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質問・意見に対する回答(第1回分:斎藤氏より)

第1回にゲストで登場いただいた斎藤氏より回答をいただいています。率直にお答えいただけたことに感謝。以下に紹介します。
また彼の介助者の一人から感想の掲載希望がありましたので,後半に併せて紹介します。これまた感謝。

Q:買い物とか一人でいくことはありますか?
A:電動車椅子の時はあります。必要な介助は周りにいる人か店員に頼みます。とはいっても、善意に頼っているところがあってシンドイときもある。店員に関しても、暗黙の了解で頼めば介助してくれるが、暗黙なだけに頼みつらさを感じている。介助しますと唱ってくれるとどんなに楽でしょう。

Q:午後に介助者がほとんど居ないことで困ったことは?
A:基本的に困らないような日課を組んでいるので、その日課に縛られることはありますが、困ると言うわけではない。突然の予定変更やアクシデントのときは困ります。そんなときは必死で介助者や訪問看護の人に電話します。

Q:講義とかある日はヘルパーをキャンセルできるか?
A:できます。

Q:介助者が40人位いるということでしたが、この人には用事を頼み辛いと言うことはありますか?
A:あります。

Q:もしどうしても介助者が見つからないときはどうしますか?
A:絶対に探す。無理言って頼む。そんなことにならないような介助者の確保に努力する。

Q:買い物にいったりするときは友達といきますか?介助者というのはつきますか?
A:友達と2人で行くときもあるし、介助者も付いて行くときもある。でも介助者と行くことの方が多いです。

Q:あっけらかんと人間はみんな同じだと浅はかなことでしょうか? そう思いたいがために介助を希望することは自分勝手でしょうか?
A:喜怒哀楽、感情面では同じ人間といえると思います。別な言い方をすると喜怒哀楽を共有できる。でも、社会的状況は残念ながら同じとは云えないと思います。身近な例でいうと、僕のように24時間/日介助が必要な障害者に対して、3時間/日しか公的に介助が保障されていないということは、公的には地域生活を禁止されているといっても良いでしょう。僕はたまたま運が良くて自立生活しているだけで、自立生活を選択できない障害者は大勢います。非障害者にはまずそんなことはないでしょう。自分勝手でしょうかということですが、たとえ自分勝手でもその事について言及してもそれは筋違いというものなので置いておきますが、ただ、あなたと障害者問題/障害者の関係は同じ人間かどうかというような次元で話せなくて、とても複雑だということです。

Q:筑波大にいて、大学について何か不満はありますか?
A:あります。移動の確保がいまいち不十分。例えば、エレベーター。2学のエレベーターのボタンは高すぎる。あと教室の出入口。自分では開閉できないので教室にはいるとき人に頼まなければいけない。頼むのは良いのだけど、結構頼むのにエネルギーが要るので億劫なときは引き返すときも多々あった。それは筑波大に限ったことではないか。図書館ボランティアが障害者にあまり対応していない。不満というか望むことは、障害者のサポートセンターが欲しいということでしょうか。

Q:学内でバリアーになっているものは何ですか、例えば通路の自転車とか?
A:図書館の入口。学生証をいちいち出せないので図書館員に開けてもらうのですが、頼まなければならないことが足を遠のかせている。入口は前の方が良かった。ちょうど車椅子のコントローラーにぶつかってしまう。などなど。しかし、バリアーがあるところは基本的に避ける生活をしているので、制約があるが、困らないようになっている。

Q:自分にあった勉強法みたいなのをあみだしているのですか?
A:あみ出していないと思います。基本的に勉強していません。だから授業についていくのはたいへんです。

Q:障害者の方を見かけると手伝おうかなと思ったりするのですが、逆に余計なお節介かなと思って辞めてしまています。そのへんはどうですか。
A:どこで、誰から障害者を見かけたら手伝うということを教えてもらったんですか?基本的には頼まれなければ手伝わなくて良いと僕は思います。ただ障害者にしてみれば頼みづらいということがあるというのも事実です。やはり、一人でできることは一人でやる、人に迷惑を掛けてはいけないという観念が流布していますから。

Q:私は結構人つき合いとか、人との関係が苦手なんですが、斉藤さんはイヤだなーと思ったりためらったりはしませんか?
A:あります。

Q:疾患に対する受け入れができているようですが、発症はいつで、どのような心理過程を経たのでしょうか?また進行性の疾患ということですが、生きる目標をどこに置いていますか?
A:発病は3歳頃で、その後緩やかに筋力が低下してきました。歩行が完全に困難になったのは高校3年の春です。疾患に関する受け入れについていうと、進行が緩やかだった分そのときどきの状態を分析・整理できる時間があったからだと思います。あと、自立生活障害者の中でいわれる「障害が不幸なのではなく、障害があることを不幸にしてしまう社会に問題がある」ということに出会ったことも大きかったと思います。結構障害に対してコンプレックス少なく来れたと思っています。生きる目標をどこに置くか。ヤボな質問ですね。そんなものはないというか、無の境地というか。そんな感じですか。敢えて云うなら、何か楽しいことないかなと云うところでしょうか。ここが障害者と非障害者の世界観の違いなのかも知れません。障害者解放をいかにするかということは常に考えていることです。

介助者からの感想

以下は,斎藤氏の介助をしているMK氏よりいただいた文章です(名川)。

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先日斎藤新吾がゲストに招かれた講義の感想文を読ましていただきました。感想のうちのいくつかがきっかけになって考えたことがありますので、よかったらお読みください。僕は介助は四年程、波紋の会の運営には約三年かかわっている介助者です。

障害者と出会うということ

 一月程前、用事があってバスで土浦に向かっていた時のこと、知合いの障害者が、偶然同じバスに乗り込んで来ました。そのとき僕は乗車口の近くに座っていたこともあって、障害者の乗り降りを手伝うことになりました。その時に思ったことを書こうと思います。そういうことがあったこと自体、講義の感想を読ませていただくまですっかり忘れていたのですが。その時のことを思い出したのは、「町で障害者と出会った時、その方が困っているような場合には声をかけたいのだけどためらってしまいます。」という感想がいくつかあったからです。

 ところで、僕がバスの乗り降りを、そのとき自然と手伝うことになった理由は、

・まずその障害者、介助者と知合いだったので挨拶がてらに声をかけた。
・(全身性障害者に限っていえば)障害者にとって助けが必要なときとそうで
  ないときがなんとなくわかる。
・自分に何が手伝えて、何が手伝えないのかが判断できる。

ということになると思います。逆に、一番目の理由はともかくとして、二、三番目の要素を持っていない人が、障害者に声をかけづらく感じるのは当然だとも思います。ですから、声をかけることができないということを、自分自身の人格的な問題としてとらえるのは(そんな人がいるかどうかわかりませんが)どのようなものかと。そこには、その人がおかれている社会的な条件の反映もあるわけですから。

 このような視点をとると、介助とは、介助者が、右のような要素を獲得していくプロセスであると考えることもできます(もちろん、障害者の自立生活を支えるという大前提があるわけですが)。例えば、食事を例にとっても、健常者の食事方法とはかなり違ったふうになります。何を食べるかを決めるのは基本的に障害者なので、介助者が一方的に「今日はカレーを食べさせてあげる」ということにはなりません。食材を実際に調理するのは介助者ですが、味付けや調理方法は障害者が決めるので、調理は一種の共同作業的な性格を帯びます。食べるときも、食事を口に運ぶタイミングや、一度に箸にとる量などからして、最初は分からないので、僕はいちいち障害者に尋ねていました。もちろん、こういうことは慣れてしまえば大体わかるようになることで、大げさな技術ではありません。しかし、逆に言うとこれらは、介助しなくては決して得られないことです(少なくとも、親族に障害者のいない僕のような人間にとっては)。

 また、交通機関を使っての移動も、一人で外出する時とは違った様子になります。そもそも、駅員の人に階段の登り降りを手伝ってもらうためには、何日か前に事前に駅に連絡することが必要なのですが(JRを使う場合)、健常者が外出する時にはもちろんそのような事前の手続きは必要ありません。また、駅のホームに出るのにどの道を通るかなど、自分一人での移動では考えることもほとんどありません。しかし、車椅子をつかっての移動の場合、通れない道(階段など)が存在するので、経路を良く考えて選択することが必要になります。

 僕達は、介助を通して、このような個々の技術を獲得していくわけですが、「技術」とは少し違う意味あいを持つものも同時に身につけているように思います。例えば、何回か介助に入ると、障害者の身ぶりや車椅子の存在などに慣れていき、初めての時の驚きは徐々になくなっていきますが、その「慣れ」のようなもの。それらは、技術というにはあまりに些細であり、講習などを通して習得するようなものではありません。むしろそれは、介助者として新たに身につける、身ぶりや仕草、雰囲気のようなものではないでしょうか。そのようなものは、技術とは違い、直接何かの役に立つものではないかもしれません。しかし、確かなのは、それらも介助技術と同様に、健常者の間でのみ生活していては得られないものだと言うことです。

 障害者による運動の成果により、状況は少しずつ良くなっているとはいえ、現在でも障害者が自立生活をするのに、大きなエネルギーが必要なことに変わりありません。つまり、小数の例外を除いて、障害者は施設または親元で生活するのが普通になってしまっています。このことは、健常者と障害者が道ですれ違うような機会からしてすでに、奪われているということに他なりません。しかし、僕達から奪われているのはこのような、出会いの機会だけなのでしょうか。右で言ったような、障害者と一緒に生活することで身に付く、技術や仕草のようなものもまた、僕達は最初から奪われていると言えるのではないでしょうか。つまり、たとえ町で見かけたとしても、僕達は決して障害者と「出会う」ことはできないのです。

 ですから、介助者になるということは、失われてきたこのようなさまざまなものをひっくるめて、取り戻していくプロセスだと考える事ができます。そして、このようなプロセスを経ていくことで僕達は、町で見かけた障害者と、はじめて出会うことができるのではないかと思っています。(MK)


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