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質問・意見に対する回答(第2回分,中村氏より)
第2回分については中村氏より以下の様に直接返答をいただきました。どうもありがとうございます。一気に書き上げて結構へとへとになったそうです。しかし,7ページの大作になるとは....
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■はじめに
皆さんのご意見・ご感想・ご質問を見て、僕も色々な感想を持ちました。
「照れちゃうなぁ」とか、知っている名前を見て「あれ
いたんだ」とか、「聞き違えしてますね。あなたの期待に添えなくてごめんなさい。」とか、「これを語れというのか…(プルプル)」とか、「この人
自分の偏見に気が付いてないで書いている。」とか、いろいろ面白かったです。僕を照れさせてくれた人、お褒めの言葉ありがとうございます。
皆さんからの疑問に対する答え・僕が気になったことを、ある程度まとめて書いていきます。読みやすさにこだわらずに気楽に書きますので、括弧や句読点に注意してお読み下さい。(笑)
■経歴など
僕は理工学研究科所属、正確には3年次2年です。(留年しました。留学はしていません。もう一年学生をしたかっただけです。ハイ。)
経歴から行きましょうか。
○僕の障害の所以は、出生時にうまく出てこなかったことかららしいです。出生時の酸素欠乏により、脳細胞が多数お亡くなりになられたようで。
乳幼児の頃は障害に気が付かなかったそうですが、2歳になって首が立たなくておかしいということで、医者にみせたら「脳性マヒ(アテトーゼ型)」と診断されました。
それから、色々なリハビリ施設に入院したり通ったり。それはもう大騒ぎだったようです。
○幼稚園にも一年通いました。ここで親は普通に人と過ごすことの大切さを実感したようです。
○僕の初等・中等教育に関する質問は出ていなかったのですが、皆さんの中でそうであろうと思われている想定があるとしたら、おそらくそれは事実と違うので、書いておきます。
両親とその友達が、学校・行政をねじ伏せるような形で、近所の普通小学校の普通学級に入学させてくれました。
すんなりそのまま自宅から徒歩一分の公立普通中学校に進学し、都立の普通高校を受験して合格、進学しました。
普通学校通学の間には、小・中学校の最後の方にいじめらしきものを受けてしまいましたが、今の僕の「人と接していることが当たり前であること」と、人間関係に対するタフさのベースは、ここにあると思います。普通小学校に入学させてくれた、両親に感謝しています。
(このへんの話は、知りたい方もおられるでしょうが、この講義の内容からは逸脱するので、深いつっこみは個人的に受け付けます。)
○小学校の中学年あたりから座位がとれるようになり、それからテスト・中間・期末試験は足で字を書いて回答するようになります。
中学校の試験から、解答用紙拡大・試験時間延長の別室受験で試験を受けるようになります。高校の受験でも、それらが認められました。試験時間は1.3倍の延長でした。
○大学受験は推薦入試でした。小論文と面接でした。小論文の受験に際しては、ノートパソコン・プリンタの持ち込みと、1.3倍の試験時間延長が認められました。面接は、学類の教官がほとんど勢ぞろいしているというすごい光景の中で行われましたね。(笑)
大学院の試験は、自前のデスクトップパソコンとディスプレイとプリンタを持ち込ませてもらい、数式だけは足で字を書いて、印刷する文書に挿入する場所を指定して回答を完成させるという方法をとらせてもらいました。時間延長も希望通り認められました。
■研究の仕方・計算機の操作
○僕の研究は、今のところ計算機上のみで進めています。一昨年の秋に自分の部屋にパソコン(DOS/V自作機)を新たに購入し、研究室で使われている計算機のシステムと同じシステムを導入させてもらい、ほぼ在宅で研究を進めています。学校でもらっているメールアドレスには、宿舎の内線を用いて読み書きしており、WWWも見られるようにしています。
○計算機の操作は、トラックボール(早く言うとマウスをひっくり返したもの)と普通のキーボードを使用しています。
足でのタッチタイプをしやすいように、キーボードの大体一つおきのキーにマーカーを貼り付けています。そのマーカーのおかげと、多分普段チャットをしているおかげで、キータイプは速い部類に入ると思います。
○研究室内での作業が必要な時は、なるべく介助者に付き添いをお願いしています。
■障害のある人と計算機(の幸せな関係)
「コンピューターの導入によって、体に障害のある人の生活にどのような影響があると思いますか。」とだけ書かれた紙がありました。
回答者として僕は適任なんでしょうが、こういう広い聞き方をされると、回答は長くなりますよ。その長さが推測できたので、「プルプル」と来てしまったわけです。
僕の修士論文の研究の背景の章、これをベースにして書けるような気がします。(笑)
いいものを見つけたので、そう長くならないかも知れません。
○計算機をコミュニケーションツールとして見てみましょう。計算機に文字を入力できるようになると、相手にその文字を見てもらって会話ができます。発声ソフトを用いれば、声に出すことも可能です。
重度の障害のある人の多くは、自分での発声が困難なのでコミュニケーションも自由にできません。それが計算機を使うことで、言葉を受けいれるばかりでなく相手に送りだすことができるようになり、双方向のコミュニケーションができるのです。
皆さんには当たり前なことでしょうけど、重要なことだと思います。生きる力・生きがいの大きな要素ではないでしょうか。
○計算機では文章も書けます。文才のある人は、文学や脚本などに生きがいを見出すことができるでしょう。そうでないにしても職業として、プログラマーになる道もあります。
○僕はトーキングエイドも計算機もキーボードを足で使えるので、結構すんなりと使えてる方だと思います。重度の頚椎・脊椎損傷の方や、筋ジストロフィ(muscular
dystrophy)やALS (amyotrophic lateral
sclerosis:筋萎縮性側索硬化症)という徐々に筋肉の力がなくなっていく病気が、かなり進行してしまった方で、体の一部しか動かせなくなってしまう人がいます。
参考webページ:
筋ジストロフィの説明:
http://www.saigata-nh.go.jp/nanbyo/pmd/pmdindex.htm
ALSの説明:
http://www.health-net.or.jp/nanbyo/disease/examine/dis008.html
そのような方でも計算機への文字入力を可能にする工夫・技術が開発されてきました。
○その代表格が、一つのOn/Offスイッチだけを用いて、画面上の文字盤の上で反転カーソルが動いていて(走査:スキャン)、カーソルが目的の場所まで来た時にスイッチを押すことでその場所を選択するという、スキャン方式というものです。
スキャン方式のノウハウ・技術をうまく集めていると思うのが、日立製作所の「伝の心」という計算機システムです。
紹介webページ(http://www.netspace.or.jp/~hke/dennosin/htm/catalog.htm
)に載っていましたので、印刷してもらって配布資料につけてもらいました。
これの目につかないすごいところは、筋力でのOn/Offスイッチの肌接触部がコードレスであることだと思います。
定型句3000個以下という制限の理由が謎なんですが、よくできていると思います。
■介助されている立場の心構え
「介助されている立場の話が聞けてよかった。」という感想が目についたのですが、そういう立場からの話は、対談の時はそう多くは語ってないように思えるのですが。(笑)
「あれで安心されては困る」という気持ちもありますので、出て来た質問・感想を踏まえて、少し詳しく語ってみましょう。
○まず大事なことは「僕の介助がしたくて来てくれてるんだ」ということです。それに奢らず「ありがとう」「おつかれさま」を要所要所で忘れなければいいんだと思います。
介助者に効率のいい指示をして早くスムーズにことを運ばせることで不愉快さをさけたり、介助者に介助を楽しんでもらうことを無意識(時には意図的)にやっています。
○夜に女の子が介助に来た時は、なるべく料理を作ってもらうようにしています。女の子がいるのにレトルト食品だと、女の子も来た甲斐がないでしょう。一緒に入る男も僕も、やっぱり手料理が食べたいですし。(笑)
料理の基本ができる人は、僕の持ってる料理のレシピと僕の指示で、大体料理はおいしくできます。それで料理を体得して行く人も、多数います。
料理の指示も細かくする時もありますが、その時にも細かい指示をされて不愉快にならないように、その前に全体の流れを説明したり、理由を説明して、納得してもらって動いてもらうようにしています。
○介助の人が来ている時は、結構喋ります。世間話ですね。介助者が二人いる場合も、一緒になって喋ります。初対面の人も当然います。そういう時は、相手を知ろうとすると会話が出てきます。
☆「介助している人の話を聞きたい。」と書いていた人間学類2年のあなた。同学類同学年の人には、現役バリバリのボランティア介助者がわんさか(僕の介助グループだけで…また増えましたね…10人弱いますね。)
いると思いますので、直接話を聞いてみてください。あ、あなたが直接介助に参加してしまうというのが、一番の理解への早道かも知れませんね。(にやり)
■介助体制について
○自分の都合ではなくてご飯を食べられないのは辛いだろうと書いてくれた人がいました。けどそれが僕の生活のリズムになっちゃうと、結構平気だったりします。
この夏休みもずっと筑波にいました。皆さん帰省してしまって、人手不足に拍車がかかり、少し辛い思いもしました。(けど、その時はその時で自分だけで解決できるやり方を見つけて、それが「自信」につながります。)
こうやって介助者が足りないのは、僕自身が効率よく介助者を獲得しきれていなかったり、宣伝活動をなまけている時もある自分に、原因があるんだと自分に言い聞かせる事にしています。(トイレがらみの汚物処理の問題とか、介助者不足の問題だけじゃないものもありますが。)
その考え方だと、介助者をうまく集められない人は一人で生活できないということになります。内気とか人格的なことでも決まってしまう事になるので、よくない考え方だと思います。
○実はつくば市内に母親もアパートで暮らしており、怪我などの有事の際には来てくれることになっています。本当はいてほしくないのですがね。
■介助者と友達
○定期的に介助に来ない人でも、友達は結構います。国際のコンパに強引に参加して知り合った人や、今僕は手話サークルに入ってるので手話サークルの人たちとも友達です。サークル活動の時以外は、学校周辺ですれちがった時挨拶する程度なのですが、声をかけてくれるのは嬉しいです。
○その中には介助をやめてしまった人もいます。忙しくなって介助をできなくなるのは、十分にわかるのでそれは気にしてません。
ただ、介助のシフトに入れるかどうか悩む状態ってのは困るので、やめる時ははっきり言ってほしいです。
■設備の改善・不満
○僕は設備に不満があっても適応してしまうタイプのようなので、設備に不満を言うことは少ないです。
○宿舎入居の時に浴室の増設をしてもらいましたが、入学後に頼んで二学期にやっと完成という対応でした。リフト付きの学内バスに関しても、エピソードがあります。
○学内バスもリフト付きにも関わらず、当初は「乗る時は介助者も一緒に。」と言われていたのですが、移動のためだけに介助者を拘束するわけにもいきません。必要な時は無理を言って一人で乗っていました。
そのことを当時の工学システム学類長に相談したら、学類長は親身になって聞いて下さって、バスの運営側にかけあってくれました。
そのおかげで一人で気楽にバスに乗れるようになりました。バスのリフトも手動車椅子対応の窮屈なものから、電動車椅子対応の大きなリフトに付け替えられていました。
#ちなみに,初代リフト付きバスが設置されたのは,私の学類時代のクラスメートが利用するためでした。その頃は確かに同乗する人間が必要で,クラスでローテーション表を作ったもんでした....(遠い目)さて,何年前でしょうか?
(名川より付け足しコメント)
■駅・コンビニなどの店員の補助
○僕が電車を利用する場合、階段しかない駅は駅員を呼び集めてくれて、車椅子ごと持ち上げて上りおりしてくれます。通いつけのコンビニは、店に入ってしばらく店を回っていると店員がついてきて、買い物を手伝ってくれます。会話の仕方を店員に教えており、初めての店員がつく時は知っている店員が教えています。通いつけるって結構重要なことのようです。
☆鉄道の駅は一見階段しかないように見えるのですが、エスカレーターの一部が変形して水平になったり(土浦駅・牛久駅)、ホームの南端にずらっとホームへ行けるエレベーターへの通廊があってそこに案内されたり(東京駅)、階段昇降機のアタッチメントがついていたり(JR新宿駅・JR日暮里駅・JR横浜駅)、大体この三つです。東京駅では車椅子利用者しか見れない光景を見て、妙な優越感に浸ってしまったりします。(笑)
九州のある駅で、ホームの間を堂々と線路を渡らせてもらったこともありました。
本当に階段しかない駅は、荒川沖駅とか…、意外なところでは渋谷駅・上野駅なんかがそうです。
☆対談が終わった後その日に、教室で見た人をコンビニで見ました。会計を終わって何か固いものにぶつかったでしょう?
あれ、僕の車椅子です。よけきれなくてごめんなさい。店員を従えて、結構順調に買い物をしていたように見えたのですが。実際のところどうなんでしょう?
このコンビニの店員、貴重な経験をしているなとか思いながら、その店を後にしました。
○脱線が多くなりましたが、何が言いたいかというと、駅・店での職員の手伝いは、サービスの延長と考えたいのです。「この店で買ってあげてるんだ。手伝ってくれて当たり前なんだ。」と思いたいです。
ですけど、感謝の意は表した方がお互い気持ちいいですから、手伝ってもらった後にはちゃんと表しています。
■将来設計
○就職が決まってないので、回答は苦しいです。
東京に戻って、コンピューター関連の会社に勤めたいと思っています。当初は福祉機器の開発に携わりたかったのですが、この時期になるとこだわりません。
実家は早く出るつもりです。また介助者を集めて体勢が整い次第、一人暮らしを始めようと思っています。どこかの駅前でまた人集めの技を炸裂させていることでしょう。
☆いきなりでも、実際に会ってみた方が、「介助」ということがどういうことがわかりやすいようです。それで「ボランティア」という言葉が流行してくれてるおかげで、その言葉を使うと心ある人はすぐ応じてくれるのです。(笑)
○結婚のことを聞かれたのですが、恋愛結婚を目指すでしょう。子供は3人ほど欲しいですね。
○結婚ができて同居しても、介助者は入れるつもりです。介助を受けるために結婚するのではないし、一人の介助の負荷は軽い方がいいですから。
☆未だに彼女イナイ歴25年が消えないのですが、ここ3年間は結構そっちの方に努力を注いでいます。その前に大失敗を犯してしまって、それ以来女の子に強くなろうと決心したわけで。次の運命の出会いに備えて、とでも言っておきますか。(笑)
聞かれてないけど、おにーさんデートのこと語っちゃうよ。(笑)
デートに誘うのも、かなりうまくなっているようで、気に入った女の子は結構早い段階で誘って、デートに持っていけます。女の子の方も、誘われることはまんざら嫌いじゃないみたいですよ。当り前のように誘うと、あっさりOkがもらえるようです。(男性諸君のための、余計なお節介。)
誘ってデートをして話していたら、彼氏がいたということも二回ほどありました。ですけど、その時のデートはメチャクチャ楽しかったから、それはそれで良かったなと思っています。
デートを先行させる利点は、僕のデートのスタイルを、僕とデートする時の介助などの感覚を説明抜きで知ってもらえることだと思います。他にも僕のおしゃべりや、知ってもらえることがありますし、僕も相手を知るいい機会なのです。それに、楽しい時間じゃないですか。(笑)
例え黙ってしまっても、いい思いなのです。
相手には「お出かけの介助」と認識されているかも知れませんが、デートできるのならこの際そんなことはどうでもいいのです。(笑)
逆にそういう認識が可能だからこそ、ほいほいOkが取れちゃうのかも知れません。僕って結構おいしい立場
☆(笑)
友達には「手が早い」とか言われていますが、可愛い人は早い者勝ちでしょう。(笑)
今、どうだかって? それは内緒☆
☆こういうことを言える僕です。トーキングエイドを使って話してて疲れるなんてことは、言いません。ただ疲れてくると、使わなくなってくるのかな。まあそれは、疲れてくると口数が少なくなる、という感じで捉えておいて下さい。
■ニュアンス・フィーリング
○「ニュアンスやフィーリングをうまく表現できないで悩んでいるのでしょうね。」とか勝手なことを書かれていたのですが、これを書いた人は対談の時には僕の顔がよく見えてなかったのでしょうかね。
確かに不随意運動は、手などに時々出てしまって、変な仕草をしてしまうことがあります。人が失敗した時は、愛想笑いのつもりで笑って、たまに誤解されてしまいます。
しかし、僕は表情の大切さをよく心得てるつもりです。女の子の友達に「目を使うのがうまい。」と言われたこともありました。
一人で勧誘している時も、目を見てコロす
ということを心がけています。(笑)
それらすべてひっくるめて僕という人間なんだと思っています。
■気軽にどうぞ
○僕ともっとコミュニケーションを取りたい人、お気軽にどうぞ。電話でトーキングエイドの声と奮闘してみるのもよし、FAXも嬉しいです。(TEL./FAX.51-4923)
e-mailも結構頻繁に読んでいます。返事は遅れてしまうかも知れませんが、質問やら文句やらファンレターやら受け付けます。アドレスは、
koumei@jks.is.tsukuba.ac.jp です。 以後、お見知りおきを。
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筑波大学修士課程 理工学研究科2年 工学システム分野構造工学系
山海研究室所属
中村 彰 (e-mail:koumei@jks.is.tsukuba.ac.jp)
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