非暴力・不服従を提唱し、イギリスからのインド独立運動を指揮したマハトマ・ガンディーが生まれたのは1869年。今年は生誕150周年にあたります。
日本においてもガンディー自身の著作が数多く翻訳・出版されていますし、層の厚いガンディー研究も蓄積されています。このような中で、僕のようなド素人が何をか言わんや。……まさにその通りなのですが、今年最後の「よもやま話」となりますので、これまで数限りなくガンディーの言葉に救われてきた自分自身を振り返りつつ、感謝を込めて以下の二つの言葉を皆さんと共有したいと思います。(日本語は僕のへなちょこ翻訳ですので、全くの仮訳としてご理解いただけましたら幸いです。)
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生身の人間は本質的に不完全である。人間は神の姿を模して創造されたと言われてもいるが、神のような存在では全くない。
Man in the flesh is essentially imperfect. He may be described as being
made in the image of God but is far from being God. (M. K. Gandhi (1949) Non-violence in peace & war, Vol. II, Navajivan Publishing House, p.44)
人生とは、志すことである。その使命は、完璧な状態をめざすこと、すなわち、自己実現を追い求めることにある。私たち自身がいかに弱く、また、不完全であろうと、その理想を低めてはならない。
Life is an aspiration. Its mission is to strive after perfection, which
is self-realization. The ideal must not be lowered because of our weaknesses
or imperfections. (Krishna Kripalani ed. (1958) All Men are Brothers: Life and Thoughts of Mahatma Gandhi as Told in His
Own Words, UNESCO, p.71)
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僕自身は、1日24時間、完全・完璧である瞬間など0.1秒もない人間ですが、ガンディーは「それが人間ってやつだから…」と許してくれています。でも彼は「志は忘れてないかね」と常に僕に語りかけます。
そうだよなぁ。今日も頑張ろう。せめて、目指すべきところだけは忘れないでいよう。
今年も、こうして、ヒーヒー言いながら日々を送ってきました。あと1週間とちょっとで2018年も終わりです。来年もまた、ヒーヒー言いながら日々を送ることになるのでしょう。人生ってやつは本当に楽ではないですね。
それでも、私たちは、炎天下の中でこそ一陣の風が心地よいことを、極寒の夜明けだからこそ朝日が一層輝いて見えることを知っています。この世に創造主がいるとしたらずいぶん意地悪だなぁと思いますが、生きるというのは多分そういうものなのでしょう。やり甲斐とか、生き甲斐とかいうものには、文字通り稀に出会うからこそ意味があるのかもしれません。しかも、「志」というアンテナを張っていないと、そういったやり甲斐や生き甲斐を見過ごしてしまいます。
無論、そうだからといって、昨今指摘されているような「やり甲斐搾取」や労働者の「使いつぶし」が許されて良いわけがありません。でも同時に、アミューズメント・パークで時を過ごすように楽しい時間が切れ目なく続く環境で働くことも、きっとこの世にはない。仮に第三者からそう見えるようなことがあっても、本人はヒーヒー言いながら人知れず苦労を重ねているわけです。
繰り返しとなって恐縮ですが、雇い主による「やり甲斐搾取」や「使いつぶし」は、断固として認められません。また仮に、本人自らが「理想」や「志」に忠実であるあまり、心身の健康を損なうほどに働いてしまっているとしたら、誰かが介入して休ませないと理想や志の実現の前に倒れてしまいます。
一方、僕個人は、幸か不幸か「ちゃらんぽらん」という言葉に偶然命が与えられて生まれてしまったような人間なので、ガンディーの言葉が胸に響きます。ガンディーさん。来年も、僕なりにヒーヒー言いながら生きていきますね。どうか遠くからお見守り下さい。
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2018年は自然災害が各地で多発した年でした。また、国際情勢においても緊張の走る瞬間が何度もありました。命を落とされた方々のご冥福をお祈りし、被害に遭われた皆様に心からお見舞いを申し上げつつ、2019年こそ平和で穏やかな1年となるよう強く願いたいと思います。
この1年間に賜りました様々なご厚情に感謝いたします。明年もまたご指導・ご鞭撻を賜りますよう伏してお願い申し上げます。
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