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キャリア教育 よもやま話Just Mumbling...

第34話 AI時代に求められる力(2018年3月11日)

  •  今回のお題は、「AI 時代に求められる力」です。

     極めて個人的なご報告になり恐縮ですが、先日、ちょっとした怪我をしてしまいました。

     3月9日の朝、関東全域が記録的な大雨に見舞われた時間帯、ずぶ濡れになった僕は、自宅の最寄り駅で自動改札に向かって歩いていました。 全く意識はしていなかったのですが、自動改札のうちの一つにつながる点字ブロックの上に右足を乗せてしまったらしく、大きく滑って転んでしまいました。尻餅をつく寸前で右手で体を支えたのですが、 それが災いし、僕の全体重を瞬間的に受けた右手首を痛めてしまったのです。 「大したことはないだろう」とたかをくくり、そのまま電車に乗ったのですが、左手で右手首を支えなければ耐えられない痛みが継続的に発生し、徐々に手首を中心に腫れてくるのがわかりました。額には妙な汗も浮かんでくるし、右手がしびれてくるような感覚も生じてきます。

     ずいぶん迷ったのですが、途中で電車を降り、会議欠席の連絡を行い、自宅最寄り駅に引き返してきました。そこでタクシーを拾い、 時間外診療の可能な整形外科のある病院に向かいました。

      その後の詳細は省略しますが、結果としては右手首の複雑骨折という診断でした。現在は簡易的なギブスで右手を固定していますが、数日後には手術です。幸い、全ての指の感覚はありますし、痛みは出るものの指は全部動きますので、大したことにはなりそうもありません。また、利き手である右手が使えない、という状況に突然遭遇し、この歳になって新たな体験ができることは、貴重な学習経験ととらえられなくもありません。(こうして音声入力で文章が作成できることを身をもって体験できたのも、この怪我のおかげです。これまでは「音声入力なんて誤変換が多くて使いものにならないはず」と決めてかかっていましたが、実際はそうではないのですね。)

     すみません。前置きが長くなりました。今回は怪我をしたという不幸自慢をするつもりではありません。今回の出来事は、人間でなくてはできないこと、つまりAI(人工知能)ではおそらく難しいことについて考えるきっかけとなりました。今回はこの点についてご報告しようと思います。

     まず、初めに乗ったタクシーの運転手さんです。「〇〇病院の救急窓口までお願いします」と告げると、「お怪我ですか?できるだけ空いている裏道で行きましょうね」 と声をかけてくれました。実際にそれで時間短縮につながったかどうかはわかりませんが、僕は心から安心しました。

     病院に到着すると、おそらく患者を搬送したばかりの救急救命隊の方が建物の外にいました。「すみません。急患窓口はこちらでよろしいのでしょうか。」こう尋ねた僕に対し、 「そうです。どうされましたか?」と対応してくださいました。その後、不在の窓口職員に代わって僕の状況を聞き取り、その情報を中で対応していた医師に伝えてくれたのは、この救急救命隊の方です。

     処置を待っている僕に対して、三角巾で手首を安定させ、冷却材で痛みを和らげてくれたのは看護師さんでした。おそらく、治療明細書の項目名には反映されない対応だったと思います。けれども、 このおかげで痛みは随分楽になりました。

     骨折の判断がなされ、後日の入院に備えて様々な検査をしている際に、僕は背広とワイシャツを脱ぐよう指示をされました。当然のことですが、一人で背広の着脱ができるような状況ではありません。看護師さんや検査技師の皆さんが手伝ってくれました。しかも、脱いだワイシャツと背広は、帰宅時にはきちんとたたまれ、持ち手がついた紙袋に入った状態で戻ってきました。簡易ギプスのため右袖を通すことができないワイシャツは、外の雨に配慮してくれたのでしょう、透明なビニール袋に入っていました。

     ここに記した事の他にも、今回の怪我を通してたくさんの優しさに触れました。すべての皆さんは「赤の他人」ですし、業務として行なったことではありません。困っている第三者に対して、今何をすべきなのか、何をしたらその人の助けになるのか、皆さんが配慮し行動に移してくださったことを、本当にありがたく思いました。

     今回の怪我を通して、思い出した出来事が一つあります。

     それは、今からおよそ10年前、4月下旬の夜のことでした。文科省に赴任したばかりの僕は、帰宅するため文科省の近くの交差点を渡っていました。横断歩道の幅の分は、道の向こう側の歩道の縁石も車道面との段差が出ないように完全に切り下げてあるはず……疑いもなくそう思っていた僕は、横断歩道の左端を歩いていました。気づくと、縁石に右足のつま先が当たり、慌てて出した左足のつま先も同じ縁石に引っかかって、そのまま前に倒れてしまいました。両手に荷物を持っていた僕は、わけのわからないまま、顔面をアスファルトの歩道にたたきつけてしまったわけです。 どうにか起き上がったのですが、視界がほとんどありません。僕は極度の近視なので、眼鏡が吹き飛んでしまうと、数メートル先の物の輪郭さえ判然としないのです。しかも、夜間は裸眼で見える範囲が一層狭まります。

     まもなく歩道から「キャーっ」という女の人の悲鳴が聞こえました。ほぼそれと同時に、「額から出血しています。大丈夫ですか?」という男の人の声が近くでします。その数秒後、少し離れたところでは「今の時間、開いている病院はどこだ?」「虎の門病院までの道順わかる人、いる?」という声が聞こえます。そして、次の瞬間には、「これはあなたのメガネですね。割れてしまっていますがワイシャツの胸ポケットに入れておきます」「歩けますか?僕の肩に手を回してください」「これはあなたのカバンですよね。私が持ちます。 病院まで一緒に行きますね」……と幾人もの人が助けの手を差し伸べてくれました。

     虎の門病院に到着すると、急患窓口の職員に誰かが手短に僕の状況を伝えてくれました。僕がとりあえずソファーに座るよう指示を受けると、その人たちは「では、僕たちはこれで失礼します。お大事になさってください。」と言ってその場から立ち去っていきました。交差点から病院まで、実際に何人の方が付き添ってくださったのか分かりません。けれども、僕はその後、傷の縫合をされ、深夜には病院から出ることができました。

     夜遅い時刻、誰もが家路を急ぐ中で、急に歩道に倒れ込んだ誰とも知らない男を、お互いに見知らぬ者同士が瞬時に連携を取って手助けをする。その瞬間には、単にありがたいなぁとしか思いませんでした。けれども、よく考えてみると、僕にとっては奇跡のような出来事でした。当時僕は、虎の門病院の存在すら知りません。おそらく一人ではメガネすら拾えず、血を流して途方に暮れていたはずです。あの日の出来事は、東京での仕事の不安を一気に掻き消してくれました。「東京の人は冷たい」――そんなステレオタイプに身構えていましたが、そんなことは全くありませんでした。

     人には優しくしよう。困っている人がいたら助けよう。……徳目主義だと批判する人もいますが、僕は全くそう思いません。あの日、僕は本当に救われました。(その後、頭に包帯を巻いた顔に傷のある男が、割れた眼鏡をかけて真夜中にやってきたにもかかわらず、何の躊躇もなく宿泊させてくれたカプセルホテルの従業員の人にも感謝しなくてはなりません。)

     今後、AIの開発が進んだとしても、繊細に相手の感情やニーズを感じ取り、心の通ったコミュニケーションに発展させ、適切な行動に移すスキルは、 AI が代替できるものではありません。人間としての直感や情動に基づく意思決定は、AIが人間を凌駕することができない領域であると考えます 。

     全くの例えばですが、将来、列車の運転手の仕事はAIに代替される可能性が高いかもしれません。けれども、仮にそうであったとしても、列車内の乗客の様々なニーズに対応する車掌の業務は AI には代替できない、と言われています。人々のニーズや要望は、論理性や合理性に根拠づけられたものばかりとは限りません。またそれらの中には、外形的に認知できる行動や、辞書的な語義に基づく文意には現れないものも多くあります。車掌はそれらを瞬時に解釈し、自らの対応可能性やその他の状況の判断のもとで、適切な行動を選択・決定して、乗客の対応にあたるわけです。AIにそれら膨大なデータを学習させ、俊敏に適切な行動をとらせるためには、現時点の予測では現在の車掌の人件費を大幅に超えるコストとなってしまいます。

     僕の右手の怪我は、MRIによる精緻な診断や、持続性がありながら消化器への負担の少ない鎮痛薬など、最先端の研究成果に支えられて治療が進んでいきます。一方で、今回ご紹介したような多くの皆様方の人間らしく細やかで配慮ある言動によって、僕の心身は癒され、支えられました。今後 AI がどれほど高度になったとしても、人間相互の豊かで温かなコミュニケーションの価値はけっして失われることはないと信じています。


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藤田晃之

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