今回のお題は「働くって、何だろう?」です。
皆さんは、英単語「labor(labour)」やフランス語の「travail」、ドイツ語の「Arbeit」が、文脈によって、労働・勤労・出産・分娩・苦心・苦労…とコロコロと意味を変える多義語であることに悩まされたことはありませんか? 和訳の問題で減点され、「えーっ、この単語にそんな意味があるなんて知らなかったよ」と高校生や大学生時代に悔しい思いをしたことを記憶されている方もいらっしゃるかもしれません。
日本語では「勤労」と「出産」の間にはずいぶん距離がある感じですが、欧米の言語ではなぜ一つの単語で表現されることが多いのでしょうか。今回のよもやま話は、まず、そのヒミツを探ることからはじめたいと思います。
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欧米社会で広く共有される勤労観は「労働=神の罰」という考え方をベースにしていると言われています。どうやら、その起源は少なくとも二つありそうです。
一つ目はギリシャ神話です。
ギリシャ神話での最高の神・ゼウスは、未熟な人間に天界の火(=知恵)を与えることを禁じていました。けれども、ティタン(巨人)神族の一人であるプロメテウスがそれを盗み出し、人間に与えた結果、人間は火を用いて戦争を始めてしまいます。この事態を受け、ゼウスは人間に対して大地を耕す労働を科し、食料を自ら作り出す以外に生きられない存在としたと言われています。
もう一つの起源は旧約聖書です。
天地創造の後、神は「エデンの園」においてアダムとエバ(イブ)を創り、「善悪の知識の木(知恵の木)」を除いて、全ての木々の実を食べることを許しました。けれども、蛇がエバをそそのかし、二人は禁じられた木の実を食べてしまいます。その結果、二人はエデンの園を追放されることとなるのです。その際、神はアダムに対して、地を耕し、そこから得られる食物を採る以外にないと宣告し、エバには苦しみをもって子を産む宿命を授けたそうです。
欧米の言語で、労働・勤労・出産・分娩・苦心・苦労等々が一つの単語で示される場合が少なくないのは、こんな背景があるからなんですね。
食い扶持を得るための避け難い苦役としての労働という捉え方は、その後、労働こそが信仰の証であるとの理解に変容し、16世紀の宗教改革期において、職業は神から授かった使命であるとの位置づけを得るようになります。けれども、神の定めに反して知恵を得たこと(=原罪)に対する罰としての労働(=苦役)、そして苦役の対価として得られる経済的報酬という根源的な理解は、今でも欧米の多くの人々の意識の奥に共有されているようです。欧米の国々において、職務遂行の時間と私生活との間に明確な線を引き、終業時刻が来れば仕事の進捗にかかわらずサッと仕事の手を止めて帰宅する人が多いのは、こういった勤労観をベースにしているからなのかもしれませんね。労働は「罰」であり「苦役」ですから、一刻も早くそこから抜け出したいと考えるのは自然のことなのでしょう。
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一方、日本の伝統的な勤労観はそれとは大きく異なります。
例えば、日本神話に登場する天照大神(あまてらすおおみかみ)は、自ら機織り部屋で仕事をし、神田の稲を育てる存在です。神様自身が労働をする姿として描かれる点は、ギリシャ神話との明確な違いの一つと言えます。
また、大きく時代を下って江戸期に目を移しても、職業は社会の中で生きること自体と深くかかわる役割として見なされており、勤労観と人々の生きる指針となる哲学や倫理感とは相互に密接に結びついていたようです。
例えば、武士道が武士階級の職業倫理としての側面をもっていたことなどはその典型ですね。江戸前期の儒学者・山鹿素行は「武士道」を「職分」と呼び、「三民(農・工・商)」に対する武士の責任の体系であるとしています(前田勉(2010)「山鹿素行における士道論の展開」愛知教育大学日本文化研究室『日本文化論叢』第18号)。社会全体の中で、武士階級が果たすべき役割論(=職分論)こそが、武士道であったと言ってよいでしょう。
また、江戸中期に「石門心学」の始祖となったことで知られる石田梅岩は、「商人の其(その)始(はじめ)を云(いは)ば古(いにしえ)は、其餘り(あまり)あるものを以てその不足(たらざる)ものに易(かえ)て、互いに通用するを以て本(もと)とするとかや」、すなわち、「商人の起源とは、どこかで余ったものを、足りないところへもっていき、お互いに補って役立てることにあった」と記しています(石田梅岩『都鄙問答』[今回は2007年発行の岩波文庫版を参照しました])。石田梅岩は、商人の社会的な存在意義を示しつつ、社会において果たすべき役割を遂行することこそが人々の生業(なりわい)の本質であると主張していると言えるのではないでしょうか。
ちなみに、「『働く』とは『傍(はた)を楽にすること』である」という説明は、語源に由来するものではなく言葉遊びに過ぎないそうです。でも、日本社会において、この説明が今日まで長く受け継がれてきているのは、そこに私たちが深く共感する部分があるからかもしれません。
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働くのは食い扶持を稼ぐためのやむを得ない手段。その苦役と引き換えに報酬を得る――単純化して極論を言えば、これが欧米文化における勤労観の原型です。
一方、日本文化においては、働くことと生きることとは切り離すことが容易にはできない存在であり、自らの力を誰かの役に立てることによって得られる対価(=誰かの感謝の証)が報酬であると捉えられてきました。
無論、このような勤労観に根ざしているからこそ、日本では、我がチームのため、我が部局のため、我が社のために滅私奉公してしまう(同時に、私たちが深く内面化させているこのような勤労観に巧みに働きかけて滅私奉公させてしまう)ことが付随させる様々な問題に無自覚であった時代が長く続いてきたと言えるでしょう。さらに、高度経済成長期の日本においては、このような慣習に疑問を差し挟むより先に豊かな金銭的報酬を手にできたため、滅私奉公型の労働の深刻な問題が経済的な豊かさによって「帳消し」にされ、その慣行が一層深く根を下ろしたのかもしれません。日本文化が長く育んできた勤労観がこういった負の作用も併せ持ってきたことを十分認識し、「働き方改革」を進めることは重要です。
けれども、負の側面にばかり注目して、欧米化を図ることのみに傾斜するのはあまりにももったいないし、おそらく、成功しないと思います。
ギリシャ神話や旧約聖書が、欧米の言語や欧米の人たちの考え方を底から規定しているように、日本人の勤労観も長い歴史によって培われてきたものです。それを前提にしつつ丁寧な議論を重ねないと、「働くのは食い扶持を稼ぐためのやむを得ない手段ですから、勤務時間中は自らに与えられた職務(=課された苦役)にだけ専念して、終業のベルが鳴ったら即刻その苦役から解放されましょうね」という悲しいキャンペーンになってしまいます。苦役からは「高い品質」も「きめ細やかなサービス」も生み出されませんし、職業人としての「矜持」などは期待することさえできません。
もうそろそろ、欧米発の理論や施策一辺倒ではない議論を本格的に始めるべき時期ではないでしょうか。もちろん、「そう言うおまえこそ始めてみろよ」……ですよね。それを強く自覚しつつ、今回のよもやま話を皆様にお届けします。
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