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2025.06.16 カウンセリング学位プログラム

”モヤモヤ”を〈問い〉に変えて―修了生から,受験をお考えの皆さまへ

この春に本学位プログラムを修了された35期修了生の大熊優也さんより,受験に至るきっかけ,入学後の大学院生活,そしていま修了後のことなどについて,沢山の思いをお送りいただきました。

受験をご検討されている方もそうでない方も,是非ともご覧いただければ幸いです。


自分の中の〈問い〉を意識し、それに呼応する体験に触れた時、初めてその〈問い〉は動き出す。呼応が少しずつ自分の中に蓄積されてくる時、それが「自分の経験」となる。そしてそれが生きていく中での自分の揺れを支え、いつか他者をも支えることができるようになる。

キャリア心理学の授業で発表を担当した岡本祐子先生の最終講義の言葉です。今、振り返ると、私にとって大学院で過ごした2年間は、自分の中の〈問い〉を育てる経験だったのだと実感します。

入学前

私は、公的機関で対人援助に関わる仕事をしています。20代、現場での実践を重ねる中で、人の心の奥深さや仕事の重みを知る一方で、自らの力不足や限界を痛感し、言葉にできない“モヤモヤ”が心の中に積もっていきました。

30代を目前にしてコロナ禍を経験し、自分と向き合う時間が増えると、「私のキャリアはこのままでよいのだろうか」、「一つの仕事で一生を終えてよいのだろうか」と自問するようになりました。今思えばそれは、現場での仕事の重みに耐えきれず、得体の知れない“モヤモヤ”から目を逸らすための言い訳だったのかもしれません。

ちょうどその頃、現場からは少し離れた部署に異動となり、立ち止まって考える余白が生まれました。東京勤務という環境にも後押しされ、かねてより検討していた筑波大学の社会人大学院を志す決心をしました。

受験にあたっては、筆記試験の対策のみならず、研究計画書の作成にも力を注ぎました。これまで現場で感じていた漠然とした感覚と一人で向き合い、言葉にしていく作業はたやすいものではありませんでしたが、それこそが自らの〈問い〉を育む第一歩でした。

大学院生活

入学式当日、同期生の自己紹介を聞き、ある共通点を感じました。年齢も経験も専門分野も異なりますが、皆、自らの人生や実践現場において何かしらの“モヤモヤ”を抱えており、それと向き合うために大学院の門を叩いたように、私には見えたのです。筑波の社会人大学院は、まさに、自らの〈問い〉に導かれた26名の人生が交差し、呼応する地点でした。それぞれの〈問い〉はまったく異なるはずなのに、同期生と出会い、その問題意識に触れるたびに、不思議と「自分だけではなかった」と安堵し、内側から力が湧いてくる感覚がありました。

ゼミに所属してからは、自らの〈問い〉を掘り下げる作業が本格化しました。指導教員の先生やゼミ生との対話を重ねるなかで、曖昧だった〈問い〉が徐々に輪郭を持ちはじめ、やがて研究テーマとして形を成していきました。先行研究を辿る中で、同じテーマを探求している先人の存在を知ったときには、自分の感覚を真正面から肯定してもらったような気持ちになりました。曖昧で捉えどころのなかった“モヤモヤ”が、学術用語として明確に定義されることによって、その問題と建設的に向き合い、少しずつ思考を前に進めることができました。

人生初の研究として取り組んだインタビュー調査では、職務上の立場から離れ、研究者として当事者の声に耳を傾けるという得難い経験をしました。当事者の語りは、私の中の〈問い〉を社会に開かれたものとし、研究としての意義を与えてくれました。

その後、尺度開発に取り組み、アンケート調査に挑戦しました。およそ半年の間で3つの研究をやり切ることは容易ではなく、計画性のない私は何度も挫けそうになりましたが、指導教員の先生は、いつも私の安全基地となり、強く優しく支えてくださいました。研究の進捗に常に危機感を覚えていた私は、ゼミのたびに自身の窮状を訴えますが、ゼミが終わる頃には、なぜかいつも困難な道を選んでいました。あのとき妥協せずに困難な道を選択できたのは、私の中の〈問い〉がもはや私だけの〈問い〉ではなくなっていたからかもしれません。

大学院生活の終盤、年末年始も返上して、集めたデータの分析と修士論文の執筆に没頭しました。期限ギリギリに修士論文を提出した後は、しばらく何も手につきませんでした。

修了後

修了を迎えた今、入学前に感じていた、あの“モヤモヤ”は、もはや目を逸らしたくなるような苦しさを伴っていません。決して消えてなくなったわけでも、解決したわけでもありませんが、その質感は当時とは随分異なっています。あえて表現するならば、自らの奥底で静かに根を張る「錨」のような存在に形を変えました。この経験が自らの揺れを支え、いつか他者の支えとなることを願いながら、私は、現場での実践に戻ります。

もしもあなたが、何かしらの“モヤモヤ”に導かれてこのページにたどり着いたのならば、その感覚を大切に抱えながら、自らの〈問い〉として育ててみませんか。筑波大学の社会人大学院には、そのための最高の環境が整っています。