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キャリア教育 よもやま話Just Mumbling...

第8話 キャリア教育と進路指導(2016年10月29日)

  •  今回のお題は、「キャリア教育と進路指導」です。

     「キャリア教育と進路指導の目指すものは同じ」――キャリア教育に関心をお持ちの方であれば、よく耳にするフレーズだと思います。でも、同じくらい頻繁に、「キャリア教育と進路指導を混同してはダメだ」という指摘も耳にしませんか?

     ……どっちなんじゃい! 紛らわしい!

    ですよね。実際ところは、先入観に囚われないようにしながら関連図書を読んだり、様々な意見に対して落ち着いて耳を澄ましたりしていれば、「キャリア教育と進路指導の目指すものは同じ」という捉え方に軍配が上がることは自明ですが、それでも、真っ向から対立するような指摘がそこら辺に散らばっているというのも不思議な現象です。また、そもそも「キャリア教育と進路指導の目指すものは同じ」だとすれば、半世紀以上も使われ続けてきた「進路指導」という言葉が存在しながら、わざわざ「キャリア教育」という別の言葉を持ち出してくるのはなぜか、という疑問も生じます。

     今回は、知っている人にとっては当たり前であるがゆえに、知らない人にとっては「今さら知らないとは言えないなぁ」と尻込みしてしまうキャリア教育トリビアのひとつ、「キャリア教育と進路指導の微妙な関係」についてお話しします。

     まず、文部科学省の公式見解としても採用されている捉え方をご紹介しましょう。(お堅い話ですが、ちょっとだけおつきあい下さい。)今回引用するのは、中央教育審議会答申「今後の学校教育におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」(2011(平成23)年1月)の一節です(第3章3(1))。

     進路指導は、本来、生徒の個人資料、進路情報、啓発的経験及び相談を通じて、生徒が自ら、将来の進路を選択・計画し、就職又は進学をして、更にその後の生活によりよく適応し、能力を伸長するように、教員が組織的・継続的に指導・援助する過程であり、どのような人間になり、どう生きていくことが望ましいのかといった長期的展望に立った人間形成を目指す教育活動である。
     このような進路指導のねらいは、キャリア教育の目指すところとほぼ同じである(以下略)。


     文部科学省によるこの他の指摘の引用は煩雑になるので控えますが、とりあえず、国の教育行政機関としては「キャリア教育と進路指導の目指すものは同じ」という立場を取っていることを確認したことにしておきますね。また、「日本キャリア教育学会」という学術団体の旧称が「日本進路指導学会」であったことも視野に収めれば、キャリア教育と進路指導とがほぼ同じ理念を掲げる教育活動であると位置づけることについて、日本では大方の合意が形成されていると言って良さそうです。

     では、「キャリア教育と進路指導を混同してはダメだ」という指摘が、結構頻繁に私たちの目に触れるのはなぜなのでしょうか。

     上で確認したように、本来、進路指導とキャリア教育は同じ理念・目標を掲げた教育活動です。でも、高度経済成長期からキャリア教育の提唱前までの進路指導実践の大半は、本来の進路指導の理念を反映したものではありませんでした。端的に言えば、卒業直後の所属先(具体的には進学先・就職先)に生徒を無事に送り届けることだけに全精力を投入する教育活動が「進路指導」と呼ばれてきたのです。仮に、努力の末に進学した学校で不適応を起こそうが、せっかく就職したにもかかわらず早期に離職しようが、そんなことは二の次にして、とにかく入試や就職試験に「合格させること」を目指す指導や支援が、多くの学校における「進路指導」だった時代が長く続いてきました。

     このような「進路指導実践」の問題点について、例えば、1989年(平成元年)版の『我が国の文教施策』(いわゆる「教育白書」)は、次のように指摘しています。(あぁ、これもお堅い文章ですが、引用します。)

     近年、中学校における進路指導については、業者の学力テストによる偏差値が主要な資料として利用され、生徒の能力・適性全般にわたる評価や進路希望等が十分考慮されておらず、また、そのことが高等学校の中途退学の要因ともなっているという指摘がある。高等学校の進路指導についても、大学入試の改革等に対応した的確な進学指導及び就業構造の変化や離職率の増大に対応する就職指導の充実が必要とされている。

     また、昭和63年秋に、文部省は中学校及び高等学校における進路指導に関する総合的実態調査を実施している。その調査結果によると、中学校、高等学校においては、進路指導部など進路指導に関する組織や進路指導の全体計画などを整備して組織的・計画的な活動を行っているが、他方、次のような問題点も明らかになっている。

    1)中学校、高等学校とも、教員は進路指導に関する技術を修得しているところは少なく、また、校内における進路指導の研修計画もあまり立てられていない。

    2)特に中学校の進路指導においては、生徒一人一人の個性を十分把握し、これを伸長させるという観点に立って第1学年時から系統的・継続的に行われるものとはなっておらず、第3学年時における学力中心の指導、すなわち、学力に偏った進路先決定の指導になっているとみられる。

    3)中学校、高等学校とも、進路指導に役立てるために収集している資料としては、上級学校に関するものが極めて多いが、職業観形成の援助に関するもの、新しい環境への対応に関するものは十分収集されてはいない。
    文部省(1989)『我が国の文教施策(平成元年度)』[第1部 第2章 第4節 2]


     もちろん、このような進路指導実践は、何らかの悪意に基づいてなされたものでは全くありませんし、先生方が手を抜いた結果でもありません。「よもやま話」第3話第6話でも言及したとおり、良い高校→良い大学→良い会社を“王道”とした「おやくそく」が広く日本社会に共有されており、実際に、学歴社会・学校歴社会等と弊害を指摘されつつも、高度経済成長を背景とした日本型終身雇用制が確固としてそこにあったわけです。中学校や高校の先生方が、「少しでもいい高校へ・いい大学へ」と生徒の背中を押し続けてきたのは、その後の就職を見越していたからですし、まさに親心であったとも言えるでしょう。

     でも、その一方で、入試や就職試験の「突破」にだけに意識を集中させ、それ以外の「余計なこと」を考えさせないようにする指導が、図らずも生み出してきた弊害について「見ないふり」を続けることは、今日もはや不可能です。

     つまり、「キャリア教育と進路指導を混同してはダメだ」と指摘される場合、その意図は、「キャリア教育と“本来の理念とは裏腹に入試や就職試験の合格だけを狙ってきた進路指導実践“とを混同して理解してはダメだ」というところにあるのです。

     「進路指導」という言葉が、「本来の進路指導の理念やその在り方」を指しているのか、あるいは、「かつての主流であった入試突破や就職試験突破を目指す実践(=理念とは乖離しつつも、進路指導と呼ばれてきた実践)」を指しているのか、その都度、文脈から判断して読み取る必要があるわけですね。

     さて、最後に、「キャリア教育と進路指導の目指すものは同じ」であるにもかかわらず、「進路指導」という言葉が存在しながら、わざわざ「キャリア教育」という別の言葉を用いるのはなぜかという問題について、僕なりの考え方を整理しておきます。あくまでも個人的な見解ですが、その理由は3つあるようです。

    [理由1]「進路指導」という言葉の意味が文脈に依存するから
     これまでお話ししてきたように、「進路指導」という言葉は、文脈によって意味を変えます。「キャリア教育」という言葉を用いることによって、「進路指導」の文脈依存性に起因する混乱や誤解を回避することができます。

    [理由2]「本来の進路指導」への回帰を求めるキャンペーンが功を奏しなかったから
     上に引用した『我が国の文教施策』(教育白書)が示すように、ひたすら入試突破や就職試験突破を目指す実践の是正は、以前から重要な課題であるとされてきました。文部省は、本来あるべき進路指導の実践を求めて各種の『進路指導の手引』を刊行しましたし、1976年には初等中等教育局長通達、1983年には事務次官通知の形で、実践の是正を強く訴えていたのです。けれども、実際には、あたかも「ハイハイ。理念は分かりましたよ。でも、受からせなくちゃ始まらないというのが現実ですからね。」という声が聞こえてきそうなリアクションだったわけです。「本来の進路指導」への回帰を求めても、その度に受け流されてきたと言えるでしょう。「本来の進路指導を!」というキャンペーンに代わる打開策が必要であり、それが「キャリア教育の推進」であったと考えます。

    [理由3]就学前からの系統的・体系的な取組が必要だったから
     進路指導は、理念的にも実践上も、中学校・高等学校など中等教育段階の諸学校における教育活動として位置づけられてきました。文部省・文部科学省による一連の『進路指導の手引』や関連通達・通知等をみても、指導の対象となるのはすべて「生徒」であり、「児童」も「学生」も全く登場しません。そこで、幼児期の教育から高等教育に至る実践を嚮導する理念を示す用語として「キャリア教育」が提示されたと考えられます。もちろん、用語としては「進路指導」を継続使用して、「今後は幼児期から系統的・体系的に取り組みましょう」という方針を示すことも選択可能な方策だったとは思いますが、「進路指導は中学・高校でやるもの」という理解は深く根を下ろしていますし、入試突破や就職試験突破を目指す実践を就学前からやらせるのか?という誤解すら招きかねません。こういった諸々を勘案して、「キャリア教育」という新たな「看板」を採用し、心機一転の実践を促すことが目指されたのではないかと推測しています。

     今回はキャリア教育と進路指導との関係について、僕なりに整理を試みたつもりなのですが、実は、とっても大きな課題が残されていることにお気づきになったでしょうか。

     これまで確認したように「キャリア教育と進路指導の目指すものは同じ」です。また、キャリア教育は就学前段階から高等教育に至るまで系統的・体系的に実践されるべきものです。幼稚園・保育所・認定子ども園や小学校といった就学前及び初等教育機関、あるいは、大学・短大等の高等教育機関については、これらの整理でスッキリします。要は、「キャリア教育の推進と拡充に取り組もう!」ということですよね。でも、進路指導とキャリア教育が併存する中学校や高等学校等の中等教育機関においては、「目指すものが同じ」である二つの用語をどう使い分けるのか?……これは結構難題です。いっそのこと、キャリア教育に一本化してしまえばよさそうな感じもしますが、法令に基づく様々な仕組み(例えば、中学・高校等に指導教諭や教諭の充て職として「原則必置」とされる進路指導主事*など)がありますから、現段階において、そう簡単にはいきません。

    *学校教育法施行規則 第71条
     中学校には、進路指導主事を置くものとする。
    2 前項の規定にかかわらず、第三項に規定する進路指導主事の担当する校務を整理する主幹教諭を置くときは、進路指導主事を置かないことができる。
    3 進路指導主事は、指導教諭又は教諭をもつて、これに充てる。校長の監督を受け、生徒の職業選択の指導その他の進路の指導に関する事項をつかさどり、当該事項について連絡調整及び指導、助言に当たる。

    この他、「免許状更新講習規則」「文部科学省組織規則」「国立教育政策研究所組織規則」「文部科学省組織令」「公立高等学校の適正配置及び教職員定数の標準等に関する法律施行令」「公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律施行令」「教育職員免許法施行規則」 において「進路指導」という用語が用いられています。


     たかが「言葉」と侮ってはいけませんね。

     でも、「キャリア教育と進路指導」をお題として長々と駄文を書き連ねた後でこんなことを申し上げるのは恐縮なのですが、個別の学校現場においては、進路指導という言葉を優先するか、キャリア教育の方を優先するかというテクニカルな議論に侃々諤々と時間を割くことよりも、本来在るべき実践の姿を見失わないようにしつつ、目の前の子供たちに身につけさせたい力とは何かを意識した取組の充実を図ることのほうが、遥かに重要だと思います。皆様はどうお考えですか?


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