<NPO,NPO法人>
●税制優遇についてですが,日本赤十字社に寄付をした場合は,税金が優遇されるという話を日赤の職員に聞いたことがあります。日本赤十字社はNPOとして考えられているのかいないのか,またどういう枠組みの中に位置づけられているのでしょうか。
⇒良くわからなかったので,日本赤十字社のウェブページを見てみました。
http://www.sphere.ad.jp/redcross/press/
おっしゃる通り,寄付に対する優遇が説明されていますね。しかしページを見るかぎりでは,どのような枠組みの組織であるのか(財団法人・社団法人とか何とか)ははっきりしませんでした。そういう枠ではないのでしょう。わかる方は教えてくださいませんか。
日本赤十字社はNPOなのかどうか,ということですが,広義で考えればNPOでしょう。しかしNPO法(特定非営利活動促進法)に基づくNPO法人ではありません。前回言いましたように,広義にはNPOというのは原則として個人が利益再配分を受けない組織ということですから,かなりいろいろな組織が入ります。NPO法人はその中の一部です。
●NPO法人の具体的な活動やそこで活動する人たちの身分の保障(ボランティアとして活動するのかどうかなど)についてもっと詳しく教えてください。
⇒あまり詳しくはお伝えできませんので,成書をご覧戴ければと思います。活動は本当にいろいろだから。身分保障ですが,NPO法人にあっては事務職員及び一部の役員に対して業務報酬が認められていますので,彼らは通常の組織職員として働くことが出来ます。実際,アメリカ合衆国のNPO組織ではそのようにして働いている職員が多くいますし,また彼らの仕事と身分はキャリアとして認められていますのでキャリアアップの過程としてNPOに勤めることも可能です。
●今日初めてNPOは仕事にならないことを知った。そうだったのか・・・
⇒上記のようなわけで,仕事にならないわけではありません。しかし日本ではまだ働き口としては少ないことは確かでしょうね。今後に期待したいところです。
●(前略)その点ではNPO法人というのは実費だけを徴収し良い制度だけど,その負担は障害者や高齢者にかかってしまうのに疑問を感じました。行政からのサービスで賄えそうな気がするのですが,そこまで制度が充実していないからでしょうか?
⇒充実していないことはいろいろ有ると思います。絶対的な量としての不足,質としての不足,また多様性への応答ということもあります。
●NPO法人は何故ボランティアであり営利目的ではいけないのでしょうか。民間企業との違いはどんな点にあるのでしょうか。営利目的でないのに何故最初から税制優遇されなかったのか疑問です。
⇒定義の仕方にも拠るのですが,大雑把に行きます。法に基づくNPO法人と民間企業との違いは,前者が利益再配分を受けないこと,目的と内容が法に示される12種に限定されていること,でしょう。あとは公益性を入れるか入れないか。何故成員個人に対する利益再配分が無いかといえば,それ自体が目的化された活動になってしまうと,成員等に対する本来の利益がもたらされなくなってしまう恐れがあるからです。例えば環境保護を本来の目的としたNPOが成員個人の増益を優先させて突っ走ったら,自分に都合のいい形の“継続可能な社会”という名目を振りかざして利益誘導的な活動をすることになるかもしれない。もしも環境問題に取り組みながらも成員への利益再配分を目指したいのであれば,会社になったほうがいいですよね。ただし,NPOが成熟・巨大化してくると,かなり会社に似てきてしまうという例も見受けられるようです。また,会社だって再配分無しの状態が継続していけば,NPOと何ら変わるところが無いかも知れない。つまり両者の間は思ったよりも大きくないかもしれないのです。
何故最初から税制優遇が無かったか,ですが,それはわかりません。政治的判断に基づくブレーキだったのか。しかし現法がかなり意義を低減させられていることは,しばしば指摘されます。
●informal
sectorなどの話についてですが,日本は精神面を強調・重視するあまり,「ボランティアとはこうあるべきだ」という意識的なものが先立ってしまいますが,何が大切なことか,何を問題とするのかを考えると,もっとシビアに経営管理の体系を組んだボランティア組織をつくることが大切だと思いました。きれいな理念を皆が唱えるよりも,実際の援助を求めている人は多いと思うのです。
●公的サービスは柔軟性に欠けるという内容がありましたが,先日(一週間以内)の朝日新聞の社説で(たぶん)秋田県鷹巣町のケアハウスが取り上げられていたように,20億を超える巨額の投資・サービスを実際に行えるのは,やはり公共団体だと思う。もちろん財源は税金だけれど,地域住民が納得できる使い途だし,情報公開がきちんと為され,チェック出来る体制があることで,より充実したサービスの提言など求めやすいと思う。こうした施設が増えることが本当に望ましい。
⇒先日,千葉で地域生活支援の話をさせていただく機会があったのですが,その時の質問にも公か民かNPOか,というようなものがありました。どちらが優れているかというようには考えていません。公にできることはいろいろあるし,いえ,やってもらわねばならないことはたくさんある。公には,必要なサービスを地域内にあまねく提供する,という言わば必要条件を満たす役割を果たしてもらわなければならず,重要であると思います。そしてご指摘の通り,公の役割を大きくしていくならば,それに見合っただけのチェック機構が必要となるでしょう。いわゆる大きな政府という形なのかもしれません。
ではNPOなどはどう考えるのかということですが,それは alternative
の提示であり,counter part
としての役割なのだと思います。ひとつに力(管理・提供)をまとめることで出来ることもあるし,多様な力の存在で可能になることもあるでしょう。果たして日本はどのような形を望むのでしょうね。
なお,多様な提供主体が発生しにくい地域などでは,ご指摘の場所のように行政というNPOに一手にまとめてもらったほうが良いのかもしれません。鷹巣町の実践は有名ですね。私も勉強しなければ。
ちなみに,ご指摘の記事は1999年10月17日朝日新聞朝刊の記事のようです(有料データベースで検索しました)。
<前回からの宿題>
⇒(前略)さらにノーマライゼーションについての部分ですが,ノーマライゼーションの理解に拠りますね。介助・援助が不要な行動=健常に近い,ということがノーマルであるということではありません。いわゆるノーマライゼーションの思想において「ノーマル」であることを要求されているのは,障害者自身(とその能力)ではなく,彼らも含めた私たちすべての“生活”,さらにはそのような私たちが住む“社会”の方なので。これについては資料を提供し,授業中にコメントを加えたいと思います。
返信が見当外れでしたらご容赦ください。
・・・先週は持ってくると書きながら資料を忘れてしまいましたが,今回は持ってきました。
●「障害」という単語のもつイメージの悪さを再認識させられた講義だった。「ろう者」という考え方も「障害者」と見て欲しくないためだろうし、それによる有形無形の差別がはるか昔から存在しているのだろう。こう考えが改善されるのには時間や労力が必要だろうが、「障害者」が認められるようになった歴史の流れを変えないようにしたいと思った。
⇒これについてはちょっと慎重に返信したいので,もう1回お待ちください。私よりもっと適切な人と話しあってみます。
・・・お忙しい方だったのであまり時間を取れなかったのですが,今までに伺ったことを確認することは出来ました。先ずは引用しましょう。
“「「障害者」と見て欲しくない」というよりは,「「障害者」と思っていない」。その学生さん自身も,自分のことを「障害者」とは思ってもいない。それと同じように,自分のことを「障害者」とは思っていないし,感じたことがない人たちがいるということ(すべての聾者がそうだということではありませんが,そう言う人が,いる,ということが大事かなと思います)。それが,他の「障害者」にとってどうか,という問題はあるかもしれませんが,聾者にはそういう考え方があるってこと。”
以上の引用からお分かりのように,もともと障害者を下位においてそこから抜けたいがために“ろう者”と言っているのではないということでしょう。もともと「障害者」からの“分派”というイメージすら無いのではないでしょうか。ただし自らの“障害”について考える聴覚障害者もいますし,ろう者というアイデンティとの狭間に揺れる方もいらっしゃるであろうことは想像できます。さらに“健聴”と“ろう者”のどちらにも入れきれないで苦しんでいる方もいるようです。これらのことを指摘したからといって,ろう者というアイデンティティが障害を否定し逃げるためのものではないことは変わりません。
ただ,これとは離れて“障害”という言葉あるいは障害自体に対するネガティブなイメージや差別的な体制あるいは構造と行為が残っていることも確かですし,これについても十分考えていかなければなりませんね。