質問・意見に対する答え(第10回分)


*この回は最終回でしたので受講者のみなさんから意見などはいただけましたが,私からの返答は返せていません。しかしただ掲載するのも悪いので,私の返答も書きます。短いコメントのみですがご了承ください。


●障害児者を抱える家族にとって,本人と同じくらい(更に深刻に)家族にとっても問題を生じると思います。全てを包み込んだ支援体制は,とても必要です。深夜緊急入院のため,乳幼児達を残して両親が出掛ける,残された姉妹は朝,目覚めてはじめて,自分たちの親の不在を知る・・・そんなつなわたりを(私は)経験しましたが,いつ破綻してもよい状態を,どの家族も経験しています。主体性を持ちながら,レスパイトサービスを行う障害者の家族の組織に,行政,地域も加わっったネットワークがつくられるといいと思います。(すでにできていますか?)
 →民間の事業体に行政が補助を付けているもの,行政の主導で行なわれているものなど,いろいろ見かけるようになってきました。しかし,おっしゃるようなところが出来ているかどうかは,うーん,考え方によるなあ。近いものは聞きます。


●レスパイトサービスで利用者主体というのは,サービスを直接受けている本人かあるいはその家族なのか,という疑問が少しある。両方だろうけれど,でも,どちらかというと,家族かなという気もします。
 親戚,友人など,障害児者にとって近い間柄の人の冠婚葬祭行事には,参加できたらいいのにと思います(もちろん本人の意思を尊重して)。




●「ひまわりの家」の学童保育の話で,利用者(母親)たちは,みんな肯定的に評価していたし,こういう場所があることはいいことだと思うけれど,障害児者だけが集まるのではなく,健常者も一緒にということはできないのかと思う。私が,児童館で学童保育のバイトをしたときに,健常児だけでなく,軽い障害を持つ子が数人いて,人にもよるけど,いじめられたり,のけものにされたりしがちで,それに対して私はほとんど何もできなくて,いうのも変だけどかわいそうだから,一緒にするのはやめようというんじゃなくて,一緒に過ごせるようにしていくことが大切なのではないかと思う。そうでないと,本当に地域で暮らす,ということにならないのではと思う。


●緊急一時保護施設は見学したことがありますが,「このみ」のようなタイプのレスパイトサービスを実際に提供しているところは,初めてみました。いつも障害児を持つ母親ばかりが苦労しているような気がして腹が立っていたので,このようなサービスを提供する公的な施設が将来増えてくことを望みます。
 →現在は「このみ」は発展的に解消,現在は市の「さいわい福祉センター」が出来ており,そこが事業を実施しています。

●話はそれますが,障害関係の施設は(今日の「このみ」もそうでしたが)どうも貧乏臭い気がしてなりません。普段障害者に関わることのない人たちが,障害者に対して関わることのない人たちが障害者に対してマイナスのイメージを持ちがちなのも,こういうところから来ているのではないでしょうか・・。行政はもっともっとお金をかけてほしい。それに福祉関係者はもっとおしゃれになってほしい。
 →(^^;;;;;

●出生前診断についてのみなさんのコメントですが,数字としてこんなに「産まない」側に偏っていたのですか?「産む」という人も結構いるのではと思いますが。載せられている意見はとても偏っていて驚きました。
 →はっきりと意見を表明された方を見ると,「わからない」派が多かったように思います。しかしプリントとして示した意見は「産まない」側のものが多かったかもしれません。

●障害児のお母さん達(家族たち)は別に自分たちのことを「もともと偉い」とは思ってないと思いますが。えらくもえらくなくもない,もっとフツーじゃないんでしょうか。
 →その辺は,講義でも紹介した「今どきしょうがい児の母親物語」の本にも書いてある通りです。フツーであるお母さん方のメッセージがとても面白かったんですよね。


●私は農林の仕事をやりたいだけやって,やり終わったら福祉関連の仕事もやりたいと思っているのですが,福祉の仕事に就くために資格というのは必要なのでしょうか。新卒者でなくても雇ってくれるでしょうか。
 →資格のある仕事もあれば,資格がなくても出来る仕事もあります。あなたがどのような仕事をしたいかによると思います。もしこれを読んでいらっしゃいましたら,一度いらっしゃいませんか。あるいは,私にメールをくださいな。


●「施設福祉から地域福祉へ」などと,障害者と健常者の共存・共生は流行文句のように言われている。しかし,施設はなくせないし,なくしてはならないと思う。某聴覚障害児の施設を見学してわかったことだが,そこの子どもたちには行き場がなくて,施設に入っているのだ。障害をもっていることから,親に虐待され,頭の形が変形した子,両親に捨てられた子供がたくさんいた。
こうした子どもたちにとって,施設は自分の「家庭」でもあるのだ。だから一概に施設を否定してはならないと思う。

 →「行き場の無い」状態が良いわけではないでしょう。そして,その解決の場が施設でなければならないこともないと思うのです。いろんな方法があります。 ただし,最終的に入所施設が無くなっていいのか,については私もまだわからないところがあります。たとえば他の国を見ても皆無になっているところはないですし,それに入所施設を削減する動きにあった時期の後に揺り戻しがあったという話も聞いたことがあるので。


● この授業では,色々な問題提起が私の中でされました。 色々な人の意見を聞くことはためになるけど,色々な人の意見に流されてしまって,自分の中の意識がはっきり固まらないのがくやしいです。授業とはあまり関係のない感想のようですが,私の中では関係あるのです。
 →気持ちの奥で少しでもこだわるところがあれば,いずれあなたの中で熟成してきますよ。きっと。


●母親って大変だなあと思う。今日のビデオにどうして「父親」が出てこなかったのだろう。仕事でしょうか。それは「逃げ」だと思います。確かに家族観はかわりつつあるかもしれないけど,まだまだ母親の負担が大きすぎます。また,協力的な父親がいても家族の負担が大きい。これって大きな問題ですよね。特に父親の干渉不足は健常児の子育てにおいても同じことです。私は父親の意識改革を求めます。
ところで,親が年をとったときのSUPPORTってあるんですか?「この子より1日だけ長く生きたい」という親の話を読んだことがあるので。

 →ん? どんな種類のサポートを想像してらっしゃるのでしょうか? 高齢化した親の問題? そう,最近話題になるようになってきました。親の会の全国大会でテーマになったということも聞きました。また「Elderly Caregiver」という本もあります。家族支援策もサポートのひとつかもしれません。


●こんな活動ができるんだなあ,というのが一番の感想です。これまでのサービスなどは,せっかくあっても,ともするとおしつけであったり,不自由であったり,専門家の言うことを聞いておけば・・・という面が強かったのでは?おしつけの制度,サービスでなく,本当に「ここはできるから,ここを手伝ってほしい」とうニーズに応えられる体制はすばらしいと思った。
これに伴い,母親が自分からのニーズを明らかにすることが必要だが,こうすることによって,もう一度自分からの立場や現状を見つめ直し,気持ちをセイリすることができるのでは?と思った。



●託児所(最近ではすごくおしゃれに託児所を使うお母さんが登場しちゃっているらしいですが。)には,障害児は預けられないのでしょうか。(やっぱり特別なケアを必要とする場合は制限があるのでしょうか)。
 →やはり制限をつけているところも有るのではないかと思います。それ以上の具体的なところはよくわからないです。


●family support(家族支援)においてはflexibilityが重要ということだったが,家族からの要望にどこからどこまで応えるべきかということにサービス提供側は悩むのではないだろうか。その応える範囲があまりにも広がってしまうと,福祉サービスとして存在しえなくなるのではないかという気がした。
 →別に福祉サービスじゃなくなっていいと思っています。言い方を変えれば,何が福祉サービスで,何がそうでないかを決めることは,最初から提供できるサービスの幅を狭めることにもなるのではないかと思うのです。 でもあなたの言いたいのは「我がままいっぱいの利用が出てくるのではないか?」という懸念なのでしょうか? 今までの状況から見ますと,利用者さんもいろいろ考えていますから,そんな自分勝手な使い方をしているのでもないようですよ。
このあたりは話始めると長くなりますので,この辺で。


●「ケアのわかちあい」は大切なことだと思います。家族と地域,地域と地域がわかちあうという考えも大切で必要だと思います。ただ,1カ所がたくさんの機能を持とうとすると破綻するというのは,どうしてなのかなと思いました。人的,経済的に無理ということですか? 十分な大きさの受け皿を持つものだと,1カ所であろうが,分散してようがかわらないように思いました。十分な大きさの受け皿を持つようなものを1カ所に,なんて現実的に無理だということですか?
 →そのサービスの近くにいる人は良いでしょうが,遠くの人には使いにくくてたまらなくなってしまいます。ちいさいのがぽつぽつとあったほうが良い。それが1点。もうひとつは,大きくなればなるほど小回りが利かなくなる可能性があるということ。了解を得なければならない人の数が多くなるとか。利用者さんのニーズに応えるためのflexibilityは,機能が多くなることで実現できるわけではないですから。
大きなセンター的役割を持った場所はあって良いと思っています。そして同時に,小さな場所がそこかしこにある,というのが理想だと考えているのです。


●レスパイトサービスによって,確かに親の負担を軽くしたり,親の行動の幅を広げたりできる面があると思います。しかし「レスパイト」という言葉の意味を考えた時,親は子どもを預けることで本当に「息抜き」「一時避難」ができるのでしょうか。自分の目の届く範囲に子どもがいることが,親にとっては一番安心できるのではないかと私は思います。レスパイトサービス自体はとても有効的なものだと思いますが。
 →そのような人もいるでしょう。でもそうでない人もいる。サービスは「こうでなければならない」と利用者に強要しているものではないです。使いたい人が使えるときに使う。そのような選択肢のひとつが確保されていること,このことが重要だと思います。
それに,「レスパイト」ばかりを考えますとおっしゃるような疑問も出てくるかもしれないですが,しかしサービス内容を「家族支援」として考えたときには,サービスのいろんな活用方法が考えられるのではないかと思います。


●アメリカでは,普通の家庭でも子供をベビーシッターに預けて,時々遊びに行って息抜きする。障害児をもつお母さんだってとても大変なんだから息抜きしなきゃ。そして預けたいけど,その時には,やっぱり安心して預けられる施設が必要。先生は,子どもはじゃまものか?とおっしゃったけど,どんな子どもでもたまには親は子どもから離れて,夫婦で出かけたりしたいものだと思う。たまには邪魔者(?)
 →親もたまには邪魔者かもね。


●family supportはそれ自体の考え方は非常にありがたいもので,最終的に障害者が家族のもとでさまざまな助けを受けながら地域で生きていくことは理想だと思う。町に「なんでも屋」がいるようなものだし。ただ,施設から地域への流れはいいが,そこで施設に残されていきながら重度,重複障害を持つ子どもたちの自立(「助けて」ということが伝えられること)へのサポートに関しても忘れてほしくないな,と思いました。






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