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キャリア教育 よもやま話Just Mumbling...

第49話 たまには遠くを見てみよう(2019年8月13日)

  •  このところ、日韓両国間の政治的な関係が安定度を欠き、連日、テレビや新聞などの従来型のマスメディアはもちろん、ネット上のニュースサイトもこの話題でもちきりですね。日本で暮らしていると、世の中の最重要ニュースはこれ以外にない!という印象ですが、世界的に見れば、絶大な注目を集めているとは言い難いようです。

     例えば、アメリカ三大商業テレビネットワーク(ABC, CBS, NBC)の公式ウェブサイトでは、本日現在のトップニュースとしていずれも日韓貿易問題を扱ってはおらず、検索語「Japan Korea」によって検索しても、この1ヶ月の間でヒットする記事は北朝鮮に関するもの(例えば最近の飛翔体発射など)が主軸です。日韓貿易問題については、そもそも詳細な報道自体がなく、いずれかの政府が新たな方針を発表した時にその概要を報じる程度に留まっているのが現実に近いと言えるでしょう。例えば、昨日(8月12日)、韓国政府が日本による輸出管理厳格化への事実上の対抗措置の実施案を示したことについては、CBSとNBCの両サイトでは全く報じられておらず、ABCのみが簡略にその事実を伝えているに過ぎません。

     なら、国際ニュースを得意とするCNNやBBCであれば扱いは違うはず……と思って公式サイトを見てみたのですが、本日現在、CNNではアジア地域の主要ニュースとしては全く扱われておらず、BBCが昨日の韓国政府による対抗措置案の発表についてコンパクトに報じているに留まりました。アジア地域のニュースとして注目を集めているのは、CNN・BBCともに、香港における逃亡犯条例を契機とした抗議活動、カシミール問題、台風9号による中国での深刻な被害などが中心です。

     無論、国際的な注目を集めていようといまいと、日本と韓国の双方にとって現在の状況は全く好ましくありません。とりわけ、個人的には、教育・文化・スポーツの領域での日韓交流が中止や延期とされたケースが少なくないことが残念でなりません。歴史観に違いがあると指摘される日韓両国であるからこそ、若い世代が様々な交流活動を通してお互いを知り、お互いを尊重しつつ、未来を築く手立てをともに構築する必要があるのではないでしょうか。お互いを深く知る機会が乏しくなればなるほど、溝は深くなり、誤解や偏見が根を下ろす余地が増すばかりです。

     今、私たちは、1945年に採択された「ユネスコ憲章」の前文に再び目を向けるべき時を迎えているのかもしれません。その一部を以下に引用してみましょう。

     戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。
     相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。
     ここに終りを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代りに、無知と偏見を通じて人間と人種の不平等という教義をひろめることによって可能にされた戦争であった。
     文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、且つすべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神をもって果さなければならない神聖な義務である。。


     昨今の日韓両国間の軋轢は、世界全体から見れば、「東アジアにある二つの国の間の仲違い」程度の位置づけにしか過ぎません。私たちはまず、この事実を前提に思考を進めていく必要があるでしょう。他に視野に収めるべきことを全て見失ってしまうほどにまで、この問題に感情的になることは得策ではありません。また同時に、この問題によってお互いの嫌悪感が徒に増強される事態は、「相互の風習と生活を知」る機会を私たちから奪い、それは日本・韓国の双方における「無知と偏見」及び「疑惑と不信」の分かちがたい悪循環に発展しかねず、それを食い止めることが私たち一人一人にとっての「神聖な義務」であることを、すでに75年近くも前に世界各国が確認していた事実を今一度想起する必要があるでしょう。

     私たちの思考や感情は、日々接する視覚情報や聴覚情報から大きな影響を受け、それによって枠付けられます。だからこそ、たまには、意識して遠くも見てみませんか? 空間的にも、時間的にも、視野を広くとって目の前の状況を俯瞰してみると、全く違った景色が見えてくるかもしれません。 

     僕の頭の中は基本的に「お花畑」なので、門外漢の領域に足を突っ込んで知ったかぶりをすると漏れなく大恥をかく結果となります。この点については痛いほど自覚しているのですが、今回は、恥を忍んで毛色の変わった「よもやま話」をお届けしました。

     でも、このまま終わってしまうと、本当に無責任な独り言だけになってしまうので、「遠くを見る」つながりで、ちょっとだけ別の話題を……。 

     先日、『週刊アエラ』を見ていたら「DNAで知る本当の自分 遺伝子検査で『適職』を見つける 」(2019年07月29日)という記事がありました。そのほんの一部を引用してみます。

     最新の研究で、IQや才能、性格、薬物への依存まで遺伝の影響を受けることがわかってきた。(中略)
     ただ、社会で必要な力は、すべてがIQで説明できるわけではない。IQの高低にかかわらず、ある分野においてトップクラスの才能を秘めた人はいる。(中略)
     もう一つは、発揮される能力が、遺伝だけで決まるわけではないという点だ。安藤教授[慶応大学・安藤寿康教授(引用者注)]は、人の能力をパソコンに例えると、遺伝の影響を受ける部分は演算処理をするCPUに、学習や経験で身につける部分はデータベースにあたると説明する。
    「例えば魚屋さんはあらゆる魚を一瞬で見分け、旬の時期や調理法まですらすらと導き出すことができる。いくらCPUの処理能力が高くても、頭の中に、魚について膨大かつ整理されたデータベースが構築されていなければそうはいかない」
     CPUが高性能なら、多くのデータを素早く処理できる。そういう人はおそらく、様々な場面においてのみ込みが早いだろう。ただ、いくらCPUが高性能でも――つまり遺伝的に処理能力が高くても、勉強や経験が足りず、頭の中のデータベースが貧弱なら、適切な答えは導き出せない。遺伝的な能力の高低にかかわらず、努力は必要なのだ。


     ……だそうです。上の引用で議論されているCPUに相当する知的能力のみならず、「性格」も遺伝子の影響を受け、成長過程での環境要因と相まってその人らしさを形成するとすれば、その子の遺伝子に最適な生育環境をどう整えるのかという議論が当然求められ、その生育環境の一部としての学校教育も一人一人の遺伝子タイプに最適化されるべきであるという論理に帰結する……ことになるのでしょうか???

     だとすると、遺伝性の疾病の回避はもとより、よりよい容姿・よりより運動能力・よりよい知的能力・よりよい性格(例えば、社会性、打たれ強さ等々)などを求めて、受精卵のゲノム編集を希望する親が現れることも否定できない……わけです。

     でも、この先には、ナチスドイツでの過ちが、戦後日本での強制不妊の過ちが、より先鋭的な形となって私たちを待っているような気がします。……うーん。「遠くを見る」ことは、そう簡単に答えを導くことができない問題も直視せざるを得ないということのようですね。

     しかも、この問題は、ものすごく遠い未来の話でもなさそうなところが厄介です。すでに、綿棒で口腔内をこすって唾液を採取し、そこから300項目近い遺伝子情報を分析するキットが3万円程度で市販され、ビジネスとして成立しています。需要が増え、関連技術が進展すれば、価格が廉価になるのは自明の理。仮に、20XX年、「三歳児健康診断では遺伝子検査も無償で実施」が各自治体での当たり前となり、就学前教育段階からそれぞれの遺伝子に最適化した教育が提供されるようになるとしたら、キャリア教育はどうかわっていくのでしょうか。

     ……いや、「たら」「れば」の話を軽々にするのはよくないですね。でも、これは「ほんのちょっと遠く」の未来の話かもしれないことだけは心にとめておく必要がありそうです。


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藤田晃之

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