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キャリア教育 よもやま話Just Mumbling...

第43話 キャリア教育とジョン・デューイの「オキュペーション」(2019年2月9日)

  •  お久しぶりです。年末年始は、これまで実施してきた国際比較研究の成果公開のためのシンポジウムの準備に追われ、その後は、大学入試センター試験の対応や卒論・修論の審査会、大学院入試などに時間を費やしている間に1月が終わってしまいました。歳をとると月日の経過があっという間に感じられると聞いてはいましたが、本当なのだなぁと改めて実感した次第です。

     とんでもなく時機を逸してしまい恐縮ですが、謹んで新年のご挨拶を申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

     で、2019年第1回のお題ですが、「キャリア教育とジョン・デューイの『オキュペーション』」にしました。……いや、コムズカシイ話をひけらかしてお茶を濁そうとしているわけではありません。ご安心ください。

     そもそも僕は教育哲学や教育史を専門にしているわけではなく、まっとうなデューイ論を披露するための見識をまったく持ち合わせていません。こんな僕が今回のお題を掲げること自体おこがましいことであると自覚しつつ、デューイ(John Dewey)の「オキュペーション(occupation)」については、いつか触れておきたいなぁと思っていました。

     その「いつか」が、まさに今日、やってきたのです! 「もうこれは何としても今日書かなきゃダメだぞ」と思い、こうしてパソコンに向かっています。

     本日(2019年2月9日)の午前中、横浜市教育委員会主催の「第3回はまっ子未来カンパニープロジェクト学習発表会」が横浜市内で開催されました。

     「はまっ子未来カンパニープロジェクト」は、横浜市のキャリア教育(横浜市では「自分づくり教育」と呼んでいます)の一環に位置付くもので、文部科学省の「小・中学校等における起業体験推進事業」の委託を受けて実施されています。「起業体験」といっても、実際に起業や新事業創出に挑戦する人材を義務教育段階から育成しようというものではありません。地域の企業等の方々のご協力を得つつ、「起業家精神(チャレンジ精神、創造性、探究心等)」や「起業家的資質・能力(情報収集・分析力、判断力、実行力、リーダーシップ、コミュニケーション力等)」を育成することがねらいです。横浜市では、「はまっ子未来カンパニープロジェクト」の目的を、「学校と外部機関等が連携して社会課題を解決する取り組みを通して、横浜らしいキャリア教育『自分づくり教育』をより推進していくこと」と説明しています。

     僕はこのプロジェクトの外部委員として、初年度(2016年度)から参加させていただき、学習発表会も毎年度拝見しているのですが、年ごとに、取組の内容も発表のレベルも向上してきている様子を目の当たりにしてきました。(僕自身に孫はいないのですが、子供たちの発表を観ているだけで孫の晴れ舞台を見守っているような感覚に包まれ、涙腺が刺激されっぱなしです。ですが、ここではできるだけ感情に流されないように努力して書きますね。ちなみに、第1回学習発表会(2017年2月11日)の様子の一端については、よもやま話第15話でご紹介しました。併せてご高覧いただけましたら幸いです。)

     「第3回はまっ子未来カンパニープロジェクト学習発表会」で発表を行ったのは、プロジェクトに参加した市内33校のうち9校(いずれも小学校)でした。その多くは、学級単位でプロジェクトに参加し、市内の企業や団体の皆さんのご協力をいただきながら、商品開発、地域貢献、学校貢献に取り組み、それぞれの学習の過程や成果について発表してくれました。全部の発表のダイジェストをしたいところですが、今回は、6年生が取り組んだ4校についてご紹介します。

     学習発表会のトップバッターは潮田(うしおだ)小学校の皆さんでした。大手コンビニエンスストアのローソンの協力を得て、開発したオリジナルのパンについての発表です。(ローソンは横浜市と2009年から包括連携協定を締結していることもあって、今年度、はまっ子未来カンパニープロジェクトに参画したそうです。)子供たちの「テレビで宣伝してもらえるようなパンにしたい」「売れ続けるヒット商品を作ろう」という思いを起点として、潮田小学校らしいパンを目指して開発が始まりました。商品ですから、パンはもちろん、パッケージ、チラシ、店内のPOPまで考案すべきものはたくさんあります。パン工場見学、店舗見学、地域のレストランや食材店での情報収集……これらの活動を経つつ子供たちがたどり着いたのは、外国にルーツを持つ同級生たちの多いこと自体が潮田小学校らしさの一つであること、そして、潮田小学校の名前が「塩」に由来することです。それらをヒントに二つのパンの開発が進められたわけですが、この過程においては、既存製品との差別化、景品表示法等の法令の遵守など、様々な壁にぶち当たり、そのたびに構想を練り直さざるを得ませんでした。商品としての完成が近づくと、今度は広報活動が待っています。マスメディアへの告知、店舗への発注依頼、チラシの作成、実際の販売補助など、これまた試行錯誤の繰り返しです。潮田小学校の皆さんは、「パンを作って売る」というプロセスに山ほどの苦労が伴うこと、そして、それらの苦労を経て完成した商品には強い愛着と誇りが持てることを実体験したようでした。(関東地域の実店舗で販売されているオリジナルパンについては、ローソンのプレスリリースに情報が掲載されていますのでご覧下さい。)

     次にご紹介するのは、汐見台小学校の「校舎のアルバムづくり」の取組です。来年度、老朽化した校舎が建て替えられることを知った子供たちは、工事によって校庭の木々が伐採されたり、移植されたりする可能性が高いと判断し、校庭の木々や植物を写真に残すことを発案しました。けれども、撮り始めてみると、どうしても植物図鑑のような写真になってしまうし、心に描いたイメージとずれてしまう写真も少なくありませんでした。そこで教えを乞うたのが地元のフォトスタジオアライのプロ。写真は「何を撮りたいか」ではなく、「何を伝えたいか」を意識して撮影すると大きく変わることを実体験しました。背景まで意識しつつ、写真に込める「メッセージ」と「意図」を大切にすることが必要であることを体得したわけです。何気なく眺めているだけでは写真に秘められたプロの技を感じることはできませんが、撮影者側にまわってみると見える世界は全く異なるのです。その後、子供たちは、植物や木々にとどまらず、6年間お世話になった教室や校舎そのものを写真に残すことの意義と必要性に気付きます。現在、汐見台小学校のアルバム完成に向けて最終作業が進行中です。

     次は南山田小学校の「手影絵で伝える感謝と成長」の取組です。「小学校最後の総合的な学習の時間を、みんなで一体感や達成感を感じられるものにしたい」「自分たちの成長や感謝の思いをお世話になった人たちに伝えたい」という子供たちの思いをもとに、小学校の近くに本部を置く現代影絵の専門劇団「かかし座」の指導と協力の下で、見事な「手影絵」作品を作り上げていきました。「手影絵」は、手を使った静止画像として「影絵」を映し出すものではなく、音楽に合わせたストーリーを「手を中心とした影」によって展開する舞台芸術です。ストーリーを考え、曲を選び、個々の演者が表現するスキルを磨き、全員が協力して舞台を作り上げなくてはなりません。自分たちの成長を支えてくれた人への感謝のメッセージを、言語を媒体とせずに伝えることは容易ではありません。でも、今日の学習発表会でのパフォーマンスは、見事!と感嘆する他にはないクオリティーでした。(動画でお伝えできないのが本当に残念です。)卒業前の最終発表会では、これまでに培った構想力・企画力・チームワークなどが遺憾なく発揮されることを確信しました。

     最後にご紹介するのは六つ川小学校の「養蜂を通した地域環境に関する取組」です。市内の建設関連企業等が協力して運営している「すむさとリーグ」の活動の一つである都市型養蜂活動。六つ川小学校では、ここに携わっている皆さんからの協力を得て、ミツバチの飼育を通した自然環境学習、蜂蜜を使った「食」、蜜蝋を使った「ものづくり(ハンドクリーム作り)」に総合的に取り組んだ学習活動を展開しました。とはいえ、蜂は場合によって人も刺すことがある昆虫ですから、近隣の方々の同意はもちろん、県からの飼育許可が必要です。この段階から子供たちが自ら参画し、プロジェクトはスタートしました。また、ミツバチの採餌範囲は最大でも約2kmですから、学校の近隣の自然環境を調査し、蜂蜜の原料となる花の所在と種類を把握することも必要です。また、夏にはスズメバチの襲来からミツバチを守らなくてはなりません。しかも、採蜜をするためには、ミツバチの行動特性を知るだけではなく、すばやく的確に作業することが求められます。養蜂が、多様な学びを要請し、相互に結びつけ、それらが蜂蜜やハンドクリームに形を変えて立ち現れてくることを通して、六つ川小学校の子供たちは生まれ育った地域の良さを再発見したのではないでしょうか。

     「はまっ子未来カンパニープロジェクト学習発表会」では、毎回、このような多彩な取組の様子を客席で拝見しながら、子供ってすごいなぁ、地域の皆さんの教育力ってすごいなぁとひたすら感激するわけですが、今回は、自分の中に確固たる「感激の根っこ」があることに気付きました。「これってデューイの『オキュペーション』だ!」「100年以上の時を超えて、デューイの掲げた理想が体現されている!」と実感したのです。(「3回目でやっと気付いたのか」と笑われてしまいそうですが、実際に会場で発表を聴かせていただいていると、「すばらしい!」という情意が先に立ち、論理的な思考が立ち上がる隙などなくなってしまいます。それほど、子供たちの発表は素敵なのですよ!)。

     ジョン・デューイが何者かについてお話ししているととんでもなく長くなりますので、ここでは「19世紀末から20世紀初頭にかけて世界的に注目された新教育運動―それまでの知識注入型の教育を批判し、子供の主体的な学びを尊重する「新教育」の確立を提唱した思想・実践の潮流―の旗手として知られるアメリカの教育学者」とだけ紹介しておきましょう。彼は、自ら設立したシカゴ大学附属小学校における教育の在り方を基に『学校と社会(The School and Society)』を1899年に著しています。

     ここではまず、1915年に出版された同書の改訂版(The University of Chicago Press版)に基づきながら、デューイの主張するオキュペーションの概要を簡略に整理します。

     「occupation」を英和辞典で引いて真っ先に示されるの語義は「職業」や「仕事」ですよね。でも、デューイは、小学生に職業訓練をさせようとしたわけではありませんし、何らかの手作業を強いたわけでもありません。デューイ自身、「教育上の用語として捉えた場合、学校におけるオキュペーションは、例えば、料理人、仕立屋、大工などとしてのより良い技能の獲得を目指すような、単なる実用的な装置または日常的な雇用の形態を意味するものではない。(In educational terms, this means that these occupations in the school shall not be mere practical devices or modes of routine employment, the gaining of better technical skill as cooks, seamstresses, or carpenters.)」と述べていますし(p.17)、「子供が授業中にいたずらをしたりなまけたりするのを防ぐためにあてがわれる面倒な作業や課題ではない。(By occupation is not meant any kind of "busy work" or exercises that may be given to a child in order to keep him out of mischief or idleness when seated at his desk.)」とも記しています (p.131)。

     では、彼の言う「オキュペーション」とは何か? デューイは、「私が言うオキュペーションとは、社会生活の中で実際になされている何らかの仕事(職業)を再現したり、それに類似する形で行われる子供の活動の一形態のことである。(By occupation I mean a mode of activity on the part of the child which reproduces, or runs parallel to, some form of work carried on in social life. )と端的に述べています(p.131)。でも、これだけだと「お仕事ごっこ」のような誤解も誘発しかねませんね。彼の示したオキュペーションの真の姿を理解するためには、以下のようなオキュペーションの特性を視野に収める必要があります。

     様々な形態の活発なオキュペーションを学校に導入するにあたって念頭に置くべき重要なことは、それらを通して学校の理念(精神)の総体が刷新されるということである。学校は、生活と結びつく機会を得ることにより、遠い未来の生活にかろうじて結びつくかもしれない抽象的な学習をする場所でしかない状態から脱し、教育的配慮の下での生活を経験できる子供にとっての居場所となり得るだろう。学校は、小さなコミュニティーとなり、命の萌芽を育む社会となり得るのである。
    The great thing to keep in mind, then, regarding the introduction into the school of various forms of active occupation, is that through them the entire spirit of the school is renewed. It has a chance to affiliate itself with life, to become the child's habitat, where he learns through directed living, instead of being only a place to learn lessons having an abstract and remote reference to some possible living to be done in the future. It gets a chance to be a miniature community, an embryonic society. (p.15)

     学校で実践される典型的なオキュペーションは、全ての経済的圧迫から解放されていなくてはならない。その目的は、生産物の経済的価値を追究することにあるのではなく、社会的な力と洞察力を培うことにある。狭隘な功利性から解放され、人間性の可能性に自らを開くという特性こそが、学校におけるこれらの実践的な活動を芸術に結びつけ、それらの活動に科学や歴史を学ぶ際の要(かなめ)としての役割を与えるのである。
    But in the school the typical occupations followed are freed from all economic stress. The aim is not the economic value of the products, but the development of social power and insight. It is this liberation from narrow utilities, this openness to the possibilities of the human spirit, that makes these practical activities in the school allies of art and centers of science and history.(p.16)

     オキュペーションは、子供に真の動機を与え、直接的な経験を提供し、現実に触れる機会をもたらす。さらにこれらに加え、オキュペーションは、歴史的・社会的に価値あるものへと転化され、また、科学的にも同等に価値あるものへと転化されることを通して、様々な束縛から自由になる。能力・知識の側面において子供が成長するとともに、単に楽しい活動から、子供の理解力を深めるための媒体・道具・仕組みへと変容を遂げるのである。
    The occupation supplies the child with a genuine motive; it gives him experience at first hand; it brings him into contact with realities. It does all this, but in addition it is liberalized throughout by translation into its historic and social values and scientific equivalencies. With the growth of the child's mind in power and knowledge it ceases to be a pleasant occupation merely and becomes more and more a medium, an instrument, an organ of understanding and is thereby transformed. (p.20)

     上の引用で注目すべきは、オキュペーションを通じて学校での学びと社会的なリアリティを結びつけ、子供の視野を広げ、知的な学習への関心と意欲を高めることを企図し、オキュペーション自体を子供の理解力を深めるための媒体・道具・仕組みとして構想している点です。無論、デューイの生きた時代と今日とでは社会の在り方そのものが異なるので、活動の生産性やコストパフォーマンスなどまでを「経済的圧迫」であると排除してしまうとすれば、僕自身、違和感を覚えるのですが、オキュペーションの特性を、社会的な力と洞察力を培い、人間性の可能性に自らを開く契機として位置づけた点は、極めて示唆的であると言えるでしょう。

     また、デューイが、当時の学校の様子を次のように嘆いている点も、今日の多くの小学校の姿に通底するものがありそうです。

     従来型の教室には、子供が作業に取り組めるような場所がほとんどない。子供が、何かを製作したり、創造したり、自ら進んで探究したりするための工房や実験室、そしてそのための道具が不足している。それ以前に、そういったことに必要な十分な空間自体が、多くの場合欠けている。
    There is very little place in the traditional schoolroom for the child to work. The workshop, the laboratory, the materials, the tools with which the child may construct, create, and actively inquire, and even the requisite space, have been for the most part lacking.(pp.32-33)

     近年の学校建築の変容には目を見張るものがあり、新築・改築された校舎には様々なフリースペースが設けられるようになりました。また、少子化によって空き教室を抱える小学校も増えてきたようです。でも、それらの物理的なスペースを活かし、学校での学びを生活や自らの将来と結びつけるためのリアリティのある活動を実践しようとする先生方の創意工夫や広い視野はまだまだ不足しているのではないでしょうか。物理的なスペースが生まれても、先生方の心理的スペースが、デューイの言う「従来型の教室」の枠から脱し切れていないと言えそうです。

     新しい小学校学習指導要領の前文は、「児童が学ぶことの意義を実感できる環境を整え、一人一人の資質・能力を伸ばせるようにしていくことは、教職員をはじめとする学校関係者はもとより、家庭や地域の人々も含め、様々な立場から児童や学校に関わる全ての大人に期待される役割である。幼児期の教育の基礎の上に、中学校以降の教育や生涯にわたる学習とのつながりを見通しながら、児童の学習の在り方を展望していくために広く活用されるものとなることを期待して、ここに小学校学習指導要領を定める。」と高らかに謳っています。この理念を実現する上では、デューイのオキュペーションの構想に改めて光を当てて検討し、今日的な意義を析出して、示唆を得ることが必要であるとかねてから感じてきました。

     でも、そんなことを思うばかりで、それに着手すらできていない自分自身のふがいなさ。あーぁ、ダメだなぁ、俺。……この1年あまり、つくづく自分に嫌気がさしていたのです。

     でも、この3年間、なんだかんだと関わらせていただいてきた「はまっ子未来カンパニープロジェクト」が、こんなグズグズの自分をスーッと飛び越えてデューイのオキュペーションの理念を実体化させている! 今日の学習発表会を通してこの事実を再発見したことは、僕にとっての「目からうろこ」体験でした。

     さ、グズグズするのはやめにして、「はまっ子未来カンパニープロジェクト」のそれぞれの取組をデューイのオキュペーションが提示した枠組みから分析し、その特質と課題を整理して、今後目指すべき方向性の検討をはじめるぞ! おぉ、久しぶりに「やる気スイッチ」がONになった感覚です。

     ……でも、再び現実に目を向ければ、明日は終日、教職課程科目の集中講義。明後日は、各種の担当科目の成績処理作業が待っています。その後は、今年度が最終年度となっている研究報告書を取りまとめなくてはなりません。あぁ、現実は甘くありませんね。

     今回の「やる気スイッチ」がどうか持続しますように。


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藤田晃之

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