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質問・意見に対する回答(第5回分)

公的介護保険の話についてもいろいろ関心を持っていただきました。また,もっと詳しく説明して欲しいというコメントもありました。が,残念ながら授業の中でさらに話すほどの時間的余裕もなく,またちょっと流れが逸れてしまいます(他で十分逸れているという話もあるが)。申し訳ないけど,授業(身体障害者福祉論)との関連について触れるくらいに留めさせてください。




<措置から選択・契約へ?>

●障害者も、やはりサービスに関しては消費者なのだと思う。“福祉”という言葉が何となくボランティアを連想させてしまうためか、サービスの提供者の好意によって施設事業が行われているように感じる。(少なくとも私は)そして“福祉”という言葉のせいで外部のチェックも入りづらいのではないか、という危惧もある。

⇒好意や善意で福祉が語られるのは不十分ですし誤解を招きやすいと思います。今年は「福祉とは」を省いてしまいましたが,以前話したことの転載で対応します。以下も参照してください。

http://www.human.tsukuba.ac.jp/~mnagawa/lecture/swpd/96/answer07.html

Q:社会福祉とは,正確には一体どういうことなのでしょうか。ボランティアとは違うものなのでしょうか。
A:日本で一般的に社会福祉という言葉が使われるようになったのは,戦後なのだそうです。しかもその契機になったのが日本国憲法第25条(いわゆる生存権の条文)で用いられて後ということですから,歴史的には浅いのでしょうね。社会福祉の定義と概念を「正確に」話すと長くなりますし複雑なので,簡略に手持ちの知識のみで書かせていただきます。ご了承ください。
 語義的には welfare,つまり幸福・安寧などの意味合いがでてきます。最も広く捉えるならば「みんなのしあわせ」ということになります。実際には社会に生活する私たちの幸福追求や生活の維持向上をはかるために行なわれるすべての活動や諸政策ということになります。しかし狭く考えるならば,とりわけ困っている人,社会的不利におかれている人たちに対する活動や政策が中心になってくるとも言えます。このあたりが強調されると「福祉とは困っている人を助けること」という限定的用法が出てきてしまうのでしょう。ちなみに類似概念として「社会保障」というのがありますが,使う人によって両者の包含関係はまったく逆になります。とりあえずは,この辺はあんまり気にしなくていいです。
 方法論的にはきわめて大ざっぱに言うと,所得保障つまり金銭的な手段を用いる方法と,人的サービスによる方法とに分けられるかもしれません。ただ,いずれにせよ,憲法25条,あるいは13条に根拠をおく人々の生活を社会が保障する営みが基本となります。で,それにオーバーラップしたり不足を補ったりする(せざるを得ない)かたちで存在するのが民間団体だったりします。
 次にボランティアとの関係ですが,ボランティアは人と人が接するときのひとつの形態であると思いますので,結果として社会福祉の進展に貢献することもあるし,社会福祉を構成する重要な要素なのかもしれません。しかしながら社会福祉が必然的にボランティアを要請するのではないと考えます。つまり,ボランティアにおんぶに抱っこしなければできない社会福祉は本来的には不十分な状態である,というのが私の認識です。ボランティアを否定してはいませんし尊重していますが,両者を区別して考えるところから始めることが大切ではないかと思います。



●今までの措置制度から、利用制度へ移行することは、大変いいことだと思う。市場原理がここでも生まれて、利用者によりよいサービスを利用してもらえることを望む。
  しかし、サービス内容などを考えたり、利用者側の無理な注文などが生じた場合、サービスを提供する側が、どこまでサービス内容を向上(?)していけるかが問題だと思う。人間なんて結局わがままなものだから、無理な注文をしてくる人もいるだろう。(まぁ、そこまで、責任をもつ必要性はないのかもしれないが・・・。)
⇒それがわがままであるのかどうなのか,ということについても十分考えなければならないことです。交渉方法を十分に知らないだけかもしれません。別の要求(困りごと)が隠されているかもしれません。私たちの(固まってしまった)常識を越える新しいサービスニーズなのかもしれません。環境的な部分に目を向けて課題解決を図るべきかもしれません。これらのことは,実際の事例の中でもいろいろ話題にされることです。
 そのうえで,やはり要求には応えられない,となったら,やはりそこは断ることでサービス内容を明確にしていく必要が有るかもしれません。交渉が合わなければ,別の提供者と交替することになるのかもしれません。

●利用者が与えられた助成金を自由に使えるようになることは良いことだ。しかし、サービス提供側が営利目的だけでサービスを提供するのであれば、国や地方公共団体はそれを見逃すことなく、しっかり監督するべきである。それは「福祉とは何か」という根本的な問題とも関わってくるだろう。
⇒高齢者分野では違うかもしれませんが,障害分野ではまだ選択肢が多いとは言えません。NPO法人を含めた積極的な支援が必要なのではないかと感じます。そしてご指摘の通り,監督というのか,どこかがチェックはしないといけないと思います。
 このあたりについては,以下の場所もごらんください。
http://www.human.tsukuba.ac.jp/~mnagawa/family/papers/JDSNforum_Kyoto.html#back_★05

<公的介護保険>

●介護保険のためにお金がたくさん必要である事は知っていたが、こんなに高いなんてどうにかならないのだろうか。障害者の人達は、障害をもちたくてもったわけでもないし、本来(普通の体をもっていれば)使う必要のないお金なので、もっと安くすることはできないんだろうかと思った。
⇒公的介護は高齢者の介護保障のためにつくられたものですので,障害者はメインで享受するわけではありません。が,高齢である障害者は大勢いらっしゃるわけですし,そうするとその間でいろいろ面倒なこともあるようです。今日少し触れます。
 料金が高いということですが,もともと国がお金の出所が無いので保険形式にしたという見方も有ると思います。国民から出してもらうってこと。これを解消するにはどこかで財源を確保しなければならず,その方途についてはいろんな意見がある。

●自分でサービスを選択し、購入するというシステムは高齢者の「お上の世話にはなりたくない」という意識を持っている人にも利用しやすいのではないかと思う。ただ本当にサービスを選択できるのかは疑問。(提供する側の問題もあるし、選ぶ側の問題も)ショートステイやデイサービスといわれても何のことかわからない高齢者はいっぱいいると思う。
⇒その点は授業でも少しお話いたしました。で,ケアマネージャーなどの資格の方々が対応してくださるということになっているのですが。

<直接助成制度>

これからどんどん高齢化が進むなかで、「これ」といった公的な福祉サービスが、万全な体制で確立していないというのは不安です。
  先進国でも、福祉分野では日本は遅れていると言われますが、他の欧米諸国などはどうなのでしょうか。「DF」が採用されている所もあるということでしたが、それによって先に挙げられた問題点(与えられた助成金を他に使う)などはあまり見られていないのでしょうか。


●今日の講義で今後、始まる新しい制度として、“直接助成制度”という言葉がでてきました。この制度は、利用者の主体性を保護するという意味で従来の制度より、より利用者のことを考えた制度であると思いました。しかし、利用者個人に渡されるお金は、税金を使ったお金であり、それを悪用しかねない人々もいると思います。最近、保険を利用した、悪質な事件をよく耳にしますが、そうしたことから、利用者が巻き込まれることのないような保険制度の透明化・明確化が進めばいいなと思いました。
⇒直接給付の方法もいろいろあり,振り込みとか,償還(後払いというか使った分の払い戻しというか)とか,あるいはバウチャー(クーポン)のようにして使途を限定する方法もあります。タクシー券などもそうだと言えましょう。また実際,公的介護保険でも2〜3の自治体が試行的に行っています(バウチャー)。千葉県内で行われている制度については,今日若干お話します。“そのお金を誰に払うか”を本人が決められるのであれば,実際のお金は手にしなくても良いという方法もありますし。ただしそうしますと,細かい使い方は出来なくなります。
 カナダやストックホルムなどで行われている制度では,もう少し細かい使い方をしていますので,その分,あなたの言う「勝手な使い方」の不安はある。カナダ(オンタリオ州)の方式では,DFを使い対人は使用計画を提出し,審査を受けてパスしなければならないことになっています。それでも当初は行政も不安だったそうですが,「あとは(使い方を失敗して破綻しても)どうなろうと本人の責任である」と主張したそうです。

<その他;福祉領域での犯罪等>

●福祉に携わっている人=良い人という概念は通用しなくなっている。福祉施設を利用してサギを働いたり、障害者を虐待する人が近年目立ってきた。身近なところでいえば、水戸パッケージ事件などがあげられる。また障害者の方にも犯罪を犯している者は少なくない。不当な手続きで保険をもらったり、スリや強盗を働く者もいる。我々はこれまで福祉に関わる者をマクロな視点で捉えてきた。しかし福祉の内容も多様化し、すそ野が広がったことにより、それに携わる人間も多種多様になった。このような変化に合わせて、カテゴリー的な判断だけでなく、ミクロな視点をもって福祉を見つめていく姿勢も整えていく必要があるだろう。

●今日特に印象に残ったのは、「福祉に関わっている人に悪い人がいるはずはない」から「それは本当ではない」という言葉でした。私の中にも固定観念として、ボランティアをすすんで行っている人に、心がみにくい人などいないという考えがありました。本質をしらず、その「ボランティア」という言葉のイメージによるものだと思いますが、上のような事実が表世界に出てきてしまったのは、とても残念だと思います。


●日本の福祉サービスは充実していないということは、しばしば聞くが、これは制度を変えたり施設を増やすことも必要かもしれないが、それ以上に人々の意識のレベルでの問題ではないか。例えば、環境問題ももちろん不十分ではあるが、人々の意識に浸透しつつある。企業も商品のコンセプトにするようになってきた。メディア、公的機関が国民意識をかえるような啓蒙活動をすることも必要ではないか。


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