質問・意見に対する回答(第8回分)




*授業は今日と次週の2回です。次回は私が現在関心を寄せている,家族支援サービスについて紹介する予定。
*私のホームページにこの回答を掲載する件を前回に問い合わせましたが,特に反対は見受けられませんでした。前回いらっしゃらなかった方もおられると思いますので,再度確認いたします。プライバシーに関与することはないようにしてきたつもりですが,もしも削除して欲しい事柄などありましたら,おっしゃってください。
*ここ何回か,人間学類の4年生の方にワープロ打ち込みを手伝っていただいています。ありがとうございます。

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【評価について】
レポートによって行うものとします。2つとも書いてください。
★テーマ:【1】授業で話されたテーマについて。
        扱うテーマはひとつでも複数でも構わないが,
        ひとつのテーマにつき1枚以上は使うこと。
     【2】本授業を評価せよ。100点満点で何点か。その理由を明確にし,改善策を提案せよ。
(ただまあ,改善点についてはできればひとりの人間が限られた中でやっているということを考慮していただければ幸いだが...)

     注:使用文献は明記すること。
★枚数 :A4版レポート用紙3枚以上
★〆切 :12月2日(月)
★提出先:第二事務区レポートボックス
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【関わり論などについて】


前回に続き,賛否両論でした。また「何を言っているのかわからない」という方もいました。何か自分の体験に引き寄せて考えると,幾らか理解できるのかもしれません。しかし「話の展開があちらこちら飛ぶ」という指摘もありまして,これは私の理解不十分さが出たということです。ご迷惑をおかけしています。
以下,出された意見を紹介します。始めに肯定意見,次に否定あるいは疑問の意見,それから,違った視点を提供してくれた意見,と続きます。


●介護などのボランティアは,「他者とのつながりを絶ち切らないでおこうとする姿勢」と認識すると,とても素敵な人間関係を共有できる感じがしていいと思った。でも,やはり必要にせまられた介護では,こういう考え方は持ちづらいのでないか。「必要にせまられた」という時点ですでにボランティアではないのかもしれないが。
それから,動的情報と新しい価値観の生成は積極的な姿勢になれるキーだと思う。ただ,長いつきあいになると,いつまでも新しい価値観を生みだし続けることができるかどうか,不安がある。

→これと同様の指摘を他に2人から受け取りました。新しいつながりをつくるとか,自分の成長があるとか,当初はそのような報酬も得られたが,今は少なくなっている気がする,だからこのテーゼはあまり自分にとっての理由にならない,でも続けている....,など。
はっきりとした回答は私の中にもないのですが,夫婦関係だってそれから(もしいるんでしたら)恋人関係だって同じかもしれないですよね。で,ふとした拍子に新しい気付きがあって,この人とやっぱり居てよかったな,と思えるとか。
誰か意見ないですか?


●ボランティアを始めたばかりなので,この講義の内容が身にしみてわかります。私は新しい人間関係をつくったと思うし,自分の中の価値観に何か新しいものが生じたとも思います。ボランティアは損得とか強者と弱者とかそんなのではもちろんない,気負いのないものです。求める人がいて,それに応じる人がいる。その中で新しい世界が広がっていく,そういういものだと私は考えています。

volunteer work は「ささえあうこと」つまり give だけじゃなく take もしているというのには賛成です。やっと日本でも volunteer の制度が作られたり,open になってきました。私が,アメリカにいる時は病院で volunteer をしていましたが,同じ頃日本の新聞では外国人の投稿で,「日本では病院で volunteer をさせてくれない」と書いていました。今は,OK みたいですけどね。


●金子郁容さんの本は,生涯学習系の授業のレポート課題で読んだことがあります。何かに疑問や問題を感じることは,ある意味とても難しいことです。気付かないでいられるなら,その方が気楽であるに違いない,でも,気付いてしまう。その苦しみや自分が気付くことがバルネラビリティだと私は考えています。自分のそういう状況が自然と自らを外へ向かわせ,それはイコール開くことだと思います。そして,動いたら動いただけの何かが得られていくので,人間は経済的に,一見つらいことである「自らをバルネラブルにする」ことをしていくのだろうと思います。


●自分にとって「ボランティアの報酬」って何だろうと考えてみるとやっぱり「親切にしてあげた時に感じるあのグッくる感じ」だと思います。(決して「ホッ」とする感じではない。)また,ただ自分だけがグッときていればいいというのは問題であって,ただのおせっかいになってしまうと思うので「支えがいるかどうか決めるのは支えられる人である」ということは正しいと思います。


●ボランティアによって,新しい動的情報が広がるという考え方は,まさにその通りであると思う。本当に,障害者とつながりをもつというのは,自分が障害者を排除してきた事に気付かされ,新しい事を数多く教えられた。それは介助も通訳も同じだと思う。どんどん自分の世界が広がって,自分がかわっていく,だからこそ今も心障を専門としているのでしょう。それを専門とし,その活動ばかりやってるからこそ,そこで得られるものだけでは,自分の生活が成り立たなくなってしまう。お金での報酬も,自分の身分保障としての給与もなくてはならないものになるのだと思います。


●実際にボランティアを行ったことは,数回しかないので良くわかりませんがボランティア,介助をする際に,(授業での話しのような)いろいろなことを考えながら行わなければならないものなのでしょうか。
→いや,そんなことはないです。最初は私なんかなーんにも考えてなかったもの。当時の私がこの話を聞いたとしたら「ふーん」くらいにしか感じなかったかもしれません。


●ボランティアの定義などは必要なのかと思った。よく考えると,個人的には(私の場合はやりたいからやっているという)必要はないと思うが,社会的には必要な時があるのかもしれない。


●友達がカゼをひいたら心配になって,ソンとかトクを抜きに,料理をつくってあげたり,ノートを丁寧にとってあげたり,優しい言葉をかけてあげたりせずにはいられない気持ちになるような,そんな単純な気持ちがボランティアのきっかけではないのでしょうか。


●私が勉強不足のためなのでしょうが,説明の用語が全般的に難しく感じました。できれば,もう少しわかりやすい用語でお願いします。


●先生の授業はつまらなくないけれど,話のつながりが少し分かりにくい気がします。


●講義の進め方について,先生がどのような方向に行こうとしているのかが分からなくて,ついていけないことがある。


●先生ってなんか一人(独り)で授業しているみたいですね。独り言みたくボソボソよくするし。板書の字だけはデカイけど。なんか生徒の反応なくてムナしくないですか? 私は先生が己の世界にいるだけって気がしてさびしいです。でもきっとまだ先生が若いから,ということで納得しようとしていますが。きつかったかなア。すいません。
→うーん,前回の話のうち,「三原則」の方は私にとっても難しかったんです,実は。そんなもの人前で話すんじゃない,と言われるとそれまでなんで,何とか展開しようとしてみた苦労が,このザマでした。
それと,授業中に聴講者の反応を得るというのはずいぶんと難しいものだと思います。何だかんだ言いながら,私も関わっていこうとすることに躊躇しているのですね。


●「支え合う」ということを定義することは難しいと思います。というより無理なのではないでしょうか。「支え」は人それぞれ違った形で存在していると思います。皆,「支えている」と意識することがあるのでしょうか。私はいつもいろんな人に「支えられてる」とは感じるけど,「支えている」と感じることはありません。「支えあい」という言葉よりも「関わり合い」という方が好きかもしれないです。関わってもらいたい,それよりずっと強く関わりたいと思います。大学生になってから特に人と人との関係ってすごく難しいと感じるようになりました。だけど人と関わることがとても楽しいです。


●ボランティア=他者とのつながりを絶ち切らないでおこうする姿勢であるとするのがあったが,これは少々消極的であるような気がした。むしろ,他者とのつながりを推進させようとする姿勢としたほうがよいのではなかろうか。
→そうとも言えると思います。先の定義は私の言ったことですが,もともとの考え方については本を読んでいただければわかると思います。著者は積極的な関わりあいを求めているような気がします。


●障害者のことが今までより分かってくるにつれ,逆に難しく思えてしまう部分,事柄も出てきたような気がする。だからといって知るのを(知ろうとすることを)やめようとは決して思わないし,もっとよく知った上で接していけたら・・とは思うが,今まで何とも思っていなかったことまで気にかかる容になってきたのも事実である。
→その辺は私も悩んでいます。もっと入門的な話のみに留めておけばよかったんだろうか,と。「何はともあれ,みんな,関わっていこうよ」ということだけ言っておいて,各論となるような議論点には触れず,あとは実体験からいろいろ感じてもらう,という態度もありえたはず。次年度へ向けての検討課題かな。
あなたの場合は積極的な姿勢を失わないでいらっしゃるようなので,嬉しいです。


●ボランティアの報酬は,個人の内部にむかう情報だと思います。外部に対してどうのよりも,ボランティアをしたことによって自分が変わることの方が大事だと思います。外部にむけての情報も大事ですけれど,それは個人の変化があってのことだと思います。


●私が心障主専攻には決心することができないことの1つにボランティアって何?と思っているからというのがあります。支えるとかそういうものがどんなものかわからないし,失敗やあきらめが許されないもののような気がするので,ふみ切れないのだろうと思います。
→ボランティアというととても立派なことをしているような感じがあるから,失敗やあきらめが許されないという感じを持つのでしょうかね。他の人間関係と同じだと思います。新しい出会いを作ろうか,どうしようか。


●ボランティアの定義として「他者との・・・とする姿勢である。」と黒板に書かれてましたが,その後の説明を聞いてもよく分からなかった。つまり,お互いに自分を開いてかかわりあうことがボランティアになるのですか?
→ああそうか。あの定義だと,人の関わりすべてがボランティアのようになってしまうかもしれませんね。それを出発点にしてもいいかもしれないですね。しかし狭義に考えると,社会的な問題において,と限定したほうがいいのかな。


●介助やボランティアの姿勢についての姿勢について,今日先生が板書された内容は,介助やボランティアをある程度継続し,考えを深めていった人のみが,気付くものであるような気がします。
-------------------------------もっと紹介したいものもあるんだけど,これくらいにします。


さいごに「動的情報がわからなかった」という人がいましたので,作者の言葉を引用しておきます。書籍名を再掲いたしますと「ボランティア〜もうひとつの情報社会(金子郁容,岩波新書,1992)」です。しかしもともとは他の著書(ネットワーク組織論などの)でアイディアを形成しているようです。
 情報というものはすでにどこかに「あるもの」と考えるのが,静的情報の考え方である。静的情報,動的情報という考え方をとるのは,情報を分類することが目的ではなく,対照的な二つの方向から光を当てることで,情報を立体的にとらえるためである。
 静的情報の考え方に準拠すれば,情報は,どこからか手に入れてくるものであり,それには,対価を支払うなどのコストがかかることになる。したがって,手に入れた情報はなるべく人に見せないように隠し,情報を独占することが重要であるということになる。このような考え方は,結局,情報をよりたくさん保持しているものが,情報を少ししか持っていないものより優位に立つという視点をとることを意味する。静的情報は,既存の枠組みの中で,効率的にことを処理するのには寄与する。しかし,既存の枠組みを変化させる力にはならない。
 それに対して,情報に関して重要なことは隠すことではなくて,進んで人に提示し,それに対して意見を言ってもらい,つまり人から情報をもらい,相手から提示されたその情報に対して,今度はこちらから自分の考えを提示する・・・・というやりとりの循環プロセスを作りだすことであるというのが,動的情報の考え方だ。情報は,蓄えられているだけでは力を発揮しない。やりとりを交わす過程の中ではじめて情報に意味がつけられ,価値が発見され,新しい解釈−−ものの新たなる理解や新しいやり方−−が生れてくる。そのやりとりの中で生れてくるものが,動的情報である。世の中の既成の枠組みを動かし,新しい関係を切り開き,新しい秩序を作っていくのは,動的情報である。(金子,1992,122-123)
(関わり論関係は以上)



【その他の質問・意見など】




先週のプリントに関連して,紹介します。
「生命かがやく日のために」斉藤茂男編著,共同通信社・「小さないのちのうた」(忘れました),ポプラ社


●障害をもった学生と教官との懇談会っていうの見てみたいなーと思ってたんですけど,見学ってできるんですか?
→現在,第1回のまとめをやっているところです。次回に向けての動きも少しづつあるようです。参加については大丈夫ではないかとも思うのですが,主催者あるいは関連する人に伝えておきます。ただ,手続き的に一般掲示は出すかな?


●「市民活働支援法」の「働」はどのような意図でこの字を使っているのですか?
→まちがい。「動」ですね。(^^;;;


●日本トラスト協会とは,ナショナル・トラスト(僕は知床の湿原を守るナショナルトラストに参加しているのですが)をやっている団体のことですか?
→そうです。私も正式の定義を知りませんが,自然環境を護り維持するために,一般の人々が少しずつその土地を購入することで開発などの変化を防ぐ活動を行っていますね。国外のイギリスでしたっけ? 始めたのは。


●インターネットのことについては,私ももう一度この授業を外側(?)から見られるいい機会だと思います。アドレスを教えてください。
→ありがとうございます。以下に示します場所においでください。削除要求など無ければ,3学期に少しずつ作業をしていきたいと思います。

<< http://www.human.tsukuba.ac.jp/~mnagawa/ >>


【 present for you all 】



第二回に参加いただいてインタビューを行った中村彰さんが,最近の介助関係の話について関心をもってくださって,コメントを寄せていただくことができました。これを決めゼリフとしてお届けしましょうか。
「やらずに考えて、結局やらずじまいってのが、こわいぞ。」




【 文献 】
本日「予定」している講義の関連書籍を紹介します。

◆W.B.グディカンスト著,ICC研究会訳:異文化に橋を架ける−効果的なコミュニケーション.聖文社,1993.

◆加部一彦・玉井真理子:てのひらのなかの命−出生をめぐる生命倫理.ゆみる出版,1994.
◆生命倫理

*この本は三菱化成生命研究所に問い合わせて取り寄せる必要があります。在庫があれば入手できます。





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