質問・意見に対する回答(第6/7回分)
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【評価について】
出席及びレポートによって行うものとします。レポート課題は以下の通り。2つとも書いてください。
★課題 :@授業で話されたテーマについて。
扱うテーマはひとつでも複数でも構わないが,ひとつのテーマにつき1枚以上は使うこと。
A本授業を評価せよ。100点満点で何点か。その理由を明確にし,改善策を提案せよ。
注:使用文献は明記すること。
★枚数 :A4版レポート用紙3枚以上(表紙は別)
★〆切 :12月1日(火)
★提出先:第二事務区レポートボックス
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以下,回答を示します。時間が無くて十分回答しきれなかったことをおわびします。自分でも残念なところがあります。
なお,回答であって解答ではないことに改めて注意してください。返答と言ってもいい。
●実家近くに身体障害及び知的障害を持つ人のための入所施設があるのです。自宅から1〜2キロのところに存在しているのにその施設に行ったこともないし,その施設の人たちが散歩したりみんなで買い物に出た来たり,という場面に出くわしたこともありません。また,そのすぐ近くに「ふれあいランド」(←たぶん)という,障害を持つ人と健常者が共にいろんな活動をしよう!という趣向の施設もあります。5年くらい前にできました。体育館とかプールとかがあったりして,もちろんスロープとか手すりも整備されていて御立派な施設です。私も時々プールとか図書館を利用しに行っていましたが,そこで障害を持つ人と遭遇したことがないのです。おかしいとは思いませんか? 健常者も障害のある人も,誰でも自由に利用できる施設をつくったことは素晴らしいことだと思います。でもそこを利用しているのはほとんど健常者ばかりなのです。(もちろん私が知らないだけで,実は多くの障害を持つ人が利用している可能性もありますが・・・。)何ぶん田舎の方なので,今だに「障害を持つ人は表に出さない」とか「障害を持つ人が家族の中にいることは家の恥」とかいう考え方をする人(←お年を召した人が多い)が多く,周囲の目を気にして,あまり利用できないんじゃないかと思っています。田舎か,都市部かで,障害を持つ人自身やその家族にかかる見えない圧力は全然違うんでしょう。
⇒おっしゃるような側面はあるかもしれません。ただ田舎だから悪いとか,都市だからいいとかは一概に言えないかもしれないけれど。
●コーディネータ事業についてもう少し詳しく教えてください。速くてよくわからなかったので・・・。
⇒前回資料を配布しました。
●施設の社会化の具体策として,心身障害児(者)施設地域療育事業や,精神薄弱者生活支援事業などがありましたが,いずれにせよ施設職員の負担(仕事)が多くなると思います。職員増員などの改善は行われているのでしょうか。
⇒このような事業ではあまり職員増員などの内容が含まれることは多くないでしょう。たいていの場合,現状の体制の中でやってください,ということになる。例えば短期入所事業(いわゆるショートステイをイメージしていただけるといいかもしれません)はサービス1件に対する委託費は出ますが,増員されるわけではありません。もともと手いっぱいの職員体制でやっている施設などでは,それまでの業務にしわ寄せが来ると考えざるを得ないところもある。
●授産施設に行ったことがあります。ろうそく細工やぬいものを作っていました。障害者の方が得られるのは月額1万円程度であると聞きました。もっと収入を得ることができる作業(障害者の方の)はないのでしょうか。また現在どのようなことが行われているのでしょうか。
⇒収入はもっと多いこともあるし少ないこともあるでしょう。前回も記しましたが,下請け的な作業(部品組立,梱包,数揃え...)あるいはオリジナル製品の作成・販売などのところもあるようです。オリジナル商品がうまくいくとかなりの収入を得ることもあるらしい。
最近では社会就労センター(SELP)としてより広領域の目的意識と活動内容を持ちながら活動しているところも多くなってきました。
http://www3.meshnet.or.jp/selp/index.html
社会福祉基礎構造改革
●戦後以来ずっと社会福祉制度の枠組みが改革されていないというのは驚きでした。これだけ社会情勢が変わってきているのに,福祉が何も変わらないはずがありません。改革の必要性は十分にあると思いました。
⇒現在の枠組みはそれなりに貢献してきた,という認識があるようです。しかしそれにしても改善すべき点が改善されてこなかったという部分も少なくないでしょうね。
●「社会福祉基本構造改革」ってつまり,なんとなく言いかた悪いですけど“ビジネス化”してしまうということですか?そうすると,障害者は,大変お金がかかる様になってしまうけど・・・?
●これからは,たくさんの民間企業が福祉の分野に参入してくるそうですが,利潤の追求が目的である企業と福祉というものは本当に結びつくものなのでしょうか。サービスの質や効率性が向上することは確かに必要なことでしょうが,何かもっと大事なことがあるような気がします。
⇒上記2つの意見に対する回答です。
ビジネス化してしまうという部分もあると思います。「社会福祉基礎構造改革中間まとめ」の言い方に従うと“対等の関係”が今まであまり保障されてこなかったのでシステム面から関係を見直していくとか,経営・経理が単なる予算消化主義であったところからより効率的・効果的な経営とサービス提供を目指すようにするとか,情報が不明瞭であったので公開・透明性を増すとか。
しかし今まで極めて非効率に行われていたサービスの流れを刺激してもっと質を高めていこうとする動きでもあります。海外ではNPOがサービス主体としてかなりの役割を担っているところもあります。日本がどのようになっていくのかは今後の課題です。
●講義の中で,am・pmの話(コンビニ),黒猫(←こう書くのかな)さん,ベネッセなどの話が出ましたが,彼らはやはり,「利潤」求めてのいわゆる「進出」になると思います。これがよい意味での,「進出」となるか,「侵略」となるか,しっかり見守っていかなくてはなりませんね。それによって質の向上につながればよいのですが・・・。
●社会福祉事業は,授業にも出たように,am・pm(コンビニ)や,クロネコ等,民間の手によってビジネスとして行われるようになれば,質も量ももっと向上すると思います。ボランティア,国の税金(地域の税金)だけでは,とても限界があると感じました。
⇒コンビニや宅配便会社などは面白そうということで紹介したのであって,今後福祉サービス関係に接近していくのかどうかは私にはわかりません。それよりもベネッセや生協などの組織が実質的にいろんなサービス提供をしています。我が家の近所でも生協が高齢者・障害者などの枠を問わない在宅介護支援サービス事業を始めました。
ところで民間企業などの参入が悪い影響を及ぼす可能性はあります。実際,高齢者向けの有料老人ホームを提供する会社がずいぶんできましたけれども,中には社会問題化しているところもあります。そのような問題を防ぐためにも,私は行政が或る程度のコントロールあるいは促進機能を持つべきではないのだろうかと考えています。また,民間のオンブズマン機能をどこまで今後展開していけるかも大切な課題でしょう。付け加えると,少なくともこのようにサービス主体が拡散していっても,行政責任が減るなんてことはないです。そうでなければいけない。
●私たちはサービスに代価を支払うことを当たり前だと思っていたが,施設の利用者にとってはそうではなかったことがわかった。
⇒措置費という形式をとるので分かりにくいですが,利用者に対するサービスの報酬は支払われています。もちろん,国や行政が責任を持つことであるとの認識があるので国や地方自治体が支払っているのです。ですからサービスに対する代価は支払われている。ただし,あなたの言う意味が「サービス享受者がサービス提供者に対して直接に報酬を支払う」という形がとられていないじゃないか,という指摘なのであれば,その通りです。
●措置費がわかりにくかったです。チャンスがあったらもう一回説明して下さい。
⇒前回資料をお配りしました。
●寄居は実家の近くですが,このような施設があることは全然知られていません。知り合いの筋ジストロフィーのお子さんを持っている方がこういう施設をさがしていたので,紹介したいと思います。
●自分の母親が週6回のペースで民間のサービス団体を通じて介護をしており,それで講義をとりました。公的な団体に問題が多く民間に移ったという母親の話が,利用者主体で機能していない(公的なものが)という理由にあったのが少し分かったような気がします。
●障害者の家族,とくに親なども一生めんどうをみるといっても,限りがあるのに,その先一体どうなるのだろうと思いました。
●今回はとても興味深い授業内容でした。障害のある方と,その家族方への支援が,このように少しづつでも発展してきていることを嬉しく感じた。しかし,まだまだ生芽の段階で,悪くすると枯れてしまいそうなので,もっと,行政の援助の必要性が迫れていると思う。その住んでいる地域に,このような小規模民間サービス団体もなく,行政もかたいところでは,障害のある人はどのように生活しているのか?家族がひたすら努力しているのか?
●最初,少し嫌な気分になった。何故かというと,介護をしていると休む間もなく本を読んだり,外食したりする時間もないから時々は誰かに預けたい,っていうのは障害を持っていて介護される側の人間にとってはひどく傷つくことだと思ったから。簡単に言えば「時々はやっかい払いして自由になりたい」ってことだよなーと思った。でもよく考えてみれば,それはあまりにも介護する側の家族には酷な言葉だ。「やったことないから言えるのよ!」って言われても仕方がない。思えば介護する側の家族はそういう社会からの圧力にもさらされてるんだよなあって思った。つまり,時には気晴らししたい,とか,遊びに行きたい,とか思うのはよくない事だ,っていう考え方に苦しめられてるんだろうなあと思う。
●家族支援サービスは,サービスを望む人にとってとても大切なものだと思う。しかし,金銭的に苦しいのが実状で,経営も難しいのはとても残念だと思う。民間といえども助成金を少し位出してもいいと思った。
●社会的理由だけでしか預かってもらえないのは本当に介護者が大変だったろうと思います。もっと介助サービスみたいなのがボランティアではなく商業的な考え方になったらどうでしょうか。お金まわりがよくなれば,被介助者も,介助者も,サービス提供者も楽になりそうですね。やっぱり利潤があれば,みんなの心も潤うと思うのでホントの営利企業として成り立たないものでしょうか。
●ビデオの方で県によって,対応があれほどちがうのか,とおどろきました。
●つくば市近辺ではこのような民間サービスを行っている所はあるのでしょうか。
●ガイドヘルパー等を利用して,やはり一週間ほど前に希望を出さなければいけないということを経験していたので,コンビニエントじゃないと思いました。他にも,そのつくば市ならつくば市という小さな地域内でしかやってもらえないということや,やりたいものをやりたい時にすぐできるという融通が効かないというところは使いにくいと思いました。
●地域福祉サービスを受ける際に市町村などでサービス内容がちがうことがふしぎである。
●民間でこのようなサービスを行えるということは本当にすごいし,家族のほうもどれほど助かるかと思う。私は,このような動きは大いに賛成だけれど,気になる部分もある。それは,やはり何か問題が起きた時にどのような対応があるのか,また,ボランティアの人,介護者をどれ程信頼してよいのか,などである。どちらにせよ,“善意”によるサービスで,しかも,個人的なつながり(助け合い?)の強いものである分,その間の人間関係なども難しく(大変)なってしまうのではないかと思う。
●地域の福祉の現状に対して,行政の対応が非常に遅れていると思いました。でも実際に,福祉への対応の仕方を行政が変えていくのはなんとなく難しいような気がするし,すごく時間がかかるのではないかと思います。
●ハートぽっぽのようなサービスはこれから無償のボランティアよりも必要になってくると思う。でも,障害者が払うというのはどうだろう?国民に商品券を配っているくらいならそういうところにお金を回してほしい。
●行政って本当に役に立たないですね。結局は,そういうサービスを必要としている人達が自分達で努力していくしかないのでしょうか。でも,ボランティアで成りたっている活動には限界があるように感じます。やっぱり,完璧とは言わないまでも,ある程度きっちりとした公的サービスがあって,そのすき間を埋める形でボランティアのサービスがあるというのが理想だと思います。
●障害者に対する国などからの保障はよくききますが,ボランティアを行う人に対する国か自治体などの保障みたいなものってないのですか?
●ボランティアではなく,職業としてサービスが行われればいいと単純に思うのですが,どうなのでしょう。ボランティアさんももとは素人でしょうけど多少お金を頂いているのですから少し知識をもってる程度でも職業としてお金を頂いていいように思います。それで満足していただけるようにしていけばいいのでは?今から必要性はもっと増すと思いますし,失業者も沢山いることを考慮して,民間サービスをおこせばいいのに,と思います。でも,そんな甘いものではないのですね。
●介助サービスを提供する側も大変なんだなあ,と思った。しっかり運営していくためには,もっとお金をとりたいし,でも,利用者から,そんなにとるのも,大きな負担を強いることになるし。
●営利団体としての民間団体で実際赤字になっているということはやっぱりその団体で働いている人のお金を使っているということなのでしょうか。その団体で働く人みんなが全く給与がもらえない,ということですか。
●今日配布されたプリントに「障害者を美化しすぎる」というのがあり,それを読んで「なるほど」と思いました。実は私もあきらさんのことを少しわがままだと思ってしまった一人なのですが,それも私の中に美化された障害者のイメージがあったからかもしれないなあと思いました。障害者は,されることに文句を言わずひたむきに耐えるようなイメージがあったから,自分の意見をはっきり言えるあきらさんを必要以上に「わがまま」と感じてしまってように思います。
●小山内さんの本に,つい読み入ってしまいました。私は以前にテレビ(ビデオ)で小山内さんの姿や活動ぶりを拝見したことがあり,そのあまりにも生き生きした様子に驚かされたことを覚えています。そのテレビの中でおっしゃっていた事が,(もちろん)本の中のも書かれていました。中でも,「もっとわがままになりなさい」のフレーズ,私はとても気に入っています。介護される人たちが,介助者にとって,本当,何よりもの教師だと思います。実際にその現場では「わがまま」な一言によって気分を害したり,必要な関係を保てなくなる場合もあるでしょうが,それは「わがまま」な一言のせいではなくて,その間の人間関係もしくは個人(2人)の人格の問題だと思います。介助者は,教えてもらいながらスキルをみがき,される側は気分がよいのならそれが1番。私は,『嫌なのに我慢して介護をうけてもらって,実は満足してもらえなかった』という方がよっぽど嫌だし,くやしいと思います。
●私の以前,あきらさんの介助をしていましたが,半年程度でやめてしまいました。私のほうの都合上やめてしまったのですが,その理由として,忙しいからと伝えました。でも実際は,介助ということをこえての関係に限界を感じたということも理由としてありました。私が忙しいときなど電話があったりすると,なかなか話しがすすまず,時間だけがすぎていき,でも,電話を終わるように言えないなど,やはり,私の性格的な問題だったと思います。今でも,やっぱりうしろめたさが少し残りますが,この間あきらさんがこの授業に来た後,私あてにメールを書いてくれ,本当にうれしく思いました。今では,良い経験をしたと思っています。
●「介助のことは本人に聞け」なんで今まで気付かなかったのでしょう。そしゃそうですよね。誰のために介助をしているのか忘れているのでしょうか。たくさんの介助を受けてきた人がどうしたらいいかいちばんよくわかっているに決まっている。私もどこかで障害者さんに「何か手伝いますか?」と言おうと思う。
●被介助者ではなく,介助者の方に目を合わせて話をしてしまうという指摘がありましたが,本当にそうですね。私はアルバイトでウエイトレスをしていましたが,その時,いろいろな障害を持った人たちが集団でいらっしゃることがよくありました。そういうとき,ききとれなかったりすると,つい,他の人を見て“もっと話ができる人はいないの?”という顔をしてしまいます。でも,その人とだって,注意して耳を傾ければ,きちんとコミュニケーションできるはずなのに・・・。これからはもっと考えないといけませんね。
●[ノーマライゼーションの話から]今,現在,私はノーマルな生活をおくれているのでアブノーマルな生活というのが全く思いつかなかった。聞いたら,なんだか,こんなことか,と思ったけれど私のような意識の低い人がいるからノーマライゼーションという,ごく普通を求める動きというのをわざわざ提唱しなければいけないのか,と思った。
⇒そう,ごく普通の生活スタイルと思われることが保障されない人々がいるので「ノーマライゼーション」云々の話が主張されるということです。
●施設の問題,というよりも福祉に関する課題は尽きないなあ,と思いました。話は変わりますが,私は卒業後に福祉関係の仕事に就きたいと思っています。今日の内容であった事業の中でどのように活動しているのか,時間がありましたか是非教えて下さい。
⇒施設など福祉職の人間の業務内容ということでしょうか? あるいは紹介したような各種事業の具体的な内容のこと? 申し訳ないのだけれど,どのあたりのことを話せばいいかよく分からない。また分かっても時間が無さそうです。もう少し教えていただければ参照すべき資料を考えるなどの応答をしたいと思います。あるいは直接に話をしたほうが多分いいのではないかと思います。
●用語の改正:以前言いました「精神薄弱」という用語の改正問題ですが,以下のようになりました。
⇒すなわち「精神薄弱の用語の整理のための関係法律の一部を改正する法律(法律第110号)(平成10年9月28日付け官報)に基づき,精神薄弱者福祉法,障害者基本法など計32本の法律において用いられている「精神薄弱」という用語を「知的障害」という後に改めることにしたそうです。なお,施行は平成11年4月1日です。
●VTRを見て,自分も何かしたい,と強く思いました。でも,いざしようと思うと,色々理由をつけて自分に言いわけして結局はしないままになっていた現在に至っているのですが,実際に活動しないと,何もわからないままで,最後にはいいか,と思ってしまいます。自分たちの財産を削ってまで支援を行っている人は,何故そこまでできるのだろうか,とうらやましく思います。援助(介助)ができないのは,自分のなかに障害を持つ人に対する偏見があるからなのでしょうか。
⇒そうでもないと思います。接する機会が無いのだとも思うし。こういった事柄って,とても「摩擦係数」が高いものですよね。しかし一旦動きだすと,理由はあまり気にならなくなる(ひともいる)。
また「先入観・偏見」ってのもひたすら無くそうなんて思っても仕方ないです。無くそうと思うことも大切かもしれませんが,いろんな経験や考え方をもっと増やしてください。あなたの方向が間違っていなければ,いずれは「先入観・偏見」は相対化されてくると思います。