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キャリア教育 よもやま話Just Mumbling...

第38話 大学入学共通テストの方向性が示すもの(2018年7月8日)

  •  今回のお題は、「大学入学共通テストの方向性が示すもの」です。

     先月、大学入試センターから「『大学入学共通テスト』における問題作成の方向性等と本年11月に実施する試行調査(プレテスト)の趣旨について」が公表されました。今回は、ここから、僕自身が「やっぱり、キャリア教育は重要だよなぁ」と実感した事柄のいくつかをピックアップして、皆さんと共有したいと思います。なお、当該資料は以下のURLで全文公開されています。お時間をとって、是非ご覧下さい。
    http://www.dnc.ac.jp/daigakunyugakukibousyagakuryokuhyoka_test/index.html

     まず、これまでの「センター試験」とは大きく異なる「問題作成の方向性」に関する記述を抄出してみましょう。 。

    1.問題作成の方向性
    (3)「どのように学ぶか」を踏まえた問題の場面設定

    ○ 共通テストでは、高校等における「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善のメッセージ性も考慮し、授業において生徒が学習する場面や、社会生活や日常生活の中から課題を発見し解決方法を構想する場面、資料やデータ等をもとに考察する場面など、学習の過程を意識した問題の場面設定を重視することとしています

    ○ 問題の中では、教科書等で扱われていない初見の資料等が扱われることもありますが、問われているのはあくまで、高校等における通常の授業を通じて身に付けた知識の理解や思考力等です。初見の資料等は、新たな場面でもそれらの力が発揮できるかどうかを問うための題材として用いるものであり、そうした資料等の内容自体が知識として問われるわけではないことに留意してください。(p.3・下線は引用者)

     次期学習指導要領の基盤となった中央教育審議会答申「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について」は、「子供たちに必要な資質・能力を育んでいくためには、各教科等での学びが、一人一人のキャリア形成やよりよい社会づくりにどのようにつながっているのかを見据えながら、各教科等をなぜ学ぶのか、それを通じてどういった力が身に付くのかという、教科等を学ぶ本質的な意義を明確にすることが必要になる。」と指摘しています(p.32)。これまでもこの「よもやま話」で折に触れて述べてきたように、キャリア教育の本領発揮が期待されているのです。

     「大学入学共通テスト」で新たに導入される「問題の場面設定」とは、「教科等を学ぶ本質的な意義」が会得できているかどうかを問うことを主眼とするものであると言えるでしょう。

     今後求められるのは、「こんな勉強、意味がない」と嘆きながら「でも、入試で問われるから仕方ない」と諦め、ひたすら暗記を重ねていくような受験対策ではありません。「各教科等をなぜ学ぶのか、それを通じてどういった力が身に付くのか」をしっかりと認識しつつ、学校での学びを自分自身が参画することになる社会において生かすことができるよう、主体的に深く学ぶことが求められるのです。

     「入試に出るから大切」と言い続けてきた時代は過去のものとなり、「社会に出てからも必要な大切な力だから入試でも試される」と捉えるべき時代に移行すると言ってもいいですね。

     このような「大学入学共通テスト」の特性は、各教科等の「作問のねらい」にも明確に反映されています。例えば、数学では、「日常生活や社会の問題における事象の数量等に着目して数学的な問題を見いだすことができる」や「日常生活や社会の問題における事象の特徴をとらえて数学的な表現を用いて表現する(事象を数学化する)ことができる」(マーク式)、「日常生活や社会問題を数学的にとらえた際に設けた条件等を説明することができる」(記述式)が「作問のねらい」の一部として明示されました。また、歴史では「習得した歴史的概念を活用し、現代的課題に応用することができる」ことが「作問のねらい」の一部とされています。

     高度経済成長期以降の長い間、「期末試験に出すぞ!」「入試で狙われるぞ!」「センター試験で必ず出るぞ!」等々と、事実上の脅しをかけて勉強に向かわせる慣習が、日本の中学校や高等学校に深く根付いてきました。

     そんなことを言われるまでもなく易々と学習課題をクリアできる子、何につけ求められることにカッチリ応えることができる子、いわゆる「学校知」と自らの興味関心がマッチしている子……こういった少数の「できる子たち」を除いて、大多数の子たちは「なぜこんなことをやるんだろう。意味ないよ。」と嘆きながら、「でも、悪い点を取りたくないし…。入試で失敗したくないし…。」と 砂をかむ思いで耐えてきたわけです。

     ごく少数の「もともとできる子たち」と、苦役としての学びに疲弊しつつも入試が終わるまでの辛抱だと自らに言い聞かせてどうにか乗り越えることができた子たちだけが、大学に進むことを許され、学歴社会における「勝者」になるための切符を手に入れることができる……先生方も、子供たちも、保護者も、そう信じてきました。確かにバブル経済崩壊前までの日本では、こういった中学・高校での指導と日本の企業社会における人事慣行とが調和的・互恵的に結びつき、その変革を試みようとした教育改革がことごとく失敗してきたことは事実です。

     けれども、「良い高校→良い大学→良い企業→一生安泰」という高度経済成長期の王道であった道筋が、それを支えていた終身雇用制や採用後の年功序列制とともに大きく揺らいでいることは誰しもが認めざるを得ないでしょう。同時に、出生率の低下も加わって、受験圧力という「虎の威」を借りるような手法によって勉強させることが困難になってきていることは、多くの先生方がすでに実感されているとおりです。しかも、教育にかかわる私たち自身、断片化した知識を大量に暗記させ、試験時間内にそれらを一気に吐き出させて点数を稼ぐような方策では、高度に発展した情報社会を生きる子供たちにとって意味ある学びにならないことを実感しているのではないでしょうか。

     「学校での学びそれ自体の意味・意義なんて考えるな。耐えよ。その忍耐が報われる。」…こう生徒に言い続けることは、二重にも三重にも時代錯誤的です。

     第一に、上述したとおり、終身雇用制や年功序列制を典型的な特質とした日本型雇用が大きく揺らいでいることを見落としている点が最大の謬錯(びゅうさく)と言えるでしょう。

     第二に、学校での学びの意味・意義それ自体を正しく認識し評価する力を培うという極めて重要な教育行為を放棄している点が挙げられます。生徒たちが、現在の社会に参画する上で必要不可欠な論理的な思考力も、重箱の隅をつつくような些末な暗記物も、一緒くたにして「無意味だけど、入試に出るからしょうがない」と捉えているとしたら、それは本当に悲しいことです。

     第三に、自分が取り組んでいることそれ自体の意味・意義を問わずに頑張ってしまうという行為の危険性を看取する感性を麻痺させる点が指摘できます。自ら思考し判断することを放棄させ、一定の行為の続行を求める手法は、帝国主義・軍国主義下の軍隊や、現在のテロ集団等に共通する常套手段です。無論、今日の多くの企業等においても、新人のうちの短期間に限定すれば「言われたことに専念して慣れる」ことは必要でしょう。でも、与えられた業務に慣れた後も「言われたこと」しかできないとすれば、職能成長はありませんし、企業内での評価も得られません。「言われたこと」の意味・意義を、できるだけ広い視野から捉え、解釈し、自ら可能な効率化を図ることは全ての企業において不可欠ですし、今日の多くのケースでは、その業務自体の在り方はもちろん、必要があればその改廃にかかわる提案をすることも求められます。(そういった提案を許さずに、「言われたことを黙ってやっていればいいんだ」という企業があるとすれば、その企業自体の中長期的な成長はおろか存続も望めないと感じますが、皆さんはどう思われますか?)

     先月発表された「大学入学共通テスト」における問題作成の方向性を見る限り、大学入試を自らの人生や生活と切り離し、高校生活の大半を犠牲としながらひたすら耐え忍ぶ苦行として捉えるような旧態依然の(=すなわち、私たち大人の)「受験観」を大幅に刷新することが必要となるようです。同時に、学校での学習に自らの将来との関係で意義が見いだせずにきた中学生・高校生の「学習観」の転換を図ることも、これまで以上に重要となると言えそうですね。 各教科等を通したキャリア教育の実践に本腰を入れることに躊躇してきた学校があるとするなら、早急にギアをチェンジしたほうがいいかもしれません。


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藤田晃之

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