質問・意見に対する回答(第7回分)
*障害学生と人間学類の教官との懇談会が開催されました(10/29)。
*水戸の障害者虐待事件については公判を傍聴してきました(10/30)。
*時間がないので本日は簡単になりました。回答返せない方,ごめんなさい。
*介助関係が難しいと思うようになってきたとのコメントを見かけるようになってきました。私が七面倒なことばかり喋るからでしょうか。まずいかな。普通の関係ができるのでしたらそれでも構わないと思っています。ただ,いろいろ深く考えなければならないことが生じてきたときには,少々参考にしていただければと思います。本も紹介したしね。
以下の3つについては時間切れで回答できませんでした。ごめん。
●「消費者」だとか「市場関係」「お店」だとかきいてると,介助というものがものすごくドライに思えてきますし,一方では「なんか変なの・・・」とも思います。私は,ボランティアという形で介助をしていますが,別にお金はいらないし,「えらいことをしているんだ」とも思わないし(多分),主体者の need に合わせて手を貸すぐらいで,あとはフツーの友達のようにつきあっています(要は自発性)。誰でもできることなのに,わざわざドライな関係にもちこまないと障害者の自立生活は成り立たないものなのでしょうか・・・。
●ボランティアをすることは,本当に自発性が必要だと思いました。私自身ボランティアへの関心は低く,自発性に欠けているからです。他に要素もたくさんあるけど,それをすべて満たしたとき,心からボランティア精神が生まれるのでしょう。一つでも欠けていても,ボランティアはできるのでしょうか。
●介助関係と人間関係の違いははっきりいって難しい。そこまで違いがあるものだろうか。あまり「自分は介助している。」という意識をもつと,お互いに緊張してぎこちない関係になりそうで怖い。だから自分は,介助するとき友人のような感じで接するのがよいかなと思う。「介助をする。」関係で気を付けることは,普通の人間関係で気を付けることとあまり変わらないと思う。だから,ごくごく普通の人で,自発性さえあれば,ボランティアは可能であると思う。介助をすることで全く失敗しないことはないと思う。私も3年近くやっているが,まだまだ障害者の意にそわないなと思うことをやってしまう。でも,それで,2人の関係が終わりということはない。(当たり前だが)普通の人間関係と同じようにしまったと思ったら,謝って,今度からなるべくしないようにすればいいと思う。(当たり前のことだが)
【有償ボランティアについて】
有償ボランティアについては賛否両論(あるいは迷ったり)さまざまなコメントを頂きました。この話をするときには必ずといっていいほどこうなります。まだまだ議論の必要なテーマなのかもしれません。ここではみなさんの意見のうちの一部を紹介することにさせていただきたいと思います。
●有償ボランティアについてお話が出たが,私はこれは当然だと思うし,介護者に払うお金くらいは,障害者に対して支給されてもよいと思う。実家が神戸にあるので,震災がらみの障害者支援の需要があった。(もちろん障害者以外も)でも,交通費の支給されないものが大半で,やりたくてもできなかった。もちろん,震災の混乱の中ではしょうがないのだが,人手がいる復興期には,やる気のある人を少しでも集める必要があるんじゃないだろうか。だから,障害者支援も同じことで,人手を必要とするならば当然,介護者に対して手当てが払われてもよいと思う。また,ボランティアセンターの派遣で2日間,お年寄りの家の家事手伝いに行ったことがあるが,その時,ボランティアセンターの人に言われたのは「あなたが通学定期を持っていて,交通費がかからないのはわかっているが,向こうの人には,交通費を払うように言ってあるから,何も言わず受け取ってください。」だった。ボランティアは無償という考えがあったが,実際に2日間通ってみて,無償にしてしまうと,途中で時間的,金銭的負担でやめてしまう人もいるだろう,正直言ってそう思わざるを得なかった。
●自分自身,介助をしている者として,介助の公的な保障は必要であると思っている。単なるボランティアでは限界があるし,介助していくにしても自分自身の身分が保障されないままやっていくことは,介助者にとっても介助を受ける側としても,負担であると思う。もちろん,それだけでは介助をする人としない人ができ,やりたくない人はやらない,障害者とは関わらないという状況ができてくるので,誰もが介助する人になるという方向も大切であるが・・・。
●介護する側,される側でおきてしめう上下関係を,雇用関係を結ぶことで解消するという意味がよくわかりません。お金を絡ませることによって,よりドライな関係としてわりきるということなのでしょうか。介護される側にとって「してもらえる」という負い目から「お金を払っているのだから介助されて当然」という考え方に転換させるものなのでしょうか。
●ボランティアの有償性に関しては,個人的には反対です。というか,そうあってほしくないです。障害者が wants を提示するのに負い目を感じるということは本当に心を許し合えていないというか,仲良くなれていないからだと思います。自分が今まで参加したもの(ごく少数ですが)はとても楽しくてまたいってみたいと思っているので。
でも,人手不足や全くそういうことを知らない人に興味をもってもらうには有償や,自発性でなくても仕方がないと思います。
●ボランティアは無償のものだと決め付けていたから,有償で行うという意見には驚いた。しかし,考えてみれば,ボランティアというのはお金持ちで,労働しなくても食べていける人達だけがやるべきことでもまたやれることでもない。だから,いくらボランティアとはいえ,ある程度の経済的保障は必要なのだ。
(以上)
●介助と介護の違いがよくわからないです。
→気にする人・分野と気にしない人・分野があるし使い方もさまざまだと思いますが,私の理解する範囲で言います。介護には care の意味合いが含まれてくるので,そのような文脈で使う。一方,介助には care は必ずしも含まれない。どちらかというと support という感じ。また,介護には「護る」意味合いが含まれるので「護ってくれなくていい,介助だけしてくれ」という人もいるようです。
●宿舎のメールボックスなどで,これまでに何度も波紋の会(斉藤さんの介助についてのこと)のビラを見てきました。何回もビラを配っているということは,なかなか介助者(特に男性)が見つからない,集まっていないのでしょうか?ぜひ,知りたいところです。やってみたい。
→斉藤さんの介助者リストが40人くらいだと先日伺いました。隔週とか月イチの人などもいるでしょうから,このくらいの人数は決して多くないと思います。それにリストに含まれる人の中にもさまざまな理由で止めなければならない人もいるでしょうから,介助者はもっとたくさんキープしておきたいと思っても当然だと思います。それに長期休業中は介助者が激減しますし。あ,それから男女比は聞きませんでしたけど,男性が少ないことは想定できますね。
●(すいません,前文省略します)だけど,知的障害者でその障害が重い場合,たとえやりたいことがあっても伝えられない(とみなされて無視される)こともあるんじゃないでしょうか。例えば,今日は赤い服が着たいと思っているのに何となく青い服を着せられちゃったとか。それって悲しいことだと思うんですけど,ある程度仕方のないことだとも思います。でも妥協ラインをどこに決めるかが問題ですよね。それが私には解決できなくて,困ったちゃんなのです。またどちらの障害も重複している場合もありますし・・・。介助ってむずかしい。今日もそういう思いを深めてしまいました。
→知的障害のある人たちの意思尊重ですか。私もまだ十分勉強できていませんが,先日紹介した久田則夫さんが書いた本は副題が「インフォームドコンセントにもとづいた利用者主体の援助プログラムの勧め」といい,関連事項について書いています(以下に再掲します)。それと,河東田博(かとうだひろし)さんの書いた本も参考になりましょうから一緒に紹介しておきます。
◆久田則夫:施設職員実践マニュアル.学苑社,1996.
◆ビル・ウォーレル著・河東田博訳編:ピープル・ファースト〜支援者のための手引き.現代書館,1996.
◆河東田博:スウェーデンの知的しょうがいしゃとノーマライゼーション.現代書館,1992.
●(千葉県社会部がつくった「社会福祉ハンドブック」について話した方より)千葉県内の福祉に関する本がありましたよね。あれって各県がそれぞれ作っているものですか?それとも千葉県だけが独自に作ったものですか?
→あのような社会資源についてまとめたハンドブックは各都道府県で出ていると思います。県庁なりなんなりへ電話して担当部署に1冊くれといえばもらえます。有料・無料はいろいろかな。東京は有料で良いものがあります(社会福祉の手引き)。170円ですが。内容量はまさに都道府県によって違いますよ,ホント。
●全国公的介護保障要求者組合はどこが(例えば国や地方公共団体,民間など)中心となってつくられ,運営されているのですか。
→言葉足らずでした。障害のある人が中心になって作っている非営利団体です。問い合わせでしたら「自立生活情報センター」がやってくれます。
〒187 東京都小平市花小金井南町1-12-2 コンフォール花小金井 1F
<< http://smercury.shinshu-u.ac.jp/tateiwa/0j/0.htm >>
●advocacy(権利代弁)は誰でもできるのですか。それともそれを専門とする職業などがあるのですか。
→アドヴォカシーはそのような考え方のことですから,誰でもできると言えます。あるいは誰もがそのような態度を持つべきなのかもしれません。ただ,具体的なトラブル相談などでは法律的な知識と行使力が必要なこともあり,弁護士などに助けてもらわなければならいことも多いでしょう。そのためにできている組織のひとつが「権利擁護センターすてっぷ」というところです。また最近は権利擁護に関する書籍も出てきていますので紹介しておきます。
◆権利擁護センターすてっぷ:ホップ君大きくジャンプ.1995.
#マンガでふりがな付き。誰にでも読みやすく作られたガイドブック。
◆谷川泰造編:くらしの相談室 成年後見Q&A.有斐閣,1995.
●「ボランティア団体を維持する資金ってどこからでてるの?」というのは私の中のちょっとした疑問なんですよね。きっと大変なんだろうな。
→会費,賛助会費,寄付,カンパ,バザーなどなど。現在の日本では,企業からの寄付を集められるところは,それなりのネームバリューを持っている団体であることが多いのではないかと思います。
●先生,教卓の上に座ってお話しなさるのはあまりよくないと思います。
→すいません。かっこつけてました。
●「ボランティア」という言葉の語源は何だろう?この言葉自体に抵抗を感じてしまう人も少なくない。
→ある本からの引用です。
【....ちなみに研究者の「新英和大辞典(第5版)」によれば,英語のボランティア(volunteer)は,「自由意思」を意味するラテン語の voluntas を語源として持ち,同じ単語が名詞,動詞,形容詞として使われる。名詞としては「志願者」「篤志家」「義勇兵」などの他に,変わったところでは(種を蒔かないのに)自生してきた植物という意味もあるとのことだ。】(金子郁容:ボランティア〜もうひとつの情報社会.岩波書店(新書),1992.)
●社会福祉とは,正確には一体どういうことなのでしょうか。ボランティアとは違うものなのでしょうか。
→日本で一般的に社会福祉という言葉が使われるようになったのは,戦後なのだそうです。しかもその契機になったのが日本国憲法第25条(いわゆる生存権の条文)で用いられて後ということですから,歴史的には浅いのでしょうね。社会福祉の定義と概念を「正確に」話すと長くなりますし複雑なので,簡略に手持ちの知識のみで書かせていただきます。ご了承ください。
語義的には welfare,つまり幸福・安寧などの意味合いがでてきます。最も広く捉えるならば「みんなのしあわせ」ということになります。実際には社会に生活する私たちの幸福追求や生活の維持向上をはかるために行なわれるすべての活動や諸政策ということになります。しかし狭く考えるならば,とりわけ困っている人,社会的不利におかれている人たちに対する活動や政策が中心になってくるとも言えます。このあたりが強調されると「福祉とは困っている人を助けること」という限定的用法が出てきてしまうのでしょう。ちなみに類似概念として「社会保障」というのがありますが,使う人によって両者の包含関係はまったく逆になります。とりあえずは,この辺はあんまり気にしなくていいです。
方法論的にはきわめて大ざっぱに言うと,所得保障つまり金銭的な手段を用いる方法と,人的サービスによる方法とに分けられるかもしれません。ただ,いずれにせよ,憲法25条,あるいは13条に根拠をおく人々の生活を社会が保障する営みが基本となります。で,それにオーバーラップしたり不足を補ったりする(せざるを得ない)かたちで存在するのが民間団体だったりします。
次にボランティアとの関係ですが,ボランティアは人と人が接するときのひとつの形態であると思いますので,結果として社会福祉の進展に貢献することもあるし,社会福祉を構成する重要な要素なのかもしれません。しかしながら社会福祉が必然的にボランティアを要請するのではないと考えます。つまり,ボランティアにおんぶに抱っこしなければできない社会福祉は本来的には不十分な状態である,というのが私の認識です。ボランティアを否定してはいませんし尊重していますが,両者を区別して考えるところから始めることが大切ではないかと思います。
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