7、まとめと考察

 前章までにおいて、アファーマティブ・アクションにおいて最初に設定した課題を明らかにしてきた。課題@においては、逆差別にいたるまでの平等観の変容、それにともなう判例の変遷を明らかにし、そこから違憲とならないアファーマティブ・アクションを導出することができた。また課題Aでは、カリフォルニア大学のアファーマティブ・アクションの廃止から新たな人種中立的アファーマティブ・アクションとしてのELCについて言及し、また管見の限り日本の論文では言及されていないアファーマティブ・アクションと学力を、アメリカの論文から明らかにし、その入試制度の効果を明らかにした。また人種中立的アファーマティブ・アクションという言葉を吉田仁美が用いているが、論文が書かれた時期から言及していない点を明らかにした。それは人種中立的アファーマティブ・アクションには二つのタイプがあることである。一つはミシガン大学の学部レベルと大学院レベルの判例から得られた、選考過程において違憲とならない取り組みとしてのアファーマティブ・アクションである。既述したように、選抜過程を別に設けたり、割当制やマイノリティに点数を自動的に加算するなどの機械的なシステムで人種を判断するのではなく、総合的に人種を判断材料の一つとして考慮するのであれば合憲となる。二つ目は、選考過程において人種を考慮するのではなく、新たな募集方法を設けるというアファーマティブ・アクションである。カリフォルニア大学のELCがそれに当たる。したがって人種中立的アファーマティブ・アクションには、二つのタイプがあることを指摘することができる。

 以上得られた知見を基に、日本における格差是正のための平等な大学入試制度を考察すると、当然受験学力が全くない人でも望めば誰でも入学できる状態が平等であると考えることはできない。また貧困であることで学力が低いのであるから、低階層出身の彼らを優先させて入学させることも、アメリカの状況を見る限り、平等とはいえない。そこで日本の大学入試制度において平等を獲得するために必要なことは、ACや推薦ではなく、一般入試においても受験学力だけではなく、家庭環境や所得や人間性などを考慮し総合的に判断することであると考えられる。例えば今まで述べてきたアメリカのアファーマティブ・アクションでは、ロースクールの入試において、点数が高い白人と点数が少々劣る黒人を比べたときに、将来弁護士になったときにマイノリティである黒人の方が、今までの経験からクライアントの痛みがよくわかるので、それも一つの能力であると捉え黒人を優遇して入学させる合理的な理由があるという考え方もある。すべての事例において、機械的に黒人やマイノリティを優遇することになれば、それは既述したように認められないことは明らかであるが、個別の事例ごとに検討し、その人の人間性や将来を総合的に判断するのであれば、このような判断も認められる余地が存在するのではないかと考えられる。

 すなわち、日本も一般入試においてもテストで点数化される受験学力以外に、予算や人員の制限はあるが簡単なものでも、家庭環境や所得、人間性を考慮して選抜を行うことができれば、大学の裾を広げることとなり、徐々にではあるが固定化されつつある階層を流動的なものへと変化させることができるだろう。それが生まれ持った家庭環境を選ぶことができないことに対する、大学の社会的責任としての平等性の確保である。

    
目次へ前へ