かなりびっしりと書いてくれたのでもう燃え尽きたかに思われた中村氏ですが,「まだ書き残した部分がある」と追加コメントを寄せてくれました。なんだかもう,脱帽です。
■介助の勧誘
○ポスター・ビラは自分で作っています。誘い文句も自分で書きたいし、強調したいところも自分で考えて遊びながら作るのが楽しいからです。せっかくカラープリンタを持ってるんだし。(笑)
知り合いで某CMの「Zehi!」のマネをよくする人がいるのを思い出して、あの「おいでませ」的な精神は、僕の介助グループの「来てみて」的な勧誘精神にマッチすると思い、あのロゴマークができあがりました。
○「どうして沢山の人が集まるのか」という疑問が書かれていましたが、思うところを書いてみます。(調子に乗っちゃうよ、おにーさん。)
勧誘に出ている時などは、笑いかける顔に気をつけているような気がします。ひきつらないように笑うということだけなのですよ。あとは、目を見て話を聞くということですかね。その時も顔の力は抜いてますね。
女の人に対しては、これが自然にできるようになっているのです。意識して慣れておいたおかげでしょうけど。それと、こちらを見て笑いかけてくれる人は、やっぱりこちらの好感度も大きいですから、「仕掛ける」一瞬の早業も決まりやすいのです。良く見える女の人は大体話に慣れていてうまいという経験則も、「仕掛ける」際の思い切りのよさの後ろ盾になっているのでしょう。そういうことで、今年度の勧誘の方法では効率がいいのです。実際、笑いかけてくれた人は、大体すぐ話ができますね。そこから介助に引き込めるかは、その人の忙しさ次第でしょうか。
☆早業って何をするか説明してませんね。ふふふ、秘密にしておきましょう。(笑)
男の人に対しては、あんまりそういう「色目」的なことはできていません。男の人に色目を使っている自分が嫌だからでしょう。
しかし男の人の介助者は足りていないので、また「こんなのありかい」というポスターを考案中です。乞うご期待。(笑)
もう一つ、お喋りの秘訣を一つ見つけたということがあります。「相手を知ろう」とすることです。お喋りしているうちにうちとけて、離れにくくなります。
逆に言うと、話せなくなる人とは疎遠になりがちです。実を言うと料理の趣味が合わない女の人も、つらいっすね。
まぁ、忙しくて介助に来れなくなった人でも、僕と一緒にご飯を食べたりお喋りしたりしたことが、その人の中に残るわけで、「こんな障害者もいるわけね」と思ってくれればいいのかなと思っています。
■「障害」
○「かなり重い障害を持ちながら」とか書かれていましたが、あんまり「障害を持っている」という自覚はありません。幼稚園から始まって今まで付き合って来た人たちが、大体「障害を持っていない」人だったというのが大きい要因かと思います。
☆自覚がないっていうと、それで人に世話されているのはどういうことだ、というつっこみが来そうですが、それも人付き合いやそれに関する気遣いの範疇として片づけています。とは言っても、介助の時の人への頼み方は、それとは違うものですが。(わかりにくい表現で、ごめんなさい。)
○確かに、生まれた時からこの体に慣れ親しんできたからかもしれません。中途障害の方は体の変化に対応することが難しいと思います。
○質問のアプローチが違うのですが、去年の対談の回答にも、これに関することを書いたので挿入します。
☆引用ここから
■僕にとって障害とは何?
一言で言うと、個性の一つにしか過ぎません。僕自身も障害につき合っていくわけですし、他の人も僕の障害もひっくるめてつき合ってくれるわけです。 「それじゃいけない」という意見もあります。 確かに、個性というものだけで、例えば交通機関が半額で利用できたり、映画が1000円で見れたり、ディズニーランドのアトラクションでは並ばずに優先的に入れてもらえたりするのは、おかしいことなのですが。 (と、言い忘れた事をさりげなく主張してみる。(笑)) このことに引っかかった人は、去年の講義の回答にフォローがありますので、名川先生のホームページでご覧下さい。
このことに関連して、僕は障害者・健常者という言葉の使用を、極力避けています。
☆引用ここまで
■上の続き
☆中途障害に関する知識・またはその人脈がないので、そのつもりでお読み下さい。
○中途障害の方には体の変化もありますが、付き合う人も変わったりすると思います。それを受け入れられるかどうかが大きいと思います。
○「人を助けながら付き合うのが好き」という人がいるということを、なかなかわからないのではないでしょうか?
そういう人たちとの付き合いが、自然と多くなります。「気持ちのいい補助のされ方」を知ることが大切だと思います。
今まで付き合ってきた人たちも「助けながら付き合う」ということを好きにさせてしまうことができれば、ハッピーなのではないでしょうか?
■「それじゃいけない」って 何が?
○「それじゃいけない。」の続きを一つ、本筋の一つを書いてみます。介助というものを、それを必要とする側と供給する側の両方が、快適に利用できる物にしなければいけない。そのためには、「個性に付き合う」「人付き合いの中の介助」だけでは、支障が出てくる。介護保障の出発点は、この辺にあると思います。
○僕は大学内にいる間は、ボランティア介助者だけで何とかなっていて、それで楽しくて満足しているので、このまま行ってやろうかなという感じなのです。
☆他にも「差別」という観点から、議論している人たちもいます。
○僕が大学を出て、介助を受けながら生活できるようになったら、行政の資金を引きだしてもらって、それを元に有償の介助者も混ぜて利用することになるでしょう。ボランティアの介助者も、混ぜることになるでしょう。
そうすると、また違った問題が出てくるかもしれませんが。
☆現状だと、この表現がぴったりだと思います。
○この回答集に対しての感想・意見・さらなる質問、僕はむしろ皆さんから聞きたいです。先生に提出する紙に書くなり、メールを送ってくれるなりして下さい。待ってまーす。
--
筑波大学修士課程 理工学研究科2年
工学システム分野構造工学系 山海研究室所属
中村 彰
(e-mail:koumei@jks.is.tsukuba.ac.jp)