皆様、大変ご無沙汰いたしております。昨年12月末に「第64話」を掲載してから9ヶ月あまりも更新が滞っておりました。ご心配をおかけ致しましたことをお詫び申し上げます。
2022年に入りましてから、私の身の回りに、これまであまり経験してこなかったことがいくつか発生致しました。そのほとんどは文字通りの些末な事柄です。けれども、父親の他界は私にとりまして大きな出来事でした。
2月下旬、父は自宅で倒れ、緊急手術を受けました。その後、一時は日常生活も送れるようになったのですが、この夏に永眠した次第です。余命宣告を受け、本人はもとより、私を含む家族も覚悟を持って日々を送ってきたはずなのですが、亡くなってしまうと寂しいものですね。
父の配慮によるもののような気がしますが、父の葬儀の直後から海外出張が続きました。帰国中は父の永眠に伴う公的な手続きや法要の準備に追われ、再び海外に行き、帰国したらすぐに法要を執り行う。……父の死に正面から対峙する物理的な時間も心理的な余裕もなく、いわゆる「悲しみに暮れる」という状況には直面しませんでした。
けれども、ふとした瞬間に生前の父の姿が思い浮かぶ時には、この世界での永遠の不在という事実に愕然とします。反抗期が長かった私は、父親と親密に語り合ったり、共通する趣味を楽しんだりすることを欠落させたまま成人してしまいました。家庭や仕事をもった後は、「盆、暮れ、正月」に顔を見に行く程度でしたし、それ自体を問題だとも感じてきませんでした。このようにできの悪い息子であった私は、父に対する振る舞いにおいて反省すべきことだらけなのですが、今、最も悔やまれるのは、一時回復した折に温泉旅行に連れて行かなかったことです。
2月に余命宣告を受けながらも、その後、日常生活を送れるようになった父を見て、「予測に反して、このまま元気に暮らせるかもしれないな」などと暢気に考え、夏になったら温泉にでも行くか、とプランを具体化させていました。けれども、夏本番を迎える頃には旅行に行ける状況ではなくなってしまったのです。そういえば、父と一緒に風呂に入ったのは、幼稚園に通っていた頃が最後だったかもしれません。春風に吹かれながら露天風呂に一緒に浸かって、背中でも流してやって、風呂上がりにはビールを一緒に飲みたかったとつくづく思います。
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すみません。お読み下さっている皆様にとってはどうでもいい話でした。それに、こんな話を聞かされたのでは、心が沈みますね。お許し下さい。
本来、皆様にご報告したかったのは、「いろいろありましたが、現在は、いつもの日常が戻ってきています」ということでした。これからは、かつてのように、1~2ヶ月に一度の更新を目標としながら「よもやま話」の更新をして参ります。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
今回は、記念すべき再出発の初回ですので、ネットで巡り会った元気の出る話を2つシェアさせて下さい。いつもの「ダラダラ冗長」の書き癖を抑えて、できるだけ短く参ります。
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まずご紹介するのは、インドにお住まいで外資系企業にお勤めになっているマリーヌさん(ペンネームだと拝察します)が9月9日付けで発信しているブログ記事「インドのスラム街の教育支援をするはずが、はじめの一歩で心が折れてしまった。」です。
インド国内のあるスラム街に設置されている公立小学校を訪れたマリーヌさんは、校内の図書室、コンピューター室、理科室などがことごとく施錠されており、「室内は埃まみれ。長期間使われていないことが明白です。」という状況に置かれているという事実に遭遇します。その後、その背景を知ることになったマリーヌさんは、彼女が取り組んできた初等教育支援を通した識字率の向上や中退率の抑止が、インド特有の社会的構造や慣習を前にして十分な効力を発揮しないという現実に直面することになります。このようにして「はじめの一歩で心が折れてしまった」マリーヌさんなのですが、日本のエシカルビジネス第一人者である白木夏子さんからいただいた言葉から………
という素敵なエピソードです。何かをやろうとするとき、「できない理由」「やめておいた方が良い理由」は何十も、何百もすぐ浮かびます。でも、それでもやるべきことがあると思えることに出会えた人は幸せですね。とても辛いけれども、とても幸せ。
私自身、年齢を理由に「もういいかな」といろんなことから逃げたくなりますが、もう少し頑張ってみよう、と思えるようになりました。マリーヌさん、ありがとうございます!
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さて次は、前回の「よもやま話」第64話(続: 学びの先にあるもの)との関連で、「子供の『こんな勉強しても将来使わないじゃん』に対する神回答はこれ!」をご紹介します。ライターの高谷みえこさんが8月30日付けてお書きになったものです。
ここでは、「模範回答系」「メリット提示系」「『勉強とは』見直し系」の3類型を用いながら「神回答」の例が示されています。個人的には、「勉強と学習・学問・教養の違い」にまで議論の地平を開こうとした(?)「『勉強とは』見直し系」における指摘が素敵だなと思いました。高谷さんが仰る「模範回答系」「メリット提示系」「『勉強とは』見直し系」に限定した話ではないのですが、「こんな勉強しても将来使わないじゃん」という子どもの声に、大単元に1回くらいはちゃんと向き合って、真摯なメッセージを届けたいですね。……「はい、そんなことを言っている暇があったら、手を動かしなさい」などと子供たちを煙に巻いて、受験終了後にはゴミとなってしまうような「合格切符」を勝ち取らせることだけに終始する授業は、そろそろ化石扱いされるべきかもしれません。
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インターネットというのは改めてものすごい仕組みだなぁと思います。紙のメディアが中心だった頃とは、情報との出会い方からして違いますね。インターネットがなかったら、マリーヌさんの文章にも高谷さんの文章にも、おそらく巡り会うことはなかったでしょう。無論、図書を典型とする紙メディアこその良さがあることは論を待ちませんが……。
最後に、このようなインターネット上の情報に接するに当たって、私たちのリテラシーが常に鋭く問われているなぁと再認識するに至ったケースをご紹介します。昨日(9月23日)付けで、アメリカの大都市に移住して情報発信を続けている芸人さんが書いたとされる文章の一部が、ネットの複数のサイトで公開されました。そこでは、アメリカの物価高などの状況が綴られているのですが、その途中、次のような記述がありました。
以前から、アメリカではどうして治安の悪いエリアが決まっているんだろうと不思議に思っていたんですが、わかりました。
完全に教育水準の違いだったんです。
エリアごとに教育のレベルが1から10まであって、このエリアは「2」、このエリアは「8」とはっきり決まっているんです。
たとえば、「8」の地域の学校では算数、国語、理科、社会の授業がありますけど、「2」の地域の学校ではそのうち2教科しか教えませんよ、と。
つまり、住むエリアによって学力が変わってしまうんです。そして当然、教育レベルの高いエリアは、家賃も高いわけです。私立だったらエリアは関係ないですけど、そのぶん学費が高くなります。
けっきょく経済格差が教育格差となり、さらに地域格差にまでつながっているんです。しかも、その格差は広がる一方という。
……アメリカにおいて地域ごとの経済格差は現実としてあります。また、地域あるいは家庭の経済状況と教育達成度の間に相関関係が成立していることも事実です。でも、「エリアごとに教育のレベルが1から10まであって(中略)『8』の地域の学校では算数、国語、理科、社会の授業がありますけど、『2』の地域の学校ではそのうち2教科しか教えません」などということは、全くない。私は、アメリカの教育も重要な研究対象とする研究者の一人ですが、こんな事実はないと断言できます。
私はこの芸人さんと同郷なので、ファンというほどではないにせよ、「アメリカ生活、頑張って!」と思っていました。でも、今回の指摘はダメです。全国区の芸人さんという影響力も十分考慮され、エビデンスに基づく情報発信をしていただく必要がありますし、私たちも、このような情報が混じっているという現実を常に念頭に置く必要がありますね。(それにしても、こういった情報が、この芸人さんの周りにいるブレイン役の方々の眼を易々とすり抜けて公開されてしまうこと自体、不思議なことです。)
いずれにしても同郷のよしみですので、「ごじゃっぺ言ってだら、ダメだっぺよ」と申し上げて、今回のよもやま話の結びとさせていただきます。
【第64話】続: 学びの先にあるもの(2021年12月29日)
【第63話】みんなちがって、みんないいのに……(2021年10月10日)
【第62話】全国学力・学習状況調査の結果公表に寄せて(2021年9月5日))
【第61話】夏季休業後の学校再開と新型コロナウイルス感染症対策(2021年8月22日)
【第60話】「生涯にわたる学習とのつながり」を見通すことの意味(2021年7月23日)
【第59話】ないないづくし(2020年8月23日+2021年6月2日)
【第58話】OECD「Learning Compass 2030」が求める力(2020年7月12日)
【第57話】続:「今、ここ」でのキャリア教育(2020年6月14日)
【第56話】「今、ここ」でのキャリア教育(2020年5月16日)
【第55話】ロールモデル(2020年4月11日)
【第54話】キャリア教育の出番です(2020年2月1日)
【第53話】係活動・当番活動(2020年1月11日)
【第52話】新学習指導要領の前文を改めて読む(2019年12月26日)
【第51話】PISA2018の結果第一報によせて(2019年12月3日)
【第50話】「キャリア・パスポート」は “お荷物”か?(2019年10月13日)
【第49話】たまには遠くを見てみよう(2019年8月13日)
【第48話】世界は動いている(2019年6月29日)
【第47話】日本版パパ・クオータ制、創設か!?(2019年5月26日)
【第46話】変わりゆく日本型雇用(2019年4月28日)
【第45話】「キャリア・パスポート」例示資料等の発出によせて(2019年4月4日)
【第44話】やっぱり英語は必要だ!(2019年3月13日)
【第43話】キャリア教育とジョン・デューイの「オキュペーション」(2019年2月9日)
【第42話】マハトマ・ガンディー生誕150周年に寄せて(2018年12月23日)
【第41話】書けない・書かないキャリア・パスポートをどうするか(2018年11月17日)
【第40話】教科を通したキャリア教育は難しい?―その3―(2018年9月24日)
【第39話】「主体的・対話的で深い学び」とキャリア教育(2018年8月12日)
【第38話】大学入学共通テストの方向性が示すもの(2018年7月8日)
【第37話】「キャリア教育の要」って、結局、何をどうするの?(2018年6月2日)
【第36話】教科を通したキャリア教育は難しい?―その2―(2018年5月6日)
【第35話】「教員が対話的に関わること」の意味(2018年4月11日)
【第34話】AI時代に求められる力(2018年3月11日)
【第33話】未来は「怖い」か「楽しみ」か(2018年1月27日)
【第32話】テレビドラマが映し出すもの(2018年1月21日)
【第31話】年の瀬の大風呂敷(2017年12月28日)
【第30話】働くって、何だろう?(2017年11月25日)
【第29話】キャリア・プランニングはナンセンス?(2017年11月5日)
【第28話】世界的に問い直される「学びの本質的な意義」(2017年10月29日)
【第27話】世界的潮流としての「教科を通したキャリア教育」の実践(2017年10月1日)
【第26話】「キャリア・パスポート」がやってくる!?(2017年9月10日)
【第25話】他山の石(?)としての1970年代のアメリカにおける実践(2017年8月27日)
【第24話】将来(おそらく)使わないものを勉強する理由 (2017年8月6日)
【第23話】「青い鳥」が住むところ (2017年7月1日)
【第22話】遅ればせながら…「基礎的・汎用的能力」って何?(2017年6月17日)
【第21話】「基礎的・汎用的能力消滅論(!?)」を検証する(2017年6月4日)
【第20話】キャリア教育の「要」としての特別活動(2017年4月23日)
【第19話】アントレプレナーシップって何だ?(2017年4月9日)
【第18話】子供たちの変容・成長をどう評価するか(2017年3月26日)
【第17話】就学前~小学校低学年の子供へのアプローチ(2017年3月11日)
【第16話】小学校・中学校の次期学習指導要領案を読む(2017年2月26日)
【第15話】小学校におけるキャリア教育の豊かな可能性(2017年2月12日)
【第14話】キャリア教育の18年の歩みを振り返る(2017年1月29日)
【第13話】今、高校3年生に伝えたいこと(2017年1月15日)
【第12話】中教審答申がキャリア教育に期待するもの(2016年12月29日)
【第11話】職場体験活動再考(2016年12月18日)
【番外編】PISA2015の結果が公表されました(2016年12月6日)
【第10話】強者の論理(2016年11月30日)
【第9話】学びの先にあるもの(2016年11月14日)
【第8話】キャリア教育と進路指導(2016年10月29日)
【第7話】五郎丸さん(2016年10月14日)
【第6話】「お花畑系キャリア教育」は言われるほど多いか?(2016年10月1日)
【第5話】金太郎飴(2016年9月18日)
【第4話】カリキュラム・マネジメントと「SMART」な目標設定 (2016年9月4日)
【第3話】キャリア教育とPDCAサイクル (2016年8月17日)
【第2話】教科を通したキャリア教育は難しい? (2016年8月2日)
【第1話】職業興味検査は使い方が肝心 (2016年7月31日)