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キャリア教育 よもやま話Just Mumbling...

第36話 教科を通したキャリア教育は難しい?―その2―(2018年5月6日)

  •  今回のお題は、「教科を通したキャリア教育は難しい?」です。

     実は、かれこれ2年近く前、2016年8月2日に「第2話」として同じお題で駄文を書き連ねています。その折に、「具体事例をお示しする必要があると思いつつ、下手な長話にこれ以上おつきあいいただくのも申し訳ないので、続きはまた別の機会に。」と、肝心なところでお茶を濁してしまっていたのですが、それがずっと喉の奥に引っかかった魚の小骨のように気になっていました。

     そして今朝、朝日新聞の朝刊に掲載された鷲田清一さんのコラム「折々のことば」を拝読して、「あぁ、今日こそ『よもやま話』を更新すべき時だな」と思いました。すべきことは分かっていながら手をつけられずにいた夏休みの宿題を前にして、やっと「やる気スイッチ」が入った小学生のような気分です。鷲田さん、ありがとうございます!(本当は、締切の過ぎた報告書や予算申請書などの諸々を仕上げなくてはならない状況の中で、現実逃避に都合のいい口実をこじつけている自覚がないわけではありません。ま、1日は長いので気にしない、気にしない…。)

     まずはもったいぶらずに、鷲田さんによる本日付けの「折々のことば:第1101回」をご紹介します。

     民主的な社会に暮らす方法を学びたいのならば、オーケストラで演奏するのがよいだろう。(ダニエル・バレンボイム)

     楽団の各パート(受け持ち)は、あてがわれた単一の機能を担う部品(パーツ)とは違って、他の演奏者の思いを量りつつ、追従したり、けしかけたり、互いに応じあう中で曲を作ってゆく。そう、他の人のために場所を残しながら、同時に自分の場所を主張すると、ピアニスト・指揮者は言う。A・グゼリミアン編『バレンボイム/サイード 音楽と社会』(中野真紀子訳)から。

     まさに、音楽の授業を通したキャリア教育の具体例がこれです! 鷲田さんが紹介しているバレンボイムの言葉ではオーケストラでの演奏について述べていますが、これを器楽合奏や二部合唱・三部合唱等に置き換えてみると、音楽の授業そのものです。オーケストラ部、吹奏楽部、軽音楽部、合唱部などの部活動にも、そのまま通用しますね。

     仮に、ある学校で(あるいは当該学校の特定の学年で)、「一人一人の良さを認め、それぞれを大切にすることができる」「自他の良さを互いに活かしながら協力して生活することができる」などのキャリア教育の目標(キャリア教育を通して身につけさせたい力)が設定されているとしましょう。

     その学校(あるいは学年)におけるキャリア教育の実践にとって、音楽の授業は、絶好のチャンスの一つです。その理由は、バレンボイムの言葉を鷲田さんが読み解いてくださったとおり、音楽の授業の中に「他の演奏者の思いを量りつつ、追従したり、けしかけたり、互いに応じあう中で曲を作ってゆく。そう、他の人のために場所を残しながら、同時に自分の場所を主張する」というキャリア教育の“宝”があるからに他なりません。

     無論、このようなキャリア教育の目標を全く意識しなくとも、合奏や合唱等の授業においては、それぞれのパートの音や声を聴きあい、主旋律を活かしながら、自分のパートの役割を果たして一つの楽曲を創り上げる醍醐味を体感することができるよう指導することが求められます。でも、教師が「今、自分が指導しているこの音楽の授業そのものが、この学校(学年)で目指しているキャリア教育の目標を達成するための重要な機会でもある」と認識し、それを子供たちに伝えなければ、子供たちは、音楽の時間における学習活動それ自体が「民主的な社会に暮らす方法」につながるものであることに気づき、「なるほど!」と実感することはできません。そのような場合、音楽での学びは音楽の時間内に閉じたものとなり、ややもすると「うまく歌う」「うまく演奏する」という知識・技能の習得に限定した学習活動にとどまってしまう可能性も否定できないと言えるでしょう。

     …もしそうだとすれば、本当にもったいない。

     キャリア教育は、子供たち一人一人が「学ぶことと自己の将来とのつながりを見通しながら、社会的・職業的自立に向けて必要な基盤となる資質・能力を身に付けていくことができるよう」になるための指導・援助を、全ての教育活動を通して系統的に提供するものです。音楽の授業の中にそのための重要な機会がありながら、教師も子供たちもそれに気づかないとしたら、もったいないとしか言いようがありません。

     この点について、よもやま話「第2話」では次のように書いています。2年前から自分自身に成長がないことをお恥ずかしく思いますが、考え方自体は今でも変わっていません。。

     大切なのは「教科を通したキャリア教育とは、扱う単元や題材等にキャリア教育的な『何か』を新たに付け加えることではない」という基本ラインをおさえることです。(中略)当該単元の内容そのもの、あるいは、その単元のねらいを達成するための授業展開(指導手法など)の中に、キャリア教育としての価値が潜んでいる場合に、その価値を見いだし、それを意識して指導することが「教科を通したキャリア教育」の姿です。もともと、“授業の中にあるもの”に気づき、子供たちが「そうか、ここで学んでいることは僕にとって、わたしにとって意味のある、必要なことなんだなぁ」と実感できるように工夫することと言い換えてもいいでしょう。「教科の中でキャリア教育なんていう余計なものをやる」のでは全くなく、「教科での学びの意義を自らに引き寄せて納得・実感させるためにやる」のです。

     次期学習指導要領の「前文」は、「よりよい学校教育を通してよりよい社会を創るという理念を学校と社会とが共有」することを前提とした「開かれた教育課程」の実現を目指すと明示した上で、「(上級学校での)教育や生涯にわたる学習とのつながりを見通しながら、児童[小学校]/生徒[中学校・高等学校]が学習の在り方を展望していくために広く活用されるものとなることを期待して、ここに小学校/中学校/高等学校学習指導要領を定める。」と宣言しています。

     教科等の枠組みを基盤とした知識や技能を学ぶことを通じて「何ができるようになるか」を意識し、それがこれからの時代に求められる資質・能力にもつながっていくものであることを、子供たち自身が認識できるようにすることが求められていると言えるでしょう。このような学びを積み重ねることを通してこそ、主体的に学びに向かい、それらの学びを通して得たものを自らの人生や社会づくりに生かそうとする意欲が高まるのではないでしょうか。次期学習指導要領に基づく教育活動において、キャリア教育の果たすべき役割はますます大きくなっていると確信します。

     ……というようなことを考えながら自宅を出る前にスマホでネットニュースに目を通していると、「これが日本の給食制度?『一から十まで教えが詰まっているじゃないか』=中国メディア」と題する記事に出会いました。
    村山健二 「これが日本の給食制度?『一から十まで教えが詰まっているじゃないか』=中国メディア」(サーチナニュース・2018年5月5日)

     この記事によると、最近、中国メディアの「今日頭条」が、日本の小学校における給食について紹介し、そこから「日本の細かく行き届いた教育」が分かると報じたそうです。「今日頭条」では、日本の小学5年生の女の子に密着取材した結果を報道したようなのですが、その概要を一部引用してみます。

     この学校は校内で給食が調理され、時には生徒たちが菜園で育てた野菜も提供されるようだ。また作られた給食は、子どもたちが自ら配膳を担当するのだが、「食事の際の衛生管理の重要性や、協力して仕事を行うこと、静かに席について待つ事などを学ぶ機会となっている」ことを強調した。

     また配膳にあたった生徒に感謝して皆で一緒に食事を始めること、給食の残った分を処理したり、食器の片付け、ゴミの分別も子どもが自ら行うなど、「給食はほぼ生徒自らが仕事を分担して行ない、教師は監督するだけである」ことを説明し、日本の給食制度は単なる昼食ではなく、最初から最後まで教育の一環となっているのだと驚きを示した。

     特別活動の一環としての給食指導に力を注いでいる学校や、食育に焦点を当てている学校では、この記事で言及されているような指導は、日常的かつ意識的に実践されていることだと思います。けれども、そうでない学校では、給食があまりにも日常化しているゆえに、充てられた時間内にトラブルなく食事を済ませる時間になってしまっている(少なくとも、子供の側からはそう見える)ケースも意外に多いのかもしれません。

     そんな時、その学校のキャリア教育の目標が「自他の良さを互いに活かしながら協力して生活することができる」であることを再認識し、給食の時間もキャリア教育の実践の場の一つであることを再確認することによって、指導のあり方は大きく変わるでしょう。仮に、給食の際には時間等の制約から「監督するだけ」にとどまらざるを得ないとしても、例えば「帰りの会」などでの1日の振り返りの折や、学級活動などの機会を捉えて、思いやりのある配膳をした子供、食器の片付けやゴミの分別に積極的に取り組んだ子供を具体的に挙げながら、それらの行為の価値や意義を明示的に伝えることも可能になると考えます。

     さらに言えば、身につけることができる資質・能力の観点から、音楽の時間における合奏や合唱等と給食の時間との間にある重要な共通点の発見を促す指導を工夫することによって、学校での様々な学びが教科等の枠を横断してつながり、一人一人のキャリア形成やよりよい社会づくりに生かされることを実感できるようなキャリア教育の実践にも発展し得るでしょう。。

     今回のよもやま話は、本日の朝刊に掲載された「折々のことば」に触発され、またそれによって出会った(通常であれば読み飛ばしていたかもしれない)ネット上の記事の助けも借りながらまとめました。すてきなセレンディピティの流れに感謝しつつ、皆様にお届けいたします。

     ちなみに、ご心配をおかけしております右手の骨折ですが、おかげさまで順調に回復しております。手首の内側の大きな手術痕も外側の小さめな方も、それ自体は既に全く痛くありません。不定期に感じていた前腕の鈍痛もほとんどなくなりました。病院でのリハビリは相変わらず激痛ですが、こればかりは耐えるしかなさそうです。


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藤田晃之

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