<欠格条項>
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欠格事項についてのお話があったが、この言葉自体は今日初めて知った。確かに障害があることでできないこともあるかもしれないが、聴覚障害者で運転免許を取得できた人も知っているし、やはり「障害者だから〜できない」とひとくくりに考えてしまうことには問題があると思う。資格や免許について言えば、「障害があるから」を理由に門前払いするのではなく、障害のある・なしに関わらず試験を受ける機会は与えられるべきだと思う。もちろん、障害に対する配慮がなされた試験などを行い、その結果については一定の規準で個人個人に対して出されるべきだと思う。
<施設福祉と地域福祉>
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夏に介護体験(教職)で特養老人ホームに何日か行く機会があった。そこでは確かに大勢が暮らしていて、レクリエーション等もあったがなんとなく違和感があった。10人くらいずつ外食に行く行事もあるようだったが、好きなことをする権利はなかなか難しいな、と思った。障害が重い人ほどレクの場にも「いるだけ」、食事も「食べさせられる」こととなってしまう。私だったらここには入りたくないと思った。しかし、友人の行った別の施設は、「入ってもいい」と思わせるところだったらしい。
施設にも色々あるし、単純に「いらない」と言える問題ではないと思う。
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「施設」=悪、「地域福祉」=善というイメージが自分の内になんとなく育成されていたんですが、「施設」には問題もあるけれど、果たして欲しい役割があり、両者とも存在していてほしいと考えるべきだと思う。
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地域福祉という大合唱のもとでおりからの人権意識の向上キャンペーン(?)とオーバーラップして盛んになっているようですが、確かに施設ではある程度、プライバシーの権利等、人権が侵害されていると思います。しかしこれは病院とて同じこと、仕方ない面もあるのではないでしょうか。(改善すべき点は多々ありますが)現実問題として、まだまだ地方では、障害者が街で暮らすための、インフラも住民の民意も整備されていいないのでは。「東京の町田市では」「大阪の枚方市では」と言われても、茨城では外国のことと同じくらい遠い話です。
<地域生活支援>
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コミュニティ・フレンドという活動が本格的に現実化していくのなら、とてもいいことだと思います。やはり年齢差などがあると、考え方が合わない場合や、どうしても“教える、サポートする”立場と“教えられる、サポートされる”立場が築かれてしまうと思うからです。もしこの活動が広まれば、10代の障害者の方ならより10代らしい一般生活(健常者の10代の人たちと同じような、という意味で)が送れて、逆に、コミュニティ・フレンドの人も、より障害者に対しての理解が広まると思います。
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でも、もっと望めば、ボランティアで仲良しになってあげているという存在ではなくて、ごく当たり前に健常者の人に友達が存在して、ふつうの友達どうしとして遊んでいけるような間柄の人がいると望ましいと思いました。障害者の人がどんどん社会にでてきて知りあえるキカイができるといいと思います。
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タイムサービスという言い方があると聞きましたが、「私の時間を買うかわりに、あなたのニーズを聞きます」という考え方は、いいと思います。これは、ボランティアという考え方とは、少し違っていますよね?(有償ボランティアなのでしょうか?)
ボランティアだと、相手のニーズにどこまで応じられるかが問題になると思いますが、こういう考え方なら、相手のニーズを把握し、それに応じる、ということに、抵抗を感じることも少ないと思います。
● “Time Service”として
今まではどこかの施設にあずけていたのを、介助者が、その家へ行くという制度は、例えると、健常な乳幼児なんかを、保育園にあずけるのではなくベビーシッターをやとうというのと同じかんじなのでしょうか?
施設などに預けるやり方の方が、何人かを一度に見れるので人件費などがかからないような気がしますが、どうなんでしょうか?ボランティアとしてもボランティアする側の負担の大きさは否めないと思います。
利用者にとってはすごくいい制度だと思いますが。
● Time
Serviceという考え方は私にとってかなり新鮮だった。まさに、利用者のニーズにこたえていると思った。
ガイドヘルプのこれからのかたちについては、発展していくほど、もとの自然な(?)状態へ戻っていくような気がした。つまり、ガイドヘルプという役の決められた人の存在から、どこにでも存在する友達という関係へである。
<その他>
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私の知り合いの障害者の方は、いわゆる“作業所”で働いているのですが、「職業名は何になるんですか」とたずねて、答に困らせてしまったことがあります。で、今もまだ分からずじまいなのですが、作業所で働く障害者の職業は何になるのでしょう。職業は、アイデンティティに関わる問題だと思うので、わりと大切な気がするんですが。
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これまで日本の中でははみだし者は村八分、というきわめて平均的な人間個々のつながりが求められる社会風潮があったと思いますが、現在人、個人を人として見直そうという動きが各々の日本人の中に
芽生えているのかな、と思います。もし、こういった流れできているならば、今後は「障害も個性のひとつ」という考えが自然になってくるのかな、と思いました。どうでしょうか、それ程甘くないでしょうか。