弊学近辺ではだいぶ春めいてきました。皆様のお近くではいかがですか?
この時期は毎年、事務的な側面、研究に関連する側面を問わず、各種の締め切り日が立ち並び、春の日差しを楽しむ余裕がありません。1年間、けっして遊びほうけてきたわけではない(と少なくとも自認している)のですが、締め切り超過の仕事をいくつも抱えてしまうのはなぜなのか?……ま、その答は至極シンプルで、「能力の不足」に他ならないわけですが、この事実に毎年直面せざるを得ない学年末は辛いです。
無論、こんな泣き言を言っていても仕事が減るわけではありませんから、「グダグダ言わずに手を動かせ、俺!」ですね。
うーん。確かにそうなのですが、「よもやま話」を更新せずに放置しっぱなしとなっている現実も精神衛生上よろしくありませんし、あっという間に怒濤の新年度に突入してしまうのは明らかです。なので今回は、短い話をサクッとお届けいたします。
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おそらくこの半年くらいの間だと思うのですが、東海道新幹線の車内放送が急速にバイリンガル化してきました。今までは、「Ladies and gentlemen,
we will make a brief stop at xxx in a few minutes.」等々と、あらかじめデジタル録音された短い定型アナウンスが、駅名のみを変えて流れるだけでした。このアナウンスは、「のぞみ」だろうが「こだま」だろうが、上り列車でも下り列車でも全て同じですし、若干癖のある発声と抑揚の女性の声ですので、「あぁ、アレね」と思い当たる方も少なくないと思います。
余談ですが、東京の地下鉄(東京メトロ)の一部の駅で流れる英語の定型アナウンス(Please stand behind the yellow
warning blocks.等々)は、ディズニーランドなどのエンターテインメント施設での場内アナウンスに特有の大仰な発声と調子なので、「皆様、お待たせいたしました! ご期待にお応えして、ついに電車がやって参ります! どうか黄色い線まで下がってお待ちください!」と言っているように聞こえてしまい、シュールな場違い感が楽しめます。最近の駅ではアナウンスがクリアに聞こえるよう音響設備も大幅に改善されているので、劇場感が強調されて一層シュールです。東京メトロを利用される時には、是非、駅の英語アナウンスにも耳を傾けてみてください。
すみません。まさに余計なことでした。話を東海道新幹線に戻します。
ハスキーでありつつ、丁寧な印象も同時に醸し出すちょっと不思議な女声デジタル録音アナウンスに続き、車掌さんが到着する駅名や乗り継ぎ列車などについて詳しく日本語でアナウンスすることは、すべての列車に共通する東海道新幹線車内ルーティーンです。
ところが、この数ヶ月の間に、その日本語のアナウンスの途中に突如として「The doors on the right/left side will
open.」という英語が挟まれるようになりました。日本語のアナウンスの最中にいきなり英語が入るので、はじめは驚きました。インバウンド観光客対応が確実に進んでいるんだなぁと実感する一方で、当初は、こんなアナウンスに必要性も意義もないと感じたことを告白しておきます。
どの列車でも必ずアナウンスされるのは、現時点において「We are stopping at xxx station. The doors on
the right/left side will open.」だけです。まさにカタカナ英語「ザ・ドアーズ・オン・ザ・ライト/レフト・サイド・ウィル・オープン」というアナウンスから、正確で美しい発音のアナウンスまで様々ですが、実態として、カタカナ英語の棒読みが多数派であることは否めません。
日本語のアナウンスの途中で、全くの棒読みカタカナ英語のアナウンスを唐突に挟んでも、おそらく、初来日の外国の方々には英語として判別されないと思います。全国の中学校の英語の先生が口を酸っぱくして強調しているとおり、「the」と「ザ」は全く別の音ですし、「ライト」と「レフト」の最初の音は日本語ですと同じ「ラ行」ですが、英語では似ても似つかない音として区別されます。その上、「ウィル」という発音が「will」を意味するものであると理解するのは、日本語についての一定の予備知識等がないと難しいはずです。
無論、一定期間日本に滞在していれば、カタカナ英語の法則性(例えば、「the」を「ザ」と発音する等々)が分かってきますから、カタカナ英語でも大局的には問題ないと言えそうな気もします。でも、英語によるアナウンスを本当に必要としているのは、日本語の全く分からない、来日したての人たちです。当初は、「このような人たちに向けて、停車してから開くドアが右側か左側かを知らせる必要性はどれほどあるのかなぁ」と強く感じました。列車が減速してホームが見えてくればどちら側のドアが開くかは判断できますし、仮に目が不自由だとしても降りる人の流れについて行けば大きな混乱が生じるようには思えません。そして何より、棒読みカタカナ英語では、英語のアナウンスを本当に必要としている人たちにはおそらく通じない。考えれば考えるほど「意味ねぇ!」と思った、というのが、このアナウンスを初めて耳にした頃の正直な気持ちです。
ですが、最近、僕はJR東海さんの英語アナウンス挿入の決断は素晴らしい!と確信するようになりました。事情も経緯も知らずに勝手に批判しておいて、実情を調べる努力をしないまま急に180度も態度を変えるのは失礼に失礼を重ねる愚行ですが、「よもやま話」であることに免じてご無礼をご海容ください。
以下は、僕の妄想に近い推察に過ぎませんが、JR東海さんは「新幹線車内アナウンス・バイリンガル化計画」の初期ミッション遂行中ではないかと思います。
第一段階として、短い英語のアナウンスを全ての新幹線で義務づける。しかも、通じても通じなくてもそれほど大きな混乱を引き起こさない内容のアナウンスを選定しているため、通じないことによって生じるデメリットは最小限に抑えられます。これが重要なポイントでしょう。車掌として新幹線に乗る以上、英語を必然的に話さざるを得ないという共通理解の確立を目指すためのファースト・ステップとしての戦略ではないでしょうか。
実際に英語による車内アナウンスをしていない状況で、いくら英語の研修をやっても、上達のスピードが遅遅としたものとなることは想像に難くありません。「さぁペアを組んで、アナウンスの練習をしましょう」と指示を出したとしても、日本語でいつもコミュニケーションをとっている同僚同士ですから気恥ずかしいですし、照れ隠しに敢えてカタカナ英語棒読みに固執してしまうケースさえ想定され得ると推察します。
でも、短いながらも、実際にプロの車掌としてアナウンスをするとなれば話は別です。気恥ずかしいなんて悠長なことは言っていられません。しかも、場合によっては、「今のアナウンス、何を言っているのか聞き取れなかったよ!」という乗客からの声が寄せられるかもしれないのです。(でも、大丈夫。聞き取れなくても大きな混乱は生じません。……このあたりのさじ加減が戦略的だなぁと思います。)
その上、英語の得意な車掌さんは、日本語と同じ内容を英語でも見事にアナウンスしますから、それを実際に耳にする同僚は「自分もこのままじゃダメだなぁ。頑張ろう。」と思うはずです。(先日乗車した上りの新幹線では、東京駅に到着する前に、中央線がドア故障のため運転を一時見合わせている状況について的確な英語で伝えていました。こういった臨機応変の対応まで英語でこなせる人たちが、他の車掌さんたちのロールモデルとなり、全体のレベルを引き上げる効果を生むに違いありません。)こう考えると、JR東海さんの新幹線車内アナウンス・バイリンガル化計画は、相当の熟慮を経たものと推察されます。
しかも、鉄道に関わる仕事に憧れる子供たちは数多くいます。このような子供たちが英語の重要性を実感するためには、自分の未来を重ねて憧憬する新幹線の車掌さんが実際に英語を使っている様子を目の当たりにすることが最も近道だと言えるでしょう。増加傾向著しいインバウンド観光客はもとより、外国人労働者の受け入れの拡大を目前に控えた日本においては、新幹線の車掌さんに限らず、対人サービスの提供にかかわる様々な職業人にとって英語はまさに重要なコミュニケーション言語となります。東海道新幹線での英語アナウンス導入は、こういった事実を伝えるための絶好のサンプルとしても活用可能です。東海道新幹線を使って修学旅行に出かける中学生は相当な数になるでしょうから、その効果もかなり期待できそうです。
「これから一層グローバル化が進んで英語の重要性はますます高まるんだからね!」と一般論を指摘するにとどまるか、「修学旅行の時の新幹線でのアナウンス、覚えてる? 車掌さんが英語でもアナウンスしていたよね。海外で仕事をする機会があってもなくても、みんなにとって英語は必須だね。」と生徒の修学旅行中の具体的経験を振り返らせつつ英語の必要性を認識させるか。このあたりが、英語の先生方の腕の見せ所となりそうです。 (しかも、We are stopping at xxx station.ですから「近い未来の確定した予定」は現在進行形で表すという文法事項が、停車する度に耳に飛び込んできます。こういった英語らしい表現については、英語嫌いの多くの生徒が「そんなのどうでもいいよ」と毛嫌いする傾向にありますが、「どうでもよくないんだなぁ、これが。新幹線の車掌さんが使っているの、聞いたよね。」等々とうまい具合に伝えられたら素敵ですね。)
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新しい学習指導要領は、「児童/生徒が、学ぶことと自己の将来とのつながりを見通しながら、社会的・職業的自立に向けて必要な基盤となる資質・能力を身に付けていくこと」の重要性を明示しています。一人一人の子供たちが「学ぶことと自己の将来とのつながりを見通す」ことを促すための方策やそのヒントは、いたるところにありそうです。
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