第4章 連邦政府奨学金制度史(2)教育修正法から現在


(1)教育修正法の内容
 前章で検討したカーネギー報告に大きな影響をうけ教育修正法が制定された。1965年の「高等教育法」と比べ、 その規模と理念の斬新さにおいて画期的なものであった。この法律により新しく作られた奨学金は「教育機会基礎給費奨学金」と 「対州政府奨学補助金」である。
教育機会基礎給費奨学金は1965年につくられた教育機会給費奨学金を引き継ぐものである。 教育機会給費奨学金の支給限度額が学生一人当たり年1000ドルであったのに対して、 教育機会基礎給費奨学金では年額1400ドルを限度に贈与されることとなった。現在ではペル給費奨学金と呼ばれている。 また、教育機会給費奨学金は教育機会補助給費奨学金と名称を変え、教育機会基礎給費奨学金を補完する給費奨学金となって 今日まで至っている。
対州政府奨学補助金は州政府が独自の奨学金制度を作るための、連邦政府による基金援助である。
この改正法による奨学金制度の見直しと新事業の創設により、全体として今日見られる個人援助中心のアメリカの奨学金制度が成立した。

(2)教育修正法以降
 1972年の教育修正法によりアメリカ合衆国の高等教育に対する経済援助の制度と理念はほぼ定まった。 しかし、その後も各奨学金制度の条件や内容については、拡充の方向で改正がなされてきた。 1978年、カーター大統領の時に、中間所得層学生援助法を制定し、従来の低所得家庭出身学生の援助から、 中間所得階層の学生まで援助できるように資格要件を緩和した。この法律により連邦学生援助事業は一挙に拡大した。
 しかし、1980年レーガン大統領時代以降、アメリカの国家財政の全般的な緊縮財政を反映して、奨学金にも引き締め傾向が出てきた。 全般的に給費奨学金が伸び悩み、貸与奨学金でこれを補うという傾向が出てきている。それは現在も変わっていない。 つまりレーガノミックス以降、連邦の教育援助の考え方は「教育の機会均等」から「受益者負担」にシフトしたと考えられる。
しかし、日本の育英奨学事業全体の予算は5790億円(平成15年度)に対し、アメリカの連邦奨学金事業総額は日本円に直すと9.45兆円 (2003年)である。また、歳出に占める割合を比べると日本は0.72%に対して、アメリカは4.54%であり、大きな差が見られる。 このように、連邦の考え方が「受益者負担」にシフトしたとはいえ、奨学金制度の質と量は日本のそれと比べて充実している。

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