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質問・意見に対する回答,もう一回(中村氏より)


かなりびっしりと書いてくれたのでもう燃え尽きたかに思われた中村氏ですが,「まだ書き残した部分がある」と追加コメントを寄せてくれました。なんだかもう,脱帽です。


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■トーキングエイドを使えない時の合図
○トーキングエイドを使わずに近くの人を呼ぶ時は、足で床をたたいて呼びます。
○簡単な足での合図もあります。足を縦に振ると「はい」、横に振ると「いいえ」の合図です。
 両足を使って四角形っぽいものを描く時は、トーキングエイドまたは文字シートで喋りたいという合図です。ちなみにこれは、マニアックな合図です。(笑)

■通学、通院、…
○雨の日の通学は、車椅子用のレインコートを装着していきます。そのはずですが、最近は一人で出ることが多く、レインコートをつけずに濡れたまま行くことが多いです。 それでたまに、傘をさしてくれた人とそのまま友達になってしまうという、荒技を炸裂させています。
○学内バスは待ち時間も考えてバスの方が早い時に使います。具体的には、一の矢から大学会館以南までに行く時です。その逆も、松美池バス停以南からなら乗ります。
 ちなみに、電動車椅子で一の矢から大学会館まで所要時間約30分です。
○現在病院には通院していません。学類の頃はパチンコ屋には通ってましたが。(笑)

■介助の入り口で悩んでいる方へ
☆迷える子羊よ、祈りなさい。(ちがうって)
○「私も介助に参加してみたいです。でも自信がありません。」と書かれていた女の人がいました。何に自信がないのでしょう?
 僕の介助で女の人がする主な仕事は、料理です。料理に自信がなくても、僕はなかなか失敗させません。失敗するパターンをある程度知っていますから、事前に指示して回避できたりします。失敗しても、テーブルでの味付けも心得ているつもりなので、食べられる物にはなります。 例えフォローをしようがない失敗でも、笑って食べてますよ。
☆この講義で僕を知って、今夜もう二回目の介助に来る人がいます。加えて一回目の経験者が二人います。その人たちは、上のことがよくわかったでしょう。(笑)
○「一言に介助とか言っても難しいのではないでしょうか。突然、用事が入ってしまった場合、迷惑をかけるし…、大変です。」とだけ書かれている紙がありました。書いている途中だったのかも知れませんが、この人の書こうとしている意図はよくわかりませんが、言葉どおり捉えてみましょう。
 介助の依頼を受けた以上は、責任を持って来てほしいです。それが前提でボランティア介助が成り立っているんだと思うのです。それは「人との約束を守ること」として、当然の心構えだと思います。 ある介助グループでは、急に来れなくなった介助者は自分の周りで代役を探させるようにしているようですが、僕の介助グループでは、僕に連絡が来るようにして僕が代役を探すようにしています。

■介助者の態度
○「断れなくて介助している人って、見ていてわかるんですか?」と書かれているのですが、断れなくて介助しているというシチュエーションは極力避けています。介助の依頼の時から、頼んで少し渋ったら「他の人に頼む」と言うようにします。これを書いた人は、断れなくて介助をした経験をお持ちなのでしょうか?
○介助の人が来れなくなって急に代役を頼む時など、すぐ介助に入ってくれる場合は、「この人疲れているのに来てくれているな。」という時があります。その時は、必要なことだけやってもらって、次に来る介助の人に頼めるようなことはその人には頼まず、早く帰ってもらうようにしています。
○介助している態度のことで言うことは、「子供に対するような態度で接するのはやめてほしい」ということぐらいですかね。一応大体年上なんだし。
○経験を積んだ介助者だと、指示の意図を先読みして早く対応してくれます。ですが「次これこれですよね。」という確認は忘れないでほしいですね。

■介助の時間以外の問題
○一番時間を取られて疲れる作業が、排泄でしょうか。眠い時の尿意が最悪で、足で下の服を脱ぐために寝そべってそのまま居眠りなんてことがしばしば。
 無事に完了すればいいのですが、やっぱり時々間に合わない時があります。そういう時は近くに住んでる男の介助者の部屋に電話をかけまくり、来てもらいます。 同じ人にやってもらいがちになるので、トイレは気をつけなければいけないと思っているのですが…。
○介助シフト決定のための電話かけにも、結構時間を取られています。曜日でグループわけをしているので、誰か一人にシフト決めを任せれば楽なのですが、適任者(当分その曜日にいてくれて、仲良くて忙しすぎず介助をやめないなという人)が見つからず、火・水曜日の係はいるのですが、ほかの曜日は委任に踏み切れていません。
○夜介助の時間が長引くと、電話がかけにくい時間になってしまい、「明日の朝介助決まってないけど、もういいや。」ってこともしばしばあります。


■介助の勧誘
○ポスター・ビラは自分で作っています。誘い文句も自分で書きたいし、強調したいところも自分で考えて遊びながら作るのが楽しいからです。せっかくカラープリンタを持ってるんだし。(笑)
 知り合いで某CMの「Zehi!」のマネをよくする人がいるのを思い出して、あの「おいでませ」的な精神は、僕の介助グループの「来てみて」的な勧誘精神にマッチすると思い、あのロゴマークができあがりました。
○「どうして沢山の人が集まるのか」という疑問が書かれていましたが、思うところを書いてみます。(調子に乗っちゃうよ、おにーさん。)
 勧誘に出ている時などは、笑いかける顔に気をつけているような気がします。ひきつらないように笑うということだけなのですよ。あとは、目を見て話を聞くということですかね。その時も顔の力は抜いてますね。 女の人に対しては、これが自然にできるようになっているのです。意識して慣れておいたおかげでしょうけど。それと、こちらを見て笑いかけてくれる人は、やっぱりこちらの好感度も大きいですから、「仕掛ける」一瞬の早業も決まりやすいのです。良く見える女の人は大体話に慣れていてうまいという経験則も、「仕掛ける」際の思い切りのよさの後ろ盾になっているのでしょう。そういうことで、今年度の勧誘の方法では効率がいいのです。実際、笑いかけてくれた人は、大体すぐ話ができますね。そこから介助に引き込めるかは、その人の忙しさ次第でしょうか。
☆早業って何をするか説明してませんね。ふふふ、秘密にしておきましょう。(笑)
 男の人に対しては、あんまりそういう「色目」的なことはできていません。男の人に色目を使っている自分が嫌だからでしょう。 しかし男の人の介助者は足りていないので、また「こんなのありかい」というポスターを考案中です。乞うご期待。(笑) もう一つ、お喋りの秘訣を一つ見つけたということがあります。「相手を知ろう」とすることです。お喋りしているうちにうちとけて、離れにくくなります。 逆に言うと、話せなくなる人とは疎遠になりがちです。実を言うと料理の趣味が合わない女の人も、つらいっすね。 まぁ、忙しくて介助に来れなくなった人でも、僕と一緒にご飯を食べたりお喋りしたりしたことが、その人の中に残るわけで、「こんな障害者もいるわけね」と思ってくれればいいのかなと思っています。

■「障害」
○「かなり重い障害を持ちながら」とか書かれていましたが、あんまり「障害を持っている」という自覚はありません。幼稚園から始まって今まで付き合って来た人たちが、大体「障害を持っていない」人だったというのが大きい要因かと思います。
☆自覚がないっていうと、それで人に世話されているのはどういうことだ、というつっこみが来そうですが、それも人付き合いやそれに関する気遣いの範疇として片づけています。とは言っても、介助の時の人への頼み方は、それとは違うものですが。(わかりにくい表現で、ごめんなさい。)
○確かに、生まれた時からこの体に慣れ親しんできたからかもしれません。中途障害の方は体の変化に対応することが難しいと思います。
○質問のアプローチが違うのですが、去年の対談の回答にも、これに関することを書いたので挿入します。

☆引用ここから

■僕にとって障害とは何?
 一言で言うと、個性の一つにしか過ぎません。僕自身も障害につき合っていくわけですし、他の人も僕の障害もひっくるめてつき合ってくれるわけです。 「それじゃいけない」という意見もあります。 確かに、個性というものだけで、例えば交通機関が半額で利用できたり、映画が1000円で見れたり、ディズニーランドのアトラクションでは並ばずに優先的に入れてもらえたりするのは、おかしいことなのですが。 (と、言い忘れた事をさりげなく主張してみる。(笑)) このことに引っかかった人は、去年の講義の回答にフォローがありますので、名川先生のホームページでご覧下さい。
 このことに関連して、僕は障害者・健常者という言葉の使用を、極力避けています。

☆引用ここまで

■上の続き
☆中途障害に関する知識・またはその人脈がないので、そのつもりでお読み下さい。
○中途障害の方には体の変化もありますが、付き合う人も変わったりすると思います。それを受け入れられるかどうかが大きいと思います。
○「人を助けながら付き合うのが好き」という人がいるということを、なかなかわからないのではないでしょうか? そういう人たちとの付き合いが、自然と多くなります。「気持ちのいい補助のされ方」を知ることが大切だと思います。
 今まで付き合ってきた人たちも「助けながら付き合う」ということを好きにさせてしまうことができれば、ハッピーなのではないでしょうか?

■「それじゃいけない」って 何が?
○「それじゃいけない。」の続きを一つ、本筋の一つを書いてみます。介助というものを、それを必要とする側と供給する側の両方が、快適に利用できる物にしなければいけない。そのためには、「個性に付き合う」「人付き合いの中の介助」だけでは、支障が出てくる。介護保障の出発点は、この辺にあると思います。
○僕は大学内にいる間は、ボランティア介助者だけで何とかなっていて、それで楽しくて満足しているので、このまま行ってやろうかなという感じなのです。
☆他にも「差別」という観点から、議論している人たちもいます。
○僕が大学を出て、介助を受けながら生活できるようになったら、行政の資金を引きだしてもらって、それを元に有償の介助者も混ぜて利用することになるでしょう。ボランティアの介助者も、混ぜることになるでしょう。
そうすると、また違った問題が出てくるかもしれませんが。
☆現状だと、この表現がぴったりだと思います。

○この回答集に対しての感想・意見・さらなる質問、僕はむしろ皆さんから聞きたいです。先生に提出する紙に書くなり、メールを送ってくれるなりして下さい。待ってまーす。

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筑波大学修士課程 理工学研究科2年 工学システム分野構造工学系 山海研究室所属
中村 彰 (e-mail:koumei@jks.is.tsukuba.ac.jp)


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