つくばの心理学 2021
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つくばの心理学 2021 52 神経細胞に変性がみられます。これは副腎皮質ホルモンを投与した場合だけでなく、動物を長期間ストレス条件下においた場合でも同様です。ストレスと海馬の形態的変化との関連を初めて報告した研究では、ケニアの霊長類センターで飼育されていたサルのうち、社会的ストレスによって胃潰瘍になったサルにおいて、海馬の細胞死がみられました。 学習・記憶機能の低下 海馬は、ヒトと動物に共通して、学習・記憶に深く関わっていると考えられています。たとえばラットの海馬を人為的に破壊すると、記憶課題、とくに空間記憶課題の成績が低下します。そこで、慢性ストレスや副腎皮質ホルモンの慢性投与が海馬の形態的変化をもたらすならば、学習・記憶といった機能にも影響するのではないかと考えられました。そしてその後の研究の結果は、その考えを支持するものでした。ラットを用いた研究において、慢性ストレスと副腎皮質ホルモンの慢性投与のどちらもが空間記憶課題成績を低下させたのです。 より最近になって、これら動物実験と一致する結果が、ヒトの研究でも報告されています。副腎皮質ホルモンが過剰に分泌されることで知られているクッシング病患者や、強度のストレスを受けたPTSD(心的外傷後ストレス障害)患者において、海馬の形態的変性および認知的機能障害が認められています。 また興味深いことに、慢性ストレスや副腎皮質ホルモンの慢性投与による海馬の形態的・機能的変化は、老化によるそれらの変化とかなり似かよっています。一般に人間も動物も、加齢に伴って海馬の神経細胞は損なわれていき、学習・記憶能力も衰えます。ラットを用いた研究では、老齢ラットは空間記憶課題の遂行に障害を示しますが、老化による海馬細胞の損傷の程度が大きいほど学習障害の程度も大きくなることがわかっています。またヒトでもこのような変化は、老齢でのアルツハイマー型痴呆症などで特に顕著にみられます。そこで、脳、とくに海馬の神経細胞の老化メカニズムに、視床下部—下垂体—副腎皮質ストレス反応系が関与しているのではないかという仮説も提唱されています。 では、このようなストレスによる脳への影響を抑えることはできるのでしょうか。この答えを出すことができれば、脳の老化を遅らせることにもつながるかもしれません。視床下部—下垂体—副腎皮質ストレス反応系が海馬の形態的・機能的変化を導くメカニズムは、現在のところ十分に解明されているとは言えませんが、近い将来、ヒトにおいてもこのような薬物的治療が可能になるかもしれません。

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