<身体障害の分類>
●身体に障害を持っていて、身体障害者であると判断されることは、医学的に割と明確にできるものだと思いますが。障害の程度で軽から重度まで分類することは難しいことだと思います。
⇒確かに簡単ではないと思いますが,行政的には難しいとか言っていられませんし,人によって判断が決まっても混乱します。ということで,判断基準は細かくいろいろ決められてもいます。結構分厚い本です(私は持っていない)。
それと,おっしゃるように医学的な判断,能力的な判断(impairment/disability)あたりまでは比較的やりやすいかもしれません。しかし考えようによっては,それもかなり恣意的というか相対的な判断だと考えられるのですが。
●身体障害者として分類される人達の中に、心臓などの内部(見えない部分)の障害の人達もいるという事を初めて知りました。私には、いまいちどういう風に分類されているのか分からないですが、結局は、身体障害者方からの訴えで分類規則がつくられるんですよね? それでは、身体障害者の方自身が、自分はそういう風に分類されないからと思えば、その人は身体障害者ではないんでしょうか。
⇒一部要望によって身体障害者枠に加えられたところもあるかと思いますが,全体としては当事者からの声に従って作ったのではないと思います。とりわけ等級判断の基準は違うのでは。例えば聴覚障害は最高でも2級までしかないことについて問題を指摘する人もいます。
次に後半部分について。先週は「身体障害とは?」ということで幾つかの定め方を見てきたわけですが,まだ他にもあります。今週少し付け加えますが,周囲の人々が(社会が)障害だと見なすことで障害になる,という部分もあるということに留意しましょう。いわゆる“科学(客観的)的に”とか“制度的に”とは別に,私たちが使っているモノサシです。実はそちらの方を私たちは専ら使っているのかもしれない。社会生活においては。また一方,「自分が障害者だと思えば障害者(思わなければ障害者ではない)」という主張も聞きます。上記と同様,ぜんぜん“科学(客観的)的”(カッコに入れて使ってます)ではないかもしれません。しかし個人がどう周囲と向き合って行くかを考える意味では重要かも。
このように(身体)障害にはさまざまな立場からの定め方があり,どれが正しくどれが間違っているというものでもないように思います。それぞれどのような点で重要であるか,また誰にとって益になるか(使いたがるか)を考えてみることも良いのでは。
●身障者手帳1種1級とか言いますが、「〜種」とは何の分類ですか。また、手帳をもっていると、どのようなサービスが受けられるのかがわかる表などあったら載せてほしいのですが。
⇒「〜種」というのはJR(旧国鉄)の運賃割引の区分です。これに関する規則がありまして,身体障害の程度によって割引の程度が異なります(一種と二種)。また知的障害者のほうでも同様の基準があります。私鉄,バスなどもほぼ同様の基準を設けているようです。内容については本日お話します。
<障害者手帳>
●自分の子どもが障害児であることを認めたくなくて、障害者手帳をつくらない親がいるといいます。そういう気持ちは、わかるけれど、やっぱり権利として手帳はつくるほうが私はいいと思います。その人が何者であるかを、社会によって形作られたくない気持ち以上に、何者であるかは、その個人がこれからつくりあげていくもので決まっていくのだという認識が大切だと考えるためです。もちろん、障害者でない私はこういうふうに決めつけることはよくないと思います。しかし、障害者がよりよく生きるために社会的サービスは欠くことができないし、より生き生きと生きてほしいのです。手帳がもっと身近なものになることを望みます。
●障害者手帳については、身近な知り合いからも色々と聞いていて、考えることが多いと思います。障害者として認定を受ければ、奨学金も出るし、サービスも受けられる。でも、その認定を受けるには抵抗がある。障害者手帳は福祉サービスの上で良いシステムだとは思いますが、障害者の心理まではまだ考慮できていなく問題が色々あると思います。
<アクセシビリティ>
●第一回のハンズフリーフォンや今回の携帯のことなど、特別にそれを必要とする人のためではなく、便利を追及して進化しているとしても、この先どんどんみんなにとって住みやすい環境になるだろうと思った。
●私が夏休みに実家(愛知県)に帰ったとき、豊橋市の某鉄道の駅で視覚障害の方が、ホームから転落し、列車にはねられ、死亡するという事件があった。アクセシビリティとは異なるかもしれないが、公共の場でのサービスの遅れが、人一人の命を失う危険があるということを考えて、サービスの充実をはからなければいけないのではないか。ちなみに、この事件のホームは点字ブロックがホームの隅から隅まであったのではなく、ちょうど点字ブロックのないところから転落してしまった。
●プラットホームにアクリルの壁とドアがついているのは、東京の営団地下鉄南北線です。すべての駅がそうなっている路線です。都営12号線も必ずエレベーターやスロープがついています。新しい路線ほどそういう傾向があります。新規につくるのは楽だけど、既存のものも使いやすくしてほしいです。
⇒正しい情報をどうもありがとう。こういうコメントを期待していました。(^-^;;;
●情報アクセシビリティもショートメールなどで便利になっていますが、現在最も解決が望まれている問題は何ですか。
⇒「もっとも」と言われると良くわからないのですが,最近話題になることとしては,例えばTVの字幕放送の充実,ネットワークの整備,入出力機器の改善などいろいろあるでしょう。全体的なコメントは私には出来ませんが。
情報機器のアクセシビリティに関しては,例えば以下のようなものが出ています。ご覧ください。
★「障害者等情報処理機器アクセシビリティ指針」
http://www.jcsnet.or.jp/v-city/welfare/tech/access.html
★障害者等情報処理機器アクセシビリティ指針の仕様の解説
http://www.jcsnet.or.jp/v-city/welfare/tech/ac950420.html
★こころWeb|
http://www.jeida.or.jp/document/kokoroweb/
“同じ”と“違う”(3)
●「同じ」と「違う」について。先日、先天性に左腕がない女の子(現在女子大生)と話していたときに気がついたのですが、障害者を社会が「違う」という視点で捉えているのは、彼女本人が敏感に感じていると思いました。小学校のときには、腕がないことでイジメにあい、両親はそのことでケンカをし、家族が彼女を大事にしようとするほど、彼女は辛いと言っていました。話の中で、町中を歩いているときの周囲の反応を彼女は無視しようとするのだが、なかなかできないと言っていました。また、大学の授業が終了し、荷物を片付けようとしたら、突然隣に座っていた人が自分の鞄のジッパーを無言で開けられたといいます。「助けてあげる」と思っているその人に対し、彼女は感謝の念は起こらなかったといいます。彼女はある程度のことはできないにしろ、それなりにできるのに周囲からは「違う」とみなされているのではないでしょうか。
<介助つづき :困っている人/障害者>
●「どこで誰から障害者を見かけたら手伝うということを教えてもらったのか?」この答えには、私自身もハッとし、よく考えてみた。先生が回答されたような「障害者=困っている人」というステレオタイプがあるのかもしれない。「困っている人→助ける」けれども、「障害者→助ける」ではない。困っていない障害者を助けようとすることが、「障害者=困っている人」というステレオタイプで見られているのかもしれないということが多くあることから、斎藤氏の言葉が生まれるのかもしれない。困っているのならば助けたいが、困っているのかどうかは非常にわかりにくい。「障害者=困っている」というステレオタイプについて考え直さなければならない。こうしたことで、困っているのならば助けたいという気持ちが消極的になってしまうことは、また悲しいのではとも思う。
⇒言葉にするのは難しいですが,これは積極的・消極的という言葉で括ってしまうとちょっと視点がずれそうな気がします。うーん,でも直接は話しあったほうがいいですね。よろしかったら声をかけてください。
<その他>
●日本版ADAの審議は聞いた覚えはないのですが、法律として成立する予定はありそうなんでしょうか。
⇒そのような主張と運動は聞くことがあります。日本版ですからJDAと言ったりするらしいです。が,法制化にはまだ時間がかかりそうです。
●筑波大学が障害学生に対して行っている保障について。先生は「お金を出している」とおっしゃってましたが、それだけなの?というのが私の感想です。ただお金を出せばそれだけで障害学生は保障されるわけではないと思います。金銭的な保障も大切だとは思いますが、現実的な問題として介助の人手不足などがあるのであれば、人員的な保障とかも必要であると思います。同じお金を一般学生も障害学生も出しているのであるの(だと思います)であれば、公的に保障すべきではないでしょうか?(金銭的にも保障しない大学よりはすばらしいとは思いますが。)
⇒お金の良いところは,自分で使途を決定できる部分があるということです。この場合は学習・生活の補助者を自分で決められるということ。しかし自分で探さなければならないし十分な人数を募集できるかどうかも定かではないので,その意味では保障はないですね。自分で決めるということの長所短所。
これとともに,公的に保障すべきであるという考え方も私はもっともだと思います。実際,本学で手話通訳・ノートテイクなどの情報保障活動をやっていらっしゃる学生有志たちは,(自分たちの自主的活動によって補われるのではなく)情報保障が公的に行われて欲しいと考えています。
スペシャルニーズに対する支援活動は,日本福祉大学などが活発と聞いています。また国外ですといろいろ見聞することが出来,大学がサポートセンターを設置していることも聞きます。スペシャルニーズは何も障害に限ったことではありませんね。そのように,学内での個別にニーズがある場合に対応できるシステムということで設置されていると良いのですが。
●知的障害の人は施設があって〜というのを聞いたことがありますが、肢体不自由の方もそうですか?
⇒すいません,ちょっと意味がわからなかった。施設の種類などについても紹介する予定はあります。