年の瀬を迎え、慌ただしい日々をお過ごしのことと存じます。インフルエンザが相変わらず流行していると報じられておりますが、皆様のお近くではどうでしょうか。
ふと気付けば、来年度からは小学校において新しい学習指導要領が全面実施となりますね。ついこの前までは「“次期”学習指導要領」と呼び、実施はまだまだ先なんて思っていたのですが、既に移行措置や一部の先行実施がなされているわけですから、もはや「“次期”学習指導要領」では正確さに欠ける表現になってしまっているとも言えそうです。いつも同じことを書いてしまって恐縮ですが、つくづく「光陰矢の如しだなぁ」と実感せざるを得ません。
年が改まれば、小学校での新しい学習指導要領の全面実施は文字通り目前。この機会に、新学習指導要領が、歴代の学習指導要領に一線を画する形で初めて掲げた「前文」に注目し、そこに示されたメッセージを読み解いてみましょう。
◇
戦後初の学習指導要領は、ご存じのとおり、1947年に示された『学習指導要領一般編(試案)』です。この学習指導要領には「序論」が掲げられ、それは「なぜこの書はつくられたか」「どんな研究の問題があるか」「この書の内容」の3項目によって構成されていました。当該「なぜこの書はつくられたか」においては、広く知られる次の指摘がなされています。
これまでの教育では、その内容を中央できめると、それをどんなところでも、どんな児童にも一様にあてはめて行こうとした。だからどうしてもいわゆる画一的になって、教育の実際の場での創意や工夫がなされる余地がなかった。(中略)
もちろん教育に一定の目標があることは事実である。また一つの骨組みに従って行くことを要求されていることも事実である。しかしそういう目標に達するためには、その骨組みに従いながらも、その地域の社会の特性や、学校の施設の実情やさらに児童の特性に応じて、それぞれの現場でそれらの事情にぴったりした内容を考え、その方法を工夫してこそよく行くのであって、ただあてがわれた型のとおりにやるのでは、かえって目的を達するに遠くなるのである。またそういう工夫があってこそ、生きた教師の働きが求められるのであって、型のとおりにやるのなら教師は機械にすぎない。そのために熱意が失われがちになるのは当然といわなければならない。(中略)
この書は、学習の指導について述べるのが目的であるが、これまでの教師用書のように、一つの動かすことのできない道をきめて、それを示そうとするような目的でつくられたものではない。新しく児童の要求と社会の要求とに応じて生まれた教科課程をどんなふうにして生かして行くかを教師自身が自分で研究して行く手びきとして書かれたものである。(以下略)
まさに今日の新しい学習指導要領の理念にも通底する、極めて重要な指摘であると思います。上の引用部分が雄弁に語るように、この「序論」においては、戦後初の学習指導要領の目的と理念が高らかに謳われていると言えそうですね。
そして、1951年。当該学習指導要領は全面改訂され、新たな『学習指導要領一般編(試案)』として示されました。この学習指導要領の冒頭には「まえがき」が置かれ、それに続いて「序論」が示されている点が特徴的です。でも、「まえがき」では「学習指導要領使用状況調査」の結果を基に全面改訂された経緯などが簡潔に示され、「編修にあたった委員」の一覧が掲げられているに過ぎません。一方、それに続く「序論」は、「学習指導要領の目的」「学習指導要領の使い方」「この書の内容」によって構成されています。やはりここでも、学習指導要領の目的や理念が当該「序論」において示されていると言えるでしょう。
その後、学習指導要領は、高度経済成長を支えるための人材育成に寄与すべく、法的拘束力を伴った教育課程編成の基準として位置づけられ、同時に、「序論」も姿を消していきます。学習指導要領と言えば、その冒頭には「総則」が置かれるもの、という半世紀以上にわたって形成されてきた“常識”は、学習指導要領への法的拘束力の付与と同時にスタートしたわけです。
そして、今回、新たに改訂された学習指導要領の冒頭に掲げられたのが「前文」です。戦後初期の学習指導要領の「序論」が、名称と姿を変えてメインステージに再び登場したような印象を受けるのは僕だけではないはずです。(いや、僕は根っからの変わり者なので、こんなことを感じるのは僕くらいかもしれません。個人的には「おーっ、久しぶり!!」と声をかけたいくらいの気持ちなのですが、感覚のズレについてはどうか笑って許して下さい。)
◇
新しい学習指導要領の「前文」の大半は、小学校・中学校・高等学校を問わず、共通の文言によって示されています。まず、冒頭部を引用しましょう。
教育は、教育基本法第1条に定めるとおり、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期すという目的のもと、同法第2条に掲げる次の目標を達成するよう行われなければならない。(中略)
これからの学校には、こうした教育の目的及び目標の達成を目指しつつ、一人一人の児童/生徒が、自分のよさや可能性を認識するとともに、あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、多様な人々と協働しながら様々な社会的変化を乗り越え、豊かな人生を切り拓き、持続可能な社会の創り手となることができるようにすることが求められる。このために必要な教育の在り方を具体化するのが、各学校において教育の内容等を組織的かつ計画的に組み立てた教育課程である。
詩的とも言うべき筆致ですね! でも、今回注目したいのは、風格ある文体ではなく、後半の内容です。 当該部分をキャリア教育を通して育成する「基礎的・汎用的能力」に引きつけて次のように整理しても、無茶苦茶な詭弁であるとのお叱りは受けないだろうと思いますが、如何でしょうか。
これからの学校には、こうした教育の目的及び目標の達成を目指しつつ、一人一人の児童/生徒が、
自分のよさや可能性を認識するとともに、(=自己理解能力)
あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、(=人間関係形成能力)
多様な人々と協働しながら(=人間関係形成能力)
様々な社会的変化を乗り越え、(=課題対応能力)
豊かな人生を切り拓き、(=キャリアプランニング能力)
持続可能な社会の創り手となることができるようにする(=社会形成能力)
ことが求められる。このために必要な教育の在り方を具体化するのが、各学校において教育の内容等を組織的かつ計画的に組み立てた教育課程である。
うーん、ちょっと強引かなと思われる部分もなきにしもあらず、という気はしますが、目に余る牽強付会であるか否かのご判断はこれをお読みくださっている皆様にお任せすることにして、「前文」を読み進めていきましょう。上の引用部分の後にも、小学校・中学校・高等学校に共通する文言が続きます。
教育課程を通して、これからの時代に求められる教育を実現していくためには、よりよい学校教育を通してよりよい社会を創るという理念を学校と社会とが共有し、それぞれの学校において、必要な学習内容をどのように学び、どのような資質・能力を身に付けられるようにするのかを教育課程において明確にしながら、社会との連携及び協働によりその実現を図っていくという、社会に開かれた教育課程の実現が重要となる。
学習指導要領とは、こうした理念の実現に向けて必要となる教育課程の基準を大綱的に定めるものである。学習指導要領が果たす役割の一つは、公の性質を有する学校における教育水準を全国的に確保することである。また、各学校がその特色を生かして創意工夫を重ね、長年にわたり積み重ねられてきた教育実践や学術研究の蓄積を生かしながら、児童や地域の現状や課題を捉え、家庭や地域社会と協力して、学習指導要領を踏まえた教育活動の更なる充実を図っていくことも重要である。
ここは、「社会に開かれた教育課程の実現」という新しい学習指導要領の理念を提示し、その後、学習指導要領が果たす中核的な役割について論じている極めて重要な部分です。でも、この引用箇所についてのコンメンタールを気取って説明を加えていくと、僕の最悪の書き癖が顔を出し「冗長な駄文の垂れ流し」に終わりそうなので、涙をのんで割愛することにします。すでに、新学習指導要領の解説を主眼とするたくさんの書籍等に的確な説明が示されていますので、適宜ご参照ください。
◇
さて、新しい学習指導要領「前文」も、結びの段落を残すのみとなりました。この段落だけは、小学校・中学校・高等学校それぞれの学習指導要領において、児童生徒の学びの進展に応じた書き分けがなされています。とはいえ、いずれも主眼とすることは共通しており、この点こそが、今回のよもやま話で焦点化したい部分でもあります。まずは、小学校・中学校・高等学校の各学習指導要領「前文」の結びの段落を引用しましょう。
《小学校》
児童が学ぶことの意義を実感できる環境を整え、一人一人の資質・能力を伸ばせるようにしていくことは、教職員をはじめとする学校関係者はもとより、家庭や地域の人々も含め、様々な立場から児童や学校に関わる全ての大人に期待される役割である。幼児期の教育の基礎の上に、中学校以降の教育や生涯にわたる学習とのつながりを見通しながら、児童の学習の在り方を展望していくために広く活用されるものとなることを期待して、ここに小学校学習指導要領を定める。
《中学校》
生徒が学ぶことの意義を実感できる環境を整え、一人一人の資質・能力を伸ばせるようにしていくことは、教職員をはじめとする学校関係者はもとより、家庭や地域の人々も含め、様々な立場から生徒や学校に関わる全ての大人に期待される役割である。幼児期の教育及び小学校教育の基礎の上に、高等学校以降の教育や生涯にわたる学習とのつながりを見通しながら、生徒の学習の在り方を展望していくために広く活用されるものとなることを期待して、ここに中学校学習指導要領を定める。
《高等学校》
生徒が学ぶことの意義を実感できる環境を整え、一人一人の資質・能力を伸ばせるようにしていくことは、教職員をはじめとする学校関係者はもとより、家庭や地域の人々も含め、様々な立場から生徒や学校に関わる全ての大人に期待される役割である。幼児期の教育及び義務教育の基礎の上に、高等学校卒業以降の教育や職業、生涯にわたる学習とのつながりを見通しながら、生徒の学習の在り方を展望していくために広く活用されるものとなることを期待して、ここに高等学校学習指導要領を定める。
改めて申し上げる必要もない程に明確ですが、今回の学習指導要領に期待されていることは、児童生徒が学ぶ意義を実感しつつ個々の資質・能力を伸ばせるようにするため、これまでの学びとこれからの学びや職業等とのつながりを見通しながら学習の在り方を展望できるようにすることに他なりません。これは、初等中等教育を一貫する学習指導要領のねらいと言っても良いでしょう。
知識基盤社会、第4次産業革命、Society 5.0……。表現は様々になされていますが、日進月歩の知の進展が社会を支え、同時に、高度先進技術が多様な領域でパラダイムの転換を伴いながら社会の姿を変えていくという特質は共通しています。私たち大人も、現在学校で学んでいる子供たちも、このような社会に参画し、そこで生きていくことになるという現実は変えようもないのです。2013年に閣議決定された第2期教育振興基本計画が、その「前文」において述べているように、私たちは「一人一人が生涯にわたって能動的に学び続け、必要とする様々な力を養い、その成果を社会に生かしていくことが可能な生涯学習社会を目指していく必要」に直面していると言えるのではないでしょうか。新学習指導要領「前文」が、これまでの学びとこれからの学びや職業等とのつながりを見通しながら学習の在り方を展望できるようにすることに注力する必要性を明示したことは極めて重く、これを等閑にするようなことがあってはならないと強く思います。
一方、これまでのPISAやTIMSSでの意識調査が示し続けているように、現在の学びと自らの将来との関係性について認識している日本の生徒の割合は、世界でもまれに見るほどに低いままです。「こんな勉強をやっても意味がない」「こんな知識は将来何の役にも立たない」と嘆きつつも、成績だけは常に世界の上位層に位置してきた、というのが日本の中学生・高校生です。おそらく、多くの生徒たちは、受験突破のための苦役として仕方なく学び、その無意味さに絶望しつつも知識を自らの頭の中に叩き込んでいるのでしょう。このようにして身につけた知識は、受験終了後、時を経ずして剥落し、残るのは、学ぶこと自体に疲れ果て学びを忌避しようとする姿勢のみではないでしょうか。「生涯にわたって能動的に学び続け、必要とする様々な力を養い、その成果を社会に生かしていくこと」が強く求められる今日、このような状況の改善が求められるのは当然であり、新しい学習指導要領はまさにその役割を担おうとしているわけです。
◇
そして、この新学習指導要領に基づく学校教育においては、キャリア教育こそが、これまでの学びとこれからの学びや職業等とのつながりを見通しながら学習の在り方を展望できるようにするというねらいを中核的に具現化する教育活動として期待されていると言っても過言ではありません。
まず、「総則」が、各学校に対してキャリア教育の実践を次のように義務づけていることを再確認しておきましょう。
児童/生徒が、学ぶことと自己の将来とのつながりを見通しながら、社会的・職業的自立に向けて必要な基盤となる資質・能力を身に付けていくことができるよう、特別活動を要としつつ各教科等の特質に応じて、キャリア教育の充実を図ること。
※小「総則」第4 児童の発達の支援、1 児童の発達を支える指導の充実(3)
※中「総則」第4 生徒の発達の支援、1 生徒の発達を支える指導の充実(3)
※高「総則」第5款 生徒の発達の支援 1 生徒の発達を支える指導の充実(3)
キャリア教育は、まさに、一人一人の児童生徒が「学ぶことと自己の将来とのつながりを見通」すことができるよう指導・支援していくことを主眼とする教育活動であり、同時に、「社会的・職業的自立に向けて必要な基盤となる資質・能力」、すなわち「基礎的・汎用的能力」を身に付けていくことをねらいとするものです。
そして、キャリア教育の「要」となる特別活動、とりわけ、「学級活動(3)」「ホームルーム活動(3)」においては、次のような取扱いが全ての学校に求められています。
学校、家庭及び地域における学習や生活の見通しを立て、学んだことを振り返りながら、新たな学習や生活への意欲につなげたり、将来の生き方(小・中)/在り方生き方(高)を考えたりする活動を行うこと。その際、児童/生徒が活動を記録し蓄積する教材等を活用すること。
※小「特別活動」第2 各活動・学校行事の目標及び内容〔学級活動〕、3 内容の取扱い(2)
※中「特別活動」第2 各活動・学校行事の目標及び内容〔学級活動〕、3 内容の取扱い(2)
※高「特別活動」第2 各活動・学校行事の目標及び内容〔ホームルーム活動〕、3 内容の取扱い(2)
もはや、ここに何らかの付言は必要ありませんね。
さらに、上の引用箇所で指摘される「児童/生徒が活動を記録し蓄積する教材」については、全国に共通する名称として「キャリア・パスポート」と呼ぶことが確定し、今年(2019年)3月29日には文部科学省が次のような定義を示し、来年度(2020年4月)から国内の全ての学校での実践が開始されることとなりました。
「キャリア・パスポート」とは、児童生徒が、小学校から高等学校までのキャリア教育に関わる諸活動について、特別活動の学級活動及びホームルーム活動を中心として、各教科等と往還し、自らの学習状況やキャリア形成を見通したり振り返ったりしながら、自身の変容や成長を自己評価できるよう工夫されたポートフォリオのことである。
※文部科学省初等中等教育局児童生徒課「『キャリア・パスポート』例示資料等について」(2019年3月29日 事務連絡) 別添「『キャリア・パスポート』の様式例と指導上の留意事項」
繰り返しとなりますが、キャリア教育は、これまでの学びとこれからの学びや職業等とのつながりを見通しながら学習の在り方を展望できるようにするという新学習指導要領のねらいを中核的に具現化する教育活動として、大きな期待を向けられているのです。
振り返れば、今から10年以上前、キャリア教育推進施策の一環として中学校での職場体験活動の充実化に力点が置かれた時期がありました。これを契機に、職場体験活動の実施をもってキャリア教育の実践をした、という誤解が一時的に広まったことは事実でしょう。このような誤解は、キャリア教育を一過性のイベント型の教育活動と理解する見方を助長し、キャリア教育を学校教育の隅っこにポツンと置かれた小さな存在であるかのように捉える偏見すら生み出したと言えるかもしれません。
無論、今後求められるキャリア教育が、そのような局所的な実践に留まることはあってはなりません。
現在のキャリア教育の概念と方向性を示した中央教育審議会答申「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」(2011)は、キャリア教育の意義・効果の一つとして「キャリア教育は、一人一人のキャリア発達や個人としての自立を促す視点から、学校教育を構成していくための理念と方向性を示すものである。各学校がこの視点に立って教育の在り方を幅広く見直すことにより、教職員に教育の理念と進むべき方向が共有されるとともに、教育課程の改善が促進される。」と述べています。新しい学習指導要領は、まさに、これを具現化したものであるとも言えるでしょう。
僕個人は、このようなキャリア教育へのご縁をいただき、この分野の研究に携わることができていることを有り難く感じると同時に、誇りに思っています。キャリア教育の実践に当たられる先生方も、期待されている重要な役割を改めて捉え、自信と誇りをもって子供たちの指導や支援を充実させていただきたいと心から願っております。
◇
今年、2019年は、かろうじて10話の「よもやま話」をお届けできました。明年は、あと1話、できれば2話くらい加えて更新のペースを少しでも上げていけるよう努力したいと思います。
この1年の間に皆様から賜りましたご指導とご鞭撻に深く御礼申し上げますと共に、佳き年をお迎えになりますようお祈りいたします。
【第51話】PISA2018の結果第一報によせて(2019年12月3日)
【第50話】「キャリア・パスポート」は “お荷物”か?(2019年10月13日)
【第49話】たまには遠くを見てみよう(2019年8月13日)
【第48話】世界は動いている(2019年6月29日)
【第47話】日本版パパ・クオータ制、創設か!?(2019年5月26日)
【第46話】変わりゆく日本型雇用(2019年4月28日)
【第45話】「キャリア・パスポート」例示資料等の発出によせて(2019年4月4日)
【第44話】やっぱり英語は必要だ!(2019年3月13日)
【第43話】キャリア教育とジョン・デューイの「オキュペーション」(2019年2月9日)
【第42話】マハトマ・ガンディー生誕150周年に寄せて(2018年12月23日)
【第41話】書けない・書かないキャリア・パスポートをどうするか(2018年11月17日)
【第40話】教科を通したキャリア教育は難しい?―その3―(2018年9月24日)
【第39話】「主体的・対話的で深い学び」とキャリア教育(2018年8月12日)
【第38話】大学入学共通テストの方向性が示すもの(2018年7月8日)
【第37話】「キャリア教育の要」って、結局、何をどうするの?(2018年6月2日)
【第36話】教科を通したキャリア教育は難しい?―その2―(2018年5月6日)
【第35話】「教員が対話的に関わること」の意味(2018年4月11日)
【第34話】AI時代に求められる力(2018年3月11日)
【第33話】未来は「怖い」か「楽しみ」か(2018年1月27日)
【第32話】テレビドラマが映し出すもの(2018年1月21日)
【第31話】年の瀬の大風呂敷(2017年12月28日)
【第30話】働くって、何だろう?(2017年11月25日)
【第29話】キャリア・プランニングはナンセンス?(2017年11月5日)
【第28話】世界的に問い直される「学びの本質的な意義」(2017年10月29日)
【第27話】世界的潮流としての「教科を通したキャリア教育」の実践(2017年10月1日)
【第26話】「キャリア・パスポート」がやってくる!?(2017年9月10日)
【第25話】他山の石(?)としての1970年代のアメリカにおける実践(2017年8月27日)
【第24話】将来(おそらく)使わないものを勉強する理由 (2017年8月6日)
【第23話】「青い鳥」が住むところ (2017年7月1日)
【第22話】遅ればせながら…「基礎的・汎用的能力」って何?(2017年6月17日)
【第21話】「基礎的・汎用的能力消滅論(!?)」を検証する(2017年6月4日)
【第20話】キャリア教育の「要」としての特別活動(2017年4月23日)
【第19話】アントレプレナーシップって何だ?(2017年4月9日)
【第18話】子供たちの変容・成長をどう評価するか(2017年3月26日)
【第17話】就学前~小学校低学年の子供へのアプローチ(2017年3月11日)
【第16話】小学校・中学校の次期学習指導要領案を読む(2017年2月26日)
【第15話】小学校におけるキャリア教育の豊かな可能性(2017年2月12日)
【第14話】キャリア教育の18年の歩みを振り返る(2017年1月29日)
【第13話】今、高校3年生に伝えたいこと(2017年1月15日)
【第12話】中教審答申がキャリア教育に期待するもの(2016年12月29日)
【第11話】職場体験活動再考(2016年12月18日)
【番外編】PISA2015の結果が公表されました(2016年12月6日)
【第10話】強者の論理(2016年11月30日)
【第9話】学びの先にあるもの(2016年11月14日)
【第8話】キャリア教育と進路指導(2016年10月29日)
【第7話】五郎丸さん(2016年10月14日)
【第6話】「お花畑系キャリア教育」は言われるほど多いか?(2016年10月1日)
【第5話】金太郎飴(2016年9月18日)
【第4話】カリキュラム・マネジメントと「SMART」な目標設定 (2016年9月4日)
【第3話】キャリア教育とPDCAサイクル (2016年8月17日)
【第2話】教科を通したキャリア教育は難しい? (2016年8月2日)
【第1話】職業興味検査は使い方が肝心 (2016年7月31日)