つくばの心理学 2021 10 授業では、白色透明なボトルの中に日常生活の中でよく接するものを入れて、そのにおいだけで中身が何かを言いあてる課題を行った。よく知っているものなのに、においだけでそのものの正体をあてることは予想以上に難しい。学生達は中身を見てみて、「これってこんなにおいだったんだ!」と驚くこと頻り。講座のタイトルから興味を引かれて受講するので、彼らのにおいへの関心はもともと低くはない。それでも、前期の授業が終了する頃には、彼らは、日々の生活の中でにおいにもっと注意を向けるようになる。と言うよりも、においに自然と注意がひきつけられ、においの存在に気付くようになる。「街中にこんなににおいがあったんですね!」と感動する。自分が特に意識しないうちににおいの記憶を取り込んでいることも多い。けれどもにおいの存在にすら気付かずに、意識せずに過ごしていれば、においが関わる記憶を自分の中に残すことは難しい。 年をとると、気持ちがふさいで鬱的になりやすいと言われている。感動することがなくなり、感情の起伏が平坦になると認知症等も進行しやすくなる。そんなときに、過去を回想することによって感情が喚起されるということは精神的健康を保つために効果的であると期待される。ただ回想するといっても、きっかけがないとなかなか難しい。若いときに、音楽に親しみ感動し、においに触れ楽しい思い出を沢山作っておけば、後になって、その音楽やにおいが感動的な思い出の記憶を紐解く鍵となってくれるのではないだろうか。記憶の中に刻まれたにおいを再び嗅ぐことでタイムトラベルして、若いときの自分の感動をまた体験できる。もっとにおいの存在を意識して生活していれば、においにまつわる思い出も多くなるだろう。様々なことに感動できる若いうちに、においに気付き、においを知り、すべての感覚情報が含まれ、感情が喚起された記憶を残すことは、将来の自分のためにタイムトラベルの予約をすることになるかもしれない。 私の息子は生後3日目ににおい試験紙に塗布されたにおいを嗅がされ、その後も事あるごとに「このにおいは何のにおい?」と尋ねられ続けてきた。前述の実験用の白色透明なボトルを私が自宅に持ち帰ると必ずそのにおいを嗅ぎたがった。この実験的場面に未来の彼がタイムトラベルしてくることのないようにと願いつつ、香りある情景豊かな思い出を沢山もって彼が成長してくれることを祈る。そして、私は沢山のにおいの実験場面を思い出して苦笑するのかもしれない。
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