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キャリア教育 よもやま話Just Mumbling...

第57話 続:「今、ここ」でのキャリア教育(2020年6月14日)

  •  先月末、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて発令されていた「緊急事態宣言」が全面的に解除され、今月19日からは都道府県をまたぐ移動や、無観客でのスポーツの試合なども可能になる見通しが立ってきました。多くの学校でも、分散登校の形式から通常登校へと切り替えが徐々になされ始めています。いわゆる「新しい生活様式」の周知と浸透という大きな宿題を抱えつつではありますが、「コロナ以前」の社会経済活動に回帰する動きは確実に進展しているようです。

     今回は、新型コロナウイルス禍からの回復・復興に向かい始めた今だからこそ視野に収めておかなくてはならないことのうち、2点に焦点を絞ってよもやま話をお届けします。


     3月31日、経団連と国公私立大の代表者らによって構成される「採用と大学教育の未来に関する産学協議会」が、最終報告書『Society 5.0に向けた大学教育と採用に関する考え方』を公表しました。
    http://www.keidanren.or.jp/policy/2020/028.html

     3月末といえば、日本のみならず世界全体が新型コロナウイルスの急速な感染拡大に関心を集中させていた時期ですので、本報告書の公表についてのマスメディアの扱いは極めて軽いものでした。殆ど報じられていないと言ったほうが正確かもしれません。実際に、昨年4月の『中間とりまとめと共同提言』のほうが遥かに話題になりましたし、その一部は「よもやま話」第46話でもご紹介した通りです。無論、今回とりまとめられたのは最終報告書ですから、本来注目すべきはこっちですね。

     まず、当該最終報告書が10年後の雇用の在り方を次のように展望している点に注目したいと思います。

     2030年の企業は、ダイバーシティ経営が主流となっている。(中略)各企業は、「メンバーシップ型」のメリットを活かしながら自社の経営戦略にとって最適なかたちで「ジョブ型」を組み合わせた「自社型」の雇用システムを確立している。社員の能力と希望によって、両者の雇用区分を相互転換できる仕組みも導入されている。ジョブ型雇用の活用がさらに拡がった結果、メンバーシップ型の社員とジョブ型の社員双方から経営トップ層に登用されるなど、複線型の制度・キャリアパスとなっている。(p.29)

     この「よもやま話」でも幾度となく触れてきたことですが、高度経済成長期に確立された日本型雇用は、特定の職務経験も専門的な技能もない新規学卒者を一括採用する方式を主軸に据えたものでした。その特質は、採用後の企業内教育と多職種経験主義(配置転換)を基盤とする終身雇用制にあったと言えるでしょう。雇用される時点では、職務・労働時間・勤務場所などを特定する契約は結ばれず、使用者の命令によってそれらの大幅な変更が可能であるため、企業という「共同体」のメンバーになるという意味で「メンバーシップ型」の雇用と呼ばれます。転勤族とか単身赴任とか私たちが何気なく使っている日本語は、世界的には極めて珍しい雇用形態を前提としたものです。

     言うまでもなく、このような雇用形態においては、高校受験も大学受験も首尾よく成功し、理系教科にも文系教科にも強い有名大学出身者は、在籍した学部や学科等を問わず歓迎されます。採用後に経験することになる多様な職務にその都度順応し、高い成果をあげることが期待できるからですね。こうして、「よりよい学校へ進学し、よりよい社会的地位を求める」国民性が培われ、受験競争は激化し、それは今日においても大きな変容を見せてはいません。「志望大学合格という栄冠を勝ち取る」などというフレーズは予備校や塾の広告のみならず、いわゆる進学校と呼ばれる高校の「学年便り」などにも頻繁に顔を出します。また、毎年この時期になると、「夏休みは受験の天王山」「夏は受験の関ヶ原」「夏を制する者は受験を制す」等々、中学生や高校生を鼓舞する言葉が一気に増えますね。「受験さえ乗り切ってしまえば、後は、一生安泰なんだから…」という親心は、日本型雇用によって担保されており、それは社会的にも広く認知されていたわけです。

     でも、ここで重要なのは、このような「メンバーシップ型」の日本型雇用は、人材育成のための財源となる潤沢な内部留保を前提とするという点です。「バブル景気」の崩壊、リーマンショック、東日本大震災などの打撃に続いて、新型コロナウイルス感染の世界的な拡大に直面している現在の状況に鑑みれば、「メンバーシップ型」の雇用をこれまで通り継続できる企業は、今後さらに減少すると予測せざるを得ません。特定業務等の遂行に必要な知識や能力を有する者を雇用して配置する専門業務型・プロフェッショナル型を典型とする「ジョブ型」の比重が高まることは確実と見て良いでしょう。今回の報告書が、「半世紀以上にも渡ってこの国に深く根を下ろしてきた日本型雇用ですが、この10年で大きく転換しますよ」と明言していることを坐視し、「受験さえ乗り切ってしまえば、後は、一生安泰なんだから…」と言い続けることは、もはや親心ではなく、大人として負うべき説明責任を放棄している状態にすら近いと言えるのかもしれません。

     また本報告書は、「最終的な専門分野が文系・理系であることを問わず、リテラシー、論理的思考力と規範的判断力、課題発見・解決能力、未来社会の構想・設計力、高度専門職に必要な知識・能力が求められ、(中略)これらの教育は、高等教育からではなく、初等中等教育段階から始める必要がある」とも指摘しています(p.6)。「ジョブ型」の雇用に対応し得る専門的知識・技能と共に、どのような仕事をする上でも必要となる汎用的な力の育成が求められていのです。これらの力と、キャリア教育を通して育成することが期待されている「基礎的・汎用的能力」との間に重なる部分がとても大きいことは自明でしょう。(また実は、国際的な教育改革の潮流ともなっている「Education 2030」において求められる「Transformative Competencies」や「Student agency for 2030」とも重なりまくっているのですが、この点に言及するとまたもやダラダラ長くなりますので、「Education 2030」については次回に回しますね。)。

     今回ご紹介した報告書は、「国全体で教育に対するマインド・セットを変えていくことが必要である」と指摘していますが(p.8)、「学校教育というのはこういうもの」「受験というのはこういうもの」という既成概念に最も囚われているのは、私たち教育関係者かもしれません。新型コロナウイルスの感染拡大抑止のためにこれまでの学校教育の在り方を大幅に見直さざるを得ないこの時期を、「高校受験・大学受験の向こう側」が大きく転換しようとしていることにも目を向けるチャンスとして捉えてみませんか?


     OECDは、つい先日、『A framework to guide an education response to the COVID-19 Pandemic of 2020(2020年新型コロナウイルス感染症パンデミックに対応するための教育の枠組み)』という冊子を公式ウェブサイト上で公開しました。

     本冊子の趣旨を大雑把に言えば、「世界中のほとんどの国において実施された感染拡大抑止のための社会的隔離措置が、数か月間に渡って学校ベースの教育を混乱させている現状に鑑みれば、この期間中の学習機会保障のための意図的かつ効果的な戦略が必要であり、教育行政や学校経営に携わるリーダーは従来型の学校教育に代替し得る方策を計画し実践するべきである。本書はその計画立案のためのガイドブックである。」という感じです。全体で40ページ、巻末資料を除けば30ページの小冊子ですので、是非ご覧ください。p.5からp.6にかけて示される「新型コロナウイルス感染症パンデミックに対応するためのチェックリスト」(全25項目)が、刮目して見るべき斬新さを備えているか……と言えば、うーん、そうでもない気もしますが見ておいて損はないと思います。
    https://read.oecd-ilibrary.org/view/?ref=126_126988-t63lxosohs&title=A-framework-to-guide-an-education-response-to-the-Covid-19-Pandemic-of-2020

     今回ここで注目したいのは、その25のチェックリストではありません。本冊子が指摘している「従来型の学校教育に代替し得る方策(alternate modalities)」の方です。

     それぞれの国や地域で実施可能な代替方策は異なるとの前提には立っているものの、本冊子がその中核として位置づけているのは、ICTを活用したオンライン授業です。30ページほどの本文の3分の1を越える12ページ分を使って、PISA2018の質問調査の結果を基に各国の学校教育のICTへの対応状況等を整理していることからも、オンラインでの授業等の実施が通学型授業の第一代替候補とされていることは明らかと言えるでしょう。

     そして今回引用されたPISA2018の学校質問調査は、日本の学校教育が、授業のオンライン化は言うに及ばずICT全般に関しても世界的にみて驚くほど立ち後れていることを、明快に、分かりやすく、決してごまかせない事実として示しているのです。日本の後進性が世界中に晒されている、と言った方が適切かもしれません。

     PISA2018に参加したのは79か国・地域(OECD加盟37、非加盟42)ですが、本冊子に掲載された12項目については、それらに対して回答のあった77か国・地域の比較がなされています。当該12項目中、日本の回答がOECD加盟諸国平均を上回った項目は、残念ながら皆無でした。それでも「家に勉強できる静かな場所がある(生徒調査)」「家からインターネットに接続できる(生徒調査)」「教員がデジタル機器を指導に取り入れる誘引(インセンティブ)がある(学校調査)」の3項目は、平均値を大幅に下回っている状況ではありません。しかしながら、以下の9項目の調査結果が示す日本の実情については、情けないというべきか、悲しいというべきか、適切な言葉が見つからない程です。(是非、この機会に上記URLから冊子本体をご覧ください。結果はすべてグラフ化されていますので、英語の読解力はほとんど必要ありません。)

    • 勉強に使えるコンピュータが家にある(生徒調査)67位/77カ国・地域(OECD加盟国内では36位/37カ国)
    • 学校のデジタル機器は、コンピュータの処理能力において、十分な性能である(学校調査)59位(OECD 35位)
    • 学校のインターネットの処理能力や速度は十分である(学校調査)59位(OECD 35位)
    • 適切なソフトウエアが十分に提供されている(学校調査)66位(OECD 37位[最下位])
    • 教員は、指導にデジタル機器を取り入れるために必要な技術的スキルと教育的スキルを有している(学校調査)77位[最下位](OECD 37位[最下位])
    • 教員には、デジタル機器を取り入れた授業の準備のために十分な時間がある(学校調査)77位[最下位](OECD 37位[最下位])
    • 教員がデジタル機器の使い方を学ぶために、有効な専門的資源が提供されている(学校調査)77位[最下位](OECD 37位[最下位])
    • 学校には技術的なサポートをする十分な資格を持った補助員がいる(学校調査)77位[最下位](OECD 37位[最下位])
    • オンライン上の有効な学習支援プラットフォームが提供されている(学校調査)72位(OECD 37位[最下位])


     政府は、「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会」である「Society 5.0」を日本が目指すべき未来の姿であるとしています。一方で、日本の学校教育におけるICT関連の後進性は、上述のとおり目を覆うばかりです。

     このような中で、文部科学省が昨年12月にGIGAスクール構想(GIGA=Global and Innovation Gateway for All)を公表し、文部科学大臣が次のように述べたことは注目して良いでしょう。(個人的には「時間はかかりましたけれど、やっと財務省を説き伏せたのですね!」と叫びたい衝動に駆られます。)

     『安心と成長の未来を拓く総合経済対策』(令和元年12月5日閣議決定)において、「学校における高速大容量のネットワーク環境(校内LAN)の整備を推進するとともに、特に、義務教育段階において、令和5年度までに、全学年の児童生徒一人ひとりがそれぞれ端末を持ち、十分に活用できる環境の実現を目指すこととし、事業を実施する地方公共団体に対し、国として継続的に財源を確保し、必要な支援を講ずることとする。あわせて、教育人材や教育内容といったソフト面でも対応を行う。」とされたことを踏まえ、GIGA スクール実現推進本部を設置する。


     また、本構想の一環として「『児童生徒1人1台コンピュータ』 の実現を見据えた施策パッケージ」が示され、教師の在り方や果たすべき役割、指導体制の在り方、ICT活用指導力の向上方策も今年度中を目途に方向性が明らかにされると明示されたことも見落とされるべきではないでしょう。

     標榜される「Society 5.0」と学校が直面する現実との愕然とする乖離を視野に収めれば、GIGAスクール構想の立案は遅きに失したと言わざるを得ません。まして、感染の「第2波」「第3波」が懸念される中で、上に引用した記述に示された悠長なスピード感では到底対応しきれません。無論、僕のようなポンコツに言われるまでもなく、既に文部科学省はGIGAスクール構想の事業化に着手し迅速に展開してきましたし、今後、その展開がさらに加速することは確実です。財務省の皆さんも、今回ばかりは「“児童生徒1人1台コンピュータ”を実現すると有意な教育効果が生じるという実証データはあるんですか? 実証できないものにカネは付けられません」なんてことは言わないだろうと推察されます。

     その一方で、新型コロナウイルスの感染拡大を抑止しつつ教育活動にあたるという「至難の業」に日々挑戦せざるを得ない先生方にとって、「デジタル機器の使い方を学ぶ」ことや「デジタル機器を取り入れた授業の準備をする」ことなどの優先順位が低くならざるを得ないことも想像に難くありません。まずは、“目の前のこの子たち”の学校生活を安全で快適なものにすること、日々の授業を確実に行ってこれまでの学習の遅れを取り戻すことに時間と労力が当てられることは当然ですし、デジタル云々は二の次・三の次として見なされるのもやむを得ない現実と言えるでしょう。

     最後に、これまで書いてきたことを前提として、先生方に二つお願いがあります。

     文部科学省は今後、GIGAスクール構想に基づく諸事業をこれまで以上に加速化して展開するはずです。その際、先生方の「技術的スキルと教育的スキル」の向上にも相当な期待が向けられるでしょう。でも、先生方。お願いですから、バーンアウトしないでください。先生方は、欧米諸国の学校では複数の専門職が担当する職務を一人で担うスーパーマン・スーパーウーマンのような存在です。勤務時間一つをとっても、他の国々を圧倒する長さです。ここで、上掲の調査項目にもう一度目を向けてください。――「教員がデジタル機器の使い方を学ぶために、有効な専門的資源が提供されている:最下位」「学校には技術的なサポートをする十分な資格を持った補助員がいる:最下位」――先生方のスキル向上は、これらの条件とセットになって図られるべきものです。万一、このような環境整備がないまま、オンライン授業を含むICT関連の「技術的スキルと教育的スキル」の向上を求められたとしたら、どうか迷わず環境整備を要求して下さい。先生方だけで全部引き受けることは、これ以上無理です。日本では、教育への公的支出の割合が極めて低く、OECD加盟諸国では常に最下位でした。「金をかけずに成果を出す」という魔法のような日本の教育は、一人何役もこなすスーパーマン・スーパーウーマンのような先生方が時間外手当もなく長時間働いて支えてきたのです。遅すぎた「働き方改革」の波に乗ずるわけではないのですが、学校再開後の激務の中で、追加的な環境整備もないままオンライン授業にかかわるスキル向上を強いられてはなりません。先生方がバーンアウトして一番困るのは、先生方の目の前の子どもたちです。

     そしてもう一つのお願いです。今お願いしたばかりのことと矛盾するようで恐縮ですが、オンライン授業を含むICT関連の「技術的スキルと教育的スキル」の向上について、先生方お一人お一人の中での優先順位をほんの少しだけでも上げてください。新型コロナウイルス感染の「第2波」「第3波」はいつ来るか分かりません。この春のように学校を閉鎖しなくてはならない事態がいつ再来するかは、誰も予測できません。不測の事態への備えは、不測の事態に陥る前にしかできないのです。仮に、「児童生徒1人1台コンピュータ」が現実となり、学校でも家でも十分な通信環境が整ったとしても、「教員は、指導にデジタル機器を取り入れるために必要な技術的スキルと教育的スキルを有している」の回答結果が世界の最底辺のままでは、子どもたちの学びは停滞します。また仮に、新型コロナウイルス感染の「第2波」までに「児童生徒1人1台コンピュータ」が間に合わなかったとしても、「第1派」における休校期間中の経験を踏まえ、大幅な改善を伴った学習機会の保障がなされる必要があります。その際、先生方のオンライン授業にかかわるスキルが向上していれば、提供し得る方策の幅は確実に広がります。そして何より、「第2波」「第3波」なんかが来なくても、日々の授業の中で先生方がデジタル機器を使いこなしつつ、授業を楽しそうに展開する姿こそが、子どもたちにとっての「ロールモデル」となります。キャリア教育における最強の教材はロールモデルである、と断言しても良いでしょう。コンピュータって便利なんだなぁ、ICTを使いこなすといろんなことができるんだなぁ、大人ってすごいなぁ、かっこいいなぁ、私も僕も先生みたいにコンピュータとインターネットを使いこなしてみたいなぁ……。ICTスキルやネットリテラシーが必須となる「Society 5.0」の時代を生きることになる子どもたちですが、家庭の環境によっては適切なロールモデルに出会いにくい場合もあるでしょう。だからこそ、学校の先生方の存在が重要になるのです。


     新型コロナウイルスの感染拡大が顕著になってから、どういうわけか「よもやま話」が重くなりがちです。ふわっと軽く、読んで下さる方々の気持ちが明るくなるような文体を目指しているのですが、理想からどんどんと遠ざかっていく自分を自覚しつつ変えられないのは悲しいですね。歳かなぁ……。加齢を言い訳にしてはいけないのですが、加齢による学習能力の減退と可塑性の低下は認めざるを得ない現実です。

     では、気分転換に、文字通りの「よもやま話」を一つ。George Floyd氏の死亡事件以降、現在もアメリカのみならず世界の多くの国々で行われている黒人差別への抗議行動ですが、その中でのエピソードのひとつを報じた6月3日付のニュースにホロッときたのでご紹介します。
    https://www.newsweek.com/texas-girl-5-asks-police-are-you-going-shoot-us-during-houston-protest-1508572

     テキサス州ヒューストンで行われていた抗議行動(デモ)に家族で参加していた5歳の黒人の女の子が、警戒に当たっていた白人警察官に「おまわりさんも、私たちを鉄砲で撃つの?」と尋ねました。近くにいた母親は「そんなこと言っちゃダメよ」と慌てますが、警官はしゃがんで女の子の肩にそっと手をやって、こう言いました。「おまわりさんたちは、みんなを守るためにここに来たんだよ。分かるよね。みんなをいじめるためにここにいるんじゃないんだ。分かるね。みんなはデモをしてもいい。パーティーだってしてもいい。したいことをしていいんだよ。でも、物を壊しちゃダメだよ。(We're here to protect you, OK? We are not here to hurt you at all. OK. You can protest. You can party. You can do whatever you want. Just don't break nothing.)」

     警官の言葉の選び方も発言の仕方も、ごく普通の白人男性が自分の子どもに言って聞かせる時のように自然でしたし、しゃがんで女の子の目を見つめながら肩に手を回す動作も愛情を感じさせるものでした。アメリカの市民生活の現状に目を向ければ、法制度や理性を越えた部分における人種差別は未だに明示的な形で残っています。5歳の子どもが警官に対して「私たちを鉄砲で撃つの?」と尋ねざるを得ない状況に胸が痛みますが、この警官の対応がふっと心を軽くしてくれました。

     そういえば、こういう「いい話」にホロッとくるのも確実に加齢現象の一つでしたね。


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藤田晃之

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