本文へスキップ

Welcome to Fujita's Lab!

〒305-8572 茨城県つくば市天王台1-1-1 筑波大学人間系

キャリア教育 よもやま話Just Mumbling...

第5話 金太郎飴 (2016年9月18日)

  •  今回のお題は、「金太郎飴」です。

     皆さんは「4領域・8能力」と言う言葉をお聞きなったことがありますか? 「聞いたことがあるどころか、うちの学校では『4領域・8能力』をベースにして全体計画を立てているよ」とおっしゃる先生方もいる一方で、「なんだそれ?」という感想をお持ちの方も少なくないかもしれません。

     今日、キャリア教育を通して中核的に育成すべき力の基本的な考え方は「基礎的・汎用的能力」として提示されていますが、その前身とも呼べるのが「4領域・8能力」です。正確には、国立教育政策研究所生徒指導研究センターが、2002(平成14)年に発表した「職業観・勤労観を育む学習プログラムの枠組み(例)-職業的(進路)発達にかかわる諸能力の育成の視点から」によって示された「職業的(進路)発達にかかわる諸能力」を意味します。ここでは、4つの「能力領域」と、各領域2つずつの「能力」によって「職業的(進路)発達にかかわる諸能力」が構造化されているため、多くの場合、「4領域・8能力」と呼ばれてきたわけです。

     よくご存じの方も、そうでない方も、次のいずれかの資料で「4領域・8能力」の一覧表をご確認下さいますと助かります。いずれも文部科学省が発行したものです。
    小学校キャリア教育の手引き <改訂版>(2011年5月)第1章第1節, pp.8-11
    中学校キャリア教育の手引き(2011年3月)第1章第1節, pp.16-19
    高等学校キャリア教育の手引き(2011年11月)第1章第1節, pp.16-19

     また、ガッツリ詳しくお知りになりたい方は、次の資料が丁寧です。こちらは、国立教育政策研究所生徒指導研究センターによる報告書です。
    キャリア発達にかかわる諸能力の育成に関する調査研究報告書(2011年3月)第2章第1節, pp.13-17

     で、この「4領域・8能力」なのですが、発表当時からつい数年前まで、学校への強い影響力を発揮していました。発表当初は、まだ目新しく、つかみ所がなかったキャリア教育の指導計画の作成において、金科玉条なみの基本資料とされたと言ってもいいでしょう。「小学校低学年では、これとこれ」「中学校段階ではこれとこれ」と、育成すべき能力が具体的かつ詳細に提示されたことが、大ヒットを生んだのだと思います。無論、「例」だと明示されてはいたものの、全国の大多数の学校が、「本校の児童生徒に身につけさせたい力」のほとんどを「4領域・8能力」からコピー・ペーストしたわけです。

     これにより、多くの学校でキャリア教育の全体計画の作成がなされましたし、キャリア教育という言葉が学校教育において市民権を得るに至ったのも、この「4領域・8能力」による部分が小さくないと確信します。

     でもこれが、実は、今日にまで尾を引く大きな問題も同時に生んでしまったのです。…そうです。キャリア教育の指導計画、とりわけ全体計画の「金太郎飴」化です。山間地域の小規模小学校でも、都市近郊の大規模な小学校でも、身につけさせたい力は全く同じ。しかも、国が作成した「4領域・8能力」に則っているわけですから、これを問題として捉える先生方は多くありませんでした。というより、それ自体を問題視する声が学校サイドから出されたことは皆無に等しかったと思います。

     さらに、各自治体の教育委員会では、そのほとんどが、学校での指導計画作成の便宜を図るために当該書式例を電子ファイルで(つまり、一太郎やワードやエクセル形式で)各学校に配付したことも、この問題に拍車をかけました。書式のみならず、丁寧に記載例まで添えるケースも少なくありませんでしたから、「記載例」の丸写しの学校が一気に増加したことは言うまでもありません。同一自治体内の学校では、書式も中身もほとんど同一の全体計画が出そろったのです。違うところと言えば、学校名と、各学校で以前から確立されている「本校の教育理念」「教育目標」くらい。

     こうなると、もう、末期的な感じですが、これが数年前までの全国的な動向でした。「○○年度」だけ更新して、同じ全体計画を10年以上使い続けている学校は、そう珍しいことではありません。

     もちろん、誰も悪気があってそうしたわけではないのです。「4領域・8能力」の詳細な「例」も、各学校がゼロベースで指導計画を作ることが困難であることを想定し、せめて「たたき台」ぐらいは必要だろうと考えたからこそ提示されたわけですし、各教育委員会が指導計画の書式例や記載例を電子ファイル化して公開・配付したのも同じ理由だと推察します。

     また、各教育委員会において、キャリア教育専任の指導主事が配置されることはまずありません。都道府県や政令指定都市であっても、主担当は国語であったり、道徳であったり、生徒指導であったりする指導主事が、副担当としてキャリア教育を業務とすることが通例です。一般の市町村教育委員会においては、教科でさえ専任指導主事を配置することが難しい状況ですから、キャリア教育については推して知るべし、というのが実際のところです。しかも、いわゆる「学力の向上」が企図される中にあって、各学校への指導・助言に際して自らの主担当教科の教育実践の改善に注力することは当然でしょう。また、緊急の対応が必要とされる生徒指導上の諸問題は管轄下の学校のどこかで常に発生しますから、その対応に忙殺されることも日常茶飯事です。キャリア教育の改善・充実まで十分な手が回らない状況は、誰かが手を抜いているから生じたわけでは決してありません。

     さらに、日本には、法的拘束力を有する「学習指導要領」があります。これは「国」が定める最低基準(正確には文部科学大臣が定めるものとされますが…)ですから、各学校がこれに準拠して教育課程を編成することは当然求められます。国内における一定の教育水準を保持し、教育の機会均等を確保するための仕組みのひとつです。けれどもその一方で、語弊を恐れずに言えば、国が提示したものに対して脊髄反応的に「右に倣え」をする学校文化が、半世紀以上にわたって培われてきたとも言えるでしょう。「4領域・8能力」をコピー・ペーストすることも、そういった動向の中で捉えられる必要があります。

     でも、それでもなお、キャリア教育においては、金太郎飴ではダメなのです。

     以下、その理由を具体例を挙げて説明します。

     まず、最大の問題は、「目の前の児童生徒の実態」が踏まえられていないことです。例えば、「人間関係形成能力」に区分される力を想定した場合、小学校1年生の当初から、学校によって身につけるべき力は異なります。山間地域の小規模校の場合、入学時において、入学児童全員がすでに「お友達」であり、そこには一定の関係性が既にできあがっていることが通例です。リーダー的な子、フォロアー・タイプの子、集団から孤立している子もいるでしょう。この場合、固定的な小集団ですから、孤立的な傾向のある子には、即刻何らかの対応が必要となるのは自明ですし、そういった関係性を前提とした上で、どのような「人間関係形成能力」を身につけさせるのかを考えなくてはなりません。一方、都市近郊の大規模小学校の場合、入学当初は、様々な幼稚園や保育所等を経て入学してきた子供たちの集団です。そこには、学級内での固定的な関係性は成立しておらず、小さな出来事が新たな関係性構築の契機となります。ほぼゼロからの学級づくりが求められるわけですから、山間地域の小規模校とは全く異なるアプローチが必要なのは当然です。

     …当たり前のことをエラそうに書いてしまってすみません。でも、「4領域・8能力」からのコピー・ペーストでは、こういったごく当たり前のことが、抜け落ちてしまう。これでは、ダメです。小学校入学当初においてでさえ、「目の前の子供の実態」を踏まえることが不可欠ですから、子供たちの成長・発達に伴って刻々と変容を遂げる実態を踏まえないままでは、キャリア教育実践は意味をもちません。無論、子供たちは地域性や家庭環境などから強い影響を受けますから、地域や家庭の状況なども視野に収めることが求められます。まして、入試によって「ふるい」にかけられ、学科の特性なども顕在化する高等学校においては、生徒の実態を踏まえることは、ますます重要となります。

     第二の問題、それは「権威ある誰かが作ったもののコピー」の安心感です。「国」が示した「育成すべき能力」を引用し、教育委員会が示した書式に則って書いた指導計画は、手堅く・間違いがないものとして捉えられる傾向にあります。ゆえに、一度作成してしまえば、頻繁に見直したり、修正したりする必要性は意識化されません。おそらく10年以上も全く修正されないまま、「キャリア教育全体計画」が使われている学校が珍しくないのも、こういったところに原因があるのかもしれません。

     同じ指導計画を見直すこともなく何年間も使い続ければ、当然、それは学校内で認知されなくなります。年度当初、職員会議に諮られることがあったとしても、「キャリア教育の計画については、前年度から特に変更ありません」と説明が加えられるだけで、サラッと次の議題に移るでしょう。職員会議に諮られればまだいい方かもしれません。分厚い「教育計画綴り」に綴じ込まれたまま、誰の目にも触れることなく、教頭先生や教務主任の先生のみが年度だけを更新して終わる学校もないことはない、というのが現実です。

     この夏、複数の教員研修の機会に、「自校のキャリア教育全体計画・年間指導計画を再点検しよう」というワークショップを実施しました。グループワークにおいては、どの研修においても「あれーっ。先生の学校と僕の学校、全体計画の中身がほとんど同じじゃないですか!」という驚きの声が漏れていました。(自治体主催の研修会に限らず、全国規模の研修会で、全く違う地域の学校でも「瓜二つ」というケースがいくつも確認されたことは僕にとっての衝撃でした。)また、いくつかの研修会では、研修会の主宰者が参加者による自由記述の感想を後日送って下さったのですが、そこには「恥ずかしながら、本校にキャリア教育の全体計画があることを、この研修に来るまで知らなかった」「本校のキャリア教育全体計画と年間指導計画を今回初めて見たが(以下略)」等々のコメントが、少なからずありました。

     これじゃダメなんです。指導計画は、教育委員会による計画訪問時の「お咎め」を避けるためのアリバイではありません。指導主事に見せて終わりでは、あまりにも悲しい。指導計画は、それに基づいて実践してナンボ。実践を振り返って、次年度の計画をより良くしてナンボです。

     …そんなこと言われても、作らなきゃいけない指導計画は山ほどあって、全部をちゃんと作るなんて、とても手が回らない。

     これが、学校の先生方の切実な声かもしれません。でも、指導計画の作成とそれに基づく計画的・系統的な実践、及び、実践の結果に対する評価とそれに基づく計画の改善は、学校教育の命綱です。とりわけ、総合的な学習の時間や、キャリア教育など、学校裁量に大きく委ねられる教育実践の計画は、学校が主軸となってオリジナルなものを作成しなくては始まらないのではないでしょうか。命綱とも言える指導計画の作成に手が回らないとしたら、その他の業務の効率化や、学校外の様々なリソースとの連携による業務軽減化が必要であるように考えます。

     このあたりのことについては、古くは2004年の中教審・作業部会が次のような審議のまとめを出しています。
    学校の組織運営の在り方について(2004年12月20日)

     また、新しいところでは、次の二つの中教審答申から何らかのヒントを得ることができるかもしれません。
    チームとしての学校の在り方と今後の改善方策について(2015年12月21日)
    新しい時代の教育や地方創生の実現に向けた学校と地域の連携・協働の在り方と今後の推進方策について(2015年12月21日)

     この夏の終盤近くに行われたある研修で、「基礎的・汎用的能力については、『4領域・8能力』のような一覧表は作らないんですか?」というご質問をお受けしました。僕は単なる「キャリア教育大好きおっさん」にしか過ぎませんから、文科省や国立教育政策研究所がそれを作るかどうかは分かりません。けれども僕は、そのご質問に対し、「おそらく、作らないと思いますよ」とお答えしておきました。僕がキャリア教育担当の調査官だった頃もそうでしたが、各学校のカリキュラム・マネジメントの在り方が問われる今日ではなお一層、キャリア教育の指導計画が金太郎飴になることは避けなくてはなりません。仮に、今、「4領域・8能力」一覧表の「基礎的・汎用的能力」バージョンができれば、一気に金太郎飴現象は再来するでしょう。現時点において、それはダメです。

     でも、正直なところを告白すると、国がバンバン詳細モデルを発表して、各学校がそれを「たたき台」にしてバリバリと自校化(カスタマイズ)を図るというのが理想だと思っています。だって、何事につけ、きっかけとかたたき台とかはあったほうがいいに決まってますからね。ただし、現段階では、おそらくそうならない。いくら「これは例ですよ」と宣言したところで、「国」が作ったものは「右に倣え」の対象にされてしまう危険性が高すぎる。…これが僕の杞憂に過ぎないことを本当に願っています。

     ま、願っているだけでは始まりませんから、お声をおかけいただく研修会では、学校オリジナルのキャリア教育指導計画づくりの後押しをさせていただいているところです。

     「蟻の一穴」と言えば、蟻が開けた小さな穴のような不祥事が組織全体に甚大な影響を及ぼすことの例えですが、もしそんなことが本当に起きるのであれば、いい意味での状況の転換も「蟻の一穴」から始まるのかもしれません。巨大な金太郎飴にみんなでチョコチョコと小さな穴を開け始めませんか?


バナースペース

藤田晃之

〒305-8572
茨城県つくば市天王台1-1-1
筑波大学人間系

TEL 029-853-4598(事務室)