研究アラカルト 23 私は父の仕事の都合で、高校・大学時代をアメリカで過ごしました。自らの意志で海外に行く留学生とは異なり、日本の学校によく適応していた私(今思うと過剰適応?)は、アメリカの学校は始めはむしろ馴染めませんでした。私が通っていた高校は、2000人が通う大規模校でしたが、そのうち100名は日本人という日本人が多い学校でした。親に連れられてきた日本人同士、「日本に帰りたい」「授業に行きたくない」と愚痴を言いながら、友人同士でソーシャルサポートを提供しあい過ごしました。アメリカは中学校になると、日本のような集団の単位「学級」というものがなくなるので、閉鎖された空間のなかでの「いじめ」のようなものは少ないようにイメージされるかもしれませんが、人種や人気などからくる「勢力」みたいなものがあって、ランチを食べる広いカフェテリアの中央の良い席に学校の中心的な生徒が座り、私たち日本人が座っていた席は、大きな窓のすぐ横の席で昼の晴れた日にはあぶられているような暑さのなかで座っていたことをよく思い出します。「学級」がないため、「担任」の役割は少なく、生徒はスクールカウンセラーに割り振られます。私の通っていた高校には、16名の常勤のスクールカウンセラーがいて、私たち生徒は、学期に1回「何の授業をとるのか」選択する際に、カウンセラーに相談に行き、カウンセラーがパソコンを操作しながら、生徒を授業に登録してくれるというシステムでした。そのため、スクールカウンセラーが非常に身近な存在で、嫌でも何でも学期に一度は履修相談を受けることになっていました。そんなスクールカウンセラーとの関わりのなかで、印象に残っているエピソードが2つあります。 1つは、ある教科の先生と折り合いがうまくいかなかったときのことです。その授業は「陶芸」の授業で、当時英語ができなかった私には、週に1回の癒しの時間でとても楽しみにしていた授業でした。それでも、アメリカ人だらけの授業に行くのに足 研究アラカルト 学校心理学との出会い 飯田順子 学校心理学 いい だ じゅん こ
元のページ ../index.html#24