化間比較した研究はあっても、実験的にニオイの経験を操作し、後のニオイの知覚を検討した研究はほとんどみられなかった。とにかく実験をしたかった自分にとって、ニオイの経験を操作して、後にニオイをどのように感じるのかを調べることは、「絶対に面白い」ことに思えた(簡単に言うが、このニオイの経験の操作がどれだけ難しいことなのかは後に知ることになる)。実際に、初めてニオイを扱った卒業研究の実験は楽しかった。どうやってニオイを経験させるのか、ニオイの感じ方を測る指標として何を使うか、恩師にアドバイスをいただきながら、とくかくやってみようと実験計画をたて、卒業論文にしては大がかりなことをした(と自分では思っている)。しかし、結果としては全く思い通りにはならかった。何が思い通りではなかったというと、そもそもニオイの経験がうまくできていなかったのだ(致命的である)。実験では、当時販売されていた香りつきシャープペンシルの芯(香りが入ったマイクロカプセルが芯に練りこまれており、書くことでカプセルが弾けて香りがする)を使用して、1週間、偽の学習課題に取り組んでもらった。学習課題は1回5分程度、香りを嗅ぐ時間も統制できるし、ただニオイを嗅ぎ続けるより、続きやすいだろうと思って用意した課題であった。ところが1週間の実験終了後に実験の種明かしをしたところ、ほとんどの参加者がシャーペンの芯が香り付きであった 研究アラカルト 37ことに気が付いていないことがわかった。気が付いた参加者もいたが、どんな香りだったかを尋ねても明確に説明することができなかった。一方で、シャーペンで文字を書き始めた瞬間に香りを感じた人やどのような香りかを明確に説明できる人もいた。ニオイを感じるというニオイの経験の時点で、個人差が大きいということを、何より要因を統制することの難しさを、身をもって体験した卒業研究だった。 現在に至るまで、思い通りに要因を操作できたと思えた実験は少ない。参加者の過去のニオイの経験まで統制することができないため、どうしてもこちらが思った通りにニオイを感じ取ってくれないことが多い(快いニオイを不快だと評価されてしまう、など)。うまくいかずに、気落ちすることも多いが、次の実験ではこのニオイを使ってはどうだろうか、この道具を使ってニオイを嗅がせてはどうか、などと考えながら、ドラッグストアで日用品の香りテスターを嗅ぎまわる日々はやはり「面白い」。よく知りもせずに嗅覚心理学を「絶対に面白い」と感じた自分の鼻を信じて、これからもテスターを嗅ぎまわるだろう。 すごく余談だが、私はとてもカエル好きで、大学院進学かカエルの捕獲業者になるか迷っていた時期がある。捕獲業者にはならなかったが、つくばに来てみればいたるところにカエルがいて、進学とカエル両方の願いが叶った気分であった。
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