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キャリア教育 よもやま話Just Mumbling...

第47話 日本版パパ・クオータ制、創設か!?(2019年5月26日)

  •  新聞各紙のウェブ速報等によれば、5月23日、自由民主党本部において有志国会議員が「男性の育休『義務化』を目指す議員連盟」(仮称)の発足に向けた準備会合を開き、民間企業の代表らを含め40名ほどが参加したそうです。当該議員連盟は、元文部科学大臣の松野博一衆議院議員が発起人となって6月上旬に発足する予定であり、父親となった本人からの申請の有無にかかわらず、企業が男性に育児休業を与える仕組みなどの創設を目指すと報じられています。
    日本経済新聞:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45180930T20C19A5PP8000/
    毎日新聞:https://mainichi.jp/articles/20190523/k00/00m/040/155000c

     おぉ、日本版「パパ・クオータ制」が創設されるかもしれない、ということですね。

     日本では、1991年に育児・介護休業法(正確には「育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律」平成3年5月15日法律第76号)が成立し、その翌年に施行されて以来、父親も母親も育児休業が取得できる制度が運用されてきました。でも、男性の育児休業取得率は一向に増えず、2009年に父親の育児休業取得によってそれまでの育児休業期間(1年間)を2ヵ月延長可能とする「パパ・ママ育休プラス」の制度が創設されてからも、男性の育児休業取得が一般化したわけでは全くありません。

     ちなみに、男性の育児休業取得率の全国調査が開始されたのは1996(平成8)年度で、当時の結果は0.12%。その約10年後、2005(平成17)年度における男性育児休業取得率は0.50%でした。その後、「パパ・ママ育休プラス」制度の運用開始年度である2010(平成22)年度の1.38%を経て、2017(平成29)年度には5.14%になっていますので、この12年間で「男性の育児休業取得率は10倍に増加!」とも、この21年間では「ほぼ50倍に!!!」とも言えますが、まだまだ例外的な存在であることには変わりないようです。2017年度における女性の育児休業取得率(83.2%)と比べるまでもなく男女差は歴然としていますし、「2020年までに13%」という政府目標の達成はほぼ不可能でしょう。

     従来、日本では、育児休業は「会社にとっての迷惑」という意識が、労使双方において深く根を下ろしてきました。今でこそ、女性に対して出産や育休取得を理由とした解雇・雇い止め・降格などがなされれば、「マタハラ(マタニティー・ハラスメント)」であるとして当該企業に対する厳しい批判が向けられるようになりましたが、それでもなお「育休は会社に迷惑をかける」という認識が完全に払拭されたわけではありません。「出産か」「仕事の継続か」で悩む女性は今でも数多くいます。

     まして男性にとって、育休取得は「出世を諦める」ことにほぼ等しいような状況が続いており、育休から復帰したら「机(=社内での役割・居場所)がないと思え」と言われるケースも少なくないようです。育休取得や育児のための短時間勤務などを申し出る男性に対するいやがらせを意味する「パタハラ(パタニティー・ハラスメント)」という言葉も使われはじめていますが、「マタハラ」に比べれば、圧倒的に「何、それ?」のレベルです。男性が育児休業を申し出るなんて想定もしないという企業が多数派を占めるのが実態でしょう。厚生労働省が「イクメン」プロジェクトを推進し、内閣府もそれを後押しし、男性の子育てを推進しようとする民間組織(NPO法人ファザーリング・ジャパン株式会社ワーク・ライフバランスなど)も活動を展開していますが、実態が大きく変容を遂げたという状況ではなさそうです。

     それゆえ、女性がいわゆる「ワンオペ育児」を強いられ、疲弊し、ますます子どもを産み育てにくい社会になってしまっているのが、現在の日本なのかもしれません。……素人の僕が、このようなことを「知ったかぶり」してグダグタ書くのはこの辺でやめておきますね。ご関心のある方は、是非、次のような著作をお読みください。
    ・おおたとしまさ(2016)『ルポ 父親たちの葛藤 仕事と家庭の両立は夢なのか』 PHPビジネス新書
    ・筒井淳也(2016)『結婚と家族のこれから 共働き社会の限界』光文社新書
    ・藤田結子(2017)『ワンオペ育児 わかってほしい休めない日常』毎日新聞出版

     このような中で、男性の育児休業取得の「義務化」が目指されること、つまり、育休の一定期間を父親に割り当てる制度(パパ・クオータ制:quota=割り当て)を導入しようとする動きが具体化してきたことは特筆に値します。パパ・クオータ制の先進国としては、ノルウェー、スウェーデン、エストニア、リトアニア、アイスランド、ハンガリー、フィンランドなどが広く知られていますが、1993年に世界に先駆けて同制度を導入したノルウェーでは、「導入前は4%程度だった親の育児休業取得率は急増し、2003年には資格のある父親の9割が当該制度を利用」していると報告されています。
    厚生労働省:https://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/07/dl/h0701-6a_0004.pdf

     無論、育休中の生活を保障するための手当を誰がどのように負担するかという基本的な課題から、育休取得者に対するハラスメント対策まで、制度の創設と運用までには議論すべきことが山ほどあります。でも、「父親になったら、育児をするのが当然」という国民の共通理解を確立するには、それに従わざるを得ない公的な制度を作って運用することが最も確実な手段ではないでしょうか。(それだからこそ、制度の創設の前に慎重な議論が不可欠であることは言うまでもありません。)

     僕個人としては、1991年の育児・介護休業法の成立以来今日まで重ねられてきた議論や諸制度は、「パパ・クオータ制」の創設に向けた基盤の整備としての性質を強く有するものであると思いますし、今後は特に「制度を動かしていく上で不可欠なカネ」と、「制度に魂を宿すココロ」の2側面についての議論が集約的に必要になってくるかなぁと推測しています。

     「カネ」のほうは、保育システムの多様化・弾力化(保育所や低年齢児保育の拡充を典型とする保育サービスの整備など、いわば「子育ての外注化」を容易にする制度の改善)だけでは少子化対策として限界があること、性別を問わず「働き方改革」を典型とするワーク・ライフ・バランスの保障への関心が高まっていることなどから、何らかの国庫負担(とりわけ、中小企業に向けた支援)がなされることは不可避ですし、最終的にはそうなるでしょう。

     一方、「ココロ」の方は、時間をかけてじっくり取り組んでいくべき課題、結構に手強い課題として浮上するような気がします。そもそも、男性の育児休業が義務化されたとしても、「こんなもの(=育児なんか)、男のやることじゃない」と父親本人が思っていたのでは話にはなりませんし、「1日24時間労働」と言っても過言ではない乳児期の子育てのさなかに「何もしない、何もできない男」が1日中自宅にいることになっても、家族(とりわけ成人女性)の心身の負担が増えるだけです。

     ……そうです。ここまでお読みくださった皆様のご賢察の通り、キャリア教育の出番ですね。

     中学校の技術・家庭科においては、「子供が育つ環境としての家族の役割」及び「家族の互いの立場や役割が分かり、協力することによって家族関係をよりよくできること」は必修事項ですし、社会科の公民的分野では「個人の尊厳と両性の本質的平等」に関わる学習が必須です。更に、特別活動における学級活動では「男女相互について理解するとともに、共に協力し尊重し合い、充実した生活づくりに参画すること」を必ず扱います。

     高校においても、「男女が協力して主体的に家庭や地域の生活を創造する資質・能力」を育成することは教科としての家庭科全体を貫く目標の一角に位置づけられていますし、公民科で「人間の尊厳と平等、個人の尊重」について学習する際には「男女が共同して社会に参画することの重要性」について指導することになっています。また、中学校と同様に、男女相互について理解するとともに、共に協力し尊重し合い、充実した生活づくりに参画すること」はホームルーム活動における必須の内容項目のひとつです。

     これだけを見ると「パパ・クオータ制、いつでもドンと来い!」という感じですが、実態はまだまだです。「○○君は男なのに手先が器用だ」「○○君の料理は男の子が作ったとは思えないほど美味しい」……こんな言葉を発した側も、受け取った側も違和感がない、というのが多くの学校での実情かも知れません。

     1970年代に、ある食品メーカーのテレビコマーシャルで「私作る人、僕食べる人」というキャッチフレーズが採用され、固定的な性別役割分業論を助長するとして批判されたことを記憶されている方もいらっしゃるでしょう。あの頃から比べれば、私たちの意識は大きく変容したわけですが、それでもなお、「男は家事・育児にかかわらなくても大丈夫(むしろ、かかわらない方が普通)」という暗黙の了解は根強く、そういった学校の空気感(ちゃんとした言葉を使えば「ヒドゥン・カリキュラム」としての学校風土)が、家庭人の役割を果たす上でのキャリア形成を阻害しています。

     もちろん、こんな学校の空気感に負けないほどの興味や関心、才能に恵まれた男子生徒たちは、パティシエになったり、保育士になったり、ピアニストになったりするわけですし、こういった学校風土の中で育った男性たちの中にも様々な苦労を伴いながら育児休業を取得している(取得した)人たちが確実にいることは事実です。でも、男性の育児休業取得率が最新データでも5%台というのは、悲しい現実ではないでしょうか。

     育児休業を取得した(あるいは取得しようとしている)男性にハラスメントを行う上司たちも、育児休業を申し出ることを諦めてしまっている男性たちも、育児休業を取得することなど想定もしない男性たちも、その「根っこ」は、「男は外で働く存在、女は男を支える存在」という戦後の高度経済成長期に通用した古い社会通念に縛られてしまっていることにあるのだと思います。そして、こういった社会通念が世代間で再生産されてしまうのを助長している「しくみ」の一つが、上述のような全く悪意のない学校の空気感なのかもしれません。(当然のことながら、「○○さんは、女の子にしておくのがもったいないほどリーダーシップがある」なんていう言葉が、違和感なくやりとりされてしまっている学校の現実も再認識する必要があるでしょう。)

     こういった現状を学校教育にかかわる私たち一人一人が意識した上で、それぞれの授業を通したガイダンスとしてのキャリア教育を実践し、同時に、個々の児童生徒のキャリア形成を支援するためのキャリア・カウンセリングを行わなければ、将来日本型の「パパ・クオータ制」が実現したとしても無用の長物になってしまうかもしれません。それではあまりにももったいないと思いますが、皆様はどのようにお感じでしょうか。

     ……今回の「よもやま話」を書きながら、僕自身の子育て期において、連れ合いから頻繁に指摘されていたことを思い出しました。

     「あなたは“家事を手伝っている”ってよく言うし、実際そう思っているんだろうけど、“手伝う”ってどういうこと? 家事をするのは、女が「主」で男が「従」ってこと? 手伝ってる、手伝ってるって、エラそうに言わないでよね!」

     この発言の最後の部分は文字通り「余計な一言」であり、こういう余計な一言が夫婦喧嘩を誘発させるのですが(しかも、こういう「余計な一言」を発する彼女のクセは未だに変わりませんが)、話の趣旨としては、ご指摘の通りでございます。私から付け加えるべきことはございません。


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藤田晃之

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