質問・意見に対する回答(第9回分)最終回




*今回で「身体障害者福祉論」は終了。へたくそだったと思います。それでも参加してくださったみなさんはどうもありがとうございました。授業評価などはレポートへどうぞ。それから一般的な感想や関係のないことでもどうぞ書き込んでくださいませ。ただし,フィードバックはできなくなりますが。
 いや,ホームページ上で多少はできますかね。
<< http://www.human.tsukuba.ac.jp/~mnagawa/ >>

*ここ何回か,人間学類の4年生の方にワープロ打ち込みを手伝っていただいています。ありがとうございます。
*前回もお伝えしましたが,わかりにくかったでしょうし,前回欠席した人もいるでしょう。レポートの課題をここに再掲します。
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(ホームページでは省略) =================================================================




【出生前診断などについて】



回を経るごとにみなさんの書き込みが多くなっていきました。しかし今回はほとんどの人がびっしりと書いていた。ビデオ教材のインパクトもあったようです。しかしそれ以上に,みなさんの考えるところもいろいろあったと言えます。これから紹介する意見はその中の一部です。文章途中で勝手に切ってしまっているところもありますが,ご了承ください。 なお,尻切れトンボになった「母体保護法」関連の記事を資料としてお届けしますのでご覧ください。授業としては,一面的な情報提供には終わらせないでおこう,ということです。



●今回の出生前診断のビデオはショッキングでした。出生前診断というものがあって,それができたことでダウン症児の数が減ってきているというのは聞いていましたが,トリプルマーカーで陽性が出た人のほとんどが中絶しているなんて。
→「出生前診断の進展によってダウン症児の数が減ってきている」という記述はどこでお知りになりましたか? 最近そのような記事が掲載され,訂正と謝罪が行なわれましたことがあります。記者が研究者に無断で掲載,しかも研究者の主張とは異なった報道をするという,取り返しのつかない問題でした(1996年8月5日付朝日新聞)。当該研究者によれば,調査結果からはそこまでは読みとれない,とされています。
また,オーストラリアでは既に全妊婦に対してトリプルマーカーが実施されているそうですが,必ずしもダウン症児の出生数が減少したわけではないという報告もあります(ある報告では2%)。さらに,スクリーニングテストで可能性を指摘された方が確定診断を受ける割合は7%(!?)とか。ただしいろいろとコメントも付加されていますのでそのまま納得するわけにも行かない。それに告知後のサポート体制は日本とは比べ物にならないようですので日本でも同様の状況が生じるとは一概にいえないことに気をつけるべきでしょう。


●この検査がそれほど正確ではなく,しかも障害児の確立が高い場合に9割近くが人工中絶を決めるということに大きく驚きました。


●大学に入ったばかりの頃は,障害があるとわかったからといって,子どもを中絶するなんてとんでもないと思っていました。しかし,知的障害があるきょうだいを持つ友人2人は「私は出生前の検査でわかるのなら中絶する」と言っていたのを聞いて,ショックを受けました。私が想像している以上に,障害をもつ子どもを育てることは困難なのだということがよくわかる意見でした。そして,私自身が,障害をもつ子を育てることができるのか全く自信がなくなりました。育てる自信がないのなら産まないほうがよいのではというのが最近の考えです。実際に,自分の手に負えず子どもを殺す親がいたり,そこまではいかなくてもどこかにあずけたまま,などという話を聞くとそれなら産まないほうがよいのではという思いが強まります。産む本人の意志が大事で他人がそれに関してとやかく言うことはかえって無責任でしょう。



●頭ごなしにこの検査を否定する気はありません。障害のある子どもが産まれるかもしれない,という心の準備ができるのなら,その場合は有効だと思います。もちろん,障害のある子どもについては,本人も家族も,大変な責任を負います。悲しいことですが,今の社会ではそうです。私の妹も障害者なので,ある程度わかるつもりです。「産まない権利」というものも確かにあり,選択は自由なのかもしれませんが,できることなら私は診断による中絶はなくしてほしいです。


●とても難しい。私は小さい頃からダウン症児とは関わりがあるので,彼らの生きている幸せな姿,親の喜びも知っています。「障害」を「個性」として認めあって生きてゆければと思うが,その価値観を全ての人に強要することは無論できない。


●生まれてくる命を自らにぎりつぶすことはできません。一緒に人生を歩んでいきたいです。自分の子どもなのだから。


●22年前,検査が義務づけられていたら,そして自分の子どもが“リスク児”とわかっていたら,私はどうしていただろう,とよく考えます。障害についての知識も何もない若い母親(の私)は,多分産まない方を選択していたのでは。そうすれば,今,かけがいのない存在のわが子(第4子)は存在していなかったのです。そう思うと身震いがします。「自己決定」はたいへんな「重み」です。幸い息子は1歳,2歳の2度の手術で「命」復活,私も自分の「人生」に困難やつらさがあっても,それが何? と大きくなれました。当然,息子本人も自分の命がセレクトの対象とは思いもせず元気に育ちました。
→限定された対象に示す資料として載せました。ホームページ掲載についても改めて確認をいただいたうえで載せることにしました。


●ちょっと前も,他の授業でトリプルマーカー検査について考えたことがあった。その時私の意見は,検査が任意のものであれば検査を受けないほうを選ぶというものだった。そして,もし検査をし,陽性と診断されたら,さんざん迷ったあげく,多分中絶をすると思うと書いた。でも,今日,「出生前診断を考える」のプリント(NO.23)とビデオを見て,私は,もしかしたら産むほうを選ぶかもしれないと思った。障害を持った子と歩む人生も私が思っているほど悪いことばかりではないのではないかと思ったから。(後略させていただきます)


●トリプルマーカーテストを受け入れるのなら,私は受けると思う。実際needsはあると思う。健常児でも産むのを考える現代,障害の産むなどの胎児に関する情報を一つでも多く知りたいという要求は決して少なくないだろう。むしろ,普及するだろうという予測があるから問題になっているのだろう。


●出生前診断そのものは,私は普及してしかるべきものだと思う。知る権利と言えば知る権利だ。ただ,先生もおしゃっていたように,もし産むことを決めた後の,多様なケアがきちんとできる状況であるかどうかは疑問にも思う。私は,こっちの診断後のケアに今後力を入れていくべきだと思うがどうか。


●「生命を選択する権利」そんなことが一体,権利なのだろうか。何かおかしい,何か間違っている,そんな権利を完全に認めてしまっていいのか。この問題は中絶,出生前診断,避妊なども包含してくるが,私は今だに明確な答えを出せないでいる。生命を選択することは人間に許されたことではないとすれば,それをつきつめていけば避妊,中絶さえ全て認められなくなってしまうからだ。中絶自体はこの現実社会のありようを考えた時必要悪と考えてしまうしかないのかもしれない。ただ,出生前診断は,絶対に違う,絶対納得ができない。診断後の判断は妊婦に任せると言っているが,それは嘘だ。選択を任せるなんてきれいな言葉で正当化しているだけで,選択はではない,脅迫ではないか,それは。この現実の中では。


●もし私が妊娠したら,検査を受けて,そこで陽性が出たら,中絶を選択すると思います。いけないことでしょうか。ダウン症の子どもを持つお母さんがたはたとは,ダウン症だとわかって中絶をする女性を責める気持ちを持っているかもしれませんが,もし自分が出産する前に胎児の障害を知っていたら,それでも自分は産むと言えたのでしょうか。とは言うものの,私もこの検査に対して恐ろしさを感じます。ビデオの中でも言われていましたが,ダウン症の人々の「存在価値の否定」を積極的に推進しているような気がしてなりません。非常に考えさせられるテーマだと思いました。
母体保護法の条文には,女性として怒りを感じました。納得いかない。



●中絶も出産も援助という方向がでてくるのは画期的かと思うが,本当にそううまくいくのだろうか。人は,そんな選択を本当に後悔しないようにすることができるのだろうか。やはり障害を持って産まれることはしんどい。それを受け入れるのは産んでみて経験を積んだひとだからできることで,まだ,初産の年若い女性にそんな選択はできるんだろうか。


●敢えて障害児を産んでも,安心して育てていける為のカウンセリングを行う対策法などを行っていかなければならないといっていましたが,果たして,その後のケアを充実させれば,障害があり得る子どもを産もうとする妊婦が増えるでしょうか。多少の防波堤にはなっても,決定的な対策とは言えないのは,それが存在しない現在からでも容易に推測できます。


●幾らパンフレットでダウン症児の子どもも社会生活の中で生きていっている様子を載せても,効果は期待できませんよ。いままでそんな障害とかについてあまり考えたことのない人が産まないという選択をしてしまうのも想像できることで...。
だからといって産む産まないは個人の自由と言われると,こっちは弱いです。私が育てるわけじゃないし。ただ,もっと知っていろんなダウン症の人の生活を知ってもらって,押し付けではなく,自然に産めるような環境があれば,と思います。



●トリプルマーカーテストを導入している会社の課長が「医師も,飯の種になると思って関心を持っている」と話していたのを見て,すごい怒りを感じた。
→これとカリフォルニア州の話(上述)にはずいぶんとたくさんの書き込みがありました。「はっきりいって,切れました」など。


●自分がもし妊娠したら...と考えると,トリプルマーカーテストを受ける方を選択すると思う。障害者の方には悪い言い方かもしれないが,やはり不安はあるし,確立だけでも知ることは,結果がどちらにしても深く生命を考える機会になるだろう。


●出生前診断という技術を「中絶するための技術」という人もいるようだが僕はそのようには思わない。出生前診断によりダウン症等のさまざまな障害が見つかるかもしれないが,それによってその子どもを受け入れる親や家族の準備ができる。子どもに障害がある確率があるから中絶するという考え方には僕は反対である。まず検査であるから障害がなく産まれてくる可能性もある。


●現在自己決定権は親にあるというが,それ以外には考えられないので,それでいいと思う。でも,自己ではないと思うけれど。
 

●まずスクリーニングテストすることと中絶することは分離し考えるべきである。私はスクリーニングテスト自体は悪いことではないと思う。ある医師は,このテストが中絶するための検査だといったが,このテストを開発した技術者は決して中絶が目的で研究したのではないと思う。テストを行った結果,関係者は障害に向き合う機会を持つことができるし,陽性であった場合,ダウン症の子を育てる為の勉強や準備を前もって行うことができる。ただしこれは社会保障の整った環境下での話である。ビデオの中では双方さまざまな意見があったが,双方に矛盾があったので反論する。賛成派のアメリカの意見の中に経済的負担のデータがあったが,見積もりの推定値などはいくらでも細工することができるし,やりくり次第で抑えることもできる。「抑えられない」のは手腕が劣っているからである。また現代の社会システムはともに生きることを条件,約束にし,われわれは税金払っているのに対し,アメリカの意見は税金の徴収は必要ない,行政の必要性を自ら否定していることになる。反対派の意見の中に正確性への疑問があったが,ならば正確ならばよいのか,ということになる。100年,200年後の科学技術をもってすれば必ず99%信用することができるだろう。その時反対することができるだろうか。


●トリプルマーカーテストが普及すると,ますます「障害者」に対するマイナスイメージが助長されてしまうのではないか。


●「出生前診断」は障害児狩りである。


●「人間はすごく弱い」というのが正直な感想です。


●産む・産まないは個人の自由だが,「産みづらい」社会はつくってはならない。

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●正確さの低い検査を普及させていいのでしょうか。9割の人が中絶を決定するということは,選択しているというよりもむしろ,そうせざるを得ないのではないでしょうか。もっと,障害児(者)援助システムを普及させないことには,妊婦さんの自己決定権も何もないような気がします。



●「出生前診断ってなぜやるんだっけ?」という基本的問題にまでさかのぼってしまいました。私は,超早期療育をするための検査技術がどんどん発展してしまってついに「出生前」にわかるようになってしまったと考えていました。ところが今日のビデオを見て,障害児を産むか,産まないかを決定することも目的の一つになってしまっているのかなあと感じました。出生前診断のはっきりとした目的って何ですか?
→前半でおっしゃるような「障害発生予防」のための検査もありますよね。有名なところでは,ガスリーテストなどがあります。このテストを行うとフェニールケトン尿症という疾患を発見することができ,その後,低フェニールアラニン食による食餌療法を行うことによって知的な障害を予防することが出来るとか。詳細はわからないのでごめんなさい。他にもいろんな疾患が対象としてあげられるようです。しかしトリプルマーカーテストはそういうわけでもないようです。とすると,あなたのおっしゃるように,現状では他の目的で行われるということになります。ちなみに以下のような文献もあります(勉強不足なんで古いですが)。
◆障害者問題研究,第17巻「特集:障害の発見と予防」,1979.
◆発達障害研究,第8巻第1号「特集:発生予防」,1986.

再掲です。
◆加部一彦・玉井真理子:てのひらのなかの命.ゆみる出版,1994.
 パソコン通信上での対話を本にしたものですので,読みやすいですよ。内容は「出生をめぐる生命倫理」です。


●...しかしながら,こうしたことに対して「テストの結果を知らせたからといってダウン症は治せるのか」という疑問にぶつける必要があると思う。この疑問は胎児の自己決定権(これも社会的価値基準に大きく左右されるもの)云々の議論よりも大きい意味を持つ。治せないのにテストをやる意味はない。(裏を返せば,治せれば「ダウン症を治す必要を促す」ためにテストを行う意味は重要視することができよう)。また,テストと社会的基盤の整備の問題は別個の議論ですべきであろう。


●羊水検査を受ける対象の中に,第一子が障害を持っていた場合というのが入っているのは,第一子が障害を持っていた場合,第二子以降が障害を持つ確立が医学的に高くなるからですか? それとも家庭に二人も障害を持つ子がいては現実的問題として負担が大きすぎるからですか?
→遺伝的な原因が想定される場合には確率的に高くなることもあるようです。ただ,親御さんの心配というのは必ずしも遺伝的疾患に限るものではありませんが。後者もあるでしょう。理由はどちらかに限ることでもないですよね。


●最後に先生がおしゃっていたように,生む,生まないの選択は,女のものとは,完全になっていない現実も,私としては不満があります。精神的にも肉体的にも,多大な影響をうけて出産するのは,女性の方なのですから。



【介助について】



最後にひとつ,介助に関して第7回のご意見に対する返答が寄せられていましたので掲載します。


●質問・意見に対する回答(第7回分)の波紋の会について書いた方へ。今,波紋の会の介助者は40人くらいですが,もっと介助がいてくれたらいいと思います。やってみたいと少しでも思っているのなら,実際にやってみたほうがいいと私は思います。経験者の話しや文章だけで,知った気になるよりも経験するほうが考えが深められるし,多少の苦労は避けられないけれど,面白いです。


【今回の授業に関連する文献】



<書籍>
◆ぽれぽれくらぶ(1995):今どきしょうがい児の母親物語.ぶどう社.
◆中野敏子・田澤あけみ(編著)(1995):利用者主体の家族援助−障害児と家族の暮らしを考える.大揚社.
なにはなくとも「今どきしょうがいじ...」は目を通しましょう。イラストだけ読んでも面白いです。

<雑誌の特集>
◆「愛護」1994年10月号(No.451)「特集 求められるファミリーサポート −家族の意識変革−」日本精神薄弱者愛護協会.1994.
◆「手をつなぐ」1994年5月号「特集 家族の安心 家族の休息」全日本精神薄弱者育成会.1994.
◆「療育の窓」No.85「特集 レスパイトサービス −その現状と今後」全国心身障害児福祉財団.1993.
◆「発達障害研究」,14(2)「特集 家族サポート」日本文化科学社.
◆「はげみ」No.242 「特集 レスパイトサービスを考える」.日本肢体不自由児協会.1995.
いずれも図書館にあるでしょう。または出版社に電話してバックナンバーを求めましょう。 難しい文献なんかはパス。
希望があれば紹介します。私のホームページでも紹介しています。





【緊急提言!】

  なんちゃって

中村彰さんからメールが届きました。実は彼の求めに応じて,コメントと回答集を読んでいただいたのです。特に介助関係。それで,是非ともみなさんに伝えてくれとのことです。

中村@理工学です。
講義の直前の、かけ込みメッセージです。
今日の午前中に感じたことを書きます。

「(介助を)やってみてわかる・実感することって言うことが、あると思います。やってみて少しわからなくなる人もいるみたいですけど、それはそれで 考えが深まって、いいのでは。」






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