V 考察

 これまで見てきたように、貧困層やマイノリティーの子供たちの教育への権利を確保するプログラムとしてヘッドスタートプログラムは40年以上続けられており、ある程度の評価を得てきた。しかし2001年のNCLBによってもう一つの早期介入プログラムであるリーディングファーストが始められたのである。
 この一見重複にも思われる状況にたいして、筆者は先行研究を通して次のような考察を行った。

 1 科学的根拠に基づいた指導の充実


 考察の1点目として、リーディングファーストにおいては、科学的根拠に基づいた指導が求められえていた点が上げられるであろう。  Dayana Sorianoらは2006年の発表で根拠に基づく指導プログラムの意義を強調していたし、ロッドは研究が進んだ今日、より科学的根拠に基づいたプログラムが可能になったことを、リーディングファースト開始の要因として述べている。実際に同プログラムの対象として補助金を受けるためには、科学的な根拠に基づいたプログラムを提示することが条件とされている。
 ジルガーらや神田は、ヘッドスタートが実験的な性格を持ったプログラムであったことを指摘しているので、この点は二つのプログラムの相違点であると考えられる出あろう。NCLBにおいてはアカウンタビリティーの要求や科学的根拠に基づいたプログラムの実施など、限りある予算の中で、可能な限り成果を出すことが求められているのである。これはヘッドスタート開始当初に、対象児童を増やすために、質が犠牲にされ、結果としてヘッドスタート全体の評価を下げてしまったという反省に立つものとも考えられる出あろう。

 2 限定的なアプローチとしてのリーディングファースト


 次に論じるのは、健康・栄養・地域との関連の構築・親の教育といった総合的なアプローチであったヘッドスタート計画と対比して、識字に焦点を当てたリーディングファーストプログラムである。神田が述べたようにヘッドスタートプログラムは地域や親にも良い影響を与えるのみならず、子供たちの心身の健康状態の保持にも貢献する総合的なアプローチであった。
 しかしロッドのスピーチを引用すれば、3分の1以下の4年生の子供たちは、十分な読み書きができなかったし、点数の芳しくない子供たちの成績は悪化する傾向にあったのである。
 したがって「学力」もしくは「学業的達成」に焦点を当てたプログラムが必要だとされたのではないかと筆者は考えるのである。総合的アプローチと焦点化したアプローチを組み合わせることで、子供たちの健康や地域の環境を整備すると共に、実際に学校での子供たちの成績を向上させるという仕組みが構築されたのではないだろうか。
 またIQの優位性が持続しないことやヘッドスタートではIQなどの認知力の向上を目的としていたのにたいして、識字能力は、生涯を通じて必要なものであるというロッドのスピーチを考えれば、リーディングファーストはヘッドスタートの弱点でもあった持続性を補強するものであると思われる。

 3 福祉政策としてのヘッドスタートと
教育政策としてのリーディングファースト


 この点は2の点とも重なってくるが、ヘッドスタート計画が子供の健康や栄養などきわめて福祉的な側面にも注目していたのにたいして、リーディングファーストは識字という教育的な分野に重きをおいたということである。ヘッドスタートの関係者で作る全米ヘッドスタート協会(NHSA)がカーター政権の下での教育省への統合に反対した。 これは、ヘッドスタート関係者がこのプログラムを福祉的プログラムであると自己定義していたと考えられるのではないだろうか。また現在でもヘッドスタートプログラムは教育的な性格を持つにも関わらずDepartment of Health and Human Services(HHS)のプログラムであるという事実からも福祉政策としての位置づけがなされていると筆者は考えるのである。
 無論NCLBにおいてもヘッドスタートについては触れられており、各州の教育機関はヘッドスタートプログラムや他の教育プログラムの統合的な計画を作成することが求められており、教育省がヘッドスタートと無関係であるとは論じられない。しかしHHSの所管するプログラムとして位置づけているという事実から、上記のような見方は可能なのではないだろうか。

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