今回のお題は「キャリア・プランニングはナンセンス?」です。
ニューヨーク州立大学のキャシー・デビッドソン(Davidson, C.N.)が、「2011年度にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は、今は存在していない職業に就くことになるだろう」と指摘したことは、日本でも広く紹介されました。本国アメリカでは「65%と特定する根拠が示されていない」といった批判が出され、一時はその信憑性をめぐってホットな議論も起きましたが、AIに代表される技術革新によって社会に必要とされる職種や職業が急速に変容することは疑いのない事実でしょう。
また、オックスフォード大学のマイケル・オズボーン(Osborne, M.A.)らが、今後10~20年程度で半数近くの仕事が自動化される可能性を示したことにも関心が集まりましたね。
社会的な環境の変化が人の働き方に大きな影響を与えるのは世の常です。例えば、産業革命による失業をおそれ、イギリスの労働者たちが織物機械の破壊運動を起こしたことは広く知られています。戦後日本の産業・職業構造を見ても、この70年間の変容には目を見張るものがあります。終戦直後は約半数の就業者が第一次産業に従事していたわけですが、現在では、7割以上の就業者は第三次産業に携わっています。もっと身近な例を挙げれば、僕の子供の頃にはdocomoショップもauショップもありませんでしたし、amazonや楽天などの通販にこれほど依存する消費生活を想像することも困難でした。また、回転寿司の店舗で好みの寿司をタッチパネルで注文し、誰とも声を交わさないまま食事が済んでしまう状況に我が身を置き、改めて「時代が変わったなぁ」と感じているのは僕だけではないと推察します。私たちは、これまでも、これからも、予測を超える社会の変化に対応しつつ生きていかざるを得ない宿命にあると言えるでしょう。
では、こんな状況にあって「キャリア」は「プラン」できるのでしょうか。
AIの急速な進展を目の当たりにしていると、「どんな変化がやってくるかもわからないこの時代に、将来設計をしたって意味なーし!」…という思考停止宣言をしたくなる気持ちもわからなくはないのですが、今回のよもやま話では、「こんな時代だからこそ、キャリア・プランニング能力を鍛えておきませんか」というお話をしたいと思います。(こう書くと、どうも説教くさい感じですが、お付き合いいただけましたら幸いです。)
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実は、人は将来設計に則って職業選択をするとは限らない(むしろ、偶発的に職を選び取っていく)という指摘は、かなり前からなされていたことを確認しておきましょう。
例えば、イギリスの研究者であるチャウン(Chown, S.M.)は、1958年に発表した研究において、192人のグラマースクールの生徒らを対象に調査を行い、その多くが計画的な職業選択を行っておらず、偶発的な理由から就業先を決めている実態を明らかにしています。1958年といえば、その後のキャリア発達研究に絶大な影響を与えたスーパー(Super,
D.E.)が、彼自身の初期の理論を体系化してまとめたPsychology of Careersを出版した翌年ですので、人が階段を上るようにしてキャリアを積み上げていくようなキャリア発達の捉え方については、当初から異論があったわけですね。
人のキャリアが偶発的要因によって形成されていく現実を最もクリアに指摘し、今日でもその理論に注目が集まっている研究者といえば、クランボルツ(Krumboltz,
J.D.)です。彼は、個々人のキャリアの約8割が、事前に予測されない偶発的な事柄(ハプンスタンス[happenstance])によって形成されるとした上で、人はその偶然の出来事を自らに引き寄せることができるという考え方を示し、「計画的偶発性理論(Planned
Happenstance Theory)」として提示しました(Planned Happenstance: Making the Most of Chance Events in Your Life and Your Career, 2002)。
計画的な偶発性――普通に考えれば矛盾するような話ですが、「偶然」という形でやってくる人生の転機を味方につけるために、クランボルツは以下の5点が重要であると指摘しています。
1)好奇心
2)持続性 (努力し続けること)
3)楽観性
4)柔軟性
5)リスク・テイキング(リスクを恐れないこと)
あぁ、その通りですね。偶然の出来事に自分を開き、そこに飛び込んでいくことで拓ける未来は少なくないはずです。
でも、世界的に有名なクランボルツ先生の理論に難癖をつけるつもりは毛頭ないのですが、失敗しても努力し続けたり、リスクを恐れず行動に移したりするには、そのエネルギーの「源」あるいは「中核」となる「何か」が必要です。偶然の出会いに対して「よし、これだ!」と思う契機がないと、何てことのない偶然のような外形で目の前にやってくる出会いを見過ごしてしまいますし、仮に何らかの出来事を契機に行動に移しても些細な壁にぶち当たっただけで「やっぱりダメだぁ」と心が折れてしまいます。
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いきなり話題が替わって恐縮ですが、「Seize the fortune by the forelock.」という英語のことわざがあります。直訳すると「幸運をその前髪でつかみとれ」。このままでは、何を言っているのかよくわからない感じですが、これは、ギリシャ神話で幸運を司る男性神カイロスに由来しているそうです。カイロスは突然現れてすぐに走り去っていき、しかも、前髪しかなくて後頭部はハゲているというなんとも変わった風貌です。
幸運の神様が来た!と思ったら、その瞬間に躊躇せず前髪をつかんで引き寄せないと、チャンスを逃してしまいます。しかも、カイロスを前から見ただけでは、幸運の神様かどうか判別することは難しいのです。世間一般がどう思うか、他の人がどう判断するか…ではなくて、自分に自身にとって「この出会いは重要だ!」と判断することが求められるわけですね。つまり、日頃から、自分がすべきこと・できること・したいこととは何かを考え、目指すべき方向性や目標を心に描いていないと、偶然の出会いに対して「よし、これだ!」とは思えません。
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またもや突拍子もない話ですが、19世紀のフランスの生科学者であり細菌学者として著名なパスツール(Pasteur, L.)は、あるスピーチで「偶然は準備のできている人のみを助ける」と述べています。原文は「Dans
les champs de l'observation le hasard ne favorise que les esprits préparés.」ですので、逐語訳をすれば「観察の分野(=研究の世界)では、偶然の機会は準備のできている精神だけに好意を示す(肩入れをする)」となります。いずれにしても、見いだしたいもの、追い求めているものを強く意識しているからこそ、地道な実験をやり続けることができ、偶然発生したかのような微細な変化にも気づくことができるのです。求める心がなければ目の前にチャンスが訪れても、それに出会うことはできないとも言えるでしょう。
さらに、経営学の父とさえ称されるドラッカー(Drucker, P.F.)が、1973年に公刊した大著「Management: Tasks, Responsibilities, Practices」において次のように記していることにも注目する必要があります。(ここでの引用は、1993年出版のHarperBusiness版p.776によります。また日本語訳は、
上田惇生訳(2008)『マネジメント : 課題、責任、実践(下巻)』ダイヤモンド社p.254から引用しました。厳密な逐語訳ではないのですが、本質を正確に訳しとりつつ、力のある日本語になっているなぁと思います。)
Growth requires internal preparation. ... When the opportunity for rapid growth will come in the life of a company cannot be predicted. But a company has to be ready. If a company is not ready, opportunity moves on and knocks at somebody else's door.
成長には準備が必要である。[中略]成長のための機会がいつ訪れるかは予測できない。しかし準備はしておかなければならない。準備ができていなければ、機会は去り、他所の門を叩く。
まさに「Seize the fortune by the forelock.」ですね。
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ここで今の日本に目を移せば、シンガーソングライターのスガシカオが、自らボーカルを務めるkokuaの楽曲「夢のゴール」において、聴き手の私たちに向かって「君がなりたかった夢って何?」と問いかけ、その後、いくつかの職業名を列挙し、「それは職業のただの名前で 君が歩いていく道の名前じゃない」と述べています(©スガシカオ)。
具体的な個々の職種や職業は、今後の急速な社会的変容の中でその姿を大きく変えることになります。今後、需要が減少し、その社会的な役割を終えるものも出てくるはずです。一方で、新たなニーズに応えて出現する職種や職業も数多いのです。
大切なのは、自らのキャリア・プランを就くべき職種や職業の名前の確定作業に置き換えてしまうのではなく、「働くこと」を通して自分の力をどのように発揮し、社会(あるいはそれを構成する個人や集団)にどのように貢献していきたいかについて考えながら、変容する社会に自分を開き、参画していこうとすることなのだと思います。職業人としての自分が携わって提供することになるモノやサービスや情報は、誰かの手に届き、その人の「ありがたい」「助かった」「よかった」という思いが対価に形を変えて自分の生活を支える経済的な糧になります。結局は、自分のしたことが誰かの笑顔につながることによって職業人として生きられるのです。自分は、どんな人たちの笑顔につながることを軸にしていきたいのか――こういう視点で自らのキャリアを展望することが必要なのではないでしょうか。
そういえば、「人生は、夢だらけ」というテレビCMがありますね。もちろん「何を能天気な…」と一笑に付すこともできるでしょう。待っていれば棚からぼた餅が落ちてくるほど甘い世の中であるはずがありません。けれども、激しい変化の中でパッと訪れる幸運の神様の姿を捉え、その前髪をつかみ、自らも変容しようと努力を続けることで、新たに進むべき道が見えてくる可能性は高いと考えます。大切なのは、自らの将来(及びそれを基底から枠づける社会そのもの)への関心と、自分自身にとっての幸運の神様(転機)に気づくためのキャリア・プラン、そして、学び続けようとする姿勢です。当然、これらは一朝一夕に身につくものではありません。子供のころから多様な試行錯誤の経験を積み、徐々に体得していく以外に王道はありませんね。まさに、すべての教育活動を通した系統的なキャリア教育が求められていると言えそうです。
「人生は、夢だらけ」はいささか大袈裟にせよ、「人生は、チャンスだらけ」なのかもしれません。チャンスとリスクは表裏一体なので、チャンスだけに満ち溢れているわけではありませんが。
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