School Resegregation の経過について


-90年代における裁判所決定を中心に-


筑波大学第二学群 人間学類
教育学主専攻 3年 安田美世


School Segregation・・・学校人種差別
School Desegregation・・・学校人種差別撤廃政策
School Resegregation・・・学校人種差別復活


*はじめに*

 このレポートは、アメリカの学校教育における人種の分離問題がどのような経過をたどり、人種の統合教育への成果を何処まで得て、 さらに現状はどうなっているのかを、“School Segregation”“School Desegregation” “School Resegregation”、という三つのキーワードを辿り、まとめたものである。
 1989〜99年の国税調査により、90年代の学校統計の中で人種や民族のSegregationの強まりが明らかにされた。(1) 現在のアメリカは、建国当初からマイノリティーと位置付けられていたアフリカ系アメリカンやネイティブ・アメリカンに加え、 ラテン系やアジア系といった新たな移民・移住者が年々増大している状況にある。 このように全国的に人種や民族の多様性が成長を見せているにもかかわらず、 学校におけるSegregationが再び強まる、つまり「School Resegregationの出現」という状況に、 研究者や市民権論者の間では少なからぬ危機感が生まれている。


*1990年代までのSchool Desegregation*

 〇1954年のブラウン判決(2)

 1954年、最高裁判所は17州の教育委員会に対して、アフリカ系の生徒の等しく教育を受ける権利を奪っているとし、 人種による分離政策(School Segregation)は違法であるとする判決を下した。
このSchool Segregationは、1896年以来正当化されていた「分離の中の平等(Separate but Equal)」という概念のもと、 南部の州を中心にして1世紀もの間継続された。 しかし、この政策は白人生徒とアフリカ系生徒間の教育の不平等を強めるものでしかなく、明らかに失敗に終わっていたのである。
1954年のこの判決が契機となり、以後、学校人種差別撤廃政策(School Desegregation)が各学区で推し進められることになった。

 〇1968年“Green Factors”の成立(3)

 1968年、最高裁判所はSchool Segregationを継続させていたNew Kent郡教育委員会に対し、 「人種差別制度はその根本から細部にいたるまで排除していかなければならない」としてSchool Desegregationを達成するための 幾つかの要素を示した。このとき提示された要素は、裁判官の名前に由来し “Green Factors”として呼ばれるようになり、各学区における人種差別撤廃政策の基準として 浸透していったのである。
  “Green Factors”
   ・student body composition(student assignment)…各学校における人種のバランスを考慮して生徒を割り当てること
   ・facilities…学校の設備
   ・staff…学校職員
   ・faculty…教師
   ・extracurricular activities…教科外活動
   ・transportation…通学手段(スクールバス等の運行)

 〇1980年代までの改善(4)

 その後1980年代まで、各州の地方裁判所が公立学校における様々なSchool Desegregationに向けての救済措置の監督を担うようになり、 人種統合への改善が各地で見られるようになる。1960年代から70年代の初期にかけては、意識的な矯正措置として 強制バス通学(busing)や移動政策(transfer policies)、マグネット・スクール(magnet schools)などが導入されていった。 特に南部においては、市民権運動の起こる1964年以前、最も多くのアフリカ系アメリカンの人口を抱えていたにもかかわらず、 1988年までには全米でも高いレヴェルの人種統合を学校の中で成功させ、アフリカ系の生徒と白人の生徒との交流も最も盛んであった。


*School Resegregation発生の背景*

 〇“Green Factors”の義務の実質的な消滅(5)

 1991年、オクラホマ教育委員会の訴えに対し、最高裁判所は強制バス通学(busing)に関して次のような見解を示した。 「居住地域における人種の分断を改善させるための責任は、学区が負うべきではない。したがって、強制バス通学の規定を取りやめる。」 さらには「学生や職員において人種差別が撤廃され、かつ、他の“Green Factors”が満たされていれば、School Desegregationにおける 裁判所からの監督から開放されてもよい。」としたために、この裁判以後、地方裁判所が担っていた学区への監督体制は 徐々に緩和されるようになった。事実、翌年の1992年には、最高裁判所はSchool Desegregationのために行っていた学区への監督を、 地方裁判所の自由裁量で行ってかまわないという見解を示し、 実質的に学区は“Green Factors”の義務から開放されることとなったのである。
こうした決定の背景には、それまでに尽力されたSchool Desegregationへの肯定的評価があったためだと言うこともできるだろう。 しかしながら、また別の面で、教育的視野からだけでは解決しがたい問題が厳然として存在するということを、School Desegregation を通して見たからであるとも考えられる。そのことは以下に挙げる1995年にミズーリ州が起こした裁判に顕著である。

 〇School Resegregationへの後退

 ・ミズーリ州の場合(6)
 ミズーリ州は1985年以来、郊外からマグネット・スクールへの白人生徒の呼び込みや、様々な学校活動の資金として、 カンザス市学校区へ年間410万ドルを支給していたのであるが、 この1995年の裁判で最高裁判所は「マイノリティー生徒の到達度が単に全国平均よりも低いという理由だけで、 人種差別撤廃政策を続けるべきではない」という見解を示し、School Desegregationへの資金削減を許可したのである。 ここでは一見、School Desegregationに割り当てる資金が州財政への圧迫を引き起こしている故の判決と受け取れる。 しかしその内実は、School Desegregationの目標とする人種や民族の統合が、理論的な部分だけでは解決しがたく、 奴隷制度という歴史を経て刻み込まれてしまった、それぞれの人種への感情が、今なお断ち切られることなく存在するということを 物語るようである。

 ・シカゴ市の場合(7)(8)
 シカゴ市は1980年の判決でthe Desegregation Consent agreement(人種差別撤廃同意協定)を制定している。 この協定では「シカゴ市の公立学校におけるdesegregationおよび、人種的に分離した地域の教育の全般的な向上」 を目標としている。しかしながら昨年の2003年2月、シカゴ市公立学校協会(CPS)と連邦政府との交渉で この協定内容の見直しが確定した。この見直しの背景には、私立や地方の学校が多くの白人生徒を引き付けているのとは対照的に、 シカゴ市の公立学校では全生徒の9.6パーセントしか白人生徒が在籍していないという現状がある。 依然として人種の統合がなされないのであれば、この協定の有用性を疑わざるを得ない、というのが見直しを要求する側の意見である。 しかしその一方で、この協定が十分に機能していないのは、そもそもシカゴ市の教育委員会側に市民権に関する専門的な見識が 欠けているからだという意見もあり、2004年1月の段階でもthe Chicago Lawyers' Committee for Civil Rights (シカゴ市市民権弁護士協会)等から新協定の強化が要求されるなど、議論が続いている。


*もうひとつのSchool Redegregation*

 〇マグネット・スクールにおける“逆”差別(9)

 以上は学校人種差別撤廃政策が緩和されることによるSchool Resegregationについて問題視する議論であったが、それとは逆に、 学校人種差別撤廃政策の一つとして登場したマグネット・スクールでの人種配分が引き起こしている別の意味でのSchool Resegregation= “逆”差別の問題も発生している。マグネット・スクールは特色のある学習内容や学校経営によって、生徒の学習成果をあげることを 目的として作られた公立学校であり、磁石のように学生を引き寄せることからこの名が付けられている。 主にマイノリティー居住地に設置され、郊外からの白人の生徒を引き寄せることで多用な人種を構成させ、マイノリティー生徒の学習成果を より向上しやすくさせることをねらいとしている。しかしながら体育マグネット、科学マグネット、音楽マグネットなど、 より人気の高いマグネット・スクールにおいては、 この二つの目標をバランス良く追求するために行わざるを得ない人種の配分が、新たな人種の対立意識を生んでいる と報告されている。

〇Prince George群における中等教育マグネットの場合

メリーランド州にあるPrince George群では、人種差別撤廃政策や人口統計的な調整に終止符を打つ連邦決定が出された後も、 マグネット・スクールへの生徒の割り当てを、人種を基準として行っている。しかしながら近年この制度は、 白人生徒における希望学校への入学チャンスが、同じ学区のマイノリティーの生徒よりも狭められているとして、Paint Branch初等学校の白人生徒 の保護者を中心に、学校区教育委員会への異議が唱えられている。さらに、Martin Luther King Jr. Academic Center(中等教育マグネット)は、 2001年の達成度評価テストで最も良い成績をおさめており、入学希望者も多いため、同じマイノリティーであっても断ざるを得ない生徒が 出てくる。その場合、よりアフリカ系アメリカンの血が濃いと判断される生徒が優先される傾向にある。近所に暮らし同じような境遇で 生活していたマイノリティ家族でさえも、子供の中等学校への進学を期に、互いの人種や肌の色を意識せざるを得なくなっている、という 矛盾も現れているようである。

   〇マイノリティ人口急増による影響  マグネット・スクールにおける生徒の割り当て規定を定めた当初は、Prince George群におけるアフリカ系アメリカ人の生徒の割合は40%であった。 しかし、現在では77%にも増大しており、この急激な変化に対応できていないために、このような逆差別が起こっているのではないか、 という指摘も挙がっている。マイノリティ人口の急増はメリーランド州に限った ことではなく、アメリカ全土で問題視されている。1968〜98年の30年間でアフリカ系およびラテン系の生徒は580万人増加したのに対し、 白人生徒は逆に560万人も減少している。メキシコからの移民をはじめとして、アジア系も近年益々増加しており、白人がマイノリティとなる のもそう遠い未来ではないという。
 アフリカ系の生徒と白人生徒との問題として主に進められてきたSchool Desegregationは、アメリカの人種構成が急激に変化していく中で、 更なる人種への対応が迫られてもいるのだ。

*おわりに*

 アメリカのSchool Resedregationの問題は、州や市、学校区でそれぞれ異なり、また資金難や移民の増大など 他の要因も複雑に関係してきている。以上見てきた裁判所決定や、教育委員会、保護者の意見もまた様々であり、 単純に一括りにすることは難しく、それだけに様々な視点からの考慮が必要であると感じる。 しかしながら、アメリカにおける人種差別問題は、連邦政府が過去に行った奴隷制度の負の遺産であり、 歴史の中で深く刻み込まれてきた社会問題であることは、どの地域であろうとも同じである。アフリカ系のみならず、 マイノリティ人種はラテン系・アジア系と多様化しているが、人種差別意識の根源的な部分を断ち切らない限り、 問題はさらに複雑さを増すばかりであろう。
 School Desegregation政策は、新たな局面に向けて再構築されるべきであると思う。School Resegregstionの問題に どのように対処していくのか、今後もアメリカの教育行政に注目していきたい。




(1),(4)Gary Orfield, “Schools More Separate: Consequences of a Decade of Resegregation”, The Civil Rights Project Harvard Unversity, July 2001
(2)Gary Orfield, “The Resegreration of Our Nation's Schools: A Troubling Trend.(Statistical Date Included)”, Civil Rights Journal, Fall 1999
(3)Ancheta and Angelo, “Constitutional Law and Race-Conscious Policies in K-12 EDUCATION. ERIC Digest”, ED467112, July 2002
(5),(6)Weiler and Jeanne, “Recent Changes in School Desegregation. ERIC/CUE Digest Number 133”, ED419029, April 1998
(7)Tim Michaels, “Public school system challenged dy judge's review of Desegregation Consent Degree”, CHICAGO MAROON ONLINE EDITION, February 2003
(8)“Civil Right Groups Ask Court to Delay Fast Track Effort to End Historic Desegregation Agreement for Chicago Pubric Schools”, American Civil Liberties Union of Illinois, January 2004
(9) Nancy Trejos, “Desegregation Aftereffects Anger Parents-Pr. George's Still Uses Race To Fill Magnet School Slots”, Washingtonpost.com, July 2002