2、アファーマティブ・アクションの概要とその成立過程

 アファーマティブ・アクションとは女性やマイノリティを優遇する措置である。具体的には三つの種類がある。 一つ目は、政府の事業契約者や補助金を受けた機関への義務条項としての措置である。二つ目は、裁判の結果、 企業などに命じられるものとしての措置で、三つ目は企業などが自主的に行う措置である。政府の事業契約者や 補助金を受けた機関への義務条項に絡むアファーマティブ・アクションは、雇用、教育、事業委託の三つの分野で 行われている9 。志水は、教育におけるアファーマティブ・アクションとは、「社会的な差別を減じるために、 教育的資源を優先的にマイノリティ−・グループに振り分けようとする一連の制度的措置」を意味するものであり、 日本ではいまだほとんど導入されていない考え方であると述べている10

 アファーマティブ・アクションが成立するにいたった背景として、アメリカの公民権運動が大きくかかわっている。 1954年に連邦最高裁判所の判事九人が全員一致で、「分離された教育施設は本質的に不平等である」と論じて、 教育分野において法によって強制された人種隔離を違憲とした(ブラウン判決)11 。これは、今までの 「分離すれども平等(separate but equal)」12 という法理から脱却した、公民権運動にとって画期的な判決であった。 ブラウン判決から10年間、黒人をはじめとする有色人種が市民として法律上の平等な地位を獲得することを目的とする 公民権運動が盛り上がり、バス・ボイコット運動、シット・イン運動、フリーダム・ライド運動、ワシントン大行進を経て、 その成果として1964年に公民権法が制定された。公民権法は11の個別の法律がまとめられたもので、公共施設における人種隔離の撤廃、 公立学校での人種隔離と差別の撤廃、連邦政府との契約のもとで行われている事業での一切の差別の撤廃と アファーマティブ・アクションが定められた 13


9 柏木宏「米最高裁のアファーマティブ・アクション判決」『部落解放』No.523 (2003/9) p84

10 志水宏吉『学校文化の比較社会学』東京大学出版会、2002、p214

11 大塚秀之「ブラウン判決から五〇年−アメリカ社会の人種的分裂の現在」『歴史地理教育』2004年7月増刊号、pp.103-104

12 南部諸州では、公立学校、交通機関、レストラン、軽食堂、映画館などで黒人と白人とを分けて扱う、人種隔離政策が採られていた。1896年には連邦最高裁は、隔離政策は憲法修正第14条に違反しないとする判決を下し、「分離すれども平等(separate but equal)」という法理を打ち立てた。
 寺島俊穂「非暴力闘争としての公民権運動」『大阪府立大学紀要 人文社会科学』2002、第50号、pp.1-2 

13 同上、p13


    
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