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回答第7回


話が具体的・個別的なのでちょっと掲載を躊躇した文章もあります。話題を提供してくださってどうもありがとうと,ここで申しあげます。
また口頭で問い合わせのありました社会福祉主事の件ですが,本授業も単位として数えてよいようです。詳しくは学務担当で確認していただきたいと思います。


【一般・事務】

●字体をくずさずに板書してくれるとうれしいです。
→チョークが無くて最後はつまんで書いていました。だからでしょうか? 字の汚いのはよく指摘されるので,また気をつけたいと思います。

●失礼な話ですが,このコマは体育の次のコマなので,よく眠くなります。毎回毎回睡魔との戦いですが,今回はなぜか眠くなりませんでした。先生が好きな分野で説明に力が入っていたためでしょうか…?
→眠らなかったの? そりゃ良かったです。でも私の話が特に面白かったとも思えないなあ。インタビューテープを流したり,ビデオを見たりと手の込んだことをやったからでしょう。このジャンルですと小技をいろいろ出せるんですよ。


【知らない人と近づく法】

●先週講義に出席しなかったのでやった内容がわからないけど,障害者施設建設に対する反対運動がおこる原因の一つに,小さい頃から障害者と接する機会が少ないことがあると思う。特に,知的障害者の人には何か話かけられたりするのがこわくて,電車の中とかで見かけると避けてました。障害者とどうやって接したらいいのかわからない人はたくさんいると思う。
→どうして障害者だと避けるんでしょうか。いや,障害者だけ避けているのでしょうか? 程度の差こそあれ,普段接したことの無いガイジンが近づいてくるときにだって緊張するのでは? 現在の話題が終わりましたら,今度はそのような内容の話に移ります。よろしかったらご期待ください(って変な日本語?)


【サービス提供・利用者主体性】

●サービスというのは提供者側の理屈で制限があってはならないと改めて思った。消費者・利用者のニーズを考えてこそ,それは初めて有効なサービスになるのであって,行政が行うサービスというのは何となくかたちだけあればとりあえず面目つくだろうというような感じがする。
 民間でギリギリのところでやっている人たちは行政の至らない面を補っているのに,それに対して何の援助もない市役所には疑問を感じる。あきれてしまう。
 なぜもっと本音の話し合いができないのだろう。
→本音で話しちゃったら実行しなければならないからかも。

●与えられる福祉から選ぶ福祉へという動き。確かに行政の対応の遅れということはあげられると思います。しかし,民間(在野)からの新しい福祉の構築はどこまで可能なのでしょうか。少々理想論であるように思えてなりません。
→無論すべての役割を民間が担うべきであるとは思っていません。行政にはもっと頑張って欲しい。しかし行政という仕組みも長短併せ持っているがゆえに,その果たすべき役割をきちんと考えなければならない。次のコメントでも多少書きます。

●非営利団体などは,大抵障害をもつ人の家族など身近なところからはじまると思われるので,行政などに比べニーズに対応しようとする姿勢が強いのは当然考えられることだと思う。
 こうした草の根の組織が一番実情に対応しているのだろうから,こうした組織のニーズへの対応力と行政機関の組織力,事務処理力などお互いのよい点が組み合わさればよいと思うのですが。
→公的サービス,民間のサービス,NPOなどのサービス,インフォーマルな身近なサービス,など,様々な種類の人たちがサービス提供の可能性を持つようになってきました。それぞれに長所と短所はあるのですが,そのあたりについては「福祉ミックス」と称して次回話をしたいと思います。私も言いたいことがあるので。

●つくば周辺にも,障害者やその介護者のニーズに答えられるような(VTRでやっていたような)施設はあるんですか?
→「コンビニハウス」や「のっく」のようなところはありません。知っている人は多いし必要性も認めるのですが,まだありません。やる人がいないのです。知人と,つくば市・土浦市及びその周辺を対象領域として立ち上げればなんとか運営できるのではないかと考えたことはあるのですが....。誰かやる人いませんか?


【コーディネータ事業】

●サービスを紹介したり,アドバイスをする「コーディネータ」にも興味があるので,そのへんの資料があればお願いします。
●サービスを求める個人に対して様々な施設やサービスを紹介する「コーディネータ」というのは,Social Worker とはちがうのでしょうか。あまり詳しくわからないのですが,何となく今まであった仕組みを新しく言い変えただけのような印象を持ってしまいました。
→私も詳しいことは知らないので,間違ってたらご指摘ください。ソーシャルワーカと言われる方々の果たすべき役割にもいろいろあります。来談された人と個別に対応してニーズを明確にし,必要なサービスに結び付けることを通じて共に問題解決を図るとか(casework),集団を通じて援助するとか(groupwork),地域社会に働きかけて暮らしやすいシステムづくりに貢献するとか(community work, social action),その他にも幾つか挙げられます(social administration, socialwork research, care management, etc.)。そのように見た場合,コーディネートはその中のひとつに含められる機能だと思います。じゃあ何故コーディネータ or 生活支援ワーカ業務(「障害児(者)地域療育支援事業」)なのかと言えば,地域の障害福祉関連資源を積極的・能動的に結び付け機能させる役割を,従来よりそのようなノウハウや手段を持っていた施設職員も果たすことが求められたということなのでしょう。
また,今までみてきたような自立生活あるいは介助者派遣業務などの領域においても,介助を希望する人と介助提供する人を適切にマッチする役割の人もコーディネータと呼ばれますね。こちらは役割がさらに限定的・明確だな。
「障害児(者)地域療育支援事業」の資料希望がありましたので,以下のものを用意しました。途中で事業名称が変化していることに注意しながら読んでください。

◆福岡寿:コーディネータの視点から.愛護,452,27-31,1994.
◆福岡寿:生活支援事業.発達障害白書1997年版(日本精神薄弱者福祉連盟編),141-142,日本文化科学社,1996.

【コンビニハウス】

●「コンビニハウス」のような事業は,赤字の問題を抱える所は多いと思う。行政の対応に目をひからせていたいと思った。
●コンビニハウスのような施設は,ボランティアの方の家を改造したものなんですか。とてもアットホームな印象でしたが。
●レスパイト・サービスは,家族のやすらぎが大きな目的かもしれないが,本人も普段と異なる人と知り合うことにより,もっと障害者が地域に出るきっかけになると思う。
●今日見たのは,名古屋市の現状でしたが,これは全国的にみて,平均レベルなのでしょうか。それとも平均以下なのでしょうか。日本で一番制度,設備がととのっている地域はどこで,どの程度まで整備されているのか教えてください。
 地方行政の指針のちがいで地域格差がでてきてしまうのはなぜでしょうか。全国的に国としてのおおまかな方針がもっと前面に出てきて,もっと進んだものであったら,地方行政の関心や対応もかわってくるのではないかと思いました。必要にせまられているのだから,早急な対応が望まれていることについて,各行政の考え方をしりたいです。
→コンビニハウスの場所ですが,確認したわけではないですけど,ふつうの家を使っているのでしょう。このサービスの場合,大抵普通の家を使います。アパートの一室を借りてやっている人もいます。いつも暮らしている家庭とできるだけ同じ環境を用意したいと考えるからです。
名古屋が全国的に見てどのようなレベルなのかはわかりません。ただビデオで見たような,補助次に,行政が金をそう簡単には出さない(出せない)姿勢は一般的ではないかと思います。地方によって格差が出ているのは,予算の違い,担当者の考え方の違い,利用者の働き掛けの違い,などなど多様なので,一概には何とも言えません。日本でいちばん設備の整っている地域はどこかという質問ですが,障害福祉全般だったら東京・大阪・横浜などの大都市がそうかもしれない。

●介護者の負担・疲労を軽減する為のコンビニハウスはすばらしい活動だと思う。毎年度末に同じ道路を何度もほじくり返すよりも有益な活動だと思うし,援助金がないのは大変だろう。行政がもっと柔軟に変化していけばよいのに…。
 ただ,現在行われている宿泊や通所のサービス提供時に起きたトラブル(転倒による障害や,誤嚥性の肺炎がおきる他)が生じた時はどうされているのだろうか?決して,全く事故とかおきないとは思えないが…保険などあるのだろうか?(旅行には損害保険ありますよね)訴訟はおきたりしないのだろうか?
→保険をかけるのがこのサービス領域では一般的になっていると思います。ボランティア保険という必要最低限のものだけでなく,もっと保障の大きいものもかけます。これは多少の業者が取り扱っています。またもしものことがあったときのことを想定して書類を取り交わす場合もあります。海外ではよく行われていることですし,日本でも指針として提唱されたことがあります。しかし,実際には口頭だけだったり案内のしおりに一言書いてあるだけだったりと,対応はまちまちです。
それから,利用者の状態によっては医療に近い行為を行わなければならないこともあるのですが,スタッフは研修などによって準備しています(という場所もあります)。


【ゆうゆう】

●私自身,知的障害者(普段,働いている)の余暇活動(仕事先が休みの日)に付き合ったことがある。週に一度通っている施設が経営しているグループホームの人たちが,会社の休みがいつもウイークデイで,施設の指導員の方々も一緒にどこか行ったりできないので代わりにお願いします…ということだった。指導員の方々は「忙しいところを…」という申し訳ない表情を常に浮かべて,費用(足代や活動の費用)を下さったりするのだが,そうされてしまうことで,こちらも「友達として普通に会って一緒に遊びたい」のだが,何となくそう思うことができなかった。何と言うか,活動の「監視役」のようなことを求められている気がして…。これからはもっと親しい関係を築き上げてゆき,「ゆうゆう」のボランティアの人のような気持ちになれたら,と思う。
→「community friend」とか「contact person」などの考え方があります。外出時に連れ立って出掛け,一緒に楽しみ,必要に応じてサポートするというもので,「ゆうゆう」さんも入るでしょうか。利用者さんと地域を結ぶ,重要な役割を果たします。そういうのがもっと広まればいいのにね。
まだこぢんまりとした活動ですが,学生有志がそのような活動を始めています。もし関心がありましたら声をかけてください。紹介します。


【在宅に対する疑念】

●自分の子供であれば,めんどうをみていけるのだろうか。国は何でも在宅在宅と家に帰したがるが,家族はその人一人一人が人生の主人公であるから,受け入れもできないのに無理矢理家に帰すのはどうかと思う。
 生活を支えなければならないし…。
 前のコメントで入所施設は全てなくすべきだという主張もあるとあったが,「24時間の介護をあんたがやってから言ってよ」と言いたい。
 また,主たる介護者(例:親)がいなくなった場合,その人はどこに寝泊りすればいいのだろうか。
 すべてをなくすことはできないと思う。
 通所施設は増やすべきである。
→すべての入所施設を無くせるのかと言えば,現在の状況では困難な気がします。施設から地域へ出たときの受け入れ態勢が充実していないから。少しずつ出来るところから変わっていっているところなのでしょうか。またバックアップ施設なりソースセンターなりの施設機能は各地に存在する必要があるでしょうしね。その辺は若干お話ししたと思います。ただ大規模で自由と主体性尊重が保障されずスケジュールが画一的で遠くの山の中に作られるような施設はこれ以上要らない,との思潮は広まってきていると思います。
通所施設はいろんな形で出来ている。


【その他】

●この授業を受けてもう6回(?)になりますが,この授業によって気付いたことは,私はすごいエゴイストなんだということです。「障害者=かわいそう,だから介助をしてあげなきゃ,私がやらなきゃ誰がやる」という考えが,今までずーっと私の心の中にあって,でもこの授業を受けて,そういう考えがめちゃめちゃ汚く思えた。こんな考えの人が介助するよりも,もっと自発的な,気負いのない人々がしたほうがいいと素直に思ってしまった。でも全く興味がないわけじゃないので,「手が足りない」などと言われると,「あー,どうしよう」ってなってしまいます。福祉活動は,大学に入ってからしたいことの一つでしたが,なぜやりたいと思ったか,それは「人にえらいと思われたい」からだと,いやがおうにも気づかされました。こんな状態で,介助やその他福祉活動ができるとは思えない。自分がとてもちっぽけでイヤな人間に思えます。もっと自分を鍛練して,心の大きな(ゆとりのある)人間になって,それからかな,と思います。ゆうゆう通信のBさん(インタビューを受けている人)みたいに,気負わないで活動できるのが Best だと思います。
→Bさんも初めから気負わなかったわけでもないでしょう。あなたの考えがエゴイスティックだとも思わないし。「あー,どうしよう」と思ったらそれで始めてもいいんじゃないのかな。この授業をきっかけに介助に入った方もいらっしゃるのですが,彼女も「やってみたらふつうだった」とおっしゃっていることですし,どうぞ手近なところで何かしていただけるのでしたら,それもよいかと思います。もちろん無理強いはしないけど。

●たしか,付添人制度が廃止になったとか新聞に載ってたんですけど,頭が混乱しているので,説明して頂けたら幸いです。
→病院での話ではないですか?

●サービス,サービス,サービス…,サービスと名のつく事業が山盛りです。正直,身体障害者福祉論の授業で,こんなに「サービス」という言葉を耳にするとは思いませんでした。障害者のニーズに答える手段としては,もはやお金を媒体とするような「サービス」で対応するのが通例なんですね。
 「ボランティア活動」と「サービス活動」って,私のなかでは機能として全く異なるものなんですが,実際はそれほど大差はないものなのでしょうか。
 ただ単に,私個人の「サービス」という語に対するイメージが良くないだけなのかもしれませんが,「サービス」と言われたときに,すごく表面的な関わりしか結べない,という印象を受けてしまいます。「サービス」って言うと,自分の守るべき領域が明確になるから楽なのかな。
→日本ではそうなのかもしれません。でも海外(英語圏?)では「service」はもっと広く使われていると思います。例えば英国では福祉や公衆衛生などとともに教育・所得保障・雇用・住宅などについてもひっくるめて「社会サービス(social services)」と言っているそうです。またアメリカ合衆国の「保健福祉省」(訳し方はいろいろある)は "Department of Health and Human Services" と言います。対人援助サービスは広く human services と呼ばれるので。

●今日先生が,外車を買いたいといっていた障害者の方のことを話されましたが,私は障害者といっても,片方の目だけ見えない方や,聴覚障害の方,下半身の自由がきかない方などが車の運転をするということについてはなんとなく聞いたことがあったのですが,脳性マヒの方(たしかそうでした。自分のことは全て自分でできるようです。しかも,何も知らない私は,その方は知的障害者だと思ってました。)の運転する車に乗る機会があり,驚きました。驚いたのは私が変な先入観を持っていたからでしょうが,もちろんその方は安全運転ドライバーでした。
 今日自分の車を整備に出してきて,代車なんですが,パワステがついていません。車庫入れ一つで,すっごい疲れました。パワステがなくても,私にとってはえらい疲れるってだけの問題ですけど,人によっては,パワステが開発されて運転が可能になったっていう人もいるんじゃないかと思いました。オートマ車とかも,ただ便利というだけでなく,利用者の幅をひろげたんだろうなと思いました。
→そう,利用者の幅をずいぶん広げたと思います。そのような援助テクノロジーが近年ずいぶん紹介されるようになってきましたね。脳性まひで操作に不自由なところがあっても,運転を可能にする技術などもそのひとつですね。余談ですが,友人の車を譲り受けて(安く買って)乗っていたことがあります。その車も下肢を使わなくともよい構造になっていました。

●余談ですが,うちの妹は障害者年金をもらっています。ある時,作業所で知りあった人より情報を得て,自分で生活するから…と両親につめよったことがあります。日々の生活でも自己管理が難しく,金銭管理もままならず,状態の良い時,悪い時の差が激しい状態でした。話せない状況もありますが,その時私は,彼女の権利について考えました。しかし,どう客観的にみてもむずかしい状況でした。結局家出して人の家にいった妹を何日もかけて説得した覚えがあります。つい思い出してしまいました。
 その人の身体面,精神面,そしてサポートする人,状況の有無などを十分にアセスメントしていかないと主体性の問題も解決していかないと思いました。アセスメントで主観が先立つと公平なアセスメントができずに,障害を持つ人の可能性が狭められるし,解決困難な問題ができるのでしょう。別に自立をメインに考えているわけではなく,その使用方法も十分に話し合えるとよいのでしょうか?
→一般論として言えば,本人に明確な希望があるのなら,“生活”を将来の目標に置いて,日本の仲間たちがどのように暮らしているのか,その時に必要なサポートには何があるかなどを学習していければ望ましいと思います。しかしご承知の通り,日本のどこであっても必要なサポート体制,社会資源が整っているわけではないことも事実です。ただし妹さんの話は具体的な状況を知らないと何とも言えません。身体障害だけではないのですか? だとすると,知的な障害のある人に関しては,本授業で話していないことがたくさんあるんです(後述のグループホームの現状とか)。
ところで後半の文章にあった(サービスの)使用方法についてですが,民間の事業体(コンビニハウス,のっく,ばおばぶなど)であれば希望に応じていろんな形に使っていくことが出来ますので,相談してみたほうがいいでしょう。メニューとして無いからと断られることはないと思います。ただスタッフの数やスケジュールなどとの絡みで制限は出てくるでしょう。

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