご飯を食べるために働くことに必死であった私の親がしていたことは、中学校・高校・大学などの受験をしりませんから、ご先祖に祈り、神社仏閣に出かけてはただ祈ることだけでした。だから、今、立場が変わってやれることは、祈りしかないのではないかなと思っています。この祈りという行為が、最近忘れられているのではないかとも思っています。今日、少しわかったことは、1年や2年や数年以内のスパーンでものを見るのではなく、40年ぐらいのスパーンで見れば、ストーンと落ちる事柄(スピリチァル的に言うと、「40年かかって解ける謎」となる)もあるんだなといことでした(残念なことに、自死してしまうような学生さんは、きっと短い、目の前のことしか見ていないのではないかと思いますので、ぜひ10年後の自分を見るという宿題を自分に与えればよいのだと言ってやりたいです)。とにかく、がんこな私のDNAを持っている息子ですから、しかたない業または縁と思うしかない、と、ちょっぴり悟った私でした。そして、40年前の写し鏡として見ているうちに、「親の心子知らず」と、「親になって知る親の恩」という諺の意味を、遅ればせながら少し実感した今日でした。現象に隠された意味を少しわかった気分になりました。スピリチァル的に言うと、「意味が現象に優先する」ということです。
 そうなんだから、道徳教育や道徳授業で、子どもに向かって、「親の心子知らず」と、「親になって知る親の恩」という説教をしようとする、いわゆる年配の保守的な人たちがいます。困ったことです。それでは、徳目主義に陥ってしまいます。たとえ、真理であっても、それを小さい子どもに無理矢理にわからそうとしてはいけないのでしょう。してはいけないのです。道徳それ自体に、不信感を持たせてしまいます。教育は、待たねばならないのでしょう。
 いま、できるのは、祈ってやるだけです。言ってあげるとすれば、いま頭に浮かぶのは、次の言葉です。
 「これも順調な試練だ。その試練に逃げずに挑戦すれば、結果はどうであれ、それで人生の合格だ」

 子どものことを今日は書いてしまったので、ついでに、少しできのよくない小学校教員を目指す大学2年生の子ども(本人は、そこそこ能力があると思っていますが)のことを書きます。大学で1年半ドイツ語を学んだので、今月にドイツ語検定3級を受験します。本人の言いぐさは、「これでお父さんに追いつくぞ」です。子どもに追いつかれるのも、うれしいようで、悲しいですね。でも、親は乗り越えられるのが務めかもしれませんね。もし合格したら、その子どもの性格からいって、「次は2級を取って追い抜くぞ」と言うに決まっています。そうなったら、このような子どもには簡単には抜かれるのもしゃくにさわるので、私も2級受験をして、親の威厳を示して、挑発してやろうと思っています。よく言えば、道徳教育の理想である「師弟同行」のかたちになるかもしれませんし。いずれは、子どもに踏み越えられるのでしょうが、簡単にはできないことを示すのが親の役割かなと、そちらの子どもに関してはそんなことを思っています。

 今日の近況報告は、こんなはずではなかったのですが、ついつい私の子どものことについて書いてしまいました。本当は、「いじめ」について書こうと思っていました。また、そのことは、いつか書きます。

 このように、高校の教科書の原稿も書ければよいのですが。さあ、催促の来ないうちに書きまーーーーーーーす。5日の今日も催促が来ません。月曜日に来そうな気がするので、それまでに仕上げてしまいましょう。

 今度の土日に、天気がよければサツマイモを掘ってみたいと思っています。本当は、原稿を書かねばならないのですが。本当は、原稿ではなく、もっと本をゆっくり読みたいのですが。放電ばかりしていたら、脳味噌が枯れてしまいます。充電がしたいです。

 ここしばらくは、出張しません。何かあれば、ご連絡ください。追試験希望者は、書類を事務に提出してください。期末試験は、予定通り実施します。


2010/10/28改訂版
 毎日、大学に来ていますので、何かあればメールをください。しかし、いそがしすぎて、ついつい忘れてしまうことがあるかもしれませんので、返信のないときは、もうしわけありませんが、健忘症になった人だと思って、暖かく再度メールをください。

 月末に高校の教科書の原稿締め切りなのですが、とてもできまそうにありません。新たに私なんかに依頼するから無理なんですよ。もう、教科書は7月に原稿を仕上げたと思っていたので、再度、別なところも書いてくれと言われてもすぐには書けません。もともと能力がもう一つ不足しているうえ、いったん、終わったと思ったものはなかかなその意欲が復活してきません。何とか思い直して、がんばってみますが・・・。なにしろ、こんな能力の不足した人間に、けっこうなお話しをいただいたのですから、なんとかしなければと思っていますががががが。

 そのいそがしい日の今日、朝から旧社会保険庁というか、日本年金機構の土浦の事務所に行ってきました。なにそろ、一番上の子どもが20歳になったので、年金手帳が突然「手続きをこちらでしました」ということで、自宅に送られてきて、年金を支払えというのです。いま、吉田家は自転車操業のような家計ですので、そんなおかしなものは支払えるかと抗議に行ってきたのです。結局、大学生なので、免除願いを出せばよいということになり、話はおさまりましたが。以前の私なら、怒鳴り込むところでしたが、年のせいか、「押さえて押さえて」という内なる声が聞こえてくるので、おとなしく受付で対応しました。どうしてそんなことで怒るのですかと言われそうですね。実を言うと、私は「消えた年金」の一人なのです。誕生日になっても、年金便なる通知がまったく来ないのです。したがって、私の立場から言えば、これまで月給からの天引きで20年近く支払っているはずなので、それはどこかに行ってわからないとされ、そのくせ、私の子どもが20歳になると、すかさず請求がくるのですから、「盗人と猛々しい」というのは、この国の行政機関かと解釈したのです。消えたのは、社会保険庁のせいで、日本年金機構は別組織となって、名前を変えて登場したのだから関係ないとでも、言いたいのだろうか。そんなことが頭によぎったものですから、ムカムカしてきた、というのが実情なのです。気持ちわかってくれます!(笑)行った結果、かなり判明してきましたが、まだ全貌がわからないのです。日本の社会はどうなっているのかなーーー。

 それに比べて、畑の野菜はあれから順調に大きくなってきました。野菜は、誠実に接しておれば、きちんと結果が出てきますから。もちろん、天候なんかで、駄目なときもありますが。たとえば、今年はサツマイモがツルだけで、イモがないようです。試しに一株を掘ってみたのですが、親指ぐらいのイモが二つ出てきただけですから。サツマイモは、最悪な事態になりそうでーーーーーす。

 では、今週も来週も出張はありません。世の中でよく言われるように、おバカさんは、花粉症や風邪などの病気にはなかかなかかりませんので、休講の予定はありません。特に、花粉症にはなりません。だって、畑仕事している人で、花粉症で苦しんでマスクをかけて仕事している人を見かけますか!まれにはいるかもしれませんが、明らかに少ないでしょう。みなさん、日頃から、花粉症の予防に、畑仕事をしましょう!!!これを畑療法ならぬ畑予防です。
では、また。
近況報告を終わります。




2010/10/19改訂版



 最近は、どうも原稿を書く気になれず、毎日、畑で仕事をしています。大学に出勤する途中で畑に行き、一仕事をしています。心理学でいえば、逃避規制・防衛規制というやつですね。なにかもやもやしているときに、言葉で納得した気持ちにさせてくれる心理学は、大いになかなか役に立ちますね。この程度に、心理学知見もツールに使っておけば、なんの問題もないのですが。その一線を越えて、すべて心理学で割り切り、ケアするんだとして、患者を捜し、自分たちの経済的な糧や社会的地位の糧や拡大に利用する人たちが出てきて、心の弱り気味な人の心に寄生してもてあそぶ輩が出てくるので、警鐘を鳴らしているだけです。だから、心理学も、またその知見を適切に生かしている方には、何の文句もありませんから。誤解なさらないように。

 ところで、畑では、ごらんの通り、あの9月の大雨以来、サツマイモは大きくなりました。





 また、ジャガイモも芽が出てきて、大きくなりつつあります。





 数週間まえに、ダイコンの種を蒔きました。少し「間引き」したところです。左隣のネギも大きくなりました。






 野菜を作っていると、「間引き」という作業がなにかつらいのですね。優生学思想に従って、元気なものだけを残すわけですが。そうしないと、りっぱに大きくならないのですから、犠牲も出てくるわけです。今回のダイコンもそれを行ったのですが、なにか間引きして棄てるのもかわいそうだと思い、ソッと芽を抜いて、「もしそれでも生きられるのであれば、元気で生きなさい」と思って、少し土の悪い別の場所(空いたところ)に植え直しました。一度は見捨てられた芽ですが、大部分はあきらめずに元気に根付いているようです。きっと、移さなかったものより大きくならないでしょうが、精一杯、生かしてあげればと思ってしまうのです。なかなか、普通のお百姓さんのように、パッパと抜いて棄てられないのです。これがその軍団です。




 その向こうの畝には、もう遅くなってしまい、苗が売っていないハクサイの種を植えました。ハクサイは初めてです。でも、1ヶ月、遅いので、果たしてできるのかわかりませんが、種は2年ぐらい使えるし、189円だったので、駄目もとで蒔いてみました。隣のダイコンと同様、駄目もとグループですが、見守りましょう。








 ところで、話は変わります。




 先週の土曜日にバスで東京に日本家庭教育学会の用事で出かけました。ちょうどよいところでバスが停車したので、窓を開けて、思わず、最近覚えた携帯電話でパシッと写真撮影しました。
 
 さあ、これは何でしょう????








もちろん、工事中の東京スカイツリーです。なかなかうまく撮れました。
10月16日


 こんなことをしていて、なかなか道徳教育や倫理の原稿が書けない毎日を過ごしています。そんな折に、最近、次の吉田松陰の言葉が気になりだしたこの頃です。
 私の曾祖父は前田藩の武士だったと聞いている。だから、祖父は、私の名前に「武」を入れたかったそうな。最近、その血統の遺伝子がオンになってしまったのかなーー(笑)!

 「かくすれば かくなるものと 知りながら
 やむにやまれぬ 大和魂」

 「末の世において道義を実践したならば、
 必ずその時の人々から、
 極端だといわれるであろう。
 もしまた、世人から極端だと
 いわれるくらいでなければ、
 決して道義ではないのであって、
 すなわち世俗に同調し
 濁った世に迎合したものにすぎない」

 でも、今は、むしろ次の吉田松陰の言葉に耳を傾けなければならないのかなと思っています。
たとえ耳が痛くても。

 「学問の上で大いに忌むべきことは、
 したり止めたりである。
 したり止めたりであっては、
 ついに成就することはない」


 合掌と反省




 2010/10/4改訂版

 畑は、ようやくジャガイモの芽が出てきました。これから、年末年始までにどれだけ大きくなるかだが、天候次第だ。霜が降りたらジャガイモも枯れてしまうので、それまでどの程度暑さが続いてくれるかで大きさと収穫の数が決まります。サツマイモもそうです。そんなわけで、今年の霜ができるだけ遅くに降りることを祈るだけです。猛暑の反動で早く冬が来たら大打撃だ。完全無農薬の安全なイモの豊作を祈るのみです。

 今日はサッカーの韓国との親善試合があるそうな。筑波大学監督の風間さんが解説らしい。アルゼンチン戦は見なかったから、今日もあまり見る気がしないのですが、少しぐらい気が向いたら見るかなーと思っています。どうして見ないのですか、という質問が来そうなので、お答えしておきます。真剣に、ガチンコでぶつからないサッカーは、インチキではないけれども、なにか面白くないのですね。それで、アルゼンチン戦もまったく見なかったのです。翌日の新聞を見ると、世界5位のアルゼンチンを破ったので、大騒ぎをしていましたが。確かに勝ったのは喜ばしいけれど、メッシはいたけれど、ベストメンバーが全員来ていないし(来るはずがないでしょう。ヨーロッパのリーグ戦が行われているこの時期に、こんなアジアの島国にベストメンバーがベストコンディションで来ないでしょう)、親善試合ごときでケガをしたらまずいので、お互いにガチンコでぶつからないので、インチキとまで言いませんが、私には面白くないのです。真剣勝負に見せているが、真剣勝負でないので。相手が真剣勝負でないにしろ、とにかく勝ったのはよかったし、ある程度の力も日本にあるということだが、アルゼンチンも、この程度の国に負けるとは思っていなかっただろうから、少しはショックだろうが。でも、こんなことで、日本が強くなったと思ったら大間違いだと思います。事実、香川?だったっけ、毎日新聞のコメントを見ると、今度はヨーロッパのクラブ選手権で、本気の選手とやってみたい、という趣旨の発言をしていましたね。やはり、選手はわかったいるんだ、と思ってそのコメントを読んでいました。
 その点、今日は韓国。韓国は、日本戦となると、別格で、親善試合でも負けるというのは許し難いので、ある程度、ガチンコで来ます。ましてや、本国で、日本に負けるなど、韓国のサポーターや国民が許しませんから、ある程度おもしろいかもしれません。でも、韓国で一番うまい選手がケガを理由に出場しないので、興味が少し失せました。だって、両チームのなかでというか、アジアでNO1選手だから、これこそが世界や欧州レベルの選手だから見たかったのですが、ガックリです。韓国選手のなかで、他にイングランド、スペイン、せいぜいイタリアまでの国でレギラー選手がいたら、見たいと思うのですが。最近は、サッカーの選手の名前も、健忘症なのか、覚えられません。
 勝負は、韓国にその1名の選手が出ていないが、日本は韓国に勝てないでしょう。本当の実力は、ワールドカップの折りに記しましたが、フルメンバーならば、韓国と日本の差はとてつもなく大きいと思います。監督が数週間前に替わったぐらいで、急には強くならないでしょう。問題は、韓国の赤のユニフォームを着ているが、どのくらいの選手が出ているかですね。そして、日本には、1流選手はいませんが、1流半のドイツリーグで活躍する選手や、1流リーグのイタリアで、レギュラーの長友選手、サブの選手の森本選手、さらには1流半リーグでありながら、1流リーグからも注目されはじめた本田選手がいるので、相手の選手レベル次第では、簡単には負けないかもしれませんが。とにかく、相手次第で、よい試合になるかもしれない。その可能性は、韓国だから、よい意味でも悪い意味でも、手をあまり抜かない国民性だから、少し見てもよいのかなと思うのですが。ある程度のガチンコ(真剣勝負)が見られるかもしれないから。そんなことを思いながら書いています。

 学園祭も終わってそろそろ研究に、教育にがんばらねばと思っています。今週の金曜日の午後、土曜日の午後は大学にはいませんが、その他の日には大学に来ています。

 さあ、ドイツ語の文献でも読むか!!!







2010/10/4改訂版

 ついに早いもので、ようやく涼しくなったので秋の読書と思いきや、今年もあと3ヶ月、つまり90日しか、今年は残っていません。まずます1年、1ヶ月、1日が早くすぎます。あの、ゆっくりすぎていた小学校、中学校時代が何だったんだろうかと思いつついると、目の前に今年中に書かなければならない(書きたい)原稿が4つになってきました(内訳を言うと、一つは、高校生用の教科書の分担執筆<本当は、7月に終わったのですが、さらに執筆者が見つからないのであと10頁分、他のところを書いてくれという依頼が突然舞い込んできたため>、そして大学生向けの道徳教育のテキスト、さらに自分一人で書きたい大学生向けの道徳教育のテキスト、そして道徳教育の啓蒙書の4冊です)。また、厳戒令を出さねばならない雰囲気になってきました。それだから、しばらく月刊誌の原稿はしばらくお断りですので、万一、月刊誌の編集方がこのホームページを見たら、絶対に原稿依頼しないようにお願いします。講演も同じようにしばらく依頼をお断りしたいと思います。もともと、それほど頭脳もよくないのですから、頭がパニクってしまいます。そんなときに、今月末か来月初旬に出版される共著の最終校正がやってきます。これで、また1週間が終わってしまいそうです(10月5日に最終ゲラが送ってきました。本の奥付部分には、11月5日発行と記されているので、それまでに発行されるでしょう)。教職大学院の学生向け程度に読者層を見据えた3人の共著本です。

 吉田武男、相澤伸幸・柳沼良太『学校教育と道徳教育の創造』学文社、2,100円(予価)
  (講座 現代学校教育の高度化 第23巻 ―小島弘道監修)


 相澤先生は京都教育大学の先生、柳沼先生は、岐阜大学の先生(10月1日より、1年の海外研究のためアメリカに旅立たれました)、小島先生は、現在龍谷大学の先生で、筑波大学の名誉教授です。実は、この企画は小島先生からいただいたものです。実は、小島先生とは今から何と35年前に、小さな地方国立大学(奈良教育大学)の学生のときに知り合ったご縁で、筑波大学大学院、筑波大学教員時代に、まったく学問上の恩師ではない(笑)のですが(したがって、学位論文を著書した『シュタイナーの人間形成論』の終わりにも、つまり謝辞の際にもお名前が出てきません)、いろいろと研究以外で(先生は、「こういう関係こそが大事なんだよ」と言うのが口癖で、よくお酒をごちそうになりましたというような関係なんですが)お世話になりました(意外と、それが研究の原動力になったのかもしれません。確か、あの村上和雄先生も、ひらめきは夜におこるので、ナイト・サイエンスとか、おっしゃっていたような)。きっと、小島先生といっしょに仕事することもこれが最後になるだろうと思い(失礼な言い方になるでしょうが、先生もお年なので、こんな大きな企画はこれが最初で最後でしょうから。このホームページを先生が読まれたら、「そんな早くオレは死なんぞ」というお叱りが来るでしょうが。何しろ、実はこの本の締め切りは1年前の秋でしたが、まったく書いていないと今年の真冬に電話がかかって、「原稿ができた順に出版することになった。30巻のこんな企画は、どうせ出来ないだろうし、いずれオレが死ぬだろうと、タカをくくっているのかな」と皮肉を言われる始末。「そんなこと思っていませんよ」と口では答えて、すぐに他の先生方に春までに原稿を書いてもらって、それを見てから一気に私が7月までに書いて仕上げたものです。すると、全30巻のうち、4巻がすでに刊行されており、5巻目が同僚の唐木清志先生の編集の『第28巻 社会参加と社会科教育の創造』で校正が終了して出版を待つだけで、その次に発行されるそうです。6番目という真ん中より前の順で出版できることになったので、先生に対しても少しは顔が立つだろうと本人の私は思っています)。そのあおりを受けて、他の先生方からお話しのあった道徳教育と特別活動のテキストの原稿(編集)依頼をお断りして、この本を優先させていただきました(その関係の先生方、お許しください)。35年の恩義(学恩というべきでしょうが、とても実態はそうでなく、「酒恩」とでも呼ぶべきでしょう)の一つを、これでお応えできればと思って、それなりに力を込めて書きました。できの悪いところは、小島先生にお詫びするしかないです。お酒が足らなかったからだと、先生には、思っていただければ助かります(笑)

 そんなこんなで、今は、畑に行くことも出来ず、その後の畑情況はお知らせできません。

 いま、実は、大学で、教育や研究とは違うことで、あることが、どうなるか見ています。また、そのことについては、忘れなければ、結果が出れば、お知らせします。お楽しみに。いや、楽しみにすることはないです。ただの、くだらない話なので。

 1学期の追試は終了しました。受験しなかった学生は、残念ながら、「放棄」という成績になります。受験した人には、全員、単位が出ましたので、お確かめください。ちなみに、今年は、追試に、この間の世界柔道の大会で、金メダルと銀メダルを取って有名になっている二人が混ざっていましたね。テレビで見たときと、ぜんぜん、印象が違いましたが。

 今週と来週の両土曜日は、学会の理事会等で大学には来ませんが、それ以外は来ていると思います。国内外とも、出張はありません。何かあれば、メールでご連絡ください。




2010/9/27改訂版

 
日付のミスがあるという苦情が聞こえてきましたので、修正ついでに更新しました、というか、補足説明というか、近況報告。

 二日ばかり、続けてお酒を飲んでカロリーオーバーになったので、土曜日に続き、日曜日も畑仕事に行きました。子どもはなにやら家で勉強があると言って手伝わず、困ったことです。家を出るときには、「いくら勉強しても天才お父さんには勝てないよ」と皮肉を言うのが精一杯でした。最近、我が家では、「遅れた反抗期」の風が吹いています。日本家庭教育学会の事務局長・常任理事をやりながら、自分の家でうまく行かなければ、何とも言い訳が苦しいですね。
 私事の内情を漏らすと、現在の震源地は、正月以外はほとんど毎日やっていた運動部を6月に引退して、進学塾や予備校にも行かないで大学に入ると言いながら、どこの学部に行くか決められなかった地方の県立高校3年の息子が、突然、現役合格の難しさを知っているかどうかわかりませんが、医学部の進学を言い出したことなのです(また、気が変わるかもしれませんが)。国立なら授業料は何とかなるのですが、調べたところ(大学人の私も知らなかったし、驚いたのですが)、私学の医学部で最も安価な年間授業料は、K大学の280万円ですが(全国の医学部の平均納入金は6年間およそ3500万円だそうですが)、とても筑波大教授では出せる額ではありません。それこそ、学校納付金以外にたくさんの経費がかかりますから、家の財政は崩壊してしまいます。親としては教育学部関係以外なら、理学部・工学部でも何でもよいかと思っていたのですが、言うことを聞きません(
心理カウンセラーさん、「そうだね」「うんうん」「そうなんだ」と話を聞くだけで、ある特捜検察官のように、自分の筋書きの状態に、マインドコントロールが巧みにできるのですかね?できるのなら、教えてください<皮肉>。でも、悩んで心が弱っておれば、正常な判断が出来ないからその隙をついてできるでしょう。普通の人間には、なかなか無理でしょうが。だから自分より弱い人間に寄生して、自分の居場所を確立するのかなーー、カウンセラーさん!!それ、あまり健全な人間のすることではないですね。でもでも、今の世の中、社会が病んでいるから、その種の人たちも最低限は必要なのかもしれませんね。過剰は困るんですね)。
 いろいろと考えるだけで、いやになる世の中です。職業選択の自由、
平均年収500万円の日本の家庭で、本当に保障されているのかと、愚痴ってしまいたくなる現実社会。あと半年経てば、何らかの報告ができるでしょうが、それまでが親としてはたいへんです。人間相手の理論と実践の統合は、口では簡単ですが、現実となるととても簡単ではなさそうです。偉そうな教育学の理論を大学で講じていても、自分の子どもにすらも手を焼いているのですから。
自分の子どもにきちんとできないのに、どうして「人づくり」や人間形成などの理論が構築できるのか??いやいや、人間は謎だ???!!

 それに比べて、素直な農作物。草を刈って肥料をやって、めんどうを見てあげたら、天の恵みか、雨が降って、日に日に成長しています。サツマイモは、とにかく霜の降りる日が遅くなることを祈るだけです。あとは祈るだけです(それに比べて、我が家の子どもたちには祈るだけではすまないし、手が焼けます)。ところが、今年はジャガイモに反応が見られません。まったく芽が出てこないのです。あと数週間待って出てこなければ、
嘆くのではなく、これも天の啓示というかアドバイスと前向き考えて(この前向きに考えることを、私の知人の飯田史彦さんは、ブレイクスルー思考と呼んでいると思うのですが)、菜っ葉類の種を蒔きますか。実は、同じ畑に蒔いたところですが、ほうれん草や小松菜でも。それとも、今年はハクサイに挑戦してみますかね。何か新しいことを試みるように、何者(これをある人は神といい、あるいは仏といい、ある人は宇宙や自然といい、筑波大学名誉教授の村上和雄先生なんかは、サムシンググレートと呼ばれているのでしょう)かが、メッセージを伝えているのかな。

 10月3日は、小さな研究会でシンポジストをしなければならなかった。これを皮切りに、一気に2010年も終わってしまうのか・・・・・悪い予感。。しかし、今年は、科研費があたっているので、今年度中には何とかドイツに出張しなければいけないし。ああ、先のことをまっとうに考えていたら、カウンセリングで、
過去を思い出して、真実でない、思い出した過去に縛られて悩んで生きている人の気持ちは、私にはとても理解できません。草刈りなどもしないもんだから、暇なんでしょうかね。何の生産活動もしないで時間が経つことに、「その時間がもったいない」と考えないのでしょうか。汗を流すような生産活動をしないでも生きていける層の、贅沢な悩みなのでしょうかね。それなら、簡単に治せますよ。暇を作らなければ悩まないのですから、有機農法をして、毎年、雑草を刈ればよいのですよ。それで、けっこうな人数の人が軽い心の悩みから解消され、元気になるとともに、りっぱな生産活動をすることになって、社会にも貢献できます。そうです。農業療法あるいは草刈り療法と名づけましょう。大変効果的です。だって、悩みながら畑仕事などできませんから。だってだって、目の前の雑草と奮戦しているそのときに、汗がタラタラ落ち、蚊がブンブン刺しに来る中で、自分の思い出した内面の悩みに向き合っている暇がありませんから。悩みなど忘れないと、眼前の課題に立ち向かえませんから。汗を流す前向きな活動をしていたら、鬱になりようがないです。学生さん、1Kの部屋に一人でいるから、心の機能がおかしくなるのです。さあ、身の回りで、草刈りでも、ゴミ拾いでも、何か生活や社会につながりながら暮らしたらどうでしょうか。あるいは、たまには金曜日の夜から実家に向かい、実家の掃除をして日曜日の夜に大学に戻ってくる、という実家孝行もよいかもしれません。世間で言う心の病などになったら、その交通費以上に治すお金がかかり、心も体も劣化するだけですから、交通費など、結果的に安いものですよ。それが、なによりの心の予防になりますし、免疫力を強めることになるのではと思います。そんな生き方を伝えられるような道徳教育を考えていきたいと思う今日この頃です

 悩んでいる暇のない時間を過ごしておりますので、何かあればメールでご連絡ください
 

 


2010/9/25改訂版

 夏の暑さも終わり、ようやくの復活です

 
そうです。サツマイモも復活してきました。

    



 
雑草と夏の暑さを耐え抜いてきたサツマイモが、2回の大雨で復活してきました。
大雨のために各地で被害が出ていますが、こと吉田農園では恵みの雨となりました。私の知力・能力もこのように一気に成長しないものかと思います。そのためには、しっかり耐えなければなりません。今年は、ドイツにも逃亡せず、5階の研究室で耐えたのですから、なにか少なくてもいくつかは秋に出てこなければならないのですが・・・・・。
 
 そうそう、党代表の選挙が終わりましたね。結果はどうであれ、今回でわかったことは、マスコミ(新聞・テレビ)もインターネットも、どちらも鵜呑みに信用してはならないという、高度情報化社会の教訓を学べたと思います。いわゆる情報モラルですね。このような社会では、発信する方の責任が問われるのですが、どうも信用できないようですね。そうなると、受け手側のモラル、つまり信用できるかどうかの咀嚼の責任が重要になるということですね。これから、そんな道徳教育も必要ですね。副読本だけでは、無理だということは明らかなのに、今でもそれに固守している教育現場は困ったことだと思うのですが。

 とりあえず、今日は更新が可能になったことだけをお伝えし、少林寺拳法の練習とその飲み会に行ってきまーーーす。

 






緊急(予定通り)更新!!!!
2010/9/2改訂版

 
最近は、党代表の選挙とかで、テレビジャックされているようですね。いつものことですが。でも、今回は、実は私は気になっているのです。結果が!
 どちらかが勝つでしょうが、それが気になるのです。それは、両候補の政策がどうのこうのということではなく、「情報」について何です。最近は、道徳教育でも、情報モラルということがよく出てきます。それだけに、興味深いのです。それは何かと言いますと、マスコミ(大新聞・放送局)の世論調査では、一方の候補が他を引き離して、圧倒しています。ところが、ネット上の世論調査をでは、マスコミではマスコミのバッシングを受け続けて、敗戦確実と思われる別の候補が、圧勝しているのです。まったく、真逆な結果が出ているのです。つまり、どちらかのメディア(大新聞・放送局かインターネットか)が、情報モラルをぶち壊していて、情報を操っている(戦前・戦中の大本営発表のように)としか思えないのです。それが、この選挙で明確になるのではと思うのです。その意味で、これからの高度情報化社会において、何を信用し、何を疑わなければならないのか、そしてどのように情報と付き合っていくべきかの規範を、勉強させてもらえる良い機会だということで、注目しているのです。

 それはそれとして、上記の事件でテレビの番組がかなり組み込まれていますが、そのあいまにも、いろいろな事件が報道されていますね。特に、自分の研究の関係上、子どもや教育・養育の問題に目が行くのですが、親が子どもを平気で殺したり、その逆もあれば、子どもは親が死んでも死亡届も出さずに葬儀もしないで知らぬ顔でいるとか、とんでもない事件が報道されますね。そしてい、いつものように、「心の闇」「心のケア」が念仏・呪文のように語られている。
 でも、いつも思うのですが、その種の問題は、「木を見て森を見ず」の発想にとらわれているのではないかと思うのです。つまり、事件となる、そのことだけがおかしいのではなく、そのような事態を招くには、ほかもおかしいのではとどうして考えないのだろうか。子どもの問題を起こすような親は、何かほかの問題でもおかしいはずでしょう。子どもの教育・養育だけが問題であり、他は良いというような親はいないでしょう。きっと、日頃からの生活がおかしいのではないか。そうでなければ、ある局部的なところだけ、おかしいというのは信じられません。そう考えると、日頃の生き方が問われるのではと考えてしまいます。そうなると、日常道徳の改善が根本的な治療や究極の免疫力ではないのかと思って、道徳教育の重要性に気づく今日この頃です(てまえ味噌になってしまいましたが)。

 先週から、暑くても、平常通り、大学の授業を行っています。
 何かあれば、メールをください。

 では、次回の更新までお元気で。

2010/9/2改訂版


 予告していますコンピュータ交換作業で、いつホームページが更新できなくなるかわかりません。そこで、更新できるときに、しておくことに5分前に決めました。
 筑波大では、こんなに暑いのに、年間スケジュールに従い、昨日から2学期という形で授業が始まりました。そんなわけで、これから、昼食も取らないで、12時15分からの体育専門学群向けの授業に行ってきます。こちらも暑くてやる気がおこらないし、学生はよりいっそうそうかもしれませんが、これから授業に行ってきます。今日は、イギリスやドイツなどの諸外国の道徳教育について触れる予定です。
 そこで、ちょっとドイツのところでのコーヒーブレーク(横道・脱線ないしは雑談と呼ばれるところ)において、ドイツでは暑いときは臨時休校だという話しを入れる予定です。それで、ネタ仕込みを、以前に書いた、昨年のつくばのミニコミ誌の原稿(原稿料無料でボランティアでやっていたもので、さすがに忙しくなり、2年間続けていましたが、4月から執筆をやめました)を見ていました。そのコラムの原稿を今日の更新に、貼り付けておきます。
 ここで、紹介してことがありましたっけ? 最近、健忘症気味ですのでよくわかりませんが、二度目だったらごめんなさい。
                     


 先日、中学生の子どもが、「28℃になったらクーラーを入れてくれるのに、今日は30℃を超えても、先生はクーラーを入れてくれなかったんだよ」と、自宅でブツブツ言っていました。また私の勤務する大学でも、目標として、「電気料を2%節減」というポスターが廊下に貼られていて、その中の項目に、「冷暖房設定温度は(冷房28℃、暖房18℃)を守りましょう」というものがありました。どうも日本では、28℃くらいの暑さなら、しっかり勉強して働くのは普通だということなのでしょう。
 それに対してドイツでは、「Hitzefrei」(ヒッツェフライ)、日本語に翻訳すると「暑さ休み」というものが、州の法律で決められているのです。それは何かというと、州や学校によって若干の違いがあるようですが、一般的には午前11時の時点で、気温が25℃になると、子どもの健康管理のために、校長の判断で、学校の授業は昼から休みになるというものです(最近は、27℃が多くなっているらしいのですが、スペインやイタリアでは30℃と聞いています)。子どもは下校して、自宅で静養するか、プールや湖に出かけたりするそうです。
日本人の感覚で言うと、ドイツの25℃というのは暑さのうちに入らない程度です。なにしろ、日本に比べてはるかに湿気もありませんから、蒸し暑さはほとんど感じません。その意味では、ドイツ人は、暑さに弱い国民のようです。そう考えると、日韓開催のワールドカップのときには、ドイツ選手(ヨーロッパ諸国の選手全体)にとっては、かわいそうに、気温の高さと蒸し暑さは、もう一つの大きな敵であったのでしょうね。
 いずれにせよ、30℃を超えてもがまんして勉強させる日本の学校。クーラー設備のあるところでも、二酸化炭素削減のためと言いながら、28℃まで室温を下げて勉強を続ける日本の学校。一定の気温に達すると、健康によくないとして授業を中止するドイツ。どっちがヘンなのか。そして、どっちが環境にやさしい生き方か。




2010/8/29改訂版
(一部、紫色部分なんですが、翌日に加筆しました)
 ちまたでは、サッカーの監督選びや党首選びでさわがしいですね。サッカーは、自業自得というか、協会の愚策ですね。そんなことは、わかっていたことですよ。だから、Wカップ前から、所詮、ベスト4など夢の夢で、予選敗退だから、こんなことに相手にならないで、このホームページでは、早く次期監督を捜さなければいかないことは主張していました(予選敗退は、私の予想が外れて、奇跡的に勝ち進みましたが、そのツケが来ているのでしょうか)。あの日本人ファンが浮かれていたとき、あれが決定時期のレッドラインだったのに、協会も奇蹟でファンといっしょに浮かれていたのでしょうか。そうだとすれば、自業自得ですね。
 ヨーロッパのリーグは5月には終わりますから、8月中旬にリーグ戦が始まることを念頭に置いて、そのあたりから選手や監督の移動は始まるのです。そのときに、早く決めてしまわないと、結局、クラブチームの監督に招聘されなかった残り物から選ばなければならないのですから、すばらしい監督など、こんなアジアのサッカー後進国に家族を置いて来てくれるはずがないでしょう。なにか訳ありでないと。だから、今日の状況は予想できたことなのです。だからだから、早く監督を、それこそ、世界でベスト4に入るぐらいの監督を呼ばないと、次回のWカップの出場は容易ではないと思っていたのです。
 こと、今となっては、臨機応変にやるしかないでしょう。授業の過程でも、途中で計画通りにうまくいかなくなったら、教師の臨機応変しか、ないでしょうに。それが出来るか否かが、素人の教員と、プロ級の教員との相違でしょう。その意味では、協会がプロだとすれば、臨機応変にやるべきでしょう。私の素人案でいうと、日本に親しみをもっていてくれる人物、Jリーグの元選手や監督を、呼ぶしかないでしょう。スペインサッカー、攻撃サッカー云々と、贅沢を言っている立場ではないと思います(攻撃サッカーでサッカーは勝てません。きちんと守れないから、スペインは世界をこれまで制することができなかったのでは。また、実力がないから、あるいはなくても、恥も外聞も捨てて、守り続けてカウンター狙いでいけば、実力以上の成績を残した今回のWカップの日本を見れば明らかではないでしょうか。守って、ただ基本的に前や横へ蹴っていて、予選通過したではありませんか。その証拠に、統計的にも、予選通過16チーム中、パスの最もつないでいなかったチームが日本というように、客観的な数字が出ていたではありませんか。サッカーは、「守ってなんぼ(関西弁)」でしょうに。それがサッカーの基本でしょう。素人の私でもわかることなのに。それとも、次回のWカップはもうあきらめて、8年後、12年後以降を目指してに、日本のサッカーを根本的に改革して、本当にバスト4を狙うという、長期的な展望からそのような施策を考えているのであれば、拍手ですね。日本の教育界でも、毎年実施される学力テストのように、すぐに短期的な効果や成果を評価して云々したがるところが強いだけに、もしそうなら、教育界も日本サッカー協会を見習わなければいけないと思います!!!<皮肉を込めて>)。個人的には、ブラジル監督を辞めたドゥンガはどうでしょうかね。かつて、ジュビロ磐田で選手として活躍していたから日本に愛着があるだろうし、また次回はブラジル大会だから、うまく依頼すればやってくれるのではないでしょうか。もちろん、監督としての能力には疑問がありますが、日本の実力の情況から言って、偉そうなことは言えないと思うのですが。どうでしょう。
 たぶん、今日の報道を見ていると、ヨーロッパ(イタリア)から呼んでこようとしていますが、きっと4年も異国の日本にいたら、ヨーロッパでは忘れられてしまうから、2年ぐらいなら、今は職もないし、日本監督を受けようと思っている人物なのだろうか。きっと、1年契約だったら、今年度は喜んで引き受けてくれるでしょうね。どんな人かわかりませんが、私は問題にしたいのは、能力よりも愛ですね。つまり、日本にどれだけ愛着をもってくれているのかが非常に重要だと思いますね。教師の例で言えば、離れ小島に赴任する教師のようなものでしょう。そこで問題なのは、最初はいやだけれども、その離れ小島でどれだけ子どもに愛情をもって本気で教えてくれるかが、その人のもっている資質や能力よりもはるかに大きな影響力を発揮するでしょう。渋々来て、早く戻りたいと思っているような教師なら、子どもも気づくだろうし、とても子どもに人格的な薫化も与えられないでしょう。その監督の人間性が、大きな影響を及ぼすことでしょう。そんなことを考えると、日本のサッカー監督も、日本とすでに関係のある人がよいと思うんですがね。たとえ、ブラジル人であろうが、何人であっても。愛は、能力や技術より、大きいな影響を与えると思うんだけどなーーー。石頭のお年寄りが多いから、ダメでしょうね。だいたい、協会の人で外国に滞在して、外国に通じている人はいたかな。田嶋さんくらいか。田嶋さんは、ドイツに2年住んでいただけで、外国のプロでは活躍していないからOKなのかな。同じドイツで、プロのブンデスリーグで活躍した奥寺、尾崎、風間さんたちはなぜ重要な役を担わないのかな。ついでにいえば、国内で大活躍してオリンピック3位の立役者の釜本や杉山さんなども、なぜか重要な中枢的な役を担わないですね。どうも、協会の中枢の方は、選手としてはあまり活躍していない人(その人の日本代表時代のすばらしいシュートを見たことのないような人)で、しかも日本国内しかプレーをしたことのない人で、大学はW大の出身で、企業はF社またはせいぜいM社出身の人が多いような気がするのは、気のせいか、単なる偶然なのか、よくわかりませんが!!!その意味では、中田選手やカズ選手なども、これからどのような役を担って行かれるのか、注目ですね。おそらく、きっと偶然に、彼らは排除されるでしょう。

 党首選びは、私にはまったく縁遠いものであり、わかりません。

 そんな騒がしい世間ですが、そして暑い気候が続きますが、小生はマイペースで生きております。今は、10月に発売予定の本で、3人で執筆した『学校教育と道徳教育の創造』の校正にがんばっております。でも、この校正というのは、誤字や不備を探す仕事ですから、気が滅入ります。特に、自分の書いた文章なんかは、再校段階(2回目の校正)になると、汚い言い方になりますが、自分の知的な排泄物、別な言い方をすれば思考の死骸を見ているようで、読みたくもないですね。きっとおかしな私の性格だと思います。自分では、文字になって形になったものは、生きた知識の抜け殻ないしは死骸(イメージ的に言うと、蝉が幼虫から成虫になって飛び立ったあとの殻)にしか思えないのです。そんなものに執着しているぐらいなら、早く次のものを書いてみたい、腐るまでに自分の頭の中から次のものを排泄、もう少しきれいな言い方をすれば分泌したいと思うのです。そんなわけですから、私は、汚いもの(腐りかけているもの、あるいは分泌したもの)を読者に読んでもらっているようなもので、いつも申し訳ないなと思っているのです(あるいは、その人に言っています)。その意味で、発行された自分の著作を二度と読みたくないとは思っても、感慨深く眺めることはまったくありません。早く校正を済ませて、新しいものに向かおうーーーと。嫌な気持ちになるのです。

 嫌な気持ちを溜めると、心の病になるかもしれないので(本当は、心に病などあるはずがないのであって、病があるのは身体だと思っているのですが、最近、心の病の救済を訴える心理教が流行しているので、皮肉を込めていっているのですが)、畑で汗を流して仕事をしています。少し働くと、顔からポタポタ汗が落ちますね。とにかく、睡眠が遅いから昼間に作業をするものですから。そうすると、2時間もすると、日射病に近づくのでしょうか、頭が痛くなって息苦しくなってしまいますね。2リットルのペットボトルのお茶をグイグイ飲んでいます。そんな仕事をしているうちに、私の親は百姓なのですが、父親がなぜ夜8時には寝て、朝4時に起きて畑仕事に行くのか、なぜ百姓する人は「早寝早起き」なのか、畑仕事をするまでわかりませんでしたが、謎が解けました。しかし、57歳にして、わかったのですから、遅いですね(笑)。やっぱり、私の頭は良くないですね(笑笑)。
 そんなことをわかって、畑仕事をしながら、いろいろと気づくことがあります。畑仕事をする人は、マスクをかけていないということです。つまり、近くで畑仕事をしている人にいないんです。つまり、花粉症の人が不思議にいないんですね。それから、学生で自殺者が出るので、ふと思うのですが、畑仕事のように汗を流す人はあまり自殺なんて事は考えないのではないか、ということです。人間、汗をかかないで部屋にいるから、おかしなことしか考えないのではないか。やはりお天道様(太陽)にあたって、身体を消毒してもらえば、身体とつながる心も健全に働くのではないかと考えています。悩んでいる人には、「畑療法」が効果的かも、と思ったりしています。そんなことを科学的裏づけもなく言い出すと、「畑教」という宗教になるかもしれませんね。畑仕事をしていると、作物が枯れてしまうかもしれないと思うと、死んでいる暇がないですね。いくら生きて働いても、切りがないですね。その意味で、教育活動に似ているかもしれません。
 畑仕事をしていると、いろいろ人生の問題と重ねていまいます。いくら努力しても、気候や災害などがあると、努力も不意に終わってしまう。ときには、理不尽なやつにやられてしまう。そんな中にあって、うまくできれば、うれしいし。今年は、途中から草刈り機を買ってがんばったけれど、雑草に負けて、トウモロコシは、一つの食べられるところまで生長しませんでした。茄子も不作で、、茎が長く伸びませんでした。スイカはできたと思ったら、カラスかキジに食べられ、「あーー」、でした。ジャガイモも、いま一つの出来でした。サツマイモは、雑草から救出して、鶏糞を蒔いて大きくなるところを待っているところですが、どうなることやら。現状は以下の通りです。



 少し大きくなったスイカはやられてしまいましたが、涙ながら水をやっていたら、小さなスイカが二つできました。何とか、カラスとキジの目に付かないように、またCDを紐でつるしてピカピカ威嚇して守ったり、草に紛れさせたりして、見守っているところです。以下の写真が現状です。




新たに、この7月上旬に収穫したジャガイモの中で、ピンポン球程度の小さなものを再度植えました。これを毎年しているのですが、関東にはそのような習慣がないようで、周りのお百姓さんにも、「へーーー」と、おかしなことをするなという言い方をされます。いつも、「関西では、よくやっているようですよ」と、言っています。予定では、12月の初旬に掘ると、夏ほどは大きくなりませんが、小ぶりの新ジャガが食べられるのです。ジャガイモは、地中なので、以外と確実に収穫できます。以下のように植えたのです。



4列植えました。左の草むらには、実は大きなカボチャが出来ています。白い棒のあたりです。カモフラージュのために、草を残してあります。実は、ツルが延びて、雑草を刈れないのが実情なんです。


 そんなこんなで元気にやっておりますので、何かありましたら、メールでご連絡下さい。
しばらくは国内・国外とも出張はありません。




2010/8/20改訂版

 暇になったわけではありませんが、いつまでも戒厳令や非常事態宣言を出しているようでは健全な生活ができなくなってしますので、この機会に解除します。いつまでも出していると、それに慣れてしまって、依存症になってしまうからです。「厳戒令依存症」、「非常事態宣言依存症」という新しい心の病気を創出してしまうかもしれないからです(最近は、何かの依存症が流行っているようですから)。そうなると、人の悩みに寄生する「心の専門家」という人たちを喜ばし、増殖させるだけですから。その人たちが増殖すれば、その形成している社会全体がケアを求める、病んだものになってしまうからです。だって、そのような人たちは、それで生きる糧を得ているのですから。社会全体を健全にするには、普通に健全に生きる人を量産する必要があるかと思います。教育は、健全な人をつくることに向かうべきかと、今、東京から戻った私は思っています。
 今日は、明日開催の日本家庭教育学会の常任理事会に出席してきました。明日は、広島大学で日本教育学会が、名古屋学院大では日本特別活動学会が、貞静短期大学で日本家庭教育学会が開催されます。三つも重なってしまって困っているのですが、やはり一番小さな学会に行くことにし、明日は日本家庭教育学会に出席します。私の友人は、午前中にそこに出て、昼から名古屋に向かうようですが、私は1200キロの運転もあって、まだ十分に疲れも取れていないので、近いところ一つにしておきます。だって、多くの大学と違って、8月末で夏期休業は終わって9月1日から授業ですから。体調を整えねば。

 そんなわけで、明日は大学に来ませんが、日曜日は、畑仕事をして(草を刈って、耕して、ジャガイモでも植える予定です。汗でビショビショになるでしょう。でも、ビショビショになって汗をかいて自殺した人はあまり聞きませんよね。汗臭く仕事したあとで自殺した人って、聞きませんよね。汗をかくと心が健康になるのではないかな)から、研究室に来るでしょう。厳戒令が解除されても、企画して書かねばならない仕事が、雑務も含めてあるのです。

 そんなわけですので、8月も土日に関係なく、大学に毎日来るかと思いますので、何か連絡のある方はメールで流しておいてください。

 それから、9月から授業がはじまります。1学期に定期テストを受けられなかった人は、第2週目に追試を実施します。詳細は、追って連絡します。



2010/8/5改訂版


買った草刈機でがんばりました。





そして、草むらからサツマイモを救出しました!!!
サツマイモ成長していませんでしたが、なんとか草むらで三分の二ぐらいは生きていました。

  


同じサツマイモでも、向かいの畑のおじさんのものはこんな大きくなったのに・・・・。
とても、向かいのおじさんから同じ苗をもらって植えたとは思えないこの落差!!
これからサツマイモくんにがんばってもらいましょう。





では、これから信州に向かいます。東京は混んでそうなので、古河方面に向かい、あとは気の向くまま、上信越道に向かい、長野ICに向かいます。12日、午後は中央道を走って、夜には、遷都1300年の奈良に戻る予定です。
それでは、吉田家の一行はこれから出発しまーーーーす。
見かけたときは、お声をおかけください!!!!
つくばナンバーでーーーーす。

大学院生向けの道徳教育のテキストについては、原稿の校正は、帰省先でやります。10月に刊行される予定です。高校生向けの教科書原稿は9日遅れで送りました。いよいよ、次は大学生向けの道徳教育のテキスト作成に入ります。本当は、こんな仕事よりもしたいことがあるのですが、期待された原稿依頼と思い、できるだけお引き受けしているのですが。これが終われば、いよいよ単著の出版に向けてがんばれるかなーーー。そう思っているうちに、秋が来て、冬が来て、2010年も終わるのだろうな・・・・。

そんな、こんなで、学生さんは、16日には大学に来ますので、何かありましたら、メールで流しておいてください。メールは、どこでも見られますから。本人の顔は、16日以降に、大学に登場予定です。







2010/8/5改訂版
翌日、一部加筆修正

三日、更新をおくれましてすいません。

畑の雑草には負けますが(彼ら彼女らは、土日、祝日に関係なく伸び続けております)、元気にやっております。

昨年の7月ドイツ出張はブタインフルエンザ騒動で中止今年は原稿の締切に勝てず中止。そこまでして書かねばならない原稿が7月末締切に間に合わず、なんとか帰省前に仕上げたいと思っていて、まだできないのですが。

来週は、いつものように信州経由で、奈良まで帰省します。奈良では、14日に、奈良教育大学附属中学校の合同同窓会に出席してきます。これまでは、数年毎(最近は1年毎に)組単位でやっていたのですが、いつのまにか、4組合同で同窓会をする企画が決まったようです。よく殴られた先生も来るようで、なつかしいから出席するかと思っています。昔は若くてかわいかった子も、きっと56歳のおばさんになっているだろうなと思うと、少し寂しい気もしますが。自分が好きだった女の子は、私の青春の思い出のためにも絶対に56歳になんかなってはならない、と祈っているのですが、こればかりは無理ですよね。70名近く集まるとか。1学年160名ぐらいですから、かなりの数ですね。この学校は、私みたいに附属小学校から上がった生徒はあまり賢くないのですが(もちろん、そうでない優秀な人もいましたけれど)、中学校から入ってくる人たちは一般に優秀だったな、という記憶があります(いまは、どうもかなり違っているようですが)。私なんか、いつも後塵を拝していました。プロフィールか、どこかに書いたことがありますが、第1学年末の成績は、なんと組で最下位でしたから。忘れらないな、英語の8点。そのころの漫画で、8マンというテレビ漫画がありましたが、「8マンのよしだ」と笑われていました。それで、いま、高校の教科書を書いていて、「青年期の劣等感」とかでてくるのだけれど、ぜんぜん自分には体験がないのに、ウソらしいな、劣等感で悩まないヤツもいるのに、と思いつつ、一般論を展開しています。知能だけでなく、感覚もバカだったのかなと思いつつ、なつかしく思い出されます。きっと、場違いな大学の先生をやっているといっても、他の組の人は信じてくれないだろうなーー。口が裂けても、教育学なんて言えないなーー。でも、なんだあれ、時計の針を40年前にもどして、たのしんできまーす。きっと、中学時代では考えられないような場違いな仕事をしている人も、私のようにきっといるでしょう。この中学校の先輩には、経済学の佐伯啓思京都大学教授、後輩には辻元清美議員もいたりするところなので、いろいろ立派な人もおれば、目立たないが地味な活動をしている人もいるでしょう。なにしろ、思い出した。1年上には、T大学教育学部長になった人もいたなーーー(T大学に行った人は、いつも私をバカにした話しをこの人から聞いてくるので、困った人がいるのです<笑>。「あのバカが」「サッカーは下手くそで」などと言い続けるそうなんです。実は、この方は、中学校で11人でサッカー部を創ったときのキャプテンで、私が一つ歳下で、いちばん下手くそがやるポジションであるサイドバックだった(日本代表監督の岡田さんもそれだったな)ので、昔をなつかしんでおっしゃるのでしょう。この方が、大学でも1年先輩で、大学ではかわいい女性のいるサークルでがんばろうと思っていた(実は、かわいい子を見つけてたので、専攻を社会科教育にして、その子のいるバドミントン部に入ろうとしていたのですが)ところ、喫茶店でミックスジュースをおごっていただいて、だまされてサッカー部に入れられた因縁の人なのです。だって、おごってやったんだから、土曜日に試合を見に来いと言われ、行ってみたら、ユニフォームがあるから着替えろと言われ、人数が足らなくなったから試合に出ろと言われ、その次の練習日から練習に来いと言われ、結局、かわいい子のいるバドミントン部に入れず、サッカー部に入れられてしまったのですから。でも、本当に私を嫌っているわけでもなく、親しみを込めておっしゃるのだと思います。たまに、研究室に、「吉田生きてるか」と、電話をくれたりしますから。今度は、私が、仕返しに、「生きてるか!」と、言ってあげようかな)。実際、この方にだまされてサッカー部に入った関係でサッカーを続け、やがて高知大学時代には、1996年、サッカー部部長・監督代行でインカレ(全日本大学サッカー選手権大会第45回大会)第3位を経験させてもらうことになるのだから、人生という者は不思議で謎だなーーーーと、つくづく思うのです!!!。あのとき、準決勝の後半、早稲田大学の友近選手(現在は、愛媛県選出の参議院議員になっておられますね)に、くやしい1点を、スローインからの1本の横パスだけで取られて負けてしまった場面をいまでも思い出されますが。でも、地方国立大学の快挙と、地元紙では報道されて気持ちはよかったなーーー。
 しまった!!!!!!!!
 こんなことを書くつもりじゃなっかたのに、ついつい書いてしまったので、そのままにしておきます。とにかく、遷都1300年の奈良で、タイムスリップを楽しんできます。

それから、先日、北海道のシュタイナー学校に、子どもを3日間、体験学習をさせてきたという、つくば市在住の方より、次のようなメールがありました。

 さりげなく吉田先生のことを話したところ、「その先生、関西外語大で道徳教育学を教えていませんでしたか」とおっしゃいました。18年まえの吉田先生の教え子だったということが判明して、びっくりしました。彼は米文学専攻でしたが、途中で教職を目指すことにしたそうです。「僕は大勢の学生の中の一人で、吉田先生は僕のことを覚えてはいらっしゃらないでしょうが、僕にとってはインパクトのある先生でした。他の先生とは違うぞ、と思いました」と言って、吉田先生によろしくお伝えくださいとのことでした。人のつながりって、不思議ですね。
それから、『スピリチュァリティー教育のすすめ』を先生がたにご紹介したところ、3日間私の手元をはなれっぱなしで、全然私は読めませんでした(笑)。先生の一人は、私もこの本を持っていますということでした。
吉田先生、人気者じゃあありませんか(笑)。石を投げられるどころじゃありませんでしたよ。


 
 
思わず、へーーーと思いました。不思議な縁と、恥ずかしいやら、うれしいやらで。何をこの男性に教えていたかわかりませんが、教職で教えた学生がそんなところで活躍していて、そして覚えていてくれるのだから、ありがたいなと思いました。高知大で教えた正木さんは、今はドイツのシュタイナー学校教員養成所で勉強しているし。自分のなにげなく蒔いた種が出てきていると思いたいなーーと、思ったメールでした。どんな彼だか、いつか北海道に行ってみたくなりました。


 問題は、締切を越えた原稿と、種を蒔きもしないのに、毎日成長してくれる私の畑の雑草です。それを済ませて、厳戒令を解除したいなと、思う今日この頃です。

 そんなわけで、ご用の方は、8日の日曜日までは大学に来ていますので、メール等でご連絡下さい。そのあとは、帰省先でも、数日に1回はメールチェックしますので、何かあればメールで送っておいてください。




2010/7/26改訂版

 暑いですね!今年は、日本にいて、毎日しごとに励んでおります。切羽詰まった月刊誌の原稿も終わり、一段落しているところなんですが、次々と本の原稿が押し寄せてきます。今日も、出版社の社長が来て、何とか本を編集してくれという依頼が舞い込んできました。これまでの関係もあり、「もう大学のテキスト類は、時間がなくてとても書けない」とも言えず、また引き受けてしまう始末。また、秋締切の原稿が出現してしまいました。あああああー。自分のやりたい本づくりができない状況でーーーーーす。はやくやってしまおうーーーと思うのですが、その前にいくつもの原稿が・・・・・。そんなわけで、戒厳令を解除できません。

 もう、畑の雑草に勝てず、土曜日にバーゲンの草刈機をなけなしの小遣いを使って1万3000円あまりで購入し、日曜日の午前中に、雑草を2時間かけて刈りました。かなりきれいになりましたが、カボチャやサツマイモやスイカのツルがあちこに広がってしまい、なかなか機械でバサーと切れなくて、たいへんでした。あまりの暑さに、2リットルのお茶は飲み干すし、作業は、2時間が限界でした。それでやめておけばよいものを、ついでなので、自宅の周りの雑草も刈りました。そんなわけで、くたくたになった日曜日で、午後は自宅で倒れていました。それが原因で、さすがに研究室に来る元気もなくなり、更新が1日遅れてしまったわけです。





 明日から3日間、あちこちの学群・学類でオープンキャンパスがはじまります。大学がまた若い高校生たちで騒がしくなりますが、暗い自殺が起こるより、よっぽど明るくてよいので、喜ばねばならないですよね。
 今、高校生用の倫理の教科書を書いているのですが、本当に暗い内容ですね。どうして、もっと明るい内容、未来が明るくなるような記載がないのか、本当に疑問に思っていて、原稿が書けません。こんな内容を教えていたら、若者はますます暗くなりますね。検定があるので、逸脱した内容は書けないけれど、できるだけ、明るくて、希望と勇気を若者がもてるように努力したいと思います。でも、本当に暗い内容が、私どもの時代よりも増えているようです。ここ数ヶ月、これに適当につきあっているうちにようやく理由がわかってきました。取りあげる人物に、苦しみを生きぬいて深い思索を重ねてきたユダヤ系の偉人の思想が多いことに気づきました。これが、なにか明るさを消しているのです。自己実現をはじめ、とても普通の人間ではできないような目標が掲げられ、これから楽しい青春時代をおくろうとする日本の若者を、暗くしているように思えてなりません。これでは、若者を内向的にしてしまって、結局、若者の自殺者やうつ病を、決して減らす方向には導いていないどころか、まさに逆行しているように思えてきました。いつから、このように「倫理」の教科書が暗くなったのか、調べて見ようと思っています。そこにこそ、高校の道徳教育にとっての新たな展望が見えてくるような気がします。思春期ぐらいは、立てた鉛筆が倒れただけでも笑えばよい時代なのに、もっと若者文化を楽しみ、もっと笑いが絶えない時期であってもよいのに。






どうして教科書がこんなに高校生を暗い方向に導き、苦しめるのだろうか。教科書は、出版社や文科省検定の要求に従って、ある程度がまんして執筆しますが、いつか改めて、この体験を生かすかたちで研究対象にして批判的検討をしたいなと思っています。とにかく、小中学校の『心のノート』と同じで、子どもも自閉的、内向的にさせすぎていると思います。大人たちが暗すぎます。もっと、笑って、楽しく、陽気に暮らすことを教えるべきなのに。そうしないと、村上和雄先生が言うように、よい遺伝子がONにならないでOFFになってしまい、それこそ悪い遺伝子がONになって、身体のみならず、心も悪くしてしまいます。もっと、笑って楽しく生きて、よい遺伝子をONにしたいものです。「笑う門に福来たる」という意味は、そうなんだと思う今日この頃です。昔の人は、遺伝子を知らなくても、インスピレーションで、よい遺伝子をONにする術をわかっていたのかもしれないな!

とりあえず、8月4日の免許更新制の講師をつとめ、お盆休みまで大学にほとんど来ていると思います。何かあれば、メールでご連絡下さい。







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2010/7/18改訂版

大学の1学期の成績もつけ終わり、いよいよ夏休みを利用して新たな研究だと言いたいのですが、残念ながら、半強制的な原稿がまだ残っていて、戒厳令を解除できません。
そんな折りに、畑の雑草は好き放題伸び、まるで雑草地になってしまいました。今年は、雑草に完敗でした。

昨年の10月の畑でした。





ところが、今ではこのざまです。
これが畑に見えますか?






手前の草は、背高泡立草です。その向こうに大きな葉っぱがあります。
これはカボチャで、雑草の上をツルが伸びているのです。
向こうに見える木は、高知から持って来たビワです。ビワの木にくっついている黄色のものは、鶏糞の入っていた袋で、カラスよけにつけてありますが、草で見えなくなっています。この手前からビワの木までは、実は何かを植えてあるのです。雑草地ではありません。何でしょうか??

少し近くから撮った写真では、こうなります。




実は、ジャガイモ畑なのです。今日は、蚊に刺されながら、約半分程度、ジャガイモを掘りました。ミカン箱、一杯になりました。早速、午後に同僚の先生が自宅に、とうもろこしをお裾分けに持って来てもらったので、普通のイモと、インカの誉れという名前の赤色のジャガイモを持って帰ってもらいました。また、後日、あと半分を掘りたいと思います。

カボチャの向こうに何か見えるって!雑草ではなさそうです。そうです。トウモロコシなのですが、実をつけるかどうかは、あと1ヵ月です。もう、あきらめていますが。



実は、ビワの木の向こうに次のような畑、いや雑草地があります。これは何でしょうか。雑草の間に見えるのが、サツマイモなのです。これから、雑草を退治するくらい、サツマイモのツルが伸びることを祈りたいです。実は、この中に、スイカもあるのですが、まったく見えません。雑草には、土日祭日という休みがないので、困ります。






そんな折り、今週の金曜日の朝、前日にはいていたズボンを枕元に置いていたのですが、それをはこうと足を入れたところ、小指に激痛が走りました。「痛ーーーーーー」と、大声を上げました。




その瞬間、経験でこの痛みはすぐにわかりました。刺されたのです。その虫は何でしょうか????
わかった人、手をあげて下さい(笑)

まさかって。そうなんです。ムカデなのです。痛いけれども、ここでムカデを逃がすと、一生悔いが残ると思って、治療よりも虫退治に集中しました。ズボンをバタバタふるうと、何とムカデが落ちたではありませんか。長さ15センチ以上の大物でした。逃げるムカデを、持っていたズボンを握りしめて、叩きました。なかなか大きくて死にません。弱ったところ、割り箸でつかんで、憎たらしいやつを、ガスコンロで、火あぶりの刑にしました。そのあと、いつもは我慢するのですが、今回のものは大きなムカデなので、皮膚科に行きました。そこで薬を塗ってもらって、今日はお酒を飲まないようにと注意を受けたのですが、遠方からお世話になった先生がきたこともあり、「少しぐらいいいだろう」と思って、ビールの中ジョッキー1杯とワイン2杯を飲んでしまいました。すると、それが悪かったのが、翌日に腫れてきて、靴がパンパンです。今日も。まだ腫れています。

そんなわけで、踏んだり蹴ったりの毎日です。でも、元気に生きていますので、ご安心ください。

7月にドイツに行きたかったのになーーーーー。そんなことを思っていたら、数日どうも車が駐まっていないなと思っていた同僚の先生から、「いま、メルボルン」というメールが来ました。そこには、私の「アドバイスを聞き入れて、オーストラリアに来てしまった」と書いてありました。15度だって。30度以上で苦しんでいるのに、もーーーと思っています。


何かあれば、メールでご連絡下さい。盆休みまで筑波にいます。





付記
ワールドカップは、吉田予想の2番目に指名していたスペインが優勝しましたね。しかし、ビデオを見る限り、紙一重の差でしたね。しかし、スペインの技巧はすごかったですね。
それに比べて日本の実力は・・・・・・。いつ、あのような試合ができる日本になるのでしょうか。私が生きているあいだは、むりでしょうね。早く、次回の韓国戦で勝てるように、代表監督はがんばってほしいものですね。サッカー協会と岡田監督は予選通過で喜んでいるかもしれませんが、そんな運の良かった過去を喜んでいたら、たいへんなことになりますよ。私は、もし良い監督が中国に来れば、もう中国に勝てないのではと思っています。せめて、監督だけでも、ベスト4の監督を招聘してもらいたいものだ。







2010/7/11改訂版

 毎日、大学に来ております。今日、日曜日も。

 サッカーももういよいよ終わりですね。ドイツが3位になったようで、だいたい予想通りですね。でも、3位ならば、この若手の新しいチームで上出来ではないでしょうか。日本と同様、結果良しというところでしょう。でも、ドイツは4年後が期待できます。それに比べて、日本は・・・・・。韓国との差をこれからどうつめる気でしょうか?考えただけでも憂鬱だから、それはやめましょう。それで、最後は、やけで予想をしてみましょう。でも、はずれるかもしれませんが、もう今年ははずれたのでやけっぱちで。
 スペインとオランダの戦いは、柔と剛、技と力のぶつかり合いですね。なかなか面白いですね。決勝は、ブラジルとスペインかなと思っていただけに、少し残念ですが、
ズバリ優勝は、99.9%スペインでしょう。オランダが勝つときは、気候が雨とか、なにか審判判定でラッキーな判断があるかではないでしょうか。力の差はそんなにないと思いますが、少しだけれど、確実に差があるような気がするのです。個人的には、両国とも26年前に(30歳のときに)、60日旅行をしたことがあるので、愛着があるのです。スペインのマドリッドでは、化粧水を服にかけられ、窃盗にあいかけたので、少しきらいなのですが、バルセロナも、何と言ってもアルハンブラ宮殿は、すばらしかったなー。同じ時に、オランダにも行って、水車とアムステルダムはよかったしなー。ユトレヒトでは、1週間滞在したし、あの有名な教育学者ランゲフェルト先生にも会ったしなー。どちらも、情が入るが、歳をとってしまって、柔が剛を制すところを見たくなってしまった今日この頃なので、予想の%にはかなりの願望が入っていますが。でも、オランダが、また準優勝だったら、かわいそうな気持ちにもなるので。私がサッカーに燃えていた頃、体の小さいクライフという選手がオランダにいて、そのときも準優勝に終わってしまってかわいそうだったなという印象が今でも残っています。そんなわけで、書いているうちに、情には弱い(特に、頼まれると弱いのですが、指図されると意地でも聞かないという強さがあるので、おかしな極端な性格と言われます)私は、スペイン70%、オランダ30%の優勝可能性に、変えさせていただいて、オランダを少し応援することにします。でも、今日は、眠いので、決勝のときは、布団の中でグーグー寝ているでしょう。よい試合が行われていることを祈って。

 最近、見ず知らずの他大学の学生さんから、大学院の受験の問い合わせが増えてきました。ありがたいことです。どのような方と縁があるのか、今のところわかりませんが、問い合わせの際に、「どこで私の名前を知ったのですか」と質問すると、大多数が、飯田史彦さんとの共著『スピリチュァリティー教育のすすめ』(PHP研究所)をあげられます。あのような本も影響力あるんだなと、びっくりします。これからも、時間の間を見て、学術研究の著作物だけでなく、たまにはその種の柔らかな啓発書を書いてみてもよいのかなと思っています。でも、今は、そんな時間的余裕はまったくありませんが。

さあ、3人で書いた道徳教育の本の原稿推敲に入ります。それを仕上げないと、7月末締切原稿のものに書かれないので。そのまえに、1学期末テストの採点が・・・・。
夏休みも、いや今年1年、この調子で終わるのかなーーーーーー。

そんなわけで、元気に大学に来ていますので、何かあれば、ご連絡ください。








2010/7/7改訂版

 サッカーは、ついに架橋に入ってきましたね。わたしの予定では、片方のブロックでは、オランダはブラジルに負けなければならなかったのに、残ってきましたね。ベテラン選手は、予選リーグでは控えさせて、ここという決勝トーナメントから出てきましたね。さすがオランダ合理主義ですな。もう片方のブロックでは、日本が名前を連ねるのは予想外でしたが、すでにもう限界を越えていましたから、すぐに負けてしまいました。これは、しかたがなかったですね。でも、アナグマ戦法で、一歩間違っていたら、パラグアイに勝てたかもしれなかったですね。岡田監督の、後半に阿部を交代させて岡崎を入れたときは、勝負に出たが、どうなるかと思いました。でも、どうなるかと思っていましたら、相手もバテバテで、パワープレー用の三人目の交代選手が出ましたが、これが完全に裏目でしたね。まったくボールがまわらなくなってしまいました。そんなとき、日本の3人目に、玉田選手が出ました。これが、もし、チマチマ動く森本選手だったら、ひょっとしたらひょっとしたかもと思いますが、それが残念でしたね。結果論かもしれませんが。いずれにせよ、そちらのブロックは、アルゼンチンかスペインかと思っていましたら、まさかドイツが勝つとは思いませんでした。それは、何度もすでに書きましたように、3月の親善試合で、まったく勝負にならなかったからです。素人の私がテレビでニュースを見ていてもそう思いましたし、ドイツの視聴者もそう思っていたと思います。解説者カーンも認めていました。しかし、そこから、ドイツが若手中心にチームを変えて、ここまでうまくいくとは、思いませんでした。
 明日の試合は、眠いので見ません。サッカーから言えば、スペインに勝ってもらいたいのだが、毎年のように出張に出かけるのがドイツなので、ドイツに勝ってもらいたい気持ちもあるし、複雑な心境で、ただ、「これが世界のサッカーだ」という試合を見せてもらいたいものですね。あまり、選手や審判のミスで試合が決まってほしくないですね。テクニックとパワー、どちらが勝つのですかね。
 日本の皆さんは、日本のサッカーと違いをよく見てもらいたい気分です。日本は、いつまでも浮かれているのではなく、ここ数年で、韓国ととんでもない差をつけられてしまったことを謙虚に自覚し反省し、まず監督だけでも、ベスト4に入る監督を、中国や韓国に先を越されないように決めることに全力でやってほしい心境です。

 筑波大学はもう夏期休業に入りましたが、テストの採点と、締切に追われる原稿で、忙しい毎日を過ごしております。毎日、研究室に来ていると思いますので、ご用の方は、まずメールでご連絡下さい。



2010/7/3改訂版

 日本が引き分けというのも、びっくりしましたね。そうかと思うと、ブラジルがオランダに不覚をとったのもびっくりですね。合理的に考えてもダメだし、勝ってほしいと願っても負けるし、そうかと思うと、合理的にことが進んだり、勝ってほしいと願うと勝ってくれたりと。人生も、教育もそうだが、予測はなかなかできるもんではないですね。最後は、祈りしかないのかなーと。でも、祈ってもそのとおりにならないし・・・・・。ムー。わかりませんね。とにかく、人生も教育もとしておきましょう。

 最近の近況報告が、サッカーだけになってしまい、申し訳ないのか、期待されているのか、わかりませんが、どうも日本戦のあとのアクセス数が倍増するので、後者かなと、勝って思っております。そう思って、今回も、その線で行きます。でも、戒厳令中の身なので、ほどほどに。

 実力からして、予選を勝ち抜いて十分でしょう。いや、十二分以上だと思います。あれで、PK線を勝っていたら、相手のチームにも悪いし、神様もいいかげんにしてくれよというところでした。ところが、マスコミは「岡田ジャパーンはすごかった」の論調ですから、困ったものです。それにおどらされている大衆も恐れ入りますね。たまたま、カメルーン戦に、相手の油断とミス(マスコミは言わないが、完全にカメルーンのGKのミスです)で、1点が入り、あとは皆さんが知っているように、調子に乗って善戦しただけです。しかし、これまでの私の論調でも明らかなように、意地汚く守って、カウンターで攻める方式であり、弱いチームが勝つ方法としてはこれしかないというものですが、それがうまく予選リーグははまっただけです。もし、カメルーンの失点のまえに、日本の川島のファインセーブがなく、失点していたら、この戦法も使えず、ワールドカップは前半の20分で終わっていたのですから。たまたま運がよかっただけなんです。もちろん、その前提として、あの監督であるにもかかわらず、みんながまとまって必死にがんばっていたからこそ、招き寄せた運だと思いますが。その意味で、やりたくもないポジションを黙ってがんばる本田に、神様が幸運を与えるのも、あたりまえかもしれません(徳のない私だったら、もちろんレベルは全然違いますが、「監督はアホだから出場を辞退だ!」と、言っていたのではないかと思います)。あの本田の姿を見ていたら、「このポジションは私には合わない」と、文句は言えず、与えられたことをただやっていて、フランスやイタリアと違って、一致団結できたのでしょう。その団体プレーに、神様がプレゼントを与えてくれたのでは、そんなふうに考えていたらどうでしょうか。

 それよりも、私は、岡田監督とサッカー協会には不満が残りました。どなたも責任追及はされないでしょうが、私は、今後の日本のサッカーを考えると、大いに反省してもらいたいと思います。勝負に勝ったからよいではないのです。未来に対して、とても大きな借金を残したと思い、これからの監督はたいへんだと思います。だって、今後は、もしワールドカップに出ても、まぐれで勝ったのに、そうは見てくれないので、油断しないくるでしょう。アジア予選でもそうでしょうから、たいへんです。

 日本のサッカーは、なぜダメか!私が名付ければ、アナグマ戦法です。こんなサッカーをやっていた証拠は、FIFAがまとめた予選リーグの数字、つまりパスの成功率は、出場32ヵ国中最低の32位です。すなわち、いかにデタラメなサッカーをやっているか、数字で出ています。もちろん、シュート数も確か下から数えて何番目です。確か、クロスを外から中へボールをあげてくることも、32位?付近だと思いましたよ。この数字から見えることは、ただ前に適当(少し言いすぎですが)に蹴ったり、ドリブルしたりということです。それなのに、勝てたからよいと思っている、結果主義の人は、それでよいでしょうが、とても日本戦は良い試合にならないのは、明らかです。これをすばらしいゲームだと思っている人はそれでよいでしょうが、良い試合を見ている人からすれば、前回引用したドイツの著名なニュースキャスターが、gemein なサッカーと言っていましたが、まさにそのとおりです(gemeinとは、ゲマインと読むのですが、クラウンの独和辞典で意味を調べると、形容詞で、「卑怯な、下品な、いやらしい」という意味です)。決して、良い試合はしていないのです。

 それに比べて、韓国のサッカーは進歩しましたね。日本は、もうこれからしばらく勝てないのではないでしょうか。なにかステージの上のサッカーをやっていましたね。結果主義の方から言わせれば、同じベスト16位だと言われるでしょうが、戦い方のレベルが違います。ギリシャ戦も、自分たちのサッカーで、実力でねじ伏せた感じでしたね。ナイジェリア戦も、不運を実力で乗り越えても引き分けでした。決勝トーナメントも、実力で、惜しくもダメだったところでした。先に、韓国が負けたので、マスコミが、「アジアの誇りを」などと、日本が韓国と同じかそれ以上のような言い方をしていましたが、このサッカーの違いがわからないのかな。韓国は、もう日本の手の届かないところに行ってしまった。数字だけでは、ベスト16で同じではないかという人もあるでしょうが、あのゲーム内容を見て、同じに見えるのならば、そこまでの目しかお持ちでないということで、いくら言ってもダメでしょう。ここまで日韓の差をつけてしまった責任は、日本サッカー協会にないとは言わせたくないですね。これで、次回のワールドカップ予選は、オーストラリアと韓国は決まりで、あとニュージーランドや中東諸国、そこに大型選手の中国が来て、北朝鮮もいるとなると(北朝鮮のチームは、ポルトガル戦はかわいそうでしたね。たぶん、雨用のシューズを持っていなかったのでは。こういうときこそ、両国の関係は難しくても、あまっているシューズを貸してあげれば良かったのに、それこそがスポーツの友好だったのにチャンスを逃がしましたね)、あと残りの二つの席は取れるか、よほど反省したかからないと、ワールドカップ出場もあぶないです。

 今回のチームは、川島GKのがんばりと、本田FW、阿部(MF、実質はDF)の、ポジションが違うのに黙々とがんばったところが、いちばんよかったのではないでしょうか。そこから生み出されたチームワークも。点を取っても、だれも監督には抱きつこうとしていなかったあの風景は、監督やコーチ以外の選手のまとまりを象徴していましたね。選手は、日本に帰って解散するまで監督への不満は示していなかったが、あの歓喜の場面で、いつも監督をはじめ首脳陣がカヤの外に置かれていたのは、口に出さないけれど何かを意味していると思ってみていた私がおかしいのでしょうか。

 以前にも言いましたが、3月にドイツにいたときに、アルゼンチンとドイツが練習試合をしていて、完敗だったドイツ。あれから、新しい若手選手を加えて、戦うようだが、果たしてどうなることやら。あのアルゼンチンのマラドーナ監督、ブラジルが負けてニンマリしていると思うので、ここでドイツが本番の強いところで、PKでもよいから勝ってくれたらおもしろいのだが。私は、きれいなサッカーをするので(日本の大衆に、サッカーの試合の美しさと技巧を、これが世界だ、ということを知ってもらいたいという意味で)、スペインにそろそろ優勝させてあげたいのだが。とにかく、勝負弱い国だし、どうなるかなーー。ドイツとオランダのサッカーは、当たりが強く、ガツガツした感じで、美しさをあまり感じないだけに、スペインにがんばってほしいのだ。

 こんなことを思っている最近ですから、、元気にやっています。
 また、畑も、雑草に負けながら、がんばっています。

 そろそろ、ジャガイモの収穫の時期なのですが、今年は、天候不順で遅れているようです。ニンニクは、さっぱりの収穫で、ほとんど全滅状態。2週間前に、向かいの畑のおじさんに、サツマイモの苗を40本ほどいただいて、植えました。秋には、できるでしょう。今年は、コーンも植えたのですが、どうなることやら。これからは、カラスやキジなどの動物と、そしてたくましい雑草諸君との戦いが始まります。

 では、これから原稿を書きまーーーーーす!
 今年の夏は、ドイツに行けそうもありませんので、何かあればご連絡下さい。

2010/6/29改訂版

 今日も夜中はサッカーでたいへんな騒ぎでしょうが、今日こそは負けるでしょう。まさか、柳の木の下にドジョウは3匹いないでしょうから。前回の改訂の際に記したように、負ける可能性は99%、間違いが起こる可能性は1%でしょう。もう、出来過ぎ、勝ち過ぎです。日本のサッカーのために、この下品なサッカーで、これ以上勝ってはいけません。日本の教育といっしょで、ますますおかしな方向に進むだけです。日本の将来のために、もうこのサッカーの限界が露呈しないと、サッカーが30年前に先祖返りしてしまいます。私の言い方では、アナグマ戦法、一般的な言い方をすれば、できるかぎり守って守り抜き、相手が前がかりになったときに速攻で攻める戦法です。むかし、私が中学生のときに、勝てない相手にはとにかく守って、一発のカウンターをねらう、ダメなときは引き分けてPK戦で勝ち抜く、ということをやっていましたが、まさにそれを今の日本代表が同じコンセプトでやっています。強い相手には、いつもこの手でやっていこうと思ったら、スポーツがますます勝利主義に染まり、技術・戦術が上達しません。悲しい限りです。勝てばよい、勝利がすべてだというもので、教育に置き換えれば、プロセスはどうでもよい、とにかく結果としてのテストの点数や偏差値がよければそれでよい、というものと同じです。まさに、今の日本には相応しい品性なのかもしれませんね。
 カメルーン戦について、ドイツの著名なニュースキャスターが、gemein なサッカーと言っていました。gemeinとは、ゲマインと読むのですが、クラウンの独和辞典で意味を調べると、形容詞で、「卑怯な、下品な、いやらしい」という意味です。それを聞いて、思わず、我が意を得た気分になりました。どちらが勝つとか負けるとかの前に、ゲーム自体が「卑怯な、下品な、いやらしい」のです。「何だって勝てばよいではないか」という反論が聞こえて来そうですが、それはその価値観でよいでしょう。でも、せめて、その勝てばよい価値観を認めてもよいですが、「青きサムライ」とか、「武士」や「侍」とか言うことは、マスコミのみなさんにやめていただきたいなと思います。日本の誇るべき伝統的な武道の美徳まで、泥を塗るような喩えはやめていただきたいなと思っています。潔く攻めて、散るのが、よほど「青きサムライ」だと思うのですが。

 このホームページは、パラグアイの監督が読むことはないから、日本の弱点、つまり、私が相手の監督ならば、次のように指示しますね。
 日本の長友選手と反対のサイドバックスをとにかく徹底的に攻めさせますね。すると、阿部選手を入れたセンターの3人のバックス一人(おそらく、ツーリオか阿部かだろう)をカバーにおびき出し、そこから2人になっているところに、センターリングを入れるか、あるいはセンターから切り裂け、の指示を出しますね。おそらく、素人の私でも作戦が見えるから、プロの監督が真剣に相手の弱点を探せば、スグに見つけるでしょうし、素人の私にはわからない方法を見出すでしょう。もう、相手は、カメルーンのように、なめてくれませんから、前近代的な素朴なサッカーも、奇抜な戦法となり、予選では近代サッカーの勝る国々を、うまく逃げ切ったのですが、このあたりで苦しいかな・・・・。


 優勝は、どうもブラジルを中心とした南米諸国になりそうですね。でも、個人的には、スペインに勝ってほしいなと思いますね。ポルトガルと、もう少しあとで対戦すればよかったのに、抽選がいけなっかたな。理由は、スペインのサッカーがゲームとしていちばん綺麗だからで、このサッカーぐらいになることを日本に望んでいるものですから。つまり、体格が他のヨーロッパ諸国に劣っていても、下品な戦術で望むのではなく、技能で戦っているところがとてもよいですね。いくらゲームがうまくても、試合の勝負には、点数が入らなくて潔く負けていくスペインのサッカー。それこそが、「サムライ」といか、「騎士道」というものに近いのではないかと思ってしまいます。また、ドイツは、あいかわらず、勝負には強いなと思ってしまいます。でも、日本の解説者は誰も言っていないように思いますが(過去の対戦をどうのこうのと言っていますが、その当事者は選手としていないのですから、何の関係もないのにね)、以前にもホームページ書きましたよう、この3月初旬に、アルゼンチンがドイツに親善試合で来て、ドイツに圧勝しているですね。たまたま、夜に録画をやっていましたが、まったく力負けで勝負にならず、解説者の元GKのカーンも、アナウンサーに突っ込まれていましたが、あのときに、あと3ヵ月あるから、ドイツだって、若手が伸びてくるかもしれないから期待してやってほしいと言い訳をしていたように見えました。でも、なにか今見ていると、若手が出てきているようで、カーンもわかっていたのか、苦し紛れの発言が偶然当たったのかわかりませんが、たいしたものだな、3ヵ月前を思い出してしまいます。でも、ドイツは、優秀な選手が3人ぐらいおらず、かなり苦しいはずなのですが、さすがだと思いますね。そろそろその3人がいないので、優勝はないでしょうと思うのですが。ドイツには、あの、見てないところで、ずるがしこく反則をする、そして反則ではないが、本当にきたない技や反則取りをする南米には勝ってほしいのですが、なかなか苦しいだろうと思います。がんばってほしいのと、現実とは違うし・・・・。まあ、スペインがヨーロッパとして一矢を報いてほしいし、優勝すればスペイン経済も少しは良くなって、ユーロ暴落に寄与してくれることもあるしな・・・・。
 あー、こんなことを書いている暇はなっかた!!!!反省!
反省!!!!!!!

 昨日は、筑西市での講演もなんとか済ませたし、ひとまず肩の荷が下りました。
 でも、まだ原稿が貯まっており、今年の7月のドイツ出張は無理かも(涙、涙)。



2010/6/25改訂版


とんでもない、奇蹟が起こりましたね。!!!!

合理的な予想がはずれましたね。めでたいことですね。応援されているかたには。
まだ、朝からハイライトしか見ていないので、試合がどうだったかはまったくしりませんが。シュート場面だけみれば、フリーキックだから入る可能性はあるわな(興味があるのは、あの位置でうまくフリーキックを得られた場面はどんなところだったのかと)。最後の3点目は、相手がやけくそになって前がかりになっているから、あり得わな、とあと出しジャンケンのように合理的に説明はできますよね。つまり、ことが済んでからは何とでも理屈の説明はできます。予想ははずれても。だから、ここで詳しく言い訳がましいあと出しジャンケン的なことは簡単にできます。卑怯ですよね。この後出しジャンケンこそが、「心の専門家」と称する人たちの精神分析的な説明だと、思いませんか。事件が終わってから、内面の説明が、心理学の専門用語を使って行われるではないですか。それを考えると、ここで言い訳しては、あの卑怯な「心の専門家」と同じになりますから、やめまーす。

これに懲りず、前向きに考えましょう。次のパラグアイ戦は、予想では、99%で負けると思います。デンマーク戦は、90%ですから、さらに高くなりますね。合理的に考えると。昨日に書きましたように、組み合わせによるので不確定なのですが、およそベスト4に相互が当たらなかったら来るのが、ブラジル、スペイン、アルゼンチン、パラグアイと見ていますので、とても今度は奇蹟の中の奇蹟が起こらない限り、前回のように、引き分けならOKというアドバンテージがない、差しの試合ですから、どうにもならないと思います。でも、退場とか、サッカーは何が起こるかわからないので、1%だけ、可能性を残しておきたいと思います。

土日は、日本道徳教育学会に参加のため、不在になります。月曜日の筑西市の講演は、予定通り行います。

では、また。



2010/6/24改訂版


遅れてすいません。月刊誌の8月号の原稿を、締切(6月20日)を4日過ぎてしまいましたが、ただいま、送信しました。そんなわけで、何とか、日本がワールドカップ敗退決定までには、更新できました!
 最近は、あちこちで、ワールドカップの話題で盛り上がっていますが、しばしば私に予想をたずねて来る人がけっこういます。いつも、その期待に応えて、ひねくれた回答をさせていただいております。今日も、このホームページのアクセス数が増えているので、たぶんそのような話しを求めている方がけっこう多いのではと思い、その期待に応えて、見解を書きます。何度も来てもらっているかもしれないし。このカウンターは、一つのコンピュータでは、1日1回しか、数えないので。

 はっきり申し上げて、デンマーク戦は90%の確立で2点差以上で負けるでしょう。でも、100%と言えないのは、サッカーでは少しぐらいの実力差はその1試合だけでは逆転することがけっこうあるからです。何しろ、手は使えないし、ボールは丸いし、点数はあまりはいらないからです。ときには、審判の判断で、レッドカードになってしまうこともあるからです。また、グランドコンディションが悪ければ、実力差が消されてしまうこともあります。そんなこともありえるので、10%の勝ちもあるかと思いますが、よほどのことがない限り、あり得ないでしょう。たまには、よほどのことがあるかもしれないと思い、応援する人には共感できますが、実力的に差はなくて、実力で勝つという人には、「どこを見ているのですか」とたずねてみたいです。合理的な考察では日本の勝利はありません。でも、合理的には結果が出てこないのがスポーツであり、サッカーであり、だから面白いのですが。合理的な結果がいつも出てくるのでは、サッカーを見る必要もありませんし、第一に面白くないですからね。でも、合理的には、残念ながら、ありえません。サッカーのレベルが違いすぎます。日本のファンのレベルの低さにもへきへきします。だから、私は、今日(明朝)はサッカーを見ることなく、寝たいと思っています。

 そんなことを言って、寝ると、せっかくこのホームページに来ていただいた方に申し訳ないので、もう少し合理的に語ります。

 5月のFIFAランキングは、日本が45位、デンマークは35位だから、差はあまりないと思われますが、19位の調子の出てきたカメルーンにデンマークが接戦で勝っているので、実力的には10−15位程度ではないでしょうか。ヨーロッパ予選では、3位のポルトガルに、引き分けと勝ちで、そのグループではポルトガルを抑えて堂々1位通過していますし、35位程度ではないと思います。そんなことを言うと、日本だって、19位のカメルーンを破ったので、実力的には変わらないのではと反論があるでしょう。しかし、日本戦の場合は、カメルーンは初戦で実力を出せていなかったところに、マグレ、いや奇蹟で勝っただけです。しかも、まったく幼稚で、味わいのないサッカーで。以前にも書きましたが、私の中学校時代の戦術で。強いチームには、単純に守って、引き分け、あるいは虎の子の1点を取って逃げ切る、というものです。たまたま、本田の所に、神様からのプレゼントのようなボールが来て、そのチャンスを生かしたわけで、たまたまうまく行っただけです。将棋で言えば、アナグマのような守り(将棋盤の両方の角に王を置いて、周りを将棋の駒でうめて守るというもの)して、引き分けでもよいし、速攻で1点はいればもっとよいというもので、初戦はうまくいきました。そんなサッカーをしていて、柳の下に二匹目のドジョウをさがしてもダメでしょう。また、こんな原始的なサッカーをしていたら、いつまで経っても、日本のサッカーのレベルがあがりません。つまらいの一言です。そう言うと、どんな手を使ってでも、勝てばいいではないかという勝利至上主義の方も出てきます。どんな汚くても勝てばよいという、気品のない人たちです。学校のテスト点数や偏差値だけに右往左往する人たちと同じ貧しい人たちです。
 岡田監督や解説者は、そんな戦法で守って勝とうとは思っていない、点を取りに行くとか言っていますが、よく言うなと思ってテレビを見ています。言行不一致もはなはだしく、それに騙されるファンのレベルの低さに、開いた口がふさがりません。2試合とも、日本は、守り専念のシステムでした。私には、第1試合は、1人のFW、4人のMF、5人のDFでした。第2試合は、FWの本田も守っていましたから、0人のFW、5人のMF、5人のDFでした。まさにサッカーのシステムなどあったものではありません。ただ、守って勝てばよいのです。このようなサッカーをすれば、点数の差も実力以上に開きませんから、負けても点差がないので、善戦したように思えるのです。しかし、それでは、負けないかもしれませんが、ほとんど勝てません(でも、初戦は、何かの間違いで、1点入ってしまいましたが)し、サッカーが上達しません。見ていて、華麗なプレーが、どちらのチームからもあまり生まれないでしょう。だから、ゲームがつまらないのです。ワールドカップの準決勝ぐらいの試合を見て比べて下さい。ボールがラインからあまり割らず、上手なチームが正面から力を出し合えば、スポーツではなく、試合がまるで芸術のように見えてきます。
 日本は、どうしてDFが5人か。4.5.1のシステムではないかと言われるでしょう。違います。阿部という選手が、MFと言いながら、実はほとんどDFの役割を果たしています。この阿部選手が効いているのです。つまり、中澤とツーリオがセンターバックですが、もう一人そこに阿部が加わって3人で守っているので、中央が堅いのです。つまり、相手の2トップのFWに対して、実質、3人のセンターバックで守っているのです。だから、なかなか相手は攻められないのです。つまり、FWを一人減らして、DFを増やして、アナグマのように守っているのですが、その代わり、その分、攻める選手が1名不足するのです。だから、大久保とか、松井とかが攻めても、何か選手が足らないなと思うことがあるでしょう。だって、1人DFを増やしているのですから。さらにいうと、阿部選手はJリーグでMFをやっていますか。浦和のセンターバックでしょう。ツーリオとかつていっしょに浦和でバックスをしていたではないですか。ツーリオは、ただいま名古屋のセンターバック、中澤は横浜のセンターバックですから、この代表チームには、3人のセンターバックを専門とする選手を入れているのです。これで、おわかりですか。
 もちろん、相手が強いのですから、守って勝とうというのは作戦としておかしくないですが、ウソを言っているのが許し難いところですね。だって、本当のFWは岡崎ですから、岡崎選手を外して、阿部を入れ、本来、MFである本田選手がFWのような位置にいるのですが、オランダのように強くなると、とてもFWの顔はできず、やむなくMFの仕事をして一生懸命守っていたので、なかなか攻められなかったのです。したがって、本当に勝ちにいくならば、きちんとFWの岡崎を入れて、阿部を外すべきでしょう。でも、これをやると、オランダ相手にけっこう効いていた守りをつぶすことになり、大敗をきっする可能性は出てきますが、本当に勝つ可能性も30%出てくるでしょう。でも、それでも30%ですから、惨めに負ける姿にならないように、おそらく、私に言わせば、幼稚な、面白くない、発展性のない、これまでどおりのアナグマ戦法でしょう。そうすれば、うまくいけば、引き分けられるし、負けても試合時間の長いあいだ接戦だろうから、「日本よくやった」「惜敗」ぐらいの評価はあるでしょうから。
 そういう戦法だと見なして、私は、いつか先に1点とられるのではないかと見ているのです。そうなると、引き分ける必要があるから、アナグマ戦法を崩して点を取りに行きますから、うまくいけばよいですが、いかないときには、かえって2点目が入ってしまう。それを繰り返せば、思わず、2点以上の差が開いてしまうのではないかという予想なのです。
 韓国も、ナイジェリアに勝ったではないかという方もおられますが、ナイジェリアは韓国よりも実力的に上であっても、すでに2敗しており、勝利に必死になるほどテンションが高くありませんでした。それに対して、韓国は必死でがんばっていたので、運も、神様のプレゼントがあっったのでしょう。ところが、日本の場合、デンマークがカメルーンに負けていて、戦意を失っていてくれたら、日本もチャンスがあったかもしれませんが、相手も必死でくるでしょうから、苦しいのです。
 ついでに言えば、デンマークの選手の所属チームを見てください。ヨーロッパの1流のリーグであるイタリアやイングランドに何人もの選手が、また1流半程度のドイツやオランダのリーグにも、けっこういます。それに比べて、日本では、本田選手がロシア、松井のフランスという、1流半よりもまだ落ちるリーグで活躍している選手、長谷部が1流半のドイツのリーグと見ていくと、個別に見ていっても苦しいのです。
 だから、合理的に考える限り、負けるのは確実なのです。ただ、前にも言いましたが、合理で行かないのがスポーツであり、また人生もそうかもしれませんね。合理でいくら押しても、非合理の部分が必ずあるから、面白いんですから。だから、非合理で行くように、祈りながら応援するしかないですよね。しっかり、日本を応援する方、しっかり応援してください。何かの幸運が起こり、勝つことを祈っております。私は、商売柄、ここは合理的に考えさせていただいて、あすの授業のために寝ます!!!明日は、お茶の水女子大でも授業をしないといけませんし。
 ではでは、合理的には考えが及ばない幸運をお祈りして寝ます、おやすみなさい。

 PS
 これまでの試合を見ての感想と予想。
 残念ながら、合理的に考え見て、応援してあげたいのだが、毎年おとずれる国のドイツの優勝はないですね。とにかく、願いと、合理的な思考とは別です。ドイツは、ドイツリーグの得点王が監督との遺恨ではずしているので、またキャプテンの予定であった有力選手がケガで出ていませんし、合理的に考えるとあり得ないのです。うまいトップクラスの2選手がいないのです。日本のアナグマ戦法にに1点しか取れないようでは、オランダもないですね。もちろんイングランドはもっと弱いですし。順当に行けば、優勝がブラジルで、2位がスペインか。あるいは、アルゼンチンか。以外と面白いのが、大穴でパラグアイか。この4か国の中から優勝国がでるでしょう。今回は、南米が強い大会ですね。もちろん、日本のベスト4はありませんよ。
スペインとイタリアは、予選で不覚をとったから、お尻に火が付いてがんばるかな、一度、死んだところから復活してがんばる人やチームは以外と強いですからね。でも、ラテン系だから、それは通用しないかな。個人的には、きれいなパス回しを見せるスペインに優勝してもらいたいのだが。スペインは、綺麗すぎて、点が入らず、優勝できないのが過去なんだよね。日本のような、下品なサッカーとは対象的ですから、ぜひ日本の方に、これが世界のサッカーだと、教えてあげたいのだが。これこそが、身長の低い日本であっても、世界に通用するサッカーなんだが。このレベルになる日本を楽しみにしているのだが、でも私が生きている間は無理かな。目指してほしいんだが、今回の監督の決め方では、将来はないかな。
 今回のワールドカップの結果はどうでれ、将来的に見れば、はっきりしているのは、岡田監督を続けさせてのは決定的に失敗だと、私は断言したいと思っています。たとえ、ベスト4になってもです。結果ではないのです。もっと、将来を見て、監督を決めなくっちゃいけませんよ。サッカー協会の小野技術委員長、田嶋専務理事、筑波大学のOBで、筑波大学の助教授でしたが、苦言を呈したいですね。お二人には、7年ぐらい前に、木曜日の午後1時半頃、体芸棟のエレベータの中で合ってから、お話をする機会がありませんが。これからの活躍を陰ながら祈りたいですが、また苦言も言いたいなーーー(笑)。

 
 そんなわけで、今回は、サッカーの話題で終わります。
 時間がないので、誤字等があるでしょうが、お許し下さい。
 

2010/6/15改訂版

 いや、奇蹟が起こりました!!
 あの実力の劣る日本が勝ちました。
 応援されていた方々、おめでとうございます!!
 でも、私の予想が外れて残念です。悔しいなーーーー。
  きっと一番喜んでいるのは、犬飼会長をはじめとしたサッカー協会の関係者ではないでしょうか。

 でもでも、憎まれ者、世にはばかるで申しわけないのですが、以前から表明している、「やはり予選リーグ2敗は確実で、予選敗退は、どうころんでも揺るぎません。」は、まだ堅持したいと思っています。奇蹟の奇蹟は同じ日本人としてまた願っていますが(特にデンマーク戦)、合理的にどう考えても、そうなるとは思えないのです。「心の教育」のような感じで、明晰な思考を拒否する人間にはなりたくないものですから、お許しを。最低限、現実を合理的に見つめないと。見つめた後で、祈るのはやぶさかではないのですが。
 

 良くて引き分けと見ていましたが、それもおそらくないだろうと思っていました。過去の記述を見ていただいたらわかるとおりです。
 勝つなら、相手のミスにつけ込んで、1点とっての逃げ切り、これしかないという勝ち方でした。サッカーは、これがあるんですよね。弱いチームが虎の子の1点をとって逃げ切ることが。もちろん、そのときには、GKのファインセーブ、ゴールバーやゴールポストのファインクリアーが、不可欠ですが。そこが、バスケットボールやハンドボールのように、実力と勝敗にかなり相関関係が強いものと、サッカーは違うんですね。だから、熱狂するのかなーーー。

 あのゴールシーンは皆さんは、どう見られたでしょうか。これから何度もあのシーンが放送されるでしょうが、私は次のように見ています。敵が5名、GKを加えれば6名、見方がシュートを入れた本田選手を含めて2名。だのに、どうして点が取れたのか。まず大きな理由は、ボールが丸く、手を使えないからです。突然、予想もしない何かが起きやすいことです。それを前提にした上で、本田選手が敵の中に入らないで、後ろに回り込んだ頭脳プレーです。そのようなプレーは、何もすごいプレーでも何でもないです。しかし、一応、そのようなポジションに位置していたところにボールが来ました。そこで、ボールを止めてシュートして点になったのです。だから、すごいと本田選手をマスコミはほめるでしょう。確かに、けなすつもりはないのですが、私はなにかそこに人生を見てしまいました。

 このホームページを見られている方は、何度も自慢げに書いているのでおわかりかと思いますが、昨年末から、この日本を救えるのは、本田選手であろうと。ただし、彼を使いこなすことは、中村選手をはじめ、遠藤選手とか、人気の豊富なMFがいるので活用できないが、と。彼は、つねに日本でも、オランダでも、ロシアでも、日本代表でも、MFでした。しかし、ご存知のように日本のFWがあまりにもお粗末なので、本田選手が、この本番に慣れていないFW,それも1人だけのFWとして、急抜擢されたのです。普通なら自分の誇りを持ってきた得意のポジションを外されて、やったこともないポジションを与えられたわけです。それでも、なんの文句も愚痴も言うことなく、チームのためにそのポジションで出場していたわけです。そんな選手だから、天から、あるいは神様、あるいは仏様から、あるいはサムシンググレートから、点を取れるチャンスをプレゼントされたのではないかと思いました。そのチャンスを活かすだけの技量はあったのでしょうが、よくビデオを見ればわかるように、それだけではないのです。解説者の中山ゴンが、右足の軸足に当たったのが、結果的によかった、という主旨の発言をしていました。あの意味は、おわかりでしょうか。あの場面で、本田選手は、左足で止めましたが、実はミスして、ボールが右にはねたのです。ところが、その右にはねたボールが、本田選手の右足のすねにあたって、止めるために上げたはずの左足の前に、まさに蹴りやすい場所にボールが戻ってきたのです。それを入れたのです。つまり、ミスが最高の結果を生んだのです。つまり、そこに、なにかすごいもののからのプレゼントがあったと見るのです。すごいものを信じないない人は、偶然という言葉で説明しようとするでしょうが、私は、偶然は必然と考える方ですから、そんな見方になるのです。頭脳を使って回り込めば、そこにボールが来るという偶然もしくは必然、トラップをするとミスるが、軸足に偶然もしくは必然にあたり、その結果蹴りたい足の前にコロコロとボールが転がり、きびしいヨーロッパでプレーしてきた経験を活かして落ち着いて入れる技術。そこに、技術、戦術、経験とともに、なにかプレゼントを見てしまいます。
 また、そこには、相手のミスもありました。おそらく、解説者はまず指摘しないでしょうが(本田選手のすごさを誇張するためにも)、私にはGKのミスに見えました。GKは、精一杯、セービングしたではないかというでしょうが、GKが日本よりも明らかにヘタでした。どこかの人気だけある日本のGKと同じです(失礼)。実は、あのシュートを打たれる瞬間、うまいGKならば、右側に頭がいくようにセービングします。左には、見方がいるのですから、精一杯、右に手を出すべきでした。反対です。それは、ミスというほどのことではないですが、ベストのプレーではなっかたです。しかし、それよりも大きなミスは、センターリングのときにゴール前に後ずさりしました。つまり、そこに大きなミスがあるのです。本田選手がトラップした位置を見てください。ゴールエリアの中です。ゴールエリアは、ゴールポストから、5.5メートルの位置に引かれたラインの内側です。そんなところへ、サイドからセンターリングが来ているのに、そんなところでボールがこぼれたらどうにもならないので、GKは外に出てパンチングなり、キャッチなりをしに、前に出るのがプレーです。あのときは、シュートでない以上、出るべきでした。手で触れるから、競っても負けません。そのうえ、ゴールエリアの中は、キーパーの保護区ですから、もし相手とぶつかってプレーが十分にできなかったら、キーパーチャージの反則がもらえます。だから、いくら守備範囲の狭いGKでも、絶対に出るべきなのです。ただ、その外から、ペナルティーキックマークマークの間は、そのキーパーチャージの反則はもらえないので、勇気がいるのですが、そこでGKの守備範囲が決まるのです。今回は、ゴールエリアの中で、足で止められる高さで来ているわけですから、絶対にGKが出なくてはいけないのです。その判断は、一瞬で決まります。あのGKは、その一瞬の機会を逃がしたので、とりあえず、ゴールラインまであとずさりして、その場を繕おうとしたのですが、それができなかったのです(このプレーができず、Jリーグで、この失敗を繰り返しながら、入れられると、いつもDFのせいにしているのが、人気のある、あのGKです)。もし、このGKは、このプレーが苦手だと,日本のコーチが敵情視察で見抜いていて、それゆえに外から何度もセンターリングをする攻撃をしたのであれば、隠れた敢闘賞ものですね。

 実は、昨日は、前半戦が始まりやいなや、まあ負けるのではないかと思っているものですから、お風呂に入っていました。しかし、あのMFの人気選手が出ていなかったので、ある程度は、戦えるかなとも思いつつ、30分ほど経ってから、風呂から出てきて、まだ0−0だから、なかなか健闘しているんだと見ていました。すると、点が入ってしまったので、ついつい最後まで見るはめになってしまいました。

 それから見ていて思ったのは、日本のサッカーは、まったく素朴な数十年前のスタイルで、まるで我々が中学校でやっていたことだなと思って見ていました。アナウンサーも、「スルーパス」、「キラーパス」、「プレスをかける」、「司令塔にパスが入った」、「全員で守って全員で攻める」「もっと横パスを」「コンパクトなサッカー」などとあまり言っていませんでしたね。つまり、レベル的に言えば、初歩のサッカーをやっていましたね。FWは攻めて、あまり守らない、DFは、守りを第一にして、あまり攻めに行かない(ツーリオがその象徴でしたね。練習試合でオンゴールをして、人間が変わったのかなと思いました。いつも、こいつ、自分のポジションの意味がわかっているのかと思っていましただけに)、ボールが来たら、ドリブルで突っかける、一対一できちんと当たり、ダメなときはすぐにフォローに入る、サイドが空いているからそこから攻め上がり、センターリングを入れる、とかです。最新の技法をいくら取り入れてもダメなので、いっそうのこと、前近代のサッカー、良い言い方をすれば、初心に戻るという感じでしたね。初心にもどって、自分の役割を果たしていたら思わず、奇蹟が起こったというべきでしょうか。

 それを見ていてふと自分の道徳教育の分野を振り返ると、おもわず、そうだと思ってしまいました。教育現場では、道徳教育がうまくいかないので、あれこれ、アメリカの理論、とくに臨床心理学系の技法を取り入れてみたり、むきになって道徳資料の作成にとりかかっているようですが、いくらやってもダメなのですから、いっそうのこと、日本サッカーのように、道徳教育の初心に戻ったらどうかと思いました

(初心にもどるというのは、道徳の基礎基本ではないのか!道徳教育を専門にしているえらそうな関係者は、まず自分自身の道徳の足下を見て、初心にもどってはいかがか!!自分で道徳的な行為の基礎基本もできないくせに、「道徳教育の充実」や「若者の社会規範の低下」などと声高に叫ばないでもらいたいものです!!!それを
偽善者と呼ぶのです!!!!
そこで、自戒を込めて言うと、

心理カウンセラーになりたがる人に限って心理カウンセリングを必要としているのと同じように、道徳教育を専門にしようとする人に限って、道徳教育を必要としていませんか!!!!!


つまり、「道徳の時間」の特設の学習指導要領、つまり昭和33年版に立ち戻って、考えたらどうかと思います。そこに、なにか改善の大きな手がかりが潜んでいるような気がするのですが。何か、昭和43年版、昭和52年版、さらに平成元年版・・・・と、工夫をすればするほど、なにかおかしな方向に進んでいるような気がします。道徳教育だけでなく、他の分野もです。道徳教育については、昭和32年版に、他の分野のことも含めて考えるならば、昭和22年版までもどって、これからの日本の教育を考えていったらどうだろうか、そこになにか今の閉塞情況を突破する鍵があるのではないか、そんなことを連想してみました。
 困ったときは、何ごとも、勇気を持って初心にもどりましょう。山の中で道に迷ったら、元にいた場所に戻るように。それも勇気ある撤退だと思いますね。学生さんも、何か迷ったときは、「なんでも相談室」に、などと、どこかの方のように自分を存在意味を、つまりアイデンティティーを、人の悩みの相談には見出したくありません。どうぞ、一度、故郷に帰って、知り合いに会ってきたり、空や星を見てきてください。できるかぎり、自分のちょっとした工夫で、自分の難局を乗り切ってください。
 「人生は思い通りにならないからこそ価値がある」
と、考えてはいかがでしょうか。



2010/6/8改訂版

いやいや、いそがしくやっております。でも、元気です。

『教職研修』7月号には、編集長にはご迷惑をかけましたが、穴をあけずに済みました。来週に書店に並ぶはずです。顔写真は、2年前にドイツのニュルンベルクの画家デューラーの家の前で撮ったもので、少し若い頃のものです。実は、その8月号も執筆するので、20日に締切です。今回も、締切まで無理かもしれません。

あと2冊の本も書かねばなりません。1冊は、教職大学院生向け程度のテキスト、もう1冊は、高校の検定教科書。対象の相手が違うので、なかなかやっかいなのです。

そんな仕事があるなか、毎週金曜日の午後は、お茶の水女子大に教えに行って、よけいに忙しくなっています。半年だけなので、もう2ヵ月だけだ。教えるのは苦にならないし、女子大で教鞭をとるのも初めてでそれなりによい経験で楽しくやっているのですが、通勤に疲れますね。毎日、車で10分の暮らしに慣れているのと、歳のせいで。そのうえ、毎週土曜日は学会の理事会だし、この前の日曜日は甥の結婚式で、大阪を日帰り。

そんなこんなでバタバタしている近況ですが、どうもワールドカップが近づいてきたようで、ここ数日、サッカーどうだろうかという話しになります。私は、答えは一つ。ずーと前からここで言っているとおり、いつも同じ回答しています。すなわち、次の通りです。

日本は3連敗で予選敗退です。なにか間違いがあって奇蹟が起こっても、奇蹟は何度も起こりません。1度だけですから、やはり予選リーグ2敗は確実で、予選敗退は、どうころんでも揺るぎません。
それどころか、次は出場できないでしょう。よほどの反省をしない限り、アジア予選で、おそらく敗退だと思います。

すいませんね。希望のないことを言ってしまって。
自虐的と言われそうですが、そうじゃなくて、道徳にいつも付随している反省、猛省の意味です。サッカー関係者や日本国民は、すべてここでそうすべきだと言いたいのです。
未来のために反省すべきで、ごまかしてはいけないということです。
理由は?
できるだけ、簡単に回答しておきます。

基本的に、世界のサッカーのランキングを見てください。予選4チーム中、2チームが決勝トーナメントに進めるのですから、順当に行けば、そこで4番目のランキングの日本が2位に入る確率は、常識から考えても、おかしいでしょう。この現実を、合理的に思考すればすぐにわかることです。だいたい、「心の教育」とか言って、そのときの気分や感情にゆだねるような指向では、困ったことです。理知的な「合理的思考」を大切にしてもらいたいものです。学習指導要領でも、道徳教育の内容項目の中に、「合理的思考」を大切にすることが、昭和33年版にはありましたが、平成になってからは、新学習指導要領でも、「心」の感じ方を大切にするのでしょうか<皮肉>、「合理的思考」が削除されていますから、ほんとうに困ったものです。「情」だけで、世の中、うまく行くはずないのに。

しかし、サッカーは他のスポーツと異なり、実力が逆転していても、ゴール場面があまりないために、以外と、弱いチームが先取点をとると、逃げ切るということがそこそこあります。だから、以外と番狂わせが贈るスポーツです。その意味で、守勢を保って、カウンターで点を取って、守りきるという方法があります。
しかししかし、日本チームには、それには不向きな選考でメンバーが選ばれています。中盤のMFが、攻撃中心の布陣で、地味な守りの強いMFをもっと優先的に入れるべきでした。ついでに言えば、守備のDFもです。DFで攻撃力の持った選手よりも、1対1で負けない、確実の守れる選手が必要なのです(以前の井原選手ような)。なぜか。相手は、明らかに強いです。強いチームとぶつかれば、攻撃時間よりも、守備の時間が長くなります。つまり、フリーキックのうまい選手よりも、攻撃のできる選手よりも、守れるメンバーがほしいのです。ところが、人気選手は、攻撃型のMFになります。遠藤、松井、中村、長谷部、本田、大久保(FW選出だが、MFでしか使えない)など。これらの選手は、アジア予選など、日本よりも弱い国に対しては、守りにこだわらなくてよいのですから、攻撃型の布陣でよいのでしょうが、ワールドカップでは、アジアチームとは当たらないのですから、南アフリカにあたらない限り、ほとんど日本より強いわけで、守備が強くなければいけません。どうしてそうしないのか。おそらく、たぶん全敗になると監督は心では思っているので、そのときに、上記のスター選手を出さないで負けたら、批判が監督に来るのを恐れているのではないでしょうか。こんなスター選手を出したのに負けたとしておけば、選手の実力のせいで、監督への批判が少ないようにしたいのではないだろうか(特に、選手名はあげませんが、昔の名前で出ている人気選手もいますね。この選手を出せば、最初から、10名で戦うようなものです)。選手たちの上に立てる監督ではないのですから、しかたがないですね。そして、選手も日本代表に選んでもらいたいから指揮官に何も言えない腰の抜けた選手たち。また、そのへんのこともわからないで、苦情を言う日本のファンのレベルですからしかたないし、そのような監督しか選べない協会なのですから、どこから見ても、ベスト4など、冗談は寝言だけにしておいてほしいものです。
ベスト4は、ドイツは無理だとドイツ国内では言われていますし、ドイツ国民もやばいと思っているはずです。3月にドイツのテレビを見ていたら、ベスト4候補に、スペイン、イタリア、ブラジルのところに、アルゼンチンに内容的に練習試合で完敗でしたので、アナウンサーが解説者元GKカーンに質問していました。確かに、アルゼンチンを入れてしまったら、これでベスト4は、決まりになります。ドイツ人は、予選突破は楽勝だけれど、冷静にその事態を知りつつ、あえて何とかならないのか、と問うていたわけでから、日本人と違って現実をよくわかったいるのです。だって、ほかにイングランドもオランダという強豪国もいるのですから、よほどがんばらねばベスト4は苦しいと。そんな情況にあって、「日本がベスト4を目指す」「優勝を目指す」など、気持ちはわかりますよ、何しろ、虚構の「心の教育」に何の疑問も持たない日本国民ですから。でも、現実は、真摯に見てもらいたいものですが。

私は、12月21日改訂版で、つまり半年前に書いたときと基本的に見方を変えていないのです。そこの中心部分は次のようなことです。

日本の岡田監督は、コーチとしての分析力はあるものの、中東やオセアニアから、監督の招聘もないレベルですから、大胆な選手起用はできないでしょう。所詮、日本は全敗でしょうが、日本を少しでも強くしたいのであれば、中村選手とポジションがかぶるのですが、本田選手を中心にチームを作ることだと思います。偉そうに言うついでに言わせていただければ、彼は世界では1流半レベルですが、1流選手と戦うとき、彼には、大型の選手に当たり負けない強靱な体とファイト(気持ち、闘志)があります。そのために、この選手は、1流選手相手にかなり戦えると思いますが、おそらく監督も、他の選手も、彼を生かし切れないと、私は見ています。・・・・

そして、全敗の後、どうして次のワールドカップは危ないか!
それはね、私の予想では、アジア、オセアニアの代表は、すべて予選リーグ敗退でしょう。そうなると、枠の削減がくるでしょう。現在は、4.5枠で、結果的に、ニュージーランドを含めて、5チーム出ています。おそらく、全敗なので、見直しで、0.5枠削られて、4枠になるとします。すると、出場は、オーストラリアと韓国は決まりです。次に、今回は中東諸国は1国も出場していませんが、今度は、絶対にサウジアラビアか、どこか必ず1国は出てくるでしょう(2国もありますが、その時ならこの時点で予選敗退確定)。そうすると、あと1枠。そこにおそらく中国の方が強くなるでしょう。北京オリンピックのあのときの23歳以下のチームが20歳代後半になり、実力をつけるでしょう。あのときの体格、とてもアジア人とは思えないくらいの選手を選んでいました。あのときは、まだ体だけで、監督もたいしたことがなかったけれども、きちんとした監督を招聘してきちんと組織プレーをやれば、体の小さい日本なんか、歯が立ちません。現時点で、ほとんど実力差がありませんから(事実、最近、日本は勝てていませんよね)、4年後には、完全に負けるでしょう。したがって、日本は、ワールドカップに、よほどの反省と改革をしない限り、4年後はないでしょう。それを避けるためには、川口選手とか、4年後に可能性のない選手を多く選ぶのではなく、もっと4年後を睨んで、中国には勝てるように、次回に活躍できそうな選手を、補欠選手としてでも選んで今回のワールドカップに同行させて、経験させるべきでした。ところが、これも推測ですが、監督自身が4年後に監督である可能性はまったくないのですから、そのような未来に投資をしようという発想はなく、なんとか3連敗を逃れたいので、今が旬の選手を多数選んでいます。日本のサッカーの将来を見据えていないで、今回の、3連敗に、過去の日本が築いてきたものを、すべて枯渇させてしまうのが、今の日本の監督と協会の見識だと見ています。数週間後に、どのような反省をし、どのような責任をとるのだろうか、残念ながら、私の興味はそこに向かっています(涙、涙、涙)。

サッカーの話しになると、ついつい熱が入ってしまう悪い癖。おじさんのぼやきと思って,許してやってください。もちろん、
日本の勝利を期待している方、どうぞ私の予言が外れることを心より祈念しております。

辛口なコメントをしていると、ついつい日本の教育界もちらちら出てきます。日本の教育も、今さえ良ければ、という発想の教育が幅をきかし、長いスパーンで教育を見ようという発想が弱まっています。何か言えば、発達。発達をチエックする評価。うまくいかなければ発達障害や発達遅滞。「発達」「発達」ではなく、「成長」と見据えてもらえないのでしょうか。「発達」は、「させる」という上から見下した語感が強く、目的格的に使われます。それに対して、「成長」も「させる」という意味でも使いますが、「する」という主格でも大いに使えます。そんなわけで、「成長」を意識的に使いたいなと思いつつ、今日の近況報告を終わります。



2010/5/18改訂版
 緊急事態発生!!!
 出版社2社から早く原稿を出すように催促の電話にメール。
 そのうえ、20日の締切原稿、とても書けそうにありません。これから、締切を延ばしてもらうよう交渉します。でも、この原稿の延期をしているかぎり、他の2社の原稿は進みません。ピーーーーーーンチ。
 そんなわけで、本日の更新はこれまでで失礼しまーーーーーす。
 とにかく元気にはやっています。ただ、言えることは、病気している暇、悩んでいる暇がありません。もちろん、自殺をしている暇もありません。元気でやるしかない状況においこまれているのが、今の近況です。

 それでも、5月26日(水)に、小学校教員認定試験の講習会を、昼休みに
2H201教室で予定通り開催しますので、学生の皆さん、ご安心下さい。
吉田先生は不死身です!!!!!!。



2010/5/10改訂版

 連休を原稿執筆の費やしましたが、まだメドが立たず、厳戒令が解除できません!ますます、追い込まれてきた雰囲気です。複数の本の執筆がすまないところに、20日に月刊誌の原稿締切が来ます。『教職研修』7月号に穴をあけてしまいそうな雰囲気。いやいやいや、がんばらねば。

 そんな緊急状態の折、気晴らしにマスコミに目をやると、付和雷同のような、同じ論調の話しばっかりが繰り返し流されています。まるで大本営発表のような戦前の雰囲気ではないかと思ってしまいます。沖縄問題については、普天間基地がどうの、県外移設は無理、5月決着は無理、など、すべて同じ論調です。これでそのとおりになればよいでしょうが、もしこれがたとえばテニアン島とか、外国に決まったら、国民を迷わした報道の責任をどう取るのか、と思ってしまいます(日本の報道によると、そのようにはなる可能性は少ないそうですが)。同じように、日本サッカーが、ベスト4だと騒ぐけれど、予選リーグで全敗のときは、言い出した方々は、見通しが甘かったと謝罪するのですか、と思わずつっこみたくもなります。特に、「心の支柱」とか言って(そもそも心に支柱はあるのか、とも言いたいところですが)、Jリーグにも出場していない選手をいれたようですが、そのように考えるなら、なぜあのとき調子の落としていた「三浦カズ」を外したのか。そのとき、それで「心の支柱」がなくなって3連敗したという失敗をしたので、今回はその反省に立って、つまり「過去の三浦カズはずしは失敗しましたので、今回はそれを防ぐために、未来の有望株を捨ててまでその種の選手を今回は入れました」と、過去の過ちを言うべきでしょう。「過ちて 即ち 改むるに 憚ることなかれ (あやまちて すなわち あらたむるに はばかることなかれ)」を、上に立つ大人がやってくれたら、子どもたちや青少年にどれだけの道徳教育になったことか!!!!。大人が範を示さないで、若者に規範意識や道徳を求めても、子どもはそのあたりを敏感に読み取り、何の効果もないどころか、規範意識や道徳は嘘くさいという印象を子どもに植えつけて、規範や道徳に不信をいだかせるだけでしょう。大きなチャンスを大人社会は逃がしてしまいました。 

 その今日のメンバーを知って、確信と共に、4年後にもつながらない人選に開いた口がふさがりません。次は、アジア予選も勝ち抜けないと思えてきます(なにしろ、今回は、日本はじめ、オーストラリア、韓国、北朝鮮、ニュージーランドのアジア枠から出ている国々は、おそらくすべて予選敗退ですから、アジア枠が減らされるのではないでしょうか。だって、スウエーデン、ギリシャ、ロシアなどの欧州の強豪が出場できず、こんな弱いアジア諸国がたくさん出ているのは、どう考えても不自然です。そのうえ、きっと、今度は、中東地域から一国は出てくるだろうし、中国は日本を越えるだろう)。それと同時に、今になると、先を見通せる中田は、このことを予測して、とっとと現役を引退したのではないかと思えてきます。そこで話しがとびますが、知り合いに(少し何回かしか話しをした関係でしかありませんが)、現在神戸製鋼のコーチをしている大西一平さんという人がいます。彼は、高校や社会人で全国優勝したラクビー選手ですが、監督の選考の意図が理解できないと言って、日本代表を辞退した人(今では伝説のように語り継がれる大学の早明戦で、ゴールライン数メートル手間で必死で防御する早稲田に対して、バックスにボールを回せばトライのできる確率が高く、逆転できるのに、断固自分たちのラグビーである「前へ」の北島監督の精神を貫き、フォワード勝負を仕掛け続けたときのキャプテン)です。こんな気骨な選手が、サッカー界でも出てこなくては、ただ日本代表に選ばれるためだったら、いや三浦カズや北澤のように生意気な態度を示すような選手ははずされることを恐れて、「ベスト4を監督とめざします」と、ウソを平気で言うようなゴマスリのアスリート選手(今、三浦カズのように調子を落としている選手がいるでしょう!)が出てきているようでは、とても今の日本サッカーに明日はない。こんな腰抜けでは、選手も子どもに夢を与えられません。でも、腰抜けに近いのは、日本のサポーターもだ。先日の親善試合で、補欠選手のチームに、0−3で負けていても、まだ「ガンバレ日本!」をやっているのには、驚いてしまいます。おそらく外国なら、試合中、ブーイングの嵐でしょう。場合によっては、グランドへの乱入などなど、でしょう。そう考えていくと、監督、選手、サポーター、などがそうなんだから、起こるべく起こている現象と思えばよいのかもしれませんが。あーーーあ。

 また、この忙しいときに、サッカーに口を出してしまいました。反省!!!!!。

 そんなわけで、忙しいですが、元気にやっております。

 PS.
そんななかでも、5月26日(水)に、小学校教員認定試験の講習会を、昼休みに2H201教室で開催します。ご希望の方は、ご連絡下さい。たぶん、大学新聞に掲載されているはずです。






2010/5/4改訂版

 2日16時に信州に向けて出発(22時20分到着)、3日の16時20分出発して、上信越道で富岡から藤岡までの10キロの渋滞に阻まれながらも、23時30分、筑波にもどってまいりました。疲れたーーーー。でも、疲れている暇はありません。人生、残り時間はそんなに残っていません。さー、仕事というか、勉強というか、研究というか、とにかく悩んでいる暇はありません。才能のない人間は、とにかく人が連休のこのときに気を抜いているときがチャンスで、人の3倍やらねば、アホの吉田先生は、才能のある先生方に追いつけませんし、勝てません。

さあー、やるぞーーーーーーー!

 そんなわけで、元気に筑波にもどって机に向かっています。
今日も、そして祭日の明日も。そして、平日の次の日も・・・・・・。


2010/5/2改訂版

 また、1週間も更新が遅れましてすいません。どうにも、厳戒令が解除できません。ある方はからは、今年中厳戒令になるのでは、というご心配いただくしまつです。何とか、そんなことのないように努力したいと思っているのですが・・・・・。
 でも、悪い予感が・・・。まず、本の原稿と雑誌の原稿がすでにブッキングを起こしています。そのうえ、今年は、新しい学習指導要領に対応した、高校生の「倫理」の教科書を執筆することになり、ますますたいへんな状況です。そのうえ、免許更新制の講習会が、6時間で1日、「心の教育からの脱却と道徳教育」というテーマで、6月の日曜日、8月の平日に各1日、やらねばならないことになっています。選択科目なので、受講希望者が少ないと不開講になるのですが、幸か不幸か、すでにどちらも募集定員を大きく上回り、定員を増やして受け付けてよいかの了承を求める連絡が来ている状態なので、実施は確実です。普通は40名ぐらいでよいのですが、私のような講義を聴きたいという、変わった方にはできるだけ応えてあげようと思い、100名までOKと言ってしまっている以上、テストの採点もたいへんになりそうです。自業自得と言われそうですが、これも使命かと思い、がんばる所存です(歩合制で、謝金を増やしてほしいですが、でも無理でしょうね(涙涙)。
 さらに、今年も、忙しいので他大学への非常勤講師は引き受けないことにしていたのですが、今年だけで、半年だけだという条件なので、お茶の水女子大の大学院からの依頼をお引き受けした関係で、今年の金曜日の午後は東京に出かけなければならなくなり、ますます多忙になりました。でも、そこでの授業はわずか数名だけで、かつシュタイナー教育の話しだけですので、そんなに準備も要らないところが救いですが。女子大で教えるのも一生に一度くらいはよい経験になるかと思い、勤めております。そこでの楽しみは、大学生協で、お茶の水大学のグッズをお土産に買って帰ることです。先日は、94円のネーム入りの色違いのボールペンを5本買って帰りましたが、その日の夜に、家の子どもたちに見せびらかしたら、すべて取られてしまい、手元には1本もありません。今度は、子どもに見せないで、ボールペンを大学に持って行くことにします。えも、次回は、「お茶大饅頭」、その次は「お茶大のお茶」を買って帰る予定です。なにしろ、お茶の水大学は、付属校に天皇家の子どもさんが入学された関係で、入校が厳しくなったので、このような機会がないと、お茶の水グッズが大学内限定販売を買いにくくなりました。関西人は、「限定」という言葉に弱いですから、ついつい買ってしまいます。でも、こんな楽しみがあると思うと、ストレスもたまりませんし、「お茶の水グッズ買い物依存症」も許されるかなと思っているところです。このような気軽に安く買えるグッズ(100円以下)がない筑波大学は、遅れていますね(筑波大グッズはあるのですが、大名商売のような、関西人から見れば商売下手と言いましょうか、少し高額なものが多すぎますね)。改善を望みたいですね。

 それから、6月の末には、1年前から依頼されていた筑西市の子育てサークルで、講演をしなければなりません。でも、これも社会貢献ですから、ホームページに記しましたように、交通費だけいただいて、謝金なしのボランティアで、シュターナー教育について話しに行く予定です。忙しいですが、私のくだらないお話しで満足していただけるなら、そして世の中のためになるのなら、本務に支障のない範囲で行かしていただきます。人を助けるような善人の顔をして(もちろん、本当の自分の顔を見せないで)メンタル・ケアを行って、高額のカウンセリング料をもらう、あるいはそこでのカウンセリングをネタにして学会発表の内容に、そして啓蒙書の内容に活用するような「心の専門家」との差異性をつけるためにも、行かねばなりませぬ。教育や養育や福祉や医療や宗教などという人の弱みにつけ込み職域では、人に悩みをもたせるように、わざわざ自分の仕事を作り出して、寄生する人たちが増殖しやすい分野ですから、しっかり肝に銘じておかないと、自らが堕落してしまいます。特に、道徳教育ですから、永遠に危機だ、問題だ、不十分だ、と叫んでおけるだけに。

 今年は、連休中は忙しくて奈良にも帰れそうにありません。今から、夕方出発で、妻の信州だけ1泊2日の強行スケジュールで行こうかと思っているところです。

 木曜日には、平常通り、授業をします。体育学群2年生の方々、授業がありますので、そのつもりで。そうそう、その授業を受講している学生で、熊谷沙希さんが、このたび、大学生で唯一、女子サッカーなでしこジャパン(日本女子代表)に選ばれ、日本合宿後、中国に試合に行くそうで、欠席になるそうです。社会人の中で試合に出場できるかどうかわかりませんが、まだまだ若いのですから、ケガのないように、がんばってきてくれたらと思います。先日、欠席届を持って4月30日の金曜日に報告にきたので、「ケガには気をつけて、がんばってきなさいね。授業のことは、帰ってから考えましょう」と言ってあげたら、ニコッと笑って帰っていきました。健闘を祈ります。

 金曜日の2時間目もも平常通りに授業をします。
 ではでは、近況報告でした。



2010/4/18改訂版

 10日も更新が遅れてすいません。それまで、何度も来ていただいた、延べ150名ぐらいの方、申しわけございませんでした。あいかわらず、戒厳令の状況です。

 授業が始まって1週間、あっという間に過ぎました。そんなわけで、近況報告もできませんでした。

 その間、マスコミを横目でちらちらと見ていますと、サッカーについては、ようやくワールドカップのベスト4は、妄想というか、監督の暴言というか、であることが、世間的にもわかってきたようですね(もう、手遅れですが)。やっと、日本は、1勝を目指すべき、という記事もみましたが、それもほとんど不可能です。でも、ようやく願いというか、希望というか、現実的な内容が出てきましたね。そうすると、今から1年前や数ヶ月前のマスコミは、なんだったのでしょうか。視聴者や読者を引きつけるためとはいえ、無責任にもほどがありますね。ついでに言えば、豚インフルエンザの時の過剰な報道、それにつられるように、ワクチンを我先に打とうと思っていた人々の騒ぎは、何だったのでしょうか。マスコミに、ほんとうにおどらされてはいけないことを学ぶべきでしょうに。最近では、5月に基地問題は解決しないから、総理は辞任という論調で、報道がされているようですね。でも、少し覚めた目で見ていると、もしどこかの基地問題がなんらかのかたちで解決すれば、マスコミ関係者は、一国の総理をバカにして、どのようなお詫びと謝罪と反省をするのでしょうか。もちろん、基地問題が解決しなければ、得意げに語ることもできるでしょうが。サッカーにしろ、基地問題にしろ、結果はどうなるかわかりませんが(私のインスピレーションでは、サッカーのベスト4よりも、基地問題の解決のほうが実現可能性ははるかに高いと思いますが)、井戸端会議ではないのですから、日本のマスコミは、もっと付和雷同的な報道をやめたほうがよいと思います。むかしの大政翼賛会的な大本営発表と同じで、我々は、それに振り回されて痛い目にあった国民性を忘れてはいけないと思いながら、最近のマスコミ報道を見ています。それと同時に、見通しや見解がぜんぜん違う、さまざまなマスコミがもっと日本で育たないといけないのにと思ってしまいます。

 そのことから連想すると、まったく画一的な社会でありながら、教育面では個性教育というのは、何かおかしいと思いますよね。子どもの個性の伸長をいうまえに、自分たちの社会や自分たちの付和雷同の人間性を変えなければ欺瞞です。同じようなことが、道徳の授業の中で行われているだけに残念です。道徳の時間に、友だちの友情や思いやりを唱えても、現実の学校では、成績順位や内申書がつけられ、友だちを蹴落とすことによって、よい上級の学校に進学できるシステムが日本の学校なのですから、子どもが道徳の時間に道徳を身に付けられないのは、当然のことでしょう。学校それ自体を変えないで、道徳の時間の指導方法だけよくしても、ますます欺瞞な子どもと道徳不信の子どもを育てるだけです。そんなことも考えずに、子どもに道徳の時間に良い指導を行ったと自負している先生がおれば、その場の先生(大人)の顔色だけを見て、うまくその場の答えを言い、その場を巧みに切り抜ける子どもを作っているだけではないのかと思い続けています。
 そんなわけで、ここ5年ぐらい、道徳の時間を見に行きたくない気分を持ち続けています。もちろん、日々、授業を行っている先生には、罪はないです。そんな学校のシステムを解決せずに、いや目を向けずに、徳育の必要性だけを声高に叫ぶ人には、ほんとうにありったけの批判をしたい気分になります。

 こんな心境を報告することで、今日の近況にかえさえていただきます。



2010/4/2改訂版

 戒厳令中にもかかわらず、明日から急遽、奈良に新幹線で帰省します。車のほうが経済的ですが、きっと道路も渋滞しているだろうから、また電車の中で本も読めるので、そして安全だから、新幹線にしました。

 以下のだけの理由ではないのですが、中学校(奈良教育大学附属中学校)の恩師(3年間の学級担任)のU先生(御年84歳)が、講演されるとの報を受け、もう大きなところでの講演もそんなにないだろうと思いますので、この際、戒厳令を破るという大罪を犯してでも、1人で帰省して、聴講に行くことに決めました。たぶん、奈良の歴史と共に、その保存問題を語られると思います。

 奈良の道路をご存知の方ならわかると思いますが、京都から奈良に国道24号線で入ると、まっすぐであった道路が急に左に大きく迂回して平城旧跡の東端をかすめるように走っており、まさにS字の逆さまになっています。そこを通過すると、これまでの道路の迂りがウソのようにまっすぐ南に向かっています。この道路は、私が小学校から中学校に入るころにバイパスとしてできあがりました。その頃、平城旧跡に社会見学に行ったとき、歴史の専門であるU先生は、熱っぽく奈良の歴史のことと、その保存のことを語っておられました。その保存に関して、道路の問題を話されていたようですが、あいにく、勉強嫌いな私は、早く話しが終わらないかなと思い続けておりました。どうもあとでわかったのですが、それが迂っている24号線の話しのようで、計画では最短距離を行こうとするために、二つ並んでいる前方後円墳の真ん中を抜けて、そして陸上自衛隊の敷地を抜けて平城旧跡のど真ん中を南北に横切るというものだったそうで、先生ご自身が歴史を守るべく反対運動に参加していたそうです。その人たちの声が実って、今のような道路になったそうです。以前には保存という意識は薄く、近鉄奈良線ができたころは、まったくその意識はなかったため、今でも平城旧跡のど真ん中を東西に抜けています。おかげで、近鉄奈良駅に着く前に、かならず平城旧跡を見学することが電車の中からできますが、見方をかえれば、古都奈良の破壊も本当にはなはだしいですね。もし、当時、そうした反対運動が実らなかったら、現在、さらに平城旧跡が南北に片側2車線の道路で分断されていたわけですから、平城旧跡は、四等分されてバラバラになっていたと思うと、ぞっとしますね。それと同時に、その当時に反対運動を起こした人たちの勇気と、その声を聞いた国道建設の関係者の英断に、感心しますね。いまさらながら。きっと、私にとっては、日曜日は、40年前に聞き損ねたそのあたりの話を聴くことになるのではないか、と想像しています。

 実は、博士論文を本にした『シュタイナーの人間形成論』という拙著の「あとがき」に、これまでお世話になった方々の名前をあげさせていただきました。これまでの人生で、困ったときとか、なんかのときには、必ずありがたい出会いがあります。それが多くて、とてもすべてを書くことができませんでした。このU先生も、そこに記せなかったお一人なのです。
 あちこちでお話しするのですが、多くの人はなかなか信じてくれません。このホームページにも、何回か、そのことについて書いたことがあります。お恥ずかしいことを暴露しますと、実は、中学校1年の最終成績は、組みで一番最後で、学年で最後から3番目でした。何しろ、英語は、100点満点の8点ですから、並の人間ではできません(笑)。大の苦手でした。そんな調子でしたから、なかなか成績が上がりませんでした。勉強しようかと思ったのは、サッカーの奈良県大会で夏に片塩中学校に負けて、部活をやめた中学3年のときからでした。恥も外聞もなく、わからないことは、まわりの優秀な友だちにたずねました。附属中学校ということもあって、優秀な人たちは本当に優秀でした。しかも、あまりのお粗末さに、みんなは競争相手にもならないので、慈悲の心で親切に教えてもらったように思います。だからいまでも、同窓会になると、「吉田君、3年生のときに、3人称単数にSを付けることを私が教えてあげたの、覚えてる」という話しになります。その多くの人たちは、一流高校を経て、京都大学、大阪大学、お茶の水女子大など、有名どころの大学に入学されていくことになるのですが。それに対して、私は、負けん気でがんばったせいか、3年の最後の模擬試験でも、奈良県では一気に上位1割まで上がったのですが、何しろ内申書がひどく、とてもよい公立の進学高校は行けませんでした(県では上位になりましたが、中学校では、最高で真ん中を越えて中の上に成績が到達することは一度もありませんでした。つねに、真ん中よりも下でした。今から考えると、附属中学校の中ぐらいの成績者あたりからはそこそこ優秀で、いくらがんばっても自分の頭では勝てそうもないことを実感していました)。そんなときに、「奈良育英高校にサッカーで来ないか」という声が聞こえて来たのですが、親が「私立などやれない」の一言で、話しはつぶれてしまいます(ちなみに、そのとき、集められた人たちによって、奈良育英高校は初のインターハイ出場になるのですが)。そこで、仕方がないので、内申書を重視しない国立の高校しかないということになり、大阪や京都の教育大学附属高校に行くにはとても能力はないので、当時それよりは少し簡単そうな国立奈良工業高等専門学校にチャレンジすることにしました。これが持ち前の低空飛行で運良く合格し、工業を勉強することになりました。そんな動機で入ったものですから、やる気は起こらないし、進路変更、つまり中退を考えるようになりました。そして、2年生の終わりには、3年で退学すると腹をくくり、独学で普通高校の勉強をはじめようとしていた春休み、偶然、奈良駅の近くの小西通りで後呂先生にバッタリ会いました。当然、後呂先生は、「どうしているか」とたずねられるので、私もウソも言えず、決心を明かしました。すると、先生は「ちょっと来い」と言って、喫茶店に連れて行かれ話しを詳しく聞いてもらいました。先生は、工業高専から、すべて独学で普通高校の勉強をできるのか、特に、英語ができないので、3年生から工業高専で習い始めるドイツ語で勝負する、という話しには心配されていました(今の時点から振り返ると、英語が苦手だから、このおかしな、やけくその行動が、やがてドイツ語をやるきっかけになり、ドイツに興味を持ち、のちのシュタイナー教育研究の礎になるなんて、とても当時の私が考えるわけもなく、とても人間が用意したとは考えられないと思わざるを得ない、ストーリーなのです。本当にだれが、私の、一見回り道のような迂回路を歩ませながら、実はその道が正解の道になっているという、人生の計画を立て、おかしな人生の問題集を作ったのか、摩訶不思議としか言いようがありません。そのような謎を解くために生きていると考えたら、人生も面白いですね。自死してしまうなら、その謎解きに挑戦しないで、秘密を知らないで死んでしまうのですから、もったいないことになりますね、)。そのときに、「中3のときも、なんとかなったように、がんばればなんとかなる。また、奇蹟が起きるかもしれないし。もし、1年で合格しないときは、1年間だけ、家で浪人させてもらえそうだし、1年間浪人して受験勉強に専念すれば、どこかの一番簡単な国立大学に入れるだろう」と見通しをお話しして、最後に、「それでも通らなかったら、そんな腰抜けの人間は生きていても価値がないから、もう列車に飛び込んで死ぬ」とまで言いました。すると、先生は、「わかった。がんばれよ。そのかわりに、死ぬときには、必ず前もって電話をしろよ」とおっしゃられました。このときの会話が、その後の1年間の独学の苦しいとき、どれだけ励みになったことか。目標が実現しなかったら、先生に電話して死ねばいいんだから、恐れることはないと言い聞かせながら勉強できました。今でも思い出されるのは、どこかの喫茶店の2階で、サンドイッチを食べさせてもらって、最後まで先生も私も食べずに最後まで皿に残っていたサンドイッチです。なぜ、それが印象に残るのかわかりませんが。
 そんなわけで、私の人生の中で、あのとき、U先生に出会って、声をかけてもらっていなかったら、今はどうなっていたかと、想像はできません。少なくても、この出会いが、自分も先生になって、生徒を助けてあげたいと思った、大きな要因になったことは間違いないです。そんな先生の講演ですから、ここで戒厳令に則って行動して、先生のあのときの講演を聴かずに終わって、悔いが残るようでは一生取り返しのつかない悔いになると判断し、急遽、筑波からいなくなります。
 



しかし、月曜日にはもどりますので、何かあれば、メールを送っていただければ、その日に読むことができます。

 少し、長くなりましたが、そんな自分の思い出を語りながら、近況をお伝えしました。

 



2010/3/26改訂版

 ようやく集中講義の責任を果たし、そして3学期の成績評価を済ませてのんびりしたいところですが、まだまだ許してもらえません。仕事は生き物で、どうも忙しくしている人のところに目がけてやってくるようです。逃げても逃げても、追いかけてきます。追いかけてこないのは、すてきな女性だけですね(笑)。そんなわけで、まだ厳戒令の解除には至っていません。少なくとも、わかっているだけで、6月末までに3編の原稿を書かねばなりませんので、どうにもなりません。そんなこともあって、ここでも紹介したことのある地域スポーツ情報紙のコラム「ドイツと日本 どっちがへん」の連載を止めることにしました。楽しみにしてもらっていた人には、申しわけありません。もう、ネタの尽きてきたので、またネタがあふれてきたら、どこかでやりましょう。最終原稿になった3月号のコラムをペーストしておきます。例のごとくスクールカウンセラーの悪口も、わざわざ書いてしまったので、このあたりが潮時でしょう。

 以前にもこの誌面で少し触れましたが、ドイツの基礎学校(日本の小学校に相当するもので、学年は1年生から4年生まで)やその上の上級学校(中等教育段階)でも、子どもたちは、早いときは4時間目の終わる12時前に、遅くても、給食や掃除の時間がないために、6時間目の終わる午後1時半頃には下校します。つまり、子どもは学校で教科を勉強して、それ以外にはあまり活動をしないで学校を後にするのです。ところが、最近では、ドイツでも、PISAの学力調査の結果が悪かったために、夕方まで授業を行うべきだという声も出ていますが、まだ現状はほとんど変わっていないようです。

 それに対して、日本では、教科の勉強だけでなく、朝の会や終わりの会、さらには給食や掃除があって、子どもたちの下校時間が昼過ぎになるようなことは、小学校の新入生を除けば、ほとんど見られません。また、中学校や高校になれば、放課後の部活動もあり、下校時間は午後7時くらいになるのも珍しくありません。つまり、子どもたちの学習の指導だけでなく、生活や道徳の指導も熱心に行われ、そして子どもの関心・趣味に関するものの支援・援助も学校にゆだねられています。

 さらに、ドイツよりもPISAの学力調査の結果がかなり良いのに、学力低下と授業時間の確保が叫ばれ、土曜日の登校も増えつつあります。その上に最近では、食育や読書指導をはじめ、ついには世界でも類を見ない奇妙なシステムだと思うのですが、「心の専門家」と称する心理職関係の人たちが1週間に数回やって来て、心の内面まで面倒をみてくれることになっています(本家のアメリカでは、カウンセラーは常勤の教育職ですし、しかも、そこでのカウンセリングは、個人の能力を最大限に伸長するために、主に学業指導や職業指導や進路指導などを行うものであって、決して心の悩みのセラピーを主に行うものではありません)。

 学校は教科を学ぶところとわりきるドイツ。学校に対して、教科の指導だけでなく、さまざまな指導・支援を求める日本。どっちがヘンなのか。



 ここで、前回に続き、日本のサッカーへの辛口コメントをしておきます。先日、新聞を見ていると、サッカー協会が、ベスト4に残ったときの報奨金を来年度予算に計上した、というのが目につきました。まだ、日本国民を、岡田監督のみならず、協会までもがだまし続けるのか、と思ってしまいました。本当にそんなことを考えているのだろうか。監督のコメントとの整合性を考えてならば、まだわかりますが、本当に万が一でもあると思っているのなら、もう協会の方は日本のサッカーの発展のために、お辞めになることを祈るばかりです。知っている人の最低限のモラルです。専門家は、ウソを言ってはいけないと思います。専門家は、素人を騙してはいけません。現実は、100%、いや200%、予選リーグ敗退に決まっていますよ。もう、いまとなっては、監督交代させても、戦局は変わりません。3連敗です。
 実は、ドイツにいるとき、ドイツ代表とアルゼンチン代表が親善試合をやっていました。結果は、ドイツの完敗でした。テレビ放送を見ていると、試合終了後、アナウンサーが解説者のカーンに、「これで、ドイツがベスト4に残れるのか」と質問をぶつけていました。さらにそのアナウンサーは、「アルゼンチンにまったく歯が立たないで、本当にイタリア、スペイン、ブラジルに勝てるのか」と、するどい質問をしていました。カーンも、「新しい若手が出てくるかもしれないし、期待したい」と言い訳をしていましたが、私は思わずテレビのアナウンサーに向かって、「日本もベスト4に入るつもりなんですけれど、忘れてもらっては困るよ」、と思わず皮肉の突っ込みを入れていました。きっと、私のこの突っ込みがアナウンサーに届いたら、「他にも、ヨーロッパだけでも、イングランド、フランス、ポルトガル、オランダ、デンマーク、スイスなどがありますし、ランキング43位の国がどうなればベスト4に残れるのでしょうか!」と、皮肉られるのがオチでしょう。
 そうなんです。もう、2010年の予選敗退は、動かないのです。それでも、それでも、少しだけでも良い試合をしたいのならば、チームの中心選手を中村や遠藤という人気選手ではなく、フィジカルの強い外国人にあたり負けない本田選手にして戦うことですね。たぶん、そんな度胸は監督にも協会にもないでしょうから、お話しにならないと思います。これから将来、残念ながら、早く根本的改革を行わないと、日本の道徳教育といっしょで、落ちるとこまで落ちることでしょう。
 本田圭佑選手って、それだれと言う人もいるでしょう。ここ1週間前から、欧州サッカーチャンピオンリーグで、ロシアのCSKAモスクワに所属しながら、日本選手としてシュートを決め、急に最近になって知られるようになったたあの選手ですよ。中村選手や遠藤選手とポジションが重なるために、なかなか日本では日の目を見ない選手ですが、この選手だけが、フィジカル、精神力、技術のすべての面で、世界レベルで張り合える逸材、と私は見ています。だから、3か月前のホームページ(2009.12.21改訂版)にも、次のように書きました。

・・・・
日本の岡田監督は、コーチとしての分析力はあるものの、中東やオセアニアから、監督の招聘もないレベルですから、大胆な選手起用はできないでしょう。所詮、日本は全敗でしょうが、日本を少しでも強くしたいのであれば、中村選手とポジションがかぶるのですが、本田選手を中心にチームを作ることだと思います。偉そうに言うついでに言わせていただければ、彼は世界では1流半レベルですが、1流選手と戦うとき、彼には、大型の選手に当たり負けない強靱な体とファイト(気持ち、闘志)があります。そのために、この選手は、1流選手相手にかなり戦えると思いますが、おそらく監督も、他の選手も、彼を生かし切れないと、私は見ています。・・・・


 
でもでも、彼を中心にしたチームを作っても、あとのメンバーがいかんともしがたい上に、監督があの方では、どうにもなりません。それじゃー、誰を他に入れればよいのだ、と詰問されても、残念ながら、今の日本ではなかなか10名は無理です。監督を代えても、もう間に合いません。結論は、どの選手であっても、どの監督であっても、今回はダメなのです。しかたがありません。もう、時間が過ぎてしまいました。私が問題にしているのは、この状態で根本的な反省もせず、こんな状態で続くなら、もう私が生きている間は、おそらく日本はアジア予選でことごとく敗退し、本大会に出場もできないのではないか、という危機感なのです。もちろん、私の予想が間違い、取り越し苦労で終わることを願ってはいますがね。

 そうそう明日は、道徳教育の大学院生であるKさんの結婚式。彼女は、大学院をこの3月末に退学して、念願の小学校教員になります。ドイツ語ができるだけにおしいのですが、研究者だけが人間の道ではありません。教育現場でがんばってくれればよいと思っています。「乾杯」の発声をしなくてはいけませんので、遅れず、式場に行かねば!

 来週の月曜日は、教育実習の事前指導があって、久々に講堂で600名を相手にシンポジウムの司会者をやらねばなりません。いやいや、忙しい1週間になりそうな。

 そんなこんなで、元気にはやっております。
 何かありましたら、メールでご連絡下さい。
 ではでは!!!


2010/3/15改訂版

 無事、10日、帰国しました。最後の成田空港到着に際して風が強く、機体が揺れて酔ってしまいました。最後の最後に、口からもどすのを押さえるのが精一杯でした。いやいや、しばらく飛行機は乗りたくない気分です。

 ドイツでは、到着する数日前に、3日ほど、暖かい日が続いて、街の雪と氷はすっかりなくなっていました。そんなわけで、苦労なく、移動できました。

 シュツットガルトでは、高知大学時代の教え子のMさんにも会えました。元気で勉強しているようで、なによりです。最終日に、再度、シュツットガルトに行って、日本の食料であまったものをあげてきました。ベルリンでも、新たな出会いがあったり、ニュルンベルクでは顔見知りの人にはすべて会うことができましたので、よかったです。今回は、出張ということもあって、サッカーの試合は観戦しませんでした。残念でしたが、こんな寒い中、とてもナイターを見に行く気にはなれませんが、ドイツ人は、零下の気温の中、観戦に行っていましたね。きっと、お酒も飲んで、内部からも暖めているのでしょうけれど。

 ドイツに行くたびに私は、インターナショナルになるのではなく、ナショナルになってしまいます。日本の地位の低落傾向に、なさけなくなってしまいます。今回のとどめは、フランクフルト空港の出来事です。アナウンスは、ドイツ語と英語が共通になされるのですが、なんとその次のアナウンスは、中国語なのです。パンフレットも、東洋系は中国語ばかり。アジア標準時間も北京タイム。もう、日本や東京でなくて、中国と北京の時代なんだと、実感させられました。ベルリンでも、アジア人のにぎった鮨を食べましたが、十分食べられました。おいしかった。鮨も、日本のものではなく、アジアのものと認識されているようでしただけに、ますますフランクフルト空港で寂しく思いました。

 日本人は、もっとしっかりがんばらないととんでもないことになるぞ、と思ってしまいました。ところが、当の本人である日本では、あいかわらず、「がんばらなくてもいいんだよ」、「本当の自分探し」的な内向性・個性、ないしは心理主義に毒されてしまい、いま、どのくらい外の世界で落ち目になっているのかをわかりもしていないようで、情けなくてしかたがないですね。そんなわけで、ますますナショナルになって戻って参りました。

今日は、こんなところで失礼します。今週は、月火、木金と全日、筑波大学で報酬なしで集中講義「特別活動」をやります。なかなか、暇がありません。でも、元気にやっております。また、ドイツの話しは後ほどということで。


2010/2/24改訂版

 おまたせしました。
 多忙の極地でしたが、もう時間切れです。どんな仕事をやり残したかわかりませんが、時間が来ましたので、あすドイツに旅立ちます。
 ドイツでは、ニュルンベルク、シュツットガルト、ベルリンに行ってきます。すべて、シュタイナー学校の教員養成所に行ってきます。シュツットガルトでは、高知大学の教え子の正木さんが、中学校教師をやめて学んでいるので、会うのが楽しみです。高知では、トイレの前でであった臭い中なので、シュツットガルトの公園の前のトイレの前で会うかというメールを送りました。たぶん、1年半もドイツにいたから、私よりもドイツ語ができるだろうな。通訳をお願いしようと思っています(くうやしいな。高知ではABCから教えてあげていたのに。でも、「藍は藍より出でて藍より青し」ですから、喜ばねば!!)。
 ベルリンのシュタイナー学校は、はじめてなので、楽しみだな。そこの知り合いの方ががんばってくれて、普段の小学校の授業も見せてもらえるとのこと。
 ニュルンベルクでは、シュラー先生やクライトロー先生と再会できるから、楽しみだな。それから、以前にお世話になった方々にも会えるし。いつも50セント(約65円)のパンを駅の構内で売っているおばさん、元気かな。いつも、私が前を通ると、挨拶してくれたなー。以前のお世話になったホテルの従業員にも会いたいな。アイスホッケー選手だったな。娘の同級生の子どもたちもさずかし大きくなっていることだろう。・・・・・ただ、ニュルンベルクで会いたくないのは、3年前に、ビザをなかなか出してくれなかった意地悪そうな外国人管理局事務所の役人だけだ。
 でも、向こうでは、4月に出版する道徳教育のテキストの校正をドイツでコンピュータで資料を見てしなければならないので、それなりにドイツでも忙しそうです。
 でもでも、何か土産話を楽しみにしてください。
何かありましたら、いつものアドレスにご連絡ください。ドイツでも読めますから。
では、3月10日に帰国します。みなさん、お元気で。
行ってきまーーーーーーーーーーーーーーーーす。
 
 





2010/2/9改訂版

 何度も訪問していただいた方々、長い間更新ができず、どうも申し訳ありませんでした。元気には、しておりますので、ご安心下さい。1月23日、24日、30日、31日、2月6日、7日と、土日にかかわらず、午前10時から17時まで、集中講義を筑波大学でやりました。あと、11日祝日、13日土曜日もやらねば。なんと無償で、いやボランティアで。いろいろなことがあって、こうなったしまいました(涙涙涙涙涙涙)。

 まだまだ厳戒令を継続中です。とにかく、25日に、ドイツに出張しまーす。それまでは、とにかく、書けるものは書きまくる、というのが今の心境です。脳にあるものはすべて絞り出してから、ドイツに旅立ちたいと思います。

 なにやら、最近、日本代表のサッカーの試合があったようですね。中国相手に引き分けだとか。翌日の新聞でちらったと見ました。私に言わせら、いや、以前に言ったように、予定通りです。おそらく、2年後、あるいは6年後には確実に、ワールドカップ予選で、負けるのではないかと思います。もう、今回のワールドカップは、予選敗退の確率300%、1勝2敗、1分け2敗がそれぞれ1%でぐらいというものです。ベスト4など、夢にも出てこないものです。日本で一番すぐれた選手と思われる中村選手は、ヨーロッパの1級のスペインリーグで、活躍できていますか。試合には、出ていますか。1流半ないしは2流のスコットランドとは、レベルが違うのです。現実は、そんなに甘くはないのです。FWの大久保選手、スペインリーグで何試合、出場しましたか。平山選手、ヨーロッパの2流リーグのオランダで、どれだけ活躍しましたか。岡田監督は、どこかの国から招聘される、あるいは噂でもありましたか。テレビで名前がよく出てくる人でも、その程度ですから、あとは推測できるでしょう。それに比べて(私は見ていませんが、想像で書きますが)、中国はどうでしたか。まだまだ、1流選手はいませんが、23歳以下のオリンピック世代のときに、組織的に、フィディカルの強そうな、身長ではヨーロッパ並の選手を集めていたでしょう!そのメンバーがこれから年齢とともに、30歳ぐらいのピークのときまで、どんどんうまくなるのですから、そしてそこに世界で1流の監督・コーチを招聘すれば、日本との勝負はあったというものです。本当に、日本の道徳教育界と同じで、根本的に発想の転換をしないと、未来はないと思いますね。

 今日もサッカーの話しをついついしてしまったので、1年前に、地域スポーツ情報紙のコラム「ドイツと日本 どっちがへん」に書いたものをはり付けおきます。よかったら読んでやって下さい。
 
 日本の学校の学期始まりは、一般に4月です。それに合わせるように、プロ野球も3月下旬ないしは4月上旬あたりから開幕します。Jリーグも、基本的にほぼ同様です。開幕が3月初旬で、閉幕が12月です。したがって、7月や8月という暑い夏でも、サッカーの試合が行われます。観客は、ナイターといえども、蒸し暑い中で試合を観戦します。
 それに対して、ドイツの学校の学期始まりは、9月です。それに合わせるように、ブンデスリーガは、8月中旬から開幕し、5月に閉幕します(欧州のリーグ戦では、基本的に同様です)。したがって、1月下旬や2月という真冬も、サッカーの試合が行われます。ドイツの冬場は、ナイターの時間となると、スタジアムの気温は間違いなく氷点下の寒さです。それでも、サッカーの試合はふつうに行われ、観客もふつうに観戦します。もちろん、一般的な観客は、スキー場に行くような完全防御の服を着ています。そのようなまったく違った事態になる背後には、どちらの国にも、おそらく、それなりの社会的・文化的な諸事情があったのでしょう。それだから、日本が自分たちの伝統的な文化を守るために、現状の節目のままにしておくことも、一方では大切ではないかと思われます。
 しかし、他方では、国際的な視点から見れば、この違いは、さまざまな問題を生み出します。教育界の場合には、転校や留学の際に困難が発生しますが、サッカーの場合には、代表チームの海外遠征や国際親善試合の際に、メンバー編成で大きな支障が生じます。また、教育界の場合には、日本の独自性か国際性か、という価値観の議論があり得ますが、サッカーの場合には、世界水準を目指すのですから、現状の節目は、間違いなく日本に不利です。
 そんなことを思い巡らしながらも、真夏でもサッカーのリーグ戦が行われる日本と、真冬の氷点下でもサッカーのリーグ戦が行われるドイツとでは、どちらがヘンなのか、と改めて考えてみたくなりました。

 そんなわけで、今回は、サッカーで終わってしまいました。ではではまた。




2010/1/23改訂版

厳戒令も限界の状態。原稿も4つたまっています。

今日は、事情があって、無償で、土日というのに、本務校である筑波大学で集中講義を1日中することになっています。

今日の新聞の社会面のお悔やみ欄にも出ていましたが、筑波大学の元副学長で、日本家庭教育学会の2代目の会長(現、名誉会長。ちなみに、初代会長は、東京大学名誉教授であった故中村元先生であった)の高橋進先生が、ご逝去されました。ところが、お世話になったし、また現在、畑仕事をしている畑も高橋先生の土地なので何とか行かなければならないところですが、この集中講義のために、今日のお通夜、明日の告別式にも出席できません。申し訳ないですが、研究室で般若心経を唱えさせてもらって、ご冥福をお祈りすることにしました。 (合掌)

また、数日中に、近況を報告することをお約束して、今日はこれで失礼。



2010/1/15改訂版

 あいかわらず、厳戒令継続中!!!!!
いやいや、困ったことです。


 京都、いや「今日と」、月曜日は休業日、土日はセンター入試で、大学は静けさの中でバタバタしております。もう、2010年も、15日、、言い換えれば、2010年ももう24分の1が過ぎたことになります。今年こそは、1日1日を充実するように元旦に誓ったのに、なんというざまが。情けない限りです。さっそく初心にかえって、がんばらねばと反省しているところです。それこそが、道徳ではないか、そんなことを思う今日この頃です。

 何度もここで指摘しましたが、サッカーのベスト4、まだ言っていますね。これから、かつてのオリンピック出場できなかったように、20年ぐらいワールドカップに出場もできなくなって、今日の愚かさ、今さえよかったら、盛り上がったらよいという雰囲気をつくろうとしたツケが、20年遅れるきっかけになったことをいずれわかるときが来るだろう、と思っています。サッカー協会も、そんな危機を真剣に見つめないで、次々回、あるいはその次のワールドカップを日本にとか、おろかな誘致活動に神経を注ぐくらいなら、次回のワールドカップのアジア予選に勝ち抜けるよう、世界のすぐれた監督を捜さなければならない貴重な時期を、何を考えているのだろうか。ワールドカップの予選敗退後では、手遅れなのに。私は、これから日本のサッカーは世界からさらに20年遅れることになると、予言したいと思います。それまでに、早く誰かが気づき、変革すれば、その20年はもっと短くなるでしょうし、日本人としてそれを期待しますが。

 それと同じというか、似た現象が生じているとしか思えない日本の事柄があります。それはなにか。私は、「日本の教育」だと思っています。完全に、欧米諸国より、20年おくれるのではないかと思っています。「おくれる」という言い方も、なにも欧米と比べる必要もないわけですから、あまり適切な表現でないかもしれません。とにかく、間違った方向に進むと思っています。残念ですが、私一人の力ではどうにもなりません。この国も滅ぶくらいに弱らないとわからないのでしょうね。サッカーと同じで、頭をガツンと打たない限り、わからないでしょうね。昨日の東京都教育委員会の土曜日授業実施の報道を見て、確信しました。なにも東京都教育委員会が悪いと言っているわけではありません。そこも、保護者や世論の声を聞いての判断でしょうし。つまり、どうも国全体がおかしい方向に進んでいるように思えてなりません。「学力がなんぼのもんやねん!」と、関西弁で突っ込みたいぐらいです。もう少し丁寧に言えば、「測定できる学力が高ければ、生きる意味が高まって、自殺や不登校が減りますか」、となるでしょうか。
 逆行も甚だしいと思います。そもそも欧米の先進諸国で土曜日に、子どもは学校に行っているでしょうか。明治時代から先進諸国の仲間入りを目指してきたのに、これからは教育面では発展途上国にそろえていくのか!
 ドイツにいたれば、多くの学校で、土日は完全に休みの上に、平日も午後から授業など、あまりしません。午後1時半までには、多くの子どもは下校しています。PISA学力調査の結果がNO1のフィンランドも、土日は休みですし、現状でも、日本の学校の授業時間数より少ないです。日本では、今でも、世界基準で言うと、平均以上に学校で授業を受けています。それなのに、なぜ、まだ土曜日まで使って授業時間を増やそうとするのでしょうか。それでなくても、日本の子どもの学校滞在時間は、部活動やさまざまな活動で、長いのです。これ以上、日本の子どもを、社会や家庭の体験を減らして、学校に閉じ込めて低学力だとして詰め込むのですか。子どもを学校に、強制収容所のように、囲い込むのでしょうか。それだけではありません。最近の子どもは、問題を起こし、社会的規範も守れない人間だと見なし、世界でもめずらし特設の道徳の授業を要として、道徳教育されるのです。そんなに日本の子どもは、知性も、徳性も低いのでしょうか。それどころか、「心の教育」や「心のケア」と叫ばれるように、感性も、弱いのでしょう。まだ、体力も落ちていると騒がれます。そうなると、日本の子どもは、知徳体および心も、すべてダメなのでしょうか。もし、ダメだとすれば、何がそうさせているのでしょうか。今の大人たちが、そんな社会にしたからではないでしょうか。学校が悪いのであれば、学校を抜本的に改革すべきでしょう。13万人もの小中学生が不登校だし、学校の先生の精神疾患も増えているわけですから、間違いなく何かがおかしいのでしょう。それならば、ここ10年ぐらいの対症療法的な改革の成果を吟味して、おかしなことはやめて、発想を転換したような改革が求められるでしょう(特に、スクールカウンセラーの派遣は言うまでもないことでしょう。この点については、多くの方には知られていないようですが、小生は2002年から教育雑誌でも指摘しているのです。でも、だれも、振り向いてくれていませんが<涙涙・・・>。抗うつ剤が量産されれば、あるいはそれにたずさわる専門家が増えれば、うつの患者が増えるように、カウンセラーが増えればそれをうける相談者(患者)が増えるのです。病で生計を立てる人が一定数いてもよいでしょうが、過剰にいると、患者が増え、社会全体、国全体が病んできます)。しかし、さらに言えば、学校もよいわけではないでしょうが、知徳体および心も悪いのであれば、学校だけの問題ではないでしょう。なにか社会の暮らしがおかしい、ということも間違いないでしょう。つまり、何か日本人の意識や価値観がおかしいのではないでしょうか。そうでないと、年間3万人以上の自殺者が出るなんて、考えられません。そのうえ、親の看護、孤独死、少子化、そして不登校などをつなげて考えていくと、根っ子はつながっているのではないかと思うのです。その根っ子の部分の病巣をなんとかするということに行かないで、PISAの結果が悪いと大騒ぎして、小手先の方策を取っていてはますます教育はおかしくなり、人間の生き方がおかしくなってきて、結果は日本の国力が低下するだけです。
 教育の場合、サッカーと違い、20年遅れたことはなかなか数字で証明されないのでわかりにくですが、20年の根拠を大まかに言えば、日本の場合、学習指導要領はおよそ10年周期なので、私の予想では、10年以内に今の愚かさに誰かが気づき、この流れを10年後に止めて、そこから10年かかって、誤った道を10年かけて引っ返して、おおよそ元の位置に戻るのが20年後だから、20年遅れるという意味なのです。わかりやすい予言というか、予想を語ると、もし土曜日も子どもが学校に通学するようなことになると、先生がますます疲弊し、若い教師を中心に精神疾患、休職者が増え、子どもの不登校も新記録を更新するだろうということです。もちろん、私の悪い予測が外れて、学校の教師も輝き、子どもも輝けば、それはとてもよいことだと思います。予想が外れることを祈りたいですが。
 でも、そうはならないでしょう。大きな流れはそんなに変わらないでしょうから。どこでそのおかしな流れが始まったのでしょうか。昭和20年でしょうか、それとも昭和33年でしょうか、なかなか源流を突き止めるのは難しいでしょう。でも、その源流が大きな悪い流れとなったきっかけは、これから研究していきたいと思っていますが、いまの直感では、昭和61年あたりの臨時教育審議会答申ではないかと考えています。あそこで、つながり重視の共同体的な日本の教育のなかで、「個性の教育」という、だれもが反対しにくい、麻薬が打たれ、それがやがて「個性」の尊重から「個人の心」の尊重という、人間の共生的な暮らしが個人の購買欲を煽る大量消費社会のなかで壊されてしまったのではないか、と考えているのです。もちろん、間違った見解かもしれませんが、私はそう考えているので、「心の教育」や「スクールカウンセラー制度」などの対症療法を、批判するのです(でも、私も困った人を見捨てることなく、なんでも相談室で対処していますが、何人が訪れたとか数字を公表・増加させて賞賛されるような人間だけにはならないようにしています。最近は、学類生だけでなく、院生、さらには卒業生からも希望があります。でもでも、私の授業を受けた人に限ることにして、つまり進路指導でいうところの「追指導」ということにして、バイ菌をまき散らしたりしないように活動を制約しています。生計の足しにしたり、研究論文や学会発表などの研究・勤務業績の材料には決していたしません。そのような行為は、必要なことなのですが、人知れず、日陰でやることだと考えています。注目を浴びる「ひまわり」ではなく、月見草のように)。病気で言えば、これ以上、抗生物質や化学薬品を健康を理由に患者の口に入れないで、それらはやむを得ないときの緊急処置だけのこととして、もっと自然で健康な食事と生活をするような方向に意識させたいなと考えるのです。そのきっかけの一つを、道徳(モラル)、特に生きがいの道徳と考えているのです。もう一つあげれば、日本のみならず、世界的に閉塞状況の教育界にあって、シュタイナー教育関係の学校がどんどん増えて、世界で1000校を越える勢いで増えています。この教育には、何かがあるから、発展するのです。それは、なんだろうかと考えてみるに、そこには人智学という確固とした世界観もあるでしょうが、教科書やテスト、点数評価もない、8年間の学級担任制といかたちで、先生も子どもも保護者もつながって、学校をよいものに創りあげようとしている実践的な関係(つながり)、決して消費者や顧客のようにサービスを受ける・与えるというクールな実践的な関係(つながり)ではないところに、大きなヒントがあるように思えてならないのです。

あっ、しまった!!!!
こんなことをしている時間はなかったんだ。
戒厳令中であったことを、ついつい忘れてしまった。
なんで、本の原稿は書けないのに、ここはスラスラかけてしまうのか。
反省!!!!!!!!



「戒厳令の世界」にもどります!!!





2010/1/8改訂版

改めまして、明けましておめでとうございます。
今年も、よろしくお願いいたします。

今年も変わらないこと。
 あいかわらず、厳戒令継続中!!!!!

奈良への往きは、東名高速で向かいました。混雑で、所要時間が12時間もかかり、えらい目にあいました。復路は反省して、中央道で戻ってまいりました。少し遠回りでしたが、こちらはスイスイでした。これから冬は、遠回りでも、中央道を使おうと決心ました。


今年は、日本のサッカーにとっても、私にとっても、大きな節目の年になりそうですね。
そんな予感のする年ですね。サッカーの方は、どうも協会の方から、ファンの人とまで、気づいている人も少なくないと思うのですが、損なくじを引くことになっても声を上げる人がいませんね。岡田監督のベスト4のお念仏か戯言かわかりませんが、世界に顔も知られていなければ相手にもされない方のペースにはめられていると、以前のホームページに書いたように、Wカップの本大会に出場できなくなるでしょう。愚かな民は、愚かな結果しか導けないでしょう。早く、救世主が出てほしいのですが。どうも、私の知る限り、サッカー界の人は少し陰湿な方も目立ちますし、・・・。また、30年間近くオリンピックに出場できなかったあの悪夢の時代が訪れそうです。あのときの、東京オリンピックで予選敗退といえでも、強豪を倒したりでもりあがり、メキシコオリンピックで3位なって喜び勇んで、その後、そのオリンピックにからんだ選手たちを日本代表監督に抜擢してそしてたらい回しを行い、それ以来、30年近く出場ができませんでした。そのときだって、本当に活躍し、勝利に導いたした世界的なレベルであった釜本選手や杉本選手は、お偉方のお目にかなわず、一度も監督に就任していません。同じ予感がしますね。世界に知れた中田なども、指導者から外され、たいした貢献もしなくても、お偉方のお目にかなう方が、監督に就任して、私が生きている間、再び日本代表はWカップに出場できなくなってしまうのか。そうなったら、まさに2010年が分岐点であったことが証明されるでしょう。もう、予選敗退は、300%決まっているのですから、はやく次の世代の強化に、世界の一流監督を招
かなくては。あの東京オリンピックのときに、西ドイツからクラマーコーチを招聘したように。急げ急げ。はやく良い監督にツバをつけなくては。Wカップが終わってからでは、よい方を呼べませんよ。
そんなサッカー界と同じで、私も勝負の年になりそうです。これは、シュターナーの7年周期説に基づきます。シュタイナーによれば、ご存知のように、成長は7年おきです。つまり、7年×8回=56歳、つまり私の年齢です。だから、節目なのです。彼の説に基づくと、私の人生もあと2周期、14年しか、命が残っていません。なんとしても、できるだけやり残すことのないように、現世を生きたいと思います。400メートルトラックで喩えれば、いよいよ第4コーナーをまわって最後の直線勝負になってきました。こんなときに、鬱だ、ストレスだ、と言っている暇がありません。もう残り少ないのです。だから、今年は、著作をはじめ、一気にやろうと思います。そして、学会や大学の世界でも、残り時間があまりないのですから、人目を気にせず、人と少々対立しようが、いっきに人生のラストスパートに入りたいと思った年始めでした。

11日は、京田辺のシュタイナー学校に出かけてきます。NPOで、文科省の認可も受けられない学校ですが、なんと日本を飛び越えて、ユネスコのプロジェクト校(ユネスコ校)に選ばれるらしいのです。日本の文科省は認めなくても、世界のユネスコは、すぐれた実践を展開する学校として認定するのですから、たいへん皮肉ですね。私自身は、たいへん愉快です。いろいろ価値観があってよいわけです。おおいにがんばれと、応援したあげたい気分です。





2010/1/1改訂版(臨時更新)

 今日は、長野の妻の実家に、息子の部活動の元旦練習を終えてから、午後4時に出発予定でした。それまで、時間があるので、自転車も取られてもどって来ないので、イオンで1万円の自転車が特売されていたので、買い物に行ってきました。こんな変わり者は少ないだろうと思って行ってみて、びっくり。駐車場が10時の時点でほとんどいっぱいの状態でした。土浦やつくばに、こんなに人が1月元旦に買い物にくるとは。福袋を持った人たちがいっぱいいました。恐ろしや日本!!!この国は、消費生活をすることでしか存在し得ない、経済優先の社会だと、改めて思いました。そして、私もそれに組み入れられているのなだな、と実感してしまいました。3年前は、元旦をはじめてドイツで迎えました。ドイツでは、元旦の0時から花火と爆竹で大騒ぎをしますから、元旦の1日は、ほとんどの人が家族と時を静かに過ごしていました。経済の止まらない国を実感しました。

 そして、午後から出発用意をしていたところ、長野より、大雪警報が出てあぶないので、来るなという連絡がありました。それでは、しかたがないな、奈良に真夜中になるけれども出発するかと思って高速道路状況をインターネットで見たら、事故等で、首都高速道路が渋滞だらけで、どう見ても横浜まで3時間はかかりそうな気配。そうなると、横浜で早くて7時だとすると、浜名湖で10〜11時、そうなると奈良到着は翌朝2〜3時到着になってしまう。それでは、睡魔に襲われ、かつ凍結も考えると、高いタイヤをはいていても、危険が大きいと判断し、車に積めた荷物を下ろして、今日の夜と翌朝の食料を買いに、再びイオンへ。行くと、さらに混んでいて、どうなっているのかと思って、もどってきました。すると、忘れ物に気づき、再び大学へ。用事を済ませて帰宅するまえに、更新した次第です。

 昼間は、年賀状の返事を書いた後で(実は、失礼かもしれませんが、教え子にはあえて年末に年賀状を出さないで、彼ら彼女らからくる年賀状で近況を知ってから、それをふまえてコメントするようにしているのです)、荷物も積みながらテレビをつけていましたが、やはり天皇杯決勝をちらっと見たら、やっぱり鈍くて、つまらない試合。盛り上げているのが、アナウンサーと解説者の声だけ(とにかく、ワールドカップベスト4だけは、いくら関西地方の決まり文句の一つ「口はタダ」だとしても、もうやめてほしいです。岡田監督も、マスコミも、人心を迷わしてどうするのかと言いたいです。日本は、早く4年後のワールドカップの準備に入らないと、出場もあぶないのですから。地域の情勢が落ち着いたら中東地域の国が今回は出場していませんが、4年後にはどこか一国は来るでしょうし、オーストラリアと韓国も出てくるでしょうから、そして北朝鮮も侮れません。もうあとがないのです。おそらく、次回は、オリンピック世代の中国が、世界で優秀な監督を招聘すれば体格が大きいだけに、かなり実力を発揮すると思います。そのうえ、おそらくアジアの国はほとんど予選敗退するでしょうから、枠が減らされる可能性もあります。だって、今年だって、ヨーロッパ地域では、日本(42位)など歯もたたないギリシャ(13位)やロシア(23位)も出場していませんから、枠の見直しも十分考えられます。つまり、日本は浮雲の灯火だという未来の現実を真剣に見つめないで、予選全敗の今年のワールドカップを「ベスト4」騒ぎをしている余裕など、日本にはないことをだれか指摘しないのかな!日本のスポーツライターもたいしたことないな、思っています。しかし、私なんかより、はるかに世界のレベルを知っている人たちなんか、数え切れないほどいこの日本にいるはずです。一刻も早く、サッカー協会は、世界で1流の監督を招聘し、世界の1流を終えたようなレベルの審判(それでも、日本の審判員には有益なはず)を招聘することです。また、Jリーグの企業も、審判と同じでよいから、世界の1流を終えた選手を招けばよいのです。日本のJリーグなら、十分に実力的にやれますし、ファンの人気も出ます。過去にジーコ選手がいたではないですか。日本のサッカーのために、意気に感じて来てくれたではないですか。今なら、ドイツのGKカーンも、暇なはずです。彼は日本びいきだから、またGKだから体力の衰えは隠せますから、交渉すればよいのに。一昨年、ミュンヘンの時計台の前で暇そうに散歩していたのを見かけましたよ<これは、ウソです。失礼!エヘヘヘ。笑ってごまかす自分のウソ!!>)
 もういいやと思って、チャンネルをまわすと、なぜか毎日放送の月曜日の午後11時50分ぐらいから始まる、「明石家さんま」の番組の特別版がやっているではないか。関東では見られない番組なので、思わず、見てしまいました。サッカーより、はるかにおもしろかった。そこでは、さんま(本名:杉本高文)さんの出身の小学校が映っているではないか。鼓阪小学校です。多くの方は読めないでしょう。ツザカ小学校と読むのです。私の実家から2キロぐらい離れたところにある小学校で、転害門という、東大寺関係の門があって、その横(内側)にあります(もちろん、その門は国宝です)。本来は、この学校が校区の学校で通学することになっていたのですが、就学する際の検査等で一回だけ中に入ったが、結果的に通学しませんでした(極楽坊保育園に4年間通わされた私は、卒園時に、ダメもとで親戚のおじさんのすすめで奈良学芸大学附属小学校(現、奈良教育大学附属小学校)の試験を受験したところ、何の準備もしていなかったのに面接とくじ引きの試験を突破してしまった結果、そこには通学しなかったのです)。さんまさんとは、一つの年違いなので、もしこの学校に通学していたら、実家同士が400メートルぐらいしか離れていなかったので、きっと親しい友だちになっていたでしょうが、今から思えば、残念です。私の妹は、そこに通学していました(いや、私の親父もその学校に通っていました)から、あのあたりの風景が映ると、たいへんなつかしかったです。それを見ながら、今日は、あそこに帰るんだと思っていました。結局、渋滞等の関係で、明日、そのあたりを通りたいと思います。

 さあ、これから帰って気分を入れ替えて、明日の600キロの旅に出かけます。4日には、奈良を出る強行日程ですが、遅ればせながら帰省します。自宅の向かいの先生は、2日にもどってくるとおっしゃっていたから、まさに入れ替わりだな。

 そとを見ると、教育学関係の部屋で一つだけ電気がついているところがあります。たぶん、いや、絶対にそこに一人の留学生が修論締切に向けて、正月返上でがんばっているのでしょう。今日の0時過ぎに声をかけてあげたので。昨日は、あまっていたパンをあげたが、今日も何かあげて、そして励ましてから、帰ろうかなー!!! 何しろ、故郷の国を離れて、一人で正月返上でがんばっているのですから、知ったからには何か行為しないと気がすまない(少し覚めて分析すると、文科省のいうような、徳目(道徳的価値)を心に刻みつける道徳ではなく、現実生活では、何か湧き出てくるような道徳こそが、大事なのではないかと思うのですが。シュタイナーなら、道徳的ファンタジーの重要性を説くでしょうが)私なのです。自分も、30年前には、あんな感じだったなと、昨日のように思い出されます。

 では、では、また。
 (臨時更新を読まれた方、ありがとう!!)


2009/12/31改訂版

厳戒令継続中

 もう、数時間で2010年というこの時間に、研究室でいるなんて、、、何ーーーーーという年なのだろうか。明日、車で帰省します。昨日、ミシュランのスタッドレスタイアを装着して、車の準備は万全。でも、高かったなーーー。52,000円もかかりました(涙)。

 現在、たくさんの仕事をかかえて、本当に来年までにできるのだろうか、考えてみたくもない今日この頃です。とにかく、仕事があるというのは、認められている証だと思って、がんばります。また、来週の水曜日から、授業を休まず予定通りやります。よく年末・年始の授業を「自主休講」と言って休む先生が、自分の学生時代からいましたが、私はそのようにしないようにします。だって、「授業をサボって、本を書いている」などという中傷を受けないように、というか、俗的な他人が中傷したくなるくらい本や論文を発表したいと思っています(もちろん、自己宣伝のようなものではなく、確実に世の中に貢献できるようなものです)。少なくとも、「教授」、「会長」、「審議会委員」、「委員長」、「▲◇官」、「○△長」とか、本や論文を発表できないのに、肩書きだけもってひっけらかして満足している大学教師にだけは、絶対になりたくないです。そんな教師に限って、以外と、授業もサボるのです。だから、まず形だけでも、なさけない大学教師にならないように、授業をします。とにかく、初心にもどって、来年からがんばりたいと思います。つねに初心にかえることこそが、道徳の実践ではないだろうか。そう自分に言い聞かせて、来年の初旬からがんばります。

 ご用のある方は、少しタイムラグがありますが、メールを送っておいてください。

 では、では、また来年に!
 良いお年を!!!!
 A happy new year !!!!!!
 glueckliches Neues Jahr !!!!!!!!!!!



2009/12/28改訂版

厳戒令継続中

そんなこともあって、今年は31日まで、研究室に来て仕事をしています。
1月1日、常陸の国から去ります。
そんなわけで、31日に今年最後の更新をするということをお約束して、今日はこれで失礼します。
実はいま(午後10時)、今日は7年前に亡くなった義父の命日であり、また17歳の息子の誕生日であることを思い出したので、今日はこれで帰ります。その二人の身近な人間がそんな日のかたちで、「何かつながっていたんだ」、と7年前に人生の謎の一端が垣間見られたです。そんなあり得ないような確率で生じた出来事なのですが、それが事実なのです。
恐ろしや、スピリチュアリティ!!!
畏怖の念にかられる事件の一つなのです。



2009/12/21改訂版

 
何かどうもその後どうなっているのかご心配してもらっているようなので、申し訳ないと思い、近況だけ、お知らせしておきます。

 あいかわらず、厳戒令継続中

 しかし、仕事は、お陰様で、一つひとつ片付いています。大口の原稿を除いて。

 昨日、正確に言うと、本日の0時半頃、学会紀要向けの再投稿原稿を土浦の本局から速達で郵送しました。9日締切の成績報告、10日以上遅れて本日、大学の事務に届けてきました。何しろ、600名分ですから、半端な量ではありません。また、あす締切のエッセーの原稿を、本日に書き上げ、さっさと送りました(原稿料なしの完全ボランティアです。地域のサッカー活動に協力しているつもりです。地域の月刊スポーツ情報誌の連載です)。そんなわけで、ほんの少し時間があいたので、今回、近況報告することになりました。

 先ほど言いましたエッセ-ですが、「ドイツと日本、どっちがヘン」という連載ですが、明日締切の原稿で20回目となります。1月号に掲載されるのです。このつくば市内限定の雑誌なので、遠くの方には何を書いているか見ようがないでしょうから、今日送信したのはまだ未公開なので置いておくとして、いま出回っている12月号の原稿を執筆者の責任で紹介します。編集の段階で、語句の修正がなされているかもしれませんが、私は、編集の方に、以下の原稿を送ったのです。

 
インターネットでニュースを見ていると、両国とも新型インフルエンザのワクチンの話題が大きいようです。しかし、そこでの話題の内容が、両国ではかなり異なっています。
 日本では、「ワクチンの不足」、「ワクチン接種の優先順位」、「接種の回数と費用」などが話題です。そこでは、新型インフルエンザに対してはワクチン接種を行うのは最善の方法だ、という風潮が広がっています。それゆえに、予防接種法に基づいて接種を強制しよう、という話も一部から出てきているぐらいです。
 ところが、ドイツでは、事情が全く違います。もちろん、従来からインフルエンザに対して予防接種は行われていますが、国民の多くはあまり接種しないのです。今回の新型インフルエンザに対しても、その傾向は変わっていません。各地の世論調査でも、60%から70%の人たちは、接種しないと回答しています。特に、特別な疾患を持たない健康な人(子どもを含む)は積極的に接種しないために、ワクチンの集団接種という発想はとても考えられません。
 とりわけ今回は、新型インフルエンザのワクチンに関して、副作用が大きな話題になっています。たとえば、「政府関係者には、安全なワクチンが接種され、一般国民には副作用の大きい○△製のワクチンが接種される」、「危険な添加物の混入した○△製のワクチンを接種するな」などという声が高まり、メルケル首相は、「私は○△製のワクチンを接種する」と言って沈静化を図ったそうです。そのメルケル首相は、「国民が必要とするワクチンは責任を持って確保する」と表明したようですが、日本と違いドイツでは、もともとあまり接種しないのですから、「国民が必要とする」量を確保するのは、難しくないでしょう。日本では、多くの国民は、ワクチンが供給されれば、喜び勇んで接種するという想定のもとに、その○△製のワクチンが数千万人分、輸入される予定だそうです。
 ワクチン接種の効果を信頼して、あまり抵抗感を示さない日本。ワクチンの副作用による危険性を気にして、慎重に対処しようとするドイツ。どっちがヘンなのか。

こうした連載に中で、一番反響があったのは、次のエッセーでした。ついでに、紹介します。

 日本の冬場の街角は、マスクをかけた人であふれている。この風景は、日本の「冬の風物詩」、あるいは日本の「文化」と呼ばれまでに至っている。
日本では、春先にも花粉症のために、マスクをかける人が多く見られるが、それ以上に冬場には、風邪やインフルエンザに対処するために急増する。このような事態は当然だとしても、最近では、健康であっても感染を考慮して、マスクをかけて外出する人も少なくない。
 それに対して、ドイツでは、マスクをかけた人はほとんど街角で見かけない。そもそも、普通のスーパーやデパートでは、マスクは商品として販売されていない。つまり、一般的な消費者からのマスクの需要はほとんどない。
 もちろん、ドイツでマスクが開発・生産されていないわけではない。日本でも、すぐれた医療用のマスクはドイツ製であったりする。ただ、ドイツでは、マスクをして外出するような習慣はないのだ。それゆえに、マスクをかけて街角を歩いていると、その人は、ひどい感染症の病人と見られ、いやな顔をされてしまう。また、マスクをかけて運転していると、その人は怪しまれて警察にときどき職務質問されてしまうという。なぜなら、ドイツでは、あくまでもマスクは、医者や歯科医などの医療関係者やその他の特別な業務者に使用されるものなのだ。
 では、風邪やインフルエンザにかかったらどうするのか。もし、そのようなマスクをかけなければならない病気になってしまったら、その病人は、まず自分の体を大切にして、無理して学校や仕事に行こうとはしない。静かに家で安静にしているか、病院に行くかのどちらかだ。だから、マスクをかけた病気気味の人も、またそのような人からの感染を避けるためにマスクをかけるという人も、街角にはほとんどいない。
 花粉症のときも、風邪などの病気のときも、そして予防のために健康なときも、マスクをかけて外出する人が多い日本。マスクをかけて外出する人はいないドイツ。どっちがヘンなのか。



 
こんな調子で、毎月書いています。

 そんなに忙しいのに、先日は、中東で開催されたサッカーのクラブ世界選手権トヨタカップの決勝を夜中の3時まで見てしまいました。これは、いつも日本で開催されてきたもので、かつてはヨーロッパのチャンピオンと南米のチャンピオンが対戦する、1試合だけが行われてきました。以前にもここで書いたと思いますが、私は、元旦のサッカーの天皇杯をほとんど真剣に見ません。そんな時間があれば、元旦は神様参りをしています。偉そうなことをいつも言っていますが、また偉そうに言わせてもらうと、日本の決勝はレベルが低くて見る気にならないのです。Jリーグの試合もほとんど見ません。日本で生で見るのは、知り合いが監督や選手としてかかわっている大学のサッカーの試合だけです。何しろ、プロのサッカーではじめて日本で見たのは、日韓開催のワールドカップで、カシマスタジアムで、アルゼンチンとナイジェリアの試合だけでした。一昨年は、Jリーグの試合が抽選で4枚当選したので、これもカシマスタジアムに行っただけです。日本で開催されるサッカーは、おもしろくないのです。それに比べて、唯一、12月に開催されるトヨタカップの試合だけは、これぞ世界のレベルというもので、よほどのことがない限り、20年ぐらいテレビで見ています。そんなわけで、今年は変則的な開催地ですが、見ることになったのです。両者がうまいと、試合が芸術のように見えてくるのです。ぼけーっと見ていても、そのレベルの高さには、驚かされます。だって、見ていてくださいよ。芸術の域に近づくと、特徴として、ボールがサイドラインをあまり割って出なくなるのです。不必要な出かたが、減るのです。そういう目で見れば、元旦のサッカーや、日本代表の試合が、いかにボールがサイドラインから出ることが多いことか。試合がぶち切れて、非芸術的ですよ。小中学校のサッカーを見れば、よくわかるでしょう。それに比べて、世界の大会やヨーロッパの大会はあまり出ないはずです。あの試合では、前座に行われた3位決定戦、韓国の選手、その中にあってJリーグを首になった岡山選手ががんばっていましたが、決勝戦とのボールの行き来、ぜんぜん違ったことにお気づきですか。世界3位というのは、まったくの茶番で、アジア予選のレベル、つまりJリーグの試合と、質的に同レベルです。それに比べて、決勝はすごかったでしょう。ボールがフィールド内で、しかも狭いスペースでもはげしく早く行き来していました。あれが世界の1流レベルです。ただ、言わせていただければ、審判がどこの国かアナウンサーは紹介していなかったように思いますが、とにかく審判のレベルが低すぎました。せっかくの一流選手の試合なのに、もったいなかったです。日本の審判レベルに見えました。それと、スター選手のメッシー、決勝点はあげましたが、何か足首にケガをしていたのか、まったく走りに精彩がなかったですね。痛みをこらえて知らぬ顔でプレーをしていましたが、体の動きはごまかしきれず、痛々しかたですね。そのあたりは残念でしたが、全体としてはレベルは高かったですね!
 それに比べて、日本代表のレベルの低さ、なんとかならないものでしょうか。以前にも書きましたように、ワールドカップ、ベスト4なんて、何を岡田監督は言っているのでしょうか。鼓舞しているつもりでも、あまりにもおかしいです。監督も日本レベルなら、選手も日本レベルだから、だれも相手にしてくれないでしょう。早速、予選リーグの組み合わせが決まっても、日本を除いた3人の監督が記念撮影したいたところに、日本の評価はみごとに出ています。テレビで、ランキングの上のチームばかりの組に入って、日本はたいへんだ、というマスコミが騒いでいましたが、そもそも、どの組に入っても、日本よりランキングの下のチームとは、A組の南アフリカを除いて、当たりません。何しろ、日本よりもランキングの下のチームで出場しているのは、アジアとオセアニア地域の国だけですから、同じ組にはその地域は入りませんから、どこの組でも、A組を除いて、残りの3チームは日本よりランキングが上なのです。だから、私は、以前から、日本は1勝もすることなく、予選敗退だと言っているのです。たとえ予選敗退でも、1勝でもすれば、ほとんど奇蹟だと言えるでしょう。それが現実です。
 日本にも、世界レベルの中村選手がいるではないか、と反論されるかもしれません。残念ながら、日本では優れている中村選手でも、通用しません。世界のレベルは、そんなに低くありません。中村選手は、ヨーロッパで活躍していたと言っても、スコットランドリーグで、ヨーロッパでは1流半か、2流レベルのリーグです。いま、所属しているスペインリーグは、間違いなく世界で最高峰のレベルです。ここで活躍すれば世界レベルでしょうが、最近、日本でスペインリーグの中村選手が活躍している、というニュースが聞こえてきましたか。スコットランド時代と全然違うことに気づかれましたか。レベルが違うのです。中村選手が、スコットランドリーグで優勝して、そのリーグの代表として、ヨーロッパの大会に出てきましたが、そこのヨーロッパレベルでも中村選手は活躍できなかったでしょう。そんなに、世界はあまくないのです。何も中村選手の悪口を言っているのではありません。中村選手は、日本代表の中ではすごい実力を有しています。でも、世界は甘くないというのが、言いたい主旨です。他に、フランスリーグでプレーする松井選手も、オランダリーグで活躍する本田選手もいます。彼らもがんばっていますが、客観的に言うと、フランスリーグもオランダリーグも、スコットランドリーグと同じで、ヨーロッパでは1流半か、2流レベルのリーグです。Jリーグよりも、気持ち高いレベルに過ぎません。1流は、スペインリーグ、そしてイングランドのプレミアリーグ、最近では賭博で質が落ちているイタリアリーグまででしょう。イタリアリーグも、中田選手が活躍した時代よりもレベルが低くなっており、次の1流半のドイツリーグに、近づいています。だから、以前のイタリアリーグとは違うので、そこで活躍しかけている森本選手も、かなりすごいでしょうが、割り引かなければならないでしょう。
 日本の岡田監督は、コーチとしての分析力はあるものの、中東やオセアニアから、監督の招聘もないレベルですから、大胆な選手起用はできないでしょう。所詮、日本は全敗でしょうが、日本を少しでも強くしたいのであれば、中村選手とポジションがかぶるのですが、本田選手を中心にチームを作ることだと思います。偉そうに言うついでに言わせていただければ、彼は世界では1流半レベルですが、1流選手と戦うとき、彼には、大型の選手に当たり負けない強靱な体とファイト(気持ち、闘志)があります。そのために、この選手は、1流選手相手にかなり戦えると思いますが、おそらく監督も、他の選手も、彼を生かし切れないと、私は見ています。
 いま、日本サッカー協会は、いまさら岡田監督を代えても、結果は代えないのと同じ、ワールドカップは全敗でしょう。早くその次のワールドカップを睨んで、世界の最高レベルの人物を、日本監督に招聘することに動くべきです。もう、2年後のオンリピック代表監督に、据えてもよいぐらいです。世界レベルの選手で代表がうめられるのは、日本ではまだまだ10年、20年、30年後の話し。その布石として、いまの世代でできることは、優秀な監督としての指導者を呼ぶこと、そして世界一流の審判を、いや、引退組でもよいから、日本のJリーグで、笛を吹かせることではないでしょうか。日本の審判レベルのみならず、組織も解体的出直しが大切です。どこの組織でも、内部で、自分の出世だけを考えるやからが多すぎます。
 
その点では、まさに、日本の道徳教育界と同じです。この分野でも、すぐれた立派な方ももちろんおられます。その意味で、徳性の格差が大きすぎるのですが、教員でゴマをすって、指導主事になり、その中のエリートは校長や文部科学省の調査官になり、やがては大学の教員に天下りする人たち、日の丸を威光にして、教育行政のスポークスマンになって、日本の道徳教育界を背負っているつもりの人たちが、確実に一部にいます。もちろん、そのような人はほんの一部であることを願っていますが、確実にいる困った人たちです。思わず、道徳教育を説く前に、あなたの良心はお持ちですか、とたずねてみたくなります。そして、小学校学習指導要領の第3章道徳の内容項目の低学年の1−4を読んだことがありますか、とたずねてみたいです。「うそをついたりごまかしたりしないで、素直に伸び伸びと生活をする」、あるいは、高学年の「真理を大切にし、進んで新しいものを求め、工夫して生活をよりよくする」と。
 10年、20年、30年後を見据えて、よき日本の未来的姿を求めて、大改革がどちらも必要です!!!!対症療法では、ますます悪循環が助長されます。私は、文科省にきらわれても(好いていただければそれはそれでよいのですが、省庁のレベルを超えて)、将来の日本の国益に寄与できるような研究に取り組んでいきたいと思っています。

 
 いやいや、サッカーになると(最後に道徳の話しも入ってしまいましたが)、忙しいことを忘れ、ついつい偉そうに書きすぎてしまいました。見方の違うサッカーファンの方、サッカーに興味のない方には、失礼しました。反省して、これから研究に入ります。12月、1月のドイツ出張はしないで、原稿の執筆にがんばります。そんなわけで、いつも用事がないときは、土日も含めて、ほとんど研究室にいますので、連絡してください。ただし、23日の祭日は、文科省で研究会があるので、不在になりますが。

 ではでは、急いで書いたので誤字等があるかもしれませんが、見直す時間がありません。これで、失礼します。







2009/12/4改訂版


 何かどうもその後どうなっているのかご心配してもらっているようなので、申し訳ないと思い、近況だけ、お知らせしておきます。

 あいかわらず、厳戒令突入中!!!それは、かわりません。

 しかし、仕事は、お陰様で、一つ済みました。分担執筆の特別活動のテキストは完成して、出版社に送りました。これは、分量的に一番少ないものです。これからの二つの原稿がたいへんです。原稿用紙400字詰めで、両方で200枚程度書かねばなりません。だから、戒厳令を解除できません。これからが勝負です。

 そんなおりに、我が家では痛い目にあいました。ノバホールの下にとめてあった、我が家の自転車が先週の日曜日に盗まれました。もう10年ぐらい乗っているぼろい古い自転車なのですが、残念です。まさか、こんな古いものが盗まれるとは。あきらめもつきますが、気分がよいものではないですね。青い自転車で、後ろには私の2年前の住所と、娘の名前、吉田○子と書かれています。前のかごもゆがんでいます。もし、見かけましたら、お知らせ下さい。時間があれば、デイズタウンか、ララガーデンあたりに乗り捨てられているのかなと仮説を立てているのですが、検証に行く時間が何よりもありません。ぜひ、みなさん、身の回りの青い古い自転車にご注意下さい!!!

 そんな状況下で、最近、こんな本を読んでいました。
 イギリス人のレーンという人の書いた翻訳本で、『乱造される心の病』河出書房新社です。帯にも、「薬を売るなら、まず患者をつくれ!」とか「内気な人々はどのようにして病人にさせられたのか」とか、「巧みな広告戦略で普通の人々を精神疾患に仕立て上げ、恐ろしい向精神薬で巨利を貧ろうとする精神病産業の実像に迫る」とか書かれていますから、内容は、私の批判どころではない、とてもきついものでした。それを読んで、ますます教育界に同じような意図で忍び込んでくる「心の病」業界の人々と戦わねばと、決心を新たにしました。また、もう一つ、日本の精神科医の冨高辰一郎という方が書いた『なぜうつ病の人が増えたのか』幻冬社、も引き込まれましたね。その本には、この社会でストレス患者が増えたのであればわかるが、うつ病が1999年から6年間で2倍に増え、現在では100万人も突破したというようなことは、新型の感染症ならばあり得るが、感染症でもない病気がこんな増え方をするのは、医学的に稀な現象とみなし、考察をしていました。私は精神科のことはぜんぜんわかりませんが、「薬と休養を勧めるだけのうつ病対策では不十分だ」という主張には、納得してしまいました。

 そんなものを読んでいる暇はなかったんだ!
 しまった!!! こんなことを書いている暇もなかったのだ(涙)!!
 では、みなさん、これで近況報告は終わります。

 そんなわけで、いつも多忙につき大学に来ていますから、何か質問・相談したいという方がいましたら、遠慮なくメールでご連絡くださいね。

 では、さらばです。戒厳令!!!!!!!!!




2009/11/27改訂版

 最近のニュースは、予算の仕分け作業をよくあつかっていますね。文教予算もかなり影響を受けそうですね。本当に必要なものと、そうでないものをきちんと区別してほしいなと思いました。そのなかにあって、ノーベル賞受賞学者を中心とした声明、みなさんはどう感じられたでしょうか。私は、いやな違和感を覚えましたが、ここでは長くなるので、これ以上書かないことにします。

 以前にも書きましたが、12月12日、13日に「人体科学会の第19回大会」が筑波大学で開催<筑波大学共催>されます。大会委員長の鮎沢聡という脳神経外科学の先生からプログラム・発表抄録集が、「『こっそり参加』で結構ですので、是非お越しいただき、御意見などをいただければ幸いです」というお手紙とともに送られて来ました(御意見などをの以下の文章が、先日の立教大のシンポジウムと似ていて気が重いのですが)。そこでのシンポジウムは「魂のありか」という企画ですが、公開シンポジウムに高橋和夫氏、吉永進一氏、三浦清宏氏、伊藤英子氏などが来られるようだし、特別講演では東大の宗教学の島薗進教授も来られるという豪華メンバーなので、万難を排して出席しようと思っています。

 もう、12月ですね。筑波大学は3学期の始まり。そして、まもなく2009年も終わりです。今年は、例年になく、早かったですし、これという作品も残せなかったな。あのPHPの本が2月に発行されて、それ以来、なにか気が抜けたようで、原稿が書けなかったなー。1学期、2学期、その間にあった夏休み、いったい何をしていたのだろうか。3月に、紀要論文を書いただけだな。こりゃーー、いかん。これでは、何のために、故郷を離れ、そして過ごしやすかった高知も離れて、こんな地震の多い、雷の怖い、風のきつい、そして夜11時半ごろからまったく面白くもない関東のテレビ番組を見なければならない(毎日放送、関西放送がなつかしいな)常陸の国に来てしまったたのか!!!  反省!!!!! いま、ここにいる自分の始まりを思い出すこと、原点を振り返ること、それが道徳の大きな働きなのではないか、と思ってしまいました。そこまでわかったら、道徳的実践が求められるわけですから、これからそれを実行することにします。つまり、これから、集中的に原稿を書きます(でも、2学期末のテストの採点もしなければならないのですが。これがおよそ500名分あるだけに、たいへんですが、言い訳をしてもことは始まりません)。

 そこで、久しぶりに、発令します。
  
 ただいまからしばらく、原稿作成につき、厳戒令を発令します!!!!

 では、これからがんばらねば。。。。。。。
 やるぞーーーー!



 「なんでも相談室」に来られた方へ
 そんなわけなので、残念ながら、もう相談も制限しなければなりません。みんな、がんばってください。祈っております。ただし、うつ気味の人には、「君もがんばれ」と言ってあげたいところですが、うつの人にはその発言はよくないんでしたね。その方には、「私以上にがんばってるね。私も負けないように今からがんばるね」と、私が声をかけていると思って下さいね。

 そんなわけで、厳戒令突入!!!


      










2009/11/18改訂版

 今日は、昼からJICA(独立法人国際協力機構)で、コロンビアやドミニカなどから派遣されてきた人たちに、道徳教育の講義をしてきました。もちろん、スペイン語の通訳つきですが、通訳している人は、どうしてあんなに言葉を操れるのであろうか。今日も思わず、「どのように勉強すれば、そのような通訳ができるようになるのですか」と、たずねてしまいました。ただただ感心しましたが、講義には疲れました。

 土曜日は、立教大のシンポジウムに行ってきました。講演の10分まえに会場に到着しました。ほぼ500人収容の講堂もほぼいっぱいでしたが、前から10列目に空席があり、その横に座っている中年の女性の目と目があったので、思わず、「となり、よろしいですか」と言って、座ってしまいました。そんなわけで、用意していただいた関係者席に行かないで、一般席に座ったわけです。だって、関係者の席に着くには、「筑波大の吉田です」とか、関係者に名乗るわけですから、あとの討論に指名される可能性が高まりますから、一般席にしたのです。ただ、ちょうどその席の一番前に、飯田史彦先生の姿が見えたので、そばに行って、握手しながら挨拶してすぐに席に戻りました。
 まもなく、司会者の濁川先生が話し出されましたが、いきなり話の前半の部分で、「今回の講演会は、飯田史彦先生が筑波大学の吉田武男先生と書かれた『スピリチュァル教育のすすめ』、・・・・・・」と私の名前が講堂中に響き、ドキッとしました。続いて、基調講演に立たれた飯田史彦先生が、話の前半部分で、「今日は、『スピリチュァル教育のすすめ』の共著者の吉田武男先生も来られていますが、・・・・・」と言われたものですから、またドキッとしていました。

以下の様子は、時間がなくなりましたので、またあす報告します。

その続きです!

 飯田先生の基調講演前には、隣の女性はテープレコーダーを出され、準備万端でした。思わず、「何年ぐらい前からのファンですか」、「どこから来られたのですか」など、いろいろとあたりさわりの少ない質問してしまいました。一旦、講演が始まると、録音されているので、よけいな話もせず、飯田先生の講演から、京都大学教授のベッカー先生などのお話が終わるまで、静かに聴いていました。休憩時間になると、真っ先にトイレに駆け込み、そしてこれから始まる討論に備えて、建物の外で深呼吸とノビをしていました。すると、お綺麗な?中年の女性から、「吉田先生ですか」と声をかけられてしまいました。その方は、筑波に在住されている方で、メールでは連絡を取ったことはあったのですが。こんな東京で、それほど有名でない私に声をおかけになるということは、「○△子」さんですかと思わず問い返すと、やはりそうでした。「よく顔がわかったですね」と言うと、「それはわかりますよ」と言って、つくば市内で発行されているフリーの情報誌Visionに掲載されている私の記事を見せられました。そんなわけで、少しお話をしていると、その方は、主宰者の濁川先生と知り合いらしく、「先生の席が用意されています。そこに座ってください」と勧められましたが、なにか気恥ずかしいので、やんわりお断りしてしまいました。すると、そこに、隣に座っていた女性が通りかかり、私がその女性とお話ししているとびっくりして、「お知り合いですか」とわれわれに質問をされました。どうも、この二人の女性は、以前に誰かのコンサートで偶然お隣同士に座った仲だったようでした。その二人がここで再会して、私がお話をしているものですから、お互いにびっくりされたようでした。私も、ますますおかしなご縁を感じたので、せっかくの主宰者のご配慮で申し訳なかったのですが、再び先ほどの席にもどって、いろいろと四方山話をしていました。もうそこでは、飯田先生の共著者であることがその女性には知られてしまったので、そのうえで、いろいろとお話をさせていただきました。そして、その女性が今読みつつあるスピリチュアル関係の本も見せてもらったり、とても参考になりました。何か、この人との出会いは、縁を感じざるえませんでした。すべてシンポジウムが終わってから、主宰者の濁川先生にご挨拶にうかがい、そうこうしていると、まわりの人と名刺交換したりで、その日は終わりました。

 その翌日からは、そこの会場でお知り合いになった人たちからメールがきて、びっくりしました。その隣に座られていた女性からは、私とお話ができて、たいへん喜んでいただきました。その方によると、最後まで、立教大学に行くか、明治神宮にいくか、迷いに迷ってこちらに来てしまったとのことでした。聞くところによると、明治神宮のどこかの場所で、あの『生命の暗号』の著者村上和雄先生(筑波大学名誉教授で、私が筑波大学に着任するや、先生にご著書にサインを求めに行った先生です。先日も、『スピリチュアル教育のすすめ』をお送りしたら、電話をいただきました)と、自然料理家の○◇さんとの対談があったようで、その方はその○◇さんに料理を教えてもらっている方で、最後の最後まで悩んだそうですが、こちらを選択してほんとうによかったと言っておられました。その「よかった」の中に、私との雑談も含めていただいているようなので、ありがたいことで、恐縮です。こちらこそ、読書されている本についてまったく知らなかったので、たいへん参考になり、思わず、書籍店で注文してきました。その本を読むのが楽しみです。ある臨床心理学者(臨床心理士)の本です。

 ここまで書いていると、また別の方から次のようなメールが来ました。一部、省略して紹介します。

吉田先生 こんばんわ(こんにちわ)

 
 やはり先生は、あの席(立教大学)に座っていらしゃたのですNe!!!
 
当日、通路をはさんで、すぐ前の席から、何度も後ろを振り向き、
先生を見つめた中年の女性が私でした。
 
講演終了後、濁川先生に「吉田先生はどちらにいらっしゃいますか?」
と、たずねてみたのですが、
「飯田先生しか吉田先生のお顔はわからないのですよ。」
とのことでしたので、ご挨拶させていただくことと、
本にサインしていただくことを諦めて帰りました。
 
 昨日、先生のご報告により、
「ああ、きっとこの人だなぁ」との自分の察しが間違っていなかったと判り、
興奮してなかなか寝つけませんでしたぁ。
 

 いやいや、そんなたいした人間でもないのに、お声をかけていただいたらよかったのに。でも、何かスターになったような気持ちにさせてくれたメールでした。私の落書き、いやサインぐらい、何の価値もないのに。こんなもので喜んでいただけるのなら、「吉田武男、吉田武男、吉田武男」を何度でも書いて差し上げますよ!!下品な私には、もったいないような、ありがたいお話でした。



 話は変わって、日曜日は、文部科学省の6階で会合があり、行ってきました。そんなわけで、土日の休みもなく、月曜の1時間目に出勤し、テストをやり、火曜日には、いつもの授業、水曜日は授業がないのですが、その日だけは午後からJICAに行ったもので、忙しく更新も途中で終わった次第です。今日もいつもの授業をやり、あすは二つのテストを実施する予定です。そして、土曜日は、家庭教育学会の理事会と他の学会の委員会があり、時間的にブッキングをおこしているので、前者に出席の予定。実は、その土曜日と日曜日は、日本道徳教育学会の大会が関西学院大学で開催されていますが、行きたい気持ちがあるものの、どうなるかわかりません。少しは休息を取らねばと思いつつ、元気にやっております。

 学生の皆さん、そんなかんじで生きておりますので、何かありましたら、ご連絡ください。メールが一番つかまりやすいと思います。

 いやいや、自分の今を思うと、大学の先生も忙しいですね。高知大学の時はもっとのんきにしていたのになー、回想したくなります。あれは、私の第二か、第三かわかりませんが、間違いなく私の青春でした。平日の夕方はサッカーのグランド、日曜日は、学生のサッカーを見に行くのが日課で、楽しませてもらいました。その高知大学も、私が着任した14年前に、前年に決勝で敗れた相手に、監督代行のようなかたちで決勝戦を松山商科大学と戦って、インカレの四国代表になり、それから連続優勝を続けているようで、なつかしく思い出されます。私が再び、その2年後に監督が留守になったときに、二度目の監督代行のようなかたちでインカレに出場して、全国3位になったときを、ほんとうになつかしく思い出されます。ちょうど、今頃の季節で、国立西が丘サッカー場で、ベンチの中で頼りない監督代行が「がんばれ」と思っていただけで、地方国立大学の学生たちが本土の強豪を撃破していくところは、本当に痛快でした。今年も、四国代表になっているはずですから、また東京に来たら、そしてわたしの時間を許せば応援しにいこうかなと思っています。その高知大学が、この夏に、ついに決勝まで進み、全国2位まで行っただけに、このインカレをがんばってほしいなと思ってしまいます(でも、夏がそのような成績だったので、おそらくこの秋はマークがきつく、思うようにはいかないと思いますが)。もし、高知大学にいたら、野地照樹先生の監督の横で、部長兼コーチとして、サッカー場のベンチにいたかと思うと、今は一人寂しく研究室にいるのですから、本当に人生というのはどちらかしか選択できないので、つらいなーと思ってしまいます。でも、高知大学のサッカー部のお別れ会の時に、野地先生に、「全国1位になる約束をやぶって筑波大学に行く以上は、その分野で1位になれよ」と励まされことを胸にしまって、新たな気持ちでがんばりたいと思ってしまいます。あの高知大学のサッカー部が、ついに1位まであと一息の2位というところまで来ているのですから、わたしも負けないように、あと一息のところまでいかないとあわせる顔がないのに、とてもその域に達していないだけになんとかせねば、と思い返した一日でした。だれにも迷惑をかけないのですから、勝手に、励みにさせてもらおうーーと、思いまーーす。

 蛇足
 サッカーで思い出したが、日本代表はなんとかならないものでしょうか。もう、来年のワールドカップでは、マスコミがいくら騒ごうが、予選リーグで0勝の予選敗退は確実でしょうから、早く5年先をにらんで、組織的な強化に入らないととても予選リーグ突破は夢の夢、それどころか、アジア予選を勝ち抜くのが精一杯でしょう。解説者も、きちんと言明すべきです。23歳以下の代表に、世界の一流の指導者、そして一流の審判を招聘しないといけないでしょう。田嶋さん(日本サッカー協会専務理事)、はやく動きなさいよ。組織のリーダーは、数年先を見通さなくては。田嶋さん、がんばってよ!! 期待しています!!!!

 




2009/11/12改訂版




 毎日、バタバタしており、書くべき原稿がまったく進まない状況で、まもなく来週から定期試験で、採点でますます忙しくなりそうです。来週に作問するする予定です。学生の見なさん、定期試験期間中にテストを行いますので、準備の方をよろしく。

 その合間をぬって、しばしば畑仕事を続けております。先日は、肥料(鶏糞)をジャガイモとホウレンソウにやってきました。ジャガイモは、これで順調に行くと、12月下旬には収穫できはずです。でも、6月に収穫したもののうち、大きくならなかったピンポン球程度のものを再度地中に埋めたものですから、あまり大きな収穫物は期待できませんが、いくつかのものは食べられるくらいの大きさになると信じています。ホウレンソウは、2週間遅れで、一列ずつ種を蒔いたので、時間差で大きくなってきます。しかし、最近は、寒さで成長スピードが遅く、食べる量に追いつかず困っています。でも、その反面、虫が寒さで極端に少なくなったので、葉を食べられる部分は一気に減りました。ということは、冬のホウレンソウには、殺虫剤系の農薬をかけないでもよいということだから、お店で売られているものでも、今頃のホウレンソウの方が安全だということだろうか。逆に言うと、秋までのホウレンソウは、無農薬だと葉っぱの半分ぐらいのものが虫に食べられてしまいますから、お店のきれいなホウレンソウ草には、かなりの農薬が散布されているのではないかと、推察してしまいます。そう考えると、恐ろしくなってきますね。あまり考えないでおこうと思いまーーす。

 土曜日は、その忙しさを無視して、次のシンポジウムに行ってきます。久々に、『スピリチュァリティー教育のすすめ』(PHP研究所)の共著者の飯田史彦先生の顔でも見てきます。フロアで、静かに一聴衆者として勉強させてもらおうと思いますが、どうなることやら。以前のホームページでも書きましたように、濁川孝志(立教大学教授、コーディネータ&ディスカッション出演)から、議論に参加してほしいと言われているので、静かには済まないかもしれません(嫌なんだけどなーー。だって、ついつい調子に乗って、スピリチャル・ケアが大切で、メンタル・ケアなんか一時しのぎのものだと言ってしまいそうだから。そこにスクールカウンセラー関係の人がいたらお怒りに触れそうで)。



シンポジウム「教育とスピリチュァリティ」

 2009年11月14日(土) 14時〜17時
 立教大学 池袋キャンパス 8号館 8101教室(500名様収容の大教室です)

 演者: 飯田史彦(基調講演&ディスカッション出演)、カール・ベッカー(京都大学教授、講演&ディスカッション出演)、上田亜樹子(立教大学チャプレン、講演&ディスカッション出演)、大石和男(立教大学教授、講演&ディスカッション出演)、濁川孝志(立教大学教授、コーディネータ&ディスカッション出演)
詳しくは、↓

http://www.rikkyo.ac.jp/events/2009/11/5505/

を見てください。

 日曜日は、文科省の東館6階で朝から夕方まで研究会に行かねばならないので、今週も休息なしで来週に突入。そんなわけで、今週も、来週も、十分な休息もとれず、がんばっております。ご用の方は、メールでご一報ください。




2009/11/5改訂版

 ご心配をおかけしましたが、無事、土曜日11時に筑波発、そして成田空港に(12時30分着・14時発)、海ほたる経由(15時から16時まで休憩・見学)、芦ノ湖の箱根ホテルに行き(17時44分)、小田原で有名どころのかまぼこを買いあさり、筑波に夜21時30分にもどりました。約400キロでした。シューラー先生には、喜んでもらえたので一安心でした。

 最近、インフルエンザが流行しているようですが、吉田家では方針が決まりました。まあ、自然に免疫ができていると信じつつ、できるだけかからないように、手洗いを気をつける。かかったときは、治療・療養する。順番がまわってくるかわからない、しかも効果があるかどうかもわからないワクチンを求めないで、さっさと寝て、免疫力を強化する(お酒を飲み過ぎない)。もしかかったときも、強い免疫力で、大難を小難に押さえるよう努力する。使い捨ての市販のマスクは、たぶん効果がない(ウイルスよりもマスクの編み目の方がでかいので、防ぎきれない)と判断し、原則としてかけないが、かけたければ勝手に自宅に買い溜めしてあるものを使用する。この姿勢で、右往左往しないでやり過ごすようにする。じたばたしない。無用に危機を煽らないようにしたいと思っています。世間はマスク不足やワクチン不足で騒がしいですが。

 そうそう、大学をはじめ、世間では、「メンタルケア」という言葉が、何かの一つ覚えのように騒がしいですね。 現実の問題に対し、「大丈夫ですよ」的なメンタル・ケアでは、せいぜい、一時しのぎにしかなりえないのに。何ごとも、一時しのぎも必要なこともありますが、一時しのぎに依存しすぎては」いけないと思います。そんなことで右往左往してどうするのですかね。「なぜメンタルケアの必要な人が増えたのか」というというような論文か本を書いてみたいなと思っています。ぜったいに、人の苦しみや悩みを利用して、自分の居場所を作りその職域を拡大している寄生虫のような人間がいるんだろうな。困った社会だ!そんな人たちにつけ込まれないように、右往左往しないで、しっかり生きましょう!!。そんなときに、道徳の「道」という「道しるべ」が大事なのでしょうね。決して、人の悩みや苦しみをサポートすると言いながら、それらを喰らう人たちによる「心の病気の押し売り」に、騙されないようにしたいものです。特に、大学をはじめ、学校の教育関係者は。教育現場に仕掛けられた「トロイの木馬」を見抜く眼力が求められます。そうでないと、研究者・教育者、そして指導を受ける被教育者は、特に良心的な人ほど、学問や科学よりも、関心を持ち出すと底抜け状態になる心の虜になってしまい、「教育」や「指導」よりも、自閉的な「ケア」や「支援」に邁進してしまいます。個々人の心の世界をさまよっている間に、隣国やアジア諸国、あるいは国際社会の変化についていけなく、気がつけば自立できない発展途上国あるいは他国の植民地に日本がなってしまっているかもしれません。個人のメンタルな世界に閉じ込めるのではなく、未来を拓く若者や子どもに、もっと広い視野を持たせてあげたいものです。それだけに、逆の方向に関心を向けさせる私事的な「メンタルケア」は、スピリチュアル的な宗教性の弱い日本人には、宗教的な機能を及ぼしかねないので、欧米諸国に比べてはるかに危険なのです。いつのまにか、「メンタルの専門家」が、新興宗教の教祖や重鎮の座についていることになりかねません。恐ろしいことです。そうこう考えると、やはり、繰り返しになりますが、スピリチュアル的な宗教性の弱い日本人には、道徳の「道」という「道しるべ」が大きな鍵になる、つまり道徳教育が重要だということに落ち着くのです(ちょっと、コマーシャルが入ったかな<笑>)。


 そうした「メンタルケア」の連呼も困ったものですが、軽々しいレッテル貼り(ラベリング)も困りものです。何かあれば、「自閉症」とか。そんなに自閉症が増えたら、本当に深刻な自閉症の子どもの問題を薄めてしまうのみならず、そうかどうかわからない子どもに、「自閉症ぎみ」とか「軽度の自閉症」とか、レッテル貼りをして困ったものです。実は、先日も、前前任校で教えた学生から最近、メールや電話があります。突然、どこかで私を思い出してもらったようで、ありがたいことですが。
 しかし、先日も、その教え子の一人から、近況報告があり、自分の子どもが自閉症で、きちんと学級担任として対応してくれないので、校長に言って担任を換えてもらったとか、言うものだから、何を偉そうに校長にそのような要求をするのか、自分の子どもを自閉症、自閉症とそのメンタルな面を強調するよりも、かけがえのない我が子を自閉症とレッテルを貼る前に、「○△くん」と、自分の子ども全体をまるごと包み込んで育てたらどうか、それこそ、なにか生き方としてあなたは間違っているのではないか、という趣旨のきつい説教を、20年ぶりなのに、してしまいました。
 すると、次のようなメールが来ました。
「おっしゃる通りで、きつくお説教してやりたいと思われて当然だと思いますし、
人生のバランスを崩していると感じられても仕方ないとも思います。
ゆったり生きる事も忘れていました。子どもたちの現実を受け入れるだけで
精一杯と思い込んで。周囲に気楽に考えれば?といわれることも実際あるので。
ご指摘いただいたおかげで背中に冷たいものが一筋・・・目が覚める思いがしました。
まず、少し深呼吸して色々な事に向き合って行こうと思います。
先生の講義を聞いておきながら、こんな嫌な奴になってしまった自分を
凄く恥じています。時折伺った事思い出すこともあるのに。・・・」

 ちょっと、いきなり言い過ぎたかなと思ったのですが、そのような返事をくれたので、一安心しました。「この世に子育てよりも価値のある仕事はない」のですから、がんばってくれたらと、祈るばかりです。親の暮らしが整えば、そのような子どもの症状も改善・治癒するだろうと信じたいです。そうなるはずです!! その子どもの症状は、因縁でつながっている家族全体の在り方への「警鐘サイン」ではないでしょうか!!!病気が一番弱い部位に出るように、家族有機体のその家族にとってもっとも弱い部分に症状が出てしまっているのではと考えてしまうのです。子育てが悪い、DVがある、とか、部分的なことではなく、家族全体がおかしいから、その特定部分に症状が出るのでしょう。DVだけが問題で、あるいは子育てだけが問題で、他の家族の生活がすべてうまくいっている、というケースはまずないでしょう!その種の問題のある家族は、他もおかしいはずです。私は、そう考えてしまいます。

 今週から来週にかけては、おとなしく大学で教育・研究活動に専心したいと思います。何かあれば、ご連絡ください。

 なお、11月の海外出張はなくなりましたので、テストはテスト期間中に実施します。公的に認められる理由で欠席するときは、追試願いを出してください。12月上旬に、追試試験を行います。






2009/10/28改訂版
 今、人間学群の新入生との懇談会が終わったところです。学生は、いつも若いですが、こちらは知らず知らずのうちに、確実に歳をとっていきます。そう考えると、人生、残り時間が少なくなってくると、何か寂しいものがありますね。

 本当に、時の経つが最近、本当に早いですね。このあいだ植えたと思っていたサツマイモが大きくなったので、霜が降りないうちに採らねば芯がかたくなるそうなので、収穫をしました。日曜日の出来事でした。そのとき、びっくりしたのですが、隣の家との境界線付近と、道に面した部分の雑草や雑木が抜かれてきれいになっていました。きっと隣の家のおじさんが、見るに見かねて、刈り取ってくれたのだと思います。いつぞやも、時間があるので、気がむいたら刈ってやるよとおっしゃてくれていたので。1年前は、見るに見かねて、向かいの畑のおじさんが耕運機で耕してくれたし、ご近所の方に、いろいろと助けてもらっています。ありがたいことです。今回は、お礼に行きましたが、留守なので、新聞紙に採れたてのサツマイモをくるんで、玄関に置いてきました。70歳過ぎのひとり暮らしのおじいさんなので、5つぐらいにしておきました。結局、ミカン箱3つぐらい採れましたので、いくらでも差し上げられたのですが、これくらいでよいかと思ったのです。こんなものではお礼にもなりませんが、とりあえずは、気は心ということで、許していただこうと思っています。

 今週は、木曜日と金曜日、1日中、大学に来ております。土曜日は、久々に大学には来ません日曜日も来ません。日曜日は、国士舘大学で開催される関東教育学会に出席する予定です。その前日は、成田空港にドイツ人をお迎えに車で出動して、タクシーの運転手代わりをします。1週間の秋休みを利用して、シュタイナー学校の先生が来日されて、立川にあるNPOの賢治の学校・自由ヴァルドルフ学校で、教師の研修と、親たち向けの講演に来られるのです。わずか1週間で帰国されるので、お話もできないので、車の中で話そうという作戦なのです。お金も時間もそのためにつぶれますが、恩義のある方なので、「そうしなければならないからする」という道徳ではなく、「そうしたいからする」、「知ったからには、そうしたくなる」という道徳が、動いているのです。
 実は、この先生は、3年前にドイツに7ヶ月滞在したときに、一番下の娘をシュタイナー学校に転入させていただきました。1年生からでも、そう簡単に入学させてもらえないのに、ドイツ語のまったくわからない娘の転入を、私のメールでの依頼だけで、認めてもらった学級担任の先生なのです。そのおかげで、日本でいうクラスのPTA(「親の夕べ」と言う)にも参加させてもらって、著作でしかわからなかったことを実体験させてもらいました。そのうえ、保護者ということで、見たいときに授業にいらっしゃいと言われていたので、何度も授業を見せていただきました。私と年齢がほとんど同じくらいの先生で、シュタイナー学校の8年間の学級担任を、現在で4回目に入っている方です。ドイツでも、日本でも、そこそこ有名な先生で、日本でも、先生の講演を基にした著書が昨年に出版されています。

 
ドーリス シューラー著・鳥山 雅代訳『ママのためのシュタイナー教育入門』春秋社、2008年

 
お世話になった娘の成長ぶりを見てもらって、ドイツのニュルンベルクの様子でも聞いてみます。でも、運転しながらのドイツ語、大丈夫かな? 最近、ドイツ語ともご無沙汰しているので、かなり耳が不安ですね。豚インフルエンザの話はしなくっちゃ。

 豚インフルエンザで思い出した。
9月1日の改訂版でも書きましたように、我が家では息子がかかりました。しかし、他の家族には、なぜか感染しませんでした。その後も、家族はかかっていません。一番したの娘の学校も、学級閉鎖で今日から休みです。だから、部活もないから、土曜日は連れていけそうです。
 何か、気のせいかもしれませんが、我が家では、息子のインフルエンザで、そこを乗り越えたので、
免疫ができたのかなと思って(信じて)いるのです。そう思い(信じ)込んでいると、インフルエンザも怖くなくなりました。もし、感染すれば、その時点で、やっぱり気のせいだったのかと思って、あきらめて医療・療養・養生すればよいのではないかと思っています。とにかく、あまり騒がずに、マイペースで、よく寝てよく食べて、健康に過ごすように心がけようと思っています。インフルエンザに屈しない免疫力の形成に、かかっていないときは努力しようと思います。へんな対症療法的な予防や初期治療に振り回されないようにして。この姿勢が、私の心理主義批判と教育観とも通じるので。苦しみや悩みに感染しない免疫力を育成すること、それが教育の大きな役割と考えているからです。
 そう思っていても、私の娘の通う学校もそうですが、何を騒いでいるのかと思ってしまうような感じです。たとえば、文化祭前1週間のあいだは、全員、マスクをつけてくるよう指導がありました。文化祭前にインフルエンザの蔓延を防ぎ、文化祭を予定通りやろうという配慮です。よく考えてみると、ヘンなんですよね。だって、マスクの効果を信じるのであれば、文化祭の前だろうが後だろうか、インフルエンザに感染するのはよくないのだから、いつもかけさせるというのならばわかりますが、文化祭前だけというのは、文化祭の行事が大事であって、インフルエンザにかかること自体を防ごうとしていないことになりませんかね。また、日本では、市販のマスク自体が効果があると信じているけれど、世界保健機構WHOではマスクを効果のある予防とは見ていません。そうなると、マスクを全員につけさせて登校させること自体、そんな一つの思い込みで教員が生徒に強制するところは、なにか違和感を覚えてしまいます。マスクが多少なりとも効果があると思っている親の子どもさんが、親の意志でつけてくることはわかります。でも、生徒全員に強制的にマスクをつけさせて登校させるというのは、なにか大政翼賛的な雰囲気を感じてしまいます。
 おそらく、土曜に合うシューラー先生が、生徒全員がマスクをして学校に入っていく姿を見たら、腰をぬかすんじゃないだろうか。だって、そもそも風邪に対しても、ドイツ人はマスクをかけて外出するなんて考えられないと思います。マスクをかけるぐらい悪ければ、自宅で療養、あるいは病院で治療するのがあたりまえで、街を出歩いたり、学校に通学したりなど、考えられないでしょう。もし、マスクをかけてドイツの街を歩けば、いやそうな目でみられ避けられることでしょう。なぜなら、マスクをするくらいとんでもない病気になっている、あるいは何か都合が悪くて顔を隠しているととられるからです。そんなドイツ人が、全員、学校にマスクをかけていく姿を見たら、なにをそんなにしてまでも、感染しないように学校に行かなければならないのか、首をかしげられることでしょう。その種のことを、土曜日にシューラー先生にぜひたずねてみたいと思っています。
 マスクを予防のためにもかけて外出する、マスク信奉の日本人、マスクのしないドイツ人、どっちがヘンなのか。
 どっちが正しいかではなく、お国の習慣の違いに驚かされますね。

付記
 
そのシューラー先生に、「成田空港に迎えに行く」というメールを2回送ったのですが、連絡がきません。そこで、今日、シューラー先生の学級の保護者にスカイプ電話して、「今日学校に行った時にこちらの計画と、メールを見てほしい」と、伝えてほしいと頼みました。そのついでに、「日本の学校では、学級の生徒が一定数欠席すると、学級閉鎖なんですよ。うちの子どもの学級が閉鎖されて、休んでいます。ドイツはどうですか?」とたずねました。そうすると、「風邪やインフルエンザで、そんなおかしなことはありえませんよ。病気で休む子どもは欠席すればよいだけで、元気な子どもはそれぞれ登校するだけですよ。学級の子どもが半分になっても、勉強しに元気に来ている子どもをつかまえて、病気の子どものことを考えて、授業はしませんから、帰りなさいとは言えないでしょう」と、笑いながら答えられました。やっぱり、この学級閉鎖という画一的な発想は、(個性伸長をめざす日本<もちろん皮肉です!>)の特徴なんだ、と思わず納得してしまいました。
 あとは、その人がシューラー先生に伝えてくれることを祈るばかりです。今日の夜中には、メールが来るかな?!

その後、どうなったのか、とご心配いただくかもしれませんので、
30日にその続きを付加しました!

ついに、来ました!
次のようなものでした。


直訳すると、

吉田さん
私はあなたの知らせを受け取り、あなたとあなたの家族と再び会えることをとても楽しみにしています。
私は空港であなたたちに会うことになるでしょう。あなたたちがそこにいないときには、私は一人で立川に電車で行きます。
敬具
ドリス・シューラーより



そんなわけで、これで一件決着しました。しかし、その後の話で、そのまま箱根まで送ることになりました。一生に何度もないことですから、成田経由で、箱根往復の旅に行ってきます!
よかったら、無事にことが済むことを祈ってやってください!!!
では、また。



2009/10/22改訂版


「更新すれば、文句ねーだろう!」
最近、遠くからのメールではなく、直接、更新を催促する人が現れたので、思わず口汚く言ってしまった次第です。

 とにかく、また多忙状況に追い込まれています。まるで、毎日が自転車操業のような状態で、ときどき会議を忘れて欠席してしまいます。困ったことです。
 最近は、何十年ぶりに手帳を持って、忘れないようにメモをしているのですが、慣れないことをしてもなかなか身につかず、手帳をしばしば紛失しますし、手帳に記入すれば、日時を間違ってメモするやら、冷や冷やものです。先日の土曜日については、私の手帳には、日本家庭教育学会の委員会、日本特別活動学会理事会、関東教育学会理事会と書かれ、翌日曜日は日本教材学会で発表と記されていたのです。しかし、水曜日になにか胸騒ぎがしたので、日本教材学会で発表する大学院生をつかまえて、「発表、次の18日の日曜日だよね」とたずねると、その学生が、「17日の土曜日ですよ」という返事。研究室で慣れないメモ張を見ると、やはり日曜日の日大で発表となっていました。「あいつ、ウソを言ったんじゃないかな」と思いつつ、プログラムを探し出して見てみると、ガーーーーーーン。17日の土曜日でした。しまったと思って、発表の用意に入りました。そうなると、土曜日は、4つの会合があることになり、ブッキングをおこすことになりました。そして、17時から開催される関東教育学会は、いろいろと出席してからまわると遅くなるだろうと思って、金曜日に事務局長に電話をしたら、「理事会は月曜日ですよ」と言われてしまいました。いったい、俺は何を書いているのか、何か病気ではないのか、自分の都合の良い日時に勝手に仕事を入れてしまう病気ではないか、と思ってしまいました。そんなこんなで、土曜から月曜日まで外の仕事でバタバタしてしまい、いろいろ人に迷惑をおかけして、今に至っています。
 また、ついに一家で、携帯電話を持つはめになりました。しかし、携帯電話の留守録を聞く方法も、そもそも自分の携帯の番号も知らない状態です。だから、携帯電話の請求額は、すべて月々2000円以下です。いや、それどころか、今も携帯がどこに置いたかわかりません。いつも、家や研究室や車の中に置き忘れます。娘からは、「何度、電話してもでない。それでは、携帯とは言わない」と、言われてしまう始末。いやいや、携帯を持ってないと暮らせない人の気持ちには、なかなか到達できそうもない今日この頃です。

 11月までに、小さな原稿をあわせると、4つ書かなければなりません。1つは、原稿用紙にして、120枚です。実は、9月締切の本の原稿なのですが、とても書けそうにないところに、他に3つがあり、どうなることやら。自転車操業ではなく、借金地獄のループを走らされているようです。

 そんな状況なので、学生さんには、十分にお話したり聞いたりできませんが、お許しくださいませ。私が話すときは、ストレス解消に使われて会話になるかもしれませんので、あまり私に近づかないほうがよいかもしれませんね。用心して、近寄ってくださいね。

 ところで、最近、反響を呼んでいるとまでは行きませんが、あの『スピリチュァリティー教育のすすめ』(PHP研究所)の本は、いろいろと人間関係を広めてくれますね。ほとんど1ヶ月で書いた本なのですが・・・・。たとえば、あの『生命の暗号』の著者村上和雄先生(筑波大学名誉教授、私は筑波大学に着任するやいなや、先生の研究室に出かけていって先生の著書にサインをもらいに行きました)から電話をいただくし。先日も、福祉関係の専門だと思うのですが、立教大学の濁川孝志先生から、「ぜひ、
シンポジウム「教育とスピリチュァリティ」(2009年11月14日(土) 14時〜17時  立教大学 池袋キャンパス 8号館 8101教室
に出席してほしい、できれば会場から議論に参加してほしい」というありがたいお言葉をいただきました。また、先日は、筑波大学医学群の脳神経外科の鮎澤聡先生という方から、「人体科学会の第19回大会を筑波大学で12月12日、13日に開催<筑波大学共催>し、そこでシンポジウム「魂のありか」を企画しているので、参加してもらいたいし、大会も懇親会も招待します」という連絡があり、ポスターも送られて来ました。
 どちらのシンポジウムも時間さえ許せば出席したくなるテーマで、ひとりの聴衆として参加できればありがたいのですが、そこで何かをしゃべれとなると、気が引けてしまいます。何かのご縁ですから、できるだけこっそり参加させてもらって、教育学領域以外の人からいろいろと勉強させてもらい、刺激をいただきたいと思っています。

 そんなこんなの近況です。

 付記
 学生さんへ
 11月末のドイツ出張はしませんので、予定通り、期間中に定期試験を実施します。




2009/10/11改訂版

 更新が遅れまして失礼いたしました。
 今日は、日曜日で、外では騒がしく学園祭の音が聞こえてきます。学園祭も、同じ大学に11年もいると、学生たちは換わっているので、毎年人それぞれ楽しんでいるのでしょうが、こちらの視点から見れば、いつも同じようなことをやっているようで、学生さんには悪いが、つまらないなと思うようになりました。特に、最近は、人間の品評会(コンテスト)のようなものをやるようになったので、何かそのようなことをする人たち、楽しもうとする人たちがこの中にたくさんいると思うと、多くの学生さんには関係がないし、多くの人たちは気にしないのでしょうが、私はへそ曲がりなのか、どうしても引いてしまうようになりました。人間尊重の精神や人権の感覚をうたがってしまうのです。法的にはセーフであっても、道徳的にはひっかかってしまいます。その気持ちを表現するべく、一昨年から毎年行っていた1000円の寄付もしなくなりました。たった一つの企画なのですが、どうしてもこれがあるだけで、全体が許し難い気持ちになり、気分も悪くなってしまう、器の小さな私なのです。

 その気分の悪さは、ここ数日の日本代表サッカーの親善試合に対しても向けられました。何かの一つ覚えのような「ワールドカップベスト4」のアナウンス。人を煽るのも、ほどがあると思います。過去にも書きましたが、あり得ないことを何を言っているのだろうかと、あきれるどころか、腹立たしいですね。香港やスコットランドとか、数日後に相手するトーゴにしても、ワールドカップに出場の可能性もほとんどない国を相手に勝てば、どうしてワールドカップの予選リーグを勝ち抜いて、決勝トーナメントで2試合も勝ってベスト4になるのでしょうか。そのうえ、スコットランドなんか、ワールドカップ予選があるのですから、レギラーメンバーが9名程度欠けて(一般的に、ヨーロッパのリーグ戦のあるこのときに、どうしてすぐれた選手が日本にまで親善試合で来るのでしょうか。ちょっと考えたらわかることでしょう!)、補欠メンバがほとんどなのに、そんなチームに勝って、どうしてワールドカップ4位に展望が拓けるのでしょうか。トーゴにいたっては、ワールドカップ出場を逃したチームを招待して、何をする気でしょうか。アフリカの国に慣れるためとかいうのでしょうが、彼らだって、来年の出場を逃がした時点で、もう5年後のチームづくりに移行するのですから、2軍の若手選手に代表のユニフォームを着せて、やってくるだけですから、さっぱり、理解不可能です!!!(その程度の代表選手の試合に、日本の観客がどの程度スタジアムに来るのか、それだけが見物ですね。もし、満員に近ければ、甲子園球場に押しかける、野球のタイガースファンと同じノリなのでしょう)。
 よほど、お隣の韓国と相互に親善試合をした方が、よほど相互にプラスでしょうに。
 協会の田嶋幸三さんに、おたずねしたいところですねーーーーー。知人のよしみで、久々にメールでも送るかな!(でも、向こうも多忙だし、私もそうだし。結局、やめておくか!!)
 しかし、国民を騙してはいけませんよ!!!!
 ウソをついてはいけません!
 
 そんなこととは、全く別な話になりますが、畑の話をします。

忙しい中、今日は我が家の畑で、収穫しました。ピーマン、茄子、カボチャ、サツマイモ(試し掘り)、大根、そして落花生です。植物は、ウソをつかないのでいいですね。だって、シュタイナー用語で言えば、アストラル体がないのですから(ちなみに、シュターナー流に言うと、人間の場合は、ウソをつくことができるのですが、そうし続けると、実は人や社会に迷惑をかけるだけでなく、何よりも、自分のアストラル体が傷つきますから、カルマの世界観から言うと、現世を去る前あたりからとんでもない悪循環のループを行くことになり、それ相応の因果がはたらき、とんでもない精神界や来世を準備することになります。それを俗世界では、「ウソをつくと地獄に行く」、「ウソをつくと閻魔様に舌を抜かれる」とか、いったのではないでしょうかね。古代エジプトの壁画でも、死んだ人の心臓が天秤に掛けられている絵がありますね。これは、現世のアストラル体を検査していると見れば、シュターナーの主張の象徴的な場面ととらえることができます。古今東西、古くから言い伝えられている中には、なにかそこに真実が隠されている、と考えてしまうのは、シュタイナーの勉強をしすぎたせいなのかな?????)

これが私の畑の様子です↓




収穫した形の悪いさつまいもとカボチャ、  収穫した落花生と定規
                            (高専時代に製図で使ったT定規)
                            カラスから案山子に見えないかな?







 前はシシトウと茄子
 後ろは高知から持って来た琵琶の種が11年で生長したところ。その右がサツマイモ畑。
 その気に黄色の袋が掛けられてあるのは、カラスやキジが人と間違って逃げないかなと思ってのことです。あまり、効果は見られませんが・・・・・。

 今日、14日も大学に来る途中、この畑によって、左側のところに植えたほうれん草の畝、そしてこの6月に大きくならなかった小さなジャガイモを植えて、12月に収穫しようしているジャガイモの畝に、水を与えてきたところです。出てきたほうれん草は、バッタなどに食べられて穴だらけです。有機農法の道は、雑草だけでなく、虫も相手にしなければならないので、たいへんです。ところが、スーパーのほうれん草は、ほとんど虫に食べられていません。虫も食べないほうれん草を人間が食べていてよいのか、と思わずそのような突っ込みを入れたくなる、なんでも批評したくなる一人の教育学者のサガです。

 今週はいそがしくなりそうです。大学には、明日の祭日から金曜日まで来ていますので、ご連絡ください。土曜日は、日本教材学会で発表のため、不在になります。





2009/10/1改訂版

 最近、「なんでも相談室」にたずねてくれる学生が増えています。喜んでよいのか、それとも嘆くべきなのかよくわかりませんが。私のこの相談室は、相談者数何名になったとか、グラフにして多く来ていることを自慢したりしません。または、困ったりしていると言ったりしません。どちらにしろ、そのようなことを言いたがるところの意図は、学内外にかかわらず、「だからスタッフを増やせ」「経費を増やせ」ということを主張したいのです。「保健○×センター」「△□相談室」「いのちの◎▲センター」などです。私も、同じように、「こんなに相談者が増えているのだから、個人研究費の増額、研究室の増設、助手の雇用促進」などと訴えれば、同じ穴のムジナになってしまいます。一般的に、教育、福祉、医療、宗教などという、何か人の弱みにつけ込む職域は、何か問題を作ったり、あるいは大きくしたりして、自分たちの仕事を作り、仲間をつくる悪い習性をもっています。「人の弱みにつけ込む寄生虫」です。そのことをしっかり自覚して、節度と節制をもって活動することが求まられる職域です。だから、私は、数字を公表して、他から、「だからスタッフを増やしてあげよう」「経費を増やしてあげよう」という声を姑息に求めたりしません。淡々と、「多くの人を広く効率的に救って自分の存在感を強めようとするのではなく、目の前に必然的に現れる、何か縁のあるその学生を、誠実に助けさせていただく」という使命を果たしたいと思っております。

 もう一つ、最近の出来事としては、上記のように人間とかかわるというだけでは、何か偏った人間になると思い、植物とかかわるようにしています。つまり、畑仕事に、励んでいます。そうすると、いろいろなことを学びます。もちろん、どうしたら作物が安全にかつ多量に収穫できるかということも学びます。しかし、何か人生を学ぶのです。いつも気にかけて水などやらないと、作物は枯れてしまいまし、あるいは、雑草も生えます。つまり、いつも世話をしないといけないのです。でも、一生懸命作っていても、人間サイドから言わせていただければ、おいしい作物ができるわけではありません。つまり、努力をしても、報われません。そのうえ、虫や動物(カラスやキジ)などに理不尽にも荒らされてしまいます。つまり、何も悪いことをしていないのに、誰かから理不尽な攻撃を受けてしまいます。茄子は虫に食われながらも、花が咲くと、そこに必ず茄子が実ります。つまり、努力した分だけ、それ相応に報われます。そして何やかんやといろいろあっても、また来年、がんばってみようとするわけですから、人生の縮図のような気持ちになっています。
 最近は、スイカや落花生がカラスに食べられてしまいました。今は、要らなくなったCD盤をひもでつなげて、ピカピカ光らせて、怖がらせていますが、残念ながら、今日もまた一カ所、落花生がやられてしまいました。白菜や菜っ葉の苗を植えたのですが、バッタらしきものに食べられてしまいました。いま、大きくなり出したほうれん草も、かなり穴を空けられています。ようやく、大根の芽が出てきました。これから間引きして、大きくしたいと思っています。1ヶ月前にこの6月に収穫したジャガイモの中で小さなものを再度植えて、12月に収穫したいと思っています。それらの芽がようやく出てきました。そろそろ、サツマイモの収穫です。霜が降りる前に、収穫したいと思っています。ミニトマトは、今、収穫期です。
 野菜のできばえはすぐ判明するのですが、教育はなかなかわかりにくいですから、困りますね。

 そんなわけで、いつも元気にやっていますが、やはり歳には勝てず、ついにいわゆる「50肩」とかいうやつになってしまい、左肩が痛いです。いま、湿布で冷やしながら、針治療を継続しているところです。若くないのですから、気をつけたいと思っています。やはり、そろそろ少林寺拳法から、太極拳に戻さなければいけない歳なのか。悲しいですね。歳をとるのは・・・・・(涙)。
 特に、活動性も弱ってきたせいか、目だけでもと思い、いつもまたドイツに行きたいなと思って、ドイツヤフーを毎日見るのが日課になっています(いや、必ず、今年度中には、研究調査で必ず行くのですが、その準備もかねて)。昨日、天気を見ていると、私が3年前滞在したドイツは、もう最低気温が8度でした。あのときは、暖冬だったので、今時もそこまで気温が下がらなかったのに、今年は低そうですね。あまりにも低すぎると、インフルエンザも凍結しないのかな、とバカなことを考えていますが、昨日、おかしなことを発見しました。そこには、サモア諸島の地震の記事が載っていました。そこで発見したのですが、みなさん、「津波」のドイツ語を知っていますか???
私は、はずかしいことに、それまでまったく知りませんでした。なんとドイツ語で、超簡単なのですよ。つまり、Tsunami です。

証拠をあげます。記事の見出しに次のようなものがありました。

Todlicher Tsunami rast ueber Inseln im Pazifik.

日本語に訳すと、

「生命を脅かす津波が、太平洋の島々を越えて荒れ狂っている」

 
でしょうか。このように、津波は、Tsunami なのです。大発見でしょう!!!
「たいしたことないぞ、それも知らなかったのか」、という突っ込みもありそうですが。


 3日は、土浦の花火大会。でも、もう歳で、見に行こうという気力も出ませんね(涙)。心の悩みで困っている人は、花火でも見てくるといいでしょう。花火療法(私が命名しました)といいます。私は、そのようなものはないので、しっかり本でも読んで、勉学に励みたいところですが、いろいろと予定が入ってたいへんです。4日の日曜日は朝から夜まで文科省で研究会があって、せっかくのつぶれてしまいます。衆議院選挙の当日に行って以来で、雰囲気はどうなっているのやら。でも、日曜日だからわからないか。また、文科省の中庭にある、君が代に唄われた「さざれ石」と記念写真を撮ってくるか。5日、6日、7日、8日といろいろな公務があり、大学に来ています。

 

 では、元気に1週間を送りましょう!!!!!
 みなさん、痩せましょう!!!  自分に語っている蛇足です





2009/9/24 改訂版

 9月19日の土曜日、奈良で小学校の同窓会があったので帰省してきました。金曜日午後6時に出発して、日曜日の真夜中(正確には月曜日の午前1時)に到着という弾丸帰省ツアーでした。出発は、東京の首都高速が渋滞のため、三郷から外環道路を経て、東松山まで北上し、再び中央道の八王子に向かうという迂回路線でした。諏訪湖を夜11時半に通過し、午前2時に小牧を経由して、早朝4時20分に奈良に到着しました。帰路は、夕方4時に、大和西大寺の駅の売店で、わざわざ「マントくん」のキーホルダーを買い求めてから出発しました(「遷都くん」のお土産は、どこでも売られているのですが、「マントくん」がなかなか見つからないのです)。午後9時頃に浜名湖を横目にして通過して、東京には午前0時に突入。横浜で25分ほど渋滞に巻き込まれましたが、スムーズに来ました。高速料金は、都市部の別料金を含めて、およそ3000円程度でしたから、ガソリン代がおよそ5000円として、夜行バス程度の8000円ですから、安く上がりました。でも、疲れましたが。





 眠気が心配だったので、同郷の大学院生を横に座ってもらって眠気を防いでもらう予定でしたが、どうも早寝早起きの健全な生活をしているせいか、往路は小牧から奈良まで睡眠、往路は東京インターから筑波まで睡眠、という状態で、後半は役立たなかった同伴者でした。まあ、中盤で眠気が起きなかったから、役に立ったと判断して、よしとするかと思っています。

 高速道路は安くなってよかったけれど、ドイツではすべて無料であることを考えると、無料でもよいかなと思った帰省でした。大都市外の高速道路1000円を無料にすると、もっと混むではないかという批判が聞こえてきそうですが、無料になっても、今以上には混まないと私は思いますね。なぜなら、今は、カーナビゲーションで混雑の状況は把握できますし、現在のように、一回高速道路に入ると1000円になるから、混雑していても意地でもやむを得ず渋滞に入って並んでいるが、無料ならば、適当なところで前もって下の道に降りて、また適当なところで高速道路に乗ることになるから、全体として回避行動をとるために、意外とこれ以上は混まないような印象を受けました。このドライバーの心理的な行動を予測している評論家はいたかなーーー?(こんなときにこそ、状況をわかりやすく説明してくれる心理学は大事ですよ!!。教育や医療やモラルの世界に、万能のように入ってくるからおかしいのです!!!!。節度や自己節制が大切です。特に臨床心理は。臨床心理は、内省に導くのが務めであって、治療が第一に目指されては、エセ精神医学以外の何物でもないでしょうに!!!!!!!)
 
そんなわけで、筑波に戻っていますので、ご安心ください。何か用事のある方は、メールでご連絡ください。





2009/9/17 改訂版

 毎日、いそがしくやっております。本当に「心の病」なんて、どうしたらなれるのだろうかと思ってしまいます。そんな雰囲気です。そもそも「心は病気になるのでしょうか」。「病気になるのは、体ではないのか」と言ってやりたい気分です。この内容は、あのシュターナーが確か言っていたような!!!!

 まもなく秋の連休になりますが、同僚の先生の中には、この機会に外国に調査研究に出られる先生もおられます。でも、私は国内でがんばることにします。いや、そうならざる得ない状況でして、何しろ、教員には3日間連続の夏期休暇を7月、8月、9月の中でとれる権利があるのですが、まったく今年は活用できなかった、放棄せざる得ない状況になってしまいました。さあ、原稿を書かねば。でも、研究室はゴミ屋敷。まずは、掃除をして資料探しをしてからだな(涙涙涙)。

 でも、前向きに生きていきたいと思います。

 何か用事のある方は、少しのタイムラグがありますが、メールでご連絡ください。
 
                       

      joschida@human.tsukuba.ac.jp

    
 みなさん、よい連休を!(金曜日がありますが)





2009/9/10 改訂版




 最近、おかしなサッカーの日本代表の試合を見せられて、気分悪いですね。はやく、「世界のベスト4を目指す岡田ジャパーン」というアナウンサーのフレーズ、やめてもらえないかな。「ノーベル賞を目指す吉田武男」より、可能性は少ないだろうに。ちらっと見ただけだが、一人のDFの選手、力が落ちましたね。過去はすごかったのに、かわいそうですね。そしてスポーツは残酷だなと思ってしまいます。もう一人、有名なMFもぜんぜんダメでしたね。アナウンサーは褒め讃えているが、彼にボールが渡ると、スピードが明らかに落ちますね。過去があるから、そしてフリーキックのうまさがあるから、そして人気があるからなかなか切れないのだろうけれど。監督は非情にならないとチームは強くならないだろうし、つらい職務ですね。きっと岡田監督もできないんだろうなと思っていますが、やるべきでしょう(私は、その点、へんな情が働く方ですから、自分でよくわかっていますから、これまで長くサッカーとかかわってきましたが、一度も、どんな弱いチームでも、監督はしていません。自分は、悲しいかな、そんな器でもないし、自分の性格ではなれないということを自覚しています。その星の下に生まれていないと思っています。すべて、ヘッドコーチ、コーチ、部長、代理監督、臨時監督で、いつもだれかの下にいたのが、何よりの証拠です。でも、そういうポジションにつくと、自慢ではないですが、少し自慢も入りますが、以外とどのチームも強くなり、その監督の位置にある人には喜ばれますね。これでも、自分は二番手がお似合いと思っているのです)。

 最近、いろいろと学生さんが相談に来てくれますね。問い合わせもありますね。ホームページの影響かな。今のところ、うまくいっていますが、私の研究時間が割かれて少し困りますね。でも、人様を相手にご飯をたべさせてもらう仕事をしていますから、偉そうには言えません。あまり私などを頼りにしないで元気でやっていただくことを祈るばかりです。

 11月末には、ドイツに1週間ばかり行きたいなと思っていますので、それまでに共編著を1冊仕上げるよう、がんばります。だから、また多忙な日々が訪れそうですが、がんばりたいと思います。がんばっていくらの人生ですから。

 そんなわけで、しばらくは毎日、土曜日曜日も、時間のある限り、大学につめていますので、何かあればご連絡下さい。



2009/9/1改訂版



 無事、8月28日に筑波にもどってきました。もどっても、28日(金)の夜から残務整理。翌日29日は、つくば祭りだというのに、30日(日)の文部科学省での研究会に向けて資料作り。その翌日は、選挙を午前8時に済ませて文部科学省へ。そこで用事を済ませて、文部科学省の庭にある、「君が代」の歌詞に歌われることで、その名が知られている「さざれ石」を見学してもどって夜に帰ってきました。帰ったら、選挙速報を見ていたら、その夜は終わりました。その翌日、大学に来て雑務を済ませて、左腕が痛いので針治療に行きました。そして、1日、大学に来るなり、学類専門科目と大学院の授業をして、ようやく今に至りました。
 その間、自宅では一人の子ども(高校生)がインフルエンザにかかって寝込んでいたようですが、発病中は私はほとんど新潟にいたお陰で、どうも感染からのがれたようでした(無責任な父親ですね)。不思議なことに、他の家の住人も感染しなかったようです。感染力が弱いのか、家族の免疫力が強いのか、何かわかりませんが、とにかくラッキーでした。考えようによっては、感染した子どももこれで免疫ができたわけで、今年の冬や来年の受験のときにも、インフルエンザにおびえることなく暮らせるのだから、ラッキーではないかと思っています。家では、「おまえはだけは、これでインフルエンザの菌を持っている人と出会っても恐れることがないのだから、大きな顔をして暮らせ」と励ましてやりました。
 
 新潟の話をするのを忘れていました。新潟では、25日の夕方に、以前に勤務した大学の時代の教え子で、いま教師をしている女性と会ってお店で食事をしました。数日前に、メールで時間があったら2年ぶりに会うかという連絡をしておきました。その折に、「もう二人目が出来たか」と、よけいな一言を言ったのですが、会って見ると、彼女は妊娠6ヶ月の身重の状態でした。本人からは、「メールで書いたように、先生は、やっぱりスピリチュアルな能力あるでしょう。いきなり二人目出来たと言うから、なぜそれを知っているのと思いましたよ」と言われてしまいました。どうも、『スピリチュァリティー教育のすすめ』(PHP研究所)を読んでいたようで(本人によると、朝日新聞に広告が出ていたのを見つけたそうで、それもめったにそんなところを見ないのに何かに導かれるように見つけたそうで)、だいぶ影響を受けたようでした。2時間ほど、昔話で花が咲きました。「こうして話できるのも、自宅で小さな子どもを世話して待っている旦那さんがおられるからで、物足りないとか、まじめすぎるとか言っちゃだめで、感謝してなかよく暮らせよ」と、道徳教育の先生らしく、偉そうに説教をして別れました。しかし、そこでも、よけいな一言を言ってしまいました。「出産してみて、体と相談してまだ生めそうだと思ったら、もう一人いけよ」と。もちろん、教職という仕事も大事です。そして子育てか仕事か、どちらをとるというような選択が求められることがあります。両立することがよいのですが、どちらかを選択しなければならないことがあるかもしれません。もしそのような問いがあるなら、私の価値観では、答えははっきりしているのです。もちろん、反対・批判される人もいるでしょうし、私の考えが一つの真理ではありませんが、私は、子育ての選択を勧めます。私はそのときに、いつも次のように言うことにしています。
 
「この世に、子育てよりも価値のある仕事がありますか」と。
子育てをとるか、仕事をとるかで、躊躇する気がわからないですね。だって、「仕事」と言っても、ずばり本質を言えば「金儲け」ではありませんか。子育てと金儲け、子どもとお金、どっちが人生で大切か、少し考えれば、いや考えなくてもわかることではないですか。いつのまに、日本人は、お金の亡者になったのでしょうか。感覚がおかしいのではないでしょうか。「お金」をよく口にする関西人の私でも、「金儲け」とは言いませんよ。そんなこと言っては、都会で暮らせなくなると反論されるのでしょうか。それじゃ、田舎に帰って、暮らせばよいではありませんかと言ってあげたいです。少子化、高齢化の問題が、一気に解決するでしょう。どうして、日々の生き方がおかしいとか、パラダイム転換的に考えないのでしょうか。困った風潮ですね。
とにかく、今回、母子と共に元気に12月に出産の時を迎えることを祈るばかりです。

 それから、毎日、街角で見ていたら、何か新潟の高校生の身なりが、ワンパターンでヘンだったな。うまく言えないが、特に女子の生徒が・・・・。
 とにかく、仕事柄、ついつい話題が人間になってしまうのですが、新潟はやはり水がおいしくて米がおいしくて、よかったな。ラーメンもおいしかったし、何か気のせいかもしれないが、コンビニのおにぎりまでおいしそうに感じたのだが。しかし、冬はたいへんそう。こんなことを言うと、冬の厳しさを生き抜く新潟県民にしかられそうですが、夏の一時期だけ、新潟に行くのもよい静養になるかなと思ってしまった4日間でした。

 あすは、午前中から夜まで、断続的に会議。その翌日からいよいよ本格的な授業。また、体育学群の学生さんとの格闘が待っています。あーーー、体育学群で思い出した。数年前にその学生の一人として教えた福見友子さん、柔道世界選手権で優勝してほんとうによかった。「おめでとう」2年前は国内で谷選手を倒しながら世界選手権に出られず、谷選手が世界一になった日は泣いていたそうな。悔しかっただろうな。「君が代」を聞きながら、涙がつたっていたが、見ているこちらも目頭が熱くなった。
 いまから、3年前になるかな。テストが終わったときに、「福見さん、最近、どうしているの」とたずねたときに、「今、スランプなんです」と小さな声で答えました。その答えを受けて、私はあれこれ偉そうに言った中に、「あなたは、谷選手にない若さが武器なのだから、あんまり考え込まないでがむしゃらにがんばりや」というようなことを言ったはず。それから、数ヶ月後だったと思うが、福見さんは、世界選手権の予選でみごとに谷選手を破り優勝したのに、選考委員の陰謀のような協議のおかげで出場できず。代わりに出た谷選手が優勝し、その実績を大きな根拠に、北京オリンピック予選で、再び他の選手に決勝で負けたのに出場して優勝できなかった。一方、福見さんは、世界選手権選考で切れてしまったのか、北京オリンピック予選では、さっさと負けてしまって北京オリンピックには相手にされなかった。それだけに、今回、復活して、世界選手権予選を勝ち抜き、そして北京オリンピックで谷選手が勝てなかった相手を一本勝ちで倒して優勝したのだから、たいしたものだ。「あのときの選考委員のみなさん、武道家の端くれならば恥を知りなさい、武士道の核の一つに恥があったはずです。年寄りは若い芽をつぶしたらあかん」と、言ってやりたい気分です。これからも選手であり続ける以上、いろいろ苦難があるでしょうが、あの小さな体でがんばってほしい。階級は違うが、数年先輩にあたる谷本歩実よりも、なにかおとなしいめの学生だっただけに、さぞかし悔しくて心的にこたえていただろうなと思うと、今回の優勝はほんとうによかったと思います。「おめでとう、福見さん!! 」
 
 毎日、大学には来ています。土曜日も日曜日も。何かあれば、学生さん、ご連絡下さい。メールがつかまりやすいと思います。





2009/8/19改訂版

 久々に、分刻みのスケジュールになってきました。そんなわけで、皆様にご迷惑をおかけしますが、お許し下さい。特に、「なんでも相談室」を希望されて連絡をいただいた学生さんには、申し訳ありません。ビールとお茶とアイスでも召し上がって、スポーツでもしながら、待っていて下さい。あまり考え込まないで下さいよ。考えるという行為そののものが批判的・反感的なものですから。逆説的に言えば、批判的・反感的にならなければ思考はできませんから。気持ちのよい好感的なときは、何も考えませんから。恋愛を思い浮かべればわかるでしょう。好感的で気持ちのよいときには、考えないで行動してしまいます。だから、気をつけてセーブしないと、度が過ぎたことをするではありませんか。それに対して、考え出すと、別れるときではないでしょうか?考えるの反対は、行動することですから、行動して感情の在り方を好感的なモードにしてください。他のみなさんも!!!

 さあ、22日と23日の両日、日本特別活動学会が無事終わりました。委員長の責任が果たせて、ほっとしているところです。私の勧誘にだまされて協力していただいた唐木清志副委員長、根津朋実事務局長にはたいへんお世話になりました。ありがとうございました。また、私と、両先生の依頼を受けて運営を手伝っていただいた学生のみなさん、ありがとうございました。この場を借りて、お礼を申し上げます。

 24日は、研究の打ち合わせに東京まで行ってきました。そして、大学にもどって、他の学会発表の要旨集原稿を作成して、メールで学会事務局に送信しましたら、もう25日になってしまいました。今日、朝から起きて、新潟に向かいます。13時から新潟の医療福祉大学で特別活動の集中講義をやります。28日の夜に大学に来る予定です。そんなわけで、不在になりますが、よろしくお願いいたします(大学の事務には届けてありますが)。なお、最低、1日1回は、先方の大学でメールを読んでいますので、何かあれば、いつものメールアドレスにお送り下さい。

 では、新潟に行ってきます!!!!!!!!
おいしい鮨とラーメンを食べてきます!!!

  
  
 






2009/8/19改訂版         




 無事、16日(日)、日本列島の渋滞の中、筑波に戻ってまいりました。1400キロの旅となりました。特に、16日(日)は、やけっぱちのドライブでした。奈良の天理インターを午前11時に入って、桜土浦インターを午後10時40分ですから、まあおよそ12時間の旅となってしまいました。その日は、東名阪国道は順調だったのですが、亀山付近から四日市まで17キロ渋滞という掲示を発見し、高速道路をあきらめ(乗り放題1000円なのに)、国道25号線、23号線を走りました。なんと驚くなかれ、下の道はガラガラでスイスイ進みました。30分程度で、四日市に着きました。まるで高速道路のように。そこから、伊勢湾高速に乗って、東名高速に向かうかと思ったのですが、どうも日本坂トンネルなど断続的にすでに20キロ以上混んでいることが情報でわかりましたので、中央道経由に変更しました。しかし、そこでふと頭をよぎったのは、『スピリチュァリティー教育のすすめ』(PHP研究所)の共著者の飯田史彦先生が8月20日にオープンする「光の学校」でした。そこで、大垣インターから養老大橋を過ぎてすぐと聞いていたので、それほど遠回りにならないと考え、桑名から国道を北上して大垣インターに向かいました。下の道は空いていて、あっという間に養老大橋を渡ってしまいました。これはまずいと思い、Uターンして養老大橋を再度渡り、200メートル行ったところに、噂に聞いていたきれいな建物を発見しました。その前には、大きな看板があり、「ふみクマ先生」の絵も見えましたので、確信をもってそこに立ち寄りました。生まれつきあつかましい私は、入れていただいて、1階を見学してきました。そこで、30分余りとまって、それから大垣インターから中央道に回り、韮崎までは順調でした。しかし、そのあたりから、6キロ、6キロ、3キロの渋滞を越えて、八王子まで来ました。あとはスムーズで、自宅には夜の11時に到着したのでした。まあ、よりみち等を考えると、これでも順調だったのかと思います。自宅に帰って、12時頃ニュースを見ていたら、東名高速道路は東京付近で20キロ渋滞だと言っていましたから、まあ選択肢はあやまっていなかったのではと思っています。でも、少し疲れましたね。
 今回、帰省して驚いたのは、奈良がますます観光地化してきて、いままで無かったような建物や看板が増えていたことです。何か、京都より泥臭さがよかったのに、少し寂しくなりました。15日には、夜7時から10時までの3時間、東大寺の大仏さまの顔の前にある扉が開かれるので、子どもたちを引き連れて見に行きました(その扉は、そのときと、1月1日の午前0時から8時まで開くだけで、1年に11時間しかその姿は見えないのです。しかも、その時間帯は、無料で大仏殿の中まで拝観させてもらえます)。でも、本当に人が多かったです。しかも、南大門のところには、門そのものにヘンな看板がつけられて、風情がなかったですね。おかしなサービスや案内はやめたほうがいいのに、と私は思ってしまいました。平城旧跡にも、遷都1300年を記念して、目新しい建物の建設が始まっていました。私のふるさともこれからどうなるのやらと、思った帰省でした。しかし、今回の帰省で一番びっくりしたのは、なんと言っても人間関係でした。
 実家に帰って雑談していると、○○ちゃんのご主人のお父さんがノーベル賞を取られたというのです。何を言っているのか、アンパンマン賞やドキンちゃん賞なら、うちの子どもはもらったことがあるが、ノーベル賞とは、何を言っているのか、まぎらわしい賞の名前をつけるなよなと、即座に批判をしました。そんな馬鹿なことがあるか、それなら数年前に写した○○ちゃんの結婚式の写真をもってこいよ、と毒づいていました。そして、引き出しから写真を出して見たところ、○○ちゃんの横に写っている旦那の横にいるおじさん、よく見たらどこかで見たおじさん。そうーなんです。受賞の時の挨拶で、苦手な英語を使わなかった益川さんが写っているではありませんか。もちろん、その反対の新婦側は、小さい頃から見慣れた親戚のおじさんとおばさんでした。春の連休の時にはそんな話はまったくなかったのに、まさに、「えーーーー」でした。私の側の親戚たちもここ数ヶ月の間にほんの少しだけ知ったようでした(結婚式当時はノーベル賞をもらっておられなかったし、私の親戚には学者関係はだれもいませんので、親戚関係では、何か賞ををもらってテレビや新聞で取りあげられていた少しユニークなおじさんぐらいの認識でしか、今でもないでしょうね)。○○ちゃんというのは、私より15歳くらい下の従妹でして、従妹と言っても歳も離れた女の子で、小さい頃から勉強の出来る子どもだったこともあって、私にとっては遊ぶこともほとんどありませんでした。二人とも奈良から出てきていて偶然にも、現在も近くの研究所に勤務していますが、会おうともしない疎遠な関係なのです。だからなんと言うこともないのだけれど、そしてただ、従妹の結婚相手の親というだけのことなので、まったく私の暮らしには何の影響も実際にないのだけれど、いつのまにか遠い親戚関係になっていたという事実を知って、びっくりしてしまいました。恐ろしや恐ろしや、人間のつながり。今から思えば、ご主人の親は京都の私大の先生をしていると言っていましたが、まさかまさかです。当時、私の親は大学の先生やけど知っているかとたずねられたことがありましたが、確か「専門が違えば知るわけないやろ。だいたい、筑波大学の教員だって、知らない人の方が多いのに、全国となると、大学の教員と言っても、その数は増えて、理容師と同じくらいいるのだから、わかるはずがないでしょう」というような回答をしたような気がします。しかし、○○ちゃんも、結婚した相手の親が突然ノーベル賞を取られたのだから、さぞかしびっくりしたことでしょう。普通の舅(しゅうと)さんでも気を使うのに、ノーベル賞受賞者の舅さんとなると、気を使わないように心がけてもさぞかし気を使ってしまうだろうな、と従妹の心を思いやってしまいました。

 そんな土産話をしているうちに時間が経過してしまいました。そして、19日も終了してしまいました。すいません。更新が20日にずれ込んでしまいました。お待ちいただいた方々、申し訳ございませんでした。

 20日から24日までは筑波にいますが、25日から新潟県の新潟医療福祉大学に集中講義に出かけて不在になります。ご用の方は、早い目にご連絡ください。それまでは、毎日、大学に来ていますが、22日、23日の日本特別活動学会の準備でバタバタしています。したがいまして、メールで何かあればお知らせ下さればよいと思います。









2009/8/10改訂版

 
事務から3日連続の夏期休暇を申請するように連絡がありましたが、今年はまったく休みがとれず、放棄するような事態になっています。1ヶ月以上もほとんど顔をあわせない先生もいるのに、なぜ私は毎日学校に来なければならないのか、平成の筑波大学の謎です。
 そんな状況ですが、何とか、奈良への帰省を実現しようとしているところです。予定では、水曜日の夕方に信州に向かい、そこで1泊してから木曜日の夕方に奈良に到着です(もし、時間があれば、飯田史彦さんのつくった「学校」を外からでも見たいと思っているのですが)。その日は、高速道路の1000円の恩恵を受けられそうですが、道路は混んでいるだろうな。また、抜け道を探すことになるのでしょうかね。そして、金曜日に京田辺のNPOシュタイナー学校を訪問して、日曜日、どんなに混んでいようが、高速道路で帰ってきます。たぶん、真夜中になるのかな。翌月曜日に、つくば市の教育委員会の会議に出て、日が暮れてからこのホームページの更新を行うというのが、1週間の予定です。
                       

 
 
そんなわけですから、用事ある方は、水曜日の午後3時頃までに連絡をください。また、それ以降については、メールをどこからでも見られますので、メールで送っておいてください。

 
今、何かマスコミによると、関西は大雨らしいですね。甲子園の野球も2日雨天中止ですしね。人身被害も出ているようですね。可哀想ですね。
 そうそう、そう言えば、この春に帰ったとき、奈良の百姓のおばちゃんが、「今年は、蜂の巣が低いから、台風が来るで。若竹の伸びも少ないし」などと言っていましたが、的中しているのでしょうか?よくわかりませんが。しばらく様子を見てみましょう。

 テレビを見ていると、何とかならないのかなと思ってしまう日本の風潮。教育界でも、何かの一つ覚えのように、「心の教育」、「自己実現」、「自分探し」が連呼するように、一人のアイドルが何か事件を起こすと、まあーーー繰り返し繰り返し同じアイドルの報道が放送される。まるで、そのアイドルにマスコミジャックをされたような状態だ。もっと、高所大所から、大事な情報をテレビでは伝えてほしいのだが。そんな個人のこと、どうでもよいことだと思ってしまいます。もっと社会にとって大切な情報が選別されてしかるべきだろうと。ドイツでも、大きなスキャンダルが起きても、日本のように、どこのチャンネルを選んでも、同じ報道が流れるようなことはまずなかったように思う。どうして何もかも日本は、付和雷同のようになるのだろうか。
 また、いずれ、弱い日本のサッカー、監督も世界的には相手にされない2流監督、選手もほとんど世界で相手にされない2流選手のに、マスコミが「世界3位を目指す」などと叫ぶだろう(Jリーグで大活躍している(たとえば、得点王ランキング上位者である)外国人の多くは、その国の代表選手ではないという事実がJリーグの選手レベルを裏付けているのです)。そんなことを言うと、間違いなく、反発する人がいるでしょうが、でも事実なのです。日本の監督は、外国のクラブや代表から優秀だから招聘されたことがありますか!中村選手がいるではないか、と反論する人もいるでしょう。
偉そうに言わせていただくと、中村選手も確かに日本では優秀選手でしょう。でも、世界レベルで言えば、スペイン、イタリア、イングランドという最もレベルの高いリーグで活躍したことはなかったでしょう。1流半のドイツのリーグより下の、スコットランドリーグで活躍しただけでしょう。今回、スペインリーグに移籍したので、私の言っていることが明確になるでしょう。もちろん、へそ曲がりの私も、日本人としてがんばってほしいと心情的には願っていますが、真実を真実として冷静に判断すれば、あんなトップリーグで通用するはずがないと思います。もちろん、フリーキックなどの技術は1流だと思いますが、それだけでは本気にぶつかるリーグ戦では1年は通用しないでしょう。残念な予想ですが、おそらくすぐにケガをさせられて毎試合出場は苦しくなるはずです。私の主観では、そんな世界は、甘くないと思います。どこを私が問題にしているのかというと、第一に体の大きさ、第二に足の速さ、そしてさらに付け加えれば体力という、技術以前のことなのです。つまり、選手の努力では、いかんともしがたい要素なのです。日本人の悲しさです。もちろん、心情的には中村選手にはその予想がはずれてほしいのですが、現実は厳しいと思います(中村選手のファンの方、すいません)。ワールドカップに出場できないようなケガを負わなければよいのだが。ワールドカップに出場したいのならば、世界トップのスペインリーグにおけるプレーを1年間遅らせて、ワールドカップが終わってから行ってよかったのではと思います。その次のワールドカップは歳で出場できないのだから(もし、出場したらどうすると反論するでしょうが、旬を過ぎた選手が出なければならないのであれば、日本代表は今よりももっと弱くなっているはずです)。つまり、保守的な私としては、体のヒットの弱い日本で調整した方が確率的によかったのにと思っています。でも彼の心の中は知るべくもないですが、世界トップのスペインリーグと南アフリカのワールドカップとをはかりにかけて、リスクを考えても、来年は声がかかる保障もないので、やっぱり夢の世界トップのスペインリーグで一度はやってみようと決断したのなら、それも彼のサッカー人生で悔い無しでよいのではないでしょうか。やれるだけやってみるというチャレンジは、スピリチュアル的に言うととても価値のある生き方だと思います。でも、他人の目から冷静に見れば、ケガを防ぐためにやめたほうがよかったのになあ、と見てしまいます。おそらく、これも想像ですが、ケガを恐れているのはご本人もわかっているのではないでしょうか。しばしば、よいパスを出したとスポーツ解説者が言いますが、私の言い方をすれば、実はよいパスしか出せないのです。つまり、ゴール正面から中央のドリブルで切り裂くようなプレーをしないのは、ヒットのきつい反則気味のプレーを避けたいからではないでしょうか。それをやってしまうと、体が小さく足も速くないのでとんでもない大ケガをしてしまうからでしょう。そんなことを考えると、中田選手は、あの体の大きさでイタリアリーグでそんなプレーもしていましたから、すごいとしか言いようがないですね。私は、中村選手は中田選手を越えていないと思っています(中村選手のファンの方、本当にすいません)。それぐらい、あの飄々とした中田はすごかったと思います(全くの推測ですが、中田選手の早い引退は、もうどうにもならないようなケガを抱えていて、体がかなりガタガタだったのではと思っているのですが、大はずれでしょうか)。
 話を中村選手に戻すと、
万全の体で挑戦できるようにJリーグでこの1年はやるべきであったということを主張するスポーツライターはまずいないでしょうが、へそ曲がりな吉田は、そんな見方をしてしまうのです。こんなへそ曲がりだから、「スクールカウンセラーの派遣反対」、「スクールカウンセラーよりスクールソーシャルワーカーを」などと、普通の人の言わないようなことを主張してしまうのでしょう。こんなアウトサイダーの人間も、少しは世の中にいるのも価値があると思うのですが、どうでしょう。

 では、また筑波に帰ってから更新します。
 このホームページを見て、気分を害された方もお元気で夏を過ごしてください。
 ではではでは。





2009/8/3改訂版(一部修正8/4)


 去年の今頃はスイスのチューリッヒで飛行機を待っていたのに、今年はゴミ屋敷の研究室を掃除しています。もう、シュレッダーで4回分、書類をズタズタしました。昨日から、大がかりな捜し物をしています。大切な論文のコピーが、ゴミの中に消えてしまったのです。1ヶ月前に消えたのです。いつか出てくるだろうと思っていたのですが、まだ出てこないのです。しかたがないので、必要ない書類を片っ端からシュレッダーに入れました。昨日の日曜日5時間、0時過ぎまで作業をしましたが、ダメでした。今日、また作業を1時間ほどしたところで、ついに見つかりました。6時間かかりました。やはり、「整頓」「整理」は大事だ、と今頃になって実感している有様です。「道徳の時間」に、「整頓」「整理」が大切だと、小学校1,2年生は教えられるんだけれど、そんな教訓は、現実に痛い目にあってしか、わからないものですよね。授業としていくらお題目を並べたところで、道徳は身につかないわなと思ってしまいます。そこが、教科の知的内容の習得と、道徳の習得との大きな違いなのに、そんなことに目もくれないで道徳教育関係者の多くは、なぜひたすら道徳の教科化を目指すのかな・・・。何か既得権か、利益があるのでしょうかねー。教科書の執筆とか・・・。そうだとすれば、そのような人たちは真の道徳心・道徳的感覚を持っていないことになります。それどころか、気をつけないと、道徳や善を喰らう教育関係者になりさがってしまいます。それでは、人の悩みや苦しみに寄生する臨床心理家と同レベルになってしまいます。道徳的行為は、法にひっかからなければよいというものではないのです。その点がとてもやっかいなのが、道徳なのです。宗教臨床心理も、そして教育もそうなのです。特に、道徳教育は、道徳教育という二つの言葉からなる合成語だから、それに携わる者は、なおさら誠実でなければならないのです。そのあたりの真の誠実さが大切だと思います。少なくとも、「道徳教育関係者は道徳家にあらず」、と言われないようにしてもらいたいものだ、と願うばかりです。道徳教育には、技術や方法ではない、薫陶(くんとう)というものが内在しているのですから。偽善者によってすぐれた技術(スキル)や方法で道徳教育が行われるなら、とんでもない薫陶が子どもに行われていることになってしまいます。恐ろしいことです。
 話が脇道に逸れたので話を書類の探索にもどすと、よかったことは、お陰で少し研究室が少しきれいになったという現実なのですが(自分の過去との比較であって、他の人の比較においては、つまり一般的にはまだまだゴミ屋敷ですが)、何よりもよかったのは、平成9年に送られてきた私の基礎年金番号の書類が出てきたことです。なにしろ、年金宅配便や年金特別便?(正式な名前は忘れてしまいました)なども、私のところにはまったく来ないのです。テレビでは、誕生日の月に、オレンジ色か青色か知らないが、いずれにせよ何らかの封筒が送られてくると言っていたが、今年の4月には、何も送られて来ませんでした。テレビに、送られてこない人はどうすればよいか、という「突っ込み」をいれたい気分でした。昨年から社会保険庁で探してもらっているのですが、何よりも基礎年金番号がわからないので、「消えた年金」の一人から脱出できないのです。それが今回の掃除の結果、有力な手がかりになるかもしれないのです。そうなると、重要な書類が消えたことが、思わぬ副産物を生み出してくれました。いやいや、数年かかって探していた書類が、論文の紛失の機会に見つかったというおかしな事件、私に言わせれば、起きるべくして起きたスピリチュアルな事件が起きてしまいました(ヘンな日本語)。
そんなこんなで、少し研究室も美化されましたので、何か用事があれば研究室におこし下さい。座ってもらうスペースだけは確保できました。

 さあ、明日は更新講習の準備と学会の委員会、明後日は講習の授業、木曜日は会議、金曜日は現職教員の方の指導、そろそろ盆休みの前の職務が目白押し。




 そんなわけで、毎日、大学に元気に来ておりますので、何かあればメールでも送ってくださいね。






2009/7/30改訂版
カルガモ事件のその後(もう、はるかまえの話題になりますが)
 
忘れた方は、5月27日臨時更新版を見てください!!
 
その後、どうなったのかというお問い合わせがありましたが、これまで時間がなく報告できませんでした。そこで、本日、忘れないうちに、でもかなり忘れましたが、とりあえずご心配されている方に事後報告させていただきます。

 とりあえずカルガモを引き取られたご近所の奥さんが、知り合いの獣医に電話され、事情を説明されたそうです。すると、その獣医さんは、その場合には県であずかったもらえる施設が土浦市にあるので、そこに相談するように指示されたそうです。そこで、その奥さんは、市では断られたけれども、県の施設に電話をして話したところわかったもらえたようで、車で午前中に運ばれて、無事保護してもらえることになったそうです。その後、奥さんは自宅に戻られて過ごしていると、午後3時頃になって、冷たくむげに断った市の方より、人が変わったような親切な対応で電話があり、そちらにうかがいたいという連絡があったそうです。もちろん、そのときは、もう県に引き取られたので、ここにいないことをお伝えすると、お力添えになれなくて申し訳なかったというお詫びとともに電話が切れたそうです。あまりの態度の豹変ぶりに、その奥さんは、私が市役所に苦情を言ってくれたのかなと思ったそうです。実は、そのとおりで、泣き寝入りの言葉を辞書に持たない私が、すぐに担当者に苦情を言いました。いくら言っても話がつきませんでした。それならやむを得ないと思い、あつかましく市長に連絡をしました。その日は、なんの返答も市長からは私にありませんでした。ただ、その日は、その奥さんに午後に丁寧な連絡が担当課からあっただけでした。
 二週間ほど経ったでしょうか、市長から公式文書が私宛に来ました。そこには、担当課は、法律に則り対応した、と書かれていました。そのあとで、市も県の担当部署に連絡をとって、今回の処置について問い合わせたそうです。その結果、県の担当者からの回答では、確かにカルガモは保護対象の鳥類に法的になっていないが、親が目の前で死に、小ガモだけでは生きていけないことは明確であったことを考えると、病気と同じ状態と解釈して保護すべきであった、そのうえ昨今のテレビ報道等によるカルガモへの愛着感をかんがみるとき、今回のケースは保護にあたるものであった、というものだったそうです。したがって、市としては、法的には問題がなくても県の指摘を重く受け止め、今後はこのようなケースでは保護するというかたちで対処します、ということが書かれていました。そこで、早速、その文書をその奥さんに持って行き、こちらの住民が保護した行為や市に苦情を言った感覚は、そんなにおかしなものでなかった、ということを確認し合って事件が終わった、というのが後日談でした。
 でも、一人の素人の奥さんが小ガモを助けたいという熱意で簡単にやれることを、どうして市の専門の担当部署が法律一辺倒で保護を拒否するだけで、そのような法を越えた柔軟な処置のアドバイス等ができなかったのか、と考えると、何かしっくりいかないカルガモ事件でした。いや、そういうところに道徳・倫理・モラルみたいなものが必要ではないかと思ったのです。もちろん、そこでの道徳・倫理・モラルみたいなものとは、「知ったからにはしなければならない」というようなものではなく、「知ったからにはしたくてたまらなくなる」というような、湧き出すようなものです。そのようなものをシュタイナーは、
道徳的ファンタジーと呼んだのではないか、と私は勝手に解釈をしていますが、どうなんでしょうか。

 この三日間、大学はオープンキャンパスで、高校生がウロウロしていました。俺にも、こんな時期もあったのかなと思って、高校生の顔を見ていました。大学をめずらしそうに見ている姿を眺めていると、初初しく見えました。
 昨日は、学校の知り合いの先生から筑波大学のオープンキャンパスに行ったら会って話してあげてほしいと言われていた高校生が関西からわざわざやってこられました。他の学群の受験を考えているようでしたが、公的には話せないような筑波大学評価をはじめ、他の大学評価をしてあげました。参考になればよいのですが。
 そして、今日は、私の子どもの一人が筑波大に来ています。半分以上は冷やかしの感覚で。とにかく夏休み中に二つの大学を訪問するのが宿題のようで、その一つを近場でクリアーする気でしょうか。自宅から近い、医学学類に行ったようです。医者になる気もないくせに。なにしろ、蝉もアリも魚もてんとう虫も触れない高校生ですから、とても生きた人間なんか相手にできないでしょうに。でも、医学領域に触れてみて、どんな感想を持ったかは親としては知りたいところですね。自分がまったくわからない世界ですから。とにかく、教育学類はまったく眼中にないようで、親と同じ道を選びそうにないから、そして自立していくのだろうから、めでたいなーと思っています。でも、親の後を追いかけてこないのも少し寂しいですが、少し長いスパーンで見ると、吉田家は、私も親の仕事(農業)を次いでいませんし、私の親も祖父の仕事(桶屋)を継いでいませんし、その祖父はその親の仕事(武士、これは継げないか!!。ちなみに、私の名前の「武」はここから由来しているのです。祖父からは、前田藩の家来だったそうで、家紋も前田家と同じなのです)を継いでいないし。そういう宿命なのでしょうね。私の家系は。親の仕事を継承させない私の血族のキャリア教育はどうなっているのか、あるいは父権が機能しないのかなど、と突っ込みを入れてみたくなるところです。

 話を、現実に戻しましょう。

 
 しかし、思い出しますね。昨年の今頃はドイツで研究をしていて、そろそろ帰国準備をしていたのに、今年は何もできずに7月が終わりそうです。7月が終わると、まもなく涼しくなって、もう今年が終わるのですから。今年は、特に8月は大学院入試と日本特別活動学会第18回大会があって、あっという間に終わるだろう。あーあ、なんと時間が経つのが早いことか。ぶつぶつ愚痴をこぼさず、がんばるか。何をがんばるかわからないが。「そんなにがんばらなくていいんだよ」なんて言われたら、もう人生がそろそろ終わりになってしまうので、とにかく前向きに現実をがんばっていくしかないと思っています。なにしろ、後ろ向きになると、心理主義の心理カウンセラーが追いかけてくるような気がするので。シュタイナー的に言うと、
ルチィファーの誘惑というやつかな。でも、あまり現実的にガツガツしていると、シュタイナー的に言うと、アートマンの誘惑もあるかな。人間は、この両者のせめぎ合いの中で、バランスを取って生きるものだと、確かシュタイナー先生は言っていたような。心して生きたいと思っています。

 そんなこんなでバタバタしておりますが、今年は8月12日までは大学に、最低限、平日は毎日来ています。何かありましら、こちらの研究室に来てください。あるいは、メール等でご連絡ください。

 その後は、17日に、大学に来ますが、それまで不在です。そのあいだは、もちろんドイツです! すいません。ウソです。帰省です。長野経由で奈良に帰ります。しかし、16日、高速の渋滞はどうなのだろうか。すごいだろうな。覚悟してもどって参ります。そんな予定ですので、何かありましたら、それにあわせて対応をお願いします。



2009/7/28改訂版


とにかく臨時的に近況報告だけにさせてください。また、あしたということ。

まあ、7月で夏期休業なのに毎日いそがしいです。
そのうえ、カラスが目の前でカーカー鳴きます。だれか、縁のある方が、意識不明か亡くなられたか、などと考えがちですから、憂鬱な気分です。鬱な気分の時は、鬱だとしゃべりだすとますますそうなってしまいそうです。思い出した過去に縛られるだけ。そういうときは、シュタイナー先生のおっしゃっていることを参考にして、甘いものを食べれば癒されると思って、今日も甘いものを食べようと決心したところです。でも、甘いものは、成人病にもなるし、何よりも太ります。そのあたりを気をつけて、あんパンでも、まんじゅうでも食べて治癒させたいと思っています。そんな近況です。でも、元気にやっています。



2009/7/16改訂版
カルガモ事件のその後
 
また、次回ということでお許しください。

少林寺拳法大会の県予
のその後
 出場した娘は、茨城県の層がうすいのか、何が起きたのか、女子二段の部で優勝する始末で、10月の全国大会(於:弘前)に代表でいくことになりました。まったく予期していなかった結果でした。

カラス事件のその後

 その後、特に変わったことがなく、一安心しているところです。あれは何だったんだろうか。謎ということにしておきましょう。

七月事件のその後

 
ここ数年、7月はドイツに行くことになっていたのに、めずらしく日本にいるので「七月事件」と表現してみました。
 本当に日本は暑いですね!!!
 
昨年は、特にドイツでは涼しく、昨年の今頃は、ニュルンベルクの生命保険会社の温度計は14℃を示していたのに。ブツブツ。万一、今年が暑かったとしても、ドイツでは、「hitzefrei」(ヒッツェフライ)、日本語で無理やりに訳せば「暑さ休み」というものがあって、州によって若干温度は違うのですが、平日、午前11時の時点で25℃に気温が達すると、健康を考えて、その後の授業は休みになり、子どもは自宅に帰されます。先生も子どももさっさと帰り、自宅で静かにしているか、プールにでも出かけるか、という日本では考えられない風景があるのです。だから、30℃を超すこんな暑い中に、大学にいるなんて、考えられないのです。そんなことを考えると、情けなくなってきます。しかも、もう7月も半分が過ぎたのに、何もこれという仕事が進まないのに、日だけが経過してしまいます。焦ります。ウウウウウウ−。その大きな原因は、8月22日、23日に筑波大学で開催される日本特別活動学会第18回大会の準備です。今年は、それの実行委員長を仰せつかっているのです。
 22日の午後のシンポジウムは、一般公開していますので、時間のある方はお越しください。
 
公開シンポジウム 14:00〜17:00
       テーマ 「社会に参画する態度を育てる体験活動の構想」


  
その中のシンポジストの一人に、一昨年、筑波大学をやめられて、文科省に調査官として勤務されている藤田晃之先生をお招きました。藤田先生を見たい人も、来てください

      2.会  場 筑波大学 春日キャンパス(図書館情報学群)
        〒305-8550 つくば市春日1-2
        (つくばエクスプレス「つくば駅」下車 徒歩約10分)

 
もちろん、このテーマの原案は私が考えました。意図を簡単に説明すると、虚構の世界で自己実現などを目指す心理主義化した教育状況に対して、きちんと現実の社会を見据え、そこに心理学的な単なる「適応」のではなく、積極的に参画して現実社会を担っていく能力や態度の重要性を強調したかったのです。その意味では、いつも自分が主張している点を、実行委員長の権限を利用して目立たぬようにきっちり反映させたつもりです。せめて、そのくらいの主張は許されるでしょう。
どこにも、「心」という文字は出ていませんし。


 
何も7月は仕事が進んでいませんが、これからの仕事は山積みです。今年は、久しぶりに、学会で発表します。それから、秋までに道徳教育の共著を仕上げなければなりません。それから、ドイツに2回は今年度中に調査に行かねばなりません。そんなわけで、のんきに仕事が進まないと言っている暇はないのです。
 でも、18日(土)だけは、一家そろってのんびり東京にコンサートを見に行く予定です。実は、『スピリチュァリティー教育のすすめ』の共著者である飯田史彦さんの「朗読劇&音楽療法コンサート」(東京・文京シビックホール)に出かけます。大学を辞職されて、新たに研究所をつくられましたが、そこに寄付もしていないので、せめてその代わりになるかどうかわかりませんが、一家5名でチケットを買って売り
上げに貢献しようと思ったからです。楽しんできます。飯田さんには、約束通り、コンサートに行きますねというメールをお送りしました。すると、次のような返答が来ました。
  

 ありがとうございます!
 吉田一家が勢ぞろいとなると、過度に緊張してしまいますが(笑)、とても嬉しいです。
 どうせならば、ご家族で、大いに楽しんでくださいね!!
 
(18禁のエッチなラブシーンはありませんので、どうぞご安心を・・・笑)

 ですって。そんな一時が待っていますが、今から小さな原稿を書き始めるか!


2009/7/6改訂版
 カルガモ事件は、話が長くなるので、また次回に延期します。いや、もっと言いたいことが今日はあるので。・・・・
 サッカーの、<ここで用事ができたのでまた後で>
<しばらくして再開>
 
常識的な勤務時間も終わったし、さあ、書くぞと思ったとたん、外でカラスが「カー、カー」と鳴くではありませんか。縁起の悪い、また誰か知り合いが亡くなられたのかなと思いつつ、無視したら、また「カー、カー」と怒鳴るではありませんか。「ああーあ」、と思ってブラインドを上げて、屋上のカラスを見ました。いつものように、「どなたかわかりませんが、お世話になりありがとうございました。さようなら」とお別れの挨拶をしました。そうしたら、静かになりました。今も、横目で見るとだまってこちらを向いてとまっていらっしゃいます(今、見ても静かに5分ぐらいされています。気が済むまで見ていただいてけっこうですので、どうぞ)、とばかりに、今、まさに書いています。そして、書きたかった本題に戻します。
 まず、書きたかったのは、ワールドカップのサッカーで、ベスト4とか、馬鹿なことはテレビでは言わないでもらいたいということです。そもそも日本が予選リーグを勝ち抜くこと自体、99.9%あり得ないのですから、ベスト4のために決勝トーナメントで2回も勝つなんて、夢の夢の夢なのですから。しっかり、現実を見てもらいたいものです。国内レベルの岡田監督を代え国際級の監督を据えても、やはり98.8%だめでしょうし。それほど、世界と差があるのは、常識なのですから。夢を見るのは勝手ですが、虚構を創り出して喜んでいては困ったちゃんです(ここで窓の外を見ましたら、まだカラスはこちらを見ています。こうなると、おかしなことを考える私としては、よほど私と親しかった人なのだろうか、私に何かを伝えようとしているのか、と一人で勝手に思いを巡らせざる得ません)

 その虚構で今回言いたかったのは、私の郷里の奈良で起こった高校生の殺人事件です。ここでも、加害者は、勝手に虚構を作って、とんでもない現実の事件を起こしてしまったということです(ここまで書いていると、それでよいと言わんばかりに、カラスが「かーかー」と優しく鳴いて、私からよく見えるアンテナの上に移動しました。そして、こちらを向いているようですが、このまま話を続けます)。マスコミでは、またいつものように、「加害者の動機はなにか」、「謝罪の気持ちはあるのか」そして他の生徒の「心のケアが大切」「命の教育を」と騒いでいます。本当にサッカーのベスト4といっしょで、この思考停止状態はなんとかならないものでしょうか!
 まもなく、マスコミは、加害者は小さい頃からこのような性格だったとか、中学校時代は、被害者との関係はどうだったとか、さまざま見解が、垂れ流されることでしょう。個人的な過去を覗けば、何か有意義な示唆でも得られるのでしょうか?加害者自身もなぜこのような行為に及んだのがわからないでしょうに。ここで訊問によって過去を思い出して言語化したところで、その言語化された言説が、本当にそのときの真実かどうかは、本人を含めた誰もがわからないのですから。あまり無理に思い出させようとすると、加害者が「偽記憶症候群」に陥ってしまうだろうし、カウンセリングの恐ろしい副作用というか毒作用の「その後の人生が自分の思い出した過去にしばられてしまう」ということになりかねません。ましてや、その思い出した過去が真実とされ、マスコミによって流布されたならば、間違った真実が、一般大衆に真実の原因として伝えられるのですから、今後の示唆にもならなければ、社会にとって悪害になるだけです。
 話をもう少し別の角度から言いましょう。たとえば、小さい頃に○×的傾向の性格がならば、あるいは二人の間で中学校時代にそのような○×関係なら、どの人間も、あるいは一定数の割合の人間が同級生を殺すのでしょうか?せめて、心理統計で言うところの有意差はあるのでしょうか。有意差があるというなら、サンプル数は何人でしたか。百歩譲って、有意差があるというなら、一般にそのような殺人をするのではなく、せいぜいその傾向が強くなりがち、ということぐらいしか言えないはずです。その程度の詮索しかできないのならば、これからどうしていくべきかを前向きに考えることが重要でしょう。ところが、また現実の生活をケアしないで、何かの一つ覚えのように、「心のケア」がマスコミで騒がれるでしょう。情けない限りです。そのうえ、教育となると、「命の教育」が叫ばれたりしますが、そんなことができるなら、とっくにしていますよ。そんなことを、なぜ学校教育でことさら今になって取りあげるのでしょうか。高校生に、生徒二人が加害者被害者になったとたんに、そんな教育を叫んで何か意味があるのでしょうか。ますます、白々しさが見え隠れするだけです(ここまで書いたところでアンテナを見ると、不思議なことに、カラスは静かにどこかに消えていました)
 そもそも、「心」とか「命」とか、軽々しく言葉を使いますが、「心」とは何ですか。モノですか。モノならば、大きさと形はなんですか。どこにありますか。また、「命」とは何ですか。モノですか。モノならば、大きさと形はなんですか。どこにありますか。それとも時間ですか。そんな簡単に解答できるものではないですよね。真摯に考えたら、よくわからないことに気づきますよ。そのくらい、「心」も、「命」もとらえどころのない概念なのです。そんな概念を、軽々しく「命の教育」が大切だ、教師は授業で教えるべきだ、と言えるわけがないと思います。そのうえ、今の世の中では、「命」というものはなかなか実感できないと思います。たとえば、農作物や食べ物がスーパーに並び、お金さえ出せばなんでも買えるし、生まれるのは病院、死ぬのも病院、介護は他人、そして死んだら葬儀さんにお願いして埋葬、それまで親子は別居生活、・・・・。そんな暮らしのなかで、「命の教育」の叫びが、どれだけ子どもに実感させられるのでしょう。
 我々の暮らしから考え直すこと、そのきっかけにこの事件をするならば、まだわかるような気がします。自己実現や仕事、そして勉強と生活、もっと根本的に見直してよい時期にきているのではないでしょうか。むかし、ある人が『村を育てる学力』というすばらしい本を書いた関西の先生がおられました。それに対して、今はどうでしょう。『村と家と親を捨てる学力』、さらにやがては、『村と家と親、そして夫、妻、子ども、友人を捨てる学力と自己実現力』という本を、私は書くことになるのでしょうか。
日々の暮らしを見つめ直すべきだし、そのようなところから道徳教育の新しい地平を拓きたいなと考えています。わたしは、悲惨なさまざまな事件を、個人の心の問題にすり替えるのではなく、自らの日頃の暮らしを見直すための問題にしたいと考えています。つまり、このような痛ましい事件が起こると、動機や謝罪や心のケアなどの個人の内面の問題に意識が行きがちですが、そうではなくて、このような事件を引き起こしてしまう社会の構造に意識がいかないと、その事件がこれからの教訓にならないと思うのです。1億人の人がおれば、その内面はそれぞれ異なる1億個であって、どれ一つとして同じ状況はないのですから、個別な処方箋などみつからないと思います。そんなことより、加害者の凶行を事前に抑止できるつながりや環境はなかったのか、を考えることが教育学者をはじめ、人間を扱う学問をやる人の使命ではないだろうかと思うのです。いわば、被害者は加害者に危害を加えられたのは事実だとしても、そのような状況を生み出す現代社会の犠牲者というように、難しい言葉を使えば、個人状況性より生活状況性や社会状況性を問題視すべきなのではないでしょうか。
 たとえば、奈良県の教育関係者ならば、この種の事件からもっと大きな教育問題を想像していただきたいのです。個別の事件ではなく、大きな視野のもとで。この高校生の通う学校は、名前を聞けばおよそ中学校の学力がわかります。数年前、そこから何キロか離れた場所で、自宅に放火して母親と子どもを殺した超進学高校の高校生がいましたね。奈良県と言っても、多くの人が住んでいるのは奈良盆地です。したがって、奈良県の高校生は、交通機関を使えばほとんどの高校に2時間以内で通うことができるため、高校の学力差がきっちり出ます。だから、奈良県の人は、上位のいくつかの高校に通学していない限り、あまり学校名を言いたがりません。奈良盆地の南には、一つの伝統のある県立高校と、最近になって有名大学進学率を誇っている私立学校がありますが、一般に、奈良県では北の方に大学進学で有名な高校が集まっています。名前を聞けば、ランキングがみごとに序列化されていますので、すぐにその子どもの学力がわかってしまいます。だから、学力以外の何かを持っていない限り、高校になかなか誇りが持ちにくいですし、毎日にハリをもって高校生活を過ごしにくいのです(自分がそうでしたし、結局は自分自身も中退の道に進んでしまいました)。逆に、有名進学校に行っていると、周りの人に過剰に期待されて、プレッシャーも強いです。そんなところで、「心の教育」や「命の教育」が叫ばれても、白々しく空しいだけなのです。でも、(同和問題も見え隠れしているにもかかわらず)、奈良県の表の顔は、センター試験の平均点が、毎年、東京都と日本1位を争う進学県なのです(大学進学率も、日本でつねにベスト5には入っているはずです)。そんな競争意識を温存する中で、多くの高校生は、茨城県と違い、口が裂けても一高、二高、三高などと序列をつけた名称こそ差別意識を助長するものとして使われませませんが(中学校でも、一中、二中、三中なども含めて)、とても息苦しく日々を過ごしているはずです。
 さらに、奈良県に限定することなく、高校を日本全体から、そしてもっと広く世界的視野から眺めると、高校生の年代の多くの子どもたちに、学者を究極目標としたような、大学進学準備を前提としたカリキュラムを学ばせている国は、世界的に見ても日本ぐらいなのです。多くの国の子どもたちは、そんな学問にいつまでもしがみついていないで、もっと実生活につながった勉強を高校段階でやっているのです。ドイツならば、7割の高校生は、学問習得とは違ったカリキュラムを学んでいるのです。日本では、9割近くも普通高校であり、その高校生に、無理矢理にわかりもしない、やる気も起こらない興味のない内容であっても強制させられて学ばされ、いやになったら、次には「心のケア」のプログラムがあてがわれ、それがだめなら退学や中退というレッテルがまっています。こんなシステムを根本的に変えなければいけないと、教育関係者は考えてよいと思うのです。ところが、教育システムを考える有識者と呼ばれる人々は、自分が大学・大学院を出てきた人間ですから、自分の地位を守るべく、そして自分の人生を否定されないように、子どもに学問を学ばせることに躍起になっていますので、「学問は人間形成に寄与できる一つのツールにすぎない」と認めて、学問以外の人間形成の道を、熱心につくってあげようとしません。もっと、職人や普通の働き手を尊ぶ発想が出てこないのですから、まだまだ日本社会は閉塞状況が続くでしょうし、その中にあって突出したようなさまざまな凶行の類が出現することでしょう(高校進学をひかえる中学校時代に、「いじめ」事件や凶行が急増することも無関係ではないですが、教育関係者はそういう大き視野で教育問題をとらえず、個人の心の中に原因を求め続け、カウンセリングやスキルトレーニングやプログラムなどに、最近ではついにまるで学校の人間関係をカウンセリング化するようなピア・カウンセリング<サポート>などの心理学的手法にうつつをぬかしているのですから、つける薬がないというのはこのことを言うのでしょう。困ったことです。もちろん、そうなってしまうのは、私を始め、教育学者が、じぶんのやりたいオタク研究に埋没し、現状をしっかりとらえて研究していないところが最大の原因ですから、何よりも反省すべきは、教育学者だと思いますが)。もっと、日常の暮らしや人生をゆったりながめる姿勢が求められるのではないでしょうか。
 こんなかたちで個別の事件を広い視野でとらえていくと、何か別の社会的要因が見えてこないでしょうか!!いや、見えてくるように、想像力を豊かにする必要があるし、それが、せめてもの凶行で命を落とした人の供養になるような気がしてならないのです。大阪のパチンコ店の事件も含めて。どうぞ、自分の欲求を関係のない人にぶつけることのないように祈りたいものだし、教育関係者は、その事件の遠因や背景にある教育システムの地道な、勇気ある改革をしてもらいたいと願っています。
 われわれの現代社会の犠牲者になられたとしか思われない事件の被害者のご冥福をお祈りいたします(合掌)。
(しかし、あのカラスは何だったのか。単なる外界の偶然の出来事なのか。私にとっての謎でした。謎は謎のママにしておきましょう! いつかわかることを信じて。それ以上考えると、おかしな宗教家に間違えられてしまいますので!!それでなくても、最近は、さまざまな新興宗教と思われる団体から執筆依頼がきていますので。もちろん、あらゆる宗教から中立を保っていますから、すべてお断りしました。)

2009/7/1改訂版
 
ついに、2009年も、半分が過ぎてしまいましたね。ぐずぐずしていたら、2009年も終わってしまいそうです。何か形に残るものを作らなくては、焦り始めています。理由は、二つ。昨年秋から原稿を書いたものが、正月に校正作業をして、2月に出版されました。『スピリチュァリティー教育のすすめ』です。あれから半年が経とうとしているのに、忙しさを理由にして、何も形に残していないからです。もう一つは、次のような思いです。いつもなら、今頃はドイツに行っているはずなのに、今年は日本にいるはめになってしまった。この運命を恨んでみてもみてもしかたがない。それよりも、なぜか日本にいるはめになってしまったのだから、何かやるべき使命や課題があるはずです。偶然は必然ですから。その使命や課題が、今のところ見えないからです。神と言おうか、仏と言おうか、あるいはサムシンンググレートと言おうか、人間を超えたそれからのメッセージが見えないことです。これから見つけて、あとであの理由で7月は日本にいたんだと、思える仕事をしたいと思っています。それは、論文か、はたまた本か。あるいは。その他か。とにかく一刻も早く見つけて、鬱病にかかっていませんので、がんばります(鬱病の方には、がんばれと言ってはいけないそうですが。それは、本当なのか。あるなら、科学的根拠を示せと突っ込んでみたいような気がしますが・・・)

 「あのカルガモはどうなったのか」という質問が来ます。話せば長くなるので、次回の更新の時に譲らせてください。

  それにかわって、日曜日の話題。今日は、午前中に学類の会議、午後は大学院の会議。そのあと、学外の会議、というわけで、バタバタしています。その前日も、夕方から東京の私大で研究の打ち合わせ。その前日は、午前中に東京でシンポジウムに出て、夕方から研究室のゼミ。そんなわけで、バタバタして、時間だけが経ちます。その前日の日曜日は、少林寺拳法大会の県予選を見に行きました。今年大学に入った娘が、遠方に通学するので大学のサークルには入らず、私と同じ道院にもどってやっているので、娘もだけれども、他の同志の活躍を見に行きました。少林寺拳法は、たくさんの部門に分かれてやるので、マスターの部門(45歳以上)もあります。私もそこに出ようかとも思ったのですが、毎年、この頃はドイツに旅立つ頃なので、申し込みもしませんでした。ただいろいろな部門を見ていました。とても若い人にはスピードもかないませんが、マスターの部はゆっくりだったので、あれなら来年は出てみるかなと思ったりしていました。1位はとれなくても、入賞は目指せるかも、と思って見ていました。でも、実際、やってみたら全然ダメで、ケガするだけかなと思ったりもしていましたが、何ごともチャレンジで、もし時間が許せば頑張ってみるかなと思った一日でした(でも、いくら思っても、体が動かないですよね。歳だけはとりたくないですね)。

 
 最後に、学生のみなさんに連絡です。
 
「つくば市放課後学習チューター」を、募集しています。興味のある方は、大学の掲示板やホームページで確かめて参加してください。締め切りが迫っています。よろしく。




2009/6/16改訂版

 とにかく、忙しいのです。なんの仕事もしてないのに・・・・。
 こんなときこそ、ドイツに調査研究に出かけ、研究生活をどっぷりしたかったのに、豚インフルエンザ感染国ドイツには、当面は出張を差し控えるようにとのこと。これでは、ストレスをためて心の病気になりそうです。心理カウンセリングにいこうかな。きっと、「疲れたと思っているのですね」「そうーなんですか」「うーーん」とか、言って聞いてもらって「すきりした」と帰ってくれば、問題が解決するのでしょうかね。一時の気休めにはなるのですかね。でも、そんなときに、上からの目線で見下されながら、心の中では別のことを考えていながら、私に親身になって聞いてくれるふりをされるのだから、なにか惨めだな、と思ってしまいそうです。そんな時間と暇があれば、おいしいビールでも飲んでリラックスをでもしますよ。だから、いくこともないでしょう。(笑)

 一昨日の免許更新ための講義は疲れましたね。なにしろ、6時間ですから。しばらくすると、テスト週間ですから。また、採点で疲れるでしょう。

 なにかよいことないかなーーーーー   
 サッカーの日本代表、ボロボロに負けないかなーーー(言っちゃった)。オーストラリアでも、本大会で予選突破不可能の公算が強いのに、それに大負けしたら、いかにベスト4なんか、まやかしの目標だということに気がつく人も増えるだろう。オーストラリアは、もうヨーロッパの1流リーグでプレーしていた選手も帰国しているでしょうから、まあ勝負にならないことを示してもらいたいものだ!!!!!
せめて監督だけでも、世界のトップレベルの人を招聘してほしいものだ!!!!本当に10年後、20年後に、ワールドカップで決勝トーナメントに進みたいのであれば。今のように「ベスト4だ」、4年前のように「黄金の中盤」、8年前のように「フラット3」とか、キャッチィフレーズで、踊らされていて満足しているのなら別にそれでもよいだろうが。本当の意味で、向上心があるのなら、岡田監督は日本人としては優秀でしょうが、世界のトップリーグから招聘される人ではありません。監督だけでも、世界のトップリーグで活躍していた人を招聘して、未来に向けて投資してほしいものだ。このままでは、4年間、進歩なしだろう。そんな進歩のない日本サッカーが3年前に中田選手にはイメージを描けたから、引退したのだろうと、小生は思っています。

付記
 やっとよいことが一つありました。某H先生の協力により、カウンターが新たに設置されました。喜んでくださーーい!!



2009/5/27臨時改訂版

 今日は朝から事件が発生したので、みなさまに知っていただきたく更新しました。
 実は、今朝、自宅の前の道ばたでカルガモを家族のものが発見して、騒いでいました。しばらくすると、そとで女の人の「キャー」という声声声。みんな喜んで見ているのだと思って、朝の支度をしていると、しばらくして、どうもカルガモが車でひかれたことがわかりました。カラスがその死体の部位とその小ガモを狙って集まりだしていました。親と一匹の子どもは即死でしたが、9匹が残りました(ひいた車は、そのまま止まらずに逃げたそうです)。近所の方は、死体はすぐに片付けて箱に入れましたが、9匹のカルガモは、死体の部位と同じように、カラスに狙われているので、とりあえず箱に入れて市役所の環境課に電話を入れました。すると、死体は引き取りに行くが、9匹のカモは怪我をしていないものなら、引き取れないという素っ気ない返事。しょうがないので、ご近所の方は、泣き寝入りで、カルガモ9匹をいったん引き取って自宅に戻られました。
 「泣き寝入り」という言葉を人生訓に持たない私としては、女性の奥さん連中ではなめられたのではないかと思い、義憤を感じて、早速、環境課に「そんな法的な規則的な対応ではおかしいのではないか」と私が電話をしました。相手の言い分に対して、、「つまり、ケガをしているならば引き取るという考えは、自然に放置すると死ぬから保護するわけですから、もう少し大きくなるまでこの9匹も自然に放つと死んでしまうわけですから、広く解釈すれば保護できるのではないか」とかみつきましたが、聞き入れません。とにかく、今日中には、その自宅に伺うと言っていましたが、どうしてすぐに行くとか、だれかに行かすとか言えないのでしょうかと思いました。住民の献身的な努力に比べて、あまりにも杓子定規で乖離しています。状況を総合的に判断して、規則を運用すべきではないでしょうか、と私は思ってしまいました。
 きっと、市役所の方は、法やそれに基づく慣例に則って対処をしているつもりなのでしょう。それに対して、住民は、こんな哀れな状態で生き物を放置できないと思い、電話の費用もかかるのに、電話をされたのでしょう。つまり、見た限りは放っておけないと思う道徳的・倫理的衝動からの行動なのでしょう。すなわち、法と道徳との問題が対立しているのです。古くて重い問題が浮き出てきました。道徳の時間に使える生きた問題だと、思わず職業病が出ました(すいません)。もう少し言えば、法では、日常の暮らしの問題はすり抜けてしまうのでしょう。だから、道徳・倫理という発想を欠落することは、人間性を失うことだと、今日の事件で思った私でした。
 そういうまとめで終わりたいところですが、あの母親と一匹の兄弟を亡くした9匹の小ガモは、これから現実としてどうなるのでしょう。自然に放てば死んでしまうし。ちょっと可哀想になりました。そして、家族がカルガモに気付いたとき、私が、親ガモが10匹の小ガモを連れて道路を渡ろうとしていた状況を知り、助けてあげればこの親子は事故に遭わなかったかもしれないと思うと、残念です(あとで話を聞くと、1匹の小ガモが側溝にはまってしまい、親ガモは救おうとしていたのだが<そのときに家族が見たのでしょうが>、あきらめて残った子どもだけで渡ろうとしたとき、車に先頭の親とそれに続いていた小ガモ1匹がひかれたそうです)。そして、「物事に偶然はない」「必然だ」とスピリチアュル的に考える私としては、この事件は、私に何を啓示しようとしているのか今は謎だと思っていますが、いつかその謎を解くためにもこれからも真摯に生きなければならない、と思った今日の「カルガモ事件」でした。


                         
2009/5/26改訂版

 「なんでも相談室」、いまだ来室者は現れません。いや、おめでたいことだ。これなら、もう少し範囲を広げても大丈夫かな、と思い始めました。つまり、現在、授業を受講している学生さんもよいことにするかーーーと。しばらく、時限的に、そうしたいと思います。

 それから、最近、気になることが二つあります。カラスが私の前によく現れます。誰か知り合いが亡くなったのかな・・・・。最近は、カラスを見るたびに、誰の化身だろうと思ってしまいます。いやな話題がこれ。もう一つは、いやな話題ではありませんが、何か奇妙にテレビづいているのです。同じ日に同時に、民放2社の制作会社から連絡があったのです。一つは、TBSと言ったかな、「ポストマン」という番組で、どうのこうのと。もう一つは、テレビ朝日の何とかニュースとか言っていたかな、これもどうのこうのと、問い合わせの連絡。そんなに私も有名になったのかと言いたいところですが、残念ながらそうでもない内容でした。でも、少しぐらい名前もどこかでひっかかるということは、生きている印だと思っています(笑)。これから、この二つの気になることがどのようになっていくのか。人生の謎ですね。それを解いていくためにも生きていることは楽しいことです。悩みや苦しみで自暴自棄になったり、ときには自死や自殺に進むなって、なんてつまらない選択だろうと思ってしまいます。「今の悩みや苦しみが、未来の幸せの門であったりする、人生の謎」にチャレンジしなくてはつまらないではないですか。ね、みなさん!!!

 話が飛躍しますが、「未来」「つまらない」で頭によぎったのは、日本のサッカー。
Jリーグは、各国の代表選手にならないような外国人選手が日本で活躍できるレベル。本当につまらないですね。そのうえ、日本代表も岡田監督では未来はないし。どうして、協会は、監督を交代させて、未来にチャレンジしないのだろうか、はなはだ疑問です。もちろん、岡田監督が日本人の中では優秀な監督だろうけれど、ほかに替わる日本人監督はいないでしょうが、国際的に通用する監督ではないでしょう。喩えて言えば、国内ツアーの添乗員に、外国ツアーの添乗員をやらせるようなものです。日本でしか通用しない監督と、その選手たちでは、ワールドカップに出場しても、200%予選リーグを0勝で敗退。「未来」が暗いな。反論する人は、国際的には、中村がいる、長谷部がいる、大久保、松井がいるなどというでしょうが、スコットランドリーグも、ドイツのリーグも、フランスリーグも世界水準で言えば、一流半のレベルです。ヨーロッパの人なら誰もが知っている常識です。もちろん彼らも日本人としてはすぐれているでしょうが、イタリア、スペイン、イングランドという一流のリーグの選手が集結するワールドカップでは、とても相手にならないでしょう。その中にあって、森本選手がイタリアのチームでがんばっているようで、楽しみですが、どうなのでしょう。いずれにせよ、一人では、どうにもならないでしょうし。だから、せめて、監督だけでも、世界で通用する監督をワールドカップに向けて招聘するべきでしょう。それこそ、ワールドカップ中は、世界の一流リーグは休みでしょうから、大会の時だけでも、優れた世界水準の人を監督にすればよいのです。そのようなチャレンジが、未来への投資なのに。おだやかな道を進もうとする日本代表チーム。それでは未来がないのに。監督選考でも、もっと悩み、苦しまなくては・・・・、未来の幸せの門が開かないのに
 ついでにいえば、サッカー選手は、日本代表に選ばれたらどうしてハイハイと喜んで招集されるのだろうか・・・・。これまでに、「あんな監督のもとではやれない」と言って日本代表という名誉を辞退するような、すこし生意気な選手が出てこないのが寂しいです。そのくらいのスピリチュアリティがないと、体格の劣る弱点を克服して、大柄の男と対等に立ち向かえないでしょうに。だから、監督だけでなく、選手も寂しい限りです。日本のラグビー界には、そのような筋の通った選手が少なくとも何人かいました。サッカー界にも、少し生意気ぐらいの若い選手が出てきてほしいなー。やさしく管理されるという心理主義の日本社会では、そのような選手の出現を期待するのは酷なのか???私は、国際水準で一流半の中村選手(もちろん、日本の中では一流です)が、「国際水準の二流の監督の下ではやれない(もちろん、日本の監督も日本では一流ですが)、国際水準の一流の監督の下でやってみたい」、と言ってくれたらインパクトがあるのにな。
いつものように、よけいな、そして生意気な、さらにいえば偉そうなサッカーの世間話になってしまいました。不愉快にさせてしまった方に、お詫びいたします。
失礼しました。
それでは、また、懲りずにホームページに来てくださいね



2009/5/17改訂版

 「なんでも相談室」に来室者はまだ出現しておりません。寂しいというよりも、何よりも所用で忙しかしかったし、現れなくてめでたしめでたしと思っております。なんといっても、私が教えた学生さんが、私を頼りにせざるをえないほど困っていないということですから、めでたいわけです。こんな仕事は繁盛しないのがよいのです。ところが、私がその相談の専門家で、そのために職を得ていたらどうでしょうか。自分の職務を拡大するために、自分の生活の糧にするために、「少しでも悩んでいるなら気軽に来てください」と宣伝活動をするでしょうし、自分の暇を作らないように、来る人が少なかったら、何度も来るように導いてしまうでしょう。いわば、悩みを増殖させるでしょう。だから、付属的な仕事としてやるので、「これでいいのだー」。

 最近の新型インフルエンザのヒステリックな言動はなんとかならないものでしょうか。そんなことに意識が焦点化しているうちに、何か大事なものが見失われるような気がして、しかたがありません。冷静に危険を察して、対処したいものです。前回の更新でも言いましたように、ドイツでは、ヤフーのトップ記事にはなくて、豚インフルエンザ、ドイツ語で、Schweinegrippe というのですが、探すと出てきます。今日、探してみたら、なんと、他人事のように、日本や中国の感染の広がりを報道しています。遠い国のことよりも、自国をもっと心配したらと思ってしまいました。その記事をペーストすると、

 Tokio/Peking (AP) Auch in Asien steigt die Zahl der Schweinegrippe-Falle weiter. Die japanischen Gesundheitsbehorden meldeten am Sonntag 20 neue Infektionen. Damit sind in Japan bislang 25 Menschen an dem neuartigen Grippevirus erkrankt. In einige Stadten wurden vorsorglich Schulen geschlossen, in Kobe wurden offentliche Veranstaltungen abgesagt.

だって。
 これでは、私が感染国のドイツには行けないなと思っていましたが、ひょっとして、あちらのドイツの国では、いずれ日本人の入国が嫌われるかもしれないと、思ったりしています。今年度は、最低、2回は渡独する予定なのに・・・・。

 

2009/5/10改訂版

 今日のトップニュースは、上述した「なんでも相談室」、別名、「大学かけ込み寺」の開設です。どこまで、続けられるやら。続けられるところまでやります。

 個人的には、今日は、畑でくさむしりと、野菜を植えて疲れました。なにしろ、あの雑草は、土曜日曜祭日に関係なく生長するから困ります。「雑草さん、ゴールデンウイークの連休ぐらい休めよ」と、言いたいです。今日は、スイカとナスとシシトウとカボチャとキューリを植えました。来週か、再来週に落花生とサツマイモを植える予定です。

 さあ、今週から、いそがしくなるぞ−。


2009/5/7改訂版

 5月3日出発、5月6日到着。無事、1500キロの車の旅を終えて、つくばにもどりました。5月3日は、午後2時30分、我が家を出発。高速道路が割引なので、常磐道を北に向かい、北関東自動車道を経由して、佐野ICまで行きました。そこで、50号を走って、太田ICから高速に乗り、関越、上信越道を抜けて、豊科ICまで行きました。豊科で午後7時でしたから、まあまあスムーズでした。混雑は、50号線だけだったです。
 翌日4日は、午後1時に出発して、奈良に午後7時に到着でしたので、これもスムーズでした。問題は、最後の6日。度胸を据えて、正午に実家を出発。奈良の土産を買いながら、天理ICを通過して50分。伊賀まで行ったところで、四日市で事故渋滞12キロ、豊田から岡崎間の渋滞、それから富士SAあたりの10キロ以上の渋滞の情報が入ったので、ここで決断。伊賀で名阪国道・東名高速道路をあきらめ、遭難しても大丈夫なようにおにぎりを買い占め、山越えに挑戦。国道4??号線という、車も行き違いのできない国道を走り、伊賀の里から甲賀の里に行き、信楽の狸を見ながら(本物の、狸には遭遇せず)、新名神の信楽ICへ。そこから、小牧から中央道経由に変更。雨は降っていたが、スイスイ走り、午後5時には諏訪湖SAに。そこの情報では、八王子から16キロの渋滞であったが、とりあえず、スタンプラリーをしながら、そちらに向かった。ところが、その途中に、渋滞が解消され、どこのSAもPAも駐車場は十分に余裕。小仏トンネルもスイスイ。都内に入ってもスイスイ。新宿を午後8時30分に通過して、つくばの自宅付近のスーパーに午後9時50分到着。買い物をして、荷物を自宅に入れて、横になって新聞を読み始めたのが午後10時30分。この所要時間からすると、よけいな忍者の里の横断がなければ2時間くらい早かっただろうから、なんら普通と変わらなかった状況でした。
 ところが、テレビを見ていると、小仏トンネルあたりの渋滞の映像を流していた。これおかしいと思いながら見ていると、昨日の映像を、さも今日のように流していることが判明。とにかく問題を創り出す、マスコミの構築主義をまた実感してしてしまいました。日本のマスコミは、特に注意をしなくては!!!。

 何か新型インフルエンザも、その傾向が見られますね。過剰な心配も、過剰な安心もいけませんが、冷静にいきましょう。病人が発生しているドイツのホームページを見ていると、どちらが発生国なのか間違ってしまう雰囲気ですね。「一犬影に吠ゆれば万犬声に吠ゆ」の風潮は何とかならないのだろうか。まるで、「心の病気」や「心の闇」などと同じですね。困った日本です。


 そんなこんなで、今日から、大学に出勤しておりますので、何かありましたらご連絡ください。まだ、車の振動を長く体験しすぎて、地球が揺れているような感覚でいますが。
3時限目の200名以上の履修がいる授業からがんばるぞーーーー。
 








2009/5/3改訂版

 あと1時間で、息子が高校の部活動を終えて帰ってくるので、それを待って車で長野に出発します。明日は、奈良に向かいます。そして、5月6日に筑波にもどります。高速道路の料金の恩恵を受けるぶん、混雑は覚悟しないといけないのかなと思っています。6日が心配ですね。私は、大丈夫なのですが、子どもが学校に行かなければならないので。おそらく、ドイツでは、そこまでして登校を意識しなくてもと考えるでしょうが(つまり、疲れていたら平気で子どもを休ませるのが常識でしょうから)、どうも、日本人のサガと言いましょうか、なかなか体をいたわって学校を休むという発想にならないのがつらいですね。近代以降、「遅刻」と言う言葉にすら、振り回されてバタバタしている日本人、そろそろ考えてもよい時期かもしれませんね。それから、インフルエンザのヒステリックな騒ぎ方、なんとかならないものでしょうかね。ドイツのホームページを見ていても、そんな大騒ぎではないのに。困った日本だなと思う今日この頃。
 ついでに言うと、この連休もなんとかならないものでしょうか。ドイツでは、けっこう、州ごとに違った祝日があったり、学校の休暇日が少しずれてしたりして、全国の大移動が緩和されているのですが。でも、日本人の私、ドイツ語を十分に扱えない私にとって、日本語という母国語が唯一通用する日本は最高の場所だしね。大事にしなくては。ドイツでは、レストランで食事を注文するのも一苦労ですし。そういうところから考えても、便利に暮らせる日本を愛さなければならないわなー、と自然に愛国心は出てくるものなのに、インフルエンザと同じで、ヒステリックな大人が多すぎませんかね。あれしないといけない、憲法はどうのこうのと。楽天の野村監督のように、日本をぼやいてみてもしかたないしね。


 本来、混まないいなかの高速道路もそれなりに混んでいそうな感じですね(今、インターネットで道路情報を見た限りでは)。では、出発しまーす!!!






2009/4/29改訂版

 今日は、29日の祭日ですが、いま研究室に来ています。
 やっぱり、思ったほど書けず、27日締め切りを待っていただいております。5月の下旬に出版なので、あまり余裕はないと思います。これからがんばります。

 ホームページによると、『スピリチュァリティー教育のすすめ』(PHP研究所)の共著者の飯田史彦先生が、今日はご両親を、私の郷里である奈良に案内して、親孝行するそうです。大仏さんを見に行くとか。おせっかいな私は、昨日にお役に立てばと思い、大仏近辺のルートを紹介しました。そこでは、駐車場はどこが便利、奈良漬けはここの店がよいとか、どの位置から見れば景色がよいかなど、をメールでお教えしました。早速、参考にさせてもらうというメールをいただきましたが、どうされたことやら。私が奈良にいたら、現地案内人になって差しあげたのに、・・・・(私は、たぶん4日〜6日が奈良に帰省でしょうか)。無事、親孝行をなされることをお祈りいたします。
 
 私と言えば、今日は、朝から歯科医で虫歯の治療。思った以上に傷が深く、次回は、歯茎をメスで少し切って型をとるとか。考えただけでも、次回は痛いなーー(涙)。

 落ち込んでいる暇はない。さあ、原稿原稿!!!(ますます、太りそう。たばこを吸わないので、文章が書けずにいらいらし出すと、甘いものを食べたり、せんべいをガリガリ食べるために、太ってしまうのです。最近は、79〜80キロあたりで右往左往しています。やせる方法は簡単なのですが。それは、ドイツに行くと、かならず3キロぐらいやせるのです。なぜかというと、車に乗らないで歩くためだと思われます。では、ドイツに行くか!!ドイツの知人は、7月に安い部屋はキープできるぞ、といってくれていますが。何しろ、仕事が・・・・・・。ううううううううー)



2009/4/23改訂版

 月刊誌の原稿を書き出す前に、ホームページの更新をします。本当は、その前に、ゴミ屋敷と化している研究室の掃除をしなければならないのでしょうが、なかなかやる気になれません。
 今日は、自分にとってうれしい報告をさせてください。いくつかの拙稿・拙著をこれまで書いたのですが、教育関係のものということもあって、せっかくなので、自分のお世話になった先生方に、最近のものを送くらせてもらって、先生方に子ども時代はたいへん悪童でご迷惑とご心配をおかけしましたが、なんとかお陰様で、大学教員の端くれとして元気にやっているところをお見せしようと思ったのです。というのも、数年前にぜひ批評してほしかった小学校1年、2年の学級担任の辻貞三先生がお亡くなりになったので、他の先生には送っておこうと思った次第です。お返事はいりませんと申し上げたのですが、何名かの先生はそれでもお返事を送ってくれました。そのうちの一人の先生が、便箋9枚にわたってお返事をくれました。その最初の部分だけ紹介すると、次のようなものでした。
 














 「こんな幸せな日が来るのかと」、「教師冥利に尽きる」とか、「感慨無量」とか、たくさんのありがたい言葉を書いていただいて、はずかしい限りです。女性の先生だということで、本当に生意気なことを言い続けていただけに、本当に穴があったら入りたい気持ちです。小生の拙稿で喜んでいただけたのであれば、何よりです。「親孝行」ならぬ、「教師孝行」が少しでもできたとすれば、うれしいかぎりです。
 そこで、自分のことを少し突き放して考えると、40年後にもこのようなお手紙をもらえるような関係は、スクールカウンセラーとの関係では不可能ではないでしょうか。また、教科担任の教師との関係でも不可能ではないでしょうか。やはり、数年間、寄り添って教えてくれた、たとえば学級担任教師と子どもとの関係、あるいは部活動における教師と部員との関係という、生活からつながった関係のなかで生じるものではないでしょうか。そこでの関係は、「教師・監督→恩師」という生長するもの、いわば「いのち」が吹き込まれた関係でしょう。その意味で、このような絆を創り出す学級担任や部活動はとても大事なものだと思うのですが、最近は、「担任に相談できないことはカウンセラーへ」、「学力向上のためには、学級担任制より教科担任制へ」、「仲間づくりよりも競争」という風潮が強く、困ったものです。部活動も学校の教育課程から外れた活動という地位に置かれています。一生涯の人間的なつながりを培養すべき学校が、競争・評価・学力低下などと騒いで、人間をエゴイズム化させ、孤独にさせ、そして心の苦痛、自死・いじめを促進してしまっていないでしょうか。こんな状況下で、「他人への思いやり」や「友情」などの重要性を「道徳の時間」に叫んでみても、むなしさだけが生まれ、そして道徳上の徳目はただただ空虚なもととしてしか子どもに受け入れられないでしょう。根本的に学校のあり方を考え直したところでしか、「道徳教育の充実はありえない」としか思えませんが、どうでしょう。
 あっ、これから新学習指導要領の改訂のポイントは、「道徳教育の充実・・・・」と、7月号の教育雑誌にもっともらしい原稿を書かねばならないのですが、本音が書けないのでここで少し書かせてもらって更新を終了し、これから、本音を書けない原稿を自宅で書きたいと思います。
それでは、また。










2009/4/17改訂版

 コンピュータは、おかげさまで何とか動いています。ご安心ください。
 ところが、先日、このホームページで使用しているソフトの会社から、4月末で、本ページの最初のカウンターが停止される旨の連絡が来ました。もう、10年以上にもなるのですから、しかたがありません。そんなわけですので、少なくても現在のカウンターがなくなることをご了承ください。 
  

 今年の8月22日、23日に日本特別活動学会第18回大会が筑波大学で開催されます。その準備委員長、のちに実行委員長になる関係で、そろそろ忙しくなりつつあります。大会テーマは、「社会参画」をキーワードにする予定です(そこには、心理主義に対する私の批判が込められていることを、お察しにしていただければと思います)。そこに、ある出版社より、月刊誌の原稿依頼が来て、バタバタし出しました(新しい学習指導要領の解説だから、なんとか書けるのではと甘く考えているのですが・・・)。そんなわけで、今日は、元気にやっていることだけをお伝えして、更新を終わります。
ではでは、お元気で。




2009/4/6改訂版

 ご心配をおかけしていましたが、ようやく同僚のH先生と院生のS君のおかげで、

コンピュータが復興いたしました。

 今日は、ついに55歳の誕生日を昨日にむかえてしまい、四捨五入したら60歳になるわけで、あーあと、がっくりしてしまった日でしたが、インターネットが復活したので、少しは喜んでいます。そうのうえ、ついに10年ぶりに、絵を入れる方法をH先生に教えてもらい、記念に貼り付けてみました。みなさーん、見えますか!!!


 ついに、喜んで写真を貼り付けることに挑戦しました。
以下のものです。みなさーん、見えますか!!!





 見えない!!!!!!

 これで、どうだ!!!!!!!







 そこで、問題です!!
 この機械は、何でしょうか?

 わかりますか。ドイツのスーパーにあります。
 
 写真からもおよそわかりますね。

 黄色の部分の左の黒いところに、ペットボトルを入れると、その右の黒い部分からレシートが出てくるのです。つまり、保証金が戻ってくる機械です。現地では、大きさに関係なく、0.25ユーロが1本にかかっています。したがって、たとえば4本戻すと、1ユーロのレシートが戻ってきて、それを1ユーロとして買い物がそこでできるのです。これが環境を大切にするドイツのシステムの一端です。
 今日は、環境教育に関連する事柄を、写真を貼り付ける技術を習得した証拠といたします。



 新学期がはじまります。
 私は、また歳をとりましたが、学生はいつも若い年齢です。また、がんばりたいと思います。今学期もよろしく。


2009/3/24改訂版

 <お詫び>
今後、更新がこれまで以上に、不規則になる可能性があります。ご了承ください。

 原因は、コンピュータが壊れたからです。

 
一昨年末から、大騒ぎをしていたコンピュータを交換したのですが、これが調子が悪いのです。メーカーは、***なのですが、本当に外れの製品に当たってしまったのです。使用して4か月、立ち上がるときに変な音がするなと思っていたある日、スイッチを入れたとたん、「プシュー」と音と同時に火花が散って、動かなくなりました。メーカーの業者にスイッチ部分を交換してもらって、動くようになりました。すると、今度はそれから4か月ほどして、また立ち上がらなくなりました。研究室まで今度は業者が来て修理しました。今度もスイッチ部分を替えたのですが、うまくいかず、中のマザーボードを交換して、ようやく復活しました。これでOKかなと思っていたら、2か月後、最近なのですが、再び起動しなくなりました。今度は、2名の業者の方が来られて4時間かけて修理した結果、増設メモリーが壊れているということで、それをはずしてもらって動くようになりました。ところが、スピードが遅くなっただけでなく、Officeのソフト(ワードやエクセルなど)が動きません(その他、一太郎とか、メールとは大丈夫なのですが)。
 それで、昨日、Officeのソフトを「修復」するということで操作をしたのですが、ダメでした。それで、今度は、アンインストールをして、それからインストールし直したのですが、それでもダメでした。そんなわけで、今日は、最悪の事態を想定して、これまで作成したファイルをフラッシュメモリーに移しました。そして、心理学の先生に助けてもらって、メールも保存してもらいました。
 いよいよWindowsを新しく入れ直すだけになりました。再び、いつものように動くようになるまで、たいへんな操作になりそうで、とても私一人でやれるようにも思われません。援助者を見つけてからその状態まで戻るまで、またトラブルがあって、このホームページの更新もできなくなるかもしれません。そんなわけで、もし、更新がとまったときは、そうのような事情あると、お察しくださり、復活することを祈ってやってください。

 また、復活したら、いつものように「心理主義」ないしは「心理学主義」あるいは「こころ主義」と呼ばれる風潮を来年度も厳しく批判しながら、わが国にふさわしい教育を考えていきたいと思います。その際には、道徳教育分野に見られがちな御用学者にならないように、そしてまた体制や現状を批判するだけの学者にもならないようにしたいと思っています。また、他人の悩みや苦しみを支援・援助するような顔をして、腹の底では自分たちの利権拡大をめざし、カリスマになろうとする一部の宗教家や臨床心理家(みんなが決してそうではありません。本当にりっぱな人がいることも知っていますが)には、厳しく批判していきたいと思います。なぜなら、悩みや苦しみを他人に完全にゆだねてしまっては、生きる意味がなくなってしまうと考えるからです(もちろん、生活の中でつながっている人に相談したり、助けてもらったりすることは大切ですよ。完全にゆだねることが問題なのです。喩えて言えば、モルヒネを注射するようなことで、こんなものに依存しては危険だということです)。悩みや苦しみにチャレンジするから、「生きる意味」があるのですから。そうでないと、この世の意味が見えてこないのです。悩みや苦しみにチャレンジしてうまくいくこともあれば、うまくいかないこともあります。でも、チャレンジすること自体に、それに向かって努力すること自体に意味があるのですから。
 受験の例で言えば、難関大学に合格するにこしたことはないでしょうが、合格しなくても努力すれば、それで意味があるのです。別に、世間で言う難関大学に合格しなくても、自分に合った大学に合格するようがんばればよいのです。難関大学に合格することが目的ならば、合格しなければ一生悔いが残るだけですし、合格すれば、目的達成で、大学に入学してただ遊ぶだけ、あるいはサークル活動に居場所を見つけて大学生活を過ごすだけで、あげくの果てには、遊ぶこともできず、サークルもできず、もちろん勉強にも意欲を持てず、「生きる意味」がない、「人生に疲れた」とかで、最悪な結果を選んでしまうかもしれません。
 だから、自分の身近にいる若い人には、次のように言うようにしています。
 「一流大学に合格することにこしたことはないが、そうでなくてもいい。とにかく、自分の目標に向かって努力して挑戦する、チェレンジすることだ。そのような
チャレンジをすることが人生の合格だ」と。
 そんな「生きる意味」を見出す教育、すなわち「生きがいの教育」を語ろうとしたのが、近刊した『スピリチュァリティー教育のすすめ』なのです(いずれ、「生きがいの道徳教育」と呼ばれるような、日常目線の本を書いてみたいですが、しばらくお待ちください)。よかったら、『スピリチュァリティー教育のすすめ』は、筑波大学附属図書館に寄贈してありますので、読んでみてください。

 ひょっとすると、コンピュータトラブルで更新できなくなるかもしれないので、今日は、少し多く書き留めてしまいました。
 それでは、また。

 
 


2009/3/23改訂版


今日、研究室紀要の原稿が印刷にまわり、ようやく今年度にしなければならない仕事は一段落です。今年度がやっと終わったというところです。明日から、ゴミ屋敷になっている研究室を少しずつ掃除をしたいと思っています。
 今年度は、ちょっとアウトプットと言いましょうか、原稿を書きすぎた感じです。ゆっくりこれから本を読みたい気分ですが、なかなかそうはいかないのが人生で、4月からの新年度は忙しくなりそうですが。でも、それにも負けず、何とか生き抜いて、7月にはまたドイツに調査研究に出かけたいなーと思っています。
 『スピリチュァリティー教育のすすめ』の共著者の飯田史彦先生は、3月末で大学を去り、新しい道を進まれますから、さぞかしお忙しいことでしょう。ご健勝をお祈りいたします。二度と臨死体験をされないように、お体に気をつけてがんばってください。

 (そして、今年、めでたく大学を卒業される学生さん、おめでとうございます。)

 飯田先生ほど、大きな変化は私にはないと思いますが、「現状維持は退歩」ということを自覚して、前向きに試練にチャレンジしていきたいと思っています。執筆活動は、とりあえず、秋に原稿締め切りになる、3人の共著『道徳教育の・・・・・』に向かいたいと思います。
 ではでは、とりあえず、今日はこれまでということで。




2009/3/15改訂版

更新が遅れて申しわけありません。いつもの忙しさに加え、またコンピュータがおかしくなったからです。しばらく、立ち上がりませんでした。一昨日、機械メーカーの営業マンが来て、修理を3時間かけてやってもらいました。とりあえず、立ち上がるようになり、このようにホームページも更新できるようになりましたが、ワードやエクセルが使えません。一太郎は使えます。そんな状態なので、まだ本調子でないので、ガックリしています。今週に、再度、業者に来てもらって修復してもらいます(涙)。そんなわけで、まだガックリしております。
 
 それから、なんとか成績も入力できました。学生さんの中で、私の評価で疑問のある方は、連絡をください。私の入力ミスがあるかもしれませんし、皆さんの勘違いかもしれません。いずれにせよ、欲求不満を自分の中でためていては、迷宮に入り込んで不健康な状態になるかもしれませんので、ためないで、遠慮なく質問・疑問をお知らせください。こんなことで、いわゆる「心の病気」になっては、たまったものではありませんから(私に言わせれば(吉田の辞書には)、ちなみに「心の病気」というのは、虚構の世界のことであって、そんなものはあり得ませんから。なぜなら、病気は「体」の状態を指す言葉であって、「心」には病気は存在しないからです。

 そうそう、最近、『スピリチュァリティー教育のすすめ』(PHP出版社)を読んだ複数の方々から同じ質問が来ます。それは、なぜ「「スピリチュリティー教育」ではなく、「スピリチュリティ教育」になっているのか、というものです。
 実は、私も校正段階で気づいていました。でも、これでもありかなと思ってそのままにしました。共著者の飯田史彦先生に、質問してみますね。お待ちください。
 

 締め切りを越えている原稿ができていません。時間がないので、ここで失礼します。
 ではでは。


2009/3/3改訂版

 今日は、特に自宅にあまり早く帰りたくないのですが、「雪が降る」ということなので、帰宅します。現在、冬用のスタッドレスタイヤをはいているので、大丈夫なのですが、他の車に追突される危険もあるため、渋々帰ります。実は、私事ですが、一番下の子どもが昨日にインフルエンザにかかりました。それゆえ、感染してはこれからの仕事に支障をきたすし、多くの方に迷惑をかけてしまうので、怖れているのです。そんなわけで、書きつつある論文は自宅でやります。
 ちなみに、今回のものは、心理主義化された道徳教育の問題を指摘する予定です。何度もこの主張をしているのですが、まだ心理学に依存する道徳教育の愚かさに、多くの教育関係者が気づいてくれないので、繰り返し主張したいと思っています。心理学は心の葛藤や動機をわかりやすく解説してくれるので、道徳教育の方法にとって大いに役に立つ学問です。そうだからといって、心の解説はできても、「人間はどうあるべきか」「どう生きるべきか」などという倫理的価値観や目的観は提示できない、あるいはしてはならないものだと考えるのです。もし、巧みに解説したあとで、自分の価値観を心が弱っている者にすり込んでいるなら、まさに宗教的なマインドコントロールで、悪質な愚劣な仕業だと思うからです。そのような問題点を、学問的基盤は貧弱だけれでも、総合的な人間学である教育学がきちんと解明し、きちんと応えていかなければ存在意義や意味はない、と思うのです。
 
 明日火曜日は、会議日。木金は、予定通り、期末テストです。それだけでも、感染したらたいへんなのです。

 では、帰ります!!


2009/3/1臨時改訂版

 今日、テレビを見ていると、シンガポールのマーライオンに雷が落ちて、右耳が落ちたという。1昨年、ドイツから帰国するとき、シンガポール経由でそのとき見たマーライオンがそのようになったことに驚いていました。そのニュースと共に、横浜で女性がナイフで刺されたという報道もありました。いや、ほんとうに、ぶっそうな世の中になったなと思いました。
 それで、ふと、思って、ここに臨時更新することにしました。実は、昨日、似たような事件に遭遇しました。もちろん、犯人は別だと思うのですが。

 昨日、日本家庭教育学会の常任理事会が東京であって、つくば駅に22時過ぎに戻ってきて、自宅に向かって歩いていました。すると、サイレンが鳴り響き、パトカーと救急車が前方に集まってきました。何だろうと思い、近づいてみると、10人あまりの外国人が騒いでいるではありませんか。大学の留学生だったらまずいと思い、見ていると、一人が被害にあったらしかった。ところが、だれも十分に日本語が使えず、警察も困っていたところでした。そんな状況で、高校1年生のときに取った英検3級の実力で、なにしろ通訳をやってしまいました。したがって、よく理解できなかったのですが、みんなで話しながら歩いていると、後ろから一人の男が走ってきて、一人のバックを引ったくろうとして、続いて後ろから背中をナイフで刺して逃げた、というのです。紺色のジャンパーを着ていたらしいのですが。刺された人は、救急車で運ばれていきました。その他の人たちは、事情を聞かれるために、つくば警察署に歩いて行きました。私は、そこで筑波大の学生でないことがわかったので、そのまま自宅に歩いて帰りました。

 そんなぶっそうな事件が、つくば警察署から200メートル東で、土浦学園線という大きな道路沿いで午後10時ぐらいに起こったわけで、ほんとうにぶっそうなので学生の皆さんは気をつけてください。おそらく、場所が比較的車が通るところで、しかも友だちが10人ぐらいいたのでおそらく命までは大丈夫だったと思いますが、これが大学近くの暗いところで一人であったりしたら、どうなるかと思うと、ほんとうにぞっとします。こんなことで命どころか、傷つけられてもたまりませんので、筑波大の学生さん、くれぐれも夜の外出は気とつけてくださいね。私も気をつけます。



2009/2/27改訂版
 
なにか、わからないけれど、時間だけが経っていく感じです。今日で授業が終わり、来週から学期末試験です。平常通り、試験実施しますので、学生さんは、定刻に来てください。

 大学院博士課程(前期)の入試で、道徳教育学研究室に二人の新人が合格され、4月から二人の院生が増えます。ますます、忙しくなりそうですが、忙しいときが花だと思いましょう。がんばって勉強してもらいましょう。

 共著『スピリチュァリティー教育のすすめ』、近くのクマザワ書店で5冊、友朋堂書店で3冊が平積みで置かれているという情報が寄せられています。ありがたいことです。とても自分だけではとても平積みになるような本は書けませんので、飯田史彦先生に感謝感謝です。飯田先生とは、これまでの歩んできた人生も、またこれからの向かうところも違いますが、たまたまどこかのご縁で道が交わって、こんな
迷作、いや名作ができたので、運命に感謝して、それぞれお互いが違う道を進んでいければと思います(また、どこかで道が交われば、またそれはそれとして)。
 そのことで、ふと思い出したことなのですが、シュヴァイツァーが、ワルターという友人に宛てた書簡に次のような文章が書かれていた。

 「・・・・・・・わたしは心の中では引きつづきシュタイナーに惹かれて、いつも彼の意義を意識してきました。似て非なる文化の代りに真の文化を登場させたいということでわたしたちは共通でした。・・・・・(中略)・・・・ルドルフ・シュタイナーがわたしの古い考え方へのこだわりを遺憾としたことを私は知っていますが、しかしわたしたち二人は、人間をふたたび真の文化へみちびくべき同じ義務を体験したのです。わたしは彼の偉大な人格と深い人間性が世界で果たしたことをよろこんでいます。人はめいめい自分の道をいかねばなりません。
(『生命への畏敬の念―アルベルト・シュワイツァー書簡集 1905-1965』より)


 もちろん、私と飯田先生を、シュヴァイツァーとシュタイナーになぞらえているわけではありません。飯田先生には失礼かもしれませんが、そんなたいした二人ではありません。しかし、たとえ友人であろうとも、同志であろうとも、そして何であろうとも、
「人はめいめい自分の道をいかねばなりません」というところに、何かものの真実・本質を感じるのです。


2009/2/15改訂版


 まだ、小さな厳戒令を継続中。
 大学の雑務の仕事が入り、大忙しです。
 いよいよ、明日、全国の書店に共著『スピリチュァリティー教育のすすめ』が並ぶそうです。よい反響を祈るばかりです。その共著者の飯田史彦先生は、明日には次の著作の脱稿をするそうです。あの仕事の速さには、とても足下にも及びません。どこかの作家と違って、全部、自分で書かれているのですから、すごいとしか言いようがありません。私は、おそらく
「自動速記」のように手が動くのではないかと推測しています。おそらく、特殊な能力をお持ちなのでしょう。少なくても、凡人ではないでしょう。そうでないと、短時間にこれほどまで本を書けるはずがないと思うのです。
 そう思う理由を少しだけ言いましょうか(飯田先生に怒られるかもしりませんが。ゴメンなさい。先に誤っておきます。いや、まちがった。謝っておきます)!!。実は内輪の話を漏らすと、あの共著は、基本的に、私が原稿を仕上げてから、それを基に飯田先生が執筆・編集をなさいました(もちろん、そのあとに私の原稿の追加も少しありましたが)。私が、飯田先生に原稿を送ったのは、確か11月末の約束を破り、12月10日あたりでした(過去のホームページに、
厳戒令発令で、その様子はうかがえると思います)。飯田先生から出来たということで原稿が送られてきたのが、確か12月20日頃でした。そのあと、年末に初校が出版社から来て校正し終わったのが1月中旬。たぶん、飯田先生も同じ時期に校正されていたでしょう。それなのに、もう次の著作の脱稿が明日なのですから、その間に、私的なライブ活動とか、大学教員としての業務があると思うと、どう考えても普通ではありえないことだからです。いったい、あの先生は、普通の人間なのでしょうか。絶対に普通人ではないと思います。宇宙人か、この世の人ではないお化けなのか。それとも、超人か。今度会ったら、足があるか確かめてみますが(笑)、私には、足があったように思いますから、「自動速記」の能力をお持ちとしか考えられないのです。いっしょに仕事をさせてもらって思うことは、著作の内容を批判される人もいらっしゃるようですが、そのようなただ者の方とは違い、「ただ者ではない!!!」ということだけは、自信を持って私(吉田)が断言できます(善人か悪人かペテン師か、その点はわかりません<飯田先生!、悪人でもペテン師でもないときは、どうぞ酷いことを言ったことを、共著者の大きな顔に免じてお許し下さいませ>)。次の著作が学者としての最後の作品でしょうから、私も読者の一人として楽しみにしています。おそらく、福島大学の退職前に発行されるでしょう。
 ああ、ここまで書いているうちに時間が経ってしまった。さあ、仕事だ!
 そんなわけですので、何かあれば、学生さんは、メールでご連絡下さい。これから、しばらくは、授業や会議以外のときは、パソコンの前に座っていますから。
では、では、また。






2009/2/8改訂版

 まだ、小さな厳戒令を継続中。この時期に、一つの学術論文と小さなエッセイを月末頃に仕上げなければならなくなったため。入試や審査の多いこの時期に。これが終わらなくては、春は来ない。ちょうど、私にとっては、奈良のお水取りみたいですね。
トホホホ(涙)

 以前から予告していました共著についてお知らせしておきます。もう、インターネット上で名前等が出ているので、もう秘密にして置く必要もないでしょう。
 二人で書きました、もう一人の共著者は、経営学者という職でありながら、「生きがい論」を語る飯田史彦先生です。PHP研究所から「生きがい」シリーズで170万部以上の本を発行されている方です。
 テーマは、『スピリチュァリティー教育のすすめ』です。出版は、そのPHP研究所です。書店には、2月17日頃に並ぶと、うかがっています。わたしより8歳も若い飯田先生は、この3月末でもって福島大学を辞して、我が道を進まれるそうです。うらやましいような、勇気のあるような・・・・。それに間に合って、よかったです。
 テーマは、少し怪しそうですが、自分なりには中身もそこそこ重いかなと自負しております。また、もう見本がわたしのところに数冊とどいています。早速、大学の図書館にも寄贈します(正しくは、8日に寄贈しました!)ので、学生さんはそこで読んでください。待てない人は、すいませんが、購入していただければ助かります(1600円税抜)。というのは、内輪の話をすると、当初は6000部の印刷だと聞いていたのですが(それでも、十分に教育書としては多すぎるのです。一般に、教育書は売れないので、1500〜2000部が世の中の常識)、ところが編集部が何を思ったか、強気で10000部と判断したようで、「私はそんなに刷って責任もてませんからね(あとで、売れ残ったものをすべて買い取れと言われてもできませんからね)」と、何度も繰り返し担当者に伝え、もっと印刷を減らすように校正の過程で勧めたのに聞き入れてもらえなかったようです(最終的に、どうなったかは知りませんが)。だから、私は「知りませんからね」と捨て台詞を吐いた反面、そうでなかったらそれはそれでよいと思っているもので。でも、見本をパラパラと読んでいたら、2箇所も自分の執筆箇所で誤植を見つけ、ガッッックリしています。
 それでは、また。

2月10日加筆
 
 コンピュータについて
 心配してもらっているようなので、ご報告。
 購入して1年以内にトラブルが起きたもので、製造元のサービスマンが来て、1時間あまりかけて電源部分を交換しましたが改善は見られませんでした。そこで、マスターを替える(マスターが何か私にはさっぱりわかりません)と言って、板のようなものを交換してくれました。これも1時間かかりました。すると、今度は一気に調子がよくなり、修繕がうまくいったようでした。それで、今は、調子がよくなったので、メールを送っていただいてもOKです。

 蛇足ですが、サッカーについて
 私は、オーストラリア戦は、負けると見ています。と言うより、正確に言うと、負けるべきだ、いや負けなければならないと思っています。こんなおそまつなチームで勝ってワールドカップに行ってもまた1勝もできないで予選敗退でしょうから、日本のサッカーの発展はありません。日本のサッカーの発展のために、完敗を祈っています。おそまつな監督とその選手選考にあきれてものが言えません。こんな体制を容認している、ホームページのどこかに書きましたように、25年前からの知り合いで尊敬できる方ですが、これとそれとは別で、日本サッカー協会の専務理事(前技術委員長、現在、筑波大学の准教授でもある)田嶋さんに、いつか会ったら苦言を述べてやろうと思っています。勝ってしまったら、つらいなー。文句も言えなくなるだろうし。結果が大きく影響を及ぶすスポーツ。やっかいだ!!!。その点、学問と研究、そして努力はウソをつかない!!!!!だって、「人生は思い通りにならないからこそ価値がある」ので、つねにチャレンジするのですから。

 昨日に、そのように考えていたら、今日のスポーツ新聞で、「決戦前日の10日、日本サッカー協会の犬飼基昭会長(66)は勝利を厳命するとともに、負けた場合には岡田監督を解任する可能性を示唆した」という。思わず、会長さんだけはわかっていらっしゃったと、溜飲を下げました。この会長は、以前には、Jリーグを秋期開催を新聞で語っておられましたが、多くの北の地方のサポーターが反発をしていました。しかし、もし、サッカーを世界水準にしたければ、世界と同じように、つまり会長の言うように、秋開催が必要でしょう。この会長は、世界のサッカーのレベルを見ているのだろう。そうだとすれば、今日の新聞紙面の記事は、当然のことで、一貫性を感じました。ワールドカップに出場できたら満足というレベルで日本のサッカーを見るなら、会長はなにを言っているのだ、ということになるでしょうが。
 でも、先に述べたように、ゲームの結果次第では、たとえレベルの高い見方をしていても、消されてしまうのがスポーツの性(さが)ですから。







2009/1/27改訂版

 小さな厳戒令を継続中。

 体は元気なのですが、コンピュータの調子が悪いのです。業者に来てもらうところです。トホホホ(涙)。
 今週の授業は、平常通り、行います。来週の授業は、火曜日が大学院の入試に当たっていますので、休講です。木、金は平常通りです。


2009/1/21改訂版

 ただいま、小さな厳戒令が出されました。
 季節柄の多忙さに加え、2月発売の共著の校正に時間がかかり(すべて、わたしの不十分な原稿のせいなのですが)、そして発売日が早まったこともあって。そんなわけで、今回は失礼します。
 この啓蒙的な、でもかなり刺激的異端的な共著は2月15日に書店の店頭に並べられるそうです。共著者名と書名については、もう少し秘密にさせてください(共著者と出版社に了承を得ていないので)。お楽しみに!!
 では、では。



2009/1/11改訂版
 
先週から授業がはじまりました。卒論・修論の審査と各種の入学試験の時期となり、バタバタする時期に入りました。この時期になると、成績について、しばしばたずねて学生さんがやってきますので、よけいに忙しくしておりますが、相変わらず、毎日、つまり昨日土曜日、本日日曜日も来ております。そんなわけですの、学生さんは、急用ならば、遠慮なく、研究室に来てください(月曜日のオフィース・タイム以外でもOKです。ただし、学校にいても、不在のときもありますので、そのときはお許しください。決して、いないからといって、ドアを足で蹴とばして帰らないようにしてください。最近、私の近くの研究室で、不在だと、ブツブツ言って、ドアを足で蹴る学生さんが出没しているようなので。私の学生時代には考えられなかったのですが、これも時代が変わったのでしょうかね)。
 
 2月末出版の共著については、また約束日よりも1日待っていただいて、なんとか初校ができました。後日、数日で再校をして、何とか出版にこぎつける予定です。これで、戒厳令も解かれ、一段落です。しかし、もう次が待っているのですが。今度は、また秋に向けてたいへんなことになったら困るので、声をかけていただいてありがたいお話でも、昨年後半の反省に基づき、お断りするものは遠慮なくそうさせてもらうことにしました。それで、筑波大の先生が中心になって作成する、教職用シリーズの道徳教育と特別活動の二つのテキストづくりのお話は、同じ時期にもう一つの本がありますので、お断りしました。それまでにも、論文等も書かねばならないので、本当に落ち着いて本が読めません。これでは、いわば「放電」ばかりしているようで、じゅっくり本を読んで、やはり「充電」をしっかりしなくては、と思っています。特に、教員免許更新制の講師も、昨年の2倍務めなければならないので、とにかく今年は、あまり無理をしないように心がけたいと思っています。それとも関係するのですが、今年は、
夏の道徳教育の公開講座は中止させていただきます。

 バタバタした昨年末でしたが、その合間に、仕事の関係で読んだ本でなかなかよかったのは、池田潔『自由と規律』岩波新書でしたね。いわゆる保守主義系の本ですが、本物の保守という感じで、よかったですね。とにかく、保守だろうが、革新だろうが、中立だろうが、本物はとにかくすごいと思います。さすが、出版されて50年あまりになるが、現在でも増刷が続き、ほぼ100刷になる理由が読んでみて納得でした。時間のある方は、読んでください。筑波大学図書館にも、数冊、所蔵されています。お薦めです。一生かかっても、私は、このような本を書くことはできない、とつくづく無力を感じたことも、明言しておきます。

 それでは、また。


2009/1/4改訂版





                               
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新年   ☆°°*☆☆∴
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あけまして  ☆°°*☆☆∵ *
∵☆★☆°°☆  
おめでとう! ☆°°☆★☆∵
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 ドーーーン!!!
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 予定通り、1月2日(正確には3日午前1時20分)に筑波にもどりました。31日の信州、元旦の奈良までは、順調に混雑に巻き込まれずうまくいきました。しかし、2日は、夕方の17時過ぎに奈良の天理インターから名阪国道に入りまして亀山までは約1時間で順調でした。ところが、伊勢道が交わる東名阪高速道路から大渋滞。四日市まで15分で行けるところが、2時間以上という表示。緊急に下の国道に出て、それでも混んでいるので、さらに使えるところは抜け道を使いながら、19時30分に伊勢川越インターにたどり着きました(高速ならば、30分程度なのですが、その意味では1時間のロスでした)。それで、うまくいくと思ったら大間違い。30キロ先の豊田から御殿場まで,東名高速が断続的な渋滞40キロという交通情報が入りました。これでは、筑波着は夜明けになると判断して、急遽、60キロの遠回りになるが、中央道に変更しました。大正解でした。諏訪で22時、談合坂SAで23時まで順調で、そこで20分の休憩後、東京に向かいました。あとも、まったく混んでいなかったので、上記の時間に自宅に到着した次第です。
そんなわけで、帰宅する日だけが散々でした。でも、良いことが一つありました。高速道路の八王子ICを0時過ぎに通過したので、ETCの深夜割引で中央自動車道料金と常磐自動車道料金も半額で、首都高速道路が2割引で、大いに助かりました。6000円ぐらい安くなったので、交通の神様よりのお年玉と勝手に決めつけて、何かの記念にと思い、今日は1万円の福袋が5000円という半額バーゲンに売られていたために、思わず福袋を洋服店で買ってしまいました。今、車の中にあるのですが、バカにされるかなと心配しながら、今日これから自宅に帰ります。

 それまで、少し時間があるので、2月末出版の原稿の修正加筆・校正にがんばりたいと思います。

 実は、今日は、だれもいないかなと思って大学に来ましたら、なんと、管理職の先生2名の研究室が明るいです。本当にこの大学は、特定の忙しい先生はほんとうに忙しい大学だ、と思った新年でした。きっと、大学の仕事でしょうから、頭が下がります。

 ではでは、明日の仕事始めから大学に来ていますので、何かありましたらご連絡ください。

 どうぞ、今年もよろしくお願いします!






2008/12/30改訂版

 今年、最後の更新です。みさなま、この1年、単調でおもしろくもないホームページにお付き合いいただき、ありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。

 明日大晦日、高崎、軽井沢を抜けて、信州の信濃大町に車で向かいます。そこで、2009年を迎え、その翌日の元旦の午前中に、松本、名古屋(午後3時通過予定)を経由して、夕方には奈良に到着します。近くの神社(中学生の頃は、ここに池があって、トンボをよく捕りに来たものでしたが、そこには、あの1年下の杉本高文君、今の明石家さんまさんもトンボを捕りによく来ていました。彼の実家は、かつてこの神社から100メートルのところにありました)やお寺に時間があれば初詣したいところです。出来ないときは、翌日の2日にいくつかの神社仏閣とあわせて初詣に行き、その午後に筑波に車で向かうとという、トラック運転手顔負けの行程を3日間で走破する予定です。たぶん、夜の10時頃に東京を通過するでしょう。どうぞ、無事を祈ってやってください。

 なぜ、そんなに急ぐんですか?、という疑問が聞こえて来そうです。一人の娘が大学受験なので、ゆっくりできないのと、やはり正月は実家で過ごす、という吉田家のしきたりとの折衷案が、この日程なのです。それだから、4日には、筑波に戻り、ホームページを更新し、その後は何もなかったかのように毎日、勤務する予定です。大学は、5日と6日と冬休みですが、私は大学の研究室に来ています。7日も、私は授業はありませんが、8日と9日は、予定通り授業をしますので、学生さん、出席してくださいね。でも、実家の成人式で出席できない学生さんもいるでしょうが、そのような学生さんはそれに出席していただいてもよいですが、授業は進めたいと思っています。ご了承くださいね。

 では、2月末の書籍の出版に向けて、校正作業に入ります。1月9日に必着で戻さなければならないので、前日の8日に発送しなければなりません。その意味で、実家に原稿をもって帰らなくてもよいのですが、そしてまた、校正作業を実家でするとも思えないのですが、安心の保険みたいなもので、持って帰ることでしょうね。人間のサガですかね。

 
 何かあれば、下記のアドレスにご連絡下さい。実家でも、読むことはできますので。

 それじゃ、みなさん、よいお年をお迎え下さい。


A Happy New Year !

Glueckliches Neues Jahr !


 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
     ○ 
    (   )    筑波大学大学院人間総合科学研究科学校教育学専攻
   (___)     道徳教育学研究室 
joschida@human.tsukuba.ac.jp
    | |
 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 




2008/12/28改訂版

今日も日曜日だというのに、大学にいます。多くの学生さんたちは、大学の先生はお暇ではないかと皮肉を言われそうですが、私にはそんなことはあてはまりません。何しろ、26日(金)には18時まで授業をしていました。今日は、私は私的な仕事があって来ていますが、他の何人かの先生は、日曜日だというのに、修士論文などの指導で、忙しくされている先生もおられます。その点、私は、少しの大学の雑務と、私的な仕事ですから、若干助かります。


 いま、非常事態!!戒厳令!!!の余韻を始末しているところです。地域のコミュニティー雑誌へのコラムを25日に原稿を送り、すべて、大枠において、済んだというところです。そうこうしていると、11月末に書いた原稿が雑誌に掲載されて送られてきました。掲載されたのは、奈良女子大学附属小学校学習研究会編『学習研究』12月号(436号)です。テーマは、いつも考えていることをそのまま書いただけのもので、「心理主義化された道徳教育からの脱却」というものです。また、12月20日まで待ってもらって書いた原稿は、『学校マネジメント』(明治図書)の3月号です。まだ、出版されていないので、テーマは言えません。

 それから、秋から取り組んでいた共著の原稿は、22日に仕上げました。どなたとの共著かは、相手の人と出版社の方に了解がとれていませんので、今のところ、テーマ等は箝口令を引いております。お許し下さい。初版が、いつもの私の出版するものでは600〜2000部くらいなのですが、今回はそれよりも数倍の部数を刷るそうで、公表を慎重に成らざるを得ないのです。私は、そんなに強気にたくさん刷って、売れなかったらどうするのだろうと、出版社のことでありながら、心配しています。でも、出版は、
2月末なので、校正をこれから急がなくてはいけません。おそらく、冬休みはこの仕事で終わりでしょう。ところが、自分のできあがった文章を読んでいると、あわてて書いたせいか、何か内容的に不備がたくさん出てきました。それで、これではたくさん刷られるのに、内容が自分自身でも不備な状態というのでは申し訳ないということで、出版社にお願いして、そして共著者にも了解を得て、初校の際に、その文章や項目を増やして挿入する予定なので、その原稿作りにこれからがんばらねばなりません。それが、余韻なのです。それが終わって、一段落です。

 早く、進めて、奈良に帰省しなければなりません。今年は、31日まで多忙なので、元旦の日にでも奈良まで車で走るかと思っています。混まないうちに、戻りたいので、今年も強行日程になりそうです。3日間で、1200キロは走るのでしょう。まるで、長距離のトラック運転手のようです。

しまった、早く書かねば!!

では、また。年末に、再度、更新する予定です。
近況報告でした。







2008/12/22改訂版

非常事態!!戒厳令!!!、多くの方々(共著者および出版物の編集の方)にご迷惑をおかけしながら(締め切りを待ってもらいながら)、脱しつつあります。これから、2時間以内に、3月号の月刊誌の原稿、2500字を仕上げれば、だんだん視界が見えてきます。残る原稿は、地域のコミュニティー雑誌へのコラムです。それで、今年の原稿に関するものは打ち留めです。
まだ、脱出とまでは行きませんが、11月の下旬はもう年を越せないかと思ってしまうほどの事態でした。多くの方は大丈夫でしょうが、私は、携帯電話を持たないばかりか、スケジュール用の手帳も持たない主義ですから、覚えていることは限られていますから、ブッキングを起こし出すとたいへんなのです。自分は、重要でないものは忘れていけばよいことだと思っているので、ストレスを貯めないのですが、まわりの方々にご迷惑をおかけすますし、腹立たしい思いをさせてしまうのです。
11月下旬には、遅れた原稿がブッキングを起こしただけでなく、以前のホームページに「23日もたいへんなことを経験したのですが、時間がありません」と書いたことがあったのです。
実は、このあたりには原稿を終わらせて、ひとときの憩いの時があるだろうと思って、家族にOKをしてしまっていたのです。私的なことに言及しますが、せっかくドイツに半年以上いたのですから、このままにしておくと、家族みんなのドイツ語が忘れ去られてもったいないと思い、家族全員にドイツ語検定でも受けさせておくことにしたのです。そこで、家族に刺激を与えるには、自分だけが高みに立って(同じ地平に立っているふりをしながら)、他の者を見下していては心理カウンセラーと同じではないか(失礼!)と思い、やはり道徳教育学の研究者の端くれならば、「子弟同行」の精神でやらねばならないということで、自分も受けることにしました。その試験が23日に、学習院大学を会場にして行われたのです。
申し込む際に、受験生の高校3年の娘以外全員、つまり4人で受けることになりました。一番下の6年生の娘と妻が一番下の5級を申し込みに、締め切り最終日に行ったのです。私も新設された一番下の級ならば、まったく勉強しなくても、受験するだけで大丈夫だろうと思っていました。だから、原稿があっても、大丈夫だと思っていたのです。ところが、申し込みの段になって、その娘が、優秀な成績で合格すると表彰状がもらえることを知り、このままではお父さんだけがもらうだろうから、しゃくにさわると言いだし、一つ上の4級を受させることにしたそうです。ところが、申し込むときによく読むと、5級は午前中に試験があり、4級は午後にあることを知り、このままでは待たされるということになり、5級と並行して行われる3級に申し込んで帰ってきました。そして、5級は3000円だったけれど、3級は6000円だから、落ちたらもったいないのでがんばりやー、ということになったのです。「話が違うではないか、それではお父さんは問題集で勉強しなくては危ないではないか」と言いましたが、すべて後の祭りでした。もちろん、3級ぐらいなら、基礎ドイツ語のレベルだから、まあなんとか筆記試験は大丈夫だろうが、苦手な聞き取りが心配でした。それで、耳を慣らさなくてはと思い、CDを聞かなくてはならなくなり、たいへんでした。案の定、当日は、聞き取りが半分ぐらいしかできず、合格圏の下になったのですが、筆記試験で盛り返して何とか合格したかなと思っていました。でも、合格証が来るまで、ドキドキものでした。他の3人は、余裕で、みんな80点以上あると自信をもっていました。結果的に、全員が合格しましたが、私自身は、高校生や大学生や成人と混ざって受験生になって、良い経験をしました。最近は、試験する側にいるので、たまにヒヤヒヤしながら受験を経験するのもいいものだなと思いました。彼ら彼女らは4級を来年に目ざすそうですが、私は、忙しくて2級は無理かなと思っています。しかし、彼ら彼女らが3級になってきたら、親父の権威が失墜するので、2級を受けざるを得ないかと怖れています。でも、怖れる事態になってくれたほうが、家族としてはよいかなと思っています。実は、それがたいへんだったのです。
しかし、このような検定試験も、家族でワーワー言いながら受けるのも、家族同士の会話もあって、連帯感もできて、そしてよい生涯学習にもなっておもしろいなと思ったことでした。これを気に入って、我が家では、「次は漢検だ」、「「○×検」と言いだしたら、私も受けなくてはならなくなったら、軽度の物忘れ症の私は、不利になるかもしれません。そうして、バカにされて乗り越えられていくのが、教える側にいる人間の宿命と使命なのかなと思った今日この頃です。

今年は、まだ残りの仕事もあり、この大学は26日(金)18時まで授業があることもあって、年末まで、こちらにいます。もし、帰省するとなると、元旦に東名高速を走ることになりでしょう。したがって、ずっと、授業のない日も大学に来ていますので、何か相談のある学生さんたちは、遠慮なく連絡して下さい。まず、メールでいただけると、いちばん捕まりやすいと思います。

やばい、締め切りまであと1時間半だ!!!
それでは、また。
(誤字等があったら、お許し下さい。確かめている時間がありません!!!)
では、では、また。


2008/12/14改訂版

非常事態!!戒厳令!!!   継続中 

 ただいま、まだブッキングの呪縛が・・・・。月刊誌3月号の原稿締め切り10日を20日に延ばしてもらったりして、緊急事態を乗り切るべく奮戦中です。

 こんな状態で、来年の免許更新制の準備もはじまり、大忙し。そこに、大学院入試が加わり・・・・。そんな折に、来年度の公開講座の申し込み依頼が来ましたが、今回は、とても公開講座をやれる状態ではないので、来年度の夏の公開講座は中止させていただきます。現職教員の先生方、申しわけございませんが、お許し下さい。

 とにかく、また時間があったときに、更新します。
 では、また。


2008/11/24改訂版

非常事態!!
戒厳令!!!
原稿の締め切りを遅らせているうちに、4つの原稿がブッキングを起こしています。
そのうえ、古河の小学校への講演、定期テストの採点と、重なってたいへんです。
JICA関係から来た南アメリカの先生に講義。それからつくば市の教育委員会の仕事もあった・・・・。先を考えたくないでーす。

実は、23日もたいへんなことを経験したのですが、時間がありません。また、次回に報告をします。お楽しみに。
とにかく、元気です。
では、では、今回はこのへんで、スイマセン!!!!

2008/11/17改訂版
 
今回は、めずらしく予定通りの日に更新します。
 特に変わったこともありません。あいかわらず、小さいものも含めて、締め切り原稿5つに追いかけられています。これを何とかしないと、正月は迎えられません。
 実は、私的なことになりますが、ついに私の子どもも大学受験の歳になるほど、自分も歳をとってしまいました。子どもそれぞれ違いがあって、しゃべる内容も違ってきます。受験に関しては、教育学者の端くれとして、「困った」、「悩んでいる」などと、職業上はずかしくて口に出せません。相談相手はいません。心理学のカウンセラーにたずねたところで、受容してもらっても事態は解決しません。ましては、一般の方に相談にのってもらえないし、困った立場です。「家では、どうしているのですか」、と思われているかもしれませんが、普通一般と同じで、子どもの顔を見るなり、「勉強しろ」と、わめいています。その意味で、他の多くの方と同じことしか言っていません。ただ、少し違うとすれば、次の言葉をつねに言い続けていることぐらいですかね。
 「とにかく、一生懸命やって、チャレンジしろ。入試は通ったにこしたことはないが、落ちてもかまわない。いっしょうけんめいやらずに、進学するのは意味がない。とにかく、いっしょうけんめい努力して挑戦しろ。そうすることが、大学の合否に関係なく、人生の合格だ」
 この考えだけは、ぶれないように注意しています。
 
 
ところで、前回、記した筑紫哲也さんの特別放送などを見ました。つくづく、一度、「心の問題」で質問したかったな、と残念に思いました。葬儀の一部分が放送されていたので、ドイツでお世話になった妹さんを探しましたが、見つかりませんでした。でも、その息子さんは映っていたので、きっと帰国されていたと思います。そんなことを思ったりしていると、この7月に筑紫さんのところでお世話になっていたドイツ滞在は、4か月前なのに、はるかむかしのように思えてきました。また、来年も行きたいなと思っています。でも、今度は筑紫さんのところにお世話になることはできません。なぜなら、私が最後の客で、私の滞在が終わると、店じまいされてしまったからです。しかし、他のところのあてはあります。何しろ、ドイツに行っても、ニュルンベルクしか滞在しませんので、いつのまにかいろいろな人と知り合いになって、何とか助けてもらえる人たちがたくさんできたので。シュタイナー学校の先生はもちろんですが、その職員や保護者の人たち。近くの理髪店のおねいさん、パン屋さんのおばさん、ホテルの従業員、写真屋のおばさんなどなど。また、私を待っていてくれるかと思うと、次回が待ち遠しいです。もし、休職できるなら、お金などいりませんので、学生や同僚の先生には悪いが、1年ぐらい滞在したいと思っています。でも、無理だろうなーー。ドイツに置いてきた高知大時代の教え子の正木さんは元気にやっているだろうか。私の教え子が自分の夢に向かってがんばっていると思うと、元気でやれよと励ましたい気持ちと、少しだけうらやましいなというジェラシーの気持ちも出てきてしまう今日この頃です。

 
さあ、今週はテスト週間。これから試験問題をつくらねば。現実が待っています。学生のみなさん、学類の授業のテストを予定通り行いますので、勉強しておいてください。

<加筆>
 
サッカーのカタール戦のコメントを求めるメールが来たので、お答えします。
 教育と同じで、どういう視点から、どのような展望の下で語るかによって、答えがまったく変わってしまいます。それでは、偉そうに、スポーツ解説者よりも偉そうに、知ったかぶりをして回答します。
 分析的に言うと、戦力は、MFについては日本は上ですが、DFとGKについては互角です(実力的に、どちらもたいしたことはないという意味で)。FWと監督は、カタールが上です。

 カタールとこの程度の差ですから、
近未来的に言うと、ギリギリでも勝ってもらいたいが、長期的な展望の下に言うと、負けてもらいたいと思っています。そう言うと、後者の理由を聞きたいと思われるでしょうから、その点だけ、回答します。
 以前にも書きましたが、日本のレベルは、ワールドカップ本戦で予選リーグを勝ち抜けるレベルでは全くないということを、早く日本人は知るべきだということです。日韓ワールドカップで、突破したではないか、と反論されるでしょう。違うのです。地元開催のときは、予選リーグでは世界のトップクラスは同じリーグに入れないので、よほどの力の差がない限り、予選リーグは勝ち上がるシステムになっているのです。詳しく語る余裕もありませんが、あのときにブラジルやアルゼンチンやドイツやイングランドなどの強豪がおらず、予選リーグ2位までと、プラスアルファで、3位の数チームが決勝リーグに進むシステムになっていたでしょう。ケチをつけるようだけれども、北京オリンピックで、日本の女子がおしくも3位になりそこなったのも、実は中国のお代わりをさせてもらっただけでしょう。オリンピックで、中国が予選一位で通過し、決勝トーナメントで、予選の2位にも入れなくて、3位でも得失点差であがって来れたチームと当たることになっていて、そこで中国が勝てば次の対戦で負けても3位決定戦出られる構図になっていたのです。そこに、一番弱くあがって来たチームが日本で、そこで日本が勝ってしまったばかりに、中国のおこぼれがもらえて、あたかも世界4位のようなかたちになっただけです。あの大会で、日本は、全試合で2勝しかしておらず、3敗1分けですから、その成績でどうして4位の実力になるのでしょう。つまり、組み合わせの仕掛けが、開催国にあるのです。そう考えると、男子の場合も、これからは他国で開催されるのですから、とても世界でベスト8などは、あり得ない話なのです。先日、毎日新聞にサッカー協会の関係者が目標として8位を狙っていると書いていましたが、どんな顔をして言うのだろうと思ってしまいました。絶対にあり得ないとは確かに言えないものの、ほとんどあり得ないことなのに。具体例をあげれば、私が「ノーベル賞」をもらうようなものでしょう(笑)。
 話をカタール戦にもどしましょう。カタールは自分たちがワールドカップにはこのままでは出られないことを自覚しています。それだから、そこまでやるかというぐらいの補強を、ここ数年しています。たとえば、すぐれた監督を欧州から雇いました。さらに、南米から、最も効果の現れやすいFWの選手を帰化させました。教育に喩えると、頭の良くない人は、自分が良くないことをわかりません。しかし、少し良くなってくると、自分が良くないことを気づきます。そして、そこを改善しようとしますから、成長もします。まさに、カタールは、その段階なのです(言うまでもなく、日本の意識は、それ以下です)。したがって、監督とFWは、完全に勝負になりません。でも、そんな監督でも、またその二人の選手であれ、世界のトップレベルのFW選手ではありませんが、大いに日本を揺さぶってくれるでしょうね。おそらく、日本のDFでは止められないでしょうから、MFの支援が必要になり、攻撃に支障をきたすでしょう。そこに愚かな解説者がおれば、攻めたくても心配で上がれない選手たちを見て、「日本の選手は、攻め上がりがないですね。積極性がない」などと、言うでしょう。
 日本の岡田監督は、世界の国から監督のオファーがありますか。FWの選手は、ヨーロッパでからオファーがありましたか。あるいはそこで活躍できましたか。そこまで言えばおわかりでしょう。世界的に通用するのは、MFの中村選手だけです。でも、その中村選手だって、ヨーロッパの1流の最強リーグ(イタリア、スペイン、イングランド)では、相手にされていません。また、長谷部選手も、1流半のドイツリーグで、下位チームでレギュラーか補欠かの境界線選手です。松田選手は、ヨーロッパでは1流半から2流クラスと言われるフランスリーグで活躍する選手です。つまり、日本の現実は、そんなに甘くないのです。そこの現実を、つらくても見つめないと、日本のサッカーの飛躍はないと思います。大きな刺激が必要です。手っ取り早いのは、指導者です。それなのに、監督は国内でしか相手にされない監督にして、やっているようでは指揮があがりません。監督は帰化の必要はないのですから、監督だけでも、今は円高なのですから、人脈とお金を使って超1流の監督とコーチを招聘し、一石を投じるべきでしょう。そのくらいのことをやらずに、アジア予選を勝ち抜いたが、残念ながら本戦では決勝リーグには惜しくも行けなかった、と総括していては、いつまで経っても飛躍はありません。私の皮肉的な発言に従えば、「所詮、日本はサッカーであって、世界のフットボールではない」ということになってしまいます。そこをわからせるには、今回、日本は負けると、短期的には寂しいですが、長期的にはおおきなチャンスになると思っているのです。したがって、監督と2名のFW選手だけに振り回されて負けるのですから、よほどのだれかでない限り、大いに反省するでしょう。でも、これで勝ってしまったら、反省もなく、飛躍もなく、このままの日本は行くのでしょう。どちらがよいのやら。
 教育や人間形成に関しても、似たようなことがよくあるではありませんか。

2008/11/7改訂版
(翌日、一部加筆修正)
 今度は、2週間も遅れてしまい、申しわけありません。
 元気では、やっております。実は、奈良に来るまで帰ったりして、バタバタしていました。奈良では、「恩師孝行」というものをやっていました。恩師夫婦を、奈良の神社仏閣をまわり、正倉院展にも出かけました。どこまで、満足していただけたか、自信はないのですが、とにかく案内してきました。また、他方では、10月締め切りの共著の本を出すための原稿ができず、相手の方にご迷惑をかけています。そんなわけで、なんとかせねばと思っていたところで、しばらく更新はできないかなと思っていました。

 ところが、また前回の更新と同じで、また「死」という報を聞くことになり、更新するきっかけになってしまいました。

 実は、今、「筑紫哲也さん死去」の報に接しました。「筑紫さんと交流があったのですか」という問いが聞こえて来そうですが、答えは「いいえ」です。では、「なぜ」という問いが来るでしょう。それにお答えすることが、ドイツからの帰国報告につながります。

 ご存じのように、今年の7月に1か月、ニュルンベルクに出張し、シュタイナー学校の教師養成を調査していました。昨年も、同じでした。実は、昨年に1か月泊まったところは、一昨年に長期出張で滞在したホテルだったのですが、そこはインターネットがADSL回線になっておらず、たいへん困りました。そこで、昨年、どこかいいホテルかペンションはないかと、滞在中に探しました。こういうことは、とてもドイツ語で交渉できないと思い、ニュルンベルクで日本店を開いている石原さんにたずねてみました。すると、日本人の女性がやっているペンションを紹介してもらい、「来年にもし来たら泊めてくれますか」と、交渉しておりました。そこで、OKがとれたので、そこで今年は1か月泊めてもらうことになりました。春には、「今年は7月に日本に帰国する予定ですが、そのまま泊まっていただいてけっこうです」という連絡があったのですが、「予定が早まって、6月にいったん帰国して、吉田さんたちが来るときにはドイツにいます」という連絡があったりと、バタバタした時期もありました。が、何といっても今回は、管理人が日本人ということで、コミュニケーションもおかしくなることなく、本当に助かりました。その管理人が、「筑紫さん」だったのです。
 昨年あったときは、それほどその名前を気にしなかったのですが、今回、よくよく顔を見て話をすると、顔が筑紫哲也さんと何かよく似ているのです。名前も、めずらしい「筑紫」さんでしたので、思い切って、「名前も同じですし、顔つきも筑紫哲也さんになんとはなく似ていらっしゃるようですが、お知り合いですか」と質問したところ、「*です」と答えられました。私は、びっくり仰天しました。そこで、もちろん、筑紫哲也さんの病気の話もしましたが、「残念ながら、もう助からないのです。今、生きてくれているのも実は奇跡の状態です。実は、6月に帰国したのは、危なかったからで、何とか持ち直してはくれました。あとは、奇跡を待つだけなのですが。助かってくれればよいのですが・・・・」と話されていました。そして、6月に帰国したときに、撮った写真も見せてもらいました。筑紫哲也さんが、車いすに座っている集合写真でした。それから、さらにびっくりしたのが、その息子さんとその奥さんの写真で、その奥さんはドイツ人で、以前にNHKのテレビドイツ語で出演していた方でした。
 そんなこんなで、家族的な雰囲気で1か月近く、毎日のように顔を合わせていたので、筑紫哲也さんご自身は会ったことがありませんが、なにか奇跡が起こらず残念な気持ちになった今日でした。その方によると、最後に、力を振り絞って書いておられた著書は出来たのでしょうか。そんなことは報道されないでしょうが、たいへん気になります。もし執筆が終わっていたら、ぜひ読ましていただきたいと思っています。でも、本当は、直接に生前に会って、教育談義をしたかったです。おそらく葬儀は身内でだけでという報道があったので、ドイツのその方も帰国されておられるはず。今年の7月のお礼も、またお悔やみの言葉も直接言えませんが、この場をかりて、筑紫哲也さんへの哀悼の意だけをお伝えさせていただきます。  合掌

 そんなこともあって辛い日になってしまいましたが、実は今、ドイツでは1週間の秋休み。それを利用して、ドイツのニュルンベルクでお世話になった、娘の学級担任の先生が、立川の「賢治の学校・自由ヴァルドルフ学校」に講師として来られています。娘は、この日曜日に会いに行きました。私は、「恩師孝行」のため、奈良にいたので、会えませんでした。明日、成田から帰国されるとのこと。お見送りに行きたいのですが、どうなることやら
(残念ながら、行けないで、今、ここで加筆しています)。しかし、その先生とドイツで「お元気で」と言って別れたのが、8月1日。もう、あれから3か月が経ったのかと思うと、本当に時が過ぎるのが早い。もう、まもなく今年も終わりだ。
 今年は、何かやったか、と自問すると、何かはずかしくなってきます。あと、2か月、何かやったという仕事を残したいものです。今は、本当に時間がありません。学生時代は、有り余るぐらいあったのに。あのときには、時間の有限さに気づかず、無駄な時間を過ごしたことを後悔してしまいます。
 学生の皆さん、どうぞ、私のように後悔しないように、有意義な学生時代を過ごしてもらったら、と願うばかりです。

 少しでも、別の世界に行くときに、少しでも後悔を減らすべく、本日土曜日も、夕方まで原稿を書くことにします。明日は、カシマスタジアムで開催されるJリーグのチケットが4枚、無料で手に入ったので、サッカーを観戦に行きます。そんなこともあって、今日、やっておかないといけないのです。ちなみに、変な自慢になりますが、これまでJリーグが発足して以来、一度もライブでサッカーを見たことがありません。家族もそうです。お金を払ってまで、何か見に行く価値がないと思っていたからです。今回は、たまたま無料で見られるので、行こうと思っているだけなのです。偉そうなことをついでに言わせていただいたら、日本のサッカーは「サッカー」であって、国際的な「フットボール」ではない、という偏見があったからです。そんなわけですから、Jリーグのテレビ放送も、元旦の天皇杯サッカーも、進んで真剣に見たことがありません。テレビで見るのは、トヨタカップだけです。ライブで見るのも、日本では、日本開催のワールドカップで、カシマスタジアムで開催されたアルゼンチンとナイジェリア戦以来で、そのときは息子に見るなら本物を見せてやると偉そうに言って、一人1万7000円で切符を2枚購入して、真正面の上から5列下から見ました。そのときの選手の動きとそして審判の動きが、まるで芸術のようでした。私の言い方をすれば、日本のサッカーは、国際基準のフットボールから30年くらい遅れているのかなと感じています(こんな偉そうなことを言うと、中村や松井など、国際的に通じる選手がいるではないか、と反論されそうですが、頑固に、しかも偉そうに反論すれば、日本選手で最高がそのレベルなのであって、その選手たちだって、スコットランドやフランスのリーグであって、ヨーロッパの中では1流のリーグではなく、高く評価して1流半、実際はそれ以下なのです。1流のリーグは、スペインとイングランドとイタリアを言うのであって、ドイツのリーグが1流半、というところです。そう考えると、1流リーグでまがりなりにも出場していたのは、中田選手だけで<ということは、中田選手はただ者ではなかったということですが、それをわかったいる人はどのくらいいるのかな>、他の選手は出場機会に恵まれず帰国しているということで、冷静に見ればわかると思います。中村選手もイタリアリーグの最下位程度のチームで、補欠で少し出場した程度だったから、もう少しレベルの低いスコットランドリーグに移籍したのですから。残念だけれど、現実はそうなのですから、日本の人たちは、マスコミの誘導にだまされないようにしてもらいたいです。ついでのついでに偉そうに言わせていただければ、日本のワールドカップで決勝リーグに残って3位になるというのはありえない期待でして、今の岡田ジャパーンでは、アジア予選を勝ち抜くのが精一杯でして、出場しても予選で全敗でしょう。選手のレベルも国際的でないうえに、監督も国内用で、国際的に相手にされない人に、代役として任しているようでは、危機感がないと思います。私自身は、アジア予選で負けて、それがお灸になり、もっと現実を見据えて、「抜本的に改革をやらねばならない」という機運が起きた方が、長い目で見れば日本が世界に追いつく近道だと思っているのですが)。たぶん、明日は、無料で手に入った券なので観戦場所も良くなく、、また選手の動きもどうかと思いますが、まあ、たまには家族サービスということで、こんなことも現実的で良いかと思い、行ってきます。私の比べるところが、6年前の世界のワールドカップ戦とになってしまうので、おそらく内容的に不満を持つと思いますが(そのことは、あまり口に出さず、私自身の胸にしまっておきますが)、私の予想を裏切ってくれるような、思いがけないすばらしさに出会うことも期待したいと思います。今日は、いつになく、偉そうなことを申し上げて、失礼いたしました。最近、どうも良いことが起こらないので、落ち込むのではなく、怒りで「昇華」させているのでしょうか。その深層の解説は、したり顔の臨床心理家にお任せしましょう!?



2008/10/23改訂版


更新が4日遅れてしまい、失礼しました。
 あいかわらず、多忙ですが、元気にやっていますが、高知大学時代の同僚の女のN先生が亡くなってしまい、今日はがっくりして、仕事になりません。でも、これからまだやりますけれど・・・。そんなわけで、今日は追悼の意味をこめて彼女のことを書かせていただきます。

 ちょうど今、神戸でお通夜で、あす告別式です。あすは、教職の大型授業もあって、休講もできず、駆けつけることはできません。お許し下さい。

 彼女も、筑波大学大学院出身で、ほぼ同じ時期に学生時代をこの筑波で過ごしています。彼女は、心理学の専攻だったので、学生時代は一度も話したことがありませんでした。高知大で、私より1年おそく着任してきました。同じ筑波大学の出身ということで、四国の地で、いろいろと話をしました。着任したときは、すでに大学院時代の同僚と結婚されていて、まさに単身赴任でした。旦那さんは、関西の大学で勤務されていて、本人が筑波大の技官をしていて、関西と筑波よりも、関西と高知の方が近づけるということで、確か高知大学に来られたのではないかと記憶しています。

 彼女は臨床心理士で、カウンセリングもできる、発達心理学の専門であったように思います。そのころから、臨床心理の方法には疑念を抱いていたので、ぶしつけに、よく「スクールカウンセラーは問題だ!」と言って、議論をしていたのを思い出します。しばしば、大学の裏門の近くにある喫茶店で、昼食を共にしながら議論していました。先生が指導されている学生たちにもその姿をしばしば見られ、先生からは、「学生さんが、吉田先生は敵ではないのですか。だのによく食事をいっしょにされていますが、仲が悪いのか良いのかわからない、不思議な関係だと、学生に言われるのですよ」と話されていたことを昨日のように思いだされます。私は、「おかしな関係」と言っておいてください、と答えたような。
 そうした会話の中で、先生は、私のことを、「スーパーカウンセラーではないか」と言われたことがあります。理由を聞くと、「先生は、十分にりっぱなカウンセラーで、カウンセラー以上のカウンセラーなのですよ、だから、並のカウンセラーを見ていると、いらいらしてくるのですよ。だって、私のところにセクハラのことで相談に来た学生と数時間の話し合いを2回行ってやっと聞き出した内容を、先生は先日その学生からたった15分で立ち話で聞き出して知っているではありませんか。私の数時間はなんだったのと思いましたよ。それが一例です。」と、おっしゃられました。今となっては、先生の言いたかった真意はわかりませんが、先生の言った「スーパーカウンセラー」という言葉だけが頭にこびりついていて、今でもその言葉を使わせていただいております。

 先生が高知に着任されたときは、ほとんど40歳に近かったと思います。旦那さんとは、一度だけ、高知に来られたときにお話をしました。知り合いになった頃は、失礼な私ですから、よく「子どもは生まないのですか」とたずねたものでした。いつかのときには、「いや、旦那もほしがっているのですが」と答えられたことがありました。しかし、先生も42、3歳も超えると、下品な私も、つくらないのではなく、できないのであれば、どちらが問題だ、ということに話が進んでしまうのでまずいと思うようになり、子どものことは意識的に話に出さないようにしていました。特に、そのときには、私の第3子も産まれたので、絶対にこの人の前では子どものことを言うまいと決めていました。

 私の記憶では、私が筑波大に転任する平成10年9月ころには、妊娠されていたと思います。確か、筑波大に来てから、「おなかの子どもさん大事にしないとダメですよ。大学なんて、あなたがいなくても、つぶれることはないのですから」と、電話をしたことがあります。そのときは、「高齢なので、**大学附属病院の威信にかけてうまく出産させようと、努力してくれています」と、おっしゃっていました。そのあと、生まれたという話が耳に入り、電話をしたら、帝王切開をしないで決死の覚悟で産みました、と聞き、びっくりしました。そして、数年後、再び第2子を産まれました。私は、それを年賀状で知り、またびっくりして電話したところ、「また決死の覚悟で産んでしまいました」とおっしゃられました。そのときに、私は、「先生は、子どもの発達障害に関するカウンセリングではなく、不安をかかえる妊婦さんのカウンセリングをしたほうがよいのではないか。子どものカウンセリングなら、いくらでもそれに対処するカウンセラーはいますが、不安をかかえる妊婦さんに対しては、あなた自身がたいへんな体験をしているのですから、とても説得力のあるカウンセリングができますよ。あなたのように高齢で、二人も産んだカウンセラーは、日本広しと言っても、そんなに数はいませんよ。第一人者として、妊婦のためにがんばってください」、とバカな会話をしたことを覚えています。

 最近は、いつも遅れて来る年賀状があります。それが彼女からの年賀状で、そこにはいつも旦那さんと子どもさんといっしょに撮った写真がありました。彼女の顔は、高知時代の頃よりも若々しく見えて、自宅では家内に、「高齢出産して、この人、どんどん若くきれいになっているようだ。これを見てみ。あんたと大違い」と、言ったものでした。

 私が転出してから8年ぐらいしてから、高知大学を転出され、自宅から通える大学に着任されました。親子水入らずで、ようやく普通の暮らしができるようになったのに・・・・。今、インターネットのヤフーで、名前を打って検索すると、1650件ヒットし、今年の2月に講演したときのポスターもあり、そこに彼女の顔写真があります。やっぱり、きりっとした顔つきの,きれいな写真です。彼女の著書もヒットしました。子育ての本です。拝読して、いろいろ話して見たかったな・・・。本当に残念だ!

 きっと子どもさんは、まだ第1子が小学校に入ったところ、第2子は保育所に行っているところかなー。旦那さんとお二人の子どもさんのことを思うと、「なぜこんな人が早く死ななければならないのか」と、神さんか仏さんかいるならば、詰問したい気持ちになってしまいます。スピリチュアル的に言うと、別の考え方が出てくるでしょうが・・・・(ここでは、長くなるので言いません)。

 いま、とりあえず、現世的にできることとして、弔電だけを打ってきました。でも、

<以下の緑色の部分は、おかしなことを言いますので、霊や魂などを信じない人はとばしてください>

スピリチュアルな発想をする私としては、シュタイナーなどの思想に基づいて、これから今日中にNさんの魂に届けとばかりに、別のかたちで弔意を表したいと思います。まだ、亡くなって48時間も経っていないのならば、まだ私が念を送れば届くところにいるはずだから。今思うと、二日前に私の眼前を飛び立っていった気になっていたカラスは、その人の化身だったのか(そのときに、私は、心の中で、「どなたがわかりませんが、本当にお世話になりました。ありがとうございました」、と言っていたのです。いつもカラスを見るとそんなことをしていないのですが、そのときは、なぜかそう思わせる何かを感じたのです)、などと、おかしなことを思ったりしています。

Nさんのご冥福をお祈りします。


以下の緑部分も、霊や魂などを信じない人はとばしてください
(スピリチュアル通信)現世的に言うと、ただの「独り言
Nさんへ

「また、スクールカウンセラーの是非について、高知の時のように、いつかあの世でお話をしましょう。手ごわいスーパーカウンセラーがそちらの世界に行くまで、反論できるように勉強しておいてくださいね。どうしても私が行くまで待てないぐらい反論したくなったのであれば、どうぞ私を呼ばないでくださいね。勝手を言うようですが、私は、まだこの世でしなければならないことがありますので。その代わりに、どうぞ朝4時頃に夢の中に出てきてください。そこでやりましょう。いつでも待っていますよ。私の方からメッセージがあれば、真夜中の熟睡する直前に送信します」 
                         スピリチュアルスーパーカウンセラーより
                                             合掌

25日加筆版

 明日は、関東教育学会の大会で早稲田大学に行かねばならないので、明日の分も、と思って、原稿を書いています。
 すると、今、隣の建物の屋上からカラスが異常に大きな声で「カー、カー」鳴くのです。あまりしつこく鳴くので、ブラインドの間からのぞくと、静かに1ぴきのカラスがとまっていました。だんだん私もおかしくなってきたのか、思わず「Nさんか!、生きているときにも十分に親切なこともしてあげられず、告別式も行けずに、ゴメンやで!!。すごい課題を背負ってこの世に生まれてきたんですね。そんなことも知らずに、4年間の高知の出会いの中で、憎まれ口ばっかりいって、もっと俺が聞き役に、カウンセラー役をやってあげたらよかったな。本当にゴメンやで! 残されたご家族のことで、私が出来ることがあったら、なんでもさせてもらうから」などと、口に出しながら、このことをホームページに書いておこうと思って書き出したら、ちょっと目を離したすきに、そのカラスは音もなく消え去っていました。
 昨日は、多数の学生さんを相手にする教職科目が2つあり、突然に「休講」というのもできないと思い、授業を選び、告別式を欠席してしまいました。授業では、ちょうど道徳教育で、価値明確化理論とジレンマ方式について教えていたので、生きた事例として、今日の私のジレンマとして、授業か告別式かで迷い、ここで授業をしている、いま、神戸で告別式が始まっている、でも、私は、ここで友人のことを横に置いて、皆さんを教えている、今日の夕方から、自分の行為を悔やむかもしれないし、時間が経てばどういう気持ちになるかわからない、でも,何らかの価値判断をしなければならない、それが道徳であって、「愛は、友情は大切だ」などと教えているのは、偽物の道徳教育ではないか、などと、理論と自分の体験を織り交ぜながら講義をしました。
 そんなことを話していると、不思議なことに、ほとんどの学生がいつになく真剣に講義を聴いてくれました。授業のあとに回収するカードには、「たいへんな状況なのに、講義をしてくださってありがとう」という趣旨の記述もありました。同じようなことは、先日、自殺で通報したあと、授業をしたときも、似たような反応がありました。きっと、学生には、私の授業の内容よりも、そうした一連の私の行動から発するメッセージの方が、賛同するにせよ、批判するにせよ、影響力は大きいだろうなと思っています。本来、道徳教育はそういうものだろうな、と思ったことでした。

 そして、この文章を書いている間、カラスも現れず、鳴き声もなく、静かでした。

改めて、再度、Nさんのご冥福をお祈りします。
                                       合掌



2008/10/12改訂版

 あいかわらず、研究室はゴミ屋敷のようになっていますが、元気にやっております。とにかく、遅遅として進まない共著発行に向かって苦戦しております。そのあいだに、科研費の申請もしなければならないので、ますますバタバタしているところです。


 前回お知らせした拙著については、
 学文社のホームページで紹介されています。
  http://www.gakubunsha.com/cgi-local/search.cgi?id=newbooks

 また、アマゾンのホームページにも出ております。
 よかったら、見てやってください。


 同窓会の件ですが、最終的には、往復「こだま」のグリーン車を使いました。しかし、一人で行くことになりました。
 理由は、5日前にチケットを買いに行ったのですが、その時点では、喫煙席しかなく、それも離れた席しか空いていなかったので、買いませんでした。ところが、ダメだろうと思いつつ、前日の夕方に旅行社に行くと、行きは喫煙席ならまだ空いているとのこと、帰りは禁煙席も空いているというので、3時間40分かけて、グリーン車で足を伸ばしてゆっくり行きました。その報告をしておくと、車両のなかでそのような安売りの席はほんの少ししかなく、それを買った人らしい客が5人ぐらい乗っているだけでした。帰りには、後ろに座った若者のずっと二人っきりでその車両を占めて帰ってきました。つまり、他の客はだれもいなかったのです。これでは、商売はへたくそだと、思ってしまいました。空気を運んでいるのなら、半額にしてでも、お客を集めたらよいのに、と思ってしまいました。どうぞ、みなさん、一度、利用するといいと思いますよ。1時間30分程度、のぞみよりも時間がかかりますが、安くてゆったりでよかったですよ。帰りは、その後ろの若者と東京駅で、「このゆったりもいいですね」、とお互いに言いあっててわかれました。

 今日は、外は騒音です。騒音と言うと、学生に失礼なので、音楽と言っておきましょう。今は、三味線での音が聞こえてきます。昨日から、学園祭なのです。明日は、学生生活支援室員という職務で、教員として見回らなければなりません。後夜祭があるので、あすは、夜10時までの勤務です。

 



2008/9/28改訂版
 
ありがたいことに、更新しないと心配してくださるかたもいらっしゃるので、できるときにはしておこうと思い、今日、予定どおりにしました。
 ドイツから帰ってきて、あっという間に2ヶ月経ったしまった感じです。あれもこれも、留守の時にたっまた仕事ですから、自業自得でしかたがありません。
 来週は、中学校の同窓会「ゆ会」があるので、奈良に帰省します。そんなわけで、1週間後には更新できません。ご了承ください。
 そんなバタバタしている折りに、今年の目標の一つであった学術的な固い本を発行できました。値段も高く、かつ固いので、学生さんには買っていただかなくてけっこうです。いずれ、図書館に1冊寄贈したいと思っていますので、興味のある方はそれで読んでください。ここ1,2週間のうちに、大きな教育学の専門書が売っているようなところには並べてもらうよう予定です。念のため、拙著の書名などを言っておきます。

  
 『シュタイナーの人間形成論―道徳教育の転換を求めて』
          全382頁  学文社  2008年9月30日  5000円+税
      

 次は、二人の共著でやわらかい教育書を1冊、1月発行に向けてがんばります。お楽しみにしてください。「だれとの共著ですか」、というお尋ねもあるでしょうが、しばらく秘密しておきます。そのかたに迷惑になりますので、出てのお楽しみということで。さあ−、固い本のことはこれで忘れて、今から少しやわらかいものを書くぞ!!!!!。
実は、1ヶ月で草稿を仕上げないと、11月20日までには、どこかの大学の附属小学校(ちなみに、本務校の筑波大学附属小学校や出身校の奈良教育大学附属小学校ではございません。これらには、相手にされていないのか、忘れられているのか、機会がないだけなのかわかりませんが、なぜか依頼されたことがありません)の雑誌に、原稿を書かねばなりません。そんなわけで、ぐずぐずできないのです。こんなわたしでも、次々と仕事があるというのもありがたいことです。感謝感謝。

そんなわけで、とにかく「心の病気」などなっている暇がないこの頃で、元気にやっています。そして、改めて思いました。私の外側で起こった事件(外なる現象)は、決して内なる現象としてPTSDを起こさせるものではない。なるもならないも、本人の問題であって、外なる現象には罪もなにもない、本人の内なる問題がすべてだ、と思ったのです。

それでは、A君(小学校の同級生が、8月の小学校の同窓会で私に言ったことです)の言う、「日本、広しといえでも、学術的な人のホームページとしては、こんな単調な最低のホームページ」を更新しました(でも、そう言いながら、「お気に入りに」に入れてもらっているそうですが)。

 それでは、また。

2008年9月30日臨時更新
 昨日、県立水戸第二高等学校に出前授業に行ってきました。テーマは、「シュタイナー教育から学べるもの」ということでした。本来は、このテーマの場合は交通費の実費しかもらわないということでやってきましたが、茨城県の一つの研究事業のようなもので、他の先生方にも何名か依頼しているようなので、他の方とのバランスを考えて、遠慮なく謝金をいただきました。でも、授業をしてみて、時間が55分であったために、十分に話すことができませんでした。残念でした。特に、生徒さんはすべて女子で、おとなしく聴いてくれて、気持ちよく授業ができました。そんなわけで、あそこならば、時間さえあれば、今回の謝金を交通費と考えて、あと数回無料で講演してあげてもいいなと思わせるような学級の雰囲気でした。今回の私の講義が、進路決定のお役に立てばうれしいかぎりです。
 今日は、打って変わって、大学の教職員の研修会が1日あり、そして小さなグループ討議の司会もやって疲れました。やはり、「○×長」とかいう方を相手するよりも、私には生徒を相手にするほうがあっていると思った1日でした。
 さあ、本の原稿をがんばらねばと言い聞かせているのですが、なかなか進みません。日曜日は、中学校の同窓会で帰省するので、またつぶれるので、貯金をしておかねば。そう思いつつ、東京の地下鉄新板橋の近くで薬局を開いている岡田くんと、今日、電話で話がまとまり、日曜日に東京駅新幹線乗り場で8時40分に待ち合わせをして、なんと「こだま」で京都までグリーン車で帰るというユニークな切符を買うことになりました。11,300円でジュース付きという切符です。「「こだま」も生きているうちしか乗れない、話の種にグリーン車に乗ろう」ということになり、4時間かけて京都まで行きます。京都に13時前に着き、そのあと近鉄特急で13時40分着、14時の春日野荘での開会に間に合うように行きます。どんな珍道中になるやら。

 ちょっとした近況報告でした。



 
2008/9/1改訂版


 新潟から金曜日に戻りました。関東は大雨だったようですが、新潟はほんの少ししか雨は降りませんでした。
 その明くる日の土曜日は、雨だったら困るなと思いながら、教え子の結婚式に出てきました。両名とも、この道徳教育学研究室の出身の学生だったので、乾杯の発声をする大役が回ってきて、よけいな緊張をしてしまいました。そして、日曜日はさすがに疲れて、子どもを理容室に連れて行って、集中講義の大学で行ったテストの採点をしていました。
 そして、今日、午前中は畑で農作業をして、昼過ぎに大学にやってきて、いま大学院生のゼミを終わったところです。この大学は、9月始まりなので、この時期は損したような気がするのですが、7月から授業はなかったのですから、しかたがないところです。
 何よりも困るのは、畑の草は土曜も日曜もなく生えてくる雑草です。除草剤でも蒔いてやろうかとも思いがちですが、農薬等を使わないで作物をつくっているところに意味があるのですから、しかたがないです。今日は、6月に収穫したジャガイモの中で、小さくて大きくならなかったイモをもう一度植えました。そうすると、それほど大きなものは採れませんが、12月頃には、食べられる程度のジャガイモができるのです。楽しみに待っています。現在、その横には、サツマイモが植わっているのですが、葉っぱが生い茂るようになっています。10月には、おいしいサツマイモができると期待しています。その合間に、里芋も植えてあり、これも期待しています。
 植物は、世話をすると、まあそれなりに裏切らないでできあがりますが、人間はそういうわけにはいかないところもあって、人間形成はたいへんだわ、と思ってしまいます。でも、たいへんだから、醍醐味があるのかなとも思います。
 明日は、授業が一つ、明後日はないが、院生さんと研究生さんの指導があって、その次は会議があって授業が一つ、その次は、・・・・、とだんだん仕事が始まります。その合間をぬって、固い本の校正をして、またやわらかい別の本の執筆に入ります。もう、今年も、残すところ4ヶ月。
 もう、7月のドイツ滞在が夢のよう。そして、ドイツに一人置いてきた前の大学の教え子は、元気でいるだろうか。20年来の夢を実現しようと、10数年勤めていた高知県の教員の職を辞してまで渡独したのだから、大丈夫だろうと思っているが。私の拙著『シュタイナーの教育名言100選』(学事出版)の「あとがき」(198頁)に出てくる人物です。
 そこには、次のように書いてあります。

 「二度目の就職先である高知大学では、中学校のときに『ミュンヘンの小学生』を読んで以来シュタイナー教育に興味・関心を持ち続けていた、当時大学4年生のMさんと不思議な縁で出会うことになりました(毎月第4土曜日に附属教育実践研究指導センターで定期的に行われている・・・・・教育研究会に彼女は出席していましたが、たまたま間違って第5土曜日に来てしまい玄関で戸惑っていたところを、休日に研究室に来ていた私がそこをトイレに行くために通りかかったときに声をかけたのがきっかけでした)。私はその出会いを彼女に「うさん臭い出会い」と呼んでいますが、彼女は、私との出会いを含めていつも口癖のように言っていたのが、「願えば叶う」という言葉でした。彼女は、10年間の願いを叶えるために、進路変更してシュタイナー教育の論文を私のもとで書き上げ、今、高知で中学校の教師をしています。彼女の手紙によると、私との出会いも例にしながら、「願えば必ず叶う」を生徒に伝えているそうです。」

 あのときに、「・・・・教育のことはよくわからないのですが、採用試験に落ちたので、来年は数ヶ月間、外国の教師養成の講習会に行きたいと思っていて調べているところです」と話してくれました。それを聞いて私はシュタイナー学校の講習会だと直感して、「シュタイナーですか」と言うと、「どうして知っているのですか!」と答えました。「それならば、ちょっと私の研究室に来てみますか」と声をかけて連れて行って、私の研究室に並んだシュタイナー教育関係の数百冊の本を見て、腰を抜かさんばかりに驚いたことを、昨日のように思い出されます。そして、よく「どうして、私はこんな高知に来ることになったんだろうか」と私が愚痴をこぼすたびに、「先生は、私と会うために高知にきたのですよ」、「私の願いが呼んだのですよ」「それが先生の運命ですよ」などと言っていた彼女。
 2008年3月2日改訂版に記しましたように、そんなことがあって、今、ドイツにいるわけですが、元気でがんばってくれていることを祈っています。そして、来年、私がドイツに行ったときには、私よりドイツ語会話ができるようになって、通訳してもらえることを、悔しさも若干あるが、「青は藍より出でて藍より青し」ということで、楽しみにしている。
「願えば叶ったのだから、がんばれよ、Mさん」

 付記
 こんなことを書いていると、なんだか、彼女が1年で語学学習を終えて入学するであろう来年の9月に、大学を休職または退職して、彼女と一緒に、かつての教師と学生が並んで、「あーだこーだ」「私が教えてあげたあのことだ」などと言いながら、教員養成の授業をドイツで受けてみたくなってしまうような気持ちにさせる、今日の更新でした。





2008/8/25改訂版

帰省で奈良にいました。子どもの部活やなんだかんだで、2泊3日の旅で、金曜日にすぐ戻ってきました。
そして、その2日後、さすがに疲れているので、奈良に小学校の同窓会があり、つくば5時43分発に飛び乗り新幹線のぞみを使って、11時に奈良市内の会場に。そして、その翌日、節約のため、京都からバスで戻りました。京都が10時過ぎ発で、東京に18時に着きました。1時間、1000円の節約、これは疲れました。でも、むかしから嫌いな人にも会ったけれど、担任の先生にも会えたし、何よりも好きだった女の子(いまは、いいおばさんでしたが)にも会えたし、よかったし楽しかった。学級・学校のつながりはいいなと思った。塾だったら、こうはいかないだろうとも思った。そこから、考えたのは、現在の学校は、習熟度別学級や頻繁な組替えで、塾のような関係になりつつあるのではないか。こうして、42年ぶりにはじめってやってみて、我々は3分の1近くは集まったけれど、これからの子どもたちはこのような関係が築けないのかなと思ったりして・・・・。学校時代を懐かしく思い出せないような関係にしてまで、目先の学力が大事なのかな、と考えたりしました。
また、金曜日に日本特別活動学会が大阪であり、出席して、翌日の土曜日に戻ってまいりました。本当は、出張費もドイツで使い果たし、自腹で費用を捻出しなければならず、本当は行きたくなかったのですが、来年は、私が大会実行委員長で筑波大学で開催するため、次期大会校としてどうしても出席しなければならなかったのです。
そして、本日、今度は新潟に非常勤講師に行きます。金曜日の夜に戻ります。
そんな生活をしていますので、今回は時間をかけて改訂版を作れません。また、新潟から帰ったら、更新しますので、お許し下さい。
なお、新潟でも、メールは読めますので、何かあればご連絡下さい。
それでは、また。

 更新が遅れた言い訳:
 先日の金曜日、実は、研究室のコンピュータが、スイッチを入れたとたん、プシューと火花が走り、コンピュータがまったく不能になりました。修理に出したところ、今日、業者から戻ってまいりました。それで、更新ができました。こぼれ話でした。


2008/8/12改訂版
明日から、中央道経由で帰省します。また、長距離トラック運転手のように1200`の旅に出ます。混まないことを祈るだけです。今年は、ガソリンの値上げで車の帰省が少なくなるというニュースを聞きました。「付和雷同」の風潮のおかしな日本ですから、この際は、その趨勢になってくれることを期待するだけです。

 そんなわけで、13日から1週間くらい不在です。学生のみなさん、よろしく。


 本当は、今日から出発したかったのですが、いろいろあってダメで、今日も大学に来る始末。何しろ、今日は、夏期休暇を取っているのですから、どうどうと休めたのに、研究室に8時間以上滞在してしまうありさま。1日、休暇を返してくれといいたいところですが、まあ、ドイツに1ヶ月も出張させてもらったのですから、文句も言えません。働かせていただきました。

 しかし、最近のテレビは何でしょう。オリンピックだらけ。お陰で見たいテレビも減って、よく勉強できます。でも、ちょっと見ただけでも、何度も日本選手の結果を聞かされて、うんざりです。今回のオリンピックは、柔道は特におかしな選考をしてたので、日本選手はできるだけ金メダルを取れないことを願っています。そうこうしていると、筑波大出身の谷本歩実さんが金メダルを取ったというニュースを見ました。授業を教えて知っているだけに、複雑な心境です。

 サッカーは、大会の前からわかっていただけに、当然の結果でしょう。ちなみに、サッカーはWカップも、出場がやっとで、オリンピック同様、予選敗退300%でしょう(最終予選リーグでは、かなり危ないですよ。)。日本のサッカー界、もう少し変革しないといかんともしがたいですね。まず、その第一歩は、監督を外国人にすること。たとえて言えば、顧客としても国内しか旅したことがない国内旅行ツアー専門の案内人が、国際旅行ツアーを引き連れて世界旅行に行くようでは、どうにもなりません。自分が選手として国際的に日常参加していた経験を有するなら日本人でも可能でしょうが。残念ながら、かつて外国のリーグで体を張って戦った経験を有する人は、なぜか監督の目がまったくないようになっている現状では・・・・。

 とにかく、メダルが何個、色が何、とか、本当に聞きたくないなー。それぞれの人がチャレンジ(挑戦)している姿を見せてくれるだけで十分だ、と考える私は変なのかなー。スポーツに限らず、入試や学問・仕事も、自分の現状より少し高いところをめざして、いっしょうけんめいチャレンジすれば、それで人生のりっぱな合格者であって、結果はよいにこしたことはない、ぐらいでいたらどうだろうか。出場枠に入らないから不満、メダルが取れないから不満、銅メダル・銀メダルでは不満などと、言い放つ人の気がしれないし、そのような人は、その勝負で勝っていわば一時的に合格しても、最終的にきっと人生の不合格者になるのではないかかなと思う、スピリチュアル(こころではない!!ことに注意)な視点を大切にしたい道徳教育学者の今日の独り言でした。
 

2008/8/7 改訂版

無事、一昨日、シンガポールSQ9637便(エアバスA380)で、1キロ500グラムやせて帰国しました。
本来なら、快適に帰ってこれるはずだったのですが、なぜか、飛行機の揺れで酔ってしまい、つらい搭乗でした。そのうえ、何よりも今まいっているのが、時差ぼけに加え、日本の暑さです。なにしろ、ドイツのニュルンベルクを離れるときに、保険会社の温度計が、昼の12時で23度でしたから、10度の気温差にはまいってしまいます。
でも、元気なので、ご心配なく。

まだ、2日ほどしか帰国して経っていませんが、日本はおかしいんじゃないかと思うことがいろいろ出てきて・・・・。

1.まず、日本のテレビなどのマスコミ。ドイツでは、オリンピックでメダル何個とるとか、そんな話はまったくなかったのに、日本では、その話ばっかりなところ。だいたい、オリンピックの自国の選手についてテレビで放送を流すようなことはあまりなかったように思う。まるで社会主義の国に思えてきた。報道も本当の予想をきちんとしてもらいたい。たとえば、サッカーなど、出場するだけの実力の男女両チームで、予選敗退確実なのに、なぜメダルを勝ち取れるような解説をのうのうとテレビで流すのか。バレーボールも。柔道も言うほど金メダルを取れないのでは。

2.日本人、どうしてドイツでは、3週間の休暇が常識なのに、盆休みの3日程度しかとれないのか。

3.ガソリン代、高すぎないのか。ドイツは1リットル240円程度でもっと高いが、車の税金が安いし(日本の5分の1程度、クラスによっても違うが)、高速道路もすべて無料。そう考えると、日本はヘン。だって、道路をつくるためとして、ガソリン税をとっているのに高速道路は有料なのに、ドイツではそんな税金存在もしないのに、道路はすべて無料なんだから。

4.日本は暑すぎ。

5.休み中の宿題や塾通いの子どもたち、こんな日本を見ていたら、間違いなく子どもはおかしな大人になるだろう。新しく告示された学習指導要領を見て、ますます確信してしまった。たとえば、「人間関係」という言葉が連発。いつから、日本人は、「気配り人間」を理想像を描くようになったのか。これでは、とても正々堂々と国際的に意見を述べて活躍できる人材は望めないのではないか。思わず。ルソーの言葉が頭をよぎってしまう。「子どもの中に大人を求めている」と。特に、堂々と一般社会で生き抜けない人間を育てたいのかと言いたくなってしまったと同時に、これを作成した大人たちは、よほど、一般社会で生き抜けないで「人間関係」の苦手な人たちではないのか、そして「自分の苦手なことを子どもに求めている」と感じてしまう。
6.ビールが高すぎ。ドイツでは、中瓶なら、スーパーで110円程度だ。そんなちょっとした庶民のお酒ぐらい、安く飲ましてほしい。

そんなことをまず、思った私でした。


今日、教員免許更新のための講師を6時間やって、くたくたです。でも、明日から、急に頼まれた月刊誌の原稿執筆と、8月9日、10日の公開講座の準備、そして8月23日の日本特別活動学会での課題研究発表の準備、そして秋に向けて本の校正、来春の共著の出版に向けて原稿の執筆と、忙しい毎日がやってきそうだ。その間に、他大学への集中講義、帰省が入り、そこに今日、また茨城県の高校から出前授業の依頼がまいこみ、とてもストレスや「心の病気」、そして「自己実現」などになっている暇がない日が続きそう。




2008/7/3 改訂版

今日、ドイツのニュルンベルクに調査研究のため出かけます。
しばらく、更新ができませんが、ご了承ください。
あちらでは、お日様が昇っている間は調査研究、沈むと本の校正と雑誌原稿の執筆と、大忙しの充実のときを過ごしてきたいと思います。
その成果は、秋以降に公表したいと思います。そして、冬にはびっくりするような本を出版したいと企んでいます。シンガポール経由で、行ってきます。帰国は、8月5日の予定です。
それでは、お元気で。

メールはドイツでも読めますので、ご用の方は、いつものアドレスにご連絡下さい。





2008/6/25 改訂版

ドイツ出張が近づいてきて、バタバタしています。

でも、定期試験は予定通り実施しますので、学生のみなさん、しっかり勉強しておいてください。

 今から、30〜40年前には、「人々は、常識的な意味での教育問題の社会経済的側面が、社会経済史学の理論をかりてある程度まで解明されるやいなや、それでもって、この常識的な意味での教育問題が、教育学的にも解明されたかのごとくに盲信してしまった」とのではないかと思われる。この「  」の部分は、今年の3月に退職された福田弘先生の恩師長尾十三二先生のことばである。このことばを、私は、次のように語句を入れ替えて現状を批判している。つまり、「人々は、常識的な意味での教育問題の臨床心理的側面が、臨床心理学の理論をかりてある程度まで解明されるやいなや、それでもって、この常識的な意味での教育問題が、教育学的にも解明されたかのごとくに盲信してしまった」である。この観点から、学校におけるスクールカウンセラーに代表される心理的アプローチを批判してきたわけである。でも、その批判は、次第に研究領域の教育学という自分の足場にも向き始めた。つまり、具体的な実践的方法を提示できない教育学の欠点である。これでは、教育関係者は、教育学に期待を寄せないで、臨床心理学的なアプローチに魅力を感じるのもしかたがないのではないか。教育学は、実際に役立たないのであるから。
 そこで、そろそろ、何とか新しい試みをやってみなくてはいけないのではと思い始めました。言い方は悪いですが、それこそゲリラ的に。
 そこで今考えているのは、
無料でカウンセリングを行う、仮称「教育なんでも相談室」でも、授業のないときに、研究室で開設するかなと思ったりしています。それこそ、筑波大学の学生さんをはじめ、一般の人々に向けて。これまでの自分の教育研究と体験を活かして(というか、これまでいろいろな人に助けられて、一人前にしてもらったので恩返しの意味かな)何か人々のためになることを、おこがましいけれども、やってみようかなと思い始めたのです。
 こんなことを言うと、あれだけカウンセリングを批判しておいて何を矛盾したことを言っているのか、と。でも、私の言っているカウンセリングは、心理学的な指標に依拠したものではなく、どちらかと言えばカウンセリングの原型に近いものです。というのは、カウンセリングの原型は、心理学の専売特許ではなく、もともとは宗教的な行為だからだ。
 でも、まだ、仮称「教育なんでも相談室」は構想の段階だ。みなさんの意見を聞きながら、ちょっと、ドイツで頭を冷やしてよく考えてみます。
 今日は、
「教育なんでも相談室」構想を公言したということで。
 では、また、ドイツに行く前に更新したいと思います。ドイツ滞在中は、更新ができないので。


2008/6/16改訂版

大きな地震が日本でも起きてしまいました。その地方の方々には、お見舞い申し上げます。



だれか凶行をしたら心の専門家、大きな地震が起これば地震の専門家。いつもように、終わってからいろいろな解説が行われる。そこには、何らかの説明原理を聞かないとわかった気になれない、収まりのつかない一般大衆がいる。その解説は、何事も説明原理で知的に理解できるという思い込みを抱いている人たちには、何よりの安心感を与えている。学術専門家は、専門領域の中でしか解答を探すだけの事後の解説者でしかないことを、多くの人たちはわかっていないのではないか。この繰り返しが、これからの事件・事故の際に生じるのであろうか。何か根本的なよい方策はないのだろうか。

地震は、なぜ起こるのか。この解答を、専門領域を超えたスピリチュアルな観点から大局的に見ると、とんでもないと思うような解答が示されていることに気づかされる。たとえば、ここでは詳しく語れないが、アメリカで200万部以上の売り上げを示し、日本でも翻訳された『神との対話』という本を読んでいただければ、マスコミの専門家たちとはぜんぜん違う理由と意味が示されている(実は、そこには、シュタイナー教育についても、記されているのだが)。
そのシュタイナーは、80年前に地震についてどういっているのか。以前にもホームページで書いたことがあるが、地震は地球のマグマやプレートの動きが原因で起こっているのではない。原因は、宇宙の力であって、その力が地殻に影響を与えているのであって、地殻だけを見ていても、本当の原因はわからないと。彼によると、とんでもないと思われるようなことを述べていて、もともとは地球はピラミッドのように正四面体であって(エジプト人はそれを感じていたので、原型の四面体のピラミッドを造っていたことになるそうな)、それがやがて丸みをおびて今のように球体になり、四面体の辺の部分が火山や地震の地域の山脈となっており、日本は、その四面体の上の頂角の部分にあたるとか。科学的に言うととんでもない神話になるのだろうけれど、拡大鏡的に、大きなビジョンの視点から見ることも、近視眼的に狭い専門領域に焦点化しがちな状況にあって、ときにはよいのではと、思ったりしています。

でも、そんなことに思いをめぐらせているあいだに、原稿を軽いものも含めて4編かかねばなりません。そのうちの何編かは出張先のドイツで、夜な夜な書くことになるのかな。でも、できるだけ、日本にいるあいだに、見通しをつけたいと思っています。いそだしくなりそうだ。



それから、筑波大学の学生さんへ!

とんでもない事態が起こらない限り、定期テストは予定通り行います。テキストとノートは持ち込み可です。










2008/6/9改訂版 <6/11加筆>
また、土浦市の荒川沖駅に続いて、秋葉原で起こってしまいました。亡くなられた方のご冥福と、ケガをされたかたのご回復をお祈りいたします(合掌)。
 
残念ながら、きっとこの種の事件は、何らかの対策をたとえささいな対症療法でもいいから考えないと、またどこかで起こってしまいかねません。少なくても、マスコミが、「あってはならぬ事件」と言いながら、あれこれとワイドショー的にまるでヒーローのように生育史を報道するのですから(いや、よほどすごいヒーローでも、いやノーベル賞受賞くらすでも、すべての報道番組で、それもトップ記事で生い立ちから、中学校でどんな作文を書いた、どんな顔つきだったとか、ここまで詳細に紹介してくれないでしょう)、小さく収まるものも小さく収まらないし、無くなるものも無くなりません。仮説として考えてみて下さい。もし、荒川沖駅の事件が放送されなかったら、あるいはかつての附属池田小学校の事件が放送されなかったら、きっと6月8日に、秋葉原での事件は起こってなかったでしょう。もちろん、あのような事件が起これば、報道性が高まるから放送しないわけにはいかないでしょうが、前述した仮説がわかったおれば、報道の仕方はもっと社会的影響を考えて工夫されてよいと思いますが。本当に「あってはならぬ事件」にしたいのであれば・・・。しかし、「あってはならぬ事件」が起こらなければ、報道機関の存在性が、たとえばワイドショーの視聴率が・・・・・、となりますから、本当にことは複雑です。でも、少しでも無くしたいのなら、加害者の動機をなぜ起こしたのだろうかと、理解不能な現象を解き明かすための説明原理(「説明仮説」にすぎないが)を詮索しようとする姿勢ではなく、犯罪行為をしや加害者に対して、人間として軽蔑したようなスタンスで報道したらどうだろうか。
また、最近、化学物質を使った自殺が報道されますが、詳しくその化学物質を説明しているようではますます拍車がかかってしまいます。そんなことは、伝えても、ほんの隅の扱いを簡単にするだけか、無視するとか、たとえば自殺方法など触れないとかすれば、どれだけの人が救われるのだろうと思ってしまう、最近のマスコミの状況です。
 でも、そうしたことは根本的な問題ではないでしょう。もちろん、いつものように心理学の専門家と称する人が原因を分析できたといわんばかりにテレビで話す。進学高校出身、卒業アルバムに「短気、ごうじょう」と記載、おとなしい雰囲気とか、・・・。おもわず、突っ込みたくなります。たとえば、進学高校に行ったことが原因で,突然切れて凶行をすると言いたいのだろうか。進学高校に行っても、凶行をすると言いたいのか。それなら、それ以外の高校に行った人はいつも起こすと言いたいのだろうか。いや、確率が高いというならば、統計調査をして語っているのだろうか。要は、そんな高校など関係ないことなのに、何か理由をつけたがっているようだ。こんな根拠のないことをテレビで垂れ流しすると、進学校に行けば切れるので、進学校の子どもには注意しなさいということになる。そうしたら、それ以外の生徒は注意しなくてもいいのか、いやそのような生徒はいつも注意しているというならば、要はすべての高校生に注意しなければいけないくなるだけで、進学校という情報は、何の意味もないはずである。さらには、大学生は注意しなくてよいのか、中学生はどうか、などいくらでもつっこみたくなってしまうし、つっこめるのである。だから、そんなことはどうでもよいことだ。
 もし、政治家なら政治的な視点から対策を語ればよいし、いろいろなところから語れるであろうが、教育学者の端くれとして語るとすれば、残念ながらビシッと言えません。なぜなら、教育学は万能ではなく、おのずと適応範囲の限界と有効性があると思います。残念ながら、得意不得意の範囲があると思うのです。特に、教育学は、現実の早期な社会改革に対しては弱いと思います。つまり、社会の最前線から、少し後ろに退いたところにしか存在位置はないように思います。社会改革の即効力という点では、弱いのではないでようか。教育という作用には、時間が必要だと言いたいのです。調教のようなことならば早いでしょうが、教育はじゅっくり待たねばならないもので、特効薬は不可能です。しかし、そのうえで、地道ではあるけれでも、次のように考えられるのではないだろうか。

とにかく自分のことしか考えられない人をつくった教育がいけないということだ。いわゆる自分勝手な自己中。この性向が土浦にも、大阪の池田でも、今回の秋葉原でも、根底に流れているような気がします。おかしな個人偏重、個性の偏重です。そこに拍車をかけているのが、自分の心だけに焦点化させる心理主義の発想です。だから、これまで警鐘をならしてきたのです。この発想が強くなると、「自分探し」「本当の自分への気づき」とか、自分のことだけしか考えの範疇に入りませんから、道徳の規範意識も低下するだけです。もっと、他者の気持ちを想像できるような感性を育てる道徳教育が求められると思うのです。その想像力がないから、加害者にとって被害者は「風景」であり、相手の立場に思いを到らせられないから、だれでもよいというような無差別な犯罪が生じるのだろう(たとえば、自分が秋葉原で歩いていたら、突然知らない人が現れてナイフで刺されたら、どんな状況や気持ちに陥れられるのかを想像できないからできるのではないか)し、いじめの場合も、いじめられる者の立場を想像できないからできるのであろう。

その点、シュタイナー教育では、「ファンタジー」の育成が14歳までに強く求められており、学校の創始者シュタイナーは、道徳教育に重要なものとして、「道徳的ファンタジー」にこだわっていたので、私はシュタイナーの道徳教育論にこだわりたいのです。ここに、社会的文化的差異を超えて、なにか学べるものがあると思いたいのです。そんな問題意識で研究していますので、そういう考えの大学の先生のもとで勉強してみたいと思う、筑波大学の学生のみなさん、さらには全国の大学の学生のみなさんがおられましたら、私の所属する人間総合科学研究科教育学専攻(前期課程・修士課程に相当)を受験して下さい。また、大学院の修士課程の学生さんは、人間総合科学研究科学校教育学専攻(後期課程・博士課程に相当)を受験してください。何か受験相談等がありましたら、メールで遠慮なく連絡をとってください。アドレスは、ホームページに出ているところです。




 
話を秋葉原や土浦や池田の事件の問題に戻しましょう。
そこに根底に流れるのは、加害者側に
「自分はかけがえのない人間だ」、「それなのに、他人はわかってくれない」と過剰に不満を意識し自己を崇拝する反面、他人に対しては「相手は誰だってよかった」という発言に表れているように、心理学研究に出てくる母集団のように、固有名詞にこだわらないために、「他人も自分と同様にかけがえのない人間だ」という想像力がないことだ。どこの大学に通っている、出身だ、あるいは歳が若いか否か、どんな職業についているかアルバイトか、そんなことは関係なく、誰一人、試験管から当然生まれて育って来た人はいないのであって、みんな親から生まれ、それまでの人生でいろいろな人と関係を持って生きてきたわけで、一人が地球上から消えてまわりに影響がないとはありえないのですから。みんな誰かにとってかけがえのない人たちなのだから。そういったことに加害者は思いを廻らさないばかりか、マスコミや世間が加害者の動機はどうだ、生育歴のもたらす精神状況や性格はどうだ、被害者やその関係者の「心の傷」はどうかと、とにかく個人内の「心」だけが焦点化されている。そんな問題関心で、そんな心ののぞき趣味のような発想で、マスコミや犯罪心理学の専門家とかいう人たちに煽られて、これからの対策が考えられるのかと思うと、ますます加害者以上に社会全体の風潮に対して暗い気持ちになってしまう。あまりにも過剰に、個人に閉じこもる発想をはやく改めねばいけないと思うのです。
 いつから、このような風潮が強くなったのでしょうか。私の知る限りでは、あの中曽根内閣の時代に、戦後の総決算ということで、臨教審ができて、教育についても、「自由」や「個性」がいたずらに強調されました。つまり、人間をバラバラにして、「個の確立」をめざしてしまったのです。もちろん、臨教審だけのせいではなく、そうさせる風潮が世間にあったからでしょう。教育学者の端くれとしては、この臨教審の求めた人間像を批判的に吟味する必要があると思います。そうすれば、付録として、このあたりで、一人の臨床心理の学者がたくみに日本の教育行政にかかわってくる実態も見えてくることでしょう。何しろ、このあたりから、個性の伸張から「心の教育」とか出てきて、結局、子どもの心の危機という不安を煽りだしたのですから。困ったことです。だから、そろそろ臨教審の方針を転換して、アメリカのコピーではない、もっと日本にふさわしい教育を考えていくことが、(そうした問題の直接的な解決策ではないが、)じゅっくり効いてくることではないだろうか。欧米風ではない、日本らしい価値観が強調されてよいのではないか。たとえば、いつから「うしろめたさ」というような言葉を日本人は棄ててしまったのだろうか。それを「理性」とか「良心」とかいわずに、「うしろめたさ」のような、英語の単語として存在しないような大和言葉をもっと使って教育論を語ってはどうだろうか。すべて語る必要もないが、最近はどうもアメリカの心(精神)の指標だけが偏重されているので、そんな日本にこだわった提案を近況がわりに書きました。

 7月3日のSQの航空券が取れました。南回りでドイツに出発します。
 今回は、いつもの問題意識に加えて、日本にふさわしい教育のあり方を考えてきたいと思います。アメリカやその他グローバルな影響を受けつつも、ドイツやバイエルン地方のよさをいかに残しているのか。そこから、日本としては、アメリカでも、ドイツでもない、その国や地方にふさわしい教育とは何かを考えてみたいです。

 
そんなわけで、定期テストは予定通りに実施します。

 
そうこうしていると、今、恩師の先生から、今年の日本特別活動学会(8月22日、23日、於:大阪市立大学)で課題研究発表の提案者になって「いじめ」について語ってくれという連絡が入りました。来年は、私が実行委員長になって筑波大学で実施することになっているので、今年の大会の総会に出席して挨拶しなければならなかったので行く予定はしていましたが、それが終わればすぐに筑波に日帰りで戻る予定だったのに、そうはいかなくなりました。私以外の人でも語れる内容は原則お断りを決めていたのですが(たとえ、恩師の依頼でも)、聞くところによると、いじめ対策に、心理士のカウンセラーで活躍している人が出てカウンセリングの有効性を語るだろうから、そうでない視点から語れる人を探すと君しかいないということでした。固有名的なご指名なので、また恩師が頼んできているのですからということも追い風になって、やるしかないかと思ってお引き受けしました。臨床心理学関係者のバトルの様相があるので、こことばかりに教育学者の一人が、逆襲に転じて、教育現場の先生方に、「カウンセリング依存症」にかかって、心理家のプログラムの執行人に成り下がっていると、特別活動の存在意義も、教師の尊厳もなくなりますよ、というメッセージを発したいと思っています。





2008/6/2改訂版


もう、6月だ。もう、2008年も半分が過ぎようとしている。
 筑波大学は、3学期制なので、もう3週間も経てばテストだ。そして、成績をつけなければならない。いまでも、そこそこ忙しいのに、また激動の時期がやってくる。そのうえ、今年は、教員免許の更新制のための研修会の講師を6月29日(日)と8月7日(木)に担当することになっているので、例年よりバタバタしそうだ。土曜日も、日曜日も、時間の合間をぬって大学に来ているが、なかなか仕事がはかどらない。そのうえ、忙しくて畑の草取りもできなかった。困ったことだ。でも、なんとか乗り越えて、7月にドイツに海外出張、8月9日、10日の両日は公開講座、という予定を遂行したいと考えている。

 
したがって、道徳教育の定期試験は、予定通りに実施します。もし、やむをえない理由で欠席する学生は、欠席届を学務課に提出して下さい。再試験を実施します。


 
先日、出身大学の先輩から、「同窓会の会誌に君の原稿が掲載されていたので、電話してみようと思って電話したよ」という連絡が突然入りました。それは、もうすっかり忘れていた原稿の話だった。実は、この原稿は、一昨年に書いたものでした。私の小学校時代の1、2年生の学級担任であった辻先生がお亡くなりになったので、同じ大学の出身者として、大学の会報に先生の思い出を書いてほしいという依頼が、事務局長から来ました。せっかくだし、辻先生にはたいへんお世話になったので、私でお役に立つのであればと思い、書きました。
 その記事は、次のようなものでした。固有名詞は、匿名にさせてもらうこととして、そのときに送った原稿をここに掲載させていただきます。
 そして、再びこの機会に読み返してみても、やっぱり学級担任制は、なんとかして維持しなければいけない、と思いました。学級担任制には欠点もあるが、教科担任制では得られない大切な宝ものがある、それはPISAの学力調査や全国の学力調査では測れないものだ、とつくづく思ったことでした。

「辻貞三先生を偲ぶクラス会」の開催

           昭和51年度大学卒業生  吉田 武男    
                (昭和36年付属小学校入学)

 平成18年5月末、奈良に在住する小学校の同級生(庄○○○様)から、5月8日に辻貞三先生がご逝去された、という一報とともに、「辻先生を偲ぶクラス会」を開催しないかという話が舞い込んできました。その話は、812日に実現する運びとなりました。
  当日の午前中に、辻先生のご自宅を集ったクラスメートとともに訪問し、ご仏前に手を合わせました。午後から、猿沢荘の2階「まんよう」で、ご子息の辻△□氏(昭和51年度卒業)を囲むかたちで、そのクラス会が始まりました。クラス40名のうち、16名が集りました。そのときに、△□氏から配布された先生の自分史によると、辻先生が小学校1年生を担任されたのは、先生の生涯の教師歴においても、後にも先にも附属小学校昭和36年度入学のわれわれのクラスだけであったという。
 当日の会では、もちろん辻先生の生前の思い出が参加者全員から熱く語られました。そこで集中した二つの話題は、不定期に家庭を訪問されていたことと、水泳の時間に泳げない子どもを有無も言わせずプールに投げ込まれていたことでした。それらは、今の時代では考えられないことです。
  何かあったときはもちろんですが、特に何もなくても先生は、たびたび子どもたちの家に突然やって来られて、子どもの様子を見たり、親と玄関で立ち話しをして帰られていました。私自身も、家のまえで遊んでいると、スクーターに乗った先生が突然現れて、とても驚いたことを鮮明に覚えています。今となっては推察するしかないのですが、そのような行動によって、先生は学校外の子どもの状況も把握することによってその子どもを多角的に理解するとともに、家庭との信頼関係を確立していたのではないでしょうか。そうであったからこそ、あるときには、不登校になりかけた子どもに対して、先生はその子どもの家にやって来て、愛用のスクーターの後ろに有無も言わせずに子どもを乗せて学校に連れて行ったり、いつもプールに片っ端から特に泳げない子どもを投げ込んだりと、少々強引な指導が先生によって行われても、どこの親も先生を信頼しており、その行為に対する不信感をまったくもたなかったように思われます。子どもの「心」をカウンセリング心理学の枠組みで把握すれば「子ども理解」ができたと信じ込んでいる昨今の教育界の愚かな風潮、家庭と学校との連携がスローガンだけで終始している現状などを勘案するとき、辻先生のまなざしと行為は、はるかに時代を超越していたように思われてなりません。
 
また、その会のなかで語られていたことですが、当時の附属小学校の先生方(ほとんどが本大学の同窓生であった)は、みんなそれぞれ個性的でありながらも、「気持ちが入っていた」という趣旨の発言が多く出されました。まさに、何とも言えないオーラがあったのではないかと。そこには、今日の愚かな親たちが苦情を言える雰囲気はまったくなかった。特に、辻先生はそうであったように思われます。
 私事になって恐縮ですが、私が大学を卒業して1年足らずのときに、進路について相談をしに、先生の自宅を訪問したことがありました。なぜ、そのときに、小学校1年生の担任であった辻先生に相談したいと思ったのか、今でも私は思い出せないでいます。ただ、ご自宅の応接間に通されて夜9時頃に相談した記憶だけが残っています。そのときに、私が教員を辞職して、1年間だけ専攻科で勉強してから大学院に進学したいという旨を伝えると、「そう決心しているなら、わかった。がんばりなさい」と言ってくださいました。結局、幸いなことに筑波大学大学院に進学が叶い、その後、関西学国語大学と高知大学に就職したあと、現在、その筑波大学の教員として勤務しています。私的には、教育に関する拙稿・拙著を先生に感想を聞けなかったことがとても心残りです。少しは褒めてもらえたであろうか、「まだまだ、だめだね」と叱られたであろうか。いずれにせよ、今後の研究活動にとって貴重なアドバイスをもらえたであろうに・・・。
   でも、不穏当な言い方になるかもしれませんが、ご逝去によって、これまで一度も集らなかったクラスの仲間が、44年後に出会うことになりました。しかも、これを機会に同窓会が創設されました。先生のこの世の置き土産として、クラスの仲間がつながるように導いてくださった、と私は信じています。
 実際に起きたことですが、会の最後にみんなが記念撮影をするために整列し、従業員の方がまさにシャッターを切ろうとしたそのとき、突然、私たちの室内だけが停電で真っ暗になるというハプニングが発生しました。この奇妙な偶然を、理科の先生だからあの世から電気を使って、「私は見ているぞ」と先生が合図を送ってくれたに違いない、と私は思っています。
辻貞三先生のご冥福を心からお祈りいたします。                      合掌
                         

                                   


2008/5/25改訂版


 小学校教員認定試験の説明会
 おかげさまで、盛況のうちに終了しました。100名以上の学生さんが来ました。でも、申し込みを事前にもらっていたのは、70名程度でしたから、30名程度の人が飛び入り参加でした。その結果、資料が足らなくなるというハプニングが発生してしまい、事前に申し込んでくれていた学生さんにはご迷惑をおかけしました。そのうえ、1ヶ月も前に、事務局を通して押さえておいた教室が、会議とブッキングを起こしてしまい、急遽、会場を1階に移動して行いました。どこでそんなことになったのか、原因はよくわかりませんが、そのことでも学生さんにはご迷惑をかけてしまいました。この場を借りてお詫びします。それから、希望者がいるので、当日の資料を余分に印刷して、研究室のドアにはりつけています。ほしい方は、自由に持って行って下さい(実は、ドアの前に箱を置いてそこに30部くらい入れておいたのですが、翌日、学生さんから資料がないという苦情のメールが来て、あわててみたら、さっきまであった箱も資料も跡形もなく消えていました。狐につままれたような気持ちになりましたが、ちょっと考えてみたら、いつもドアのところに汚く外にゴミを出しているから、清掃員さんがゴミと間違って持って行った、ということで理解できました。そんなわけで、再度、印刷をしました。いつも汚くしているから、これも自業自得か、と思って納得した次第です)。

 やどかり祭(宿舎祭)
 学生支援室員として、金曜日の前夜祭と土曜日に見回りにやどかり祭に行きました。みんな18歳、19歳で、楽しそうにやっていました。自分は、その歳に何をしていたのかなと、昔を回想した2日間でした。

 ドイツ出張
 そろそろ、準備に入ろうと思って、ドイツのシュタイナー学校に子どもを通学させている保護者に電話をしました。要点は、学年末の終了式はいつかというものです。どうも8月1日ということがわかりました。その折りに聞いたのですが、1年以上経って教室も変更しているのに、「シューラー先生」と墨で書いた半紙が、5年B組の教室に貼ってある、ということでした。私の子どもが昨年の3月に帰国するときに、記念に、一人一人の子どもと学級担任の先生の名前をカタカナで半紙に墨で書いて渡しました。その先生の分を、教室にはってくれているのでしょう。その人が言うには、日本に帰国したけれどいつまでも教室のみんなとつながっているよ、そしてまた子どもさんが来るのをシューラー先生が待ったいらっしゃるのですよ、ということでした。この1年間も、友だちから月に1回は手紙が来ています。その手紙は、決まって、「元気かい」からはじまって、「Ich vermisse dich!」という文句が最後の方に入っている。直訳すると、「君がいなくてさみしいよ」になるかな。たった半年いただけなのに、学級の友だちもそんな感じで、つながっている。まだ、あのときの4年B組が、私の子どもとつながっている・・・・。日本なら、毎年のように組替えと担任交代だから、そのような半紙が教室にまだあるというような事態は絶対に起こらないだろう(シュタイナー学校は入学して8年間、組替えもなければ学級担任の交替もない)。学力低下などと言って教科担任制だ習熟度別学級だと大騒ぎ、一人一人の子どもの心のサインを見つけて子どもの心を理解しなければいけないと大騒ぎ、保護者が学級担任教師に不満をもって交替させようと陳情、校長や教育委員会ももめないうちに先生を交替・異動させようとする事なかれ的な雰囲気、そのうえ、食育が大事、毎朝の読み聞かせや読書が大事、英語が大事、しつけ・道徳教育が大事、コミュニケーション力が大事、そしてきっと今年は多額の調査費を使って行われる子どもの全国体力調査(テスト)で結果が悪いと大騒ぎになるだろう。どこまで「品のない教育」を続けるつもりだろう。そして、これからもおかしな青少年の問題・凶行が続き、自殺者も続くだろう。もっとどうしてゆったりと一生に一回の共同体的な学級・学校生活を子どもにおくらせてあげられないのか、何か日本の教育は根本的に間違っていると思わざる得なくなった、いやもっと広い視野で日本全体を見れば老人医療・年金・介護がおかしいし、子どもの出生は経る一方、それにつれて小児科と産婦人科の医者が足らず、心や精神の関係の医者が大流行らしいから、要は日本国全体がおかしいと痛感させられた、ドイツへの電話の内容でした。


2008/5/18改訂版

 昨日は、大学院時代の恩師、長谷川榮先生の『教育方法学』の出版記念会が開かれ、出席してきました。久しぶりにお会いした先生ご夫妻、そしてそこに駆けつけた先生方や先輩・後輩が30名近く集まりました。みんなでなつかしく昔話をしていましたが、出席者全員、年をとったなと感じました。と同時に、自分も年をとるのはあたりまえだ、と自覚した会でした。また、自宅に帰って、先生のご本をちょっと読んでいましたが、ただ自覚したのは、20年後に自分も先生と同じ年になったときに、これだけの「教育方法学」の内容の本を書けるかなと思ったら、自分ではとても無理だな、先生には追いつけないということでした。とても追いつけないから、だから恩師でいいんだと思った一日でした。不肖の弟子は、とても先生のご期待には応えられないけれど、自分の精一杯やれるだけのことをやるのが学恩だと思って、今後もがんばりたいと思います。

 今日は、朝から、近くのスーパーへ、日曜日の早朝割引の効く時間10時30分までに買い物をすべく行ってきました。ついつい、お米とか、コーヒーとか、お茶のペットボトルなどをついついやすいのでたくさん買ってしまい、7000円を使ってしまいました。その後、昼食をはさんで夕方まで、例の畑仕事にがんばっていました。サツマイモの苗は、10本に1本ぐらいは枯れていました。それで、向かいのおじいさんがいくらでも苗をあげるよと言ってもらっていたことを思いだし、厚かましくもらいに行きました。すると、「いくらでも持っていってもらっていいよ」と言われたので、遠慮なくいただきました。10月には、どれほど出来るのか、楽しみです。自宅で食べきれなかったら、ご近所さんにでもあげるかなと思っています。それぐらいできればいいのだが・・・・・・・。

 今週は、いろいろと忙しくなりそうだ。火曜日は、博士論文の審査会、水曜日は、小学校教員認定試験の説明会、木曜日は支援室員会議、金曜日・土曜日は宿舎祭、それ以外にもどこかに会議があったような。いずれ思い出すだろう。とにかく、火曜日と水曜日の行事だけは、時間厳守で自分がきちんとしなければたいへんな混乱を招いてしまうので、忘れないようにしなくては。
 それに関連して学生さんに一言。
 まだ、小学校教員認定試験の説明会、まだ席が空いていますので、どうぞ今からでも申し込んで下さい。
 また、今年度の教職科目「道徳教育」の授業で使用するテキスト、吉田武男編著『道徳教育の指導法の課題と改善―心理主義からの脱却―』(NSK出版)は、5月末までは大学会館の書籍部に置かれています。なくならないうちに、買って下さい。コピーでもかまいませんが、・・・。

 付記
 今年の7月も、ドイツに出張する予定ですので、何かありましたら、早くにご連絡下さい。でも、大学のメールはドイツでも読めるようになっていますので、ここに連絡していただければ、連絡ですむようなことであれば、問題はありませんのでご安心下さい。
 
 では、また来週まで。
お元気で!
 
2008/5/11改訂版

 4月末の締め切りの原稿を1週間だけ待ってもらって、ようやく金曜日に出せました。これで一安心です。
 でも、また後が詰まっているので、ゆったりもしておられませんが。


それから、

 今年度も小学校教員認定試験の説明会を開催します!!
日時:5月21日(水)11:30〜12:10
場所:1H201教室



 最近、学生からの申し込みが増えてきました。昨年は、100名を超えたのですが、今年はそこまでは行かないペースです。まだ、余裕がありますので、筑波大の学生さん、いらっしてください。


 今日は、昼から畑仕事をしていました。以前に、雑草が生えてこないように、黒いビニールをはり付けたのですが、それが風でめくれてしまい、その補修に、そしてついでに茄子とトマトといんげんの苗を植えることにがんばっていたら、日が暮れてしまいました。その間、機械で耕してくれた向かいの畑のおじさんを待っていたのですが、来られませんでした。およそ自宅の場所も聞いていたので、また奈良で買ってきた大きな「どら焼き」と「わらびもち」が悪くなるので、畑仕事を終了後さがしにむかいました。すると、家の前の草を刈っておられるところでして、簡単にみつかりました。それで、その二つを差し上げて、おじさんも喜んで受け取ってもらったので、ようやく、自分のなかでは一つ落ち着いた気持ちになりました。でも、あっという間にすぎた日曜日でした。でも、少し疲れました。いい運動にはなりましたが。
 ふと振り返ってみると、私は、百姓家の長男息子で、学校の成績はとてもほめられたものではなかった(なにしろ、お恥ずかしい限りですが、もう時効と言うことであえて公表しますと、また私の過去をご存じでない方は信じられないでしょうが、中学1年生の学年末試験で100満点の英語で8点をとったぐらいですから。その証拠に、同窓会のたびに「よしだはエイトマン(当時、漫画で流行していたキャラクターの名前)だから」、言われてバカにされています。そんなわけで、いまでも英語はさっぱりできません。何と言っても、当時は、学級で全科目の成績が一番下、学年で下から三番でしたから。でも、一応は、国立大学の附属中学校だから、普通の中学校よりは全体的に生徒もそこそこはできたとは思いますが、でもかなり基礎知識がなかったことは間違いないと思います。何しろ、3年生の秋に受験勉強に入って、「3人称って、何?」、「1人称って、何?」、「現在進行形って、何?」、「B動詞に、ingって何?」という質問も友達にたずねていたことを覚えています。そんな私を、友達が「よしだ君ね、それはね、・・・」と、よくも呆れないで教えてくれました。きっと心の中では呆れていたでしょうね。感謝感謝です。そんなわけで、どこかのだれかみたいに、「神童」となんか、一度も言われたことがないし、むしろそれとは対極の子どもでしたから、今になると、多くの大学の研究者たちと違い、少々「できが悪い」と言われてもぜんぜん堪えないし、落ち込まないのです。だって、もともとできが悪かったのですから。おかしな開き直りになってしまい、始末の悪い研究者なのですが)。まさか大学の先生になれるとは、本人も親も親族も友達も、私を知っているまわり人みんなが思っていなかったのに、何の間違いか、不思議なご縁で、いろいろな人のお陰でそうならせていただきました。同時に、それも、そのうえ、まさかこんな常陸の国で、大学に勤務して日曜日に百姓仕事をするようになるとは想像もできなかったな。今年は、ジャガイモ、サツマイモを中心に、里芋、トマト、茄子、いんげん、すいか、カボチャ、キューリ、を植えました。毎年、種類が増えています。親も、よもやこんな遠くで、継がせたくなかった百姓仕事を、息子が進んで日曜日にするとは思いもよらなかっただろうに。いろいろ考えてみると、人生は本当にわからない不思議なものだなと、思ってしまう。社会性のスキルだけ身につけても、ぜったいに通用しないのが現実の人生だと思う。だから現世の人生の意味があるのだろう。もう、私の人生も残り少なくなってきたが、どんな人生と出会いが待っているかわからないが、とにかくその過程を大切にしようと思う。世の中は、勝ち組、負け組をはじめ、学力テスト、体力テストなどなど、とにかく成果というか、とにかく「結果」に執着しがちなだけに、ギスギスした品のないデジタル的な暮らしをして人生を終わりたくない、「結果」よりも、不可思議な人生でもっと生きるプロセスの意味を探し、そこに「生きがい」を見つけ出すように生きたいなと、想像をめぐらせてみた1日でした。



2008/5/2改訂版
 ご心配をおかけしました。ようやく、新しいコンピュータを取り付け、更新できる状態になりました。1ヶ月、近くかかってしまいました。いつもなら、同僚の藤田晃之先生が研究室におられて、頼みに行くと、自分の仕事を中断してまでも、コンピュータのトラブルを解決してくれました。その先生が文科省に転出されてしまいました。きっと、人のよいことをいいことにして、あまりにも厚かましかったかなと思っています。もしかすると、転出したくなった理由の数パーセントは私のせいかもしれません。いまから反省してももどってもらえないし、寂しい限りです。いつもなら、これから帰るときに、「藤田先生、もう帰るよ。早く帰りよ」と言って、冷やかすこともできなくなりました。昨年までが夢のようです。
 そんなわけで、私のコンピュータのホームドクターを失ってしまい、途方に暮れていました。なにしろ、コンピュータを購入したところで、セッティングできないのですから、ただの機械の固まりでした。そもそも、このホームページを始めた理由は、コンピュータ操作とキーボードの打ち方を覚えるためでしたから。スイッチも入れられないような状態で筑波大に赴任しました。そんな私ですので、そこで、購入業者の人に頼んで、サービスで何とか使えるようになりました。しかし、ホームページを更新できるようにまでは、頼めませんでした。私も努力したのですが、ダメでした。そうなると、人間関係力に頼るしかないということで、統計処理に強い心理学系の服部環先生に頼みました。服部先生は、筑波大学大学院の修士課程の教育研究科の一つ下の後輩でして、博士課程を受験するときに、当時はドイツ語が必修の受験科目でして、1日だけ、教えてあげた恩をよいことに、まさに昔の弱みにつけ込んで頼んだのです。本当に悪い私ですね。道徳教育の専門家として、問題かもしれません。でも、服部先生もあきらめて、あの1日は高くつくなと思いつつ、愚痴も言わずに引き受けてくださいました。そうこうしているうちに、数日後の28日の空き時間に来てくれて、私のコンピュータと学内のサーバーとつないでもらいました。その結果、ようやく繋がったのです。感謝感謝です。人には恩義は売っておくものだと思いました。何倍にもなってかえってくるものですね。ありがとう服部先生!

 明日からいつものように奈良に帰ろうかなと思っていたのですが、今年高校1年生の子どもが部活動をすべて休みたくないというもので、しかたなく4日出発にしようかなと思っています。なんと、弓道部に入ったもので、さすがのスポーツ好きの私も、これだけはさっぱりわからないので、子どもの言うことを聞くことにしました。
 そこで、3日は、畑仕事をするかと思っています。ただいま、宮沢賢治になったつもりで、畑の改良をしています(そんなたいしたものではないのですが)。
 実は、二人の高校生を別々の高校に送る仕事を早朝からしています。何しろ、8時には着きたいと言うものですから、毎日、7時起きです。その仕事を終えた後、高橋進先生(筑波大学名誉教授)から無料でお借りしている土地に、畑を作っているのです。もう7,8年になるのですが、ようやくその3分の1程度の土地の広さを畑にしただけです。そこに行って、一人で、短時間、鍬をもって耕したり、雑草を取ったりしています。それを終えて大学に行くのが9時前です。畑に立ち寄らないときは、8時20分には大学に到着しています。おかげで、少しやせました。

 そんなわけで、最近は、冗談で、事務の方に、「タイムカード」システムにしてくれないかな、と、最近早く来るようになると、強気な発言をして、笑いをとるようにしています。ときには、ある事務員さんからは、「先生、子どもが高校を卒業したらどうするんですか」と痛いツッコミをもらうこともありました。そのときには、「3年間の試行実施ということで」などと対応しています。とにかく、午前中が長くなりました。健康にいいので、早起き生活を続けたいと思います。


 そうこうしているうちに、ある日曜日に畑を耕して帰ろうとしたところ、向かいの畑で耕運機で作業している70歳ぐらいのおじいさんに、「これで耕してやろうか」と言ってもらいました。おもわず、「はい」と即答しました。まるで、神様の化身のように見えました。きっと、私がうらやましそうに機械を見ていたのでしょう。そのおじいさんは、そぐに畑に来てくれて、根が張って、とても耕せなかった残りの3分の2の土地を機械で耕してくれました。お礼に油代でも支払おうとしたのですが、「お金のためにやったわけではない」と言って、受け取ってもらえませんでした。そのうえ、「いま、耕したところの根や草を取っておいたら、もう一度、やってあげるわ」とおっしゃってもらいました。それで数日後、また畑で見かけたのでお礼を言い、そのとおりにしておきました。そして、話していると、いろいろなことを教えてもらいました。たとえば、スギナが私の畑で多く出ているのは、土地が酸性になっている証拠。石灰をまいて、アルカリにしないと豆類とかはあまりできないとか、芋は酸性でも何とか大丈夫ですとか。そこで、私は、「最近、茄子をいくら植えても、肥料をやっても実がならないのです」と訴えると、「土が耕されて軟らかくなっていないからで、空気が不足しているんだよ。今度は耕したので、大丈夫」と言ってもらいました。いやいや勉強になりました。
 ぜひ、奈良に帰ったら、おいしいわらび餅でもお土産にあげようかなと思っています。それとも、大きなどら焼きにするかな。まあ、とにかく、お金を受け取ってもらえないのならば、なにかおいしい奈良のお菓子をぜひ食べてもらわないと気が済みません!

そしてある日、そこを子どもを送るときに通ったところ、そのおじいさんがいつのまにか耕運機で耕してくれていて、りっぱな畑になっていました。これまで草だらけの荒れ地を見て知っていた娘も、「え−」と、びっくりしていました。そんなきれいになった土地に、さつまいもと里芋を植えて、残ったところに、コーンとか、キューリ、なすなどを植えるかと思っています。何しろ、さつまいもの苗は、100本1000円で買ってきましたから。芋なら、また7月に海外出張に行っても、水をやらなくても収穫できるだろうと踏んでいるのです。それ以前に植えたジャガイモも芽が出てきているので、肥料をやらねばいけないのです。ようやく、8年で、全面が畑になったというところです。その荒れ地の真ん中に、高知で食べたビワの種を栽培していて、それを記念に植えた芽も、もう2メーターぐらいになり、いよいよビワが今年になってできそうな感じに生長してきました。
 畑を作り出して8年で、ようやく植物の育て方にめどが立ってきました。向かいのおじいさんも私のことを知っていただろうに、親切を与えてもらうのに8年かかったということだなと思います。本当の人間関係はそういうふうに、長年の生活状況のなかでできるものなのでしょう。グループエンカウンターか、なんかの技法のように、握手して自己紹介して仲良くなって人間関係ができた、というような薄っぺらなものと同一視してはいけないものだと思いたいです。植物でもこれくらいかかるのならば、人間の育て方など、ちょっとやそっとでわかるはずはないわなと、今頃になって思っています。それなのに、なにか何でも人間の育て方をわかったような顔をして、スキルトレーニングやワーキンググループを提唱して満足している人の気持ちが私にはさっぱり理解できません。きっと、そのような方々は、人間の教育と、動物の調教とまちがっておられるのでしょう。教育と調教の違いにこだわってもらいたいものです。
 
 そんなこんなと、久しぶりに書いていると、長くなってしまいました。もう、帰ります。
実は、30日締め切りの原稿も何か書けないので、ここでちょっと脳に刺激を与えるために、ぐだぐだと書いてしまいました。原稿は、あと1週間頼んで待ってもらうことにしたのです。なぜか、書けないのです。でも、弱音を吐くのはいつでもできるので、ガンバガンバです。とにかく、大学の職務を遂行して、あまった時間でいろいろと書いて生きた証を残しておこうと思っています。秋には、学術書を出版して、冬にはある人と共著で、ちょっとびっくりさせるような題名の本を出版する予定。そのうえ、また月刊誌で、9月から何人かで連載記事を担当する予定だし。まあ、とにかく、コンピュータも新しくなったので、これを機に、よりいっそうがんばりたいと思います。今後とも応援よろしくお願いします。
 ではでは、よいゴールデンウイークを!!
 そして、連休明けの木曜日、そして火曜日時間割となるその翌日の金曜日も、平常通り、授業をします。では、筑波大学の学生の皆さん、そのときまで。







2008/4/6改訂版
 
一日遅れで更新しました。ついに、54歳になっていましました。ここまで来れば、還暦も他人事と思っていましたが、射程に入ってきました。そう思うと、ますます、焦ってきました。メタボなどと言っている暇はないと言いたいですね。とにかく、やりたいことをやれるときにやらなくては、といっそう思った誕生日でした。
 
 ニュースをみると、犯罪(悪事をすることも含めて)が起こると、加害者が何か奇妙なことを言い出している。つまり、「神がささやいた」、「悪魔が言った」などである。本当にそのような人も世の中にはいるでしょう。それを認めつつも、昨今はそれにしてもどうも多すぎますね。だから、何かあれば精神鑑定だということになってしまう。精神鑑定などということまでいかないまでも、何か他の人格者をフィクションの世界で作って、なにか自分の現実の責任を逃れようとする発想が、最近ちまたで多く見え隠れする。自分は、他人から命令されてやったまでで罪も責任もないという風潮が助長されてしまう。こんな卑怯な文化は、日本の文化にはなかったはずだ。外国の精神的・心理的な病的なものおよびその学説を、まったく文化も歴史も宗教違う日本に、そのまま通用すると思い丸呑みしてしまうからおかしなことになってしまうのではないか。「本当の自分」、「自分への気づき」なども同じ系に属するのではないか(たとえば、仏教の世界ないしは世界観では、本当の自分があると思うこと自体、錯覚以外のなにものでもないではないか)。
 このような系に属するものに心理主義があり、それが何の節度もなく教育現場に蔓延しだしたからこれまで反対してきたのです。もちろん効用もあるでしょうが、副作用として、現実と真摯に向き合わない卑怯な姿勢が、子どもの社会に広がってしまうことを懸念するのです。子どもには単純に、悪いことをしてしまったら、きちんとまず、許してもらえるかどうかわからなくても、謝るように教えるのが道徳教育だと思うのです。それをフィクションの世界で何か理由をほじくり出して現実の行為の言い訳をさせるように、道徳教育のなかで、子どもを導いてはいけないと思っています。大人にそのような人が増えているだけに、子どもに悪影響を及ぼさないようにしてあげたいものです。そんなわけで、これからも、教育関係者にその問題に気づかない人たちが多いので、心理主義偏重の道徳教育をまだ批判したいと思っています。もちろん、「節度や適応範囲を守れ」という批判だけではなく、対案もこれから提示していきたいと思います。
 そんなわけで、今年から大学の教職科目の「道徳教育」で使う教科書も、主題は、「道徳教育の指導法の課題と改善」とし、そしてあえて副題を記すことにして、「心理主義からの脱却」としました。今、印刷中です(出版は、NSK出版という小さな会社からです)。受講学生のみなさん、来週には書籍部に並ぶと思いますので、今しばらくお待ち下さい。

 今日、柔道大会のテレビを見ていたのですが、谷本歩実さんが負けましたね。しょうがないね。真剣勝負で相手に負けたのだから、北京オリンピックが開催されるかどうかわかりませんが、潔く上野さんに譲るのが筋ですね。ところが、この柔道の代表選手の選考だけれど、勝った者が無条件で選ばれず、過去の成績、あるいは将来(未来)の本大会で金メダルを取る可能性とかいう理由で、いろいろ役員・理事が介入するおかしなシステムのところだ。とても潔さの武道を指向するとは思えない競技だなと思っていたら、
これを書いているうちに時間が過ぎて、選考結果が発表されました。きっちり危惧した選考でしたね。もちろん、個人的には、谷本さんは授業で教えただけにオリンピックに行ってもらいたいのだけれど、公人的に言うと、おかしいなーと思ってしまう。谷亮子選手については、口に出すのもおぞましいのでやめます(そう言いながら、少し言ってしまいましたが。昨年、福見選手(筑波大卒)が優勝したときにこのホームページで言いましたので。彼女も、昨年勝ったのに、世界選手権にいけませんでした。今年は、それが原因で、がんばっても行けないということで志気があがらなくて、今回の決勝にも残れなくなったとしたら、一人の若者の夢をつぶした昨年の選考ということでしょう。今年も、また新しい別の選手の芽まで摘んでしまうのです。このままでは、たとえオリンピックで金メダルを取れたとしても、若い選手を踏み台にして腐らしてまで得た「汚れたママの金メダル」になってしまう。これからも日本では再び出現しないような、谷選手のすばらしい過去の栄光も泥が塗られてしまうように思ってしまうのは私だけなのか!)。マラソンのように、お互いがその試合で戦っていないのだから、選考の余地もあるでしょうが、柔道は、チームプレーでもない、一対一で組み合う個人競技だけに、勝つ方が強いのです。明白なことです。これでは、勝った方が選ばれないというのは、本当に酷いと思うし、人権侵害に近いと思います。何人も、過去の栄光、経験、職業、信条、性差、年齢などで差別されてはいけないと思います。一般スポーツよりも潔い伝統的な武道、その中心的である柔道が、普及のためにJUDOという国際スポーツなって、一般スポーツになり、ついに一般スポーツ以下になってしまったのか。このような競技が今度の新しい学習指導要領で、「中学校の体育で武道の必修化」ということで、盛んにやられることになっている。その理由は、日本の伝統と文化を子どもに伝えることであった。果たして、正々堂々と戦って勝った人が代表選手になれないおかしな競技になってしまった柔道が、子どもに伝えるべき日本の伝統と文化を継承しているか、はなはだ疑問である(一般スポーツにしない剣道には、そのような精神文化を継承していることを祈るばかりである)。このような現状の武道から、子どもは「卑怯」の道徳的価値を学ぶのだろうね!!!文科省には、柔道を除く武道を教えるように通達を出してもらいたい心境になった今日の出来事でした。




2008/4/2改訂版

 私事ですが、原稿は、もう一つの同和教育の原稿が予定の金曜日に間に合わず、3日遅れの月曜日午後10時になっていましました。これで二つの月刊誌に穴をあけないですみました。そして、テキストの校正も今日終わり一段落です。でも、これから4月末に向けて1本がんばらねば。授業も始まるので、早い目にかからないとゴールデンウィークに奈良に帰省できなくなってしまうし・・・・。それが終わると、アカデミックな拙著の出版の用意にかかり、それと同時に、びっくりするようなとんでもないタイトルと内容になる啓蒙書を共著で冬に出版すべく原稿を書かなければなりません(教育学者からバカにされるかもしれませんが、もともとバカとアホの二乗でできあがったような人間ですから、気にしない気にしない。共著者ってだれですかって? それは内緒です。楽しみにしていて下さい。私なんか、比べようもないぐらい名前の知れた方です、とだけ明かしておきます)。その間に、7月にドイツに調査に出かけたいと思います(そのときに、高知大の教え子をシュタイナー学校の教員養成所に置いて帰ることになるのかな)。いろいろと予定がありますが、いそがしいのも生きている証拠、「今がんばらねばいつがんばる。この世でがんばらなければあの世でがんばれないのだから」と思っています。

 
 
 今年の4月は、去る人が身近に出てしまって、変な気持ちです。これまで、同じ専門領域に所属していて、隣で10年間見守ってもらっていた福田弘先生が定年退職されてしまわれました。これで相談もできなければ、挨拶もできなくなってしまいました。寂しい限りです。そのうえ、いつも研究の相談だけでなく、コンピュータのトラブル等も面倒みてもらっていた、そして『教師をダメにするカウンセリング依存症』の共編集者でもあった藤田晃之先生が、文科省の生徒指導調査官・教科調査官、兼国立政策研究所総括研究官として、転出されました。いつも夜中に研究室を訪れては笑談していたのに、踏んだり蹴ったりだ。普通なら、文科省に行かれてさぞかし激務だろうと思ってしまうのですが、藤田先生の場合、この大学にいる方がもっと激務だったと思います。何しろ、物腰も低く、優秀なものですから仕事が集中していました。だから、「断ったら」と何度忠告したかわかりませんが、一生懸命、大学の雑務と研究と教育に奮闘されていました。このままでは、この先生は倒れるのではと秘かに心配していました。それで、文科省の転出の話を個人的に事前に聞いたときには、本当に残念で寂しいかったですが、先生の命のためには、そちらの激務の方がまだよいのではと思い、思わず口から「それはよかった。おめでとうございます。がんばってください」と出てしまいました。きっと、文科省で、日本のキャリア教育を政策面の第一人者としてリードされることでしょう。寂しいという言葉では言いあらわせない気持ちですが、霞ヶ関で活躍されることを霞ヶ浦近くからお祈りしたいと思います。
 でもでも、0時もとっくに過ぎたのでこれから自宅に帰りますが、隣の福田先生の部屋のドアは閉まりっぱなし。そして、いつもなら、これから藤田先生の研究室に向かって行って、ドアが開いていたら「先生、早く帰りや! もうかえりますよ」と声をかけると、「お疲れさまです。それが終わらないんですよ。・・・・・・・」といういつもの回答がかえってきて、しばらくはなして、「じゃ、かえりますわ。本当に早く帰ってくださいよ」と、お別れの挨拶をすると、決まって「お疲れさまです」という声がかえってきたのに。もうそんな会話もできないいんだなーと思うと辛いですね。でも、いつもなら、まだ大学で不健康に机に向かっておられた先生が、あすの7時26発のつくばエキスプレスに乗るべく家で休まれていることを思うと、比べものにならないくらい健全な生活をされているのですから、喜んであげなくては、と思いたいです。


 それから、
 筑波大学の学生さんへ
 大学の学群の授業は、公式的には11日から始まります。私の授業も、予定通りに開講します。11日は、教職科目の道徳教育です。内容は、授業のオリエンテェーションです。
 そうそう。またいつか、小学校教員認定試験の説明会を学生さんのために開催してあげないといけなかったなー。予定が決まりましたら、学内に掲示します。
 では、また教室で会いましょう!!



2008/3/24 改訂版
 私事ですが、原稿は、テキストと短い雑誌の原稿は終了しました。一山越えたという感じでしょうか。これから、もう一つの月刊誌、どちらのものも4月発売なのですが、その原稿に、金曜日までに仕上げる予定。3600字程度で、同和教育なので、何とかなるかなとも思っているのですが。油断は大敵。その次には、4月までに、ある学会のハンドブックに書かなければならない原稿が一つ。それで、春季の原稿は終わりです。

 学生から成績についても質問が最近はけっこうきます。僕らの学生時代は、先生のつけた成績に対して、わざわざ質問なんか、あまりしなかったものでした。もちろん、「なぜ、こんなに悪いのだ」、「あの先生、答案読んだのかな」、「おー、ラッキー」などと友だちの中ではブツブツ言っていましたが、直接、先生に疑義があるとして問いただすこともなかったような気がします。これも時代の変化かなのかなと思います。昔は、学生の泣き寝入りの時代だったのか? 成績には無頓着だったのか?最近は、自分の権利をきちんと主張したいのか、自分が傷つくことには敏感なのか?何でも自分本位なのか?・・・・・よくわかりません。ただ、違うのだけは確かです。

 そうそう、高知大の教え子からメールがあり、7月に退職だったら、生徒や学校に迷惑がかかるようで、それもそうですわな。その結果、この4月1日に退職するそうです。高知県も、教育の勉強に外国に行くのだし、また少しの可能性だけれどももどってくるかもしれないし、そうしたらシュタイナー教育の資格を持った教員が高知県の公立校で勤務するのだから、その経験も本人にとっても、また高知県の先生方にも活かせるのに、「出ていく人は土佐を裏切った」と考えてしまうのか、これだから、あいかわらずの人材輩出県(言い方を替えれば、すぐれた人はそこを出ていくところ)の高知県だなと思いました。東京じゃあるまるまいし、よい人材が地方に残れるように、もっと慣例・法律を柔軟に運用すればよいのに、とも。まあ、幕末の坂本龍馬も脱藩組だし、土佐はとにかく有望な人材を日本全国のために輩出し続ける風土だ。高知県出身者で、はらたいら、やなせたかしなどのまんがの世界や、吉田茂を筆頭に政治家たち、芸能人でもある西川きよし、三菱の創業者もそうだったな、とにかくたくさんの著名人を輩出しています。教育学の研究者でも、ほぼ同世代の人では下村哲夫先生(東京教育大学出身)、中内敏夫先生(東京大学出身)、片岡徳雄先生(広島大学出身)も。でも、残念ながら、だからといって、土佐のためにもっどって、恩返しのようなものが少ないのが残念なところです(やなせたかしのアンパーマンミュージーアムぐらいか、片岡先生も短大の学長としてもどってきたか)。そうは言っても、彼女もおそらく土佐の教員にはもどらないと思いますが、それにしても両者にとってもっとよいかたちがあっても良いような気もしますが。でも、彼女にとってはそんなことはどうでもよく、それならば4月から6月までにドイツ語の特訓をやって、7月に渡独するようです。何しろ、メールには、「ずっと、勤めてきた学校から離れるドキドキ感と、小学校時代からの夢にいよいよ一歩を踏み出すワクワク感でいっぱいです」と。
 この子も、最近の学生と同じで、自分のことしか考えていない自己中そのものではないのか、これまでつながっていた周りの人の誠意も心配も無視して、こんな人間が教育にかかわれる資格・感覚があるのかと思うのですが、なぜかこの子には腹が立たないのですね。自分でもよくわからないのだが、何かしてあげがいが湧いてくるんですね・・・・。この子も夢を求め続ける、十分に自己本位の人間だと思うのですが。4月になったら、安心して住めるように、そして滞在できるようにできればアルバイト先もさがしてやって、そしてシュタイナー学校の教員養成所に入学できるように連絡をしてあげて、・・・・。なぜ、私がそこまでしてあげなければならないのか?!! また、そう言うと、彼女はまたいつものセリフを言うだろう。いつもの「願えば必ず叶う」に続けて、「先生は一生私の先生ですよ。だから、セン(先)セイ(生)ですよ」と。

 ところで、昨日、近くの荒川沖という駅前で、先日近くで殺人事件を起こして指名手配中の容疑者が通行人を次々殺傷する事件が起こりました。実は、あとで知ったのですが、私はそのときに数百メートル横を車で走っていました。その話題をすると、その先日殺された被害者の妻と、私の妻が毎週、お茶の練習をしている仲間だそうで、11時の告別式に参列すべく、荒川沖駅のそばを通って車で1分ぐらいの近くのお寺に向かっていました。帰りも乗せるので、1時間ぐらい時間があるので買い物でもするかと子ども二人を同乗させて荒川沖駅に再び向かいました。ちょうど、11時数分過ぎ。パトカーがサイレンを鳴らして荒川沖駅に向かいました。小学生の娘に、そちらの方に大きなスーパーがあるので、「パトカーの跡をつければ早くいけるぞ」と冗談で言うと、「パトカーは赤信号を無視するのでいいけれど、お父さんはダメだから、交通事故を起こす」というので、その方向はやめて、そばのホームセンターにトイレットペーパー等を買いに行きました。そうして12時前にそのセンターを出ようとしたら、またパトカーや救急車がサイレンを鳴らして荒川沖駅に向かっているのを見かけました。我々は、その近くに行きましたが、目的は告別式のあるお寺に行くためにそちらに向かいました。そうして葬儀の終わりには、霊柩車が出発するときにクラクションを鳴らすだろうと思って待っていたら、今度は上空にヘリコプターが5機飛来して旋回する始末。それで、クラクションが聞こえず、困っていました。すると、妻が出てきて、出棺を撮影するために飛んでいるのでは言う始末。子どもと私は、「そんなことを撮影するのならば地上でやるはずだし、くるくる回っているのは数百メート南の位置だし、霞ヶ浦でヨットが転覆したとか、その類の事件に違いない」と、推測していました。そうこうして、自宅に戻ってニュースを見ると、すべてが点と点がつながったのです。そして、今日、新聞でも一面記事でした。とんでもない事件に、もう少しでかかわってしまうところでした。家では、私は、少林寺拳法で練習していた「短刀打ち落としの流水蹴りで、犯人を仕留めていたかもしれない」と冗談で言っていると、子どもたちにすぐさま「ムリムリ、あの動作では間違いなくやられていた」とバカにされていました。夜になると、少林寺拳法の全国大会に岡山に行っていた上の娘も帰ってきたので(組演武は予選落ち、団体は11位だったそうですが)、同じことをことを言ったら同じことを言われる始末。半分冗談な話題にしても、こんなかたちでオチがついてしまうのも、歳は取りたくないものだなと、不幸な事件に、自分勝手に自分のことを重ねてしまった私でした。そんな自分勝手な話は横に置くとして、ついでに、新聞やテレビで報道されなかったことを一点。「犯人は殺すのは誰でもよかった」というようなことを言っていますが、数日前に殺害した被害者の告別式の始まる時間と、荒川沖駅事件の時間と、まったく同じです。どう考えても、偶然でないでしょう。この点については、いまのところ、私の知る限りでは、報道されていません。時間の部分は計画的だと思います。でも、こんな事件が10キロぐらいの近辺で起こるといやですね。それと、この11時も偶然でないとすると、つまり意図的とするなら、ますます犯人の自己中にも本当に怒りたくなりますね。どうして、お前の心の自己中に、何のかかわりもない人を殺したり、傷つけたりするのか、そしてその家族たちにもどれだけ辛くするのか。そんなに自己中でいくなら、他の人のことをかまわず、どうぞ自分だけでこの世で暮らすなり、去るなりすればよいのにと思うばかりです。お前の心の闇に、どうして他の人が死やケガで対応しなければならないのか! それと同時に、警察も何をしているのかとも、ついつい言ってしまいたくもなります。
 そこで、話はかわっていつもの問題意識に移ります。いつも思うのですが、この犯人個人の問題ではなく、いや、もう少し個人の問題として考えるのではなく、社会のしくみの問題と考えてみるべきだと思います。また、犯人の精神鑑定、生育歴上のトラウマ、そして心の傷や闇などと言って、個人の問題にしていては、なんの生産性も今後ありません。ワイドショウーは、この犯人の深層はなにか、と話題にしておれば視聴者は喜ぶでしょうが。もっと、社会の構造や背景という点で問題を見つめるべきでしょう。個人の深層は、本来、合理的なものでない部分があるのですから、合理的な説明でわかるわけはないのですから。それなのに、精神分析的な合理的説明の可能なものだけで、すべて説明がついたと、勘違いしないことです。今の精神分析でわかることはわかることまでの仮説で、将来において進歩しても、その範囲でわかる仮説しかわからないのであって、視聴者や我々もわかれるものならわかりたいですが、わからない部分はやっぱりわからないのです。もっと一般的に言えば、学問の学説・理論は、現在考えられるところの最も真理に近い仮説に過ぎないのであって、決して真実ではないということです。ましてや、精神分析は、あくまでも精神の仮説に過ぎないのです。反証不可能なのだから、とても科学になり得ませんし、合理的な科学によって人間の心など、わかるはずがないのです。もちろん、その仮説の有効性は確かにありますし、病を部分的に治すこともできますが、学問的な視点から言えば、またその一方で、その学問を利用すると言うなら、その限界というか、臨床心理学も精神医学の適応範囲といおうか、その節度や節制をわきまえる必要があると思います。そのうえで、人間形成の問題について考えてもらいたいのは、とにかく痛ましい凶行の事件(未成年のものも含めて)は新興住宅街起きやすい、たとえば神戸のあの事件をはじめ、けっこう多いと言うことです。こんな凶行だけでなく、もっと小さな教育の問題でも、どうも新興住宅街、つまり人間のつながり、すなわち関係性が起因になっていることが多いように思いますが、どうでしょうか・・・・。このあたりに、もっとその視点を考えていかないと、ただただ逐次起こる事件に、ただ心の問題として意識するだけで、わかったような気持ちにさせてくれるだけで、真実はわかっていません。早く、大きな広い高い視点で、この問題を見たいものですが、きっと今日からしばらく、犯人の心の闇は?、トラウマがどうであった、ゲーム遊びに没頭していたとか、精神鑑定は?、とかさぞかしマスコミは騒ぐことになるだろう。困った現在の風潮だ!!。日本人の付和雷同の特性、何とかならいものか!!!!そんな個人の特殊現象にこだわっていても、世にはまったく同じ心の人が二人と存在しないのですから、今後またどこか違った人が出てきて犯罪を起こすのですから。そんなことへの探究よりも、その個人を生んだ日常のくらしや地域や時代状況を考えた方が、今後の犯罪を最小限にするためによほど役に立つはずなのに。
 そして、自己中。人のことも言えないが、自分の主張にも節度と節制を考えねば。この自己中を促進しているのが、アメリカ流の個人主義。さらにいえば、こんな見方もできると思うのです。すなわち、みんなが良いと信じている、「自己実現」や「自己肯定感」(セルフ・エスティーム)の考え方も疑った方がよいと、私には、ますます思わせた事件でした。特に、自暴自棄になるのは、「自尊感情」「自己肯定感」(セルフ・エスティーム)が低いからという仮説も、決して全面否定はしませんが、絶対唯一教の宗教基盤のないわが国において過剰に信じ込むのはいかがなものかと。「自尊感情」「自己肯定感」は、自己中の人間にはますます自己中に拍車をかけ、そこでは自己崇拝を行い、他人を風景にしか見ないような人間となり、ついには自己中の極限状態となって自らを「神だ」と見なすぐらいの自己中心的幻想を生じやすくするのではないか。物事(方法)には万能はなく、それにかかわる節度と節制が失われてはならなと思います。


2008/3/14 改訂版

昨日は、隣人の福田弘先生の最終講義が無事終わり、ほっとしております。また、今日、成績登録締切で1時間前に完了しました(本大学は、締切までに学生の成績を打ち込まないと、後日(0時を超えると)には、コンピュータで入力できなくなります。機械ですから、「ちょっと待って!」とは言えないのです)。それで、ほっとして、近況報告。

でも、あいかわらず、仕事に追われています。実は、来年の4月に間に合わさなければならない大学の道徳教育のテキストの原稿がまだできていません(学習指導要領も改訂されたので、テキストも改訂しようとしています)。新学期の第1週には間に合いそうにありません。何とか、第2週目に間に合うように、この土日はそれに集中。そのあと、ある月刊誌の原稿の締切が20日、もう一つの月刊誌の締切は28日、どちらもそれほど長くない原稿なのですが、まだまったく手をつけていない状況。来月、両方とも店頭に並べなければならない月刊誌なので、何とか穴をあけないようにしなくては・・・・。そのあとは、何とか今年に出版したい本2冊の作成に入らねばならないし、そのときには新学期でバタバタしているだろうし、なかなかこの春は忙しくなりそう。何とか、6月末に仕事を一段落つけて、また7月にドイツに行きたいのですが・・・。それまで、なんとか一頑張りするかと思っています。本当に「悩み」に意識を向けている暇がありません。忙しいけれど、悩む必要がないから、それも健康にいいかと思うことにして、とにかくがんばりたいと思います。

しばしば、「がんばらなくていいんだよ」という言葉を最近聞きますが、そうしたらよい方は今はそれでよいとしても、がんばれる人はがんがらないといけないでしょう。がんばれるのにがんばらないのは、怠慢以外の何ものでもないし、なんのために生まれてきたのか、となってしまいそうです。シュタイナー的な見方をすれば、人間の魂の修業のために生まれてきているわけですから、修業である以上、がんばるしかないのですから。大人は「はたらくこと」を第一にするしかないのですから。遊びにしても、食事も、娯楽も、入浴も、「はたらく」ためにしていることなのだから。もちろん、いろいろなかたちはあるでしょうが、はたらきが人生でしょう。「はたらきを第一とせよ」、とどこかの神様の教えにもあったなー。

ところが、最近の世の中では、フリーターとか、パラサイトシングル、ネットカフェー難民とか、そのような人が増える中で、正規の労働者までも出社拒否、引きこもりになったり、あげくのはてには、縛られるのがイヤだと切れてみたり、時には自己実現を果たせない、本当の自分が見つからないとかいう理由で仕事をやめるとか、何かおかしい大人の風潮。まさに、不登校や引きこもりなどの子どもの行動と同じ系に属しているように思えてなりません。そうなると、やはり「生きる意味」を見出せるように子どもにしてやるのが道徳教育の使命ではないかと、最近思ったりしています。ところが、あいかわらず、道徳教育の世界では、たとえば公徳心や友情や思いやりなどの個別の徳目を教えることで事足りると思う雰囲気、文科省の新しい学習指導要領(案)でも、あいかわらず、徳目を四つの視点(自分自身、他の人、自然や崇高なもの、集団や社会)から区分して個別の徳目(道徳的価値という言葉で表現しているが)を1時間の授業に気づかせるという発想から抜け出ていないようだし・・・。そのような個別な徳目の概念を一時間の授業の中で教えたところで、子どもに「なぜいじめはいけないのか」、「なぜ自殺はいけないのか」、「なぜ人を殺してはいけないのか」、「なぜ苦しくとも生きなければならないのか」、「なぜ自分と同じように他の人の人権を尊重しなければならないのか」というような重い問いに、個別な徳目ではお茶を濁すだけで何の役にも立たないでしょう。早く、微力ながらも、抜本的な道徳教育の改革を考えていける方向にもっていきたいな、と思っています。いいアイデアがあったら、教えてください。そして、いっしょに考えましょう! いっしょに研究しようと思っていただける人は、どうぞ、それこそ筑波大学大学院の道徳教育学研究室に入学してください!! お待ちしております。

付記(加筆部分)
今回の学習指導要領についていろいろとよい方向に改善されたものもあるでしょうが、多くの方が批判しないけれども、私が一番批判したいのは、中学校体育における武道の必修化です。これは緊急に削除すべきだと考えています。おそらく、伝統と文化の尊重ということで武道が導入されたのでしょうが、本当にまずいと考えます。

確かに、最近は、20年以上やったサッカーとは疎遠になりがちで、少林寺拳法という武道を週2回練習しております。実は、今日もこれから行きます。そうしたかたちで、おそまきながら武道をかじってしまっただけに、非常に気になります。つまり、サッカーを必修にしようが、選択にしようが、子どもの体育の時間にとって大きな影響はないでしょう。バスケットボールも、ハンドボールも、テニスも・・・。しかし、武道だけは、なまじっかへんなかたちで入れると非常に危険だと思います。新聞の投書欄を見ていても、しばしば武道の導入がよいという意見がほとんどです。確かに武道は、遊びから発展したスポーツにはない良さがあります。武士道という精神もありますし。だから良いと思うからこそ、50歳前から自分自身が武道系のスポーツをはじめたのですから。そして、我が家では3人の子ども全員が、関心興味性格の違いにかかわらず、少林寺拳法を必修にしているのですから。良い部分があるのはわかります。

しかし、どの武道でも技術以外に精神を強調します。それはやっぱり武道の力が悪く使われると、自他共にほんとうに危険だからだと思います。最近の少林寺の練習では、ちょっとここで力を入れたら、相手の腕等が壊れるなと、感じる場面があります。それに比べて、サッカーで、どれほどリフティングをやれても、どれほどボールをカーブさせられても自分にも他人に迷惑をかけません。しかし、武道はどうでしょう。恐ろしい暴力、そして凶器になります。そのうえ、練習と暴力との区別がつきにくいです。それは、きわめて危険な状態に子どもを陥れます。たとえば、最近、福岡で中学生が逮捕されましたが、校長や教頭が精神的にやられてしまうぐらいになっているところで、彼らが武道をやったらどうなるのでしょうか。あれに近い中学校は数え切れないほど日本にあります。他の子どもが、体育の時間にふざけた「いじめ」に合うことは明らかでしょう。そして、ケガも生じるでしょう。ろくに殴り合いの喧嘩の仕方も知らない子どもが、とても相手のことを思いやって手加減することも十分にできないでしょう。骨の一本や二本、あるいは脱臼や筋肉の断絶ぐらいでは済めばいいけれど、もう頸椎の破壊や死に至らしめたときにだれが責任を取るのでしょうか。また、指導不足と言って、教員が責められるのでしょうか。彼らは、授業の練習中ですから、かつ16歳以下の少年ですから、刑事罰からかなり守られる立場にあります。そんな状況を利用して、体育の時間に、身体的な「いじめ」の機会が提供されてしまうのです。場合によっては、おかしな指導者の場合も、練習と体罰の差が見えにくいだけに、体罰を温存してしまいます。

武道の技術は、きちんとした指導者のもと、きちんと学ぼうとする人がそこ行って学べばよいものです。つまり、学校体育としてよりも、選択自由な社会体育として行えばよいことです。きちんとした指導者が、子どものために午前中から来てくれるほど、暇ではないはずです。夕方、指導者が自分の仕事を終えて、子どもたちのためにきちんと教えてくれたらよいのだし、国や市区町村も報酬としてきちんと補助してあげれば、どれほどよいことか。

このまま学校体育に持ち込まれて、これが原因で生涯にわたって子どもが障害をもつことになったり、死亡したりしたら、責任は、体育の中に武道を必修化した文部科学省だということを、きちんと指摘しておく必要があると思います。学習指導要領は国の教育課程の基準なのですから、「必修」というのは選択と違って逃れるすべを奪ってしまうのですから、これだけではないですが、慎重にも慎重であってよいと思います。これから、全国で、ケガができるだけ小さく終わり、決して後遺症の残らないケガにとどまるよう、また死亡者がでないことをただただ祈らざるをえません。

最近の子どもは、学力を国際および国内基準で比べられて低いと言われ小さい頃から能力(別名、習熟度)別クラス編成とテスト・偏差値、道徳も礼儀もダメ、心は弱いと言われ、そして学校の体育で体をいたぶられる。そのうえ、夜は塾や家庭教師の指導。これでは、まともな人間形成は図れないのではないか。学校を卒業してから、「あの学校時代はよかったな」と思える子どもは、どのくらいいるのであろうか。そんなことを考えていると、道徳の時間の改革だけでなく、学校教育、いや教育そのもののシステムを根本的に考えなければならないのではないかと、今日また改めて思ってしまったのでした。



2008/3/10 改訂版(臨時)

本日、無事、腹一杯、すしを食べて、鋭気をやしって高知からもどりました。たくさんお土産をもって。まるで、買い物ツアーのようでした。文旦、ポンカン、小夏(「サマーオレンジ」とも言うものも、あまり全国には知られていない)、徳谷トマト(一個200円ぐらいする小さなトマト、フルーツトマトの最高級品)、ゆずのポン酢、スリミとうふ、ゴボースティック、かんざしアメ、四万十の青のり、鰹節・・・・。
 今日は年休なのに、来てしまったので、更新しました。とりあえず、元気に筑波にもどりましたという報告まで。



2008/3/2 改訂版

今年の公開講座(現職教育講座)は、以前にもお知らせしたように、8月9日(土)、10日(日)に開催します。1日目は私以外に福田弘先生が、2日目は私以外に徳田克己先生が講義されます。受講料が7000円あまりかかりますが、道徳教育に関心のある方はどなたでも歓迎です。文科省の唱える道徳教育を超えるような「最前線の道徳教育」を講義したいという意気込みでいます。福田先生には、世界の最前線の人権教育を踏まえた道徳教育について、徳田先生には道徳教育の中で「障害」や「福祉」を間違って取り扱っている例を示しながら、それらの正しい取扱い方について語ってもらう予定です。私は、エンカウンター・グループやスキルトレーニングや『心のノート』のような、心理主義に偏った道徳教育の問題を指摘するとともに、シュタイナーの道徳教育の一端を示し、新たなる道徳教育の地平を拓きたいと思っています。

 3月13日に教育学系主催のペスタロッチ祭が開催されます。そこで、同僚というか隣接の研究室と言おうか、同じ研究分野(先生が「下」という言葉を使用されないのです)の福田弘先生が最終講義「ペスタロッチ的視点から見た現代の教育問題」を13時40分からなさいます。よかったら、どうぞお越し下さい。

3月9日、10日、9年ぶりに、高知に行ってきます。高知大にも。9日は日曜市を見て、10日は高知大学におじゃまして、もどってこようと思います。高知でぜひご挨拶したいのは、高知大学勤務時代にお世話になった大学の理髪店のご夫妻、歯の治療でお世話になった小松歯科のご夫妻です。もしおられたらサッカー部監督の野地先生にも会いたいですが、今年になって全国大学サッカー選手権で、準々決勝の早稲田大学戦の折にあったので、まあ機会があったらでいいかと思っています。
10年前、筑波大に転勤して1年後に、お世話になった実践センターの非常勤事務員であった方が35歳の若さで急逝されたおりに、告別式に駆けつけて以来です。小学生だった二人の子どもさんは元気かな。ほんとうに可哀想だった。何しろ、前の日まで元気だったお母さんが、朝になったら亡くなられていたのだから、信じられなかったどうな。「私も筑波大で研究して、本を書いたら送るからね」と言って別れ時に、「楽しみにして待っています。早く書いてくださいね」と言ってもらったのに、それが叶えられなくてあのときはほんとうに残念でした。せめて子どもさんに出来ることはと思って、男の子がサッカー少年だったので、その年のクリスマスプレゼントに、サッカーの本をあげようと思い、筑波大助教授で、当時U−16の日本代表監督(現在、日本サッカー協会技術委員長で、しばしばテレビで登場される)の田嶋幸三さんが執筆された本に、そのご本人に「がんばれ」の一言を書いてもらってプレゼントしました。成長されていたら、あの子どもさんはもう大学生になられているのだろうな・・・・・。残されたご家族がお幸せに過ごされていることを祈るばかりです。

<ここまで、書いたところで、電話がジリジリジリ・・・・>

 高知のことを思い出してホームページの更新作業をしていると、高知大の教え子から電話がありました。この子は、トイレの前で出会ったので「うさん臭い出会い」と呼んでいる人です。たまたま国語教育の有名な先生の研究会の日を間違えてやってきて(いつも第四週の土曜日に開催していたのに、その日は第五週の土曜日だったのです)ウロウロしていた大学4年生で、話を聞くと、採用試験に落ちたので、来年は数ヶ月間、外国の教師養成の講習会に行きたいと思っていて調べているところですと話してくれました。それを聞いて私はシュタイナー学校の講習会だと直感して、「シュタイナーですか」と言うと、「どうして知っているのですか!」と答えました。それならば、「私の研究室にちょっと来ないか」と言って連れてきてあげて、研究室に並んであるシュタイナー関係の数百冊の本を見せてあげました。すると、腰をぬかさんばかりに驚きました。そして、当時は大学院がなくて1年の専攻科というものが大学卒業生向けにありましたが、翌年、私のところにそのかたちで入学してきました。その子は、附属小学校時代の伊藤先生に担任をしてもらったようで、高校時代に読んだ、子安美知子著『ミュンヘの小学生』でシュタイナー学校を知り、ずっと興味を持っていたそうです。その子の口癖は、私との出会いも含めて「願いは必ず叶う」という言葉でした。親にそう教えられてきたそうでした。私のところでシュタイナー教育を学んで、中学校教員になっていきました。彼女の手紙によると、私との出会いも例にしながら「願いは必ず叶う」と生徒に話していたそうです。
 その彼女が、先月、たまたま上記の小松歯科に治療に行くと、以前に高知大にいた先生がわざわざ関西から歯の治療に来られていたところで、バッタリ会ったそうです。そこで、私がドイツのシュタイナー学校に昨年行っていたことを知り、電話をしてきたのです。彼女によると、いまもシュタイナー学校が忘れられず、東京で開催されている春夏冬に集中的に行われる3年間の講習会に通い続けているという。そこでも満足できないので、できれば教員をやめてでもシュタイナー学校の教員養成に行きたいというのです。それで相談に乗ってほしいし、できればどこか紹介してほしいというのです。「そりじゃー、私が昨年行っていたニュルンベルクに紹介するか、今年も7月に訪問するかと思っている」、と言うと、「それでお願いします。7月に退職して、先生のドイツ滞在中に行き、関係者に紹介してください」と言うのです。「じゃ、そちらの所長とそれからニュルンベルク滞在の日本人にも、その中には、私が昨年の7月に行ったとき、25歳ぐらいの女性で、高知の小津高校を卒業したと言っていた人もいたよ。帰りしな、ここの冬は高知では考えられない寒さなので、ドイツのジャンパーを買いなさいね、と言ってあげた人が、無事冬を乗り切ったなら、そこにいるはずだから土佐の同郷で話が合うかもね、これも偶然だね」、と言ってあげました。その子は、「やっぱり、先生、願えば必ず叶うですよ。先生は一生私の先生ですよ。だから、セン(先)セイですよ。その続編を生徒に言わなくては・・・」、と喜んで電話を切りました。本当にこれが実現したらおそろしいな、誰か偉大なものが筋書きを作成しているのではと思ってしまいます。この子は高知でも「願えば必ず叶う、ですから、先生は私の願いに引きつけられて高知に来たのですよ」とよく言っていましたが、もし本当に今度もそうなれば、私の一昨年からのドイツ滞在は、自分の研究のためにと思っていたが、実は別世界で決まっていて、この子のために地ならしをしてあげてきたようなものだな、思ってしまうのです。きっと、この子はまた言うだろう。「先生は、私のために事前にドイツのニュルンベルクに行って、用意してくれていたんですよ」と。つくづく、自分の人生の運命的なつながりに、驚くばかりです。もし行けば、私の大学時代の教え子だと紹介すると、そこの先生たちにさぞかしかわいがってもらって、面倒を見てもらえることは間違いないだろう。「オイリュトミーは、お前の先生よりもうまいよ」と、そこのオイリュトミーのリタ先生は言うだろうな。そう考えると、本当に運の良いと一言では言えない宿命だな・・・、こいつは・・・・。何かうらやましい限りだ。でも、これも、人のために自分が生きていることになるのだから、喜ばなくてはいけないな、きっと自分も気がつかないだけで彼女のように出会った先生たちがいたのだろうな、と思った日曜日でした。







2008/2/21 改訂版


コンピュータが壊れたかとご心配をかけてはいけませんので、とりあえず、更新しました。

サッカーは日本が勝ちましたが、それほど差がないことはおわかりになったのではないかなと思っています。マスコミは、中国のラフプレーと審判の悪さをせめています。確かに、それは事実だと思います。象徴的な反則は、ゴールキーパーの跳び蹴りでしょう。3級公認審判員の目からも、イエローではなく、レッドの退場でしょう。なぜなら、決定的な得点機に反則で阻止すれば、故意かどうかにかかわらず一発退場というのがサッカーのルールです。それがまかりとおるのですから、中国をはじめとして、アジアの観衆や審判のレベルの低さが出ているとも言えそうですね。でも、そんなことに気をとられていてはいけないと思います。あの中国人の身長や体格、そして若さは、将来のすごい脅威になるでしょうし、それが花開いたとき、体操競技が抜かれたように、もう追いつくこともないでしょう。そのような危機を、日本の人たちは気づくべきでしょう。

しかし、それはそれとして、もう少し想像力を広げると、勝ち負けにガチガチして、ハンドボールの中東の笛といい、何かアジア人はスポーツ競技の根底にある公正さというか、スポーツマン精神というか、何か姿勢が欠如しているように思えてしかたがない。何かさもしい感じがしてしかたありません。たとえ敵同士でも、同じスポーツを愛する点で、仲間たちという意識がないのだろうか。一昨年、ドイツでスポーツを観戦していて、くやしいけど、欧米の人たちには勝てないなと思いました(もちろん、欧米でも、フーリガンのような人たちも一定数いますが)。何ごとも、大きな視野で、拡大鏡的に見ると、見えてくるものがあるなと、一人で思っています。

どちらがすぐれているかどうかではなく、違いを見るのもおもしろいなと、一昨年の滞在のときと比べてみると、いろいろなことが気になります。最近気になるのは、どうして日本の消費者は威張っていて、店員さんがどうしていちいち親切に対応するのかなということ。それから、どうしてあれだけ多くの人がマスクをして生活するのかな。ドイツでは、マスクなんか薬店・スーパー等に売っていませんし、日常的にだれもしていません。

どちらが正しい、良いとかいう問題ではなく、なぜ違うのかなと文化の差異がおもしろく思う今日この頃です。


2008/2/17 改訂版

 ご心配をおかけして申し訳ありませんが、お陰様でコンピュータはまだ生きています。ご心配していただいているようで、メールでバックアップをとっておいたらというアドバイスももらっています。皆さまには申し上げていませんでしたが、一応、それだけはしてありますので、ご放心ください。

 忘れないうちに、公開講座についてご報告・連絡しておきます。
 大学の本部で、来年度の道徳教育の公開講座が承認されたようで、8月の第二土日の2日間にわたって、開催いたします。現職教員の方を中心に、道徳教育に関心のある方は受講できます(有料ですが)。よろしかったら、どなたかにお知らせ下さい。


 今日は午前中は東京マラソンで、夜はサッカーと、スポーツの日ですね。実は、サッカーの東アジア選手権、日本が負けて最下位になればいいのになあと思っています。「なに!」とお怒りが来そうですが、偉そうにわかった風なことを言わせていただくと、今の日本サッカー協会の体質を含めて、その象徴である日本代表は負けて、大いに猛省すべきだと思っているのです。監督・コーチ、選手、どれも日本で一番すぐれた人たちが全員選ばれていないと思うのです。なにかおかしなファクターが動いているように思えてならないのです。特に、監督・コーチは目立ちますね。他国からオファーなどない、相手にもされ得ない人たちがたくさんいますね。国内ツアーの添乗者が海外ツアーの添乗者をしているようでは。それに比べて、たとえていえば、選手の方が世界一人旅の経験をもって、世界を知っているのです。でも、その選手は、選ばれたいがために、保身でわかっていても我慢しているのですから。それではチームは強くなりません。そんなことをしている間に、中国はすぐれた身体能力をもつ選手を集め、すぐれた外国人監督で招聘してどんどん強くなっています。たぶん、23歳以下の年齢チーム(オリンピック出場資格の年齢)は勝てないと思います。まもなく、フル代表もそうなるでしょう。この東アジア選手権の若手で編成された体格の立派な中国チームを見れば、近い将来、勝てなくなることをきっと実感されるでしょう。今回のワールドカップの出場が最後で(出場は出来ても、予選最下位で、とても3位なんて、大ホラもいいとこだ。「嘘を言うなかれ」[ウソをついてはいけません]。小学校の1、2年生の徳目<道徳的価値>です)、これからは隣国の韓国、若手の中国、新たに加わったオーストラリア、さらにはどこかのアラブのチーム(サウジアラビア、戦時体制が終われば、間違いなく強くなるイランとイラクなど)も強いでしょうから、どうみても予選すら勝ち抜けないと思っています。本当に危機なのです。今回で、これまで築いたサッカー界の財産を全部使いきってしまい、枯渇するのでしょう。困ったことだ、嘆かわしいことだと思います。これでは、低下は、サッカー(体力)だけでなく、学力も、モラルも、食料自給力にも及んでいるのですから、まさに日本の危機はサッカーに顕著に出ているのでは、と。
 このサッカーの現象は、日本がメキシコオリンピックで3位になった、あのときと同じだと思ってしまうのです。その結果、「何十年ものあいだ、アジア予選で負け続け、オリンピックに出場できなかったことを振り返り、早く反省したほうがよいと思います。ここは、取り返しのつかないようにならないために。
それについて、「過ちては則(すなわ)ち改むるに憚(はばか)る事なかれ」という名言があるのですから。それこそ、「過ちて改めざる、これを過ちという」のですから。
 もう、20年以上経過したので、「何十年ものあいだ、アジア予選で負け続け、オリンピックに出場できなかったこと」に関して、時効かなと思って裏話をいたしましょう。これはほとんどの日本の方はしらないことです。うわさ話と思って、聞き流していただいてもけっこうです。
 今から23年前、大学院生であった私は、はじめて海外旅行に一人で50日間、出かけました。主目的は、ドイツのシュタイナー学校をこの目で見て、シュツットガルトの研修会に出席することでした。残った期間は、ドイツを中心に、スペイン、フランス、デンマーク、ノルウエーなど、『地球の歩き方』を持って、旅行しておりました。そのとき、ドイツのデュッセルドルフでサッカー関係者から、「クラマーさん(東京オリンピックのときの特別コーチで、次のメキシコオリンピックで3位になる基盤をつくった、日本サッカーの生みの親と呼ばれる人で、昨年も、NHKの番組で取りあげていた)は、最近の日本サッカーの弱体化を心配され、無報酬で監督をやってあげようかと申し出られたが、日本のサッカーの有力者(実名で聞きましたが、ここでは語れません)が日本人監督でやれると言って断った」と聞きました。当時は、クラマーさんは、サウジアラビアの監督をされて辞めた後で、十分なお金をもらったので、もうお金はいらないとまで申し出られたそうです。ちょうどフリーだったし。でも、日本が断ったので、今(当時)、ドイツブンデスリーグのチームのレバクーゼンの監督をやっている、という説明を聞きました。それを聞いたとき、そう言われてみれば、日本の監督はメキシコオリンピックのメンバーで、しかも最もあのとき活躍した釜本選手と杉山選手を除外して回していたなと思ったのをしっかり覚えています。その後、ずっとアジア予選で負けている日本を、自業自得だと思っていました(そんなクラマーさんの誠意と思いやりを踏みにじっておきながら、日本でワールドカップが開催されたとき、よくもまあ、どんな面をしてクラマーさんを招待しているのだろうと、一人で思っていました)。同じことにならなければよいと思いつつ、今回の大会が、「日本サッカー界の危機」を実感できる、いいお灸になればと期待しているのです。

それでは、裏話を含めた更新を終わります。この文章には、道徳教育で言えば、いくつもの徳目ないしは道徳的価値が含まれています。「道徳の時間」の資料にならないかなと思いますが、それは無理かな・・・・、残念。もう少し、文章を工夫すればよいのかなと思いつつ・・・。
それでは、また。


2008/2/13 改訂版

ご心配をおかけしないために、更新します。
何とか、パソコンは生きております。ある同僚は、もう使うのをやめて楽にさせてあげたらと言うのですが、頑固に使い続けています。

今週の授業は、15日金曜日6時限目「道徳教育論」を会議のため休講します。他の授業は平常通りです。なお、大学院の14日木曜日5限目は休講です。

ちょっとした新聞記事から。
昨日の新聞によると、茨城県の小学校で、給食費を支払わない親の子どもを学級みんなのまえで語ったとして、配慮が不十分として叩かれていた。他の親や、ご本人が学校に苦情を入れたという。
もちろん、教師の配慮のなさは責められてしかたがないとしても、他の親も学校に言うのではなく、先生にそっと言って注意してあげればよいのではないだろうか。こんなことで新聞に出てしまえば、その教員の権威は失墜し、小学生に悪影響を及ぼすことに気がまわらないのであろうか。教員にそっと注意してあげても、聞く耳をもたないのであれば、校長等に苦情を言うのもわかりますが。何か人の揚げ足を取っているようでいやな気持ちになりました。だって、原因をつくったのは、その親で、その親がきちんと給食費を払っていたらこの問題は起こっていないのですから、何かしっくりいかない記事だなと思ってしまいました。

今日は時間がありません。申し訳ありませんが、今日はこれで失礼します。また、時間を見て、パソコンが破壊しなければ、臨時更新をしますので、お許し下さい。

では、また。


2008/1/30 改訂版(一部修正)
緊急事態のままですが、まだ機能しています。でも、いつ崩壊と言いましょうか、破壊するかもしれません。その点をご了承ください。次回の更新については、どうなるかわかりません。
 ご心配をおかけしているコンピュータなのですが、あれから電源を落とさないようにしています。そうすると、なんとか、いつものように機能しています。
 私の同僚の先生は、早くノートパソコンに替えるように言ってくれます。一度、そうしようかと思ったのですが、いま、ここでこのコンピュータをはずせば、もうこれは破棄になります。そう考えると、6年近く愛用したコンピュータと永久の別れとなると思うと、なにか辛い気持ちになりました。変に情が入ってしまったというか。未練たらしい性格がそうさせないのです。皮肉を言わせていただければ、次から次へとたずねてくる相談者に対して、もう時間が来たからまた次回の相談時間に来てください、とクールに切って別人の相談に乗れる占い師や易者(カウンセラーも同じ系に属しているような気がしますが)には感心します。どうしたら、そのときだけ相手の身になって考えてあげて、もうその人が去れば別の人の相談に乗れる感覚、そして次々と対処できるその冷静な態度は私にはとてもできません。おそらく職業上、その場では心配しているようなふりをしているだけで、心の奥底では冷徹に見下している不誠実な人としか、私には思えません。私は一度、気にしだしたら、夜でも、別の日でも、公私の時間に関係なくあの人は元気にやっているかなと考え続けてしまうため、とても多くの相談には乗ってあげられない、一度相談に乗って知った以上はそれこそ相手が去らない限り一生涯自分からは見捨てないでしてあげなければ気が済まないで行為する主義ですので(実際に腐れ縁というのか、数名います)<私の理解では、シュタイナーの目ざしていた道徳教育は、った(認識した)限りはそうせざるを得ない感情にかられて意志する人間に育てること、すなわち、他者の痛みや苦しみや喜びを豊かな想像力によって知り感じ行うような人間に育てることではなかっただろうか>。外面だけのよい卑怯な人にはならないでおこうと思います(これまでの人生で、何人かいました。私は生涯絶対に許すことのできない人たちだ)。それだから、最後まで責任を持てないのならば、これからも気安く親身に相談には応じないし、必要以上の親密な関係にならないでおこうと思います。範囲を限定して、節度をわきまえて、その種の相談や人間関係に自然なかたちで応じたいと思います。
 そんな調子ですから、このコンピュータにも思いというか情が入ってしまって、私からはなかなか安楽死させてあげられません。行くところまで、行きたいと思っています。それで、作業中に突然ダウンしてその日の仕事が消えても、これまでよくがんばってくれたのですから(私がドイツに滞在していたときもがんばり続けてくれたのだから)、許してあげてがまんしようと頑固に思い詰めています。何しろ、本当にお世話になった機械ですから。この機械が博士論文をはじめ、いくつもの論文や本の原稿にかかわってくれたのですから、感謝感謝です。お金や理屈や科学的認識の世界ではありません。そんなわけで、たとえ合理的でなくても、人からバカだと笑われても、このこだわりが自分の生き方にマッチしているので、そうしたいと思います。更新にも支障がでるかもしれませんが、4月に向かって共に歩みこの機械に合掌して「お別れ」したいと思います。

 一つ報告です。先日、読売新聞の水戸支局から、茨城県の公立学校の教師が「心の病」で休職が急増していることについてコメントがほしいという電話依頼がきました。それで、いつも考えていることを答えました。いろいろと語りましたが、新聞には、1月27日(日)の茨城版に、県教育委員会の「保護者や子供の考え方が変わり、ベテラン教員は従来の指導が通じなくなって、ストレスが増えている可能性がある」という発言に続けて、次のような記事となって載りました。

 また、筑波大の吉田武男准教授(学校教育学)は、「教員の孤立化が進んでいる」と指摘し、「ここ数年で学校にも成果主義の風潮が広がった。理不尽な保護者への対応や学力低下問題などは、昔なら校長、教頭、同僚などに気軽に相談できた。しかし、今は評価を気にして自分で抱え込む傾向にある」と分析している。

 新聞社が適当に編集したので、自分の言いたいことももれていますが、私の発言の大筋はこれで間違いないと思います。私のコメント、おかしいですかね・・・・・。反響を待っています。

それで、これからの予定ですが、授業も平常通り行います。特に、休講の予定はありません。
また、オフィースアワーについては、大学院博士課程の入試にともない、来週の月曜日は中止させていただきます。

それでは、また。




2008/1/20 改訂版

 緊急事態が発生しました。
 今後の更新はしばらくできないかもしれません。
 実は、私のコンピュータが間もなく崩壊するからです。
 詳しく申し上げますと、今年になってからコンピュータの立ち上げがなかなかできなくなりました。すなわち、スイッチをONにしても、コンピュータが立ち上がらず、反応しないのです。しかし、何度もスイッチを入れたり切ったりしているうちに、ガタガタ音がして、ある時ふとしたことで立ち上がります。それまで、15分ぐらい、機会のスイッチ等を触ります。この症状をコンピュータに強い同僚教員にきくと、本体部が壊れかかっているのでかなり危機的状態で、いつ動かなくなるかだけの時間の問題だと言われています。たとえ、ある時動いても一時的な物だと言われています。納入業者の営業マンにたずねても、ほぼ同じ回答。ある同僚が言うには、人間に喩えれば寿命だというのです。もう、6年ぐらいDell製のコンピュータを使っているのですが、私のような使い方ではもう限界だというのです。5年もったのですから、十分だというのです。それで、アドバイスを受けて、オリジナルに作った論文等の研究資料すべては、非常事態に備えCDに保存しました。メールアドレスは、営業マンの方に行って、メールアドレスだけ、フラッシュメモリーに入れてもらいました。そんなわけで、最低限のことはすべて済ませました。
 そして、ついに本日、1時間ぐらいいじってもどうにも動きませんでした。もうダメかと思ったのですが、叩いたりしているうちに、突然、いま立ち上がりました。したがって、今日、電源を落とすといつ動き出すか、あるいはもう動き出さないかもしれないのです。そんなわけで、とりあえず、今、更新したのです。そんなわけですので、今後、いつまでたっても更新されないときは、それが原因だと思ってください。このコンピュータではこれが最期の更新になるかもしれません。最悪の場合、今年度はもうコンピュータを校費では買えないので、4月以降になるかもしれません。よろしくご理解ください。なお、メールは、ヤフーメールでどこからでも読めますので、そちらは大丈夫です。
 
 ずいぶん、ここ10年近く、世の中の「心理主義」の風潮を批判してきました。本当に何でも個人の心の問題にすりかえる、本当に職域拡大のためなら日本人を患者(クライエント)にしていく節制と節度のない風潮は本当によくないですね。道徳教育にとっても、また人権教育・同和教育にとっても。なぜなら、世の中の社会や生活の問題や矛盾そして改革に関心が向かないで、ただ自閉的・内向きな幻想の個人の心にしか向かないからです。今後も批判をあまのじゃくのように世の中のアウトサイダーの視点から続けていきたいと思っています。詳しくは、拙著の共著『カウンセラーは学校を救えるか』(昭和堂)編著『教師をダメにするカウンセリング依存症』(明治図書)を読んでください。しかし、現状では、私の批判は、PISAのテストなどの評価主義に向きつつあります。何でも目標を決めて達成する努力の度合いで人物を評価しようとするものもそれに属します。何かそこには、評価の名前を借りた、競争主義、さらには弱肉強食の思想が見え隠れします。もちろん、その批判は教育学や教育界という自分の足場を批判することになります。でも、自己批判をしないと新しく自己改革できないでしょう。自分たちの研究成果を褒め称えていては、どこかの研究と、かわらなくなります。たとえば、ある技法を使えば効果があったとかいう、あの種の研究です。道徳教育では、読み物資料を読んで徳目を観念的に教えれば満足している道徳教育関係者たちもその範疇に入ります。実験のようなことをして、いつもいつも成果があった、成功したと主張するものです。はっきり言わせていただければ、本当の研究なら、実験したら失敗したというのが普通でしょうに。何回しても失敗するのが本当の研究でしょう。失敗の積み重ねで、自分のやっていることを批判・反省して、あるときごくたまに成功したというのが科学的な研究の真の姿ではないでしょうか。そのぐらい自分のやっていることを批判的に認めつつも、さらなる進展を目ざすことが研究の王道でしょうに(少し論理の飛躍が見られますが、ごめんなさい)。その点については、ぜひ、いつか論文や本にまとめたいと思っています。お楽しみに。

 それでは、今日は、センター入試の仕事で疲れました。明後日は、修論の審査会、それが終われば大学院の入試と、忙しい日々が続きそうです。でも、とにかく元気でやっておりますので、ご安心ください。ではでは、早いうちに、更新できることを祈って、ここで筆を置きます。


2008/1/12改訂版

 先日、東京からの高速バスの中で、また数年ぶりにやってしまいました。つまり、大声で携帯電話を使う外国人に注意してしまいました。でも、「注意」とはとても言えない口調でしたが(ここでは、表現できない言葉も入っていますので、詳しくは言えません。とにかくムカとくると、若かりしころはすぐに手足がでたのですが、最近は歳をとったせいか、言葉で表現する仕事についたせいか、とにかく口だけになりました。でも、そのときに発する言葉は、関西弁になりますので、関東の方には「あの組織」に関係のある人かなと思われてしまうようなものになってしまいます。だから、注意と言うよりも、「怒鳴った」という表現が適切でしょうね)・・・。とにかく、前の外国人が大きな声で携帯電話をし続けるので、後ろから背もたれをちょっとトントンと蹴っていたのですが、まったく動じない様子でした。あまりにも大きな声で話し続けるものですから、ついに運転手も注意をしたのですが、ぜんぜん止める様子がありませんでした。他の人も迷惑をしていたと思うのですが、みなさんは紳士淑女と申しましょうか、黙っておられました。そのようなときに、徳と勇気と知性のある人間ならば、前の外国人にやさしく英語で注意をされるのでしょうが、日常の徳を学生に説きながら不徳ぎみな小生は、変な義憤と「世の辞書に泣き寝入りという言葉はない」という信条に基づき、やってしまったのです。一瞬どころか、しばらくのあいだバスの中は静まりかえってしまいました。たまたまドイツ語の文章を読みながら座っていたもので、出てくるのは生まれ故郷の関西弁、頭に浮かぶのは「Nicht sprich!」(しゃべるな)などのドイツ語で、今、その外国人の顔を思い出して考えると、運転手の日本語はこの外国人には理解できなかったので、簡単な英語を使えばわかったのかもしれませんが、もう後の祭りです。ひょっとして、私の話した言葉も理解できなかったのかもしれません。何しろ、私が言ったあとも、しびしぶ電話を切っただけでしたし、私が怒っていることだけがわかっただけかもしれません。数日が経過してよく考えたら、乗り合わせたお客さんたちは、その外国人の大声と、それを怒鳴りつける私の声を聞かれて、二重の被害を受けられたかもしれませんね。申し訳ないことをしたかなと、今になって反省しております。
 そして、そんなお粗末な事例を告白しながら、道徳教育に関して語ると、「徳と勇気と知性」のある道徳的行為、すなわち「徳」という心情の部分、「勇気」という意志の部分、「知性」という知識の部分が統合された道徳的行為を日常場面で瞬時に発揮するというのは、なかなか難しいと思います。おそらく、間もなく公布される学習指導要領でも、従来通り、道徳教育の目標として語られるのでしょうが、そんなことが「道徳の時間」における副読本の徳目概念の解釈と心理的な内面化を中心とする道徳教育では、とても無理ではないかと思います。つまり、文科省の掲げる道徳教育が間違っているというのではなく、また学校における道徳教育を万能視するのではなく(「道徳の時間」を教科にしようとする考えも言わずもがなです)、きちんとその現実的な効用とその限界と副作用もわきまえなければならないということです(近年、小生が批判する人たちは、同じ過ちをしているがゆえに「職域拡大を目ざすのか」として批判してしまうのです)。私は大学では、学校教育、特に道徳教育を専門としていますが、道徳教育の究極の理想を短く個人的な考えとして誤解をおそれず語らせてもらうと、「道徳教育という言葉自体が学校で語られることなく、道徳教育の機能が確固として存在すること」だと考えています(だから、私の近年批判し続けているものも、この文章の「道徳教育」という言葉にそれを置き換えて、「○△という言葉自体が学校で語られることなく、○△の機能が確固として存在すること」としてもらうと私の意図が浮き出てくると思います)。また、この点については、折を見て拙論等で表明したいと思います。

 それから、長くなって、少し話が硬くなったので、最後に近況を話して更新を終わります。実は、最近、昨年ドイツにいたせいで、ドイツ人からのクリスマスや新年のカードが届きます。その多くは、もちろんドイツ語なのですが、たまに読めないかと思ってか、英語もあります。その中に、次のようなものがあって、しばらく意味がわからないでいました。差出人の住所もなく、名前は小さく判読不可能。でも、切手は、1ユーロのドイツのものでした。このような文言から始まっています。

 「Gassho     
  Dear Yoshida san, I wish you,・・・・・・(以下、英語)・・・・・」

 この最初の「Gassho」という単語と、「Dear Yoshida」はわかるとして、「san」という単語がわからない。このドイツ人は、英語で書いたいるのに、このおかしな単語は何だろうと思っていました。英語にあったかな、いや、この部分が英語でわからなかったのでドイツ語にしたのかな。でも、そんなドイツ語はないし。うーん、この部分はわかんないけで、他がわかるからいいやと思っていました。後日、そのはがきを見て、やっとそうかとわかりました。これ、わかりますか?????
 そうなのです。ローマ字として読めばよいだけなのです。「がっしょう」、すなわち「合掌」なのです。そして次は「さん」なのです。それで解読でき、差出人も推定できました。実は、昨年にニュルンベルクに滞在したとき、そこで知り合いになった少林寺拳法5段のドイツ人からのものでした。思わず、「脳のトレーニング」をしたような気分にさせてくれた、うれしいはがきでした。最後の文章「I hope to see you and your family in the near future.」を読んで、思わずドイツ語で、「Ich auch!」(私も!)と独り言を言った私でした。




2008/1/3日改訂版

 あけましておめでとうございます。
 無事、つくばに戻ってまいりました。往きは、東海道が混んでいたので、中央道で抜けました。雪が降っていましたが(車は、冬用タイヤをはいていたので問題はありませんでした)、車が少なく渋滞なく帰れました。復路は、元旦は東海道でも空いているだろうと思って東海道を選びましたが、事故のため、45分ぐらい渋滞に巻き込まれました。でも、奈良を11時30分に出発して、つくばに20時30分に到着しましたから、うまく行ったかなと思います。
 今年は、子どもの受験のため、このような窮屈な帰省になりました。でも、とにかく正月に奈良で初詣をする習慣は変えずに済みました。でも今年は、元旦には帰路につかなければならないので、元旦の真夜中に初詣することになりました。最近、年々、初詣客が増えているようですが。
 今年は、除夜の鐘をつきに、生駒山にある八代龍王神感寺という真言宗のお寺に行き、その帰りに唐招提寺と薬師寺に立ち寄って、夜中の2時30分に実家にもどりました。二つのお寺に立ち寄ったのは、奈良の多くの神社仏閣は、いつもは拝観料が必要であっても、元旦の真夜中は無料で入れるからです。あの有名な東大寺もそうなのです(ちなみに、午前8時までです)。最近、そのことが知られるようになったためでしょうか、東大寺は0時ごろはまるでラッシュアワー状態になっています。特に、東大寺は、大仏様の顔の前の扉が開き、ライトに照らされて厳かな感じがします(実は、その扉は、8月15日の夜にも開くのですが、年にたった2日の数時間だけなのですので、数少ないチャンスなのです。もちろん、そのときも拝観料は無料です)。東大寺はこれまで何度も行っているので、今年は日本歴史の勉強をかねて、中高生の子ども二人を連れて二つのお寺をまわりました。でも、今年は春日大社、奈良豆比古神社、般若寺、二月堂に行けなかったのが、残念でした。数年前は、金閣寺、銀閣寺、吉田神社、宇治の平等院、蟹満寺、浄瑠璃寺、笠置寺など、京都にまで足をのばしたことがありましたが、今年は、時間的にとても無理でした。2年後は、寅年なので、信貴山にお参りするとして・・・・。
 つくばにもどって、今日は、近くの「一の矢神社」に初詣しました。これで、祈りの正月モードも終わって、さあ、現実社会で「がんばるか」と思った今日でした。昨年の最後にも申し上げましたが、何事も「節」というか、さらに言えば「節度」「礼節」をわきまえて、また別な表現をすればバランスを大事にして生きたいなと思っております。
 たとえば、教育と研究と大学業務と(社会貢献も)。また、研究も、学術的なものと、俗的な啓蒙的著作というように。とにかく、やれるだけ今年にやってみよう。なぜなら、来年は、運勢が○×△かもしれないので・・・・。

 そんなこんなでつくばにおりますので、1月10日の大学院の授業、11日の学群の授業は、予定通り開講します。

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