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キャリア教育 よもやま話Just Mumbling...

第54話 キャリア教育の出番です!(2020年2月1日)

  •  今回は「キャリア教育の出番です!」をお題にして、よもやま話をお届けします。(「……何言ってんの? 年中、“キャリア教育の出番です” って話ばかりだろ。」と、大勢の方から一斉にツッコミを入れられたような気がしましたが、空耳だということにさせてください。)

     昨年(2019年)末、立て続けに結果が公表されたいくつかの調査において、とても気になるデータが見受けられました。今回は、そのうち3点に絞ってご紹介します。

     その一つは、すでに「第51話 PISA2018の結果第一報によせて(2019年12月3日)」の中でご報告した「人生の意義」に関する3項目の質問に対する回答結果です。「(1)自分の人生には明確な意義や目的がある」「(2)自分の人生に、満足のいく意義を見つけた」「(3)自分の人生に意味を与えるのは何か、はっきり分かっている」についての日本の高校1年生の回答が、調査国・地域の中で最も否定的だったのです(Figure III. 11. 9)。これら3つの項目に対する肯定的回答率(「強くそう思う」「そう思う」をあわせた回答の割合)を、OECD加盟国に限定していくつか拾ってみると次のようになります。

    上位3カ国
     メキシコ:(1)86%、(2)81%、(3)83%
     コロンビア*:(1)88%、(2)80%、(3)83%
      *2018年5月OECD加盟承認、2019年12月現在国内批准手続き中
     スイス:(1)73%、(2)71%、(3)71%
    OECD平均:(1)68%、(2)62%、(3)66%
    下位3カ国
     チェコ:(1)59%、(2)52%、(3)57%
     イギリス:(1)57%、(2)52%、(3)58%
     日本:(1)56%、(2)41%、(3)40%

     ちなみに、お隣の韓国は3項目全体ではOECD平均を上回り、項目別には(1)67%、(2)65%、(3)68%でした。また、OECD加盟国に限定せずに結果を捉えた場合でも、残念ながら日本が最下位であることは変わらず、日本に次いで低い結果となった台湾では(1)64%、(2)43%、(3)52%でした。PISA2018の生徒質問紙調査は、今日の日本の高校生が、いかに自らの人生に対して方向性や意義を見いだせていないかを浮き彫りにしたと言えるのではないでしょうか。

     無論これらの結果は、当該国(地域)の経済や政治の状況はもちろんのこと、国民性・民族性なども勘案して捉えるべきものですから、キャリア教育を含んだ学校教育の在り方を変えさえすれば、それが改善に直結すると考えるのは早計です。特に、戦後半世紀以上にも渡って追い求めてきた「物質的な豊かさ」とは異なる目標の再設定が必要な局面を迎えて久しい日本で将来をクリアに展望することは、高校生に限らず、誰にとっても容易なことではありません。でも、同時に、「人生の意義」に関するすべての回答が、いわゆる「先進国」が多く加盟するOECDの平均を大きく下回っている事実は、何らかの打開策が必要であることを示していると捉えるべきでしょう。

     このような中で、「人生の意義」に関わる3項目に対する肯定的な回答と、「生徒間の協調的な人間関係」「学校への所属感」「教師からの支援の手厚さや細やかさ」などに関する肯定的な回答との間に正の相関があることが示され、日本もその例外ではなかったという結果(Table III.B1.11.17)は注目に値します。

     「人間関係形成・社会形成能力」の向上や、「キャリア・パスポート」などを通した教師による対話的な関わりを重視するキャリア教育の一層の拡充によって、見いだせる可能性は決して小さくないと確信します。「キャリアプランニング能力」の領域に区分される資質や能力に直接焦点を当てるキャリア教育の取組が重要となることは言うまでもありません。 (ちなみに、すぐ上で参照したTable III.B1.11.17は、日本を含むOECDの多くの国で、「生徒は競争を重視している」「生徒は互いに競争している」などの「生徒間の競争的な人間関係」も、「人生の意義」の肯定的な回答と正の相関を示すことを明らかにしています。「生徒間の協調的な人間関係」のみならず、「生徒間の競争的な人間関係」も正の相関……ということは、生徒がお互いに関心を持たず、希薄な関係しか築けていないような状況は相当にマズいと強く推察されますね。)


     次に注目するのは、このPISA2018の結果第一報の世界一斉公開(12月3日)の数日前に公開された、日本財団による第20回「18歳意識調査」の結果です。

     これまで同財団では、「メディア」「働く」「消費税」「東京オリンピック・パラリンピック」「国政選挙」などのテーマごとに、日本国内の18歳の若者の意識調査を実施し、公表してきました。一連の「18歳意識調査」初の国際比較調査となった今回は、日本とインド・インドネシア・韓国・ベトナム・中国・イギリス・アメリカ・ドイツの9カ国の17~19歳各1,000人を対象として、「国や社会に対する意識」についてインターネット調査が実施され、その結果が11月30日付けで公開されました(調査期間:2019年9月27日から10月10日)。

     この結果の概要を公表した同財団のウェブページには、日本の若者の意識について簡潔に整理され、分かりやすく示されたグラフも掲載されていますので、是非ご覧下さい。)
    https://www.nippon-foundation.or.jp/who/news/pr/2019/20191130-38555.html


     上記URLのページにおける説明と重複する部分もありますが、今回の調査結果の中から日本の特徴を示す数値をいくつか挙げてみましょう。

     日本を除く8カ国では「自分の国に解決したい社会課題がある」と認識する若者は、89.1%[インド]から66.2%[ドイツ]の範囲となりますが、日本の若者の46.4%しかそのような認識は持っていません。さらに、8カ国の若者の過半数は「社会課題について友人など周りの人と積極的に議論している」と自認していますが(83.8%[インド]~55.0%[韓国])、日本の場合、この割合は27.2%に激減します。しかも、「自分で国や社会を変えられると思う」と回答した日本の若者は18.3%にとどまり、日本を除いて最低となった韓国(39.6%)の半数にも満たない状況です。その上「自分の国の将来についてどう思っていますか」という問いに対して、「良くなる」と回答した若者は、調査国中最低の9.6%しかいません。

     これまでも、日本の若者のネガティブな将来展望や希薄な社会参画意識などの実態を示すデータは示されてきましたが、今回の調査では、それらが際だつ結果となったと言えそうです。ここから浮かび上がってくるのは、国内の社会課題について十分に関心を向けず、友人等とそれらの課題について議論もせず、自分では国や社会を変えられるとも思わずに、ただ、将来への漠とした不安に苛まれている若者の姿ではないでしょうか。

     もちろん、あたかも全員がそうであるかのような乱暴な議論をすることは全く意味のないことです。ソーシャルビジネスの事業化に取り組んだり、社会課題の解決に向けてNPOを立ち上げたり、それらに参画したり、様々なボランティア活動をしたりしている日本の若者は確実にいて、むしろ、そのような若者の割合は、僕自身が高校生や大学生だった頃よりも高まっているのではないか、というのが個人的な実感です。

     ですが、総体としての日本の若者の社会的な認識の傾向を見る限り、それは危機的状況にあると言わざるを得ません。

     その一方で、日本の学校教育においては、小学校低学年から当番活動や係活動を通して自らが所属する社会(=学級)の一員として果たすべき役割を遂行する豊かな機会を設け、児童会・生徒会活動では学校生活の充実と向上を図るための諸問題の解決に向けて計画を立て役割を分担し協力して運営する取組を推奨し、さらに、各種の学校行事や部活動等においても集団や社会の形成者としての資質・能力を高められるような指導を重ねてきたはずです。同時に、「民主的な国家及び社会の形成者に必要な公民としての資質・能力」の育成は、社会科・公民科等を中核として、様々な教科・科目等においてもなされてきたはずなのです。

     問題は、それらの豊かな経験や学びの機会が、将来とのつながりを見通すための十分な支援を伴わずに提供されてきてしまったことにあるのかもしれません。学級での生活だけに視野を限定した当番活動や係活動、学校生活のためだけの児童会活動や生徒会活動、中間テスト・期末テスト・実力テスト・入試等々で高い点数をとるためだけの教科等での学び……。これらの活動や学びのプロセスの中で重ねた個々の創意工夫や他者との協力、結果としての失敗や成功、それらを通した視野の広がりや新たな気付き等々が、実は、社会に参画することにも、そこで様々な役割を果たすことにもつながっていることを実感する機会が、これまでは乏しすぎたと言えそうです。

     私たちは、今一度、「児童・生徒が、学ぶことと自己の将来とのつながりを見通しながら、社会的・職業的自立に向けて必要な基盤となる資質・能力を身に付けていくことができるよう、特別活動を要としつつ各教科等(小・中)/各教科・科目等(高)の特質に応じて、キャリア教育の充実を図ること」という学習指導要領総則の規定の必要性と意義を確認すべきであるように思います。


     今回最後にご紹介するのは、12月17日に世界経済フォーラム(World Economic Forum)が発表した報告書Global Gender Gap Report 2020です。本報告書は、各国の男女間の平等度を示すジェンダー・ギャップ指数をとりまとめたものですが、日本は前年順位(110位)から後退し、過去最低の121位に落ち込みました。調査対象となったのは全153カ国ですから、121位というのは相当に低いと言えます。OECD加盟国の中ではトルコ(130位)に次いで低く、G7の中では不名誉ながら最下位です。

     この報告書で採用されるジェンダー・ギャップ指数は、「0」が完全不平等、「1」が完全平等を意味しています。報告書では、政治・経済・教育・健康の4部門についてそれぞれ指数化しているのですが、その結果は以下の通りでした。

       部門 指数  順位
       総合 0.652 121位
       政治 0.049 144位
       経済 0.598 115位
       教育 0.983 91位
       健康 0.979 40位

     「政治部門」が足を引っ張っているのは一目瞭然ですね。「国会議員の男女比」「閣僚の男女比」はともに世界最低水準でした。また「経済部門」では「管理職等の男女比」の指数が格段に低い結果となっています。

     2003年に内閣府男女共同参画局は、「社会のあらゆる分野において、2020年までに、指導的地位(議会議員、法人・団体等における課長相当職以上の者、専門的・技術的な職業のうち特に専門性が高い職業に従事する者)に女性が占める割合が、少なくとも30%程度になるよう期待する」という目標を掲げましたが、達成は難しそうですね。もちろん、今日、内閣府には「男女共同参画府」が置かれ、首相官邸には「すべての女性が輝く社会づくり本部」が設置されていますし、SDGs(持続可能な開発目標:Sustainable Development Goals)の「目標5」は、言わずと知れた「ジェンダー平等の実現」です。

     男女間の不平等を改善するための「ルール」や「しくみ」づくりは、以前から継続されてきましたし、整いつつあると言えそうです。問題は、その「ルール」や「しくみ」を実質的に活かすための、意識でありハート。この点は、学校教育、とりわけキャリア教育が担うしかないと思います。

     生物としてのヒトには雌雄の機能や特性に違いがありますが、そのような生物学的な性差がそのまま個人の行為を規定するわけではありません。

     例えば、ある社会で「女性」と見なされている場合、その人は、生物学的な意味での雌性個体としての諸特性に加え、まずは自ら置かれてきた環境において合法的・倫理的とされ、かつ、「女らしい(女性として望ましく、価値がある)」と認められている通念に合致する範囲の中で「できること」「すべきこと」「したいこと」のバランスを見いだし、さらにその行為の結果も合法的・倫理的で「女らしさ」の通念から逸脱しないものとなるようにそれらのバランスを再調整したうえで、行為として表出することが一般的です。それが常識的行為とされ、それを“是”とする社会的な圧力は顕在的にも潜在的にも広く存在します。そして、そのような行為の決定と表出の方策を継続することに違和感を覚えず、幸せな日々を送ることができる人がいる一方で、そうではない人も存在します。

     ここで重要なことは、これまで日本では、そのような「女らしさ」が、個人の行為を不必要に呪縛する傾向が著しく強かったという事実です。政治分野のジェンダー・ギャップ指数「0.049」はその結果の一つかもしれません。女性にとっての強固な「ガラスの天井」が存在してきたわけです。無論、「男らしさ」の呪縛も強固にあります。高度経済成長期における日本型雇用への過適応や、定年退職後の地域や家庭における居場所の喪失などはその典型的な結果でしょう。

     当然のことながら、「女らしさ」「男らしさ」の呪縛をそれぞれ切り離して考えることはできません。日本の女子中学生や女子高校生が「国会議員なんて私には到底無理」と思い込むことと、男子中学生や男子高校生が「子育てなんて男がやることじゃねぇ」と思い込むこととは、表裏一体です。また、LGBTQやLGBTQIAなどと総称される性的アイデンティティを秘匿とせざるを得ない人が未だに多い日本の状況も、「女らしさ」「男らしさ」の呪縛によるところが大きいと言えますね。

     今、改めて必要なのは、「女らしさ」「男らしさ」を相対化して捉え、「その人」が「その人」であることを歪めないまま自らの「できること」「すべきこと」「したいこと」を認識し、自らの判断でそれらのバランスをとりつつ表出した行為を、お互いに可能な限り認め合おうじゃないか、という共通認識ではないでしょうか。

     その社会で受け入れられてきた「女らしさ」「男らしさ」がそのまま「その人らしさ」と重なる人は、それで幸せ。「女らしさ」「男らしさ」をいい按配にミックスすれば「その人らしさ」と重なる人は、それで幸せ。「女らしさ」「男らしさ」を逆転した方が「その人らしさ」と重なる人は、それで幸せ。「女らしさ」「男らしさ」とは別の次元で「その人らしさ」が見いだせる人は、それで幸せ。こんな幸せをみんなで認め合えるような「ルール」や「しくみ」が構想され、それらの必要性や意義が認められ、実際に活かされているのが幸せな社会。当然、このような社会であっても、生物学的な意味での雌雄の存在を前提とした有性生殖が子孫を残す手段の基本であることには変わりはないので、「女らしさ」「男らしさ」の社会的な通念は変容しつつ残っていくでしょう。また、日本以外の国籍をもつ人たちの定住化の一層の促進などによりその変容のスピードや程度は増していくに違いありませんが、「女らしさ」「男らしさ」の通念自体が全くなくなることは想定しにくいと思います。でも、上記のような社会においてそれらは人々の行為を広く束縛する大きな要因とはなり得ないはずです。

     うーん。言うは易く行うは難しの典型ですが、教育が理想や希望を捨ててしまったら、それはもはや教育ではなくなってしまいます。少なくとも、一人一人の「その人らしさ」よりも、歴史的・社会的に形成されてきた「女らしさ」「男らしさ」の枠を優先することが、「その人らしさ」を押し殺す結果になるケースが存在することは常に意識化しておきたいものです。男女間の不平等を改善するための「ルール」や「しくみ」が相当程度整備されつつある日本においては、教育実践の主体である先生方の認識が何より重要なのかもしれません。無論、現在のルールやしくみに改善の余地は様々あるにせよ、それすら十分に活かされていない現状をまずは変えていく必要がありそうです。今日、「社会に開かれた教育課程の実現」が目指されているわけですから、通念化された「女らしさ」「男らしさ」の枠を絶対視せずに「その人らしさ」を大切に生きている人(=ロールモデル)と出会う機会を設定することも有力な選択肢となりますね。。

     現時点では、内閣府による「STEM GirlsAmbassadors(理工系女子応援大使)」講演会の実施、科学技術振興機構の「女子中高生の理系進路選択支援プログラム」など、全国レベルで推進される施策には「理工系女子」関連への偏りが見られますが、今回の「ジェンダー・ギャップ指数、過去最低121位」の結果を受けて、状況も急速に変わっていくと推察します。また、都道府県レベルでも多様な支援プログラムが創出されるでしょう。そのような学校外諸機関からの支援も活用しつつ各学校で特色ある実践がなされ、その過程や成果が学校のウェブサイト等で数多く発信されることによって、全国各地での更なる実践の拡充につながることを祈っています。


     今回ご紹介した3つの調査結果を踏まえ、日本国内の全ての学校の先生方に改めて申し上げます。

     キャリア教育の出番です!


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